極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

I am grateful that I can freely write my daily thoughts

象さんは、植物のみを食べて大きく成長

2016-01-29 14:40:31 | 健康等々
大きな象には大きな骨格がありますが、勿論牛乳を飲みませんし、動物性タンパクも食べません。草、木の葉ばかりを食べて成長します。

大きな骨格は草、木の葉にタップリ含まれているカルシウムだけから作られたと言えます。
植物は土壌のカルシウムを吸収して葉や茎にカルシュームを保有します、草、木の葉には多くのカルシュームが含まれており、象は草、木の葉を食べ、そのカルシュームで大きな骨格を作っていると言う事実は間違いありません。
これらの事実は、間違いなく植物だけでも十分カルシュームを取れる事を意味してると思います。

人間は乳幼児期を過ぎると、ラクターゼ(牛乳のカルシウムを吸収)は分泌が止まります、動物も同じだそうです。
ラクターゼが止まるから人間同様、動物も親離れ可能と言われています。

私達、日本人の腸には、牛乳のカルシウムを吸収するのに必要なラクターゼという酵素がないことが分っているそうです。(一部、寒地定住の民族は、遺伝子が変化し大人になってもラクターゼが分泌されていると言われています。)
牛乳をいくら飲んでもラクダーゼが無く、カルシウムの分解、吸収は無く、殆どそのまま排泄してると言われています。

何時から牛乳を多く飲むようになったのか?
戦後の昭和22年、アメリカの対日輸出政策で保健所での栄養指導が可となり、小・中学校、幼稚園給食にパン、牛乳が導入されたようです。結果は和食否定とも言えるかも知れません。
牛乳はカルシウムが多く、たくさん飲むと骨が丈夫になり、体が大きくなります、残さないで飲みましょう・・・私達もそのように教ええられました、現在の子供達も同じです。

戦後日本は、アメリカの対日輸出策の結果、小麦、乳製品の大量輸入国、消費国になってしまいました。日本の牛等の餌用飼料トウモロコシ等は、ほぼ100%と言ってもよいぐらいが、GM・作物と言われています。(GM:Genetically Modified 、遺伝子 組み換え)、外圧に極めて弱い日本は、諸外国に比べて世界でもGM・穀物輸入規制が最も甘いと言われています。

1990年代後半、アメリカにおいて遺伝子組み換えトウモロコシの生産が本格化、アメリカからのGM・トウモロコシの供給過程、国内飼料工場での製造過程において、非遺伝子組み換えトウモロコシ(Non-GM・トウモロコシ)の分別管理が行われていると言われていますが、国内酪農家には殆どGM・トウモロコシが供給されているようです。GM・トウモロコシを日本の乳牛は食べています。

欧米の研究(マウス等)結果、遺伝子組み換え食品のガン多発を確認、人間にも有害じゃないかとと言われています。乳牛がその飼料を食べた結果、その牛乳は影響されないか、考え過ぎかも知れませんが・・・

世界で最も牛乳摂取量の多いノルウェーは、骨粗しょう症の発生率は日本の約5倍程度、群を抜いています。乳製品、動物性たん白質の摂取量が多いアメリカ、世界有数の骨盤骨折の率が高い国です。

カルシウム摂取量(乳・乳製品)の多い国ほど骨粗しょう症が多いというカルシウム・パラドックスを初めて報告したのはハーバード大学のヘグステッド(Hegsted DM)教授です。
取り上げた国は10カ国に過ぎませんが、アメリカ、ニュージーランド、スウェーデン等のカルシウム摂取量(乳・乳製品)の多い国、シンガポール、香港などの摂取量の少ない国に比べて大腿骨頚部骨折が非常に多いことが分ったそうです。

アルバート・アインシュタイン医学校のバーゼル(Barzel US)教授とワシントン大学のマッセイ(Massey LK)教授は、骨粗しょう症の予防のためにはタンパク質摂取を少なくし、野菜、果物を多く摂ることを勧めています。

特に牛乳に含まれているタンパク質の8割を占めている、カゼインという物質は発ガン性が指摘されているほど毒性が強い物質と言われています。
癌細胞を劇的に促進する牛乳たんぱく(カゼイン)マクガバン報告上巻 http://blog.livedoor.jp/mikiki_boss/archives/51713300.html

人間には合わない牛乳を体内に取り込んでしまうと、免疫システムは異種タンパク質、つまりは異物と判断し排除にかかると言われています。その結果、粘膜が十分に発達していない子供では牛乳アレルギーと呼ばれるような症状が多く見られると言われています。

ホプキンス大学小児科部長フランク・オスキー博士は、カゼイン(牛乳タンパク)は全米の50%以上の子供たちが苦しんでいる激しいアレルギーの主因と述べ、アインシュタイン医科大学・新谷弘実教授はアレルギーを起こす人が急増した、第一の原因は1960年代初めに始められた学校給食の牛乳にあると明言されています。

日本も、戦後牛乳が多く飲まれるようになるまでは骨粗しょう症と言われる方は極めて少なく、その言葉さえ少なかったようです。
学童の骨折は、学校給食等牛乳導入後増加しているようです。戦中、後一時期の学童は骨折は少ないようです、当時は牛乳を殆ど飲んでいません。
沖縄の島々の長寿の人は牛乳は殆ど飲まないと言われますが、骨粗しょう症と言われる方は皆無です。海草、魚等を沢山食べています。

牛乳には多くのコレステロールが含まれており、加工しても無脂肪であっても、変わりないそうです。
牛乳を習慣的に飲み続けることで、リスクが高まるのがアテローム硬化と言われる病気・・・動物性脂肪、コレステロール摂取量の多い現代人の食生活によって引き起こされると言われています。
悪玉コレステロールが血管壁の内側に溜り、それを食べようと白血球の一種であるマクロファージが血管壁の内側から入り込み出られなくなります。
症状が進めば、血栓が生じて、細胞への酸素の供給が途絶えます。血液が供給されなくなった細胞は死んでしまうのです。
脳の血管が途絶えれば脳卒中、心臓への血液が途絶えれば心筋梗塞、命に関わると言われています。

カルシウムはどうやって簡単に摂取できるか・・・
本当は、牛乳より野菜、海藻のほうにカルシウムが多く含まれているようです。
牛乳100g中、カルシウム・110mgに対し、大根の葉・2倍以上、小松菜・1.5倍、昆布・6.5倍、ひじき・14倍・煮干・22倍・・・カルシウム補給は、野菜、海藻類で行うべきですが、極端な食生活でもない限り、日々意識しなくてもカルシュームを取っていると思います。

だからと言って牛乳が無くなったらやはり困るでしょう。
牛乳はケーキ等々にはどうしても必要で、ケーキ等々が無い生活は味気ないでしょう。
牛乳は嗜好品等々の分野で活躍するでしょう。

牛乳とアトピーの因果関係
アトピー(手の指、足、足首等)に長年(20年位)苦しめられた妻、妻は強度のアトピーで特に皮膚の異常はびっくりする位で、多くの病院を回りましたが、主にステロイド薬ばかりでの治療で直りませんでしたが、ある雑誌を読んで、牛乳を飲むのを7年位前から止めたところ、数年後から少しずつ直り始め、現在は完全に完治です、夢見たいな完治、この間違いない事実は牛乳とアトピーは素人ながら因果関係があるように思います。
今は家の冷蔵庫に牛乳はありません、牛乳の代わりに豆乳を飲んでいます。勿論たまには大好きなケーキも食べています。

牛乳カルシウムの真実(牛乳と骨粗鬆症)、自身の体験等々を参考にしていますが、意味不明文があるかも知れませんが日記プログと言うことで・・・


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世界から見たら、日本は準独立国?

2016-01-27 13:42:42 | 可笑しな日本の憲法

世界には多くの国があり、其々自分達の憲法を持っていますが、ドイツ・58回、フランス・27回、カナダ・19回、イタリア・16回、アメリカ・6回、自国の憲法を改正しています。

私達の日本国憲法は、一説では敗戦後、素人同然のGHQ内のユダヤ人(アシュケナージ・ユダヤ人)が命令でワイマール憲法(本質はユダヤ的思考)を参考に2週間ほどで作り上げ日本に与えたと言われています。
ワイマール憲法は導入国には不利(間接支配し易い等・・・)な箇所が散見されます。じゃ日本国憲法は・・・改憲の最大の反対者は、日本ではないと言う側面が見え隠れします。

自国益を考えないような憲法を持っている国は世界に存在しません。特に国家防衛義務がないなんて世界の人達からから見たら信じられないような内容です。国家防衛義務が即戦争準備、即徴兵制になる等々飛躍過ぎに思えます。

私達は日本に生を受け、一人々の人生、歴史を歩いて人生を閉じますが、この日本が本当の独立国でなく準独立国でしかなかった・・・人生を省みた場合、何か複雑で空しさを感じると思います。

歴代総理の多くは、真相を知っていると思います、改憲の意思を表示すればことごとくマスコミから叩かれました。
何故マスコミは改憲反対でしょうか、GHQ策の流れか、戦後マスコミの一部基幹社員は某国(全て費用負担)に留学・・・帰国、某国益、利権等々を考えたら改憲反対となるでしょう。この利権等々を得た方達が自社メデアの中枢に居座り改憲反対・・・国内で著名な論説者等が多くいると言われています。
これらの一部マスコミの人達は、同じ日本人の私達の人生、歴史を空しいものとしているように思える時があります。
マスコミ報道等では改憲は悪で、即戦争準備等とよく言われますが、マスコミ報道等を鵜呑みすることなく、日々の生活に追われ難しいかも知れませんが、一人々が少しでも自分なりの改憲の意見を持つことは必要と思います、例え賛否であっても。

改憲は私達一人々の日々の生活に何の関係も無いように思えますが、一例として昨今の格差問題、原発問題等々どうしてこうなったかを考えるべきだと思います。これらの問題は国内問題ではないと思います。
国家としての凛とした強い姿勢で臨めば、少しは違ったように思えますが、この態度で望めない日本の弱い立場、悲しい現実・・・憲法は私達の日々の生活に極めて大きく影響を与えていると思うべきです。

同じ2次大戦敗戦国、ドイツも大変屈辱的な戦後を歩いてるようです、特に敗戦直後のマルクの無価値化、戦勝者達(アシュケナージ・ユダヤ人)は強いドルを持ち込みドイツの要所、物件等々を買い占めたと言われ、ドイツ人の気持ちは・・・戦前のナチス台頭時と全く同じ構図だったと言われています。
ドイツ人の根底にはドイツの尊厳の回復が面々と今も続いていると思います。
ドイツは58回、自国益、尊厳回復等の為、改憲しています。
戦後ドイツは、水面下ではユダヤ人が支配してると言われ、文献等を読めば苦悩する戦後ドイツの姿が散見されますが、ドイツ国民は憲法改正が真に自国益のためになると思えば躊躇することなく実施してきたと言われています。

一般公表されているGHQ等々の資料を見れば、戦勝国は間違いなく、当時世界でも製造業等の最高峰国家ドイツ、日本が再度立ち上がらないようにドイツ、日本を非工業国にしたかったのは事実のようで、間接支配のツールとして・・・

昨今の国内を見ると、憲法九条を世界遺産に「(集英社新書) 新書2006/8/12 太田 光(著)中沢 新一(著)」等々にしようと言う人達がいますが、いかに日本が戦後GHQ等々に影響されたかを物語っていると思います。

今、私達日本は拉致問題と言う、戦後最大の理不尽な大きな問題が解決していません・・・解決するはずがありません!日本国憲法により骨抜きにされた国民、自国さえ守る気概がないと言われる現実、戦前の先人が生きていたら何と言うでしょうか、相手は完全に足元(日本国憲法)を見ています。
やはり、新しい憲法の下で凛とした強い態度で対応すれば解決に近ずける可能性が大きいと思います。

現憲法のために失う国益、国民益・・・改憲を目指す政権は潰される可能性が高く、改憲が困る国、それも同じ日本人を使って切り崩される可能性は大きいと思います。

現日本の国体、真相を知った、数少ない総理、安部総理が憲法改正を目指すのは・・・国民の皆さんは何も分っていない!と思っているでしょう。
今私達が改憲を目指す安部政権を支えなければ、未来永劫誇りある日本は無いでしょう。

日本の真の独立は、改憲無しでは難しいと思う昨今です。


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原油安の一側面

2016-01-25 12:42:16 | 日記
昨今の原油安、何故こんなにも安くなったか?
精査して見ると意外な側面が見え隠れします。
何故、原油安が続いているか・・・産出国のサウジの場合、1バーレル75ドル(確か・・・)の採算ラインを切ってまで、何故減産しないのか・・・原油産出国で一番困る国は、やはりロシアで、ロシア潰しに見える側面があるように思えます。


ロシアはグローバル化(国際化)に賛成しない、自国文化を誇りにする「民族主義」の国です。世界は非民族主義のグローバル化(NOW、米国大統領等がよく口にしています。)を目指しており、民族主義は、これらの欧米等々の抵抗勢力となります。現世界には、どうしてもグローバル化をしたいと言う国を越えた人達がいると言われています。

OPEC(石油輸出国機構)が減産、原油価格は今後低迷する可能性があると言われています。原油安は大量消費国にとってメリットが大きいと言われていますが・・・
昨今の原油価格は、やはり政治的?なインパクトの方が大きいように思えます。
原油安継続で、ロシアは資源価格依存で、一時的に財政危機状態になる可能性があります。

