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映画・帰ってきたヒトラーとドイツの良識

2018-07-24 19:39:18 | 二次大戦ドイツ

映画・帰ってきたヒトラー、ウィキペデイア、ドイツの匿名個人プログ、ネット上の資料等々を参考、一部コピーしていますが、「内容は全て作り話・フィクション」とします。

 

映画「帰ってきたヒトラー」は終戦間際から、現代に飛んで風刺、コミック、漫画のように面白おかしく映画で表現していますが、内に秘めるものは一言で言えばドイツの良識の葛藤を表現しているかも知れません。有名な過去の映画は、ゲルトラウト・ユンゲ(Gertraud Junge、1920年3月16日~2002年2月10日、アドルフ・ヒトラーの秘書)の詳細な証言にり作られた、「ヒトラー ~最期の12日間 Der Untergang a.k.a. Downfall 2004」のように、良識のドイツがアシュケナージ・ユダヤ人を気にして、ドイツ人の誇りを一部表現できる限界だったと思います。帰ってきたヒトラーも同様だと思います。

原題はEr ist wieder da 「彼が帰ってきた」は、ティムール・ヴェルメシュ(独・Timur Vermes、1967年~は、ドイツのジャーナリスト、作家、翻訳家)が2012年に発表した風刺小説です。現代のドイツに蘇ったアドルフ・ヒトラーが巻き起こす騒動を描いています。ドイツではベストセラーになり、映画化されました。ヒトラーに対する数々の肯定的な描写から物議を醸したが、ヴェルメシュ自身は、ヒトラーを単純に悪魔化するだけではその危険性を十分に指摘できないとし、リアルなヒトラー像を表現するためにあえてその優れた面も描き出したと述べています。

映画は2015年10月8日公開、コンスタンティン・フィルムが制作担当、オリヴァー・マスッチ(ドイツ語版)が主演を務めています。公開第3週には興行収入ランキング第1位となっています。2015年、興行収入は21万ドルを超え、2016年にはヨーロッパ各国で公開、日本では2016年に公開、今もレンタルビデオで見ることが出来ます。

 

現在も続く、敗戦国ドイツ良識の苦悩・・・ドイツ等ではホロコースト等への批判は許されません。ドイツでは最長5年、チェコでは3年、フランスでは2年の実刑が課せられます。オーストリアでは最長では20年もの懲役になります。これらの検証、疑問さえもつことは出来ません。

ホロコースト否認は次の10カ国で違法です。フランス(ゲソ法)、ベルギー (Belgian Negationism Law) 、スイス (刑法261条bis ) 、ドイツ、オーストリア (article 3h Verbotsgesetz 1947) 、ルーマニア、スロヴァキア、チェコ、リトアニア、ポーランド。イスラエルでも違法となります。

カナダ、イギリスでは、ホロコースト否認を禁止する法律はありませんが、名誉毀損や民族間の憎しみの助長やヘイトスピーチを禁止する法律があります。ドイツ・オーストリア・フランスではナチスの犯罪を否定、矮小化した者に対して刑事罰が適用される法律が制定されていますが、人種差別禁止法によってホロコースト否定を取り締まる国もあるようです。1994年からドイツではホロコースト否定が刑法で禁じられており、違反者は民衆扇動罪(第130条)で処罰されます。オーストリアも同様です。

これに反旗を揚げたのが2005年からイラン大統領に就任していた、マフムード・アフマディーネジャード(Mahmoud Ahmadinejad)大統領です。

マフムード・アフマディーネジャード・元イラン大統領は、生粋の血統的スファラディー・ユダヤ人(聖書に出てくる本当のユダヤ人)ですが、改宗しイスラム教徒です。世界の全ての問題の根源であるアシュケナージ・ユダヤ人(聖書に出てくるユダヤ人とは何の関係もありません。偽ユダヤ人でタルムード等を信奉等する人達)が信奉するタルムードに対し疑問を投げかけてきました。現世界を制しているとも言われるアシュケナージ・ユダヤ人から見たら絶対に許せない存在でしょう。イランが世界の問題のように情報操作されているのは間違いないでしょう。

ホロコースト問題を、堂々と欧米の代表者と論じていました。このビデオは、今も「ホロコーストはなかった」 ホロコ-ストとイスラエル イラン大統領2009としてユーチューブにあります。明快な受け答えです。この結果・・・現在も何かと主要メディアを活用し、徹底的な打倒イランとなっていると思います。

ドイツ連邦基本法裁判所は、ユダヤ人虐殺はなかったなどと主張するのは、基本法(日本の憲法)が保障する言論の自由にはあたらず公共の場では禁止できるとしています。

当然、ヒットラーの書籍類は販売が制限、ナチス、ヒットラーを肯定的に見ることは許されません。現、ドイツ国内では今も監視の目が隅々まで光っています。私達が考えるドイツとは違った面が多々あり、表に出ることは少ないようです。現ドイツは間違いなく、徹底した監視社会とも言えそうです。

このタブーを破りたい生粋のドイツ人は多くいますが全ての地位、職業等を失います。現ドイツは、生粋のドイツ人の国から遠ざかってしまったとも言えそうです。

 

ドイツは戦後、イスラエル、アメリカにつぐ世界最大のソビエト・ユダヤ人移民国です。ナチスによる迫害、ホロコーストに対する非公式の償い・・・ドイツ国内に居住する国外からきたあらゆるユダヤ人にたいして、同じドイツ国内に居住する他の外人グループにはあたえられないような特権が認められています。国外からきたユダヤ人は,ドイツのユダヤ人協会に登録済みであることを証明さえすれば,移民当局の滞在許可と労働事務所の労働許可を直ちに入手できます。

ドイツは、今も形を変えてイスラエルに戦後賠償をしています。

イスラエルは第2次世界大戦の時には存在しなかったので当然、戦勝国ではなく被害にあったわけでもありません。

EUで一人勝ちのドイツ・・・その割にはドイツは極めて質素、そのお金は、何処に行ってしまうでしょう・・・タブーの一つに、現在もユダヤ人がドイツ国内に会社を作って利益を得ても税を逃れることが出来ますが、これらの事実は表に出ることはありません。昨今のドイツの難民受け入れ問題も、好き好んで受け入れていません!敗戦国の押し付けであることは明白です。

1990年7月17日付のポーランドの連帯系の選挙新聞は、アウシュヴィッツ収容所博物館による調査結果として、400万人に上るといわれたナチス・ドイツのアウシュヴィッツ収容所の犠牲者は、本当は約150万人レベルだったと発表しました

同博物館の歴史部長によると調査で確認された犠牲者の数は計約110万人で、内訳はユダヤ人が96万人、ポーランド人7万5000人、ジプシー(ロマ)2万1000人、ソ連兵捕虜1万5000人など。死のキャンプからの生還者は22万3000人だったそうです。

アウシュビッツの犠牲者は、単純に計算しても毎日5000人以上が戦争中継続して殺されていることになりますが、有り得ない数字で、小学生でも理解できるでしょう。この事実は過去、日本で起こったマルコポーロ問題の核心かも知れません。
ヨーロッパ全体で殺されたユダヤ人の総数600万が訂正されたわけではありません。600万は不変です。
600万という数字はシンボルと見るべきです。600万を否定することは、即ホロコースト否定となり、犯罪です。

 

戦後、ユダヤ人団体が600万という数にこだわり続けているのは経済的理由とも言われています。600万人分の殺人の代償として、イスラエル国家はドイツ国民に年間8億ドルを10年間賠償金として賦課しました。その上、ドイツはユダヤ人虐殺などへの個人補償だけでも円換算で総額約6兆円を支払っています。

