極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

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映画・帰ってきたヒトラーとドイツの良識

2018-07-24 19:39:18 | 二次大戦ドイツ

映画・帰ってきたヒトラー、ウィキペデイア、ドイツの匿名個人プログ、ネット上の資料等々を参考、一部コピーしていますが、「内容は全て作り話・フィクション」とします。

 

映画「帰ってきたヒトラー」は終戦間際から、現代に飛んで風刺、コミック、漫画のように面白おかしく映画で表現していますが、内に秘めるものは一言で言えばドイツの良識の葛藤を表現しているかも知れません。有名な過去の映画は、ゲルトラウト・ユンゲ(Gertraud Junge、1920年3月16日~2002年2月10日、アドルフ・ヒトラーの秘書)の詳細な証言にり作られた、「ヒトラー ~最期の12日間 Der Untergang a.k.a. Downfall 2004」のように、良識のドイツがアシュケナージ・ユダヤ人を気にして、ドイツ人の誇りを一部表現できる限界だったと思います。帰ってきたヒトラーも同様だと思います。

原題はEr ist wieder da 「彼が帰ってきた」は、ティムール・ヴェルメシュ(独・Timur Vermes、1967年~は、ドイツのジャーナリスト、作家、翻訳家)が2012年に発表した風刺小説です。現代のドイツに蘇ったアドルフ・ヒトラーが巻き起こす騒動を描いています。ドイツではベストセラーになり、映画化されました。ヒトラーに対する数々の肯定的な描写から物議を醸したが、ヴェルメシュ自身は、ヒトラーを単純に悪魔化するだけではその危険性を十分に指摘できないとし、リアルなヒトラー像を表現するためにあえてその優れた面も描き出したと述べています。

映画は2015年10月8日公開、コンスタンティン・フィルムが制作担当、オリヴァー・マスッチ(ドイツ語版)が主演を務めています。公開第3週には興行収入ランキング第1位となっています。2015年、興行収入は21万ドルを超え、2016年にはヨーロッパ各国で公開、日本では2016年に公開、今もレンタルビデオで見ることが出来ます。

 

現在も続く、敗戦国ドイツ良識の苦悩・・・ドイツ等ではホロコースト等への批判は許されません。ドイツでは最長5年、チェコでは3年、フランスでは2年の実刑が課せられます。オーストリアでは最長では20年もの懲役になります。これらの検証、疑問さえもつことは出来ません。

ホロコースト否認は次の10カ国で違法です。フランス(ゲソ法)、ベルギー (Belgian Negationism Law) 、スイス (刑法261条bis ) 、ドイツ、オーストリア (article 3h Verbotsgesetz 1947) 、ルーマニア、スロヴァキア、チェコ、リトアニア、ポーランド。イスラエルでも違法となります。

カナダ、イギリスでは、ホロコースト否認を禁止する法律はありませんが、名誉毀損や民族間の憎しみの助長やヘイトスピーチを禁止する法律があります。ドイツ・オーストリア・フランスではナチスの犯罪を否定、矮小化した者に対して刑事罰が適用される法律が制定されていますが、人種差別禁止法によってホロコースト否定を取り締まる国もあるようです。1994年からドイツではホロコースト否定が刑法で禁じられており、違反者は民衆扇動罪(第130条)で処罰されます。オーストリアも同様です。

これに反旗を揚げたのが2005年からイラン大統領に就任していた、マフムード・アフマディーネジャード(Mahmoud Ahmadinejad)大統領です。

マフムード・アフマディーネジャード・元イラン大統領は、生粋の血統的スファラディー・ユダヤ人(聖書に出てくる本当のユダヤ人)ですが、改宗しイスラム教徒です。世界の全ての問題の根源であるアシュケナージ・ユダヤ人(聖書に出てくるユダヤ人とは何の関係もありません。偽ユダヤ人でタルムード等を信奉等する人達)が信奉するタルムードに対し疑問を投げかけてきました。現世界を制しているとも言われるアシュケナージ・ユダヤ人から見たら絶対に許せない存在でしょう。イランが世界の問題のように情報操作されているのは間違いないでしょう。

ホロコースト問題を、堂々と欧米の代表者と論じていました。このビデオは、今も「ホロコーストはなかった」 ホロコ-ストとイスラエル イラン大統領2009としてユーチューブにあります。明快な受け答えです。この結果・・・現在も何かと主要メディアを活用し、徹底的な打倒イランとなっていると思います。

ドイツ連邦基本法裁判所は、ユダヤ人虐殺はなかったなどと主張するのは、基本法(日本の憲法)が保障する言論の自由にはあたらず公共の場では禁止できるとしています。

当然、ヒットラーの書籍類は販売が制限、ナチス、ヒットラーを肯定的に見ることは許されません。現、ドイツ国内では今も監視の目が隅々まで光っています。私達が考えるドイツとは違った面が多々あり、表に出ることは少ないようです。現ドイツは間違いなく、徹底した監視社会とも言えそうです。

このタブーを破りたい生粋のドイツ人は多くいますが全ての地位、職業等を失います。現ドイツは、生粋のドイツ人の国から遠ざかってしまったとも言えそうです。

 

ドイツは戦後、イスラエル、アメリカにつぐ世界最大のソビエト・ユダヤ人移民国です。ナチスによる迫害、ホロコーストに対する非公式の償い・・・ドイツ国内に居住する国外からきたあらゆるユダヤ人にたいして、同じドイツ国内に居住する他の外人グループにはあたえられないような特権が認められています。国外からきたユダヤ人は,ドイツのユダヤ人協会に登録済みであることを証明さえすれば,移民当局の滞在許可と労働事務所の労働許可を直ちに入手できます。

ドイツは、今も形を変えてイスラエルに戦後賠償をしています。

イスラエルは第2次世界大戦の時には存在しなかったので当然、戦勝国ではなく被害にあったわけでもありません。

EUで一人勝ちのドイツ・・・その割にはドイツは極めて質素、そのお金は、何処に行ってしまうでしょう・・・タブーの一つに、現在もユダヤ人がドイツ国内に会社を作って利益を得ても税を逃れることが出来ますが、これらの事実は表に出ることはありません。昨今のドイツの難民受け入れ問題も、好き好んで受け入れていません!敗戦国の押し付けであることは明白です。

1990年7月17日付のポーランドの連帯系の選挙新聞は、アウシュヴィッツ収容所博物館による調査結果として、400万人に上るといわれたナチス・ドイツのアウシュヴィッツ収容所の犠牲者は、本当は約150万人レベルだったと発表しました

同博物館の歴史部長によると調査で確認された犠牲者の数は計約110万人で、内訳はユダヤ人が96万人、ポーランド人7万5000人、ジプシー(ロマ)2万1000人、ソ連兵捕虜1万5000人など。死のキャンプからの生還者は22万3000人だったそうです。

アウシュビッツの犠牲者は、単純に計算しても毎日5000人以上が戦争中継続して殺されていることになりますが、有り得ない数字で、小学生でも理解できるでしょう。この事実は過去、日本で起こったマルコポーロ問題の核心かも知れません。
ヨーロッパ全体で殺されたユダヤ人の総数600万が訂正されたわけではありません。600万は不変です。
600万という数字はシンボルと見るべきです。600万を否定することは、即ホロコースト否定となり、犯罪です。

 

