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極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

I am grateful that I can freely write my daily thoughts

相撲と貴乃花親方

2018-09-28 12:01:25 | 日本社会

昨今の貴乃花親方問題・・・行動、資料等々を読めば貴乃花親方は相撲を熟知している一人と言えそうで、古来からの日本の伝統を継承したい思いが強い数少ない親方とも言えると思います。表現は不適切かも知れませんが、まあ、神事・相撲 VS グローバル化しようとしている相撲等の戦いかも知れません。相撲の歴史は長く天皇制、日本文化、国体の一部を構成等しているとも言われています。

以下文は、日本相撲協会HP、神社新報社発行・広報誌、ウィキペデア、旧約聖書、ヤフーニュース等々の内容を参考等した文です。この文の最後に記している、万葉学者・中西進著作集25に封入の「月報」の中の対談(コピー)には、貴乃花親方の考えの一部が凝縮されていると思います。

 

現代に残る数少ない武士道でもあると言われる相撲道で、一番大切なことは「礼に始まり礼に終わる」を体現することと言われています。この日本古来からの伝統を誇る相撲が、昨今は可笑しな方向に向かっているようにも思います。グローバル化の最終目的からしたら、相撲はグローバル化の妨げになるでしょう・・・日本の国体、歴史、文化等の一部を理解できない力士の登場で危ういものになっているようにも思います。

如何に海外メディアが相撲に関心があるか、過去、米・CNN電子版は特集を組んで相撲道をレポートしています・・・日本は19年間待ちわびた末に、ホーム・グロウン(国内育ち)のスモー・チャンピオンが王位に就いたとのタイトルで、稀勢の里の横綱昇進を伝えています。特筆すべきことは、相撲は単に勝敗以外にも品位や立ち居振る舞い等が重要となることを細かく紹介していることです。

 

大相撲主催者である、日本相撲協会(公益財団法人)・・・

太古より五穀豊穣を祈り執り行われた「神事(祭事)を起源」とし、我が国固有の国技である相撲道の伝統と秩序を維持し継承発展させるために、本場所及び巡業の開催、これを担う人材の育成、相撲道の指導・普及、相撲記録の保存及び活用、国際親善を行うと共に、これらに必要な施設を維持、管理運営し、もって相撲文化の振興と国民の心身の向上に寄与することを目的とするとしています。

相撲は日本に残された数少ない武士道等の一つとも言われています。真に日本の国技、伝統としての相撲道を国外出身の力士達が理解できるか大きな疑問が残ります。

 

舞の海秀平さん(小結)のインタビュー

「平成20年、神社新報社発行・広報誌(むすひ)」より

高校生の全国相撲大会は、伊勢神宮で開催されるのですが、一県から一人しか選ばれないため、青森県には私より強い人はいっぱいいましたので出場は叶いませんでした。しかし大相撲に入ってからは、毎年春に伊勢で神宮場所がありましたから、何度か伊勢の神宮にお参りしましたが、いつも心が洗われるようにスカッとして気持ちが落ち着きますね。場所前には当時の時津風日本相撲協会理事長から相撲の歴史や、宮廷との関わりなどの話を聞き「神様に奉納するという気持ちで相撲をおこないなさい」と教えられました。

奉納相撲というのは、神様に見ていただく、御神慮を慰めるための相撲なんです。神社の相撲大会も、その土地で育った子どもたちが元気に相撲をとるのを神様に見ていただく訳です。

相撲は神事ですから。

各部屋の土俵も一年に三回ぐらい作りかえるんですよ。稽古場の俵をとって土を耕して水をまいて、また叩いて固めて、そこからまた新しい俵を入れて、真ん中に穴を掘って、行司さんがお祓いをし、穴の中にスルメや勝栗などの鎮物を埋めるんです。

3、40分かかりますがそれは全員出席でやらなければいけない。そうしないと稽古は絶対しない。

土俵祭もしないところでやるのはアマチュアの相撲というか、スポーツ感覚ですね。土俵創設は部屋を創設した時の最初の一回でいいのではないかと思ったんですが、必ず毎年やるんですね。相撲というのは神事であり、そこに勝負事がくっついているだけ。勝ち負けより精神的なものの方が強いんです。

 

相撲の起源、ルーツを調べると日本のタブーでもあるとも言われる旧約聖書と天皇制等々との深い関わり・・・日本の国体の一部の核を形作っているとも言われる古代イスラエルとの関連性を見出すことができます。

相撲は試合前、四股(大地を鎮める、土中の悪い気・・・病気・ケガ・悪運・事故・不運・悪神や悪霊からの力などを 祓「はら」うという行為は、神道式の日本古来の除去方法)を踏み、女性は不浄として土俵に上がれない。相撲は一般のスポーツとは違っていますし日本人、スファラディー・ユダヤ人以外の人達には理解することは難しいと思います。これらを海外の力士が理解することは難しいでしょう。

日本書紀では武甕槌神(たけみかづちの・かみ)と諏訪大社の御祭神として有名な建御名方神(たけみなかたの・かみ)が力競べをしたという神話があります。

古代に於いては、相撲は豊作の吉凶を占う年占の農耕神事、天下泰平、国家安全、五穀豊穣のまつりごととして神に相撲を奉納してきました。古くから相撲は神事、奉納のお祭りで神聖なものでした。

平安時代、宮廷では天皇が出御して左右の相撲人に二十番程の相撲を取らせる、相撲節会が恒例行事として行われていたようです。

これらは諸国の農耕を占う豊作祈願の意味が込められたものでした。以後、鎌倉時代に入ると相撲は専ら武士の鍛錬を目的に行われるようになり、庶民の間にも浸透していき、それが、現在の大相撲の直接の基盤となった勧進相撲へと発展していったようです。

大相撲がスポーツの一種である事は、それはあくまでも相撲の一面に過ぎず、大相撲の根底はやはり神事・儀礼で、あくまでも神事と言えそうです。貴乃花親方はこのことを熟知されている数少ない方だとも言われています。

 