ナフム・ゴールドマン・ユダヤの逆説より・・・
ドイツは戦後、総額8000億ドル支払うことになりました。イスラエル建国初期の10年間、ドイツからの賠償金がなければ、現在のインフラの半分も整備されていなかったでしょう。
イスラエルの全ての鉄道・船・電力設備・産業基盤はドイツ製です。
その上、生存者に支払われる個人賠償、イスラエルは現在もドイツから毎年何億ドルの賠償金をドイツ通貨で受け取っています。もう数年経てばイスラエルがドイツから受け取った賠償金の総額は、宝石売却による資金の2倍、もしくは3倍になるでしょう。この賠償に対し現在、誰も不服を言う者はいません。

表に出ることはありませんが、ドイツは今も右から左に金を動かしているだけとも言われています。戦後60年以上が経ちました。現在もドイツ国民としての尊厳、本当の夢が持てない苦しい状況と思います。

イスラエルには建国前、イスラエル協定と呼ばれる賠償協定がありました。これはボツダム協定の賠償の枠を越えた償い協定であると言われています。

イスラエルはドイツからの賠償を要求していましたが、戦時中には存在していなかったイスラエルに賠償請求権がほんとうにあるか、法的な疑問と言うのが戦勝国の立場だったようです。多くのドイツ人もこの件に関しては無言です。
1945年にイスラエル建国、イスラエル協定に基づいてドイツへ請求した金額は1994年の交換レートで5兆8千億円、イスラエルは砂漠地帯に給水設備を創設、国際的にも非難されている占領地域にまで入植し、移住者をむかえるためにも多額の資金が必要でした。

イスラエル経済はドイツや米国、数兆円の間接的巨額支援(過去の米国政府関係者談)の日本からの資金援助なしには絶対に成り立たなかったのが実状のようです。

2000年までにドイツからイスラエルに支払われた額は優に13兆円を超えています。

自分達の被害を強調し続けるのも自然な事かも知れませんが、一度捏造したら永遠に嘘つき続けなければなりません。

嘘によって成り立っている利権
この真実を知ろうとすれば、ユダヤ人団体から潰されてしまいます。日本も過去、マルコポーロ事件がありました・・・ユダヤ問題は知ろうとした時点で、犯罪となるようです。全てのドイツ問題、世界問題の根底に見え隠れするタルムード、タルムードは世界最高のタブー中のタブーです。
現在は、嘘をつき続ける事で利益を得る人達が政治的にも経済的にも優勢のようです。メディアも支配されていますが、それが世界の現実かもしれません。主要メディアとはメディア支配者の見せたい現実しかありません。本当の現実を知りたいならばテレビ等を避ける必要があります。今日、私達は真実の情報を得る手段をネット等で得ることが出来ますが、同時に偽の情報も氾濫しています。

同じ敗戦国、日本とドイツ・・・日本には憲法9条、ドイツにはホロコーストと言う印籠が作られたようにも思います。

帰ってきたヒットラーは敗戦国、現ドイツの「良識の葛藤」を表現しているかも知れません。


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歴史は勝者が作るか・・・ナチス台頭の一側面

2017-12-07 11:04:26 | 二次大戦ドイツ

以下の文は、Rothschild Money Trust、プログ日本人が知らない真実の一部コピー、加筆等していますが、誤訳等も多々あると思います。歴史は勝者が作る・・・雑文とします。

 

昨今の文献等で精査すれば、ヒットラーが台頭した背景の一つには、欧州等を金融支配しようとした雲上人とでも言える国際金融資本家に利用されようとしたヒットラー・・・第二次世界大戦での欧米、ドイツの戦争資金等々の支援、両陣営はこれらの金融資本家の莫大な支援が見え隠れします。

ヒットラーを利用し欧州等の安定金融等支配、しかしヒットラーはナショナリズムを選び、ドイツ国家の繁栄、ドイツ国民の夢を持てる国家を目指しまた。国際金融資本家を裏切ったような構図になると思います。

ヒットラーは「タルムード」を信奉するアシュケナージ・ユダヤ勢力に負けない、強大な国作りを目指しました、ローマ帝国です!

ドイツのハイルの敬礼、鉄兜の作りはローマ帝国の軍を模倣しています。

ナショナリズムを選びドイツ国家の繁栄、ドイツ国民の夢を持てる国家を目指しましたが敗戦、勝者の理論からヒットラーは世界一の悪の権現とされました。

 第1次世界大戦後のヨーロッパ、ドイツはユダヤ人(アシュケナージ・ユダヤ人・・・旧カザール人でユダヤ教宗教集団で偽ユダヤ人とも言われています。旧約聖書の民のユダヤ人とは違います。)のタルムード(ユダヤ人のみが人間、他はゴイム(豚、軽蔑語)・・・」)が蔓延しており正常心、良心の人であれば、何処の国の人でも間違いなくユダヤ人を軽蔑するでしょう。

タルムードを信じるユダヤ人(アシュケナージ・ユダヤ人)がヨーロッパで台頭、理不尽なやり方で経済を搾取していたか、ドイツ以外でも多くの国で軽蔑されていました。戦後はドイツのみがユダヤ人迫害をしているように報道されていますが、現実はかなり違いヨーロッパの多くの国で軽蔑されていました。ヒットラーが台頭した一原因の見えない部分だと思います。

第1次大戦の結果、ドイツ皇帝は退位し、宰相ホルヴェークは辞職しました。ドイツのユダヤ人達はそのまま残りました。ドイツはユダヤ人(アシュケナージ、ユダヤ人)支配の君主国から、ユダヤ人支配の民主主義国へと変わっただけでした。民主主義国になって、ドイツを支配するユダヤ人の顔ぶれは一新しましたが、相変わらず金融大富豪ロスチャイルドの影響下にあり、ロスチャイルドの理想具現化のためユダヤ人達はロスチャイルドの計画に従っていました。

最初にとった行動は、ドイツの通貨・ドイツマルクの価値を下落させることでした。何十億もの巨額のマルクを大量発行、マルクの価値がなくなるまで発行し続けました。後、ユダヤ人は無価値のマルクに対し、強いドルを持ち込みドイツの土地、建物、工場等々などを買いあさりドイツ国民は対抗する術が何も有りませんでした。

ドイツのマルクの暴落、そこにユダヤ人(アシュケナージ・ユダヤ人)強いドルを持ち込み、ただ同然の価格でドイツ国内のありとあらゆる物件等の買いあさり、当時の誇り高い頭脳明晰なドイツ人は何も出来ず屈辱の日々、夢を持てない日々を味わっています。そこに台頭したのがヒットラー率いるナチスです。ドイツ国民は、ほぼ全国民がナチスの反ユダヤ策等の政策を支持しています。ヒットラー・ナチス台頭の原因の一つは間違いなくタルムード、強いドルでのドイツ物件等の買いあさりでしょう。
このような事態がソ連崩壊時にも起こりました。ルーブル下落時の強いドルでの物件、国宝等々の買いあさり事態となっており、ロシア国内では多くの乞食が出現、高齢者自殺者の激増、経済の混乱等々、プーチンはこれらの実態を精査し、原因を突き止め、国家の指導者として国益、国民益の確保に奔走しました。如何なる理由があるともロシア国、民益を守る為立ち上がった大統領と言われ、常にロシア国民の80%以上の支持を得ています。