戦後、ユダヤ人団体が600万という数にこだわり続けているのは経済的理由とも言われています。600万人分の殺人の代償として、イスラエル国家はドイツ国民に年間8億ドルを10年間賠償金として賦課しました。その上、ドイツはユダヤ人虐殺などへの個人補償だけでも円換算で総額約6兆円を支払っています。

ナフム・ゴールドマン・ユダヤの逆説より・・・
ドイツは戦後、総額8000億ドル支払うことになりました。イスラエル建国初期の10年間、ドイツからの賠償金がなければ、現在のインフラの半分も整備されていなかったでしょう。
イスラエルの全ての鉄道・船・電力設備・産業基盤はドイツ製です。
その上、生存者に支払われる個人賠償、イスラエルは現在もドイツから毎年何億ドルの賠償金をドイツ通貨で受け取っています。もう数年経てばイスラエルがドイツから受け取った賠償金の総額は、宝石売却による資金の2倍、もしくは3倍になるでしょう。この賠償に対し現在、誰も不服を言う者はいません。

表に出ることはありませんが、ドイツは今も右から左に金を動かしているだけとも言われています。戦後60年以上が経ちました。現在もドイツ国民としての尊厳、本当の夢が持てない苦しい状況と思います。

イスラエルには建国前、イスラエル協定と呼ばれる賠償協定がありました。これはボツダム協定の賠償の枠を越えた償い協定であると言われています。

イスラエルはドイツからの賠償を要求していましたが、戦時中には存在していなかったイスラエルに賠償請求権がほんとうにあるか、法的な疑問と言うのが戦勝国の立場だったようです。多くのドイツ人もこの件に関しては無言です。
1945年にイスラエル建国、イスラエル協定に基づいてドイツへ請求した金額は1994年の交換レートで5兆8千億円、イスラエルは砂漠地帯に給水設備を創設、国際的にも非難されている占領地域にまで入植し、移住者をむかえるためにも多額の資金が必要でした。

イスラエル経済はドイツや米国、数兆円の間接的巨額支援(過去の米国政府関係者談)の日本からの資金援助なしには絶対に成り立たなかったのが実状のようです。

2000年までにドイツからイスラエルに支払われた額は優に13兆円を超えています。

自分達の被害を強調し続けるのも自然な事かも知れませんが、一度捏造したら永遠に嘘つき続けなければなりません。

嘘によって成り立っている利権
この真実を知ろうとすれば、ユダヤ人団体から潰されてしまいます。日本も過去、マルコポーロ事件がありました・・・ユダヤ問題は知ろうとした時点で、犯罪となるようです。全てのドイツ問題、世界問題の根底に見え隠れするタルムード、タルムードは世界最高のタブー中のタブーです。
現在は、嘘をつき続ける事で利益を得る人達が政治的にも経済的にも優勢のようです。メディアも支配されていますが、それが世界の現実かもしれません。主要メディアとはメディア支配者の見せたい現実しかありません。本当の現実を知りたいならばテレビ等を避ける必要があります。今日、私達は真実の情報を得る手段をネット等で得ることが出来ますが、同時に偽の情報も氾濫しています。

同じ敗戦国、日本とドイツ・・・日本には憲法9条、ドイツにはホロコーストと言う印籠が作られたようにも思います。

帰ってきたヒットラーは敗戦国、現ドイツの「良識の葛藤」を表現しているかも知れません。


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17才から毎日、鏡の中の自分に問いかけたジョブズ

2018-07-14 16:42:21 | 日記

以下文は、過去の日経新聞WEBサイト「ハングリーであれ、愚か者であれ。」 ジョブズ・スピーチ、「スティーブ・ジョブズ1,2」ウォルター・アイザック著、ウィキペディア等を参考にしています。

 

私達に身近な鏡、鏡を世界で初めて製造した国はフランスで世界最古の鏡メーカーと言うと「サンゴバン」となります。サイコバンは世界最長の歴史を持つメーカーで、現在は日本など世界64カ国で事業展開、従業員数は18万人を数えます。ベルサイユ宮殿の鏡の間、ルーヴル美術館のピラミッド、アメリカ・ニューヨークの自由の女神等、サンゴバンの鏡等が使われています。サンゴバンでは現在、鏡だけでなく、各種建築材料も製造、断熱材事業やガラス溶解炉用耐火材等、さまざまな事業で世界1位の製品シェアを誇ります。日本では東京ドームの建築膜材料、京セラドーム大阪の吸音の材料等でサンゴバンの製品が使用されているそうです。

 

スティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)・・・ジョブズは鏡と共に人生を切り開き、如何に有意義に日々を過ごすか鏡を通し自分に問いかけています。ジョブズと鏡は切っても切れない関係とも言えると思います。

ジョブズはアップル社創設者の1人でありピクサー・アニメーション・スタジオの創設者です。元アップル(Apple)社CEO、1955年2月24日生まれ、2011年10月5日にすい臓がんで亡くなりました。
1976年、アップルコンピュータ設立、1981年に解任され1985年退社、同年NeXT設立、1986年ピクサー(Pixar)CEO就任、有名なiPod、iTunes、Mac OS X、iPhone、MacBook Air、iPadなどの製品を、強いリーダーシップでヒットさせました。

 

有名な2005年6月12日のスタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチは世界でも大きな感動、反響を呼びました。

「スタンフォード大学(Stanford University)は、米国・カリフォルニア州スタンフォードに本部を置く私立大学で、正式名称はリーランド・スタンフォード・ジュニア大学(Leland Stanford Junior University)です。校訓は「Die Luft der Freiheit weht(ドイツ語:自由の風が吹く)」です。サンフランシスコから約60km南東に位置、地理上も歴史的にもシリコンバレーの中心に位置しています。」

ジョブズは学生を前にして講演を行いましたが、その中で私は世界でも大きな成功を収め、富等を得ることができましたが正直、今まで大したことはことはしていません・・・唯一つだけ皆さんと違うことがあります。17才から欠かさず実施していることを明かしています、それは鏡との対話です。ジョブズが日々を大切にしてきた生き様を表していると思います。

When I was 17, I read a quote that went something like: “If you live each day as if it was your last, someday you’ll most certainly be right.” It made an impression on me, and since then, for the past 33 years, I have looked in the mirror every morning and asked myself: “If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?” And whenever the answer has been “No” for too many days in a row, I know I need to change something.

和訳:私は17才の時、毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、その通りになるという言葉に出合ったのです。それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」と。「違う」という答えが何日も続くようなら、ちょっと生き方を見直せということです。

ジョブスは毎朝、鏡の前に立ち自身に、もし今日死ぬとしたら、今日やろうとしていることは本当に自分がやりたいことだろうかと日々問いかけていたようです。かけがえのない日々を大切にベストを尽くして生きてきています。これは何もすい臓がんが見つかったからではありません。私達は何気なく日々を過ごすことが多いようですが、かけがえのない人生、日々の大切さを2005・スタンフォード大学のスピーチから汲み取ることが出来ると思います。

禅と日本文化を愛したジョブス、若い頃から禅に傾倒した仏教徒であり、しばしばスピーチなどで禅の教えを引用しています。「ハングリーであれ。愚か者であれ。」と言う言葉がジョブスの本には出てきますがこれはジョブスの言葉ではなく、ジョブスが好きな言葉です。この言葉は、全地球カタログ(The Whole Earth Catalog)の著者、スチュワート・ブランドが田舎道の写真の隅に書いてた言葉です。自分の人生等を省み、この言葉をジョブズは大変気に入ったようです。

 