ロシアは世界的な産油国、原油産出量は1日で約1000万バレル、世界最大の産油国の米国、サウジアラビア次ぐ産出量と言われています。ロシアの場合、これと言った輸出産業等はあまりありません、原油、天然ガス等輸出以外に外貨獲得が無いように言われています。
少し古いですが、2013年、年間約5000億ドルの輸出で約7割は石油エネルギー関連です、原油のみでも約2500億ドルと言われています。

2013年当時の原油価格は1バレル100ドル前後、(現在は30ドルを切っています。)ロシアの輸出額の3割以上が減ったことになります。年間18兆円以上の巨額損失と言われています。

現在、ロシアはクリミア問題で経済制裁を各国から受けており、結果、通貨ルーブルが暴落、クリミア問題以前、後、ルーブルの対ドル・レートは現在70%以上に減っています。
ロシアには米国等のような自由に巨額投機資金等々を用いて原油価格をコントロールできると言われる、グローバル金融市場は無いようです、どうしても外貨調達は海外市場、原油等の輸出に限定されると言われています。

現在、ロシアでは15%以上のインフレ、ロシア中央銀行は一時、政策金利を大きく引き上げるという状況まで追い込まれ、国内では生活が厳しくなっていると言われていますが、ロシア大統領プーチンは常に90%の国民の支持を得ています。何故この支持率が高いかは、自国益、国民益を考えた明白な策、国民に対し可能な限り情報開示を行っているようです。国民は政府と強い絆で結ばれており、これらの源は政府と国民の情報共有に尽きると思います。

ロシアの強みはなんと言っても、ソ連崩壊後の想像を絶する混乱経済社会の経験、この経験は逆にロシアの強い味方となったと言われています。ロシアは、今後この原油安を切り抜けると言われています。昨今では、シルアノフ財務大臣がロシア経済は最悪を脱したと発言しています。

グローバル化を目指す人達に取って、欧米に従わない民族主義のロシア・プーチン大統領は、絶対に許せない世界最大の目障りかも知れないですね。

http://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/news/2015_03_19/283410660/、ネット上等々の資料等を使用してますが、一部意味不明文等があるかも知れませんが、プログ日記と言うことで。

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地球は寒冷化

2016-01-23 12:43:33 | 日本の異常気象等

1997年、デンマーク国立宇宙センターのヘンリク・スベンスマルク教授によれば、太陽からの放射磁力線と太陽活動は極めて密接で、この放射磁力線は太陽系を包むバリアーのように放射されており、宇宙線(遠い昔、星が最後を迎えた時に起こる爆発時に発する放射線)から太陽系を守っていると言われています。

特筆すべきは、地球上の「宇宙線変化量と雲量変化量は完全に一致」している事実は世界に衝撃を与えたと言われています。雲の発生は宇宙線によることが確認されているそうです。

地球にとって太陽からの放射磁力線は、地球を宇宙線から守るバリアー役です。
昨今の太陽活動の低下は、放射磁力線の低下を意味し、このバリアー役の放射磁力線低下は宇宙線が地球表面に多く進入することを意味し、結果、多くの雲を発生、太陽熱の遮断等により異常気象、寒冷化等をもたらしていると言われています。

太陽の磁極は11年周期でプラス、マイナスの反転を繰り返しています。通常の磁極は地理学上の南北両極と一致の2極構造をしていると言われています。過去、日本の高性能太陽観測衛星、ひのでの観測結果から、新たに赤道付近に極が出来る、4重極構造化現象が確認されました。太陽の4重極構造化現象は、17世紀~18世紀にも確認されています。丁度その時期は、地球の急激な寒冷化の時期と重なっています。

太陽に現れる黒点(太陽の深さ40万キロで発生してると言われる磁力、この磁力の極めて強い部分が太陽表面に現れた箇所)、黒点の変化は太陽活動の度合いを示めします。

異常気象、寒冷化の原因は、異常な太陽活動であると言う事実、これらの事実は何故か、NHK等々は避けます、既存の研究結果が否定されてしまうためか、太陽異状は間違いなく地球の気候変動を引き起こしていると言われています。地球は寒冷化に向かっている可能性は極めて高いと言われています。

一方ではCO2が原因で地球が温暖化していると・・・
昨今、IPCCはCO2と温度上昇は無関係と認めています。明確な根拠が無いのに、元米国ゴア副大統領はウラン利権を促進する為か、CO2が温暖化の原因と主張、以後世界は真相を知りながら利権のおこぼれを貰う為か、CO2温暖化説を取り入れていると言われています。

CO2地球温暖化説は化石燃料(原油)からウラン利用原子力へ変えるための策でしかないと言われ、一説では元米国ゴア副大統領とウラン業者の策とも言われています。ゴア副大統領の一族は原子力産業と繋がりが深いと言われています。
父親の故アル・ゴア・シニア氏は、上下院議員を32年間務め、上下院原子力合同委員会のメンバーです。
政界引退後、オクシデンタル石油で上級副社長を務めています。
オクシデンタル石油のグループ会社、オクシデンタル・ミネラルズはニューメキシコ州で「ウラン鉱山」を所有しています。

日本でCO2地球温暖化否定説を受け入れたら、政府内、省庁、地方等々多くの部署等々がCO2地球温暖化説に対処等々していますが、一種の利権とでも言うべきものを失うことを意味します。

現在は、元米国ゴア副大統領、研究者等のCO2地球温暖化説は世界から相手にされていません。過去、京都議定書等々、米国等々は何故CO2削減に消極的であったか・・・真相を知っていたからと言われています。日本は地球温暖化策に対し大きな金額を出しています。過去、パリで開催されたCOP21は
不調でした、何故不調か?
当然、日本政府も真相を知っているでしょうが、大きな力によりCO2説に反対できないと言うのが真相かもしれないですね。日本も公にしなくとも、表向きとは違う寒冷化国家策を安全パイとして進めるべきでしょう。
世界がデイ・アフター・ツモーローのようにならないことを願わずにおれません。


参考記事等
http://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/2012_05_15/nihon-no-gakusha-taiyou-yon-juukyoku-kouzouka-chikyuu-kanreika/



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北朝鮮、核開発は本当に独自開発か?

2016-01-21 15:43:49 | 戦後
昨今の北朝鮮核問題、私達が知る北朝鮮核問題のマスコミ報道は、何か怪しくなります。どうも北朝鮮の核施設等を支援していた人達が見え隠れするようです。
フォーチュン誌2003年5月12日号掲載記事の英文の概訳ですが、誤訳等あるかも知れませんが・・・原文(英語)は最後に載せておきます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
北朝鮮コネクション・・・ラムズフェルド国防長官は、北朝鮮核施設建設のためのABBの取引について何を知っていましたか・・・何故、それについて話さないですか?
(リチャード・ベアール執筆、研究協力・ブレンダ・チェリー 2003年5月12日)

ラムズフェルド国防長官は自分の主張を留めておくようなことをしない人で、勿論妥協もしません。北朝鮮政権については明確に軽蔑しています。アメリカ政府が北朝鮮に対し、核兵器開発計画の断念引き換えに、2基の軽水炉建設計画同意に対し論議を呼びました。
1994年の取り決め、ラムズフェルド国防長官見解に関する公的記録が存在しない事実、非常に驚かされます。

驚くのは、北朝鮮の軽水炉建設設計と基本部位を提供する2億ドル事業受注企業の役員に就いていました事実について、ラムズフェルド国防長官が黙っていることです。
スイス・チューリッヒを本拠とする巨大企業ABB社(電力関連、重電、重工業を主たる業とする、スイスに本社を置く典型 的多国籍企業で、100カ国以上に進出)、北朝鮮との契約は2000年締結、ラムズフェルド国防長官が役員職を辞任してブッシュ政権に入るより前のことです。

ラムズフェルド国防長官は、1990年~2001年初頭まで、唯一人アメリカ人役員としてABB社取締役会にいましたが、その会社が北朝鮮の軽水炉開発事業契約受注競争に加わったことを公的には言っていませんでした。フォーチュン誌(タイム・ワーナーの子会社タイム社、Time Incがタイム と共に発行する雑誌、発行部数100万部、通常年間で23号が発刊され、世界120ヵ国でおよそ500万人が読む世界最大の英文ビジネス誌)調査でも、同事業についてどういう考えをもっていたかについて示した公的記録は一切発見されませんでした。今年2月、北朝鮮の軽水炉開発にラムドフェルド国防長官の役割についてニューズウィーク誌に質問された際、国防長官の広報担当者ビクトリア・クラークは決済が問われた事項ではなく、彼女の上司、ラムズフェルド国防長官はその事業がいかなる時点で役員会に提示されたのか思い出せないと回答しました。

ラムズフェルド国防長官が果たした役割についてフォーチュン誌は細部説明を求めましたが、回答を拒否しています。ABB社広報担当者ビョルン・エドランド氏は、フォーチュン誌の取材に役員達は当該事業について説明を受けていた。と語っています。他のABB社職員の話によれば、そのような巨額の重要な事業の場合は、法的等責任問題も絡むので、ABB社の監査を通さないことはありえないと言っています。契約締結前に、業務概要書類が役員会で提示されているはずです。ABB社、米国支社核開発事業部、前社長で、当該事業指揮者ロバート・ニューマン氏は、役員なら当然知っていたはずですと言っています。

平壌の開発事業に入札時にABB社役員を務めていた15人に本誌が質問したところ、1人を除いて全員がコメントを拒否しました。匿名を条件に答えた役員は、当時のABB社会長パーシー・バーネヴィク、1990年代中盤に役員会で北朝鮮の軽水炉開発事業について説明したといっています。ABB社にとっては一大事でしたと前役員は言っています。そのために大規模な政界ロビー活動が行われました・・・

前役員は、1990年代半ばにライバルのアメリカ企業が外資系企業が政府の仕事を受注しようとしていると不満を表明した件で、ラムズフェルド国防著巻はワシントンでABB社のためにロビー活動を行うように依頼されたという話を憶えていました。前役員は詳しく説明しませんでしたが、1995年までABB社の発電設備事業指揮者、ゴラン・ランドベルグ氏は、一時期ラムズフェルド国防長官が関わっていたのは間違い有りませんと語っています。ゴラン氏によれば、合衆国政府との契約が必要な際は役員の助けにより事業を受注することは珍しいことではなかったといっています。他幹部経験者達はラムズフェルド国防長官の関わりについて覚えていませんでした。

当時、ラムズフェルド国防長官は、イラク戦争以来の戦勝で、北朝鮮の体制変革計画等について検討していたと伝えられています。しかし、原子炉開発をめぐるラムズフェルド国防長官の沈黙は、ABB社役員時代に何を実施したのか、しなかったのかについて重大な問題を提起しています。ABB社の核開発事業に大きな関心を示し、多くの取締役会に出席していたラムズフェルド国防長官が他役員相手に自分の見解について示した証拠はありません。確かに当該事情を公にしたことはありませんが、ラムズフェルド国防長官を知る多くの人達は、軽水炉から核兵器に使用可能な核物質を抽出可能として批判的な見方をしています。ラムズフェルド国防長官の同僚、ポール・ウォルフォウィッツ、ジェイムズ・リレイ、リチャード・アーミテージは、北朝鮮との軽水炉開発取引に反対していた事実が記録に残っています。過去、ラムズフェルドが選挙責任者兼国防アドバイザーを務めた大統領候補ボブ・ドール氏も反対でした。ラムズフェルド国防長官が役員に就任した基金から資金提供を受けたシンクタンク、核不拡散政策教育センター所長、ヘンリー・ソコルスキ氏は1994年の取引に関して大反対する人でした。

ラムズフェルド国防長官の意図を知る手がかりは、1998年にヘリテージ財団でのスピーチです。軽水炉開発については触れませんでしたが、1994年の北朝鮮との枠組みの合意は核の脅威を終結させるものではなく、ただ単に罰を先延ばしするだけのものでしかなく、北朝鮮がどれだけの爆弾材料を手に入れるかについては分らないままです。記事データベースを検索して当時の記事を調べた結果は、1990年代を通じて、ラムズフェルド国防長官が、北朝鮮の軽水炉を開発した企業の役員であった事実を伝える報道は見つかりませんでした。ラムズフェルド国防長官もそれを表明することはありませんでした。

韓国で8基の原子炉を建設しているABB社は、米国がスポンサーとなった40億ドルの北朝鮮軽水炉開発事業計画に関して有利な立場にありました。事業受注は間違いなしと伝えられていたと、同事業計画の責任者を務めたフランク・マレイ氏は言っています。同氏は、現在ウェイスティングハウス社で同じ役職に就いています。ウェイスティングハウス社は1999年に英国BNFL社に買収されました。英国BNFL社はその1年前にABB社核開発部門を買収しています。北朝鮮の原子炉は、もともと韓国と日本の輸出入銀行から資金提供を受け、ニューヨークのKEDO(Korean Peninsula Energy Development Organization、朝鮮半島エネルギー開発機構)によって監査されることになっていました。問題はありませんと、1997年から2001年までKEDOの事務局長を務めたデザイク・アンダーソン氏は言っています。それは実務的理由からでした・・・
それでも、ABB社は同事業への関与を内密にしようとしています。フォーチュン誌入手した、ABB社からエネルギー省に送られた1995年の或る手紙では、同社は北朝鮮への技術供与に対し承認を申請すると共に、手紙を機密扱いにするよう求めていました。内密にされる理由は様々です・・・ABB社の米国広報担当者ロナルド・カーツ氏はこの巨額の事業は典型的、契約というものはそんなに人目に触れるものではないのです!

