極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

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李方子妃

2016-01-11 14:15:21 | 日韓
李方子妃(り・まさこ・ひ)、と聞いても知らないと言う方が多いかと思います。日韓歴史の事実として、私達は李方子妃を知ることは大切と思います。

方子妃は、1901年11月4日、皇族梨本宮家に誕生(長女)、18歳で韓国の李王朝26代高宗皇帝王子、李垠に嫁がれました。
方子妃の人生は、歴史に翻弄されますが、夫の垠殿下にしても似たようなものだったように思います。

1897年に生まれた李垠殿下は、一説では日露戦争後(10歳)、李殿下を日本で教育、日韓両国の永遠の礎を築こうという伊藤博文(初代韓国総監)の計画に基づいて実行されたと言われています。

当時、方子妃は、皇太子裕仁親王(昭和天皇)の有力なお妃候補であったと言われています。しかし侍医から方子妃は不妊症と診断され、お妃候補ではなくなりました。
不妊症の方子妃を李王朝の皇太子に嫁がせる・・・方子妃に垠殿下の子供が誕生した時、方子妃を診察した侍医は処罰されたと言われています。

結婚は1919年1月予定(結婚式は1920年4月28日、東京六本木・鳥居坂の李王邸で執り行われています。)でしたが、垠殿下の父、第26代皇帝高宗が急死、結婚が1年延期、高宗皇帝の死は疑問がついたようです。一説では朝鮮総督府の官吏(日本人)が宮中典医を脅迫等々

そういう中でも、方子妃の結婚の決意が堅く、14歳で李王家に嫁ぐことが公表された後、方子妃は、まず髪型を変え、朝鮮式の髪型に、朝鮮王朝に嫁ぐ妃の決意の現れであったと言われています。決意は第26代皇帝高宗の死に際しても揺らぐことはありませんでした。婚約者、垠殿下の胸の内を・・・李皇太子を慰めてあげたい。夫を心から愛する妻に、暖かい家庭を築いて差し上げたい、この決意が変わらなかったので、結婚後の多くの困難を乗り越えたと言えると思います。

垠殿下が幸福感に包まれた時がありました、息子の誕生、不妊の女と言われた方子妃が元気な男の子、李王家の跡継ぎ誕生です。出産直後、垠殿下は優しく方子妃を労わったと言われています。喜びに満ち溢れた李殿下の姿があったと言われています。
しかし幸福は、長くは続きませんでした、息子の死です・・・

親子3人での朝鮮への里帰り、1922年4月23日東京を出発、結婚後の初めての里帰りです、朝鮮王朝風の結婚式を祖国で上げることになっていました。
長男、晋はまだ8ヵ月の赤ちゃん、離乳時期を迎えたばかり、気候風土の変化で病気にでもなったら大変です。晋を日本に残しておきたかったと言われています。
韓国側の強い要望で里帰りすることになったりました。

方子妃は、後に8ヵ月の赤ん坊を連れていくということは本当に心苦しゅうございました。連れていくのは嫌だとは、どうしても申されない立場、本当に苦しんだことがございますと胸の内を語っています。

結婚式(朝鮮式)が執り行われ、帰国の日も近付きつつあった時、元気だった晋が突然、嘔吐・・・医師は急性消化不良と診断、晋の容態は一向に回復しないで、悪くなる一方で、必死の介護、祈りの甲斐なく、5月11日8ヵ月の赤ちゃんは亡くなってしまいました。妃は、ただ泣くばかりであったと言われています。余りの不自然さ、毒殺の噂が立ったと言われています。李王朝に日本人の血が入ることに拒んだ者の仕業ではないかとか・・・真相は闇の中です、真相はどうあれ、晋の死が毒殺と考えることが自然であるほど両国の溝は深刻であったと言われています。

5月17日、晋の葬儀、方子妃は、晋がお腹のなかにいたときに編んだ毛糸の衣類やおもちゃなどを棺に納め、宮殿で葬列を見送ったと言われています。
親子3人の最初の里帰りが、息子の死という悲劇、傷心のうちに方子妃は帰国しました。
悲しみに沈む方子妃を慰めたのは、常に李殿下でした。李殿下はたくましい忍耐力を有するようになっていたと言われています。方子妃は李殿下に励まされ、立直っていったと言われています。

終戦・・・二人にとってさらなる困難が待ち構えていました。敗戦により、二人は王族(李王公家)の立場を剥脱されてしまいます。二人とも、生れ付きの王族で生活力はまるでなく、お金の使い方から習わなければならなかったほどと言われています。

廃止された各公家には一時金が支給されましたが、軍人は対象とならず、一時金も支給されませんでした。垠殿下は敗戦時、陸軍中将でした。日本軍人であったにもかかわらず、垠殿下が韓国人であるという理由で、軍人恩給も支払われなかったようです。生活は困窮、李王邸(赤坂プリンスホテル旧館)を手放さなければならなくなったと言われています。

