極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

I am grateful that I can freely write my daily thoughts

世界の現実と虚構

2018-05-28 10:49:04 | 日記

以下文はマッカーサー大戦回願録(上・下)中央文庫2003・7、ウィキペディア等々を参考にしていますが、可笑しな解釈等もあると思いますので雑日記とします。

政治の世界では何事も偶然に起こるということは無い、もし何かが起こったらそれは前もって計画されていると思うべきである。「Nothing happens accidentally in the world of politics, if something happens it should be thought that it is planned in advance」・・・アシュケナージ・ユダヤ人でもある、米国第32代大統領フランクリン D ルーズベルト

 

私達はメディアの情報を鵜呑みすることが多いようですが、これらの情報は正しいであろうか・・・現実社会は支配者と被支配者により成り立っているのは間違いないでしょう。世界情報の大元でもあるロイター等は、過去自らニュースは自分達がオーソライズ(公認、権威づけ等)して世界に発信すると言われています。当然、一般国民に知らせる必要が無い情報は操作するでしょう。そのためにはスポーツ、芸能等を流し真の情報を流し続けているという説があります。

 

昨今の朝鮮半島情勢も当然非公開で米、北朝、ロシア、中国等と綿密な話し合いをしているかも知れません。米国を支配する人達はトランプ大統領をコントロール・・・現在も継続中の朝鮮戦争の休戦状態の終焉、当然朝鮮半島の平和を望まないでしょう。支配者にとって世界最高の利用価値がある対立地域の朝鮮半島・・・朝鮮半島問題を解決するには、同様の対立した地域を他地域に求めるでしょう。一番可能性があるのは中東地域で、イラン等々でしょう。

 

過去、これらの対立を好くし、利益を得ている人達の事実に感ずいていたのは、米国のマッカーサー、アイゼンハワー大統領等が有名ですが、結果的には排除されたような結末を迎えています。これらの事実は、マッカーサー回願録、アイゼンハワー大統領離任演説の一部から知ることが出来ます。私達が考えるような世界は虚構の世界かも知れません。

 

過去、これらの人達に反旗を翻したのはリビアのカダフィ氏、イラクのフセイン大統領等々、昨今のシリアのアサド大統領、プーチン大統領、トランプ大統領等々でしょう。

世界のメディアはこれらの人達を徹底的に批判してきましたし、これからも徹底的な批判が継続するでしょう。

私達はメディアの情報を鵜呑み信じてきました。しかし、トランプ大統領の登場で世界は激変していますし、世界の人達はより良き世界のため大きな変革を求めていると思います。未だにトランプ大統領はメディアの敵にされています、何故、徹底的に批判され続けているか・・・

トランプ大統領を支える軍人、賢人達は良識により行動していると思うべきです。世界の大きな問題でもある、イスラエルのエルサレム遷都・・・米国支持はトランプ大統領に対する踏み絵であることをトランプ大統領は理解しているでしょう。

何故、トランプ大統領が目の敵にされるか・・・トランプ大統領就任演説文を読めば全てが分かります。私達はこの就任演説を熟読すれば米国、世界がどのような方向を目指しているかの一部を理解することが可能だと思います。

今朝鮮半島情勢は激変しようとしています。

トランプ大統領は米、朝会談を成功させたい・・・成功させたくない米国の対立を好くする人達、米、朝問題は「トランプ大統領と対立を好くする米国の一部の勢力との戦い」、その間に立つのが韓国政府で何とか会談統一、統一後は核保有国の仲間入りを目指している構図が見え隠れするように思います。

これらを勘案した場合、日本の拉致問題も日朝問題で無いかも知れませんし、安倍首相はこのあたりの真相は熟知しているでしょう。

日々メディアはスポーツ、芸能ばかりですが極東アジアは激変しようとしていると思います。これらの問題に対し、私達一人々が自分なりの考えを持つことは自身の自己確立等のためにも極めて大切だと思う昨今です。


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海外渡航とリスク

2018-05-24 21:04:49 | 日本社会

以下文はウィキペディア、NationMaster 、外務省 領事局 海外邦人安全課資料、総務省統計局資料等を参考に記していますが、主に国外の性犯罪等を記していますが、まとまりの無い雑文です。

 

私達に身近になった海外渡航、2017年・12月の外務省 領事局 海外邦人安全課資料では同年、1711万6420人が日本を出国していることになります。日本の人口は約1億2489万9000人です。(2017年、総務省統計局資料)

多くの海外渡航者の一部はどうしても平和・安全ボケでしょうか?事故、事件、犯罪等に巻き込まれるようです。一説ではこれらの事件等の中には、日本では考えられないような事件も多々あるとも言われています。特筆すべきは、海外で日本人女性の性犯罪に巻き込まれる件数は想像を超えていると思います。日本語も通じず被害届も出さない無き寝入り帰国が多いと言われています。外務省発表の援護者数も氷山の一角だと思います。

Nation Master (国家を比較するための様々な統計資料が掲示されているデータベースサイトで国勢調査、国際連合開発計画、ユネスコ統計機関、世界保健機関、経済協力開発機構報告書、ザ・ワールド・ファクトブック等のパブリック ドメインから構成されています。)調査の世界のレイプ発生数ランキングは・・・
1・位:南アメリカ
2・位:セーシェル
3・位:オーストラリア

アジアのレイプ発生数ランキングは・・・()内は世界順位
1・位:韓国(16位)
2・位:タイ(27位)
3・位:マレーシア(37位)

韓国の強姦件数は人口10万人当たり39.2件で日本の40倍以上、世界の中で隣国、韓国でのレイプ被害が如何に多いか・・・米国政府機関は世界中で、韓国に対してのみレイプ警告を出しています。イギリス等もきめ細かい韓国の性犯罪情報をサービスしているようです。これらの事実を日本のメディアは何故か報道しません。

米国・OSAC(Overseas Security Advisory Council・海外安全対策協議会)の警告等は正確で分かり易く定評があるようです。以下文はOSAC記事の中で目についた、韓国関連の抜粋記事の一例です。

表に出ることは少ないようですが性的暴行のような深刻な犯罪についての報告があります。韓国は4つの社会的悪追放のキャンペーンを行い、性犯罪に関連する古い法律も数多く改正しました。こうした変更、施行に重点を置いてきましたが韓国警察(KNP)の犯罪統計では性犯罪、事件、犯罪、逮捕、訴訟の件数が急増しています。韓国では外国人に対する性犯罪等の報告も数多くあり注意を要します。報告によると性犯罪の大部分はアルコールを伴い、多くの場合、被害者が犯罪者を知っていた可能性を示唆しています。

Though less common, there have also been reports of more serious crimes, like sexual assault. Corresponding to combatting the four “social evils” campaign, South Korea made numerous amendments to outdated laws related to sex crimes. With these sweeping changes and a focus on enforcement, Korean National Police (KNP) crime statistics show a sharp increase in reported incidents in various categories of sex crimes, particularly higher numbers of reported crimes, apprehensions, and cases prosecuted. Reports of sexual assaults against foreigners continue to occur. Reporting has shown that the majority of reported sexual assault cases involve alcohol, and, in many instances, the victim may have known the attacker.