ドイツ国内の無茶苦茶なインフレが静まり、しかも財産をただ同然で獲得し終えてから、ユダヤ人勢力は、ドーズ委員会を通じてドイツ国立銀行を再建し、金本位制を復活させ、デフレ政策に切り換えました。
ユダヤ人はドイツ国民を圧迫し、困窮に陥れながら自分たちは裕福な悠々自適の生活、ドイツ国民は想像を絶する大変な困窮生活になっていました。ユダヤ人はドイツの全財産の少なくない部分を占めていました。ドイツの全人口の1%にも満たないこのユダヤ人が、この国の8割の富を所有していました。これらの財産は、主に通貨制度を操作して得たものでしたが、ヒットラーは忍耐強く耐えていたようです。


第1次大戦・・・米国のウィルソン大統領は有名な「14ヵ条」を、ドイツをはじめとする世界各国に休戦交渉の共通基盤として宣言しました。
もしドイツが降伏すれば、ドイツ政府もドイツ国民も「不利益を被らないということをほぼ保証」するものでした。

休戦条約は皇帝によって正式に受諾され、これによって休戦が宣言され、ひきつづいてベルサイユ講和条約が結ばれました。降伏して武装解除、無力になると今度はユダヤ人の手にゆだねられ解体され無力化されました。

第2次大戦が始まる数ヵ月前にヒットラーはラジオ演説で、ドイツ軍を降伏させるためウィルソン大統領がおこなった14ヵ条の約束のことに触れ、アメリカ政府によって暗に保証されていたこの約束が踏みにじられたこと、ドイツ帝国が解体されたこと、ベルサイユ条約で想像を絶する理不尽な支払い不可能な高額の賠償金が課せられたこと、ドイツ政府のユダヤ人内閣が戦後国民を大不況に陥れたことなどを数え上げヒットラーは次のように述べています。

ユダヤ人は、一方ではこの国を情け容赦なく略奪し、この国を惨めな状態に陥れておきながら、もう一方では、惨めな国になってしまったこの国の国民を扇動してきた。わが国の困窮状態が、ユダヤ民族が唯一目指しているものにふさわしいほどになったので、増大している失業者の群れの中に、ボルシェビキ革命にふさわしい人材を彼らが養成するのは可能となった。
政治秩序の崩壊と、無責任なユダヤ人の報道機関によって起こされた人心の混乱は、かつてないほどの強い衝撃を経済生活に引き起こし、その結果困窮者は増大し、政府転覆を図るボルシェビキ思想がますます受け入れやすくなる土壌ができあがった。ユダヤ世界政府革命軍は、失業者群を呼び集めて、ついに700万人近くになった。


戦争挑発・・・屈辱的な融和政策はもうごめんだという叫びが、現在、世界中に響き渡っているが、この叫び声は戦争挑発者にとって平和解決は最も命取りの解決方法だという事実を世界にふれまわっているだけだ。彼らは血が流されても平気である。もちろん彼ら自身の血ではない。これら挑発者たちは弾丸飛び交う戦地には姿を現わさず、もっぱら金儲けのできる場所にいる。血を流すのは名もない兵士たちなのだ。

ヒットラーは演説で、ポーランドに向けて率直明快に、もとドイツ領であったダンツィヒとポーランド回廊はもらわねばならない。ドイツ国民が住んでるポーランド内、飛び地を考慮しています、このことは戦勝国は触れてほしくない事実で、一部しか真相は公表されていませんが、以前ドイツ領であったシュレジアは要求しないと述べています。更に、世界平和のため以前ドイツ領であったアルザスに関する条約をフランスと結んだことを述べ、その条約を遵守すると演説しています。


ヒットラーはポーランドと交渉を開始、これらの領土を平和的な話し合いによってドイツに返還させようとしました。交渉の最中にポーランド在住のドイツ人虐殺事件が起こったが、それにもかかわらずヒットラーはこの条約を締結するためユダヤ人のポーランド外相ベックとの会見の約束をしましたが、ベックはこの約束を守りませんでした。ベックは約束を守るどころか、ロンドンへ出向き、英国首相に助言を求めました。ヒットラーはポーランドの反乱を押さえるために軍隊を送り、その結果、英国とフランスがドイツに宣戦を布告しました。第2次大戦の始まりです。

戦勝国が触れてほしくない事実・・・そもそもポーランドは1次大戦前は存在しない国でした。ドイツにとっては、敗戦によりポーランドが旧ドイツ領に建国され、飛び地となったドイツ人の町が孤立してしまいますので、ドイツは如何しても回廊が必要でした。しかし計画的なポーランドは、絶対に認めないように英国等に後ろで指図等し、ドイツの回廊確保のためのドイツの侵攻を固唾を飲み待ち望みました。
戦争にドイツを引きずりこんだと言う構図が見えてきます。戦争を好くする人たちがいたということになります、まったく真相は我々が学んだ歴史とは違います。
日本の真珠湾攻撃、ドイツのポーランド侵攻もまったく同じ構図であり罠にはまったと言う事が出来ます。戦勝国は触れてほしくない部分でもあると思います。


ポーランドを侵攻、征服した後、ヒットラーはベルサイユ条約でドイツから奪われた領土以外は、アルザスを例外として要求しないという条件をつけて、連合軍およびその他の国々に和平を再度提案しました。
今回のこの提案と最初の提案との違いは、今回はベルサイユ条約で英国に与えられた植民地をドイツに返還するよう要求しています。
この申し出に対する回答は、ヒットラー政府と取引する気はない、ヒットラーとナチスは潰してしまわなければならないというものでありました。

以後、英国は海上封鎖をして敵を兵糧攻めにする戦略をとりました。英国は、「大英帝国がその大半をつくった国際法」を自ら犯して、ドイツの輸出入を封鎖しました。
ドイツはこれに対してUボート潜水艦と空軍で対処し成果を上げ、飢えるのは「反対側」の英国という皮肉な結果となりました。
考えてみれば、ドイツは国際法の戦争規則に従って戦争をしてきている面が多いように思います。


英独戦では、英国の予想を裏切って、その秀でた空軍力を利用して行なう毒ガス攻撃はせず、英国の指揮官を一人も殺そうとはしていません。
英国の船が沈められたときも、英国の兵士や船員を保護、移送してました。

有名な実話・・・ノルウェーの港に停泊しているアルトマルク号(独の捕虜輸送船)には英国捕虜が多数乗っていましたが、英国のチャーチルの命令で英国の巡洋艦がノルウェーの中立を踏みにじり、アルトマルク号(無抵抗で丸腰の船員)を攻撃しました。ドイツは捕虜たちの船が沈められたとき、彼らを見殺しにすることもできたのに救出・・・
非武装のアルトマルク号を英国が攻撃した事件は、英米のユダヤ人報道機関から英国の大勝利として大喝采を浴びました。


ドイツが諸般の理由でユダヤ人の市民権を剥奪し罰金を科すと、アメリカは大使をドイツから呼び戻しました、これは戦争行為にほかなりません、通常大使引き上げは宣戦布告に先立つ第一ステップです。ヒットラーは、アメリカではまったく戦争の態勢が整っていないにもかかわらず、アメリカとの戦争を望んでいないという明白な理由で、このアメリカの挑戦に乗りませんでした。
米国ルーズベルトにとっても残念ながら当てはずれだったようで、米国ルーズベルトは怒りをあらわにして、ドイツからの輸入品に25%の関税をかけ、ニューヨークの銀行に預金されていたドイツ国立銀行の金を差し押さえました。これらの行為は明らかな戦争行為であるが、ヒットラーは落ち着いて堂々と対処しました。
ヒットラーはアメリカから大使を引き上げ、アメリカのドイツへの輸出品に同様の関税を課しただけでした。
ヒットラーがアメリカとの戦争を望んでいるのであれば、彼には戦争を始める大義名分があるにもかかわらず戦争を避けました。