諏訪大社では御船祭の最後に行われる「神相撲」

日本最古の相撲場と伝えられている石川県羽咋市の羽咋神社で行われる「唐戸山相撲」

滋賀県野洲町の御上神社で随喜祭の夜に行われる「相撲神事」

愛媛県大三島町の大山祇神社のお田植祭で奉納される一人相撲は5月と8月の豊作祈願の神事で、相手は目には見えない稲の精霊・・・一人相撲は旧約聖書のヤコブと天使との相撲に酷似していると言われています。これらの事実をふまえると相撲は純粋な神事儀礼として執り行われていると言えそうです。

 

旧約聖書・創世記32章に記されたシュモー(古代ヘブライ語)

イスラエル民族の三大父祖にアブラハム、イサク、ヤコブ(聖書に出てくる本当の血統ユダヤ人「スファラデー・ユダヤ人」、対し偽ユダヤ人、アンネ・フランク、ヒラリー氏等々で宗教集団のアシュケナージ・ユダヤ人)がいますが、イスラエル(祝福された、血統的ユダヤ人)という名を神から頂いた出来事が父祖ヤコブの時です。

そのヤコブが神の使いと格闘した(相撲をとった)できごとが詳細に聖書に記されています。ヤコブは神の使いに勝ち、神からイスラエルという名前をもらいました。この人達(スファラディー・ユダヤ人)の先祖、直系等が日本に2000年以上前に相撲を携えて古代ユダヤ人として渡来したとも言われています。

 

創世記32:23-29

ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿(もも)の関節を打ったので、格闘しているうちに腿の関節がはずれた。(一説では昭和天皇は牛肉を食べる場合、生涯頑なに腿肉を避けておられたと言われています。相撲のルーツを熟知されていたでしょうか・・・)

もう去らせてくれ。夜が明けてしまうからとその人は言ったが、ヤコブは答えた。

いいえ、祝福してくださるまでは離しません。お前の名は何と言うのかとその人が尋ね、ヤコブですと答えると、その人は言った。お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ・・・

このヤコブが神の使いと格闘した(相撲をとった)という出来事は、イスラエル民族にとって大変重要なものです。その時からイスラエルという名前、神からの祝福が与えられたからです。この相撲に勝ったということがあったからこそ、ヤコブの子孫であるイスラエル民族が「神の選民」となったとされています。相撲は、スファラディー・ユダヤ人にとって忘れてはならない、民族にとって大変重要な史実と言えるかも知れません。

日本書紀には、日本で相撲を初めてとったのは野見宿禰(のみのすくね)と書かれています。野見宿禰は島根県出雲の出身です。古墳時代の須恵器で相撲に関係するもの(力士が飾られています。)が島根県で出土しています。

相撲(スモウ)という言葉は古代ヘブライ語と言われています。聖書には何回も「シュモー」と言う言葉が出てきます。シュモーとは・・・イスラエルの祖、「ヤコブ」を指すと思います。

ハッケ、ヨイ=投げつけよ・・・これも古代ヘブライ語と言われています。相撲では塩で土俵を清めますが、イスラエル人も神聖なものとして塩を使います。丸い土俵の円というのは神と繋がる場所を意味、神聖な場所を囲い他と区別して言われていたと言われています。相撲のルーツを考えた場合、古代イスラエルと何らかの関連性あるように思います。

相撲は、勝負が全てとは言えない面が多々あり、他のスポーツと違うことが分かります。著名人の中にも、外人力士の入門を考える時期に来ていると言われる方も多いようです。これは差別ではなく、区別と思います。過去、酒席に同席していた横綱・白鵬関らについて貴乃花親方は、暴行事件に同席した力士が土俵に上がるのは神事に反するように思えると述べています。

大相撲の紋章には桜があしらわれ、この桜は日本人の心の象徴で大和心(古来から日本人が持つている、自然で素直な心等々)を表してしていると言われています。

過去、横綱白鵬は横綱の品格とは何かと問われ、勝つことが品格だと答えています・・・力士の頂点に立つ横綱からこのような発言が出るとことに空しさを感じます。海外力士には日本の相撲を理解することは不可能でしょう。

 

万葉学者「中西進著作集25」に封入の「月報」より(コピー)

第65代横綱 貴乃花 光司

中西進先生は当代随一の万葉学者であり、日本人が忘れてきてしまった“日本の美徳”を、言葉の起源をひもときながら誰にでもわかりやすく教えてくれ、目を覚まさせてくださる方です。その中西先生の著作集全三六巻が順次刊行されるとのお知らせを聞き、改めて先生の精力的な仕事ぶりに頭の下がる思いが致しました。

私が中西先生と初めて出会ったのは、東海道新幹線の座席ポケットに入っている『WEDGE』誌上でのことでした。地方巡業に赴く長い道中、ふと手にとった『WEDGE』に連載されている「日本人の忘れもの」を読み、心が揺さぶられるような思いが致しました。

私は15才で入門して以来、ひたすら相撲道を邁進して参りました。相撲界は一般の方から見ると特殊な世界のようで、未だに国技である“相撲”は完全に理解されているとは言えません。たとえば“横綱”についてですが、横綱とは「力士の中で最も強い者」「相撲という格闘技のチャンピオン」である、と解釈されている方がおられることが残念でなりません。同様に、相撲は“日本古来の格闘技”ではありません。相撲とは『神道』に基づき、男性が神前にその力を捧げる神事がその根源です。横綱に強さだけでなく、品格や厳格さが求められるのは、相撲が神事である証しといえるでしょう。横綱とは力士番付における最高位ではありますが、ただ勝ち星が多ければよい、他の力士に比べて力や技に勝り、誰よりも強ければそれでよいという存在では決してありません。

相撲の道を志すものは、「強くなりたい」という思いと同時に、「日本の伝統文化を守る」という強い意志が必要だと私は常々考えて参りました。それと同時に、相撲を通じて古来から脈々と受け継がれてきた日本文化の美学を後世に伝えていくことが、相撲に関わるすべての人間に課せられた義務であると考えております。