欧米では国を上げて自国女性が性犯罪に巻き込まれないよう、相手国の公開情報だけでなく、自国の情報機関等々が得た細かい独自情報を女性渡航者にサービスしているようです。

わが国の場合は、主に相手国の公開情報等を鵜呑みした事実を伝えていないように思います。外務省公開資料にも日本人の性犯罪被害者数も一般向けには記されていないようです。自国女性を性犯罪から保護すべきですですが、日本は性犯罪に対しては野放しと言えそうです。今後はOSACのような正確できめ細かな注意喚起サービス等が必要と思います。

 

その他、外務省 領事局 海外邦人安全課資料による北米地域の場合、所在調査が多数を占めていると言われ、行方不明が多いようです。

欧州地域の場合は窃盗被害が突出していると言われています。

アジア地域の場合、主に傷病、困窮」、窃盗を中心に援護案件が発生しているようです。

中国の在外公館は公的な手続きに係る相談が多いようです。

韓国の公館は遺失・拾得物が主な内容となっているようです。

 

2016年に日本の在外大使館等が援護(困っている人をかばい助けること。)した件数順位

1・在タイ日本国大使館 1048件

2・在フィリピン日本国大使館 890件

3・在ロサンゼルス日本国総領事館 851件

4・在上海日本国総領事館 729件

5・在ニューヨーク日本国総領事館 653件

6・在英国日本国大使館 617件

7・在ホノルル日本国総領事館 551件

8・在中華人民共和国日本国大使館 480件

9・在大韓民国日本国大使館 405件

10・在フランス日本国大使館 371件

11・在バルセロナ日本国大使館 348件

12・在香港日本国総領事館 339件

13・在サンフランシスコ日本国総領事館 322件

14・在ハガッニャ日本国総領事館 322件

15・交流協会台北事務所 309件

16・在シアトル日本国総領事館 293件

17・在ヒューストン日本国総領事館 291件

18・在ボストン日本国総領事館 284件

19・在イタリア日本国大使館 281件

20・在アメリカ合衆国日本国大使館 277件

・・・

世界は私達の国のような秩序、治安が保たれている国は少ないと思います。世界の国々を信頼することは大切で世界を差別してはならないでしょうが、自国民を保護するためには区別することは必要だと思います。世界の国々は全てが善い人ばかりではないと思うべきで、性善説は世界では通用しないと思います。

援護した大使館等の件数等でも分かるように海外は先進国でさえ秩序、治安等も不安定な面も見受けられると思います。

有意義な渡航をするにはやはり平和、安全ボケを捨てること。正しい正確な情報を事前入手すること。日本も被害を極限するためには、米国OSACのような細かい渡航等情報のサービスが必要だと思います。

海外に行くと日本では見ることができない違った風景、言葉の違い、人との出会い、日本では感じることのできない気候、自然等々、特に若い人ほど感動が大きいと思います。平和・安全ボケしている私達は渡航により新鮮な情報を肌で感じ、日本で生かすことが出来ると思います。


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幸せな会社と従業員

2018-05-18 15:01:53 | 日本社会

内閣府調査では2017年の障害者数は、身体障害者393万7千人、知的障害者74万1千人、精神障害者392万4千人となっています。人口千人当たりの人数で見ると、身体障害者は31人、知的障害者は6人、精神障害者は31人となります。複数の障害を併せ持つ人もいるため、単純な合計にはならないようですが、国民のおよそ6.7%が何らかの障害を有していることになり、私達はもっと身障者に対して関心を持つべきだと思います。

平成28年6月1日現在、厚生労働省職業安定局調査資料の民間企業・障害者雇用者総数は47.4万人・・・就業者数内訳は身体障害者32.8万人、知的障害者10.5万人、精神障害者4.2万人で厳しい状況です。

日本では、知的障害者がどんな産業でどんな職域・職種で活躍しているかと言うと、かつては農林漁業の仕事、その後は主に都市部ではメッキ、ダンボール・紙器、印刷製本といった製造業の職場で多く働くようになり、最近ではクリーニング・リネン、清掃、食品関係などのサービス業に就職されているようです。
職種にかかわらず、知的障害者が働いている環境には特徴があるといわれています。単純反復作業、仕事の内容や場所・人の変化が少ない、家庭的な規模、恩恵的な雇用主・現場責任者がいる職場等が主のようです。(日本障害者雇用促進協会提供資料)

障害者の一部は生涯就職することもなく、仕事の喜びを知ることも無く施設に入り生涯を閉じると言われています。このような厳しい状況の中、知的障害者を雇用し大成功、雇用主、従業員が物心とも互いに成長している会社があることをフジ・テレビ放送の「奇跡の会社・日本一幸せな従業員とは?」で知り大変感動しました。

私達は日々意識することは少ないように思う、「働くことの意義、素晴らしさ」を再認識させてもらいました。更に、人間愛、生きる目的等の一部を知ることが出来ました。

以下文はフジ・テレビ、毎週木曜日放送の奇跡体験、ストリーテラー・ビートたけしのアンビリバボー・「奇跡の会社・日本一幸せな従業員とは?」の記事で、5月17日に放送された内容です。フジ・テレビの放送がなかったら、私達はこのような感動する心温まる、人間愛の事実に触れることは無かったと思いますし、健常者と障害者に垣根はない社会のあるべき姿を具現してると思います。

昨今の暗い社会ニュースが多い中、このような会社が日本に存在していたことに深い感動を覚えます。是非、多くの方に日本にもこのような凄い会社があることを知ってもらい、あるべき社会の姿を少しでも感じとってほしいために記しました。

 

奇跡の会社・日本一幸せな従業員とは?