ABB社は事業に目立たぬようにしていますが、カーツや他の職員の話・・・役員達は事業内容について知っていたはずと言っています。前ABB社幹部のニューマン氏によると、リスク評価の概要を記した書類がバーネヴィク氏(前会長)宛てに渡っていると言われています。バーネヴィク氏はフォーチュン誌の電話取材に回答しませんでしたが、チューリッヒ本社勤務のニューマン氏の上司ハワード・ピアース氏は、ラムズフェルド国防長官について、役員会に居たから、知っていて当然です!

ラムズフェルド国防長官は実践的な役員でした。ABB社世界核開発事業を率いたディック・スレマー氏によれば、ラムズフェルド国防長官は時々電話で核拡散問題について話しすることがあり、正しい方向性を理解させるのに苦労したと言っています。ピアース氏は、ラムズフェルド国防長官がABB社の核開発事業受注のために中国訪問を思い出し、考えを変えさせるのが困難な人物でした。彼の意見を変えるには困難です。ABB社米国核開発事業部、前部長シェルビー・ブルワー氏は、コネチカット本社会議でラムズフェルド国防長官と会ったことを思い出し、素晴らしく才気ある人物と思った。ヨーロッパを相手に熱いナイフでバターを切るみたいに。
関係者の誰も、北朝鮮の事業について話すラムズフェルド国防長官については記憶にないといっています。彼が意見を隠しているとしたら、他の人たちは隠していないでしょう。共和党は最初から北朝鮮核開発事業に反対、1994年に両院を制してからは顕著です。枠組み合意は署名して2週間後には政策上の孤児になっていました。KEDOの初代事務局長で前駐韓国米大使のスティーブン・ボスワースは、枠組み合意がなぜ問題なのか理解するのは易しい、北朝鮮はテロ支援国家リストに含まれており、核拡散防止条約にも多く違反している。1994年の枠組み合意の指揮を執った国務次官ロバート・ガルッチは批判に同意しないと言っています。もし合意がなかったら、北朝鮮は戦争か、核兵器製造のどちらかしかありませんでした。

専門家が指摘する問題は、軽水炉から兵器への転用可能な核物質を抽出するのは困難だが可能ということです。再処理はそれほど難しくはない。原子力委員会と原子力規制委員会の上級委員ビクター・ジリンスキー氏は特別な機材は要りません、KEDOの連中はそこがわかっていない。未だに間違いを続けています。

軽水炉開発に対する共和党勢の抗議声、ラムズフェルド国防長官は聞く耳を持っていません。クリントン政権の東アジア・太平洋問題担当国務次官ウィンストン・ロード氏は共和党員のほとんどは文句言っていました。ロード氏はラムズフェルド氏の主張について憶えていないといっています。反KEDOを熱烈に唱える国防政策センターのフランク・ギャフニー・ジュニアもまた同じです。ギャフニー氏によると、ラムズフェルド氏はABB社役員としての立場が議論を巻き起こすことを恐れていたようです。

1998年には、ワシントンで議論沸騰し、軽水炉開発の遅れは北朝鮮を苛立たせました。兵器査察官はもはや北朝鮮の核物質の在庫を確認できなくなりました。マレイ氏によれば、1998年のある時点で、ABB社は公式な入札招待を受けたといわれています。その時ラムズフェルド氏は何処に?その年、下院主催の研究会議で大陸弾道ミサイル危機に関する機密情報を検証していました。会議では、北朝鮮が合衆国本土を5年以内に攻撃可能になると結論が出ました。報告書提出から数週間後、北朝鮮は日本に向けて3段ロケット発射、さらにその会議では、北朝鮮が核兵器開発プログラムを継続していると結論づけましたが、そのようなプログラムを阻止するはずの軽水炉事業の件については巧妙に省かれていました。会議の報告書に記されたラムズフェルド氏の経歴には、彼がABB社役員であるとの記述はありませんでした。

クリントン大統領退任直前、北朝鮮がミサイル開発と核開発を諦める代わりに支援再開と関係正常化を図る大胆な取引を持ちかけるつもりでした、しかしブッシュ大統領は北朝鮮側の意図に懐疑的で、2001年3月に政策再考を呼びかけました。2ヵ月後にエネルギー省は、ラムズフェルド指揮下の国防総省と相談した結果、北朝鮮への核開発技術供与の再承認を行いました。ウェスティング・ハウスと北朝鮮高官が出席する起工式は2001年9月14日に開催、この日は米国本土に対する史上最悪のテロ攻撃が発生してから3日後です。

ブッシュ政権は未だに北朝鮮核開発事業計画を破棄していません。エドワード・マーキーと他の議員達は、ブッシュとラムズフェルドに対し、彼等が核兵器製造工場と呼ぶ軽水炉事業への支援を取りやめるよう手紙で要請しましたが、それにもかかわらず、コンクリート注入セレモニーが昨年8月に開催、ウェスティング・ハウスは北朝鮮に対し10月まで技術訓練プログラムへの支援を行いました。直後に北朝鮮側は極秘ウラン再処理計画を認め、武器査察官を追い出し、プルトニウム抽出を行うと発表しました。ブッシュ政権は核開発技術供与の延長を停止したが、1月に北朝鮮の事業計画に対し350万ドルの予算を承認しています。


原文
Rummy's North Korea Connection What did Donald Rumsfeld know about ABB's deal to build nuclear reactors there? And why won't he talk about it?

By Richard Behar Research Associate Brenda Cherry
May 12, 2003
(FORTUNE Magazine) – Defense Secretary Donald Rumsfeld rarely keeps his opinions to himself. He tends not to compromise with his enemies. And he clearly disdains the communist regime in North Korea. So it's surprising that there is no clear public record of his views on the controversial 1994 deal in which the U.S. agreed to provide North Korea with two light-water nuclear reactors in exchange for Pyongyang ending its nuclear weapons program. What's even more surprising about Rumsfeld's silence is that he sat on the board of the company that won a $200 million contract to provide the design and key components for the reactors.

The company is Zurich-based engineering giant ABB, which signed the contract in early 2000, well before Rumsfeld gave up his board seat and joined the Bush administration. Rumsfeld, the only American director on the ABB board from 1990 to early 2001, has never acknowledged that he knew the company was competing for the nuclear contract. Nor could FORTUNE find any public reference to what he thought about the project. In response to questions about his role in the reactor deal, the Defense Secretary's spokeswoman Victoria Clarke told Newsweek in February that "there was no vote on this" and that her boss "does not recall it being brought before the board at any time."

Rumsfeld declined requests by FORTUNE to elaborate on his role. But ABB spokesman Bjorn Edlund has told FORTUNE that "board members were informed about this project." And other ABB officials say there is no way such a large and high-stakes project, involving complex questions of liability, would not have come to the attention of the board. "A written summary would probably have gone to the board before the deal was signed," says Robert Newman, a former president of ABB's U.S. nuclear division who spearheaded the project. "I'm sure they were aware."

FORTUNE contacted 15 ABB board members who served at the time the company was bidding for the Pyongyang contract, and all but one declined to comment. That director, who asked not to be identified, says he's convinced that ABB's chairman at the time, Percy Barnevik, told the board about the reactor project in the mid-1990s. "This was a major thing for ABB," the former director says, "and extensive political lobbying was done."

The director recalls being told that Rumsfeld was asked "to lobby in Washington" on ABB's behalf in the mid-1990s because a rival American company had complained about a foreign-owned firm getting the work. Although he couldn't provide details, Goran Lundberg, who ran ABB's power-generation business until 1995, says he's "pretty sure that at some point Don was involved," since it was not unusual to seek help from board members "when we needed contacts with the U.S. government." Other former top executives don't recall Rumsfeld's involvement.

Today Rumsfeld, riding high after the Iraq war, is reportedly discussing a plan for "regime change" in North Korea. But his silence about the nuclear reactors raises questions about what he did--or didn't do--as an ABB director. There is no evidence that Rumsfeld, who took a keen interest in the company's nuclear business and attended most board meetings, made his views about the project known to other ABB officials. He certainly never made them public, even though the deal was criticized by many people close to Rumsfeld, who said weapons-grade nuclear material could be extracted from light-water reactors. Paul Wolfowitz, James Lilley, and Richard Armitage, all Rumsfeld allies, are on record opposing the deal. So is former presidential candidate Bob Dole, for whom Rumsfeld served as campaign manager and chief defense advisor. And Henry Sokolski, whose think tank received funding from a foundation on whose board Rumsfeld sat, has been one of the most vocal opponents of the 1994 agreement.

One clue to Rumsfeld's views: a Heritage Foundation speech in March 1998. Although he did not mention the light-water reactors, Rumsfeld said the 1994 Agreed Framework with North Korea "does not end its nuclear menace; it merely postpones the reckoning, with no assurance that we will know how much bomb-capable material North Korea has." A search of numerous databases found no press references at the time, or throughout the 1990s, noting Rumsfeld was a director of the company building the reactors. And Rumsfeld didn't bring it up either.

ABB, which was already building eight nuclear reactors in South Korea, had an inside track on the $4 billion U.S.-sponsored North Korea project. The firm was told "our participation is essential," recalls Frank Murray, project manager for the reactors. (He plays the same role now at Westinghouse, which was acquired by Britain's BNFL in 1999, a year before it also bought ABB's nuclear power business.) The North Korean reactors are being primarily funded by South Korean and Japanese export-import banks and supervised by KEDO, a consortium based in New York. "It was not a matter of favoritism," says Desaix Anderson, who ran KEDO from 1997 to 2001. "It was just a practical matter."

Even so, ABB tried to keep its involvement hush-hush. In a 1995 letter from ABB to the Department of Energy obtained by FORTUNE, the firm requested authorization to release technology to the North Koreans, then asked that the seemingly innocuous one-page letter be withheld from public disclosure. "Everything was held close to the vest for some reason," says Ronald Kurtz, ABB's U.S. spokesman. "It wasn't as public as contracts of this magnitude typically are."

However discreet ABB tried to be about the project, Kurtz and other company insiders say the board had to have known about it. Newman, the former ABB executive, says a written summary of the risk review would probably have gone to Barnevik. Barnevik didn't return FORTUNE's phone calls, but Newman's Zurich-based boss, Howard Pierce, says Rumsfeld "was on the board--so I can only assume he was aware of it."
By all accounts Rumsfeld was a hands-on director. Dick Slember, who once ran ABB's global nuclear business, says Rumsfeld often called to talk about issues involving nuclear proliferation, and that it was difficult to "get him pointed in the right direction." Pierce, who recalls Rumsfeld visiting China to help ABB get nuclear contracts, says, "Once he got an idea, it was tough to change his mind. You really had to work your ass off to turn him around." Shelby Brewer, a former head of ABB's nuclear business in the U.S., recalls meetings with Rumsfeld at the division's headquarters in Connecticut. "I found him enchanting and brilliant," he says. "He would cut through Europeans' bullshit like a hot knife through butter."

one of them could recall Rumsfeld talking about the North Korea project. But if he was keeping his opinions to himself, others were not. The Republicans attacked the deal from the start, particularly after gaining control of Congress in 1994. "The Agreed Framework was a political orphan within two weeks after its signature," says Stephen Bosworth, KEDO's first executive director and a former U.S. ambassador to South Korea. It's not hard to understand why it was controversial. North Korea is on the list of state sponsors of terrorism and has repeatedly violated the terms of the Non-Proliferation Treaty. Robert Gallucci, the assistant secretary of state who spearheaded the 1994 agreement, doesn't disagree, but says, "If we didn't do a deal, either we would have gone to war or they'd have over 100 nuclear weapons."

The problem, say a number of nuclear energy experts, is that it's possible, though difficult, to extract weapons-grade material from light-water reactors. "Reprocessing the stuff is not a big deal," says Victor Gilinsky, who has held senior posts at the Atomic Energy Commission and the Nuclear Regulatory Commission. "You don't even need special equipment. The KEDO people ignore this. And we're still building the damn things."

Given the Republican outcry over the reactor deal, Rumsfeld's public silence is nearly deafening. "Almost any Republican was complaining about it," says Winston Lord, President Clinton's assistant secretary of state for East Asian/Pacific Affairs. Lord can't remember Rumsfeld speaking out. Nor can Frank Gaffney Jr., whose fervently anti-KEDO Center for Security Policy had ties to Rumsfeld. Gaffney speculates that Rumsfeld might have recused himself from the controversy because of his ABB position.
By 1998 a debate was raging in Washington about the initiative, and the delays were infuriating Pyongyang. Inspectors could no longer verify North Korea's nuclear material inventory. Still, at some point in 1998, ABB received its formal "invitation to bid," says Murray. Where was Rumsfeld? That year he chaired a blue-ribbon panel commissioned by Congress to examine

classified data on ballistic missile threats. The commission concluded that North Korea could strike the U.S. within five years. (Weeks after the report was released, it fired a three-stage rocket over Japan.) The Rumsfeld Commission also concluded that North Korea was maintaining a nuclear weapons program--a subtle swipe at the reactor deal, which was supposed to prevent such a program. Rumsfeld's resume in the report did not mention that he was an ABB director.
In his final days in office, Clinton had been preparing a bold deal in which North Korea would give up its missile and nuclear programs in return for aid and normalized relations. But President Bush was skeptical of Pyongyang's intentions and called for a policy review in March 2001. Two months later the DOE, after consulting with Rumsfeld's Pentagon, renewed the authorization to send nuclear technology to North Korea. Groundbreaking ceremonies attended by Westinghouse and North Korean officials were held Sept. 14, 2001--three days after the worst terror attack on U.S. soil.