当時のユダヤ系新聞、ハッツフィラーの記事

ヒットラーが極悪人なら、彼はわれわれに宣戦布告するであろう。しかも、われわれの準備や武器が整わない今の間にそうするであろう。わが国が工業活動を加速し、消耗した戦備を補給できるまで、二年も三年も待ちはしないであろう。彼はそんな悠長なことをするほど無分別ではない。彼は、自分の準備が整い、われわれがまだ不備ないま宣戦するであろう。
ヒットラーについていかなる見解を抱こうと、われわれは次のことを認めねばならない。「ヒットラーはこの戦争に余儀なく引き込まれた」こと。彼はベルサイユ条約によって不当にドイツから奪われた領土をドイツに返還することを基準として、和睦する用意があったこと。さらに彼は、文明国戦争のルールに従って戦争を遂行したことである。

連合国側が戦争を行なう目的は、ポーランドやチェコスロバキアやその他の国の回復ではありません。主目的はヒットラーとドイツを倒し、金本位制を守ることである。なぜならヒットラーもドイツも共に反ユダヤであり、金本位制を通してユダヤ人はすべての国の経済を動かせるからだ。ヒットラーが金本位制を廃止したその日からドイツは繁栄に向かい、失業もなくなりました。ドイツは金を持たずに戦争を行なっており、ユダヤ人からカネを借りなくとも戦争はできるということを世界に示しました。

ヒットラーの『我が闘争』を読むと、彼の主張は正当なものが多々あるように感じます。(我が闘争は、進化論で有名なダーウィンの題名「生存闘争」を模して、題名を「我が闘争」にしています。)

この憎悪に満ちた世界の動きを陰で操っている者はどこにいるのだ。誰がこの狂気を作り出したのだ。この狂気を全部ロシアに移植し、他の国々にもはびこらせようとしているのは誰だ。この疑問に対する答えを知れば、われわれの反ユダヤ政策とわれわれの妥協なきユダヤとの戦いの本当の意味がわかるであろう。なぜならボルシェビキの国際組織インターナショナルは、実際にはユダヤの国際組織にほかならないからだ。


マルクス主義を考え出したのはユダヤ人である。マルクス主義を媒介にして世界革命を起こそうと何十年も前から画策してきたのはユダヤ人である。世界中の国々のマルクス主義組織の党首は、現在すべてユダヤ人である。国家も民族も国も持たない流浪の民にしかこのような悪魔の思想は宿りえない。悪霊に取り憑かれた者のみが、この革命を行なえるのだ。(ゲッペルス 1935年演説)

ヒットラーと言うと悪の権現見たいに思いがちですが、ナチス結党以来の目標の一つには格差社会の根絶等があります。この目標は最後まで変わることはありませんでした。現代日本にも参考できる箇所が多々あります。

ヒットラーは決して自分の利益のために行動を起こしたわけではなく、日々の生活は質素で、酒、タバコ、肉は食べなかったと言われております・・・理不尽な社会の改革、ゲルマン民族の真の独立実現を目標にしていたと言えると思います。

当時ヒットラーの秘書であったユング女史が述べているように、子供が大好きで、別荘ではいつも子供達が遊びに来てたそうで、絵画、犬が大好きだったそうです。世界の多くの人々は未だに真実に触れることはできません。
ユング女史が記した映画「ヒットラー」は、ドイツ人が戦後初めて作成したヒットラーの映画で、ヒットラーは正常人であり、ドイツの尊厳を書いています。(現ドイツ・ユダヤ人に最大の配慮をしているようです。)

前に麻生氏が発言われたナチスは国民の多数合意で政権の座に着いた・・・間違いなく多くの国民の支持合意で政権の座についているようです。勝者の理論で戦勝国はナチス、ヒットラー等を全世界に悪の権現と徹底的に伝えました。

私達が常日頃利用している高速道路のインターチェンジ、オリンピックの聖火等ヒットラーのアイデアです。
有名なホルクス・ワーゲン、当事の車は高価で、多くのドイツ国民が低所得者でも夢が持てるようにヒットラー自身がデザインしました。
ヒットラーは自身は決して贅沢するでもなく質素な生活をしています。ドイツの主権回復、自国益に奮闘しています、独裁者とは思えません。
日本同様ドイツも苦難の戦後が現在も尾を引いているようです、GHQに教育を変えられた日本ほどではありませんが・・・

ユダヤ人(アシュケナージ・ユダヤ人)の中にも、現在世界の平和、発展に尽くされてる多くの有名、無名の方々がいるのも事実です。


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ナチス・ドイツと聖火リレー

2016-08-06 13:19:01 | 二次大戦ドイツ

以下文は、鐵道趣味誌・THE RAILWAY TASTE、公益財団法人・日本オリンピック委員会の資料を一部参考にしています。

リオのオリンピックが始まりました!

オリンピックは2種類あり、古代オリンピックと近代オリンピックに分かれるようです。

古代オリンピックは、古代ギリシアにおいて開催された神々にささげるための祭典です、スポーツイベントというより宗教的意味合いが強かったようです。

近代オリンピックは、1896 年第1回大会がアテネにて開催されました。以後今日まで、オリンピックは平和と国際理解のため役割を果たしていると思います。

 

オリンピックの聖火、古代オリンピックでは競技の間、聖火はゼウスの神殿祭壇にありました。オリンピック競技開始前には、招待状を携え休戦を告げる平和の使者たちが各地を走ったと言われています。

私達に関心がある、オリンピックの聖火リレーは何時から始まったか・・・
1936年のナチス・ドイツのベルリン大会からです。

ヒトラー政権下のナチス・ドイツ、1936年ベルリン大会において、故事を生かした聖火リレーがナチス・ドイツにより考案され、古代オリンピック遺跡のヘーラー神殿跡で凹面鏡に太陽光を集中させ採火しランナーに手渡し、ベルリンを目指し、松明で(たいまつ、手で持てるようにした長い棒やさおなどの突端に、松脂など燃えやすいものに浸した布切れを巻きつけたもの。)リレーされました。

アドルフ・ヒットラーの目標、夢は、間違いなく強国古代ローマの復活と言われています。

ハイルと言う時の、右腕を伸ばし30度位上げる仕草、ドイツ軍の独特のヘルメット等、全ては古代ローマを模しています。

古代ローマのオリンピックと聖火・・・ヒットラー率いるナチス・ドイツが考案した聖火リレーは強国古代ローマ復活の夢の一つであったかもしれないですね。

ギリシャ・オリンピアからベルリンまでは3000キロ・・・ナチス・ドイツの国民啓蒙・宣伝省(国家宣伝と国民指導を目的とした省)が聖火リレーの綿密な計画を立てました。ドイツ国境から首都ベルリンにかけて多くの人の手によるリレー等、演出が施されました。

出発地のオリンピアからナチス・ドイツ直轄ラジオ局が同行、聖火リレーの様子をドイツ国内に伝えています。多くの国民は聖火リレー放送を、国民ラジオVE-301型で聞き大変熱狂したそうです。
最終地、ベルリン市内では、2万5000人のヒトラーユーゲント(ナチス党内の青少年組織、10歳~18歳の青少年)、4万人の突撃隊員(ナチスの準軍事組織員)、国民の多くが盛大に聖火を出迎えました。

世界初の聖火リレーを取り入れたオリンピック、ナチス・ドイツの国威発揚の場となり、ドイツ国民もオリンピック成功で自信を持ったと言われ、ベルリン大会は大成功でした。

ナチス・ドイツが考案した聖火リレーは、以後世界の人々の心を掴み、オリンピックに欠かせない催しとなり現代に至ってると思います。

 