「2005年6月15日、スタンフォード大の卒業式スピーチ」

世界でもっとも優秀な大学の卒業式に同席できて光栄です。私は大学を卒業したことがありません。実のところ、今日が人生で最も大学卒業に近づいた日です。本日は自分が生きてきた経験から、3つの話をさせて下さい。たいしたことではありません、たった3つです。

先ずは、点と点を繋げるということです。

私はリード大学を半年で退学したのですが、本当に学校を去るまでの1年半は大学に居座り続けたのです。何故、学校をやめたのでしょうか。

私が生まれる前、生みの母は未婚の大学院生でした。母は決心し、私を養子に出すことにしました。母は私を産んだら是非とも誰かきちんと大学院を出た人に引き取ってほしいと考え、ある弁護士夫婦との養子縁組が決まったのです。ところが、この夫婦は間際になって女の子をほしいと言いだしました。

こうして育ての親となった私の両親のところに深夜、電話がかかってきたのです。「思いがけず、養子にできる男の子が生まれたのですが、引き取る気はありますか」と。両親は「もちろん」と答えた。生みの母は、後々、養子縁組の書類にサインするのを拒否したそうです。私の母は大卒ではないし、父に至っては高校も出ていないからです。実の母は、両親が僕を必ず大学に行かせると約束したため、数カ月後にようやくサインに応じたのです。

そして17年後、私は大学に通学することになりました。ところが、スタンフォード並みに学費が高い大学に入ってしまったばっかりに、労働者階級の両親は蓄えのすべてを学費に注ぎ込むことになってしまいました。そして半年後、僕はそこまで犠牲を払って大学に通う価値が見いだせなくなってしまったのです。

当時は人生で何をしたらいいのか分からなかったし、大学に通ってもやりたいことが見つかるとはとても思えませんでした。私は、両親が一生かけて蓄えたお金をひたすら浪費しているだけでした。私は退学を決めました。何とかなると思ったのです。多少は迷いましたが、今振り返ると、自分が人生で下したもっとも正しい判断だったと思います。退学を決めたことで、興味もない授業を受ける必要がなくなりました。そして、おもしろそうな授業に潜り込んだのです。

とはいえ、いい話ばかりではなかったです。私は寮の部屋もなく、友達の部屋の床の上で寝起きしました。食べ物を買うために、コカ・コーラの瓶を店に返し、5セントをかき集めたりもしました。温かい食べ物にありつこうと、毎週日曜日は7マイル先にあるクリシュナ寺院に徒歩で通ったものです。

それでも本当に楽しい日々でした。自分の興味の赴くままに潜り込んだ講義で得た知識は、のちにかけがえがないものになりました。

たとえば、リード大では当時、全米でおそらくもっとも優れたカリグラフの講義を受けることができたました。キャンパス中に貼られているポスターや棚のラベルは手書きの美しいカリグラフで彩られていたのです。

退学を決めて必須の授業を受ける必要がなくなったので、カリグラフの講義で学ぼうと思えたのです。ひげ飾り文字を学び、文字を組み合わせた場合のスペースのあけ方も勉強しました。何がカリグラフを美しく見せる秘訣なのか会得しました。科学ではとらえきれない伝統的で芸術的な文字の世界のとりこになったのです。

もちろん当時は、これがいずれ何かの役に立つとは考えもしなかった。ところが10年後、最初のマッキントッシュを設計していたとき、カリグラフの知識が急によみがえってきたのです。そして、その知識をすべて、マックに注ぎ込みました。美しいフォントを持つ最初のコンピューターの誕生です。

もし大学であの講義がなかったら、マックには多様なフォントや字間調整機能も入っていなかったでしょう。ウィンドウズはマックをコピーしただけなので、パソコンにこうした機能が盛り込まれることもなかったでしょう。

もし私が退学を決心していなかったら、あのカリグラフの講義に潜り込むことはなかったし、パソコンが現在のようなすばらしいフォントを備えることもなかったでしょう。もちろん、当時は先々のために点と点をつなげる意識などありませんでした。しかし、いまふり返ると、将来役立つことを大学でしっかり学んでいたわけです。

繰り返しですが、将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなどできません。できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。だから、我々はいまやっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかない。運命、カルマ…、何にせよ我々は何かを信じないとやっていけないのです。私はこのやり方で後悔したことはありません。むしろ、今になって大きな差をもたらしてくれたと思います。

私は若い頃に大好きなことに出合えて幸運でした。共同創業者のウォズニアックとともに私の両親の家のガレージでアップルを創業したのは20才の時でした。それから一生懸命に働き、10年後には売上高20億ドル、社員数4000人を超える会社に成長しました。

そして我々の最良の商品、マッキントッシュを発売したちょうど1年後、30才になったときに、私は会社から解雇されたのです。自分で立ち上げた会社から、クビを言い渡されるなんて・・・どうしたら、自分ではじめた会社から、解雇されることがあるでしょうか?(笑)まあ、それはいいとして・・

実は会社が成長するのにあわせ、一緒に経営できる有能な人材を外部から招いたのです。最初の1年はうまくいっていたのですが、やがてお互いの将来展望に食い違いがでてきたのです。

そして最後には決定的な亀裂が生まれてしまった。そのとき、取締役会は彼に味方したのです。それで30才のとき、私は追い出されました。それは周知の事実となりました。私の人生をかけて築いたものが、突然、手中から消えてしまったのです。これは本当に苦しい出来事でした。

1カ月位はぼうぜんとしていました。私にバトンを託した先輩の起業家たちを失望させてしまったと落ち込みました。デビッド・パッカードやボブ・ノイスに会い、台無しにしてしまったことをわびました。公然たる大失敗だったので、このまま逃げ出してしまおうかとさえ思いました。しかし、ゆっくりと何か希望がわいてきたのです。自分が打ち込んできたことが、やはり大好きだったのです。アップルでのつらい出来事があっても、この一点だけは変わらなかった。会社を追われはしましたが、もう一度挑戦しようと思えるようになったのです。

そのときは気づきませんでしたが、アップルから追い出されたことは、人生でもっとも幸運な出来事だったのです。将来に対する確証は持てなくなりましたが、会社を発展させるという重圧は、もう一度挑戦者になるという身軽さにとってかわりました。アップルを離れたことで、私は人生でもっとも創造的な時期を迎えることができたのです。

その後の5年間に、NeXTという会社を起業し、ピクサーも立ち上げました。そして妻になるすばらしい女性と巡り合えたのです。ピクサーは世界初のコンピューターを使ったアニメーション映画「トイ・ストーリー」を製作することになり、今では世界でもっとも成功したアニメ製作会社になりました。そして、思いがけないことに、アップルがNeXTを買収し、私はアップルに舞い戻ることになりました。いまや、NeXTで開発した技術はアップルで進むルネサンスの中核となっています。そして、ロレーンとともに最高の家族も築けたのです。

アップルを追われなかったら、今の私は無かったでしょう。非常に苦い薬でしたが、私にはそういうつらい経験が必要だったのでしょう。最悪のできごとに見舞われても、信念を失わないこと。自分の仕事を愛してやまなかったからこそ、前進し続けられたのです。

皆さんも大好きなことを見つけてください。仕事でも恋愛でも同じです。仕事は人生の一大事です。やりがいを感じることができるただ一つの方法は、すばらしい仕事だと心底思えることをやることです。そして偉大なことをやり抜くただ一つの道は、仕事を愛することでしょう。