中西先生の著作に初めて接したとき、「ここにも日本の伝統文化を伝え、守ろうとしている方がおられる」と、まるで同士を見つけたように心強く感じると同時に、背筋が伸びるような思いをしたことを今でも覚えております。しかも、遠大なテーマでありながら中西先生の語り口に難解なところはみじんもなく、常にどんな人にも平易に読める文章で日本文化の奥深さを伝えてくださいます。このようなところにも、先生の温かなお人柄と、近代化の中で日本人が忘れてきたものを幅広く伝えたいという情熱がうかがえます。

私が実際に中西先生にお会いしたのは、貴乃花部屋創設の際作成した記念パンフレットに掲載するため、こちらから「是非に」とお願いし実現した対談のときでした。先生は文体そのままの方で、眼鏡の奥のまなざしは優しく、そして時に茶目っ気が感じられました。「相撲道」にも格別の関心をお持ちで、先生の専門分野である“言葉”から、様々な考察をされておられました。例えば、相撲の立ち合いで行司がかける“見合って、見合って”というかけ声については、「日本語で“見合う”というのは“誉める”という意味があるんです。これは、お互いに尊敬し合えるからこそ、真剣勝負ができるという深い意味が込められている証拠と言えます」という言葉をお聞きし、先生が相撲道の本質を見抜いておられることに深く感じ入ったものです。相撲の本質とは力の競い合いではなく、その時々の力と技の優劣を競うことに眼目があるという深い考察にも、先生の相撲に対する思いが伺えました。

対談でとりわけ印象深かったのは、中西先生が「女性が土俵に上がれないのはどうしてですか?」と聞かれたことでした。当時は、ちょうどそのことが世間で話題となる出来事があり、論争が起きていたのですが、先生はまさに直球でその真意を私に問うてきたのです。これに対し、私は「相撲とはもともと力士のどちらかが死ぬまで競い合うもの。土俵という闘いの場に本来守るべき存在の女性を上げるわけにはいかない。女性を土俵に上げないのは、この精神があるからなのです」とお答えしました。すると、先生は何とも言えない嬉しそうなお顔で「そもそもそのような由来があったのですか。一般の方々にも広くそうした事実がわかった上で、正しい議論が始まると上手な解決法が見つかるかもしれませんね」と深く納得されてらっしゃいました。

中西先生は文学を通じて日本が古代より女性を尊んできたことを熟知されておられます。日本文化が女性の手によって花開いていったその歴史を知り抜いておられる先生だからこその、安心されたご様子の笑顔と理解し、先生の「正しい議論」というお言葉に、私自身も勇気づけられる思いでした。

『日本人の忘れもの』・・・私が中西先生と出会うきっかけともなったエッセイのタイトルがそうであったように、近頃の日本は大切な多くのことを忘れてしまっているようです。我々は、日本人としての誇りを持ち「日本人の心」を今一度再確認しなくてはいけません。中西先生にはこれからも著書を通じて、この日本の素晴らしい伝統文化を未来に語り継いでいっていただきたいと願ってやみません。

 


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収奪、略奪の無き世界

2018-09-23 17:34:51 | 日記

収奪、略奪の無い世界は本当に来るでしょうか・・・

以下文は、ウィキペディア、ネット等々の資料を参考に素人が思う収奪、略奪の歴史を記していますが可笑しな文が多々あると思いますので雑文、日記とします。

 

世界の歴史を見ると世界は収奪(とりあげること。)、略奪(力ずくで奪いとること。)の連続だと分かります。他国が相手国、地域等を植民地等にして収奪、略奪してきた弱肉強食であった近代アジアの歴史・・・これらの中でも教育を奪われると悲惨な未来が訪れるようです。力の無い国がどんなに平和を望むと唱えても無視されています。今日でも弱肉強食の姿は巧妙に隠されているように思います。

ヨーロッパ等の豪華な宮殿、博物館等を見学し、観光客は素晴らしい、感動等々を受けますが、考えてみたらそれらの豪華なものを作ったお金や財宝はどこから来たのか・・・それらの多くのものはアジア・南米等々の植民地等々からのものが多く収奪、略奪した富で建てられたものと言えます。
じゃ日本は・・・日本には皆無です、日本の建造物は貧弱かもしれませんが、収奪、略奪した富で建てたものはありません。これは世界の歴史、文明上でも素晴らしいことです。日本の伝統、文化は欧米等とは異質であり私達は誇るべきです。アジアでは多くの国、地域が欧米の植民地、収奪、略奪の犠牲になっています。以下文はアジアに大きく関与したアメリカ、スペイン、英国を記しています。

 

欧米の弱肉強食に力を行使した日本と違い植民地、収奪、略奪の犠牲になり続けたフィリピン

昨今、麻薬対策で強権政治(麻薬に関する。)を行っているフィリッピンに対し、欧米、日本のメディア等は人権問題だと大々的に批判していたフィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領、国内の貧困、麻薬に汚染された国内状況、憲法の内で強権で政治を行わないと国そのものの存亡が危うくなる、綺麗ごとでは済まない厳しい現実があると思います。

幸い、フィリピン憲法・第4項には政府の第一の義務は、国民に奉仕することであり、国民を防御することである。政府は国家を防衛するため国民を招集することが許され、従ってその目的を満たすため、法が与える条件のもとで、軍事や一般行政を問わず、国民は公職に就くことの要求がなされることが許される。と記されています。

第5項には、平和と秩序の維持、人命・自由そして財産の保護、全体の福祉の増進は、民主主義の恩恵の下の国民による生活の享受にとって基本となる。

ロドリゴ・ドゥテルテ大統領の強権はこの憲法を拠り所としていると思いますが・・・

特筆すべきはロドリ・ドゥテルテ大統領は、何故このような国に成り下がったかを探求され、国民から教育を奪った300年間のスペインの植民地、48年間の米国の植民地・・・植民地政策を容易にするために、教育を徹底的に奪った植民地政策が主なる原因であると発言しています。