The Bush administration still hasn't abandoned the project. Representative Edward Markey and other Congressmen have been sending letters to Bush and Rumsfeld, asking them to pull the plug on the reactors, which Markey calls "nuclear bomb factories." Nevertheless, a concrete-pouring ceremony was held last August, and Westinghouse sponsored a training course for the North Koreans that concluded in October--shortly before Pyongyang confessed to having a secret uranium program, kicked inspectors out, and said it would start making plutonium. The Bush administration has suspended further transfers of nuclear technology, but in January it authorized $3.5 million to keep the project going.
Sooner or later, the outspoken Secretary of Defense will have to explain his silence.


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農業を衰退させた、主因の一つは?

2016-01-19 12:36:48 | 日本社会
都道府県の食料自給率
カロリーベース総合食料自給率(平成25年度)
(日本食品標準成分表2010に基づき、重量を供給熱量に換算し、各品目を足し上げて算出、1人・1日当たり国産供給熱量を1人・1日当たり供給熱量で除したものに相当)

全国・39%、北海道・197%、青森・118%、岩手・105%、宮城・73%、秋田・181%、山形・136%、福島・76%、茨城・72%、栃木・75%、群馬・34%、埼玉・11%、千葉・28%、東京・1%、神奈川・2%、新潟・104%、富山・76%、石川・49%、福井・65%、山梨・19%、長野・53%、岐阜・26%、静岡・17%、愛知・13%、三重・43%、滋賀・50%、京都・13%、大阪・2%、兵庫・16%、奈良・14%、和歌山・30%、鳥取・62%、島根・67%、岡山・37%、広島・24%、山口・32%、徳島・45%、香川・32%、愛媛・37%、高知・47%、福岡・20%、佐賀・91%、長崎・44%、熊本・59%、大分・48%、宮崎・67%、鹿児島・88%、沖縄・27%

食糧自給率は都道府県でかなり違いますが、見方によっては大自然災害、有事等の際は%が低い県は、輸送手段があるとは言え、厳しい現実に直面する可能性が高いでしょう。
家庭では日頃から最低限、食糧備蓄は常識の範疇にするべきでしょう。大規模災害等の場合、現実に金があっても物がないため買えない状態が発生しています。

日本の食糧自給率は39%で、海外から食糧が途絶した場合、日本人の半分以上が餓死してしまいます。日本は多くの食糧を海外に依存し、金で買って調達しています。

穀物生産国等は日本の最大弱点の一つである、食糧自給率を対日本戦略に使うでしょう。食料自給率は安全保障と極めて密接であると思います。この考え方は先進国では常識と言われる方が多いようです。

先進国の自給率
アメリカ・127%、カナダ・258%、ドイツ・92%、スペイン96%、フランス・129%、イタリア・61%、オランダ・66%、スエーデン・71%、イギリス・72%、スイス・57%、オーストラリア・205%、韓国・39%、日本・39%

これらの国を見ると日本、韓国を除いて高い自給率を保っています。何故この高い自給率が保てるか・・・これらの国は、間違いなく貿易輸出国です、勿論日本、韓国も貿易輸出国です、何処が違うか?
大きなヒントは輸出量、額じゃないかと思います。

世界の貿易では、例外を除いて、普通の国では一方的な輸出は無いように思います、輸入国は自国の輸出産物を輸出できないとなると輸入国は大きな問題にするでしょう。

日本の場合は、先進国に比べ輸出量が極めて多い割に日本に輸入できる品目は限られると思います。これは隣国、韓国にも当てはまると思います。
一番の日本輸入品目は、ずばり「農産物」だと思います。嫌でもこの農産物を買わされると言うのが真相かも知れません。この農産物輸入が日本(韓国)農業に大打撃を与えたと思います。

農産物輸入を拒否すれば・・・やはり相手国に輸出しておれば相手国からの農産物輸入は拒否できないでしょう、異論あるでしょうが、日本の農業を守るためには、秩序?ある輸出が必要になると思います。
日本の貿易輸出額が増えれば、日本農業が衰退する現実、とても農業だけでは生活できない農家の現実

農産物輸入で日本の農業は危機的です、危機的状況を知らないふりをする人達、輸出企業の利益増大の限りない追求・・・農業ばかりでなく、昨今の日本社会を見た場合、日本国憲法では、真面目に一生懸命生きた人に対しては、第25 条1項において、すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する・・・現状は格差社会、非正規社員貧困者等の増大、いくら日本が輸出で稼いでいる額が多くとも、一般国民に目に見えるように国内で還元しなければ意味をなさなように思える時があります。
これらの輸出企業が日本の農業、国民の食料安全を阻害してる面が見え隠れします。
世界各国の自給率を見た場合、食料自給率が低い場合、支配されてる側面が見え隠れします。

日本の輸出額増大によって生じている、日本農業の衰退の現実
日本は貿易立国です、貿易でしか生きていけない現実・・・最大の悲劇は戦後日本人の多くは、食料は金さえあれば買えると言う妄想を植えつけられたことに尽きるかも知れません。
日本人の生存に直接関係する食糧自給率向上は避けて通れない問題だと思います。

意味不明文等あるかと思いますが、日記と言うことで。
NETの農林省統計等を参考にしています。

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年金積立金・株運用は、リスクを伴う覚悟が必要

2016-01-17 12:07:42 | 日本社会
現在、厚生年金、国民年金を合わせた保険料積立金は、130兆円程度だそうです。
国家予算をも上回る巨額のマネー運用をしているのは、世界最大級の投資機関、GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人、共済年金、厚生年金、国民年金の年金積立金を管理・運用する機関、厚生労働省が所管、年金給付の財源として年金運用で得た収益を国庫に納めています。)だそうです。運用経費は年間60億円と言われています。
欧米は、日本のこれらの巨額資金を虎視眈々と狙ってるかもしれないですね。

日本の株式市場運用の大半は外国人投資家(ウオール・ストリート)で、高速コンピューター(数百、数千分の1秒)売り買いで、彼らのコンピューター・プログラムです、瞬時に巨額の運用資金が使われ、極論すれば自由に株価・・・これらの株取引は何を意味するか。

GPIFは、累積の運用収益は50兆7300億円、2014年度の運用益が前年度比49.6%増の15兆2922億円だったと発表しています。運用 利回りは12.27%でいずれも過去最高だそうです。昨今では株価低迷等々で、3か月間で7兆9000億円の年金資金が失われた可能性が高いと言われています。年間ではどの程度の利益が出るか・・・

昨今、政府の成長戦略の一環として、国債のみの運用から株式への積極投資へと大きく舵を切ったようです。国内株式の比率を1%上げるだけで1兆円のマネーが流れ込みます。

株価はリーマンショック前の水準を回復、うまくいけば、高いリターンが得られるが、損失が出れば、将来の年金が減ることになります。勿論運用は長い目で見ることが大切ですが・・・大きな損失が出た場合、日本の場合は基礎年金部分に損失が及ぶと言う面があると思います。
自分の家庭で大切な将来の貯金を増やす為に株運用、ある程度の割合までは問題ないでしょうが、やはりリスクを考えます。

例として、アメリカでは基礎年金部分は100%国債で運用しているようです、資本主義大国米国は何故、基礎年金部分を株で運用しないかを知ることは極めて重要に思います。
諸外国では株式運用で損失が出た場合、次世代に先送りしない仕組みがあると言われています、賢明なことだと思います、つけを次世代に渡すことは、年金制度の不安定要素の大きな一つになるように思います。

一例ですが、厚生年金の場合、第79条2には、「積立金の運用は、積立金が厚生年金保険の被保険者から徴収された保険料の一部であり、かつ、将来の保険給付の貴重な財源となるものであることに特に留意し、専ら厚生年金保険の被保険者の利益のために、長期的な観点から、安全かつ効率的に行うことにより、将来にわたって、厚生年金保険事業の運営の安定に資することを目的として行うものとする」と記してあります。

過去2015年11月11日の参議院予算委員会の答弁で桜井充議員(民主党)の「株を持っているのは国民の何%ですか?」の質問に対して、「・・・事実、年金も正に株で運用されているわけでございます。」、国民年金等々の資金を株で運営して利益を出していることを言っています。現在は多いな利益をえていると言われています。

2015年、10月下旬に国民年金の運営方針について、株を大量に増やすことを政府は決定しています。
厚生年金、国民年金の資産約127兆円を運営している、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)は、10月31日に投資配分を定める資産構成割合(基本ポートフォリオ)を見直し、国内株式を従来の2倍にあたる25%に引き上げていると言われています。
1%の引き上げで、1兆数千億円の年金資金が市場に流れるため、今回の決定では数十兆円が株式に投入されることを意味します。

株、為替は急激に変動すると、その反動で最終的には平均的な値に戻ろうとする傾向がありますが(あくまで傾向)、安倍政権で9000円台の株価が1万6000円台まで上がりました。やはり株は暴落するリスクもも考えることは必要だと思います。
最悪、暴落時の対策、責任がないように思えます。

運用を担当するGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の現在の基本ポートフォリオ(資産構成)は、国債60%、日本株12%、外国債11%、外国株12%。それを日本株25%、外国株25%にまで高め、国債を35%まで下げることを2015年、10月31日にGPIFが発表しています。
日本株の許容範囲は±9%、外国株±8%、最大で67%までの株式運用が可能となります。金額にして50%は65兆円、67%だと87兆円を株式に注ぎ込むと言う事になると思います。
サラリーマンの厚生年金と公務員の共済年金が一元化されましたが、共済年金の積立金は独自に運用となっています。制度は同じで、運用は別なのは誤解を生みやすいでしょう。共済年金の資産構成割合は国債70%以上、日本株は8%程度と言われています。

私達は、リスクを伴うが、大きな利益を得ることができる、年金資金株式運用の事実を知る必要がありそうです、株式運用するなら私達にリスクがあることも知らせて運用してもらいたいものです。
どうしても、リスクが伴う株式運用は国民が納得する必要があると思います。
国民に対する、株式運用情報開示は極めて重要だと思います。

文は、年金積立金管理運用独立行政法人等々の資料を参考にしています。


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真の朝鮮独立国家を目指した、金・玉均(きん・ぎょくきん)

2016-01-17 06:37:01 | 日韓
金・玉均(きん・ぎょくきん)と聞いて、知っている人は少ないと思います。
簡単に言えば、支那の1000年に及ぶ朝鮮支配を断ち切るために立ち上がった人です。朝鮮・忠清南道公州に生まれ、1872年に科挙文科に合格、朴珪寿、呉慶錫らの影響で開化思想を抱いていたと言われています。3日間と言う短い期間ですが、夢であった朝鮮、独立国家政権を樹立しました。

明治12年当時、朝鮮半島には閔(びん)氏(朝鮮の氏族の一つで中国系、始祖は 高麗の閔称道、孔子の弟子である閔子騫の末裔と称し、驪興付近に土着していた家門)一族の清国傀儡の政権がありました。
当時の朝鮮内には、清国に従属して開化を進めていこうとする事大派、独立・近代化を主張する独立党がありました。独立党のモデルは日本の明治維新、日本の支援を期待していました。このリーダーが金・玉均です。

明治15年、金・玉均は、福澤諭吉の支援を受け来日、福沢諭吉の独立の気力、(学問のススメ第三章)に感銘を受けたと言われています。
自らは積極的に日本の議会、裁判所、学校、電信施設、練兵場、印刷所、建設会社等を見学、更に福沢諭吉の邸宅を拠点にさまざまな人物と会い、意見交換、必死で日本から多くのものを吸収しようとしていました。

明治17年、清仏戦争で清国が敗退、好機とみて金・玉均は日本の竹添公使の協力を得てクーデーターを起こし新政権を樹立します。これが甲申事変と言われるものです。
以後、改革要領の発表、清国の排除、真の独立国家建設へ向けて活動を開始します。
当時の国王・高宗(コジュン)は暗黙のうちに金のクーデター計画を承諾していたと言われています。しかし、国王・高宗は裏切って清国の出兵に同意、清国の袁世凱が1,300人の軍で王宮を攻撃してしまいます。

このクーデターは清国とフランスが交戦中に実施する予定でしたが、清国が敗退・・・清国は威信をかけて朝鮮半島を平定しに来ました。
当時の日本軍の守備隊は150人と少数、数の上では少ない日本兵の練度は高く、善戦しましたが、日本の竹添公使は弱気で、撤収を決めてしまい仁川港から撤退してしまいました・・・ここで日本が強く支援して、安定した朝鮮政府が確立していたら、以後、朝鮮半島の歴史は大きく変わっていた可能性があります。