好きなことがまだ見つからないなら、探し続けてください。決して立ち止まってはいけない。本当にやりたいことが見つかった時には不思議と自分でもすぐに分かるはずです。すばらしい恋愛と同じように時間がたつごとによくなっていくものです。だから探し続けてください。絶対に立ち尽くしてはいけません。

 

私は17才の時、毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、その通りになるという言葉に出合ったのです。それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」と。「違う」という答えが何日も続くようなら、ちょっと生き方を見直せということです。

自分はまもなく死ぬと言う認識が重大な決断を下すときに一番役立つのです。何故なら、永遠の希望やプライド、失敗する不安…これらはほとんどすべて死の前には何の意味もなさなくなるからです。本当に大切なことしか残らない。自分は死ぬのだと思い出すことが敗北する不安にとらわれない最良の方法です。我々はみんな最初から裸です、自分の心に従わない理由はないのです。

1年前、私はすい臓がんと診断されました。朝7時半に診断装置にかけられ、膵臓(すいぞう)に明白な腫瘍が見つかったのです。私は膵臓が何なのかさえ知らなかった。医者はほとんど治癒の見込みがないがんで、もっても半年だろうと告げたのです。

医者からは自宅に戻り身辺整理をするように言われました。つまり、死に備えろという意味です。これは子どもたちに今後10年かけて伝えようとしていたことを、たった数カ月で語らなければならないということです。家族が安心して暮らせるように、すべてのことをきちんと片付けなければならない。別れを告げなさい、と言われたのです。

一日中診断結果のことを考えました。その日の午後に生検を受けました。のどから入れられた内視鏡が、胃を通って腸に達しました。膵臓に針を刺し、腫瘍細胞を採取しました。鎮痛剤を飲んでいたので分からなかったのですが、細胞を顕微鏡で調べた医師たちが騒ぎ出したと妻がいうのです。手術で治療可能なきわめてまれな膵臓がんだと分かったからでした。

人生で死にもっとも近づいたひとときでした。今後の何十年かはこうしたことが起こらないことを願っています。このような経験をしたからこそ、死というものがあなた方にとっても便利で大切な概念だと自信をもっていえます。

誰も死にたくない、天国に行きたいと思っている人間でさえ、死んでそこにたどり着きたいとは思わないでしょう。死は我々全員の行き先です。死から逃れた人間は一人もいません。それは、あるべき姿なのです。死はたぶん、生命の最高の発明です。それは生物を進化させる担い手で、古いものを取り去り、新しいものを生み出します。今、あなた方は新しい存在ですが、いずれは年老いて消えゆくのです。深刻な話で申し訳ないですが真実です。

あなた方の時間は限られています。だから、本意でない人生を生きて時間を無駄にしないでください。ドグマにとらわれてはいけない。それは他人の考えに従って生きることと同じです。他人の考えに溺れるあまり、あなた方の内なる声がかき消されないように。そして何より大事なのは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。あなた方の心や直感は、自分が本当は何をしたいのかもう知っているはず。ほかのことは二の次で構わないのです。

私が若いころ、全地球カタログ(The Whole Earth Catalog)というすばらしい本に巡り合いました。私の世代の聖書のような本でした。スチュワート・ブランドというメンロパークに住む男性の作品で、詩的なタッチで躍動感がありました。パソコンやデスクトップ出版が普及する前の1960年代の作品で、すべてタイプライターとハサミ、ポラロイドカメラで作られていた。言ってみれば、グーグルのペーパーバック版です。グーグルの登場より35年も前に書かれたのです。理想主義的で、すばらしい考えで満ちあふれていました。

スチュワートと彼の仲間は全地球カタログを何度か発行し、一通りやり尽くしたあとに最終版を出しました。70年代半ばで、私はちょうどあなた方と同じ年頃でした。背表紙には早朝の田舎道の写真が。あなたが冒険好きなら、ヒッチハイクをする時に目にするような風景です。その写真の下には「ハングリーなままであれ。愚かなままであれ」と書いてありました。筆者の別れの挨拶でした。ハングリーであれ。愚か者であれ。私自身、いつもそうありたいと思っています。そして今、卒業して新たな人生を踏み出すあなた方にもそうあってほしい。

ハングリーであれ。愚か者であれ。

ありがとうございました。

 

ジョブズは私達に、この世に生を受けた以上、日々自分なりに精一杯の悔いのない生き方をしてほしいと願っていると思います。

 

 


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幕を閉じたオウム事件(一部フィクション)

2018-07-12 13:53:54 | 日本社会

以下文は主に、新潮社(2000年7月)「オウム帝国の正体」・一橋文哉、ウィキペディア、EDITION・JP・春名幹男ネット等を参考にしています。文の内容についてはこのような見方等々をされる方がいる・・・信憑性の確認が難しく可笑しな内容が多々あると思います。一部フィクション雑文とします。

2018年7月9日、松本死刑囚(63)・東京拘置所、他オウム死刑囚7名の刑が執行されました。

オウムと言うと地下鉄サリン事件、世界ではTokyo Attackと報道され、世界を震撼させたテロ事件、世界で始めてのサリン・テロと報道されています。これだけ極悪非道なテロ事件を起こしても破防法の適用を受けないオウム・・・オウム真理教に対して解散を視野にした団体活動規制処罰の適用が検討され、公安調査庁が処分請求を行いましたが公安審査委員会(委員長:弁護士・堀田勝二)は今後の危険性という基準を満たさないと判断、破防法の要件を満たさないとして適用は見送られています。オウムに対し公安調査庁として徹底的な調査をされてきた菅沼光弘・元公安調査庁調査第2部長はこれらの対応に対し不服とし公安調査庁を退職されたとも言われています。

破防法が適用されないオウム真理教、何故適用しないのか、多くの国民は極めて大きな疑問を呈していると思います。適用できない力が働いているのでしょうか・・・

 

新潮社出版のオウム帝国の正体の本は1995年、1996年に新潮45に連載されたものを一橋文哉氏が加筆修正し単行本化したものです。内容は一般のマスコミ報道とはかけ離れており信憑性があるか多くの疑問も残りますが、一蹴するには短絡しすぎると思います。

著者・一橋文哉・・・ペンネームは毎日新聞記者、サンデー毎日副編集長であった事から一ツ橋のブン屋を捻ってつけたものと言われています。新潮社発行の新潮45で執筆、昭和~平成の大事件に関する著書が多数あります。毎回、犯人に会うなどして新事実を発見し世紀の大スクープを連発してきましたが新聞、テレビが後追い報道したことは無いようです。

一橋文哉氏の代表著書

闇に消えた怪人―グリコ・森永事件の真相(新潮社、1996)

三億円事件(新潮社、1999)

オウム帝国の正体(新潮社、2000)

宮崎勤事件―塗り潰されたシナリオ(新潮社、2001)

赤報隊の正体―朝日新聞阪神支局襲撃事件(新潮社、2002)

ドナービジネス(新潮社、2002)

未解決—封印された五つの捜査報告(新潮社、2011)

となりの闇社会(PHP新書、2012)

国家の闇(角川書店、2012)

マネーの闇(角川書店、2013)

モンスター 尼崎連続殺人事件の真実(講談社、2014)

世田谷一家殺人事件 15年目の新事実(角川書店、2015)

 