神奈川県・川崎市にある日本理化学工業、社員数85人の中小企業です。81年前に現在社長を務める大山隆久さんの祖父が創業、チョークを製造する会社です。当時、日本にはなかったチョークの粉が飛び散りにくいダストレス・チョークを開発、日本中に定着させた会社です。
後を継いだのが、大山隆久さんの父にあたる大山泰弘さん。

80年代にホワイト・ボード登場、それまで主流だった黒板が減少、90年代に入るとチョークの需要は激減・・・

その頃、大山隆久さんはアメリカ留学中、父の頼みを受け帰国し経営に加わりました。アメリカでマーケティングの勉強をしてきた隆久さんは会社の行く末に大きな不安を抱きました。

父の大山泰弘さんは、ある時期から知的障がい者を雇うようになっていました。大山隆久さんが入社した時には社員の約70%、63名が知的障がい者です。彼らは主力商品のチョーク生産に関わる重要な仕事を任されていました。
大山隆久さんは少しでも利益を上げるには、健常者が占める割合を増やし、仕事の効率を上げること・・・父にその提案してみましたが…父・大山泰弘さんは、彼らは我が社に必要なんだと言って譲りませんでした。

知的障害者を多く雇う理由、それを説くために父は会社の過去を語り出しました。

父・大山泰弘さんが会社を任されてまもない1959年、近くの養護学校教諭が知的障がいを持つ生徒たちの就職の相談に来ましたが、責任を持てないと思った泰弘さんは、依頼を断わりましたが教諭は諦めず、何度もやって来ました。生徒の幸せを心から願っている養護学校教諭・・・日本にこのような教諭がいたことに深い感動を覚えます。以下の流れはこの教諭の心が生かされたと思います。

知的障がいを持つ生徒たちは卒業後、就職先がない場合、親元を離れて一生施設で暮らすことになり、彼らは働くということを知らないまま生涯を終える・・・教諭は、雇用するのは無理でも、せめて彼らに働く体験をさせてもらえないかと頭を下げました。大山泰弘さんは、体験ならと承諾しました。

 

こうして、約2週間の期間を設け、15歳の知的障がい者2人を体験研修という形で預かることにしました。知的障がい者は一般的に読み書きや計算などに支障がある場合が多く、ラベル張りを任せることにしました。
ラベル張りを任された知的障がいを持つ2人の少女、彼女たちは真剣な眼差しで集中力を切らさず、こちらが止めるまで一心不乱に働き続けました。さらに印象的だったのが、褒めてあげた時の満面の笑顔、見ているだけで社員たちは癒されました。そして、研修が終わると…社員たちが彼女たちを雇って欲しいと、泰弘さんの元に直談判にやって来ました。こうして、泰弘さんは少女たちを雇うことを決めました。

社員となってからも、少女たちは毎日休まず働きました。ある日のこと…泰弘さんが出社すると、すでに少女たちが会社の玄関で待っていました。聞くと、7時には出勤していたという・・・大山泰弘さんは、出勤は8時半だからねと念をおしました。
大山泰弘さんには、障がい者を働かせている罪悪感があったようです。

同情心で雇ったものの、本当に彼女たちにとってこれが幸せなことなのか?

なぜここまで一生懸命働こうとするのだろうか?

悩んでいた時、たまたま知り合いの住職と話す機会がありました。

住職は泰弘さんにこう言いました。

人間の究極の幸せとは以下の4つです。

人に愛されること。

人に褒められること。

人の役に立つこと。

そして、人から必要とされること。

障がい者の方たちが施設で保護されるのではなく、企業で働きたいと願うのは、社会で必要とされて本当の幸せを求める人間の証しなのです。

大山泰弘さんには、思い当たることがありました。彼女たちは何気ない褒め言葉でも心から喜んでくれた。

だからこそ…時間を間違えたのではなく、つい早く来てしまうほど仕事をするのが楽しみになっていた。

健常者には当たり前すぎて気づくこともできない、幸せを手放したくなくて、2人の少女は頑張っていた。

こうして大山泰弘さんは、知的障がい者を毎年1人、また1人と雇用して行きました。

 

しかし、幾多の問題が持ち上がりました。読み書きや計算が苦手な彼らにできる仕事は限られ、覚えさせるのは一苦労でした。中でも特に手のかかる人物がいました。小松さんという男性は、重度の行動障で自分のペースを乱されると暴れ出してしまいます。
大山泰弘さんは、小松くん、家に帰ってしっかり反省したら会社に戻ってくるんだよと言って、小松さんを家に帰しました。数日後には職場に復帰するのだが…また暴れては帰される、この繰り返しでし。それでも大山泰弘さんは、小松さんをクビにはしませんでした。

 

長く勤める社員たちは、泰弘さんの気持ちを理解してくれていたが…後から入ったパート従業員の多くは、障がい者を雇った経緯を知らず、不満が出るようになって行きました。小さな町工場では、パートさんに辞められては仕事が回らなくなります、そこで泰弘さんは一計を案じました。
障がい者と一緒に働く従業員全員に、お世話手当として、臨時ボーナスを出しました。ほんの気持ち程度の額でしたが、大山泰弘さんの気持ちはパートさんたちに通じました。こうして全ての従業員が知的障がい者を雇うことに理解を示してくれました。

しかし…それは本当の意味での問題解決にはなりませんでした。佐藤さんという社員の仕事は、製品の箱詰めを補助です。

箱詰めをする際、製造過程でチョークを固定していた器具を外すのだが、それを回収するための空箱を準備し、作業の流れにそって運搬するのが佐藤さんの仕事です。だが彼は、精神的な不安などから仕事を休んでしまうことが多く、あまり休まれると、フォローする社員の負担が増えて業務に支障をきたしてしまいます。
世話をしないと働けない…お手伝いのような仕事では、本当の意味で働く喜びは得られないのではないか?

とはいえ、文字が読めない、数を数えられない社員が自分で作業できるようになるにはどうしたらいいのか?