現在、教育の重要性を何度も国民に説いていますが、厳しい経済状態、多くの貧困者を抱えており教育もままならないようです。

これらのロドリゴ・ドゥテルテ大統領の歴史的問題発言は多くの欧米、日本のメディア等はカットし報道しなかったように思います。

何故、このような強権政治(麻薬に関する。)にも関わらず今も多くのフィリッピンの人達の支持を得ているか、日本から考えたら怖い国に思えるかも知れませんが、フィリピンの人達は現実から逃避していません。フィリピンは善政を行っていると見るべきだと思います。ロドリゴ・ドゥテルテ大統領は安倍総理を信頼しているアジアの首長の一人とも言われています。


英国を見た場合、戦前はインド、マレー半島に植民地を保有していました。現地の富を吸い上げ自国を豊かにしていた事実、大英帝国の繁栄の真実でしょうが、これらの事実は教育で学ぶことは稀です。歴史的財産でもある大英博物館、展示物等は現在でも相手国等から返還要求が多いそうです。

 

アメリカの場合、善きフロンティア・スピリットの国だったと思いますが、西部の先住インディアン達を殺し、その土地を奪っています。

アメリカはメキシコとも戦争、西部の土地全てを自分のものにしています。更に西へ!を合い言葉にし、どんどん西へ侵出しました。

当時のアメリカ人には、マニフェスト・デスティニィ、(明白な天意)という考えを持っていました。私達白人が愚かな有色人種を支配することは、明白な天の意思という考え方です。

西へ!の思いは、更に太平洋を越え、平和国だったハワイを自分のものにしてしまいました。更に対スペイン戦で勝利しグアム、フィリピンを手に入れています。当時のアメリカは常に戦争で領土を拡大しています。当時アメリカは、フィリピンの民族独立軍に我々に協力し、我々がスペインに勝ったらフィリピンを独立させてあげる

と言って独立を約束していましたが、スペインに勝つとその約束を破り、フィリピンをアメリカのものにしています。協力者のフィリピン民族独立軍のアギナルド将軍を処刑、明らかな裏切り行為でアメリカはフィリピンを手に入れています。

アメリカは常に戦争をするときは、リメンバー!と叫んできました。対メキシコ戦ときは、リメンバー・アラモ(アラモ砦を思い出せ)、対スペイン戦のときは、リメンバー・メイン(メイン号を思い出せ)、対日本戦のときは、リメンバー・パールハーバー(真珠湾を思い出せ)です。常に国民を戦争へと向かわせるための都合のいい言葉です。

最後に日本は何故アメリカと戦争をするはめになってしまったのか・・・

中国大陸で互いの利害が対立したと思うべきです。アメリカはハワイを手に入れグアム、フィリピンを手に入れ、中国を欲しがっていました。アジア支配は完成間じかでした。
そこに立ちはだかったのが日本です。
中国大陸では西欧諸国による分捕り合戦が続いており、そこにアメリカが加わろうとしていました。日本は何とか歯止めをかけようとしました。日本は中国の保全を掲げて、西欧諸国の餌食にならない安定した国を中国人自身が造るのを、手助けしようとしています。その日本の動きと、中国を手にいれたいアメリカの思惑が鋭く対立することになります。
アメリカは中国人に反日感情を起こさせ、煽動、日本の締め出そうとしています。中国・国民党軍と日本を戦わせ日本を追い出す策です。フライング・タイガースと呼ばれるアメリカ空軍を中国に送り、日本との直接的な戦闘行為にも参加しました。これは戦争行為で、真珠湾攻撃以前の事実です。この部分は歴史の事実なのに多くのメディア等は口を閉じる傾向があるようです。

真珠湾前からアメリカは日本に戦争を仕掛けていたと言えます。更にアメリカは日本への石油資源の輸出も全面ストップ、日本の息の根を止めようとしました。日本はやむなく、自存自衛のためにアメリカとの全面戦争に踏み切って、真珠湾の軍事基地を叩いたと言う事になります。

 

収奪、略奪無き世界は来るでしょうか、現実は古来と変わっていないように思います。現代世界と言えど、いい人、いい国ばかりではないと思うべきだと思います。

私達が近代史に関心を持つと言うことは大切だと思います。収奪、略奪と言うと過去の歴史のように思いますが、現代も巧妙に形を変えて存在すると思います。

日本の近代は多くの先人達の勇気、自己犠牲により今日があると思います。私達が収奪、略奪無き世界を求めるには、日本が凛とした強い国になる必要があると思います。これらは現実の上に理想を求めることも必要だと思います。


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日本人と演歌

2018-09-16 16:44:02 | 日本社会

演歌に対する日ごろの思いを記した雑文、日記です。可笑しな箇所はスルーして下さい。

 

演歌とグローバリズム、何の関係があるかと思いがちですが関係があるように思います。一口で言えば演歌はナショナリズム(民族中心)、グローバル化(国境無き世界が目標)は反ナショラリズムかも知れません。

日本のみならず世界は全力投球でグローバル化が進んでいる、進められているようですが、やはりナショナリズムはグローバル化策の邪魔でしょう。

このグローバリズムの延長線上はNWO(新世界秩序・世界が統一された管理世界)だと思います。更にこの延長線上の終着点は、タルムード世界の成就という説もあります。

日本のグローバル化に邪魔なナショナリズムの一部を排除するには、ナショナリズムの一部を構成しているとも言われている演歌を取り除く必要があるとも言われる方もいます。

この演歌を取り除く一つの手段として、徹底的にメディア等々を利用し、人々から演歌から遠ざけ、無視ているように思います。演歌は、今まで私達に一番身近な存在として親しまれてきたと思いますが、昨今はTV等での音楽も欧米、非演歌のオンパレードのように思います。演歌は古臭い歌であると言う方も多いようですが本当に古臭いでしょうか・・・

 

平成24年にデビューの、男性3人のグループ「はやぶさ」メンバーのヤマトさん(22)が言っているように演歌・歌謡曲の魅力は日本の風景の美しさ、人の感情をさまざまな形で美しく表すことができます・・・本当に演歌はその通りだと思いますし、歌詞の情景を表現したり、歌に感情を込めたりし易い、両親、祖父母の思いの一端を知ることができ、演歌は日本の心そのものだと思います。