金・玉均と朴・泳孝(パク・ヨンヒョ)達の独立党の指導者達は日本に亡命してしまいます。現地の日本公使館は焼き討ち、多数の日本人が惨殺されてしまいました。

日本に逃れた金・玉均は明治27年、同志の裏切りに会い、上海に連れ出され、清国傀儡政権の閔氏が差し向けた刺客によって暗殺されてしまいます。死体は朝鮮に送られ、六支の刑(頭、手足をバラバラにする極刑)に処せられ、朝鮮各地にさらされました。父は処刑、母は自殺、弟は獄死、妻子は行方不明になり日本は探偵を送ってその捜索を行い、同年12月偶然発見して保護しました。
金・玉均の葬儀は日本の浅草本願寺で盛大に営まれましたが、妻は丁度再婚・・・日本人が持ち帰った金・玉均の遺髪があったそうです。
お墓は本郷の真浄寺に、青山の外人墓地にも墓があります、墓碑にはこう刻まれています。

嗚呼、抱非常之才、遇非常之時、無非常之功、有非常之死・・・
「ああ 大変な時期に たぐいまれなる才を抱き 大きな功績を残せず 無情の死・・・」

金玉均は清国に支配されない、真の朝鮮の独立を目指し属国政府等と戦いました、短い3日間ですが夢であった新政権を立ち上げました、千年にわたる支那の支配に終止符打ちました、近代朝鮮の間違いなく英雄で、その魂は朝鮮の歴史に生きていると思います。
朝鮮の真の独立を目指したのは、安・重根(あん じゅうこん)では有りません・・・現在の大韓民国は、戦後連合国から与えられた独立でしかなく、見方によれば傀●と言えます。戦後、真の独立を目指したのは、元朴 正煕大統領ですが、最後は暗殺されてしまいました、その娘さんが、現、朴槿恵大統領です。

金・玉均が建国した、短い3日間でしたが本当の朝鮮独立国家は朝鮮歴史上初めてだと思います、現在の韓国でさえ・・・
戦前の金・玉均、戦後の朴 正煕の生き様は朝鮮半島で輝いていると見るべきでしょう。

参考、ウィキペデア、文春新書「韓国併合への道」呉善花(著)等々を参考にしています。

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大和心に魅せられた、ビル・ゲイツ

2016-01-15 10:20:27 | 日本文化等

世界の超大物・有名人、ビル・ゲイツ・・・私達が描くビル・ゲイツの姿は少し違うような感じがします。大の日本好きで、心から日本の物、心に魅せられ、昨今では軽井沢には大きな別荘を持っておられます。以下の話は、ビル・ゲイツが一日本人に魅せられた話です。

当時72歳の女性(昭和14年の生まれ)は、働くことで毎日、人様のお役に立てれることがとっても嬉しいのです、日本人らしい考え方です。
日本には滅私奉公と言う言葉がありますが、私を捨て、公に尽すこと・・・武士道にも繋がる心と言えそうです。
よくインタビュー等で、お客さんの笑顔をみるのが嬉しくこの商売をやっています、と言う言葉は欧米には無い言葉で、人の役に立つ喜びを善しとする日本人、大和心でもあり生活全体も誠実になると思います。

この女性は、中学校卒業で掃除のおばちゃんをしています。
あのビル・ゲイツ(Microsoft社社長)と対等に話せ、招待される友人でもあります。

彼女は、幼いころご両親を亡くされました。中学校を卒業した彼女は、すぐに働きにでなければならなかったようです。
関西で育った彼女は、地元の大手百貨店に就職のための面接を受けに行きますが、面接をする人は、彼女が孤児であることから、最初から冷たい・・・自分を受け入れてもらえることはない、と確信した彼女は、私のような者に働き口を提供するのも、あなたがたの仕事なのではありませんか?これで失礼しますと、席を立ったそうです。
自分ではどうすることもできないことで、自分が評価され、見下される。14歳の彼女は、辛くて、悲しくて、涙が止まらなかったそうです。今から60年も昔の出来事です。

彼女は、結婚し、一児をもうけ、家計のためにと働きに出ますが、仕事は掃除のおばちゃんでした。出勤は早朝、時間は不定期、土日も出社、帰宅が極端に遅くなる日もあるけれど、彼女は一生懸命仕事をして、いつしかマイクロソフト日本支社のビルの清掃責任者となりました。30名余の部下を使い、自らも清掃を行います。

ある日、マイクロソフト日本支社男子トイレの掃除を終え、清掃道具を持ってそこから出ようとしたとき、背の高い外人と入り口でぶつかりそうになりました。その外人さんは、I'm sorry(すみません)と言いました。おばちゃんは、おもわず、ヒゲ・ソーリーと答えました。日本語の解るその外人さんは、笑いながら、自分のあごの周りを撫でるふりをしながらひげ剃り?と笑いました。おばちゃんも笑いました。

その外人さんは、ビル・ゲイツでした。大の日本好きであるビル・ゲイツは、マイクロソフト社の中ではいつも日本の作務衣を着ているそうです。他の社員さんたちは、重役も平社員も、みんな背広にネクタイです。

そしてどこに行くにも、常にビル・ゲイツには、二名のボディガードがついています。トイレに行くときは、ボディガードは、トイレの入り口前に立っています。だからそのとき、ビル・ゲイツは、ひとりでトイレのドアを開けて入って来たのです。
ほんの、一言、二言の会話でした。トイレで鉢合わせし、ヒゲソーリーと冗談を言ったなどというのは、誰でもすぐに忘れてしまうような、ほんの些細なできごとでした。

ところが、それから間もなくしてクリスマスイブの社内パーティ・・・おばちゃんは突然、パーティーに参加するようにと内線電話で呼ばれました。仕事中だし、他の掃除のおばちゃんたちもいるしと断ると、しばらくしてまた内線がかかってきました。おばちゃんたち全員が参加してください、ビル・ゲイツ社長からの直々の依頼ですと言うのです。

やむなくおばちゃんは、当日出社していたおばちゃんたち全員を呼び、みんなでパーティ会場に行きました。おしゃれなんてしていません。普段の作業衣のままです。こわごわと会場に入って行くと、そこにはたくさんの社員さんがいる。ビル・ゲイツもいる。普通の社員さんだって、ビル・ゲイツと直接会話なんて、なかなかできません。

そのビル・ゲイツが、おばちゃんを見つけると、とっても嬉しそうな顔をして、よく来てくださいました、とおばちゃんを抱きかかえんばかりに歓迎した。そして皆んなにも、このおばちゃんは、凄い日本人で、自分が大好きな人ですと紹介しました。

一緒にいた他の掃除のおばちゃんたちにも、ビル・ゲイツが、心から本気でこのおばちゃんを尊敬し、親しみを込めていることがわかったそうです。それほどまでにビル・ゲイツはおばちゃんを歓迎しました。

掃除のおばちゃん達というのは、会社等では日陰の人です。トイレで出会っても、廊下ですれ違っても、その存在自体が意識されることはありません。
日本びいきのビル・ゲイツは、どんなに汚い仕事でも、どんなに辛くても、何十年でもそれを誠実に行い、しかも、ヒゲ・ソーリーと言うくらい、ユーモアとウイットを忘れず、堂々と自らの仕事に精を出している、大和心を持った日本人の典型を、彼女の中に見いだしたと思います。

彼女が誠実に毎日心を込めて清掃をしていること、自分の仕事に誇りを持って生きていること、そして彼女が胸を張って堂々と生きていることを、瞬間に見抜いたでしょう。だからこそ彼の心の中に、彼女への尊敬の念がわき起こり、トイレであった小さなその事件を忘れず、パーティに招待したと思います。

世界を知る大人物のビル・ゲイツが、日本で唯一人の信頼できる友人とまで称したこのおばちゃんは72歳です。同年齢の旦那さんは、ある会社の経理をしていて、定年後もその手腕を買われて会社に残り、大変高給を取ってられます。別に働かなくたって、十分食って生けれるだけの収入があります。彼女は言います、働かないと体がなまるし、働くことで毎日人様のお役に立てれることがとっても嬉しいのです。

明治の初め、日本にやって来た多くの外国人達は、日本人がとっても綺麗好きで、庶民たちもとってもよく笑い、とっても明るく、自分の仕事に誇りを持って日々を送っている姿に、大変感動しています。
日本にも個人主義が蔓延、自分さえ良ければと人の足を引っ張ったり、文句を言ったり、揚げ足を取ったりという風潮が蔓延する今の日本の中、今だに日本人の大和心をしっかりと持った掃除のおばちゃん、そういう人を一瞬で見抜いたビル・ゲイツは、物心とも大きな世界最高峰の人物と言えると思います。

この文は、ウィキペデア、プログ:ねずさんのひとりごと等々を参考にしています。


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クレイ・アニメ、羊のショーン

2016-01-15 06:22:29 | 日記
表情豊かな、羊のショーン達
7分間のアニメと言ったら、ひつじのショーン(被写体を粘土で作ったアニメ・・・クレイ・アニメーションと言われています。)
子供達だけでなく、大人の私達にも十分楽しめますし、家庭での子供達との鑑賞等々には最高のアニメと思います。漫画と違い、動物達の織り成す表情は何とも言えません。その表情を是非Eテレ、ユーチューブ等で見てください。

ひつじのショーン(Shaun the Sheep)は、イギリスの1話7分の短いアニメです。
ひつじのショーンでは、人間は動物の目を通じて見ているという設定で、彼らが話すときは視聴者にも分かりません、言葉にもなっていない音を発するだけとなっています。動物たちは基本的には喋りません、話す際はこちらも視聴者に分からない音となっています、人間である牧場主は言葉にもなっていない音を発します。

英国だけでなく、多くの国々でも大変有名なアニメで、現在は第4シリーズが製作、日本では2014年10月4日からEテレ(教育テレビ)で放送されています。2015年にイギリスで春に映画が公開、日本でも夏に公開されました
リーダーのような羊ショーン、愛くるしい姿の他の動物達、その仲間たちが静かな農地に巻き起こす大騒動、振り回される牧羊犬のビッツァーは牧場主に気づかれる前にいたずらをやめさせようとてんてこ舞い、他にも3匹のブタ、赤ちゃんひつじのティミー、何でも食べてしまう食いしん坊シャーリー等、色々なキャラクターが出てきます。何と言ってもショーンの愛らしい顔、悪いことをしても何か、怒れない感じがします。

過去、リチャード・スターザック監督が初来日、子供だけでなく大人もハマる理由、独特なユーモア、溢れるストーリーをどのようにして創作するのか、その秘密を明かしたようです。ひつじのショーンは、10度のアカデミー賞にノミネーション、4度の受賞歴を誇る英国アードマン・アニメーションズ製作のクレイアニメ(クレイ・アニメーション、「clay animationの略で、ストップモーション・ アニメーションのうち、被写体を主に粘土を材料として作成されているものを指します。主に英語圏などではクレイメーションClaymationと呼ばれています。)です。

羊のショーン、牧羊犬のビッツァー、牧場主を中心にした牧場でのドタバタをセリフなしで描き、子供だけでなく世界では大人からも熱い支持を集めているようです。現在、1話約7分のショートアニメの第4シリーズも現在NHK Eテレで放送中です。
幅広い世代に人気の、ひつじのショーンですが、ターゲットをどのように考えて制作したのかという質問に、可笑しなことなんだけど、考えなかったと即答、作品は子供たちが好きになってくれるけど、子供をターゲットに作ったわけじゃないんです。我々はただ面白いものを作ろうとしています。自分達が笑えるものを、もし僕たち自身が好きなら、他の皆んなもそうだろうという自信があります。ターゲットにしている観客は実は私達自身なんですと打ち明けています。

アードマンは、ピーター・ロードとデヴィッド・スプロクストンという二人のクリエイターが1972年に創設したアニメーション制作スタジオで、スターザック監督は社員第1号で1983年に入社、途中フリーランスになったりしながら、アードマンを中から外から眺めてきたようです。最初の10年の成長はとてもゆっくりで、スタッフが5人になって、6人になって、1年おいて7人になってという感じで。ハリウッドのドリームワークスがアードマンに興味を持って共に映画を作るようになってから突然、数人から何百人に増えていました。急激に大きくなりました。

アードマンのオーナー達は金儲けのためには作らない、好きじゃないものは作らない、誇りを持てるものを作るって言っています。規模は大幅に変わったけど、その部分は最初から今まで変わりません。そうして作られる作品に大人も熱中するのは必然といえるかも知れません。
表情が何とも言えない、羊のショーン、他の動物達・・・

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セカンド・チャンス

2016-01-14 13:14:59 | 戦後

ブレジンスキーと言うと、私達には馴染みが少ないですが、一説では世界の国をも越える組織の重鎮中の重鎮と言われています。

70年代長く日本い住み、日本の研究した結果の著作が、「ひ弱な日本」(The Fragile Blossom: Crisis and Change in Japan, (Harper and Row 1972)、大朏人一訳『ひよわな花・日本――日本大国論批判』(サイマル出版会 1972年)と言う本です、この本はお人好しの日本に警鐘を鳴らしていると思います。

特にアジア・世界支配戦略文書「セカンド・チャンス」は米国の国家戦略等に反映されていると言われています。このセカンド・チャンスは英文ですが、日本語訳のセカンド・チャンスは「ブッシュが壊したアメリカ」として2007年9月徳間書店から刊行されています。是非一読を!
衝撃なのは、日本には絶対に核を持たせないこと、米中両国で日本を利用すると書いています。