人に必要とされる幸せを社員全員で感じたい…理想は早くも行き詰まってしまいました。

ある日、大山泰弘さんはあることに気がつきました。知的障がいを持つ従業員は、たとえ文字や数字が読めなくても、毎日信号を渡って会社に来ている・・・つまり、色の識別はできています。そこで、粉の測り方を色で区別する方法をとってみたらどうかと考えました。
チョークの原料を正確に計量させるために、原料が入っているバケツの色と分量を量るおもりの色を同じにしてみると・・・文字が読めない少年でも、色を頼りに原料を間違いなく計量できるようになりました。

これに気づいたことが、今後の全てのヒントとなりました。

数を数えられない社員には、作業の度に数字カードをめくらせる。こうすれば、回数を間違えずに済みました。時計が読めない社員には砂時計を使いました。
こうして、やりやすい環境を整えたところ、障がい者たちは十分に理解し、仕事を正確にスムーズにこなすことが出来ました。

1つできることがあると自信を持ち、安心して他の作業を学ぶことができる。

おのずと彼らは、健常者たちに世話をかけることもなくなり、自分たちが役に立っていると実感できるようになりました。

そして、今まで休みがちだった佐藤さんが出勤してきた日のこと、仕事を休むといかに他の人が困るかを教えるため、社員の1人が佐藤さんに一旦作業から外れるように指示し、製品の箱詰めをする際、製造過程でチョークを固定していた器具を外す、それを回収する空箱を準備するのが彼の仕事でしたが… 数分後、外された器具を入れる空箱がないため、製造ラインには器具が溢れかえりました。
この様子を見ていた佐藤さんにある変化が…なんと毎日休まず出勤し始めました。

一生懸命に働く姿は誇らしくもあった。

必要とされていることが伝わりました。

そんなある日のこと…佐藤さんがいつもより少々元気がないように思えました。

佐藤さんは高熱が出ていたのにも関わらず、出勤してきました。母親によると、朝起きた時から具合が悪そうだったそうです。
このことで大山泰弘さんは気づきました。

彼らはひとたび自分が必要とされていると感じたら、どこまでも純粋にひたむきに頑張ろうとする。

そんな障がい者の成長は、健常者の社員にとっても何よりの喜びとなりました。こうして、チョークの製造ラインは、ほぼ知的障がい者の社員だけで賄えるようになりました。

前に父が語った、障がい者を多く雇う理由…やり方を頑なに変えない父の姿勢を大山隆久さんは理解することができました。

 

日本化学工業を訪ねてみると、そこにいたのは、重度の行動障がいを持ち、暴れては帰されていた、あの小松さんでした!

何度、同じ事を繰り返しても、社員たちは彼を信じました。何ヶ月も、何年も…次第に役に立ちたい、その思いが忍耐力となり、苛立ちを抑えることができるようになったのです。

そして入社から5年後には、行動障がいを克服、今では製品の検品のほか、他の従業員の手助けまでこなしています。
勤続37年の小松さんは、昨年末の忘年会で会社から2つの表彰を受けました。皆勤賞に加え、戸締まりや清掃など細やかな取り組みも評価されました。

日本理化学工場では、他にも一人一人の個性を大切にし、毎年様々な表彰を行っています。

隆久さんの代になっても『知的障がい者』の雇用を続け、現在、その数は全社員の7割を超えている。 しかも、生産効率を年々アップさせ、チョークの国内シェア60%、トップを誇り年商8億円の優良企業となりました。

大山隆久さんは、主力であるチョークを学校だけでなく、家庭でも使って貰えるように様々な商品を開発、さらに、ホワイトボードやガラスなど、ツルツルした所にも書け、簡単に消すことが出来るマーカーも製品化、キットパスと名付けました。
こうして、チョークを軸に新たな商品を開発。 隆久さんが入社した時期と比べれば、売り上げを30%伸ばしています。

驚くことに、主力製品をほぼ100%知的障がい者たちが作っています。

多くの先進国で障がい者の雇用に取り組む企業は数多くありますが、知的障がい者が健常者よりも多く、かつ成功している例は少ないです。雇用主の人間愛、生徒の幸せを心から願っていた養護学校教諭、従業員の差別しない対応が集大成したと思います。

一昨年には、経済学者などで構成される人を大切にする経営学会から、日本でいちばん大切にしたい会社大賞、審査員会特別賞を受賞しています。

隆久さんは、最後にこう話してくれた。
みんな同じじゃないし、それを受け入れるってことがすごく大事なことなんだと思います。

自分の価値観を押し付けるようなことをしても全く意味のないことなので、違いを知ることが出来ればすごくいい信頼関係が生まれると思います。

信頼が出来ればその人が持っているものをもっと良い形で出してもらえる。それが力になって会社の力にもなるし、それがみんなの幸せに繋がっていくと思います。

 

会社の入り口に立つ像には、父・泰弘さんの思いが添えられています。
導師は人間の究極の幸せは、

*人に愛されること、

*人に褒められること、

*人の役に立つこと、

*人から必要とされること

この四つと言われた。働くことによって愛以外の三つの幸せは得られるのだ。私はその愛までも得られると思います。

日本理化学工業では月間MVPを設けているそうです。

今年の3月に受賞したのは、入社6年目の斉藤瑠偉さん。

月間MVPをは、目標に向かって頑張れば貰えるそうです。

斉藤さんが掲げた目標とは…ほうれんそう 報告、連絡、相談でした。人とのコミュニケーションが苦手だという斉藤さんは、ほう・れん・そうを通して、他の従業員とのコミュニケーションを頑張ったという。

今年も会社には1名、知的障がい者の新入社員が入りました。その教育を任されたのが斉藤さんです。人とのコミュニケーションが苦手だった斉藤さんが、見事に新人教育をこなしています。

実は、斉藤さんが後輩を指導できるほどに成長した裏には、ある人の存在がありました。あの小松さんです。掃除など細やかな取り組みを表彰されていた小松さんの背中を見て、成長して行きました。人から必要とされる幸せ、働く喜びは次世代に引き継がれています。

これらの成功は雇用主の人間愛、生徒達の幸せを心から願っていた養護学校教諭、知的障害者の前向きな姿勢、従業員の差別しない対応が集大成したと思います。私達は、働くことの意義を日々意識しませんが、このテレビ番組で私自身、働くことの意義、素晴らしさ、人間愛とは、生きる意義、幸せ等を教えてもらったと思います。