今日の演歌界を牽引してきた歌手は60代~70才前後で、長年も第一線で活躍されてきましたが、昨今は氷川きよしさん(38)以降、人気歌手が生まれず厳しい状況が続いていましたが最近は若手男性歌手の活躍が出てきたようです。山内恵介さん(32)、三山ひろしさん(35)らの実力派歌手等々、ポスト氷川世代の活躍が期待されているようです。

 

演歌は艶歌とも言われ、元をただせば明治期の自由民権運動(自由と権利を声高に訴えた政治活動)の壮士(職業的な政治活動家)が,演説代りにうたった歌と言われています。以後バイオリン伴奏による人情物の歌となって大道芸化したようです。

これが今日の演歌の直接の祖で、作曲家中山晋平(多くの傑作といわれる童謡・流行歌・新民謡などを残しています。作品は多岐にわたり、学校の校歌・社歌等などを含め中山の作品と判明しているだけで1770曲以上あります。)のヨナ抜き短音階(日本固有の五つの音からなる音階、代表的な形は、ドレミソラの5音からなっています。)の曲調が以後のスタイルを決定づけたと言われています。

 

1960年代、歌謡曲全般の西洋化のなかで演歌は伝統色の強いジャンルとして確立されています。1980年代以降カラオケ・ブームを背景に主に中高年層に支持されていますが、若い方の演歌離れは大きいようです。

 

演歌の素晴らしさ、力は・・・

日本の風景の美しさを表現しています。

人の感情をさまざまな形で美しく表します。

歌詞の情景を表現しています。

歌に感情を込め易いようです。

私達が忘れがちな両親、祖父母の思いの一端を知ることができます。

等々

 

日本人の心・伝統等を相手に伝えることが出来る演歌、これからも多くの演歌歌手が現れ、すばらしい日本の演歌を私達に届けてもらいたいものです。


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何故、本気で憲法改正を目指しても頓挫するか。

2018-09-16 16:20:13 | 可笑しな日本の憲法

以下文は、日ごろの思いを記した雑文日記です。

1955年、自由民主党が結党されています。党の綱領には平和主義、民主主義及び基本的人権尊重の原則を堅持しつつ、現行憲法の自主的改正をはかりと記されています。自民党結党当時の目標のひとつは、現行憲法の自主的改正です。

小泉純一郎内閣は2005年、小泉首相は自民党の憲法改正案をまとめるよう指示しています。改正案は、民主党や公明党にも配慮した内容で、十分改正の実現は可能だったようです。当時の小泉人気は非常に高かったにもかかわらず、何故か小泉首相は改正を強く進めませんでした。何故・・・日本を巧妙な形で間接的統治等々する場合は、現憲法のままが極めて有利で、素人でも理解できるでしょう。憲法改正できないと言うより、させない勢力があると思うべきかも知れません。このさせない勢力、人達は自身の利、益等となる構図が見え隠れします。

この後押しをマスメディア等々を徹底して利用しているのは間違いないとも言われる方も多いようです。勿論、マスメディア、末端関係者等まで大きな益を保障されているでしょう。

安部総理は憲法改正を本気、真剣に行おうとしており、本当に改正されたら困る人達がいるのは間違いないでしょう。私達は、この困る勢力、人達は誰かを知ることは比較的容易と思います。この勢力により昨今の日本の諸問題等が発生していると思います。

憲法改正は拉致、自衛隊、北方、尖閣問題等々多くの問題解決の第一歩となるのは間違いないでしょう、これらの問題の本質を安部総理は熟知しているため、どうしても憲法改正を行いたいと思っているでしょう。安倍総理は常にメディア等々から徹底的に批判されてきましたが、憲法改正を口にしなかった何事もなく総理の座にいることが出来たでしょう。安倍総理の憲法改正は心から国を想う気持ちからでしょう。

 

憲法改正は戦後日本の集大成でもあると思いますし、巧妙な戦後日本統治の終焉を意味するでしょう。絶対に終焉を望まない勢力、人達との戦いかも知れません。

私達は憲法改正の意味するもの、現状の日本の国益、国民益がどのようになっているか・・・憲法改正が無い場合、国益のみならず、最終的には弱い立場の人達にしわよせとしてのしかかるでしょう。

今一度、憲法は私達に極めて身近な存在であること。この身近な存在と認識されては困る勢力、人達がいることを自分なりに考えることは大切だと思います。


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昨今の総裁選

2018-09-15 01:10:02 | 日本社会

何故、この時期に総裁選をやるのか・・・

本来は、今日日本が置かれている対外的にも厳しい現状を少しでも改善するためには安倍総理を支え、言うべき時は相手に堂々と発言できる強い国になれるよう憲法改正を行い、凛とした主権国家を目指すべきです。

 

日本人が額に汗した利益は、可笑しな憲法のため国民に還元されること無く湯水のごとく何処かの国の国債購入、外資等々に流れ、相手国の無理難題の要求も受け入れなければならない現実、もう戦後長き年月が過ぎましたが、巧妙に形を変えた敗戦直後のような安全保障策、格差社会、教育問題、派遣等々人道上にも問題があるような策が、可笑しな憲法、弱い国であるがために受け入れられてきました。安倍総理は石破氏と違い、これらの問題の本質(多くは国内ではなく海外等の問題)を熟知しているでしょう。

戦後からの歴代総理は自身の保身、利権、事大主義になり下がったように思います。私達はこれらの問題の本質を見極める必要があると思います。幸い今の日本には今までの歴代総理とは違った安倍総理が政権のトップにいます。

安倍総理は、現政権の第一目標を憲法改正に置いています。この憲法改正で本当の主権国家、凛とした国家となり私達は未来に夢を持てると思います。現日本の拉致、格差、教育等々の諸問題は憲法問題に行き着くと思います。

 

安倍総理はこれまでトランプ大統領と同様、ことごとくメディア等々から批判され続けていますが、何故安倍総理は批判されるのかは憲法改正を旗印にしているからでしょう。本当の憲法改正反対者は誰でしょうか・・・

憲法問題は私達に極めて身近な問題にもかかわらず、メディア等々はこれらの話題をそらす為かトランプ大統領同様、徹底的に安倍総理の批判一辺倒で肝心な所は避けます。当然、安倍総理は歴代総理と違い拉致、格差、教育問題等々の本質は熟知しているでしょう。