カーター、クリントン大統領時代は大統領補佐官だったブレジンスキー・・・現在もオバマの外交顧問格で、オバマ大統領に強い影響力を持っていると言われています。オバマに対する外交戦略の教育、一説では米国の頂点に君臨するデビッド・ロックフェラーに具申しオバマを大統領にしたとも言われています。

カーター大統領時代、ソ連にアフガン侵攻を仕向け、混乱させ冷戦構造を終わらせたとも言われています。有名な話は、対ソ連のアフガン戦争時、ブレジンスキーは、米国・CIA、イスラエル・モサドと一緒になり反政府組織とビン・ラディンを育てたと言われています。

以下の文は少し古いですが、ブレジンスキーのアジア・世界支配戦略文書「セカンド・チャンス」等でのアジア等の部分です。現在の日本を取り巻く環境は・・・

米国の外交国家戦略は・・・
A・最終目標
B・最終目標に至るための戦略
C・当面取るべき策
この3つに分類、分析され、ABCが互に矛盾している点が特徴で、戦略価値があると言われています。


今後米国は、世界の中心を中国と考え、中国、ロシア、ヨーロッパを含むユーラシア大陸を世界の中心と考えます。
ユーラシアの周辺には太平洋、大西洋があり、そこに浮かぶ辺境の島国が南北アメリカ大陸、オーストラリア等となります。
米国は世界の中心では全く無く、ユーラシアと言う世界の中心を動かすための、道具として使い捨てにされる手段が、アメリカ合衆国、アメリカ大統領であります。このユーラシアの統一が最終目標、Aとなります。


この目標達成のため、米国は中国の軍事大国化、及び世界の工場としての地位の確定、巨大な中国市場というマーケットの育成に全面的協力を行います。


当面、米国、イスラエルは、影から中国の軍隊の近代化、核兵器、ミサイル技術の向上を全面的に支援します。

過去、この米国=中国の政策により、中国は通信衛星をミサイルでの撃墜実験に成功しました。これは、今後ミサイルによる戦争の戦場が宇宙になる事を示しています。
この中国による宇宙戦争の宣言は、米国の軍事産業、宇宙産業にとって極めて歓迎すべき事態で、米国はこのビジネス・チャンスを全面的に推進します。

中国の宇宙戦争をさらに推進するため、米国は中国の軍備拡大、ミサイル技術向上をアジアにおける不安定要因として、表向き非難し、中国への徹底的な敵対的軍事行動を準備します。
米国に中国は敵視される事により、中国は益々軍事力を強化する事になります。それは米国の軍事産業の大変な利益ともなります。
米国は、中国の大国化推進のため、中国への厳しい敵対戦略を軍事的に採用します。

具体的には中国を撃退するため、米国はミサイル技術と宇宙開発技術の徹底的な強化を行いますが、そのため米国は中国脅威論をマスコミを利用し宣伝します。この米国の軍事力強化は、米国軍事産業には大いにプラスとなります。

米国と中国との激しい軍事対立、戦争準備を実行し、米国と中国は相互に軍事強国に成長、そして米国軍事産業は利益を得ます。
米国は、敵国中国の成長のため、中国に対し軍事技術援助、資金援助を全面的に行います。
つまり、中国を世界の中心とするため、米国は中国を全面支援し、表向き中国を徹底的に敵視します。
中国の軍事強国化は周辺のインド、カザフスタン、東南アジア、日本にとっても脅威となります。
米国は、この周辺諸国に大量の兵器を販売し、中国敵視政策を取らせます。既に米国は、インドの核兵器技術向上の契約に調印しています。米国は、日本も将来核兵器で武装すべきと考え、核兵器の日本への売り込みを積極的に行います。
この中国の周辺諸国の軍備拡大は、米国軍事産業にとって大いに利益となるでしょう。
周辺諸国による中国封じ込め策は、中国をますます強行に軍事強国に成長させ、それは米国軍事産業にとって大いに利益となります。中国を世界の中心とする目標を早く達成させる事になります。

米国の石油産業が、アフガニスタン、トルクメニスタン等に持つ、石油、天然ガス・パイプラインを中国、インド等に拡大し網の目のように張り巡らさせます。
アフガニスタン、インド対中国との軍事対立戦略と、エネルギー産業という産業基盤分野での一体化は何等矛盾ではありません。
中国とインドとの軍事対立とエネルギー基盤の一体化は、中国によるユーラシア統一のために必要不可欠です。対立国を対立したまま統一する、これが戦略的思考である。これが分からない人間には、一生政治と外交は分からないでしょう。
中国の成長のためには、ロシアの石油パイプラインが不可欠です。
ロシアの石油産業と中国の地下経済はイスラエルが把握しているため、この点で不安はありません。ただし、ロシア内部にイスラエルを嫌う民族派がおり、ユーラシア一体化に逆らう可能性があります。このロシア民族派への脅迫として、米国は核兵器をポーランド等に配備します。
ロシアのパイプラインは中国全土、日本にまで網の目状に伸ばし、ユーラシアのエネルギー一体化を推進します。

一方、北朝鮮には、今後核実験とミサイル発射実験を繰り返させます。北朝鮮には乱暴者の演技を継続してもらう。これに激怒した日本人を、さらにマスコミを通じ中国脅威論で洗脳します。単純な日本人は簡単に軍備拡大と核兵器武装に走るでしょう。それは米国軍事産業の狙い通りです。

日本の軍備拡大は、中国が日本に対抗するためと称して軍備拡大を計る理由となるでしょう。中国大国化のためには、中国と日本との感情的対立を利用する必要があります。この点、日本人の単純さは戦略的に使い捨て可能です。
南北朝鮮はやがて統一します。韓国は北朝鮮と対立する理由が無くなり、韓国に駐留する米軍は撤退するでしょう。
朝鮮半島は中国の影響下に入り、米国、イスラエルは中国を通じ朝鮮半島をコントロールします。
韓国駐留の米軍という防波堤を失った日本は、パニックになり軍備拡大に走るでしょう。日本の軍備拡大は、それに対抗する中国の軍事大国化をもたらすでしょう。それはユーラシアの中国による統一という目標に適している。日本、中国両方に軍備を販売し、米国軍事産業は潤うでしょう。
ここでも中国脅威論という単純な日本人の妄想は、マスコミ操作で増殖させる価値があります。

日本と中国、朝鮮半島を常に対立関係に置いておく必要があります。軍事対立の一方、ロシアのエネルギーにより、中国、朝鮮半島、日本を経済的に一体化させて行く、これはユーラシア一体化の一部です。日本国内での中国脅威論は、軽率な日本人の洗脳のためであり、中国に対抗するための日本の軍事力強化はビジネスでしかない。(BとC)
ユーラシア一体化が最終目標であり、従って中国に逆らうとどうなるか、日本の首脳部に思い知らせるため、米国政府は時々、日本叩きキャンペーンを行います。(A)
これがブレジンスキー等の戦略文書の日本に関係ある部分です。

参考本
セカンド・チャンス、ブレジンスキーの世界はこう動く―21世紀の地政戦略ゲーム、1997/12 ズビグニュー ブレジンスキー (著)、Zbigniew Brzezinski (原著)、山岡 洋一 (翻訳)
ブッシュが壊したアメリカ、2007年9月徳間書店


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ユダヤ人迫害とタルムード

2016-01-13 09:27:18 | 中東

世界の主な宗教は旧約聖書がベースでキリスト教、イスラム教、ユダヤ教・・・宗教規範等のタルムード、タルムードに触れ、批判することは欧米では地位、職等を間違いなく失います。欧米のみならず世界でもタブーで、日本人にはとてもついていけない内容です。

世界には、本物と偽者のユダヤ人がいます。
本物ユダヤ人は旧約聖書に記載された民(スファラディー・ユダヤ人)で、聖書の血統(アブラハム・イサク・ヤコブ・・・有色人種)です。
対し、偽ユダヤ人(アシュケナージ・ユダヤ人)は、7世紀中ごろ旧カザール大国に住んでいたカザール人が、ユダヤ教に改宗した人達で、旧約聖書に記載された民とは何の関係も有りません。今日、ユダヤ人言った場合は90%以上がこのアシュケナージ・ユダヤ人、ユダヤ教徒を指します。このユダヤ教徒は18巻からなるタルムードを学びますが、存在等々を必ず否定します。

タルムードはユダヤ教の教典で、へ理屈ラビ(宗教的指導者)の妄言集みたいなものです。聖書のことばをねじ曲げ、人間的な教えに変え、 自分たちに都合のいいように解釈していると言われています。
タルムードは2500年位前、ユダヤ人がバビロンに捕囚され、そこのバビロンの思想等々を学び、ユダヤ教を捨て、このタルムード思想を口伝として伝え、1500年位前に文書としてヘブライ語で書かれており18巻の大きな書です。絶対にヘブライ語以外に訳すことは許されないと言われていますがが、一回だけ英語に訳されたようですが、18巻全て回収等されたと言われています。

ユダヤ教のベースは旧約聖書ですが、中でも重要視されているのが冒頭の5書、創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記をトーラーと言われ、モーゼが神から授けられたものです。成文化されずに口伝で伝えられたものをミシュナと言われています。

タルムードとは、ヘブライ語で研究という意味があり、ユダヤ教の律法、道徳、習慣等をまとめたものと言われ、トーラーに次いで権威のあるものとされ、ミシュナ(Mishnah)とゲマラ(Gemara)の二つから構成されているようです。
簡単に言えば日常生活規範で、生きかたを記したものがタルムードと言えます。6部構成、63編から成る文書群でユダヤの民法とも呼ばれています。

タルムードの中には、民族的排他性と独善的選民思想が含まれている所があります。その問題箇所、ゾハール2ー64・Bの一部を以下に記しておきます。
タルムードには選民思想という特徴があり、ゴイと言う言葉が出てきますが、ゴイとは非ユダヤ人=家畜ブタと解釈されています。ゴイムというのはゴイの複数形です。

一説ではユダヤ人の子供達は4歳位でモーセ五書を暗唱、5歳位で預言書と聖文学、タルムードを学び、12歳位ではモーセ五書はほとんど暗記していると言われています。
13歳で成人式を迎えた時には、ユダヤ教の基礎をマスターしていると言われています。13歳以降勉強は、死ぬまで続くと言われています。ユダヤ人はタルムードを否定しますが、ユダヤ人の殆どは間違いなくタルムードを学び、研究します、この事実は過去、故ベギン首相がはっきり肯定しています。
イスラエルでは子供たちは殆んどテレビは見ませんと言うより放映してる時間が限定されており、ニュース、クラシック音楽ぐらいのようです。(今は少しは変わったかも知れません。)

過去ユダヤ人(アシュケナージ・ユダヤ人)がヨーロッパで迫害を受けたのは、このタルムードを基盤とした社会生活が原因とも言われています。
世界、日本の歴史教育等々では、これらの迫害の主原因がタルムードであることを絶対に教えませんし、ヒットラー台頭の主因です。イエス・キリストの処刑の主因も当時タルムード思想に染まっていたいた人達をイエス・キリストは徹底非難したからです。

私達はタルムードを知ることにより、世界の諸問題の本質等を知ることが出来、世界を見る目が変わるかもしれません。何故なら過去、現在、世界を支配しているのはタルムードを日々の規範とするユダヤ人(アシュケナージ・ユダヤ人)達で、世界の未来をも支配するでしょう。

勿論、世界には国等々の発展のため活躍しておられるアシュケナージ・ユダヤ人もおられます、有名なのは現ロシアのメドヴェージェフ首相です。両親とも大学教授と言う環境で育っています、タルムードとは無縁の人です。

     *****************
         タルムード抜粋一例

ユダヤ人はゴイ(非ユダヤ人)から奪ってよい。ユダヤ人はゴイから金をだまし取ってよい。ゴイは金を持つべきではなく、持てば神の名において不名誉となるだろう。
(シュルハン・アルフ、コーゼン・ハミズパットの348)

ゴイに向って誓いを立てた者は、盗賊であれ税吏であれ、責任を取らなくてよい。
(トセフタ・スゼブノットの11)

ゴイにわれらの信教を教える者は、ユダヤ人を殺すに等しい。もしもゴイがわれらの教説を知ったならば、かれらは公然とわれらを殺すだろう。
(リブル・デヴィッドの書の37)

ユダヤ人がラビの書物のどこかを説明してくれと頼まれたなら、ただただ、うその説明をするべきであり、本当のことを教えてこの指示を裏切る共犯者となってはならない。この律法を破る者は生かしておいてはならない。
(リブル・デイヴィドの37)

ゴイがわれらの書物には何かゴイを害することが書いてあるのではないかと聞いたら、偽りの誓いを立てなければならない。そして、そのようなことは誓って書いてないと言わなければならない。
(ザーロット・ウザボット、ジュル・ダの書の17)

タルムードを学ぶゴイ、それを助けるユダヤ人はことごとく生かしておいてはならない。
(サンヘドリン、59、ア・アボダ・ゾラ、8の6。ザギガの13)


神はユダヤ人にすべての方法を用い、詐欺、強力、高利貸、窃盗によってキリスト教徒の財産を奪取することを命ずる。(オルディン1、トラクト1、ディスト4)