「奇跡の会社・日本一幸せな従業員とは?」は是非、再放送してもらいたい番組の一つになりました。

 

 

 


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先の大戦で、孫子の兵法を厳守したスイス

2018-05-12 19:45:56 | 可笑しな日本の憲法

以下文は、将軍アンリ・ギザン・意志決定を貫く戦略・植村 英一 原書房 1985、ウィキペディア等々を参考にしています。孫子の兵法はウィキペディアを参考にしています。

 

今から2500年位前、孫武が著したとされる兵法書・孫子に書かれている、孫子の兵法・・・孫子以前は、戦争の勝敗は天運に左右されるという考え方が強かったとも言われています。孫子の兵法は勝利のための指針を理論化したものです。先の2次大戦でのスイスの策は、孫子の兵法を厳守したと思います。戦後日本人の多くは、日本の平和を守るのは孫子の兵法を厳守したら丸く収まると言う短絡した考えがあると思います。企業活動での応用は可能だと思いますが・・・

孫子の兵法が出来た当時の時代背景を調べると自国の軍力、国民の強い意思があってその上で論が成り立つ事を前提にしていると思います、この事実を明白に示したのがスイスです。私達日本に何が欠けているか、現日本で孫子の兵法は成り立つか・・・今後未来の日本に何が必要かを明白に示していると思います。

 

孫子・全13篇

1 計篇・無謀な戦争はしない。戦争決断をする前に、避けるべきか、被害の大きさ等考慮

2 作戦篇・戦争長期化を避ける。戦争長期化は国の利益にならない。

3 謀攻篇・戦わずして勝利を収める。百戦百勝が最善ではない、戦闘を行わずに敵を降伏させることが最良である。

4 形篇・防御強化し勝利の形を作る。防御の形を作ると兵力に余裕が生まれるが、攻撃の形を作ると兵力が足らなくなる。攻撃はチャンスを見て迅速に行う。

5 勢篇・兵を選ばず、自軍の勢いを操る。戦闘開始される際の勢いを巧みに利用

6 虚実篇・主導性発揮、敵が攻撃できないように、敵が防御できないように戦う。敵を思いのままに操り、自軍は操られない。

 

7 軍争篇・敵よりも早く戦地に着く。まわり道をいかに直進の近道にするか。兵士集中を統一、敵の気力を奪う。

8 九変篇・将軍は戦局の変化に臨機応変に対応、危険を予測、敵に攻められても大丈夫なよう備え、攻撃させない態勢をとる。

9 行軍篇・戦場では敵の事情を見通す。戦争は兵士が多ければいいものではなく集中して敵情を見れば、勝利することが可能

10 地形篇・地形に合った戦術、優れた将軍は自軍、敵軍、土地のことを考え行動

11 九地篇・地勢に合った戦術、はじめのうちは控えめに、チャンスができたら一気に敵陣深くに侵入

12 火攻篇・利益にならない戦争は起こさない。火攻めは将軍の頭の良さによる。滅んだ国は再興せず、死んだ者は生き返らない。

13 用間篇・間諜(スパイ等)を使い敵情偵察、敵のスパイも上手く誘ってこちらのスパイに仕立てる。

孫子の兵法の特徴としては、簡単に戦争を起こすことを避けたり、長期化させて国力を弱めることを避けたりという非好戦的な面が挙げられます。如何に自軍が主導権を握るかを重要視、細部にまでこだわった観察と臨機応変に対応することを述べています。

孫子の兵法では、負ける者は戦った後に勝つにはどうすれば良かったかを考えます・・・準備が不十分なため、行き当たりばったりの戦い方になってしまいます。

勝つ者は準備の段階で勝てる態勢を整えています・・・ときにはスパイを使って敵の情報を手に入れ、敵の動きを前もって知っておきます。周到な準備によって勝つ確率を上げて行きます。

孫子の兵法では、負けない戦いをすることが勝つための基本だとされています。そのため負けない準備をすることが重要で、負けないための準備はあらかじめ自分で行うことができます。ただ勝てるかどうかは敵の状況によって変わってきます。

戦わずに勝つ・・・負けない準備では、敵よりも戦力が大きくなるまで待ち続け、それまでは戦いを避けることも大事だとされています。負けない戦略とは100回戦って100回勝つことがベストではありません。孫子の兵法において最善の策とされるのが、戦わずに勝つことです。100回勝ったとしても、当然100回も戦えば兵士は疲労困憊(ひろうこんぱい)、当然資源、お金も減ってしまいます。ただ戦わずに相手を屈服させることができれば、自分の兵士や資源はもちろん、相手の兵士や資源も無傷のまま取り込むことができます。滅んでしまった国は再興はできず、死んだ者は生き返りません。優れた将軍は国家の安穏や兵士の無事を考え、軽率には戦争を起こさないとされています。

 

スイスのアンリ・ギザンと聞いても多くの方はご存じないと思います。2次大戦時のスイス軍の総司令官を務めた人です。

アンリ・ギザン(Henri Guisan、1874年 - 1960)はスイスの軍人、第二次世界大戦下の非常事態下において軍の最高司令官(将軍)となり、事実上のスイスの最高指導者で、スイス西部のヴォー州メジエールにて、フランス系プロテスタントの医師の家に生まれ、ギザンは幼くして母を亡くし、父親の愛情を受けて育っています。ローザンヌ大学に進学したものの、進路に迷った末にフランスやドイツに農業技術の研究のために留学、やがて兵役に就いたことをきっかけに軍の仕事に興味を持って職業軍人に転じ、主に砲兵として活躍、第一次世界大戦の頃には陸軍中央学校の教官、軍の作戦司令部の参謀として、近代戦の研究に励んでいます。1932年には軍団長大佐(平時のスイスにおいては将官は設けられないため、大佐が最上位となる)兼国家国防委員会委員となり、実質上の武官のトップの地位に就いた方です。

スイスはご存知の通り2次大戦には参戦していません、永世中立国です。しかしスイスは参戦していませんが徹底した戦時体制をとっていました、これは戦わないための戦いの準備をしています。これらのスイスの策には、孫子の兵法が生かされています。