1950年、垠殿下はマッカーサーに招かれて来日し、大韓民国初代大統領・李承晩と会談、その際、垠殿下が韓国に帰国する意思を李承晩・大統領に伝えましたが、李承晩・大統領は冷たく、殿下は落胆して帰国をあきらめたと言われています。垠殿下は、祖国への帰国を願い、何度も駐日韓国代表部を通して、帰国を打診しましたが、韓国、李承晩・大統領の返事は冷淡であったと言われています。

李承晩・大統領政権は、米国の傀儡政権とも言われ、李承晩・大統領の12年間におよぶ排日政策(GHQ策)の結果、反日感情が横溢、方子妃は非難の的になったと言われています。自己益等ばかりを追及、多くの韓国人も当時の李承晩・大統領政権に多くの疑問を呈しています、最後は失脚・・・この利権まみれの傀儡政権を許さない、日本陸軍士官学校卒業の、正義心が強い朴大統領が軍の支持を取り付け軍事クーデターで登場します。朴大統領は現在でも韓国民が選ぶ大統領ではNo1で80%以上の支持があります。この朴大統領の娘さんが、現韓国朴大統領で、大統領就任前に閣僚等々に8人の親日の方を予定しましたが反対に遭い実現しませんでした。

当時の李承晩大統領は、垠殿下が帰国したら、韓国国民の同情が集まり、自身が不利な立場になることを懸念したとも言われています。

垠殿下は口癖にしていた言葉がありました、私はすでに朝鮮人ではありません、といっても日本人にもなれません、中途半端な人間・・・この不安が戦後、現実となって、垠殿下と方子妃を苦しめたと言われています。
韓国帰国も叶わず、援助もない、こうした苦境を知って、手を差し伸べてくれた人々がいました。昭和天皇、祖父に当たる明治天皇の代に、垠殿下を連れてきたことに天皇は心を痛めていたと言われています。他には吉田茂首相、朝鮮総督府勤務OB、財界人等が、支援に名乗りを上げたと言われています。垠殿下はこれらの支援に心から感謝しましたが、同時に恥ずかしく思っていたと言われています。

1961年、軍事クーデターで朴正熙氏が国家再建最高会議の議長となり全権を掌握、直ちに朴議長は正義感が強く親日でも有り、垠殿下と方子妃のために特使を日本に派遣、生活費、療養費等の一切を韓国政府が保証する旨を伝えたと言われています。垠殿下は、この時脳血栓で倒れ、意識も混濁状態、祖国の嬉しい知らせを知ることは出来ませんでした。

垠殿下の韓国帰国実現は、それから2年後の63年11月22日、66歳、方子妃は61歳、垠殿下の在日は56年を経過していました。
二人は日本政府準備チャーター機で、日本を発つ朝、方子妃はベットに横たわる夫に静かに語りかけ、殿下、お国に帰りましょう。私がお供しますから、ずいぶん長い間、お待ちになりましたね、これからは幸せで平和な日々をお送りになれますよ。
夫が祖国に帰ったのだと意識できるが残っている内に、祖国の土を踏ませてあげたい、方子妃の願い、垠殿下は方子妃と共に韓国への帰国を果たしましたが垠殿下は、脳血栓と脳軟化症で意識は無くそのまま病院車でソウルの聖母病院に直行したと言われています。

夫婦となって50年、金婚式の祝いを済ませた3日後、1970年5月1日垠殿下は方子妃に見守られながら、静かに息を引き取りました。ソウル市の郊外、京畿道南楊州市金谷洞にある陵墓英園に埋葬されました。

方子妃は、以後、韓国内で福祉活動に取り組まれました。夫が元気だった頃、二人で語り合った、帰国後の夢の実現でもあったと言われています。
1967年に障害を持つ子供のための施設、明暉園、72年には精神薄弱児のための教育機関、慈恵学校を設立されました。
激動の日韓の時期に方子妃、不幸を自ら引き受け、その人生を美しく立派に生き抜かれています。表に出るこはないですが、日韓の架け橋となり、現在も韓国内では多くの国民に尊敬されています。

1989年4月30日、ソウルで永眠した方子妃の葬儀は5月8日、準国葬として執り行われ、頭を地にすりつけるという、伝統礼式を李王朝の礼式です。ソウル中心街の沿道には多くの市民が詰めかけ、見送ったと言われています。手を合わせる人、頭を下げる人、目頭を押さえる人・・・日本からは三笠宮崇仁親王夫妻が参列。後に韓国国民勲章槿賞(勲一等)を追贈されています。李方子妃はソウル市の郊外、京畿道南楊州市金谷洞にある陵墓英園に李殿下と一緒に埋葬されました。

皇族としての役割、方子妃の生きかた、民を想う気持ち・・・欧米の王室では有り得ない考えかたと思います。方子妃、李殿下は間違いなく両国の橋となったと思います。

私達は、報道等されない日韓の歴史の事実、真実の一端を自分なりに精査し知ることは大切だと思います。
李方子妃を知ることは、隣国でもある韓国、未来の友好基盤の醸成ためにも、更には拉致問題解決の糸口を見つける為にも・・・

産経新聞、ネット等々の資料を使用していますが、意味不明箇所があるかも知れません。


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