我々はタルムードがモーセの律法書に対して絶対的優越性を有することを認むるものなり。(イスラエル文庫、1864年)

律法(聖書)は多少とも重要ではあるが、長老方が聖典に記されたことばは常に重要である。

タルムードの決定は、生ける神のことばである。エホバも天国で問題が起きたときは、現世のラビに意見を聞き給う。(ラビ・メナヘン、第5書の注解)

神は夜の間にタルムードを学び給う。<メナヘム・ベン・シラ法師>

汝らは人類であるが、世界の他の国民は人類にあらずして獣類である。(ババ・メチア、146の6)

汝らイスラエル人は人間なれど、他の民族は人間に非ず。彼らの魂汚れし霊より出でたればなり。(メナヘム・ベン・シラ法師)

イスラエル人は人間と呼ばる。しかれども偶像礼拝者は汚れし霊より出でしものなれば、豚と呼ばるるなり。(ロイベン法師)

悪魔と世界の諸民族とは、畜獣に数えらるべきなり。(ナフタリ法師)

犬は異邦人より勝れたるものなり。(アシ法師)

汝殺すなかれ、とのおきては、イスラエル人を殺すなかれ、との意なり、ゴイ、ノアの子ら、異教徒はイスラエル人にあらず。
(モシェー・バル・マエモン)

ゴイに金を貸す時は必ず高利を以てすべし。
(モシェー・バル・マエモン)

拾得物を紛失者に返却すべしとの戒は、ユダヤ人に対してのみ守らるべきものにして、ゴイに対しては然らず。このことに就き亡きわれらの教法師たちの言えるあり。すなわち、「遺失物とはすべてなんじの兄弟の失いしところの物を指すものにして、ゴイの失える物は然らず。その理由は、ゴイは神に属する者に非ずして、地の邪神に属する者なるゆえなり。ゆえにゴイの失えるすべての物は、この世にては再び見つけらるることなき遺失物にして、その所有者にかえるべきにあらず。財宝は唯一イスラエル人にふさわし
く、他の民はこれに値いせざるものなればなり。
これ預言者イザヤ(26ノ19)の言えるがごとしと。(ゲルソン法師)

他民族の有する所有物はすべてユダヤ民族に属すべきものである。ゆえになんらの遠慮なくこれをユダヤ民族の手に収むること差し支えなし。
(シュルハンアルクのショッツェン・ハミッバッド348)

ゴイがゴイまたはユダヤ人を殺した場合には、その責任を負うべきであるが、ユダヤ人がゴイを殺した場合には責任を負うべきものでない。
(トセフタ、アブダ・ザラ8の5)

「盗賊」ということばの解釈。ゴイは、ゴイからであろうとユダヤ人からであろうと、盗むこと奪うこと女奴隷を使うことは禁じられる。だが彼(ユダヤ人)はゴイに禁じられているこれらのすべてのことをなしても禁じられない。(トセフタ、アボダ・ザラの5)

偶像礼拝に帰依せる非ユダヤ人及び、いやしき牧人はこれを殺すことを許さず。されど彼らが危険に面し、また死に瀕せりとて彼らを救うことは許されず。例えば彼らの一人が水に落ちたるとき、報酬ある場合と雖も彼を救い上ぐべからず。また彼らを瀕死の病よりも、いやすべからず。報酬ある場合と雖も。しかれども、われらと彼らの間に敵意の生ずるを防止するためならば、報酬無き場合にも彼らを救出し、また、いやすことをゆるさる。しかれども偶像を拝む者、罪を犯す者、おきてと預言者を否む者は、これを殺すべし。而して公然と殺すを得ば、そのごとくなせ。しかするを得ざる場合には、彼らの死を促進せよ。たとえば彼らの一人井戸に落ちたるとき、その井戸に、はしごあらば、これを取去り、直ちに再び持来るべしとの遁辞を用い、かくすることにより落ちたる者の身を救い得べき道を奪うべし。
(シュルハン・アルフ、第2巻智慧の教)



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李方子妃

2016-01-11 14:15:21 | 日韓
李方子妃(り・まさこ・ひ)、と聞いても知らないと言う方が多いかと思います。日韓歴史の事実として、私達は李方子妃を知ることは大切と思います。

方子妃は、1901年11月4日、皇族梨本宮家に誕生(長女)、18歳で韓国の李王朝26代高宗皇帝王子、李垠に嫁がれました。
方子妃の人生は、歴史に翻弄されますが、夫の垠殿下にしても似たようなものだったように思います。

1897年に生まれた李垠殿下は、一説では日露戦争後(10歳)、李殿下を日本で教育、日韓両国の永遠の礎を築こうという伊藤博文(初代韓国総監)の計画に基づいて実行されたと言われています。

当時、方子妃は、皇太子裕仁親王(昭和天皇)の有力なお妃候補であったと言われています。しかし侍医から方子妃は不妊症と診断され、お妃候補ではなくなりました。
不妊症の方子妃を李王朝の皇太子に嫁がせる・・・方子妃に垠殿下の子供が誕生した時、方子妃を診察した侍医は処罰されたと言われています。

結婚は1919年1月予定(結婚式は1920年4月28日、東京六本木・鳥居坂の李王邸で執り行われています。)でしたが、垠殿下の父、第26代皇帝高宗が急死、結婚が1年延期、高宗皇帝の死は疑問がついたようです。一説では朝鮮総督府の官吏(日本人)が宮中典医を脅迫等々

そういう中でも、方子妃の結婚の決意が堅く、14歳で李王家に嫁ぐことが公表された後、方子妃は、まず髪型を変え、朝鮮式の髪型に、朝鮮王朝に嫁ぐ妃の決意の現れであったと言われています。決意は第26代皇帝高宗の死に際しても揺らぐことはありませんでした。婚約者、垠殿下の胸の内を・・・李皇太子を慰めてあげたい。夫を心から愛する妻に、暖かい家庭を築いて差し上げたい、この決意が変わらなかったので、結婚後の多くの困難を乗り越えたと言えると思います。

垠殿下が幸福感に包まれた時がありました、息子の誕生、不妊の女と言われた方子妃が元気な男の子、李王家の跡継ぎ誕生です。出産直後、垠殿下は優しく方子妃を労わったと言われています。喜びに満ち溢れた李殿下の姿があったと言われています。
しかし幸福は、長くは続きませんでした、息子の死です・・・

親子3人での朝鮮への里帰り、1922年4月23日東京を出発、結婚後の初めての里帰りです、朝鮮王朝風の結婚式を祖国で上げることになっていました。
長男、晋はまだ8ヵ月の赤ちゃん、離乳時期を迎えたばかり、気候風土の変化で病気にでもなったら大変です。晋を日本に残しておきたかったと言われています。
韓国側の強い要望で里帰りすることになったりました。

方子妃は、後に8ヵ月の赤ん坊を連れていくということは本当に心苦しゅうございました。連れていくのは嫌だとは、どうしても申されない立場、本当に苦しんだことがございますと胸の内を語っています。

結婚式(朝鮮式)が執り行われ、帰国の日も近付きつつあった時、元気だった晋が突然、嘔吐・・・医師は急性消化不良と診断、晋の容態は一向に回復しないで、悪くなる一方で、必死の介護、祈りの甲斐なく、5月11日8ヵ月の赤ちゃんは亡くなってしまいました。妃は、ただ泣くばかりであったと言われています。余りの不自然さ、毒殺の噂が立ったと言われています。李王朝に日本人の血が入ることに拒んだ者の仕業ではないかとか・・・真相は闇の中です、真相はどうあれ、晋の死が毒殺と考えることが自然であるほど両国の溝は深刻であったと言われています。

5月17日、晋の葬儀、方子妃は、晋がお腹のなかにいたときに編んだ毛糸の衣類やおもちゃなどを棺に納め、宮殿で葬列を見送ったと言われています。
親子3人の最初の里帰りが、息子の死という悲劇、傷心のうちに方子妃は帰国しました。
悲しみに沈む方子妃を慰めたのは、常に李殿下でした。李殿下はたくましい忍耐力を有するようになっていたと言われています。方子妃は李殿下に励まされ、立直っていったと言われています。

終戦・・・二人にとってさらなる困難が待ち構えていました。敗戦により、二人は王族(李王公家)の立場を剥脱されてしまいます。二人とも、生れ付きの王族で生活力はまるでなく、お金の使い方から習わなければならなかったほどと言われています。

廃止された各公家には一時金が支給されましたが、軍人は対象とならず、一時金も支給されませんでした。垠殿下は敗戦時、陸軍中将でした。日本軍人であったにもかかわらず、垠殿下が韓国人であるという理由で、軍人恩給も支払われなかったようです。生活は困窮、李王邸(赤坂プリンスホテル旧館)を手放さなければならなくなったと言われています。

1950年、垠殿下はマッカーサーに招かれて来日し、大韓民国初代大統領・李承晩と会談、その際、垠殿下が韓国に帰国する意思を李承晩・大統領に伝えましたが、李承晩・大統領は冷たく、殿下は落胆して帰国をあきらめたと言われています。垠殿下は、祖国への帰国を願い、何度も駐日韓国代表部を通して、帰国を打診しましたが、韓国、李承晩・大統領の返事は冷淡であったと言われています。

李承晩・大統領政権は、米国の傀儡政権とも言われ、李承晩・大統領の12年間におよぶ排日政策(GHQ策)の結果、反日感情が横溢、方子妃は非難の的になったと言われています。自己益等ばかりを追及、多くの韓国人も当時の李承晩・大統領政権に多くの疑問を呈しています、最後は失脚・・・この利権まみれの傀儡政権を許さない、日本陸軍士官学校卒業の、正義心が強い朴大統領が軍の支持を取り付け軍事クーデターで登場します。朴大統領は現在でも韓国民が選ぶ大統領ではNo1で80%以上の支持があります。この朴大統領の娘さんが、現韓国朴大統領で、大統領就任前に閣僚等々に8人の親日の方を予定しましたが反対に遭い実現しませんでした。

当時の李承晩大統領は、垠殿下が帰国したら、韓国国民の同情が集まり、自身が不利な立場になることを懸念したとも言われています。

垠殿下は口癖にしていた言葉がありました、私はすでに朝鮮人ではありません、といっても日本人にもなれません、中途半端な人間・・・この不安が戦後、現実となって、垠殿下と方子妃を苦しめたと言われています。
韓国帰国も叶わず、援助もない、こうした苦境を知って、手を差し伸べてくれた人々がいました。昭和天皇、祖父に当たる明治天皇の代に、垠殿下を連れてきたことに天皇は心を痛めていたと言われています。他には吉田茂首相、朝鮮総督府勤務OB、財界人等が、支援に名乗りを上げたと言われています。垠殿下はこれらの支援に心から感謝しましたが、同時に恥ずかしく思っていたと言われています。

1961年、軍事クーデターで朴正熙氏が国家再建最高会議の議長となり全権を掌握、直ちに朴議長は正義感が強く親日でも有り、垠殿下と方子妃のために特使を日本に派遣、生活費、療養費等の一切を韓国政府が保証する旨を伝えたと言われています。垠殿下は、この時脳血栓で倒れ、意識も混濁状態、祖国の嬉しい知らせを知ることは出来ませんでした。

垠殿下の韓国帰国実現は、それから2年後の63年11月22日、66歳、方子妃は61歳、垠殿下の在日は56年を経過していました。
二人は日本政府準備チャーター機で、日本を発つ朝、方子妃はベットに横たわる夫に静かに語りかけ、殿下、お国に帰りましょう。私がお供しますから、ずいぶん長い間、お待ちになりましたね、これからは幸せで平和な日々をお送りになれますよ。
夫が祖国に帰ったのだと意識できるが残っている内に、祖国の土を踏ませてあげたい、方子妃の願い、垠殿下は方子妃と共に韓国への帰国を果たしましたが垠殿下は、脳血栓と脳軟化症で意識は無くそのまま病院車でソウルの聖母病院に直行したと言われています。

夫婦となって50年、金婚式の祝いを済ませた3日後、1970年5月1日垠殿下は方子妃に見守られながら、静かに息を引き取りました。ソウル市の郊外、京畿道南楊州市金谷洞にある陵墓英園に埋葬されました。

方子妃は、以後、韓国内で福祉活動に取り組まれました。夫が元気だった頃、二人で語り合った、帰国後の夢の実現でもあったと言われています。
1967年に障害を持つ子供のための施設、明暉園、72年には精神薄弱児のための教育機関、慈恵学校を設立されました。
激動の日韓の時期に方子妃、不幸を自ら引き受け、その人生を美しく立派に生き抜かれています。表に出るこはないですが、日韓の架け橋となり、現在も韓国内では多くの国民に尊敬されています。

1989年4月30日、ソウルで永眠した方子妃の葬儀は5月8日、準国葬として執り行われ、頭を地にすりつけるという、伝統礼式を李王朝の礼式です。ソウル中心街の沿道には多くの市民が詰めかけ、見送ったと言われています。手を合わせる人、頭を下げる人、目頭を押さえる人・・・日本からは三笠宮崇仁親王夫妻が参列。後に韓国国民勲章槿賞(勲一等)を追贈されています。李方子妃はソウル市の郊外、京畿道南楊州市金谷洞にある陵墓英園に李殿下と一緒に埋葬されました。