著者はオウムとロシア、北朝鮮、暴力団、統一教会、政治家との関わり、繋がりを明快に記しています。著書の中でオウム・統一教会と他大宗教団体について言及されている部分が何度か出てきますが何故か著者、新潮社は他大宗教団体の名前を出していません。1994年6月に松本サリン事件、1995年3月に地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教は統一教会の影響があるとのみ記されています。
捜査当局がオウム教団から押収した資料の中に、オウム真理教内統一教会信者名簿があったようです。統一教会合同結婚式に参加したオウム信者たちの名簿で、統一教会信者と同姓同名という23人の名前、オウム教団には創価学会や阿含宗などほかの宗教団体から加わった信者が多く、新左翼などの脱会組もいると記されています。

オウム最高幹部・早川紀代秀グループがロシア等から買い集めてきた大量の武器の行方が全く分からないままで何故、徹底的な捜査をしないのか・・・彼らの大半は脱会後、別の宗教団体の幹部に収まったり、暴力団幹部、企業舎弟、別の宗教団体関係者と一緒に事業を始めたり、北朝鮮に食い込んで、大々的にビジネスを展開するなど不思議なことが多いようです。

オウム教団科学技術省大臣の村井秀夫、サリンの大量製造などを進めていたとも言われていますが、本当にオウムがサリンを製造していたか疑問があると言う方も多いようです。村井秀夫は1995年東京都港区南青山の教団東京総本部前で大勢のマスコミ関係者の目前で刺殺されました。

村井秀夫を刺殺した徐裕行は、在日の北朝鮮出身者が作る主体思想研究会の一員で高校を中退後に一時、行方が分からない時期があり、その後、韓国・北朝鮮籍の若者と親しく接しています。公安関係者は犯行前夜、犯人の男が都内の飲み屋で酒を飲んでいたとの情報を漏らしています。この飲み屋の経営者は北朝鮮系女性で、拉致事件にも関わっていた辛光洙(シン・グァンス)元死刑囚(現在北朝鮮在住)のハウスキーパー(男性の工作員と一緒に生活する女性)をしていた女性の妹だったと言われていますが、北朝鮮との関係はこれ以上突き止められなかったと公安関係者は発言しています。

 

オウムの核心中の核心を知っていたとも言われる村井秀夫、オウムは謎が多く、その謎が解明できないままに刑が確定、刑が執行されました。刑の執行は法治国家として当然と言えば当然だと思いますが・・・

過去、麻原教祖が一時住民票を移した杉並のマンションの所有者は、国際勝共連合(統一教会)に近い国会議員でした。

当時の韓国安企部の調査報告書・・・国松・警視庁長官狙撃事件はオウム真理教が林泰男の北朝鮮コネクションを利用した可能性あり。

北朝鮮人民軍偵察局員・金中尉が米国ニューヨークから極秘入国、林に加担したとの疑いがあり徹底的に追跡調査の必要あり。

報告書によると、金中尉は国松・警視庁長官狙撃事件当時、表の肩書きは北朝鮮国連代表部職員・警備担当でニューヨーク居住、金中尉は1995年3月23日、ニューヨーク郊外・JFK空港からUA(ユナイテッド)航空機で成田到着、4月4日帰国、国松・警視庁長官狙撃事件が3月30日、金中尉の滞在期間と一致しています。

2010年3月30日、時効成立、事件が迷宮入りした翌日から30日間にわたって、警視庁がホームページにそれまでの捜査内容をまとめた文書と現場遺留品の写真を掲載しました。その遺留品にはハングルで朝鮮人民軍と書かれたバッジや韓国の10ウォン硬貨などがあったようです。現場で見つかった弾丸は先端をくぼませ殺傷力を高めたホローポイント型マグナム弾で、この弾を発射可能な米コルト社製パイソンなど銃身の長い銃は、国内の暴力団ルートなどでは容易に入手できないものだったと言われています。警視庁捜査員の間ではオウム以外の組織的背景を持つ団体の犯行と見せかけ、捜査をかく乱させるための工作との見方が強かったと言われていますが一蹴していいものか。

 

当時のオウムの資金、村井秀夫は記者会見で1000億円の資金を持っていると発言しています。大きな資金が必要な1990年の衆院選、この選挙でオウムは麻原以下25名が真理党を名乗って立候補、全員落選

1000億円は当時、オウムが経営していたパソコンショップで稼げる金額では到底ないと思います。若い信者の全財産を集めても不可能です。やはり他の方法で調達していたと思われています。

1993年、関東地方で供給源の解らない覚醒剤が大量に流れており、暴力団が出所を調べたところオウムと分かったそうです。通常の密輸ルート品の3分の1格安価格だったそうです。オウムは第7サティアンで覚醒剤を密造(一説ではサリン製造は有り得ない、こんな貧弱な設備では不可とも言われています。どうしてもサリン製造としないと困る人達がいると言われています。)すると同時に台湾で技術指導を受けているようです。村井秀夫が刺殺前、教団の資産は1000億円と口走った背景の中には、覚せい剤収入があったのでないかと言われています。


1995年3月22日、オウム教団の強制捜査で発見された無印の金塊10キロ、1993年の脱税事件で金丸信氏の事務所から発見されたものとほぼ同一規格、品質、同じ高炉で精錬されたものと金塊分析で分かっています。北朝鮮は金塊を国家資産として保有、功績等のあった人への贈呈品として使っていたと言われています。オウムと北朝鮮は何らかの繋がりがあると考えるのが自然だと思います。

オウムが稼ぎ出した巨額資金は、大部分が二信組疑惑(にしんそぎわく:1990年代に発覚した不正融資事件、1994年に経営破綻に陥った東京協和信用組合、安全信用組合の2信用組合の元理事長らが1995年、背任容疑で逮捕された事件、捜査の過程で政治家の親族の会社に不正な金が流れたことが判明、事件は政界に波及、1995年、国会で山口敏夫元労相と中西啓介元防衛庁長官が証人喚問、その後、山口敏夫元労相は背任罪や偽証罪などで逮捕、起訴、懲役3年6ヶ月の実刑判決が確定、この処理のために受け皿銀行東京共同銀行「現在の整理回収機構」が作られました。)に群がる連中に流れた可能性が高いようです。(捜査幹部談)

他にも本書で北朝鮮との関係を語られている政治家、野中、武村、大御所・竹下氏、北朝鮮の金正男は日本で有力政治家・武村正義、中山正暉氏と会うことになっていました。(行政調査新聞2001年6月17日)

 

国外ではウクライナのキエフ市にはオウム真理教が設立した貿易会社、マハーポーシャ・ウクライナがありました。そこはオウム服の信者ではなく旧共産党幹部からロシアンマフィア、他の宗教団体に属する日本人信者、朝鮮語を話す人々等、多くの人達出入りするユニークなオフィスのようだったようです。会社の経営や専門的な業務は、日本人商社マンらしき男達が仕切っていたと言われています。

CIAは当時、オウム最高幹部早川が北朝鮮を訪れた同時期、ロシアの化学者、化学兵器技術者が北朝鮮に集結していることを掴んでいました。ロシア人、北朝鮮人で作る化学兵器製造チームが北朝鮮でサリンガスを製造するプラントを建設、その技術を早川が日本に持ち帰ったのではないかと見ていたようです。オウムはサリン等の大量殺人化学兵器開発、武器製造、テロを意図していたと思いますが支援者等がいたと考えるのが自然です。

米議会上院政府活動委員会(当時)調査小委員会はCIA(米中央情報局))など情報機関の専門家らの応援も得て、2000ページを超える計3冊の報告書をまとめています。米民間シンクタンクの中にも興味深い報告書を作成した機関があるようです。米国は日本よりも遥かに多くの情報を掴んでいる可能性は否定できないようにも思います。

これら米国の調査でもいまだに盲点になっているのは、オウム真理教と北朝鮮との関係だと言われていました。

 

CIA関係者談・・・地下鉄サリン事件で、口から血を流している被害者がいましたがサリンでは通常、血を流すことはありません。他の毒ガスが含まれていたと見ています。オウムは多くの毒ガスを短期間に開発することは難しいでしょう。ロシアがオウムにサリンなどの毒ガスを与えたのではないかと思っています。

地下鉄サリン事件で使われたサリンを、何が何でも第7サティアンで作られたことにしておきたい人達・・・ロシア人は金にさえなれば相手が誰でも何でも売ります。問題は、それらがどこかに隠匿されているのではないかと言うこと、何の目的のために?