ドイツがオーストリア、チェコスロバキアを併合すると、近接するスイスは次はスイスだと考えました。スイスは自分の国だけは安全だろう!こちらから何もしなければ相手も攻めて来たりしないだろう!とは考えていませんでした。

スイスは自国を守るための戦争準備を開始しています。更に外交では国際連盟が行う制裁に参加しないことを連盟に承認させ、絶対中立主義へと回帰しています。日本では中立と国際連合は親和的なものに思われがちですが、スイスにしてみれば国際連盟を中心とした外交はかえって中立を危険にすると考えていたようです。中立とは争っている国々のどちらにも加担しないこと、国際連盟の名において制裁に参加すると紛争当事国の一方に加担となってしまいます。

国際連盟決議でドイツ、イタリアへの経済制裁に参加して恨みを買い、自国が侵略されるのはご免だということです。仮にドイツ軍がスイス領へ殺到したとしても、血を流して戦ってくれる兵士を国際連盟が送ってくれるわけではありません。戦争中は欧州の国は国際連盟を信じていましたが何者にも守られることなく大国に踏みにじられ、外交上の供物として使い捨てられています。早々に国際連盟に見切りをつけて国際機構など知った事か。まずは我が身を守るのが最優先だとしたスイスの切り替えの早さはいい面で考えさせられます。

1939年の9月、2次大戦が始まりましたが、スイスは直前、戦雲を読んでただちに戦時体制に移行しています。スイスは戦時における最初の手を打っています。8月28日、法令に従って穀物・油脂・砂糖類の食料品の取引販売を一時禁止、配給制度への切り替えを準備するためです。29日に、総動員を見込んで、動員部隊の集結を掩護するために国境警備隊その他の部隊を招集、同時に非常臨戦事態の発生を宣言

8月30日、臨時スイス合同議会開催、議会は連邦政府に国家緊急事態の間、やむを得ない場合は、憲法の規定にかかわらず事を処理できる全権を委任することを議決しています。これにより通常の憲法一部停止、議会の反対を気にせず政策断行する権利が政府に与えられています。

有事には、議会の議論を待たず、時には憲法の規定さえ超越した強権による非常の政策が必要なこともあるという考えから、このスイスのように憲法秩序すら越えた大権を一時的に政府や軍に与えることを国家緊急権と言われています。

国家緊急権は民主主義の手続きの一部を停止することになりますが、国が亡んでドイツに併合されてしまえば、一部どころか民主主義の全部が失われてしまいます。1940年12月、国防強化のため徴兵適齢前の青少年に対する予備軍事教練を義務化する法律案が政府によって議会に提出され通過しています。この法案は戦時中にもかかわらず国民投票にかけられましたが結果、否決です。理由は予備軍事教練が当面必要であれば、戦時下政府に委任してある権限で実行すればよい、連邦の法律として恒久的な法律で定めるのは、非常時に便乗した自由の破壊につながるおそれがあると、主権者である国民の大部分がそのように判断したからです。

戦争という非常時には、非常の政策が必要なこともあるでしょう。非常の政策は非常時に限定のものです。

スイス人は、非常時にあっては政府に憲法秩序すら越えた強権を与えつつも、与えた強権が非常時だからといって濫用されないよう監視することで、二重の賢明さを示しています。議会は、スイス全軍を統率司令官として、ギザンを将軍に指名しました。スイス軍において将軍は全軍の司令官を意味、有事にのみ指名されるシステムと言われています。

将軍の次は兵士の増員、ドイツの侵攻した翌日の9月2日、政府はギザン将軍と協議の上、総動員令を発令、総動員とは、徴兵期間を終えてふつうの仕事をしている人たちを呼び集めることです。兵士以外にも、戦時には軍事活動に協力すべしと定められている組織や人、医者、看護師も動員、全人口の一割以上が戦争に備えて武器とり、あるいは配置、スイスから他国へ侵攻しようとしたのではありません。

 

ドイツ、フランスは国境線に要塞を築いて睨み合っていました。その要塞線の南側にあるのがスイスです。ドイツ軍がスイスに侵攻すれば、フランスの要塞マジノ線を迂回してカンタンに攻め込めます。スイスは独仏両軍にとって通路、実際、先の第1次大戦ではベルギーらの国々がドイツ軍に通路として利用するためだけに攻め込まれ戦場となっています。

スイスの地理的位置、地形上の特性を考えると…スイス中立に少しでも不安を感じたならば、両者とも先を争ってその領有を図ることは、火を見るより明らかです。中立国の領土不可侵の権利は、自らの領土防衛の義務のうえに立って主張できます、一片の条約上の文字だけに頼れるものではありません。

ギザン将軍は、先ず第一に、その抵抗の意志、力を示してスイスの中立をドイツ、イギリス、フランスの両陣営に信用させることが必要と考えています。スイスは、我が国を通路にしようとしても、撥ね付けるだけの軍事力がスイスにはある、スイスは確かに中立を守ることができると、見せる必用があったと思います。

スイス軍は、アルプスの山や川といった地形を利用して、リーマット線と呼ぶ防衛線をはり北方防御の態勢を取っています。北からのドイツの侵攻に備えたものです。防御に適した地形で戦うということは、それより国境よりの地方は戦わずして見捨てるということを意味します。リーマット線よりドイツ側、チューリッヒらの諸州を防衛できないことになります。

国境線の真上で戦って、領土を完全に守ろうと思えば、敵を圧倒するだけの軍事力が必要、小国のスイスにはそんなものはありません。国の独立を守るため、一時的には国境沿いの町や村を放棄する作戦をたてるのも、やむを得ないと考えたようです。他国領土に入ることなく、専守防衛の防衛戦略をとるということは、外国を刺激することも少ないかわりに、いざ戦時のときは自国の国土を戦場にする覚悟が必要です。専守防衛とは本土決戦です、防御に適さない、国境近くの地域が一時的に見捨てられるのは、軍事力に劣る国にとって致し方のない選択だったようです。圧倒的なドイツ軍は、強さを見せつけていました。スイス軍は、国土の全てを守る余裕など考えられないことだったようです。最新鋭のドイツ軍に対し、ギザン将軍はどう迎え撃つつもりだったでしょうか・・・