皇族としての役割、方子妃の生きかた、民を想う気持ち・・・欧米の王室では有り得ない考えかたと思います。方子妃、李殿下は間違いなく両国の橋となったと思います。

私達は、報道等されない日韓の歴史の事実、真実の一端を自分なりに精査し知ることは大切だと思います。
李方子妃を知ることは、隣国でもある韓国、未来の友好基盤の醸成ためにも、更には拉致問題解決の糸口を見つける為にも・・・

産経新聞、ネット等々の資料を使用していますが、意味不明箇所があるかも知れません。


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日本人の心、吉田松陰

2016-01-09 17:51:57 | 日本文化等

現代に於いて、日本人の心とはを問われたら、答えるのは難しいと思いますが、私達に解り易く日本人の心とも言われる、滅私奉公、無為無私を教えてくれるのは吉田松陰かも知れません。
私達日本人が忘れてはならない先人、日本の国体、本体を熟知していた吉田松陰、戦後、GHQ等により残念ながら吉田松陰を学校で学ぶことは殆ど有りません。

吉田松陰は文政13年(1830年)8月4日、長州藩の下級武士、杉百合之助の2男として萩の松本村に生まれました。
生家は萩城下町を一望できる通称、団子岩と呼ばれる場所にある古い一軒屋、父、杉百合之助は下級武士、農業中心の生活をしている、貧しい暮らしであったと言われています。

松陰には兄、弟、4人の妹がいましたが、父は農作業に兄と松陰を連れて行って、そこで農作業をしながら武士の心得、尊王(天孫降臨の神国思想に 基づき皇室を政治的権威の源泉として尊崇すべきであると説く思想)の精神教えられていったと言われています。松陰には、他家に養子に行き家督を継いでいた吉田大助と玉木文之進という2人の叔父がいました。

吉田大助の養子先、吉田家は長州藩の兵学師範(山鹿流兵学)の家柄、大助に跡継ぎがなく、松陰は幼くして吉田家へ養子になります。まもなく吉田大助が急死してしまった為、松陰は6歳にして吉田家の家督を継ぎ、藩校明倫館の兵学師範になります。松陰の兵学教育にあたったのが山鹿流免許皆伝の玉木文之進です。

玉木文之進は自宅で松下村塾を開いた人物、松陰の教育は、主にこの玉木文之進という叔父によってなされましたが、甘え、妥協を許さない、厳格なものだったと言われています。

玉木文之進の教育により松陰は成長、松陰が11歳になった時、藩主毛利敬親の前で講義をすることになりましたが、松陰は山鹿流、武教全書戦法篇(攻城、守城などの戦法、築城、兵具などの軍事技術を取り扱っている山鹿流兵学の百科全書ともいうべき著作で、軍隊統制法との関連で武士のあるべき姿等を記しています。)を朗々と講じ、講義は藩主をはじめ居並ぶ重臣たちも目を見張るほどのものであったと言われています。その日から松本村に天才ありと大二郎(後の名は松陰)の名は萩城下に知れ渡ったそうです。

松陰は19歳で、玉木文之進らの後見人を離れ、藩校、明倫館(享保3年、1718年に5代藩主吉元が毛利家家臣の子弟教育のために萩城三の丸に建てた藩校)の独立師範(兵学教授)に就任、21歳の時、見聞を広めるために、藩に九州遊学の希望を申し出、10ヶ月の遊学許可が下りることになりました。
教育の原点となった野山獄(萩では牢が区別されており、士分の身分が入る上牢を野山獄、庶民などが入る下牢を、岩倉獄、松陰の獄中生活は1年2カ月)に松陰が投獄されてから1年2か月が経ち、野山獄を出た松陰は藩から自宅謹慎を命じられ、実家の杉家に幽囚(捕らえられて、閉じこめられること。)の身として戻ります。出獄後、松陰は自宅に設けられた幽囚室で、親族、近隣の者を相手に孟子の講義を再開、幽囚室での孟子講義は、単なる解説ではなく、松陰独自の解釈で高い評判となり萩城下に広がっていくこととなりました。

その頃、松陰の叔父、玉木文之進が開いた松下村塾は、近所で塾を営む久保五郎左衛門が名前を引き継いでいました。松陰の幽囚室での講義に久保五郎左衛門が聴くようになると自然と松陰が塾の主となります。
当初は3畳という僅かな幽囚室で行なわれていたものの、受講するものが増え杉家の納屋を塾舎に改修、松下村塾が誕生、その後、松下村塾の存在は萩城下に知れ渡り、萩だけでなく、長州藩全体から才能ある若者達が集うようになりました。松下村塾は、武士や町民など身分の隔てなく塾生を受け入れました。

松陰が松下村塾で塾生たちの指導に当たった期間は、安政3年(1856年)8月~安政5年(1858年)12月までの2年余りです。その期間に、松陰は自分の信念を塾生たちにぶつけ、しかし一方的に教えるのではなく、塾生たちと一緒になって問題を考えていったと言われています。講義は室内のみならず、農作業を共にしながら行なわれるなど、心身両面の鍛錬に重点が置かれたようです。

松陰は学問を、人間とは何かを学ぶことであると言っています。
学者になってはいけない、実行しなければならないとも言い、学んだことを活かし実行に移す大切さを強く説きました。
脱藩、密航を試みるなど、実行に実行を重ねる松陰であったからこそ、若者達の心は強く揺さぶられ、惹き付けられていったと言えると思います。
門下生達は、後に京都で志士として活動した者、明治維新で新政府に関わる者など幕末、明治において大きな活躍を果たすことになりまする・・・久坂玄瑞、高杉晋作、吉田稔麿、入江九一、伊藤博文、山県有朋、前原一誠、品川弥二郎、山田顕義、野村靖等々・・・

門下生達に行動を説く一方で、自ら行動することも止めませんでした。幕府の老中、間部詮勝が朝廷を厳しく取り締まろうとしていると聞き、松陰は激怒し、間部詮勝要撃計画を実行しようと萩に残る塾生に声をかけ要撃隊をつくり、藩には武器・弾薬の提供を願い出て、藩を驚かせたと言われています、この行動が、藩にとって危険なものとして松下村塾の閉鎖を命じられ松下村塾は閉鎖に追い込まれることとなり、松陰は再度、野山獄に入れられることになりました。後、ついに幕府から松陰を江戸に送るようにとの命令が届きました。

安政6年(1859年)5月25日早朝、松陰は野山獄から護送用の籠に入れられ江戸に向かうこととなりました。
松陰が江戸に送られた理由は、安政の大獄(江戸幕府が、尊王攘夷派に対して加えた過酷な弾圧)で獄死した梅田雲浜(小浜藩士・京で活躍した尊皇攘夷の志士、安政の大獄で逮捕者第一号となった人です。)が萩で松陰に会った事を話したためでした。

江戸の評定所(幕府の最高司法裁決機関)が松陰に問いただしたのは、梅田雲浜と話した内容と、京の御所に文書を置いたのではないかという2点で・・・松陰の主張は受け入れられました。松陰は幕府に自分の意見を言う絶好の機会だと捉え、間部詮勝要撃計画をも告白してしまいます。
人間を絶対的に信用し、必ず自分の思いは届くはずだと考えた松陰ゆえの告白でしたが、幕府評定所の役人は予想もしなかった老中暗殺計画に驚愕、この時、松陰の命運は決まった。

評定所の役人の態度から死を覚悟したと言われる松陰は、家族への、永訣の書と門下生達に向けた、留魂録(最後に参考文として載せて起きます。)を伝馬町牢獄で記しています。留魂録は、門下生達によっていくつも複写され、志士たちのバイブルとなっています。

安政6年(1859年)10月27日、評定所から死罪が言い渡されました、吉田松陰30歳という若さでした。死に際しても平静かつ潔い松陰の姿に、首切り役人の山田浅右衛門などは胸を打たれ、その様子を後々まで回顧しました。いよいよ首を斬る刹那の松陰の態度は、実にあっぱれなものであった。悠々として歩き運んできて、役人どもに一揖(いちゆう)し、御苦労様と言って端座しました・・・その一糸乱れざる堂々たる態度は、幕吏も深く感嘆したと言われています。
維新の先駆者となり、その死を持って門下生達へと強烈に引き継がれた松陰の想い、志は、後の世で大きく花開くことになります。

吉田松陰の心(大和魂)は、心ある志士たちに受け継がれ永遠のものとなりました。今も、日本人の心として色褪せることなく生き続けていると思います。


留魂録
今日、私が死を目前にして落ち着いていられるのは、四季の循環というものを考えたからです。
おそらくあの穀物の四季を見ると、春に種をまき、夏に苗を植え、秋に刈り取り、冬それを蔵に入れます。

秋や冬になると、人は皆その年働いて実った収穫を喜び、酒などを造って、村は歓声にあふれます。

未だかつて、秋の収穫の時期に、その年の労働が終わるのを哀しむということは、聞いたことがありません。

私は享年30歳。一つも事を成せずに死ぬことは、穀物が未だに穂も出せず、実もつけず枯れていくのにも似ており、惜しむべきことかもしれません。
されども私自身について言えば、これはまた、穂を出し実りを迎えた時であり、何を哀しむことがありましょう。

何故なら人の寿命には定まりがなく、穀物のように決まった四季を経ていくようなものではないからです。

10歳にして死ぬ者は、その10歳の中に自らの四季があります。
20歳には20歳の中に自らの四季があり、30歳には30歳の中に自らの四季があり、50歳や100歳にも、その中に自らの四季があります。
10歳をもって短いとするのは、夏蝉を長寿の霊椿にしようとするようなものです。
100歳をもって長いとするのは、霊椿を夏蝉にしようとするようなものです。
それはどちらも、寿命に達することにはなりません。

私は30歳、四季は己に備わり、また穂を出し、実りを迎えましたが、それが中身の詰まっていない籾なのか、成熟した粟なのか、私には分かりません。
もし、同志のあなた方の中に、私のささやかな真心に応え、それを継ごうという者がいるのなら、それは私のまいた種が絶えずにまた実りを迎えることであって、収穫のあった年にも恥じないものになるでしょう。同志の皆さん、このことをよく考えてください。

吉田松陰・ 雅昭 著、松蔭神社、別冊宝島・吉田松陰と松下村塾等の資料を参考にしています。



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現代アジアの悲劇、分断朝鮮半島

2016-01-05 17:35:57 | 戦後

現在世界には分断国家がいくつかありますが、最大の分断国家は隣国である、南北に分かれた朝鮮半島の両国だと思います。他には中国と台湾、意外と知られていないのがキプロス(数民族で構成)です。民の不満が支配者へ向けられないようにわざと民族対立を煽っておき、自らは調停者の役を演じるという分割統治の手法は、歴史的に某国が中東等々で得意とするやり方と言われています、当然欧米はキプロスの統一を絶対認めません。

日本も戦後ソ連の分断案がありましたが、スリランカのJ・R・ジャヤワルダナ氏の戦勝国側への強い訴えかけによって、日本本土が分断されることなく独立国としての第一歩を歩みだすことが出来たと言われています。戦後、吉田茂首相は、日本は後世まで、この大恩を決して忘れてはならない!と言っています。これらの事実は残念ながら報道されることはありません。

日本分断案(ソ連作成)
北海道、東北     ―――ソ連
関東、中部、関西、沖縄―――米国
四国         ―――中国
九州、中国地方    ―――英国
首都東京―米国、英国、中国、ソ連
大阪       ――米国、中国

隣の朝鮮半島、ここは南北両国民の意思で分断されたのでは無いというのが最大の悲劇だと思います。
1950年、中国共産党の最精鋭志願部隊が鴨緑江(中国東北部と朝鮮との国境となっている川)を渡り朝鮮に侵攻、当時の米軍は追い込まれてしまいます。国連軍司令官であるダグラス・マッカーサーは米国大統領のトルーマンに核兵器使用の許可を幾度となく要請しますが、全て却下(自身は、日本への原爆投下は許可しています。)・・・ダグラス・マッカーサー自身もトルーマンに解任さてしまいます、後任にはマシュー・バンカー・リッジウェイ司令官が就任します・・・1953年、38度線で線引き休戦となります。

この38度線により分断された国を悲しんだ歌が有名なリムジン河です・・・鳥達は自由に河を渡れるのに私達は渡れない・・・南北両国民の気持ちを表していると言われています。
以後、休戦協定が北朝鮮、中国志願軍と国連軍(米国主体)で結ばれ、南北両国は現在に至るまで、一時休戦状態、分断されたままです。

じゃ両国が話し合って一緒になればいいじゃないかと思いますが、絶対に某国は許しませんし、認められません。未来永劫な堅固な対立が構築されているように思えます。
休戦会議には韓国側は参加できません、当事国なのに不思議と言うより理不尽ですね。日本は、この朝鮮戦争後の国連軍は関係ないように思えますが、在日米軍基地には、米国旗の隣に国連旗が上げられています、在日米軍基地は国連軍として機能することの証だと思います。

戦前の八紘一宇、拉致問題等ありますが、やはり日本は隣国として何か出来ないものか。
考えてみたら日本は朝鮮半島の南北分断のおかげで地政学的に大きな益を受けているかもしれません。
朝鮮半島の南北両国は現在も分断されたまま、隣国の現実を知ること大切だと思います。


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