1964年の東京大会、開会式(10月10日)の約2ヵ月前にの8月21日に、採火式がギリシャのオリンピア・ヘーラー神殿跡で行なわれました。

海外聖火リレーの空輸総距離は1万5,508km、地上リレー総距離は732km(リレー総区間は870区間)、参加リレー走者は870人です。

翌日、アテネに到着した聖火は、日本航空の聖火空輸特別機シティ・オブ・トウキョウ号(コンベア880M型ジェット)に積まれ、アジア各地を経由しながら東京を目指すこととなります。

 

ギリシャから日本までは、イスタンブール(トルコ)→ ベイルート(レバノン)→ テヘラン(イラン)→ ラホール(パキスタン)→ ニューデリー(インド)→ ラングーン(ビルマ)→ バンコク(タイ)→ クアラルンプール(マレーシア)→ マニラ(フィリピン)→ ホンコン(ホンコン)→ 台北(チャイニーズ・タイペイ)と、11の中継地を経て、9月7日に沖縄(日本返還前)に到着しました。

当時沖縄はアメリカの統治下で海外での聖火のスタートになります。沖縄で聖火リレーは約3日の予定で沖縄本島を1周します。
琉球高等弁務官の米国陸軍ワトソン中将は、全琉球において日の丸の自由掲揚を祝賀行事として黙認しました。那覇市の奥武山陸上競技場では初めて国旗掲揚時に、日の丸、そして星条旗の順で掲揚、奥武山陸上競技場に日の丸が掲揚されたのは戦後19年で初めてのことでした。

台風の遅れていたので急遽聖火は予定通り9日に出発、聖火は沖縄で分けて全琉をまわって後で聖火を合流する計画に変更です。

沖縄から本土へは、YS-11試作機2号機を、日本航空機製造㈱からレンタルして全日空が運航しています。機体には、聖火輸送特別機と五輪マークを大書しています。
9月9日午前6時58分に那覇空港を離陸本土へ向かいます。アメリカ施政下の琉球列島を離れ奄美大島からは日本領空、ここから航空自衛隊のF-86戦闘機4機がYS-11と随伴したと言われています。

聖火特別輸送機は鹿児島空、宮崎空港、途中給油に名古屋空港に寄り、そして千歳空港と1機で日本を横断しています。聖火輸送を記念して、全日空のYS-11は愛称をオリンピアと呼ばれています。

国内の聖火リレーは4コースに分かれ、最終地東京を目指しました。

第1コース 9月9日(水)~10月9日(金)
鹿児島 → 熊本 → 長崎 → 佐賀 → 福岡 → 山口 → 広島 → 島根 → 鳥取 → 兵庫 → 京都 → 福井 → 石川 → 富山 → 新潟 → 長野 → 山梨 → 神奈川 → 東京

第2コース 9月9日(水)~10月8日(木)
宮崎 → 大分 → 愛媛 → 高知 → 徳島 → 香川 → 岡山 → 兵庫 → 大阪 → 和歌山 → 奈良 → 京都 → 滋賀 → 三重 → 岐阜 → 愛知 → 静岡 → 神奈川 → 東京

第3コース 9月9日(水)~10月7日(水)
北海道 → 青森 → 秋田 → 山形 → 新潟 → 群馬 → 埼玉 → 東京

第4コース 9月9日(水)~10月7日(水)
北海道 → 青森 → 岩手 → 宮城 → 福島 → 栃木 → 茨城 → 千葉 → 東京

4コースの空輸総距離は2,692km、地上リレー総距離6,755km(リレー総区間4,374区間)、参加リレー走者は10万713名と記録されているそうです。リレー参加者は記念の東京オリンピック・ランニングシャツを全員貰ったそうです。

 

10月7日~9日にかけて東京都庁に集められた各コースの聖火は、9日に皇居前に設置された聖火台において集火式が行なわれた後、10日午後2時35分から、皇居前から国立競技場までの6.5kmの最終聖火リレーが行なわれました。男子5名、女子2名によってリレーされた聖火は最終聖火ランナーの坂井義則氏の手に託され競技場の聖火に点火されました。

 

有色人種が初めて開催したと言われる東京オリンピック、当時の世界の人々は有色人種がオリンピックを開催することは無理であろうと考えていましたが、見事大成功を収め、この東京大会により日本人が、戦後初めて自信を取り戻したとも言われていますし、日本人のみ成らず、世界の有色人種が自信を持ったとも言われています。

始まった、リオのオリンピック、日本人の活躍が楽しみですね。

 


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支配される、ドイツ国内の真のドイツ人

2015-12-28 16:54:06 | 二次大戦ドイツ

以下の文は「フィクション」とします。

過去(Saturday, June 6, 2015 8)、Before its news英文の記事内容です。このサイトは、過去7億3千万以上のアクセスを有するサイトで、多くの事実のみを記載してるようです。86才、ドイツ人の彼女(HAVERBECKさん)のホロコースト(大虐殺)疑問発言、ドイツ、ヨーロッパでは理不尽にも大きな自己犠牲を伴います。
86才の高齢です、穏やかな人生を終わることが出来たはずです、何故そこまでしても真実を求めたのか、ドイツ人としての誇り、尊厳、秘書ユング女史同様に、世界に真実を訴えたかったと思います。アンネの日記同様、一説ではこれらに疑問を持つことは世界のタブーと言われております。
ドイツは敗戦国であり、一説では現在も完全に・・・・支配されていると言われています。一例として・・・・が起業したらドイツ国内では無税です、この例はほんの一例で、司法、行政等々は・・・・により支配、敗戦国の辛さ、惨めさを、過去シュナイダー首相も、それとなく間接的に文献等で述べています。
戦後、これらの歴史の事実に対して、絶対に疑問を持つことさえ出来ない理不尽さ、調べられたら困る何かがあるのか、嘘であるからと思われても致し方ないでしょう。先の大戦、後のドイツを悪事の国に徹底的に仕立てあげたのは「タルムード」信奉するアシュケナージ・ユダヤ人のみです。

戦後ナチスの虐殺に関する欧米書籍等の極一部では、ドイツの終戦直後、連合国側はドイツ国内でナチス退治を行いましたが、収容所勤務等のドイツ軍人等は敗者となり、無罪にも関わらず処刑を恐れ、虐殺に加担したことが記載された連合軍側書類にサインをしました。サインをすれば刑の免除等、サインを強要されました。その結果、無罪を信じた軍人達は嵌(はめ)められました。虐殺の罪で無罪の多くの軍人が処刑されました。
後世、この強要されてサインした虐殺加担書類等はドイツの虐殺の事実となり、一部が一人歩きし、虐殺の証拠とされていると言われています。

Before its newsはドイツ・テレビBでのHAVERBECKさんの発言の事実を報道しています。彼女はナチスでも何でも無く、これまで当局が発表した情報に疑問を投げかけているだけです。

概約で要点の翻訳です、誤訳があると思いますが、参考程度に。

86才のドイツ女性、HAVERBECKさんは虐殺(ホロコースト)の歴史の事実が自分の考えと明らかに違う為、しかるべき機関等で調べたい・・・・彼女はナチスでは有りません!唯真実を知りたい、ドイツ等の機関等々に問題を提示しましたが何も返答を得ていません。
今年、3月に彼女は直接ホロコーストに疑問を呈するために、ドイツの全国テレビ、ドイツ・テレビBに出演、疑問を述べました。以後、彼女の自宅は即、ドイツ警察等によって家宅捜索、取調べを受けました。
彼女は、この件に問題があると判断されると、懲役5年を科せられる可能性があります。86才の彼女にとって高齢でもあり、この懲役は死刑宣告を意味すると思います。彼女はナチスでも何でもありません!唯、歴史の真実を知りたいだけです!86才の彼女、Haverbeckさんは、ホロコースト(大虐殺)に疑問を呈した為、ヨーロッパ等で迫害に直面し、更に思想犯リストに加えられました。