超自然災害大国日本・・・現憲法には他の先進国と違い有事、大災害時等の非常事態条項がありません。国家が揺らぐような南海トラフ地震等の大災害時等々には指揮の問題で大混乱を生じるでしょう。昨今の自然災害でも分かるように、常に甚大な被害を受けるのは多くの弱い立場の人達だと思います。

現状の憲法下では政府機能が低下した未曽有の大混乱時には、最悪米軍等が国連軍の名のもと統治活動する可能性は否定できないでしょう。

平時から主権国家として、これらの事態を避けるにも憲法を改正し、総理が指揮し易いように整備することは先進国では極普通のことだと思います。

石破氏のように、新たに災害専門の防災省創設は大きな問題があると思います。こんな策よりも憲法を改正し総理が一元指揮し易いようにするほうがどれだけ効率的か・・・反自衛隊策のようにも思え、これまでの自衛隊の活躍に水を差すようにも思える石破氏の策、何かと石破氏は憲法改正に待ったをかけようとしているように思います。今後、石破氏に対しては多くのメディアが反安倍総理のために好意的に報道するでしょう。

 

戦後の悲願であった自国民による新しい憲法作りに協力すべきであった石破氏には大きな疑問が付きまといますし、憲法改正反対の外部勢力、派閥等を利用し、自衛隊に甘い言葉をかけ自身の保身、利権等を得ているとしか思えませんし、諸策には言葉の遊びが多すぎます。派閥は解消すべきなのに自身が率先、派閥を作り出しています。政治屋の石破氏は政権の座から退くべきです。

改正された憲法と、更に旧約聖書の創世記34章・ヒビ人の話を多くの人達が理解するようになれば日本の国益が海外に流れることはかなり緩和すると思います。

安倍総理が目指す、自国に誇りが持てる国作り、汗した人達に益が還元される社会、未来に私達、特に子供達が夢を持てるようにするためには憲法改正は必須だと思います。


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猿の惑星と白人社会

2018-09-14 15:17:24 | 日記

一度は見たことがる「猿の惑星」、SF世界を模写したとも言われていますが・・・シリーズ THE RIVER、ウィキペデイア、ネット上等の記事を参考にしています。可笑しな解釈等多々あるとおもいます。雑文日記とします。

 

誰もが一度は目にしたことがある映画、猿の惑星、猿の惑星シリーズ(PLANET OF THE APES)は、フランス人作家、ピエール・ブールによるSFに基づく一連の創作物を指しています。米国20世紀フォックスを中心にして作られています。猿の惑星シリーズは、「猿の惑星」(1968)、「続・猿の惑星」(1980)、「新・猿の惑星(1971)、「猿の惑星:征服」(1972)、「最後の猿の惑星」(1973)の連続した5作品と、第1作をリメイクした「PLANET OF THE APES/猿の惑星」(2001)、現在進行中の「猿の惑星:創世記」、「猿の惑星:新世紀」、、猿の惑星:聖戦記」の9作品で構成されています。

この物語は、ヘストン演じるアメリカ人宇宙飛行士テイラー大佐が猿の支配する惑星に降り立ち、紆余曲折の末に惑星が人類文明の崩壊した地球だったことを知るというものです。宇宙船から降りたら、驚くべきことに出会ったのは地球を支配している猿達です。

この映画は猿と人間・白人のみが主人公であることがポイントになると思います。以後、白人と猿の戦い、葛藤等々が始まります。この作者の根底にある人種に対する考えが反映したと言う方も多いのも事実です。

 

猿の惑星の脚本家、ロッド・サーリング(アシュケナージ・ユダヤ人)は白人支配者層の自らを絶対的な正義として書いているとも言われています。じゃ、自らの掲げる正義が相手にとっても正義でしょうか、この映画に潜む矛盾は解消しない可能性があるように思います。

 

原作者はフランスの作家ピエール・ブールですが、脚本を書いたロッド・サーリングが得意とした白人が逆差別される世界を書いていると言う説もあります。

ロッド・サーリング(Rod Serling・1924年12月~1975年6月)はアメリカの脚本家でテレビドラマ等で活動していました。有名なのはテレビシリーズ・トワイライト・ゾーン(超次元の体験、Twilight Zone)の脚本を手掛け自身も出演していました。

一説では映画に出てくる猿達は、白人と有色人種等の比喩とも言われています。アメリカで一部が差別被害者となってる有色人種が逆に白人を差別する作品と言われる方も多いようです。

 

原作者はフランスの作家ピエール・ブールです。

ピエール・ブールの代表作には「猿の惑星」以外に、有名な「戦場にかける橋」、「カナシマ博士の月の庭園」があります。自身、インドシナで自由フランス軍兵士として参加しており、その時の経験から戦場にかける橋等を書いたとも言われています。

1937年、第2次世界大戦開始、フランス領インドシナでフランス軍に徴兵、ナチス占領後シンガポールの自由フランスの秘密工作員として活動、1943年に日本軍の捕虜、2年間日本軍捕虜として強制労働に使役されています。国際的ベストセラーになった悪名高い、死の鉄道についての小説、戦場にかける橋の中でこれらの経験を活用したと言われています。
以後、フランスに戻り獄中日誌、小説を書き始めています。代表作の戦場にかける橋、「猿の惑星」はインドシナでの経験を基に書かれたと言われています。1994年1月30日にパリで死去しました、81才でした。

 

猿の惑星・・・戦時中の有色人種からの捕虜体験、戦った有色人種・日本兵から猿支配の社会の発想を得たとの説は多いようです。モデルにされた有色人種・日本人、作品は一見日本人を差別したものではないようにも見えますが・・・

有色人種・日本軍捕虜から解放、フランスに帰国後は自国文明に向けられています。映画の根底にあるものは日本軍の捕虜収容所に囚われたフランス人捕虜、捕虜体験が猿の惑星では表現されているとも言われています。