ドイツ軍の戦法は主に電撃戦を多く用いています。敵の防御線の一点に爆撃をあびせ戦車部隊で穴をあけ、機動力の戦車部隊、自動車にのった機動歩兵で突破部を拡張、そこから敵の後方に素早くまわりこんで、敵軍を混乱させ、あっという間に勝利する策です。これを防ぐには、突破してきた敵軍を大量の大砲で撃ちまくってストップさせ、我が方も大量の戦車をもって、敵の突出部を叩くことですが小国スイス軍にそんな重武装はありません。平地で戦えば、ドイツ軍の戦法にやられるでしょう。そこで、アルプスを要塞として立てこもる策です。爆撃で混乱させようにも、スイス兵がアリのように山地の地下陣地にもぐりこめば、爆弾はむなしく土を叩くばかり、戦車突破も険しい山岳では発揮できません。このような防御作戦がうまくいくためには、地形だけでは難しく全てに優勢なドイツに迫られながら、いつまでも粘って守りつづける兵士たちの精神力が必須です。

ギザン将軍は、徹底した要点防御戦略を採用、ドイツ軍が国境を越えれば、スイスの主要な道路やトンネル、橋などをことごとく爆破(現在もスイスのトンネル、橋には破壊のための爆破箇所を設けています。)サルガンス、ゴダール、マティーニの3つの山岳要塞を重点に全軍でアルプスの天険に立てこもります。山岳部に立てこもるということは、少ない軍事力では、それ以外は見捨てるということです。リーマット線においてはチューリッヒなどドイツ寄り地域を捨てるだけであったのが、今度はそれどころでは済みません。守るべき国土国民を置き捨てて、山の中に逃げ、ただ軍隊だけが生き延びて、いつまでも敵と戦い続ける態勢をとること。 それがスイス軍の選択でした。スイス軍は国民を守らない、極悪非情の軍であるように見えます。しかし実は、それこそが戦争そのものを防ぐための、この場合ただ一つの方法でした。

 

1940年の7月12日、ギザン将軍・・・

スイス連邦が、この枢軸国の直接攻撃の脅威を免れることができるのは、ただ次のような場合だけです。それは、ドイツの国防軍総司令部が、作戦準備の段階で、我々スイスに対する作戦は、うっかりすると長い期間と莫大な費用がかかることに気がつき…彼らの全体計画の遂行を阻害するのが落ちである、との結論に達したときです。

我々の今後の国土防衛の目的と根拠は、隣接する国々に、スイスとの戦争は長引き、多額の費用のむだ使いになる冒険であることを示すことに、終始一貫して置くべきです。我々は、戦争を回避したいと思えば、我々の皮膚ー国境ーをできる限り高価に売ることが問題です・・・この考え方は、軍事力によって敵を圧倒できないまでも、敵が戦争によってその目的達成するのを拒否できる程度に力を持つことで、その意図を未然に防ぐことです。この戦略は成功しました。ドイツ軍はスイス侵攻を何度となく検討したけれど、その都度、撤回しています。

勝てるとしても、時間がかかる上、損害は大きく、しかも勝ったあとにはスイスの主要交通路はことごとく破壊されているから、得るところが少ないと計算したためです。外交的には中立、軍事的には専守防衛という条件の中で、非情なまでに徹底したスイス軍の防衛戦略が、最後まで功を奏しました。ただ軍だけの功績ではなく、必要な支援を与えつづけた政府、政府に非常時の大権を与えた議会、そしてそれらを支持した国民の存在です。

 

大切なのは、戦争を回避できる国とは他国から見て、あの国は簡単には落ちないと思われる凛とした国家で、巧みに戦争を遂行できる国が、固い決意をもって防御的に振る舞うとき、初めて戦争を回避するができる事を示しています。

今、置かれている日本の状況・・・孫子の兵法で国益を上げるためには相応の軍力、国民の決意が不可欠であることを、スイスが自ら示唆していると思います。相応の軍力、国民の決意があって孫子の兵法は成り立つと理解すべきだと思います。

今、日本がより確かな未来を確保するために成し遂げなければならないことは防衛義務、非常事態事項等の憲法への記載だと思います。記載は決して戦争のためのものでは無く、平和、秩序を維持、自国民の安全、益を確保するために他ならないと思います。

 

 


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日本人の拠り所・神道

2018-05-08 11:05:57 | 日本社会

以下文は、神道 見えないものの力・葉室頼昭 著、宗教年鑑、ウィキペディア等々を参考にしています。素人である個人の神道に対する解釈等に可笑しな箇所が多々あると思いますので、まとまりの無い雑文、日記とします。

 

日本人は古来から現在に至るまで、全てのものと共生し、共に生きるという考えを持っていると言われています。日々、意識することはありませんが日本人の美徳、道徳規範として、神道は日本人に宿っていると思います。

神道という言葉が最初に文献に出て来るのは、西暦720年に編纂された日本書紀ですが、そこでは宗教的儀式、神々、社(やしろ・神を祭る建物、神社)を指したもので、現在使われているような宗教の教義のまとまった体系の意味で使われるようになったのは12世紀以降のようです。神道という言葉は、日本の伝統的な信仰形態を仏教と区別するために中国の道教につながる言葉をもちいており、神の道という意味を表わしているようです。

文化庁が宗教団体を取り扱っていますが、文化庁に登録されている宗教法人の総数は182985法人、日本の人口は1億2千万人位ですが、不思議と文化庁登録の宗教団体に属する信者総数は2億1千3百万人位となっているようです。何故・・・一人の日本人が複数の宗教団体に登録されているからのようです。神社の氏子、お寺の檀家、新宗教の会員、何の不思議もなく行われていますが、キリスト教系団体では、許されていないとも言われています。対し、神社、お寺は二重、三重に所属していてもとやかく言うことは無いようです。宗教法人細部は神道系が84,996法人で全体の46.4%を占め、会員総数は2億1千3百万人位で、神道系がそのうちの50.3%位で1億人以上のようで、神道は古来から現代まで日本人の生き様に大きな影響を与えていると思います。

昨今では世界が賞賛した311等々大災害時の日本人の行動・・・多くの日本人の心に宿っているとも言われる道徳心、意識することが無い神道によりこのような考えが発露されてるように思います。このような日本人の考え、生き方は世界でも極めてまれのようです。対し、外国の考え方は唯物論主体が主のように思います。(唯物的とは、精神よりも物質を物事の中心にすえて考えかた。)