何故、政府はこれらの事実の彼女の主張を、覆すことができないか?専政的な独裁国家とでも言えるヨーロッパ等は・・・人々が虐殺(ホロコースト)に疑問を呈したとして、彼らは、速やかに逮捕しなければなりません。

アウシュヴィッツという題名の新しいYouTubeビデオの中で、Haverbeckさんによって明らかにされる、メディアの嘘、真実・・・
ドイツのサクソニー・アーンハールト州で公式に意見を述べています、アウシュヴィッツが大虐殺(ホロコースト)の犯罪の現場となっています。

アウシュヴィッツは歴史で最も邪悪な犯罪の現場とは、如何しても考えられませんと言っています。600万人のユダヤ人殺害の容疑がかかっている殺人の問題・・・何処で、この犯罪が起こりましたか?ドイツ人の犯罪の現場はどこにありますか?これは、600万の虐殺の大きな問題です。

5年間にわたって、Haverbeckさんは言い続けています。如何してアウシュヴィッツなのか?、犯罪の現場を確認するために、私は文書、裁判官を含むいろいろなドイツ当局、弁護士、ドイツのユダヤ人の組織など、いろいろなドイツの担当者等に質問しました・・・それからどこで、それは起こりましたか?当局はそれが起こった所で証明しなければなりません。
彼らは十分な時間、より多くのものを持っていましたが、そうしなかった理由を知っています・・・論点を巧みに避けました、彼らは答えることができませんでした。彼らから正しい答えを受け取らないならば、私は600万人のユダヤ人の虐殺に関して公式に立証する証拠がないと結論しなければなりません。


ドイツ人でカナダのアーティストとして活動家のエルンスト・ズンデルさんは、大虐殺否定のために、自身の迫害にも直面しました。
エルンスト・ズンデルさんの元弁護士は、ミュンヘン法廷で大虐殺否定に関し、それによって人種的な憎悪を刺激、専政的なBRD法のもと今日有罪判決を下されました。彼女は、仮釈放の可能性のない懲役20ヵ月を宣告されました。
このケースは彼女が、言論の自由について話した2012年スイスでのAZKで彼女のプレゼンテーションから生じています。§130(法廷手順)の下で、彼女に対しこれらの言葉、証拠等々を禁止しました。

ゲルマール・ルードルフ氏(大虐殺否定論者)は大虐殺の拒みを修正することが必要でした。数多くの学者、素人の人々は、何かがエリ・ウィーゼル(収容所生き残りポーランド人)と現在のホロコーストはおかしいのを明らかにしています。ゲルマール・ルードルフ氏は、単に彼らが何をすでに疑うかについて確認しています。特にアウシュヴィッツ、集団墓所の物的な証拠の構造物等は化学痕跡を残していません。

彼らは歴史の事実が大きく修正されるのを見てきました、それが特にパレスチナ人を虐げ、中東で終りのない戦争を促進するのに用いられてきました。
ユダヤ人は第3帝国の間、苦しみました。ガス室によるヨーロッパのユダヤ人の虐殺は計画的であったとしています。そして、600万すべてがホロコーストを特別でなく、神聖でもあるように利用され続けています。我々に対し、崇拝を命じる驚くべき力で強制しています。新しい、非宗教的な宗教に直面します。その無原罪懐胎説・・・キリストの磔と復活によるキリスト教のように、虐殺(ホロコースト)は神聖な要素の鍵となっています。根絶、ガス室・・・神聖な600万のユダヤ人、シオン主義者、他の人達の多くが今も崇拝しています。

原文
This 86 year old German lady looks pretty harmless. But apparently she presents a grave danger to the corrupt establishment in Germany and all of Europe. Back in March she appeared on German national TV to directly challenge the Holocaust – a first for post WWII Orwellian Europe. Her house was just raided and ransacked by German police. She will face five years in prison if convicted – a likely death sentence for an 86 year old woman. Here is the source (in German): Here is the video that sparked so much controversy:
Ms. Haverbeck joins a growing list of thought criminals who face persecution in Europe for “Holocaust Denial.” If Haverbeck is wrong, why doesn’t the government simply refute her claims with facts? Only a tyrannical dictatorship has to arrest people for challenging a piece of history.
In a new YouTube video entitled ‘Auschwitz – Media lies or the truth at last?’ (below) produced by Lady Michelle Renouf, Frau Ursula Haverbeck, speaking publicly at a conference in the German State of Saxony-Anhalt, has declared a victory for Germans in “dispensing with Auschwitz as the ‘scene of the crime’ of the holocaust.” She said “According to official statements, Auschwitz is no longer considered the scene of the most wicked crime in history – the alleged murder of six million Jews. So the question arises: where did this crime take place? Where is the scene of the German’s crime? This is the burning question of the six million. Where are they?”
“Over a period of five years”, says Frau Haverbeck, “I have challenged in writing, various German authorities, including judges, the chamber of lawyers, German-Jewish organizations and the ministers of the various German states, to ‘define the scene of the crime’. If not at Auschwitz, then where did it happen?” The ‘authorities, she contends, must demonstrate where it happened, and she feels that they have had more than ample time, but have not done so. Which begs the question: “why not?”. Frau Haverbeck says “they have failed to reply, because they have no answer! And if they have no answer, then I must conclude that there is no evidence to substantiate the official narrative concerning the murder of six million Jews!”
German-Canadian artist and activist Ernst Zundel has also faced persecution for his challenge to the official narrative of Germans as eternal and exclusive oppressors and the Allies and Jews as the exclusive victims:
Sylvia Stolz, the former defence attorney for Ernst Zundel has been convicted today in a Munich court, once again under the tyrannical BRD laws concerning so-called “holocaust denial” and thereby “inciting racial hatred”. She was sentenced to 20 months in prison with no possibility of parole.
The case stems from her presentation at the AZK in Switzerland in 2012 where she spoke about “Free Speech”, and her previous conviction under §130, the court procedures, banned speech, banned evidence and banned legal defence.
Revising the Holocaust Narrative (Germar Rudolf Spent Time in Prison for “Denying the Holocaust”)
An increasing number of scholars and lay people clearly see that something is not right with Elie Wiesel and the current Holocaust narrative. The writings of Germar Rudolf and others simply confirm what they already suspect. They may care little for chemical traces in the brickwork at Auschwitz or topological evidence of mass graves, but they have seen other historical events substantially revised and they are suspicious of the outrage and scorn heaped upon those who question the uniqueness and scope of this particular event, especially when it is used to persecute Palestinians and promote endless war in the Middle East.
That Jews suffered greatly during the Third Reich is not in question, but the notion of a premeditated, planned and industrial extermination of Europe’s Jews with its iconic gas chambers and immutable six million are all used to make the Holocaust not only special but also sacred. We are faced with a new, secular religion with astonishing power to command worship. And, like Christianity with its Immaculate Conception, Crucifixion, and Resurrection, the Holocaust has key and sacred elements – the exterminationist imperative, the gas chambers, and the sacred six million. It is these that comprise the holy Holocaust which Jews, Zionists, and others worship and which Germar Rudolf and other revisionists question