更に、1964年に刊行された、「カナシマ博士の月の庭園」は黄色人種・日本人に対し、悪意を含んだような描き方のように思えます。

カナシマ博士の月の庭園とは・・・

アポロ11号に先立つこと数年前の作品です。月着陸競争の勝者はアメリカでもソ連でもなく、日本だったというお話です。何故、日本が先んじることができたのか、それは米ソが地球への帰還を前提にしていたのに対し、日本は神風特攻精神で行くことだけしか考えなかったからでした。

一番乗りを果たしたカナシマ博士は、月面に日章旗を立て、禅寺ふうの小さな庭をこしらえ、詩を作り、絵を描いた後、しばらく瞑想にふけってから、バンザイと叫びながらハラキリを敢行します。
白人からみれば、1960年代でも日本人はこんなイメージだったようです。

日本人は何を考えているのか、常識では計りきれない人種だと・・・戦前から欧米人に不気味民族として間扱いされた経験を過去に持つ日本人

唯、旧日本軍の捕虜に対しての扱いは、日本軍からしたら捕虜としての普通の扱いでも捕虜に苦痛を与えたようです。戦時下の日本軍の厳しい食糧難等々、捕虜となれば仕方ない面も多々あるとは思います。戦時下で快適な生活が出来る捕虜収容所は、世界にも稀です。

 

猿の惑星では、優れた白人を暴力で支配する野蛮人という構図が見え隠れします。白人主人公が正しい、美しいという前提で正しい、美しいのであれば相手は悪く、劣等等である、この白人相手を黄色人種・猿で表わしていると思います。映画で主張する、悪に征服される善の恐怖・・・

更に、「カナシマ博士の月の庭園」は黄色人種・日本人に対する大きな問題を秘めているようにも思えます。
世界には現在も形を変えて人種差別が存在しますが、タルムード(ユダヤの宗教規範)を信奉する人達がいる限り人種差別はなくならないでしょう。この問題を考える一助となるかも知れない猿の惑星、人類の歴史で白人優位が無くなるのは難しいように思う昨今です。

 


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聖書と同性愛

2018-09-05 17:36:16 | 日記

私達、日本人は聖書と聞いたら宗教の書と思いがちですが、本当に宗教の書でしょうか?

聖書を覗くと、欧米社会の思想、未来の一部を知る手がかりが見つかるように思います。聖書は宗教の書ではないように思います。世界の宗教各派は聖書を自分達の宗教の書として利用してると思います。

聖書は、私達人間の生きる導を記したものとして捕らえるべきかも知れません。

以下文は、同姓愛者の方達を批判するつもりは全くありません。同性愛と聖書は切り離すことは難しいです。聖書にもとずく、同性愛問題を記していますが、素人が記した同性愛問題で可笑しな箇所はスルーして下さい。

 

同性愛・・・聞こえは前進的のように思えますが、男女性の両方を中性化し可笑しな社会となる可能性が大きく、私達が生きて行く上で大切な家族、社会の基本単位でもある家族、社会の基本単位をも崩壊する可能性が大きいと言われています。

一説では、同性愛はタルムード(ユダヤの宗教規範等)信奉等により社会秩序を破壊する手段として広められていると言われています。絶対に迫害されないアシュケナージ・ユダヤ人を守るためのNWO・新世界秩序(アシュケナージ・ユダヤ人による、徹底した世界政府管理社会)を成就させるための軍事、経済策等以外の一手法として同性愛を広めていると言う説があるようです。

昨今、選択出来るライフ・スタイルとして、同性愛を推奨等々させようとしているのは、タルムードを信奉するNWO・新世界秩序推進者達とも言われ、その手段としてメディア等を徹底的に活用し社会に同性愛を浸透させている構図が見え隠れすると言われ、タルムードを信奉するNWO支持者は家族制度、社会秩序等を破壊する一手法として同性愛を利用しているとも言われています。

同性愛により世界各国の家族、社会単位等が揺らぎ崩壊すれば大変な社会となります。

表現が難しいですが、このような取り返しが出来ない可笑しな社会になった場合、軍事、経済策等同様、混乱した世界を落ち着かせるためにも、世界を誰かに統一、管理してもらうシステムが必要と言う言葉を発するのを待っているとも言われています。

今、世界では急速に同性愛が拡大していますが、この同性愛に反旗を揚げると法、社会の裁き受けるという現実、何かが可笑しいと思う人達は異常でしょうか?どのような問題も、大勢の人が賛成することが正しいとは限らず、誤っていることもあります。

 

昨今、ローマ教皇は同性愛について推進、問題等を起こしている中心的な人だと言う説があります。

有名な2018.5.22 ローマ(CNN)では、ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王が同性愛者の男性に、創造主である神が「あなたをそのようにつくった」との言葉をかけ、性的指向は「問題ではない」と言明しています。

ローマ教皇が神(神は同性愛を認めません。)に反抗するのは仕方がないことかも知れません。NWO推進論者だからでしょう。これらのローマ教皇の行為は聖書が預言していることだと言われています。

日本人から見たら可笑しいかも知れませんが、世界では聖書が預言したことは成就すると言われ、信じられ、そのように世界は動いているようです。戦前の新人外交官は、ユダヤを知り、聖書を学ぶことは必須と言われていたそうです。

聖書では、終末の時代は偽預言者、偽善者が非常に多くなり騙されないように言っています。騙されないためには、聖書の真理を知ることが必要でしょう。聖書の真理を理解することは信者でなくても大切かも知れません。

アメリカでは、州ごとに法律が異なりますが2003年から地方州で同性婚を合法化し始め、遂に2015年に最高裁がすべての州で同性婚を認容する判決を出しています。

ローマ教皇の影響が大きいようです。セレブと呼ばれる人の一部にも同性愛、同性婚を公にしている方も多いようです。

今後、この勢いは止まらないでしょう。何故ならローマ教皇を筆頭に、NWO・新世界秩序が同性愛と同性婚を許容、推進しています。

アメリカに限らず、欧州、アジア地域、アフリカ、南米も徐々に合法化を進めています。これらは21世紀になって急に起こってきたことです。それまでは同性愛は嫌悪、発覚すれば同性愛者たちはホモ、レズ等言われたので必死に隠そうとしました。人前に出ることすら憚られました。

1990年代までは同性愛は社会的に許容されませんでした。

現代の子供は、NWOが教育内容をねじ曲げ、同性愛が当たり前のように教育、その教育を受けた子供たちは同性愛に違和感を持っていません。これは非常に問題だと言われています。

日本ばかりでなく、世界中でも様々な差別禁止法が制定されています。

昨今、同性愛の環境整備を受けて同性愛者の人達は人前、テレビ等でも違和感無く公言されています。その数は今もどんどん拡大していっています。これらはNWO推進者達の徹底的なメディア戦略とも言われています。

 

この同性婚の法制化が意味することは何でしょうか?