 

この神道とは・・・

神社、秋のお祭り等々の神道のルーツは、古代イスラエル宗教と考えた方が自然です。私達が少しでも神道を理解することは日本の国家成立、国体、日本人の心、日本の文化、日本の社会、道徳等の本質を理解する一助になるかも知れません。これらの一部は日本のタブーとして扱われることが多いように思います。

私達がお参りする神社には手前に拝殿、その先、奥に本殿があります。本殿には、鏡、石、剣等が置かれていますが、それらは神そのものではなく参拝者は、そこに降臨(神が降りてこられること)、臨在(神がおられる場所)される見えない神を拝んでいます。

 

初代天皇・神武天皇は石を積み上げて壇を築き神を祭ったと言われています。こうした風習は、4000年前の古代イスラエル人の風習と極めて似ています。イスラエル民族の父祖ヤコブ(血統的ユダヤ人・スファラディーユダヤ人)は、神を祭るため石柱を立てています。

これらのルーツが日本で分かり易く残っている神社が北九州の福岡県築城町にある、小さな金富神社で鳥居でなく2本の石柱だけで、形を変えた旧約聖書記載の移動式幕舎そのものです。過去この神社に行きましたが地区には湊地区等の名前が残っており、渡来のルーツを表しているのかなと思います。

ヤコブは、神が彼に語られたその場所に柱、すなわち石の柱を立て、その上に注ぎのぶどう酒を注ぎ、またその上に油を注いだ(創世35―14)、神社の神主さんも、時々石柱を立て神酒を注ぎます。

お神輿の不思議・・・お神輿は、古代イスラエルの契約の箱を参考にしたものとも言われています。八幡神社の総本社の大分県の宇佐神宮・・・一説では現在の位置になるまで移動しており、最初のお神輿が日本に上陸した地等が福岡県宗像付近とも言われ、年毛(としも)神社等がお神輿に何がしら関わったとも言われています。この神社は小さいですが鳥居から直ぐ玄界灘を望むことが出来ます。

私達がお神輿をかつぐ光景は、ダビデが契約の箱をエルサレムに導き入れたときと同じと言われています。神社のルーツが北九州等を経由して渡来したと考えるのが自然に思います

 

キリストの使徒パウロ、伝道旅行中、祖先伝来の様々な宗教の礼拝所がありました・・・あなたがたが知らずに拝んでいるものを教えましょう。(使徒17―23)

ギリシャ人が昔から知らずに拝んでいる方は本当は誰かについて語りました。天地創造の神こそが、知らずに拝んできたおかたなのですと語りました。

古代イスラエル宗教と神道間には明確な類似点があります。私達の多くは、元旦になると神社にお参りをします。車を買ったときも神社等でお払い等をする方もいますし、結婚式は神道式で行なうことも多いようです。赤ちゃん誕生でも多くの方は神社参りをします。

 

西暦538年に日本に渡来した仏教では多くの仏像がつくられ拝まれていますが、よく考えると日本の神社は、神々の彫像がありません。絵画で神道神のアマテラス・オオミカミを見ることはできますが神社で偶像をみることはありません。拝む対象としての彫像、神々の偶像は神道の場合は作られていません。
神社本殿には石や剣が置かれていますが、それらは偶像ではありません。これらは神聖さを示すためのものです。私達はそこに降臨、臨在される目に見えない神様を拝んでいることになります。

神社に置かれている鏡や剣などは、偶像ではない・・・イスラエルの契約の箱の中にあった十戒の石の板、アロンの杖、マナの壺などが偶像でなかったのと同様です。旧約聖書では、紀元前1000年頃にイスラエル王ダビデは、主の箱、契約の箱をエルサレムに運び入れたと記録されています。考えてみると契約の箱も偶像ではありません。契約の箱は神聖さを示すもので、神がここに降臨、臨在をおく場であったと言えそうです。人々は契約の箱それ自体を拝んだわけではありません。人々が拝んだのは降臨、臨在される、目に見えない神様、天地創造の絶対神・ヤハウェです。

目に見えない神様を拝むことは神道、古代イスラエル宗教とよく似ています。両方とも、偶像をつくりません。十戒の石板も、契約の箱の中に入れられていました。偶像ではありません。

日本の神社には、しばしば石の柱があります。大きな縦長の石を立てて、その周りにも石をめぐらしています。この石柱はご神体と呼ばれます。ご神体は偶像とは異なります。それは依代(よりしろ・神霊が寄りつくもの・・・樹木、岩石、人形、人間などが依代として考えられ、神体や神域のこと。)で、神霊がそこに降臨する神聖な目標物といわれています。人々はそれ自体を拝んでいるのではありません。

目に見えない神様を拝む・・・このような宗教は神道、古代イスラエル意外は無く世界でも珍しいです。

神社本殿の中には、鏡等が置かれていますが、その鏡が神様ではありません。単に、そこが神聖な場所ですよを示すためのものです。
私達は、鏡を拝んでいるのでは無く、そこに降臨し臨在される、目に見えない神様を拝んでいます。神様は目には見えません。
神道は、仏教が日本に入るより遥か以前の2000年以上前から日本に存在し、日本人固有の民族宗教で今日の私達にも生きずいていると思います。一説では、これらの神道は神を信じていた古代ヘブライ人達が旧約聖書等の考えを日本に渡来する際に持ち込んだ宗教だとも言われています。身近な一例として、神道は昨今の相撲事案、相撲にも根底に生き続けていると思います。

今上天皇は日々神事として国家安泰、世界平和等々のお祈りをなされてきたとも言われています。神道の頂点に位置される天皇、目に見えない神と私達の間をレビ(最高祭司長)としてとりもっておられるとも言われています。神道は、意識することはあまりありませんが、祭等々を通して、今も日本人の心に生き続け、永遠に生き続けると思います。

神道=天皇・皇室=私達国民

世界中で最も恵まれた日本に生を受けた私達は、より良き社会を作るためにも、より良き人生を生きるためにも、神道を少しだけでも理解することは天皇、皇室、日本の成り立ち、日本文化、日本社会、日本人の心、道徳等々を理解する上で大切だと思う昨今です。


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