以下文は、山陽新聞デジタル版、ウィキペディア等々を参考に記していますが、音楽の専門家でないため可笑しな文が多々あると思います。
日本人で年令90才代と言うと、もう余生も少なく、社会で活躍する機会は極めて厳しいと思います。これから高齢者社会を迎えようとする日本、ピアノの天才と言われながらも大切な「日々の努力の実践」・・・この何気ない言葉が未来を明るく、切り開くと思います。
2017年9月18日の敬老の日、夜のNHK-FMに室井摩耶子氏が出演されています。番組のタイトルは、90才・クラシック女子 ~昭和・平成わたしの音楽道・・・室井摩耶子氏は日本を代表するピアノの天才とも言われていました。高齢ですが、出演時も実際に演奏され、多くの人達をびっくりさせたと言われています。
室井摩耶子氏は1921年4月18日生まれの95歳、6歳よりピアノを始め、小学4年生から高折宮次氏(日本を代表する大正・昭和期のピアニストの巨匠)に師事され、1941年東京音楽学校(現・東京芸大)を首席卒業、研究科に進まれ、クロイツァー教授(ピアノ奏者・指揮者・音楽教育者、元・ベルリン音楽大学教授、元・東京芸術大学教授でペテルブルグ生まれ、天才ピアニスト、指揮者としても活躍、門下生は有名な小澤征爾氏をはじめ世界的 音楽家がいます。)に師事、1943年に修了・・・日本の天才とも言われるピアニストで、現在も日本のピアニストです。実際の演奏がユーチューブで見れますので是非聞かれて下さい。
以下文は、92才のもう一人の米国を代表するピアニストを記しました。
アメリカ人にしては身長150cmの小さな体で、超人的な演奏を行うピアニストが岡山でコンサートを開きました。
この方はアメリカ人で、天才とも言われたピアニスト、「ルース・スレンチェンスカ」さんです。カリフォルニア州サクラメント1925年(大正14年)生まれで92才です。
ルースさんは、世界的に有名なセルゲイ・ヴァシリエヴィチ・ラフマニノフ(ロシア帝国出身の作曲家、ピアニスト、指揮者)にも師事されています。
過去、ニューヨーク・タイムズではモーツァルト以来の神童として紹介されたこともあるそうです。
昨今では、高齢の身体の衰えをものともせず、遠路来日岡山での素晴らしい演奏、天才と言われながらも、日々の努力を忘れることなく実践、衰えていないピアノ演奏・感性、日々の努力の大切さを私達に教えてくれました。ルースさんの演奏、生き方に多くの日本人は感動したと思います。
幼少期に父親のヴァイオリニスト、ヨゼフ・スレンチンスキ氏から音楽の手ほどきを受け、4才でステージ・デビューしたそうです。
5歳でカーティス音楽院に入学、6才でベルリン、8才でニューヨーク、11才でパリ等、各都市でコンサートを開いて成功を収めています。
ピアノ教師は、ヨゼフ・ホフマン、セルゲイ・ラフマニノフ、アルトゥル・シュナーベル、エゴン・ペトリ、ヴィルヘルム・バックハウス、アルフレッド・コルトー等、当時の巨匠ばかりです。
特にセルゲイ・ラフマニノフへの師事・・・メトロノームを使って練習、一番遅い速度から片手ずつ、そしてほとんどわからない程度に目盛りを上げていく。それぞれが所定のスピードに達してから今度は両手で一番遅い速度から同じように根気強くくり返す。完璧すぎると思う仕上がりになっても、同じフレーズを今度は五本の指の一本ずつ、アクセントを変えながら片手ずつからまた最初から同じことをくり返していく・・・単調で忍耐力を試されるような練習、午後、夜の練習、努力の連続・・・ルースさんの75年のピアニストとしての日課であったとも言われ、師独自の伝授方法と言われています。
14才から一旦音楽活動から遠ざかりましたが、19才のとき大学で心理学を学んだそうですが、26才のときに指揮者のアーサー・フィードラーに請われてピアニストとして復帰されています。
昨今では77才の時、台湾人の教え子に台北の東呉大学へ招かれてからピアノに復帰、2003年に初来日以来、たびたび来日、特に岡山との縁が深いようです。何故、縁が岡山にあるか・・・その縁は三船文彰氏です。
音楽プロデューサー・チェロ奏者として活躍する歯科医・三船文彰氏(62)岡山市中区在住は国内外の一流演奏家の多くと交流し多くのコンサートを実現されています。
三船氏は台湾生まれで14才の時に両親と岡山に移住、朝日高校から国立台湾大歯学部に進学、約30年位前、岡山市内で歯科医院を開いています。業、音楽プロデューサーとしては、主に岡山県内を中心に演奏会を企画
アメリカの世界的ピアニスト、ルース・スレンチェンスカ氏の2003年の日本初演・岡山市から、2005年の引退公演・岡山市までを手掛けられ、制作CDの11枚は、レコード芸術誌で特選に輝いています。
1999年、ワンダフル!岡山・私の音楽生活と題した、郷土ゆかりの識者による連続講座「おかやま楽習塾」の講演会が岡山市北区柳町の山陽新聞社さん太ホールで開かれています。講演では自宅にクララ・シューマンが愛用したピアノなどを備えたホールを設けたのをきっかけに始めたプロデューサー活動等々を語られています。演奏の選曲は自身で全てされておられるようです。これらの諸活動は演奏家の新たな魅力を引き出すのが狙いだそうです。
3・11後、芸術活動の自粛ムードが広がった中でバイオリンの名器を集めた演奏会を岡山県内4カ所で開催され、日本人の心を音楽で慰めなければと関係者全員が力を尽くしたそうで、あらためて岡山の素晴らしさを実感したそうです。
ルースさんは、92才の現在も毎日5時間程度の練習を欠かさないそうです。4才からずっと現役のピアニストでありましたが75才の時、最愛の夫が亡くなってから3年間ピアノを弾かなかったそうです。悲しみに暮れていた彼女を台湾人の教え子が台湾に呼び、台北の東呉大学で2002年9月から一年の契約で客員教授となられています。
再びピアノ復帰・・・
ルースさん談
ピアノを弾かなかった3年間の間に、私は多くのことを感じ、考え、そして多くのことを学びました。
再びピアノを弾いた時、音がまったく変わりました。
正しく練習すれば、人間の筋肉は衰えないものです。
NHKのインタビューでは・・・
老いてから成長するものがあります。
老いるほど美しくなっていくものがあります。
最近の演奏に私は満足していなかったから、ニューヨークに戻ってから、毎日の練習時間をさらに2時間増やし(9〜10時間)備えてきたから、いまや私は別人ですよ!と述べています。
ルースさんは、TV等で何よりも日々努力の大切さを私達に教えてくれました。これからの日本は室井摩耶子さん、ルースさんのような輝く高齢者が増え、社会の一部をリードしてもらいたいものです。
今、関心があるピアニストは海上自衛隊東京音楽隊の太田紗和子さんです。この方のピアノ演奏は素人の私でも引き付ける魅力があります。
これらの演奏会の動画は、全てユーチューブで見れます。