2016年、フランシスコ・ローマ教皇は同性愛を認容、同性婚には反対していますが、この立場は矛盾しているとも言われています。ローマ教皇は真に聖書・イエスを信じていないと見るべきと言う方も多いようです。過去のローマ教皇は同性愛、同性婚を一切認めてきませんでした。認めたのはイエズス会出身の現、ローマ教皇のフランシスコだけです。ローマ教皇が同性婚も公に認めた時、聖書のみに依拠する信者は迫害される可能性があるとも言われています。これはローマ教皇の権威を完全に聖書の上に置いたことを意味すると言われています。ローマ教皇に逆らう者は反逆者、異端分子として迫害される可能性があるとも言われています。

 

同性愛、同性婚に反対する唯一の根拠は聖書の言葉と言われています。人間の法律で同性婚を合法化したからと言って、神も合法化するということにはならないでしょう。聖書上は権威、法律で同性愛や同性婚を認容することは、神に反逆することになるようです。

 

聖書の中の同性愛

*旧約聖書 レビ記 18章22節

「女と寝るように男と寝てはならない。それはいとうべきことである。」男が女と寝るように、男が男と寝てはならないと書かれています。

 

*旧約聖書 レビ記 18章26節

あなたたちはわたしの掟と法とを守り、土地に生まれた者であろうと、あなたたちのもとに寄留する者であろうと、以上に挙げたいとうべきことを一切してはならない。

 

22節では同性間の性行為についての禁止、22節以前で近親相姦(異父母間も含む)の禁止、23節には獣姦の禁止があります。

通常の男女間以外の不自然な関係を神は戒めています。

 

新約聖書内の同性愛記述

* 新約聖書 ローマ使徒への手紙 1章26〜28節

女は自然の関係を自然にもとるものに変え、同じく男も、女との自然の関係を捨てて互いに情欲を燃やし、男どうしで恥ずべき行為を行い、その迷った行いの当然の報いを身に受けています。彼らは神を認めようとしなかったので、神は彼らを無価値な思いに渡され、そのため、彼らはしてはならないことをするようになりました。

 

*新約聖書 コリントの使徒への手紙一 6章9〜10節

正しくない者が、神の国を受け継げないことを知らないのですか。思い違いをしてはいけない。みだらな者、偶像を礼拝する者、姦通をする者、男娼、男色をする者、泥棒、強欲な者、酒におぼれる者、人を悪く言う者、人の物を奪う者は、決して神の国を受け継ぐことができません。

ここでも同性愛を神が罪としています。神が定めた罪である同性愛、またそれを合法化する同性婚など聖書上はあってはならないことです。

昨今、世界の人々は法の下の平等、憲法、法律を盾にして神に逆らっていることになります。憲法が人の作る法の中で最高法規であるのは当然ですが神の掟、神の律法は憲法、法律等とは比べ物にならないと思います。聖書は人間の肝、魂の部分を記していると言われています。

神に従うか、人間に従うのかはっきりする時代が来ているとも言えると思います。

隣人愛、平和、友愛、融和、平等といった綺麗事で同性愛や同性婚を肯定するメディアの情報操作に騙されてはいけません。このメディアの後ろに居る人達はどのような人達か・・・

 

同性愛は、真に悔い改めれば赦されない罪ではないようです。

*新約聖書 コリントの使徒への手紙一 6章11節

あなたがたの中にそのような者もいました。しかし主イエス・キリストの名とわたしたちの神の霊によって洗われ、聖なる者とされ義とされています。

同性愛は、パウロが生きた時代の1世紀に既にあったことです。

そのような者もいましたと過去形を使っています。同性愛という罪を犯した人もいましたが、悔い改めて同性愛を以後しなくなった者が救われると11節で述べています。

同性愛は、紀元前の頃からあり、そのような神が厭われる人間の行為が昔からあったから罪と定められています。イエス・キリストを信仰、真に悔い改めれば(同じ罪を犯さない)、義とされるとあります。

同性愛にまで至らなくても趣味で男装、女装する人、これらも神からすれば罪となるようです。同性愛に手を出さないから大丈夫、出来心でも罪となるようです。 

 

*旧約聖書 申命記 21章5節

女は男の着物を身につけてはならない。男は女の着物を着てはならない。このようなことをする者をすべて、あなたの神、主はいとわれる。

女性の男装、男性の女装は神が厭われると書かれています。男は男らしく、女は女らしくするとしています。

 

今後も世界中で、益々増えるであろう同性愛、同姓婚、勿論日本でも身近になるでしょうが、本当に日本人家族、日本社会のためになるでしょうか?大きな疑問が付きまといます。 

再記しますが、私達は聖書は宗教書と思いがちですが宗教とは何の関係も無いように思います。各宗教が聖書を各宗教に都合がいいように解釈、利用してるだけだと捕らえるべきかも知れません。

聖書は、人間の生きる導を記したものであることは間違いないでしょう。聖書を守れば誰でも人間の道を外す事は無いとも言われ、これは万国の万人が認めています。

聖書は、常に世界でも群を抜く、世界一のベストセラーです。勿論宗教に関係なく読まれている方が多いのも事実で、その内容が重要だと言われています。

今、日本のTV等でも徹底したタルムード思想を垂れ流していると言われています。このタルムードの根底に宿る同性愛により本来の人間家族、社会等が崩壊しようとしていると言われ、同性愛問題は未来の家族制度、人間社会、国家のあり方等あり方が問われている極めて重要な問題で避けて通れないと思います。


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