地下鉄サリン事件の現場から検出されたサリンの副生成物のなかに一つだけ、松本サリン事件のものとは異質なものが含まれていました。これは地下鉄サリン事件では2種類以上のサリンが使われたことを意味しています。

1995年の地下鉄サリン事件で撒かれたサリンは純度が低く、ビニール袋の変質具合からも製造後、かなりの日数がたっていたと判明、第7サティアンで製造したとすると時期的に大きな矛盾が生じます。ロシアからの密輸品だった可能性が高いが外交問題になりかねず捜査を断念したでしょう。

ロシア議会下院議員のサビツキー氏のオウム取材に対しての応答

地下鉄サリン事件前後、日本から一人のロシア人信者が密かに帰国、その人物はロシア軍の化学兵器専門の将校、モスクワ市内の自宅に帰り毒物の専門書を探していたとの証言も得ています。この取材の一週間後、サビツキー氏は交通事故死、上九一色村のサティアンで大物政治家の子息の身柄の拘束等々、謎が多いオウム

オウムとロシアの密接な関係は1992年2月のロボフ・麻原会談から始まりました。軍事転用可能な大型ヘリコプターの購入、サリンの空中散布を計画したり、AK47(ロシア製自動小銃)を国内に持ち込んだり、重火器や戦車、潜水艦などの購入計画があったことも捜査の結果早川ノートで明らかになっています。

CIA報告書では、国内で行われたオウムの軍事訓練で少なくとも50丁のAK47(ロシア製自動小銃)を見たとの証言を採用しています。北朝鮮軍の制式銃弾がそのまま使えるAK47は何処にあるのか?

オウムの後継団体分裂後も、一説では死刑にされた朝原教組を絶対視、危険な教義を保持、活動を続けているとも言われています。オウム教団はアレフ(主流派)、ひかりの輪(上祐派)、山田等の集団に分裂していますが全国15都道府県に35ヶ所の拠点を持ち信者数は分かっているだけでも1600人(ロシアに450人)以上、資産も10億円以上あると言われています。教団の近くではヨガに興味を示す人達の勧誘活動を実施していると言われています。

 

今回の死刑執行でオウム事件は幕を閉じましたが、私達には細部を知る術はありません。

やはり、言えることは日本だけでなく、世界でもTokyo Attackと言われ人々を震撼させた極悪非道な地下鉄サリンテロを行ったオウムに対し、どうしても破防法を適用しなかったことに大きな疑問が残ります。

オウム事件は何だったのか・・・死刑は真相口封じのためであったのか、残りのオウム死刑囚も近いうちに執行されると思います。世界でもまれに見る極悪非道な地下鉄サリン・テロ、破防法を適用しない不思議さ、乗客や駅員ら13人が死亡、負傷者数は約6300人、大きな犠牲者と疑問のみが私達に残ったようにも思います。

 


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異常気象の主因は太陽異常・・・

2018-07-06 21:08:58 | 日本の異常気象等

以下文は、「2014年は、太陽の黒点が減り寒冷化が進む? 」日経トレンディネット、ネイチャー・欧州原子核研究機構( CERN )の CLOUD(雲) 実験、湯元清文・九州大宙空環境研究センター長(宇宙地球電磁気学)の研究資料、 毎日新聞(2011・9月26日)、NASA・SDO(2018)等々を参考にしています。

 

2018年、米航空宇宙局(NASA)の太陽観測研究チームは、1月半ばから、太陽の黒点がほとんどない状態が2週間近く続いていると発表しています。昨年夏には、最強クラスの太陽フレア現象が発生したことは記憶に新しいが、太陽の活動サイクルは停滞期に移行しつつあると言われています。

太陽の活動を継続観測しているNASAのソーラーダイナミクス天文台(SDO)は今月1日、過去2週間にわたって、黒点が消失しているため、太陽が自転しているか把握するのが困難だと発表しています。

黒点数2018

06月29日 000 無黒点

06月30日 000 無黒点
07月 1日 000 無黒点
07月 2日 000 無黒点
07月 3日 000 無黒点
07月 4日 000 無黒点
07月 5日 000 無黒点

 

我達は学校で雲は水が蒸発、上昇、雲が発生し雨等になると学んできましたが、この説はどうも可笑しいと言うことが研究の結果、立証等され一部教科書等の書き換えが必要との声が諸外国等では大きくなっているようです。
昨今も豪雨等々により甚大な人、物的被害を出しています。メディア等は旧来の天気解説のみ、我々一般国民は真実を知る必要がないとでも思ってるでしょうか・・・

ネイチャー等々の資料によれば、雲(発生の要因となるエアロゾル)は大気中の蒸気からできているのではなく、ほとんどが宇宙線により作られていると言う事実に衝撃的を受けます。雲の素は蒸気で無いということ!(この説には大きな圧力を受けてるそうです。)
ネイチャー等々で発表された記事に、 欧州原子核研究機構( CERN )の CLOUD(雲) 実験の結果に関しての報告が記載されています。

CLOUD(雲)の実験では、宇宙線が大気のエアロゾルの形成に与える影響について、コントロールされた実験室で研究しています。エアロゾルとは、気体の中に液体や固体の微粒子が多数浮かんだ物質のことをさします。このエアロゾルが雲の雫となる大きな要因となると考えられています。エアロゾルの構造と形成プロセスを理解することが、「気候」というものを理解することにとって重要だというのが最近の認識となっているようです。

欧州原子核研究機構( CERN )の実験結果により、これまで、下層大気の中でのエアゾール構造の要因となっていると考えられてきた微量の蒸気は、大気中のエアロゾル生成のごくわずかな部分しか説明できないことが解かったそうです。宇宙線からのイオン化がエアゾールの構造を大きく強化させる結果も示されたそうです。

今回のようなエアロゾルの生成に関しての正確な計測は、雲の構造を理解するために極めて重要なものであり、気候モデルにおいて雲の影響を考える見識とも関係するそうです。

実験のスポークスマン、ジャスパー・カークビー氏は、宇宙線が対流圏と上層大気において、エアロゾル粒子の形成を強化していることがわかりました。結局はこれらのエアロゾルが雲となるわけです。以前は、エアロゾルの構造の多くは蒸気だろうと考えられていたのですが、それは構造の中のごく一部にすぎないと分かったそうです。

太陽黒点が沢山現れると太陽は活発に活動し、太陽風磁場等が地球を包み、太陽系外等からの宇宙線等を遮る。(宇宙線が少なく雲の発生が少ない・・・異常気象等々が少ない。)