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敗戦国の悲しさ、惨めさ、悲惨さ・・・ベルリン陥落

2015-12-10 10:57:27 | 二次大戦ドイツ
敗戦国が如何に惨めか・・・「1945年・ベルリン解放の真実」ヘルケザンダー,バーバラヨール(Helke Sander、Barbara Johr)によって書かれた敗戦国と勝利者の現実・・・
過去、世界の軍等々多くの国も戦場では多くの強姦等を行っていますが、ベルリンの場合、小さな少女から老婆までベルリン市内の殆どの女性が被害を受けております。勝利者として当然だと言う側面が見え隠れしますが、やはり誇り高い当時のドイツ人歴史上最大の屈辱、悲劇だったでしょう。

著者は、ベルリン陥落時、勝利者ロシア軍の兵士達に200万人(少なく見積っての数字)の女性達が強姦され、精神障害を負うことになった彼女らの証言を集め、ジェンダー(社会的、文化的に形成された男女の違い)の視点から、彼女らの個人的記憶を世界中の人達の集団的記憶として共有することを試みるために書かれています。

近代において、多くの女性の悲劇が生じていますが、ベルリンの悲劇は群を抜いています。これらの過去の事実を発表するには、戦後から戦勝国等の大きな圧力を受け、敗戦国であるドイツは常に悪役、敗者と言う濡れ衣を着せられているように思えます。

ベルリンを解放した解放軍と言われるロシアが、その大層な大義の裏側でどれほどの暴虐を働いたかという悪夢の記憶でもあります。
ベルリン侵攻、ロシア軍によって強姦されたドイツ人女性の数は、最小に見積もっても200万人にも達すると言われています。正確な人数など測りようもないと言われています。病院等に残された記録、被害者証言などから、ある程度は推測できますが・・・そのうち何万人かが自ら自殺しています。

この20世紀最大の大量強姦事件は、どのように実行に移されたのだろうか・・・当時のロシア上級司令部等をはじめ末端部隊まで、日を指定し「ベルリンのパーティ」と称し、暗黙でドイツ女性を強姦してもいい日を設けていたと言われています!
ロシア兵士は一人が見張り、残りの兵士達が順番に襲いかかっていく光景が、ベルリンのいたるところで展開されたと言われています。男性はどうすことも出来ず何も出来なかったと言われています、敗者であるドイツ人が抵抗したら問答無用、即射殺

小さな少女から老婆まで犠牲・・・ほとんど子供としか呼べないような歳の娘たちまで残さず犯され、中には会陰が肛門まで裂けていた10歳から16歳までの少女たちは、病院で縫合しなければならなかったと記録されています・・・ロシア兵は女たちを殴りつけ、機関銃を突きつけ、順番を守って犯していった・・・当然、避妊など考えるものはいなかったでしょう。この結果、戦後のドイツでは大量の混血児が生まれることになったようです、男性から見放され、シングルマザーが相当増えたと言われています。ドイツは比較的医療が進んでいたので強姦により妊娠した子供を相当数処置されたと言われています。日本でも敗戦後、福岡県二日市(現筑紫野市)にあった厚生省引揚援護庁の医療施設、二日市保養所等々で強姦被害に遭った多くのの日本人女性(引揚者) に堕胎手術や性病の治療を行っています。

ドイツの男たちは命懸けで自分の妻や恋人を守ろうとしたのだろうか・・・ごく少数例を除いて、男たちはただひたすら怯え、隠れるだけだった・・・自分の妻が犯されると、彼女たちの裏切りを非難した人も多くいたと言われ、本当に悲劇です。
この悲劇は、ただでさえ傷ついた女たちの心をさらに深く傷つけ、そしてまた多くの誇り高いドイツ女性達が命を断ってしまいました。特に誇り高いゲルマン、ドイツ人、ロシア兵に汚されたという事実は、想像を絶するくらい耐えがたかったと言われています。

もう一つのベルリンの悲惨さを書いた実話にもとずいた、DVDがあります。
ベルリン陥落1945、2008年のドイツ・ポーランド合作映画でベルリンの戦い前後のベルリンを舞台としています。
原題は、Anonyma – Eine Frau in Berlin(匿名 - あるベルリンの女性)です。匿名ドイツ人女性を中心に、1945年4月末のベルリン侵攻してきたソビエト軍兵士らの強姦、敗残兵狩り、ドイツ人とソ連軍兵士描いた作品です。1911年~2001年死去のドイツ人女性の実手記が1954年にアメリカ合衆国で出版、1945年4月20日より6月22日までの日付となっています。
1959年、署名入りで西ドイツで出版されましたが、手記をまとめた女性に対して非難がなされ、彼女の死後、署名を明かさないという条件で再出版となったと言われています。
日本では日本語訳され、白水社から2008年、ベルリン終戦日記―ある女性の記録が、出版されています。

2008年、マックス・フェーベルベック(Max Färberböck)監督により、このドイツ人女性の手記が映画化。日本では、日本語の字幕がつけられたDVDがリリース、当時のベルリンの真実を知ることが出来ます、敗戦国の惨めさ、悲しさ・・・

DVDの概要
女主人(美人です、当時の女性に合わせたと言われています。)は、ジャーナリストでロシア語を話すことができ、夫のゲルトがドイツ軍兵士として出征するのを祝った後、1945年4月末、ロシア軍がベルリンに侵攻、ドイツ軍兵士が抵抗している箇所の制圧に当たります・・・ロシア軍兵士が、主人公女性のいるアパートに入ってきた。彼らの中には、女性に強姦を働くものもいる。止めさせるともできない住人たち。主人公女性も強姦されたが、取り仕切るロシア軍将校たちに取り入り、自分たちの安全を確保しようとします。

強姦は、たった数分のことだ、たいしたことはないのにとアンドレイ少佐は言うが・・・初老のドイツ人男性を激しく殴打しているロシア軍兵士に対して、アンドレイ少佐は格闘して止めさせるのと同時に、武器を隠し持つ者、それをかくまう者を銃殺するということを宣言します。
1945年5月2日、ドイツのヴァイトリング司令官が、ベルリンでの降伏を宣言しドイツ人兵士の投降を指示します。ロシア軍兵士は歓喜します。

強姦しようとしたロシア軍兵士に対して発砲したドイツ軍敗残兵の兵士が見つかると責任は敗残兵とその妻、他のものにはお咎めなしとアンドレイ少佐は決定します。ドイツ人との関係をましなものとするため、アパート住人とソ連軍兵士とのパーティーが開かれるようになりました。アンドレイ少佐は、ベルリンから転任となります。
放心状態の夫ゲルトが、女主人公のところに戻ってきます・・・

近代世界には戦争等による数多くの女性の悲劇がありましたが、誇り高い当時のドイツ人、ベルリン陥落は近代世界最大の悲劇を生みました。これらの事実の公表は戦後はご法度であったようです・・・何時の日か再び復讐が繰り返されるのではないかとさえ思える内容です。

敗戦国ドイツ・・・現在でも当時の戦勝国の負の面等を公表することに対しては大きな圧力を受けると言われています。
このDVDは敗戦国の厳しさ、悲しさ、理不尽さを国境を越えて訴えてるように思えます。我々は歴史に目を背けること無く、歴史を学ぶ事が重要と思います。



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ヒットラー・国家が必要としていない国民は誰一人としていない!