黒点が少なくなる、太陽風磁場等が地球を包み込みきれないため、直接太陽系外等の宇宙線が直接地球に降り注ぐことになる。(宇宙線が多く雲の発生が多い・・・異常気象等々が多くなる。)

太陽黒点は磁場が弱くなると消えてしまう性質を持っているようです。
11年周期の太陽活動(普通はN極とS極の「1極構造」が11年周期で反転)、ここ数年は太陽黒点がほとんど消え、太陽のN極S極の反転も無く、1極構造が4極構造(ちょうど地球の極が、地球上に4箇所出来た状態)に成っているようです。ネット上の理研、国立天文台、NASA等資料で誰でも簡単にNET

等で見ることができます。

太陽活動の低下で太陽風磁場が弱くなる・・・すると、それまで太陽風磁場等により遮られて地球に入って来れなかった太陽系等外からの宇宙線が直接地球に届いて「より沢山の雲が発生する」ようになる。雲は太陽光線を宇宙に反射するから、その分地球は寒冷化することになるようです。

国立天文台と理化学研究所の研究者を中心とした研究チームによると、13年秋から太陽の黒点が増える時期に突入していますが、過去100年間にはなかったほど、黒点が少ないと発表しています。NASAの科学者も未来の予測は極めて難しいと述べています。

太陽黒点が少ない時期ほど地震の頻度が高く、巨大地震発生の可能性が高いと言われています。

これらの事実は湯元清文・九州大宙空環境研究センター長(宇宙地球電磁気学)のチームの研究分析で分かりました。

やはり、東日本大震災等も黒点数が少ない時期に起きています。太陽の黒点数は約11年周期で増減を繰り返し、地球大気の状態を変化させているとも言われています。

チームは太陽黒点が地球内部にも何か影響を与えていると考え、1963~2000年の太陽の黒点数と、同時期に発生したマグニチュード(M)4以上の計32万7625回の地震との関係を調べました。その結果、M4.0~4.9の地震の65%が、太陽黒点数が最小期(約2年間)の時期に起きていました。

M5.0~5.9、M6.0~6.9、M7.0~7.9でもほぼ同じ割合だったが、M8.0~9.9では、28回発生した地震の79%が最小期に集中していました。黒点数が少ない時期には、太陽から吹き出す電気を帯びた粒子の流れ「太陽風」が強まる現象が毎月平均3~4回ありますが、その現象時に、M6以上の地震の70%が発生していました。

 

異常気象、地震誘発等々の原因は太陽異常「太陽活動が低下し、もろに地球に多量の宇宙線が降り注ぐ結果、多量の雲が発生、大気等々と複雑に絡み合い・・・一部の宇宙線は地表を突き抜け・・・地震誘発、異状気象等々が発生」、今後太陽異常が収まらない限り、更に日本全国どこでも地震誘発、異常気象による台風、豪雨、異常な高低温等々大災害が更に激増するでしょう。更に過去、メキシコ湾海底流出事故でメキシコ暖流は停止したと言われてますが、地球にとっては太陽異常ばかりでなくメキシコ暖流の異常によって気候変動等は一段と予測不能に見えます。

 

一説では、日本のスーパーコンピューター、海洋研究開発機構の「暁光(ぎょうこう)」、理化学研究所の「京(けい)」で未来の気象が研究されているようです。勿論、非公開で太陽異常と地球・日本の気象等、未来の気象シュミレーションが行われ、これらの研究に携わっている極一部の人達は未来の世界・日本の気象等を知っている可能性がありますが、私達への公開は無いでしょう。世界でも太陽異常・未来の気象等の研究が行われていますが全て非公開のようです。

 
メディア等は太陽異常の真実を報道すると不都合があるでしょうか、多くの国民が太陽異常を知ったら、危機管理、防災等に対する認識、心構え等は大きく変わると思います。日本中、何処にいても太陽異常のため、想定外の諸災害等々のリスクが今後、更に高まっていることを私達が認識することで、災害への心構えは大きく変わると思います。

被害を極限するためにも、太陽異常を異常気象の主因に入れるべきだと思います。地震誘発、異常な高低温、豪雨、異常気象等々は太陽異常を考えた場合、今後収束する可能性は少ないように思います。


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拉致、黒崎愛海さん行方不明等に思う。

2018-07-04 16:35:24 | 拉致

以下文は西村眞悟氏のホームページ、三宅博氏談記事、産経・west(2016.10.26)等を参考にしていますが、資料が一部古いものがあります。文は一個人・議員等の思いを参考、文の一部コピー等していますが、可笑しな文等ありましたらスルーしてください。自身の日々の思い日記とします。

 

山口采希(やまぐち あやき、25才)さんが歌う、「空と海の向こう」・・・大阪府東大阪市在住のシンガー・ソングライターの山口采希さん、拉致問題の解決を心から願い、平成26年に自ら製作された曲です。この曲には拉致被害者家族の願いが代弁されています。残念ながら多くの方はこの曲の存在さえ知らない方も多いと思いますし、公共放送からこの曲が流れることは無いように思います。現在は新しい曲「願いの色、灯りをともせば」を制作されています。細部は山口采希さんのHPを見て下さい。

 

「空と海の向こう」

1 見上げた空は続く
想いも必ず届く
変わらない笑顔はきっとそこにある
必ず迎えに行くよ
会いたいよ 今 会いたいよ 今
過ぎ去った日々の分だけ抱きしめたい
会いたいよ 今 会いたいよ 今
あきらめないでね
あきらめないから…

2 波揺らぐ海もつづく
朝陽も必ず昇る
一人一人の声が 翼を持つ
待ってて 迎えにいくよ
会いたいよ 今 会いたいよ 今
つたう涙の分だけ抱きしめたい
会いたいよ 今 会いたいよ 今
あきらめないでね あきらめないから

3 叫びもつぶやきも抱く想いも
重なり 響きあい 広がる
会いたいよ 今 会いたいよ 今
過ぎ去った日々の分だけ抱きしめたい
会いたいよ 今 会いたいよ 今
あきらめないでね あきらめないから
会いたいよ 今 会いたいよ 今
必ず行くよ 迎えに行くよ

 

独立国家であるはずの日本、日本には戦後最大の事案・拉致問題を抱えています。何の罪も無い国民がさらわれると言う未開の非文明国の出来事のような拉致が行われ、今も本人、家族等は苦しんでいます。私達国民は他人事のように思いがちですが、だからと言っても私達個人には術(すべ)がありません。残された家族は高齢で時間は限りがあり、待ったなしの状態だと思います。

現政権の安倍首相はこれらの細部を熟知しているでしょうが、現実の対応となると拉致問題の本質が問題となり限界があるでしょう。その限界とは憲法上の限界かも知れません。拉致問題は可笑しな現憲法の犠牲者かも知れません。まともな憲法を有した日本であったら拉致問題は起きなかったかも知れません。

拉致された本人、家族はもう涙も枯れ、国家に対する不信感は大きく絶望の中で生きておられると思います。拉致問題を絶対に風化、未解決状態にしてはなりません。

拉致被害者の親の中には、子どもとの再会を果たせないまま、無念のうちに亡くなった人もいます。拉致被害者家族の松木薫さんの母親のスナヨさんは数年前、92才で亡くなっています。認知症を患い15年以上にわたって入院生活を送りながら、長女で薫さんの姉の斉藤文代さんとともに、息子の帰りを待ち続けてきました。

有本恵子さんの母親、嘉代子さんは家族会結成後、被害者の早期救出を求めて夫の明弘さん(88)と講演、署名活動を続けてきましたが、数年前から、持病の心臓病が悪化、今では活動に参加することがほとんど出来ません。数年前手術を受けた嘉代子さんは外出の機会も減り、食事など日常生活も恵子さんの姉や妹の助けを借りて生活されています。拉致被害家族は高齢者ばかりです。

私達に出来ることは先ずは、拉致の現実、現状を改めて再認識し、拉致被害者家族に思いを寄せることは出来ると思います。新たな「拉致問題を考える日」を設けてもらいたいものです。

昨今の気になる事件、昨年2017年12月1日の理不尽な フランス東部で日本人留学生の黒崎愛海(くろさき なるみ)さんが行方不明事件・・・チリの有力者の子供でもある容疑者はチリ国内で堂々と生きています、これらに対する日本の対応、ほとんど対応は無いに等しい!この事件に対しては国民が納得する策を講じるべきでした。強い米国家(米国は軍事力ばかりでなく、国民は主権を守ると言う強い決意、意志を有しています。)、先進国だったら絶対許さないでしょう!このような解決し易い事件でも解決していません。

更に難問の拉致問題の解決なんて厳しいでしょう。現、日本は世界でも稀な国民に対し防衛義務を有してなく国家として機能していないようにも思います。日本が国家として機能するには・・・強い国になる必要があると思いますが強い国とは何も軍事力ばかりでなく、先進国のような国民の主権を守ると言う決意、意志、覚悟が必要だと思います。世界はいい国、いい人ばかりではないと思います。日本に必要な策は明白ではっきりと見えてくると思います。

 

以下文は数年前の古い記事ですが、ネット上の三宅博氏の記事です。

三宅博(みやけ ひろし)氏は1950年生まれで政治家、日本維新の会所属の元衆議院議(1期)、元八尾市議会議員(3期)。頑張れ日本!全国行動委員会大阪支部代表

三宅博氏談

小泉政権時に帰ってこられた拉致被害者に対する聞き取り調査を政府は何故一切しないでしょうか?

拉致被害者の方々は北の招待所で誰と一緒だったのか等、政府は一切彼等から聞き取り調査をしようとしません。

数十人の拉致被害者と共同生活をしていたと言われ、この聞き取り調査をすれば認定拉致被害者は一気に増えるでしょう。特定失踪者数100人の中の数十人は北に居るという事実が明らかになります。現時点でも上記の聞き取り調査等、全く手つかずのままです。日本国内に北朝鮮拉致の実行犯がいます。名前も住所も判ってるのに一切逮捕された事がありません。

 

過去の西村眞悟氏のホームページから「西村眞悟氏の北朝鮮拉致問題についての演説」

西村眞悟氏は日本のこころ所属の日本の政治活動家で、同党参議院比例第三支部長、前衆議院議員、元弁護士。 防衛政務次官をはじめ、民社党国際局長、自由党代議士会会長、太陽の党代表、日本維新の会比例近畿ブロック支部長などを歴任

平成9年2月3日衆議院予算委員会

拉致問題を誘発させた本人は 田中角栄・・・

拉致問題は何に直面しておるんでしょうか。

拉致問題は国家の再興という課題、この国を建て直すという課題に直面しておるのであります。では、どこからこの国を建て直すのか?

それは戦後という国家の構造から建て直すんです。

戦後という国家の構造の中で、拉致問題は発生しました。

そして、如何なる結果になっているのか?

これは結論からハッキリ申し上げます。

日本国政府が拉致問題の共犯になっている、この事を振り返ってみましょう。

昭和49年の外交文書を韓国は公開しました。

昭和49年5月韓国朴大統領は日本に要望書を提出してきた。

「ここ数年間、日本を経由して韓国内に入る北朝鮮工作員は200人を超えておる。朝鮮総連を何とか取り締まって欲しい。スパイ防止法を制定して日本国内の工作活動を取り締まって欲しい。」これが韓国の切なる要求でありました。

何故なら北朝鮮の工作員は、朴大統領の青華台大統領府の近く迄攻め入ったわけでありますから、命の危険を感じて日本に日本経由の工作員の活動を規制するように韓国が要求するのは当たり前でございました。

しかしながら田中内閣は無視した。

3か月後

日本人になりすまして、日本人のパスポートを持って日本政府高官として8月15日の韓国の復光祭に出席した在日韓国人で北朝鮮工作員である文世光が日本の警察官のピストルで朴大統領を狙撃した事件が起きました。

朴大統領は死にませんでしたが、ご婦人が亡くなった事件であります。

これが拉致問題の原点であります。

この結果何が起こったかと言えば、文世光は生き残って全てを喋ったわけでありますからそして最後には、「朝鮮総連に騙された」と言って死んだわけでありますから北朝鮮が国家の意思として朴大統領を狙撃したという事が解ったのであります。

犯人が解ったのであります。

しかしながら韓国国内の反応は北朝鮮に非難を向けるのではなくて日本に非難を向けてきたわけであります。

これを見てきた北朝鮮は日本人(に成りすまして)がテロを行えば、一石二鳥である、という結論に達した。

勿論、韓国政府は「文世光に拉致を命じ、拳銃を渡し、パスポートを渡し、資金を渡した朝鮮総連大阪生野西支部政治部長・金浩竜(キム・ホリョン)を逮捕してくれ」と、東京の赤不動病院の中で文世光が狙撃訓練を行ったのであるからそこを捜索してくれ、朝鮮総連を捜索してくれ」と言ってきたのでありますが田中内閣は全く何もしなかったのであります。

さて、ここから見た教訓を以て北朝鮮は何を実施し始めるか?

日本人(に成りすまして)がテロをする、その準備を始めるわけであります。

ここから日本人に成りすます為の日本人化教育が始まり、そして昭和52年福田内閣の時の9月、久米裕さんが北朝鮮工作員に拉致される。

この現行犯を日本の警察は逮捕した。

石川県警は逮捕したのであります。

拉致を指令する暗号電波の解読にも成功したのであります。

この時点昭和52年の9月の遅くとも末には日本国政府は北朝鮮は国家の組織として日本人を拉致しつつあるという事を認識しておったのであります。

しかし、何もしなかった。

3年前と同様、何もしなかった。

何かが起こる。

45日後、11月15日、新潟で13歳の横田めぐみちゃんが拉致されていった。

未だ何もしない。

北朝鮮が組織として日本人を拉致しつつある。

日本から北朝鮮に工作員が多数雪崩れ込んでいる。

これを知りながら日本国政府は、何もしなかった。

従って私は日本国政府が拉致問題の不作為による共犯者となっている。

私自身が白だと言っておるんじゃないんです。

私もこの戦後体制の中の議員として…従って申し訳ない…何故この後に及んでも、救出できないのか?

誠に申し訳ないという思いで拉致問題に取り組んでいるわけであります。

そこで皆さんに申し上げましょう。

拉致被害者にとって、敵はどこだったのか?

もうお分かりでしょう。

拉致被害者にとって敵は・・・

この事は歴史上ドゴールについて言えることであります。

 

拉致問題が発生してから長き時間が過ぎました・・・時間は刻々と過ぎて行きます。

改めて、拉致問題の「本質」が問われそうですが、何故かメディア、知識人と称する人達は拉致問題に対しては消極的のように思います。最終的には拉致問題の解決には、私達が主権を守ると言う強い決意、意志、覚悟が必要だと思う昨今です。


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