2014-10-13 15:42:01 | 二次大戦ドイツ

 「ドイツ国家が必要としていない国民は誰一人としていない!ドイツ国民は其々の立場で国のため、郷土のため、一家の主として家庭等々のため日々奮闘してもらいたい。」これはナチスの演説会場でヒットラーの発言です。現代でも通用する言葉です、どんな立派な言葉でもヒットラーと言うだけで有無を言わず煙たがりますが・・・
 
 ドイツは2次大戦前、戦中最貧困化したドイツ国民の豊かさの向上を求めました、この考えはナチス政権下では一貫していました。アウトバーン建設、農地改革、金融政策等々、結果を重視した策等、何故ナチスが圧倒的支持をドイツ国民から得たかはこれらの一貫した夢を持てる諸策につきると思います。文献等読めば決して軍事予算ばかりが巨大ではありません。頭脳明晰なドイツ国民の圧倒的な国民の支持を得ていた事実、独裁でもなく圧倒的多数決にほかなりません。残念ながら戦争に引きずり込まれました。(真珠湾攻撃と同じ手法です。ポーランドの飛び地問題で引きずり込まれました・・・真相の封印と言えると思います。)敗戦、悲惨な結果となりました。

 戦後アドルフ・ヒットラーは独裁者等々、世界最悪の権現の烙印を押され現世に至っています。現在も研究することさえ出来ない状態で、ドイツ(現在もアシュケナージ・ユダヤ人に支配され続けています。ユダヤ人企業は現在も無税!実に巧妙な税システムです。)等で即逮捕の状況が付き纏います。これは現代歴史等の嘘の塊の部分がバレることを怖がっているからでしょう。

 我々日本人が今もヒットラーからの身近な贈り物、恩恵を受けてるのは、全国の高速道路のインターチェンジのデザイン!スポーツではオリンピックの聖火リレー!等々
会社技術関係では現在の、東京計器(株式会社トキメック)、東京芝浦電気(東芝)、日本光学(ニコン)、愛知時計、富士通、三菱重工等々に当時の最新軍事技術ばかりでなく民生最新技術、基礎研究等をヒットラー指示(ヒットラー指示、何号かは忘れました、文献等何処かにあると思います。)で与えています。このドイツの技術供与等がなかったら今日の日本企業発展は無かったでしょう。戦中等ドイツ内でもヒットラーの日本に対するこれらの技術供与は、技術流出、特に無償等であるため相当の反対があったと言われておりますが、日本の将来未来等にヒットラーは希望を託したと言われています。これらの現会社員はこれらの技術供与を受けてたと知る人は皆無でしょう、現在の日本の技術立国はヒットラーの技術供与なくして発展は無かったと言える側面があります。

 ヒットラーの自国民に対する貧困層脱出への情熱は極めて大きく並大抵ではありませんでした。徹底した法整備等々、夢を持てる国作り、ヒットラー自身は多くの文献等から極めて質素な生活そのもので奮闘したと言うことができます。

 ナチスは戦前、日独の親善等のために、若者たちをユーゲントという形で日本に派遣し全国を回ったようですが、特に福島県の献身的に戦った白虎隊に深く感銘を受けたと言われております。 

 ユーゲントは、白虎隊墓地広場にあるドイツの記念碑にも拝観しています。この記念碑は、駐日ドイツ大使フォン・エッツドルフが1935年に白虎隊の少年たちの心に深い感銘を受け、個人的に寄贈したものです。ドイツ語で次のような碑文が刻まれています。
「一人のドイツ人が 会津の若き騎士たちへ 1935年」
 記念碑は、戦後GHQの手によって碑面が削られ撤去されましたが、フォン・エッツドルフの強い希望により、1953年に再刻のうえ復元されたそうです。
参考までに記念碑のそばには、1928年イタリアのムッソリーニが元老院とローマ市民の名で贈っ「記念碑の石柱が建っています。この石柱は、ポンペイ遺跡から発掘された本物の古代宮殿の柱だそうです、ムッソリーニは、白虎隊の話に感動し、日本の武士道を尊んでいたと言われています。記念碑の裏面には、「武士道の精神に捧ぐ」と刻まれてありましたが、戦後GHQが削り取ってしまったそうです。
 日本に対してはドイツは常に尊敬の念をもって接していたようで、特に皇室に関しては最大の尊敬の念であったと言われています。
常々ヒットラーはドイツは科学技術等は日本より進んでいるが、ドイツが適わないもの、それは延々と続く人類最高の皇室のシステム、ドイツは憧れるがどうする事もできない。日本が本当に羨ましいと言ってたようです。これらの事実は文献で知ることが出来ます。日本国民は、皇室を後世も大切にして欲しいと読み取れる箇所が散見されます。

 現代日本は益々格差が大きくなり、物質的豊かさを享受出来ない人が多いと思いますが、ヒットラーの「国家は必要でない国民は一人もいない」という言葉が何か心に響きますね。某国がこの言葉を発言しても単なる言葉の遊びでしかないでしょう。ヒットラーは貧困層を激減し、夢を持たせています。これは紛れもない結果を残してる事実です!

 考えてみたら、私達は皇室を置く日本に生を受け、誰でも必ず生涯を閉じる訳ですが、間違いなくどんなに物質的に貧しくても自分なりの歴史を作っています。自分自身が気づかないだけかも知れません。何も著名、有名人の歴史のみが歴史ではない。日々自分なりに有意義に生き、自分の歴史を作りたいものですね、例えたった一人の歴史であっても!

 
 トルスト:戦争と平和より、「歴史は一部の人により作られてる訳ではない、名も無い多くの国民が結果として歴史を作っている!」

世界の名著はダントツ「聖書」

名画は間違いなく「戦争と平和」、現在も毎日世界のどこかで上映され続けています。

何故、世界の人々に受け入れられているかを知ることは大切だと思います。 


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ヒットラーは独裁者ではない!

2014-02-27 09:07:30 | 二次大戦ドイツ

以下の文を書くにあたり、日本で自由に書けることに感謝します。

この文はドイツ国内では反ユダヤとなり、取締りの対象となります。たとえユダヤに疑問を持つことさえ許されないと言われています。
以下の文は、Rothschild Money Trust、プログ・日本人が知らない恐るべき真実等の一部コピー、加筆等です。


当時のヨーロッパ、ドイツ等はユダヤ人(アシュケナージ・ユダヤ人・・・旧カザール人でユダヤ教宗教集団の偽ユダヤ人とも称されます。旧約聖書の民のユダヤ人とは100%違います。)のタルムード(ユダヤ人のみが人間、他はゴイム「豚、軽蔑語)」が蔓延しており正常心、良心の人であれば、何処の国の人でも間違いなくユダヤ人を軽蔑するでしょう。

タルムードを信じるユダヤ人(アシュケナージ・ユダヤ人)がヨーロッパで台頭、理不尽なやり方で経済を搾取していたと言われ、ドイツ以外でも多くの国で軽蔑されていました。ドイツのみがユダヤ人迫害をしてるように報道されていますが、現実はかなり違いヨーロッパの多くの国で軽蔑されていました。ヒットラーが台頭した一原因の見えない部分だと思います。

第1次大戦でのドイツの敗戦、ドイツ皇帝は退位、宰相ホルヴェークは辞職しましたがドイツのユダヤ人達はそのまま残りました。

ドイツはユダヤ人(アシュケナージ、ユダヤ人)支配の君主国から、ユダヤ人支配の民主主義国へと変わっただけでした。民主主義国になって、ドイツを支配するユダヤ人の顔ぶれは一新しましたが、相変わらず金融大富豪ロスチャイルドの影響下にあり、ロスチャイルドの理想具現化のためユダヤ人達はロスチャイルドの計画に従っていました。

最初にとった行動は、ドイツ通貨・ドイツマルクの価値を下落させることでした。何十億もの巨額のマルクを大量発行、マルクの価値がなくなるまで発行し続けました。後、ユダヤ人は無価値のマルクに対し、強いドルを持ち込みドイツの土地、建物、工場等々などを買いあさりドイツ国民は対抗する術が何も無く、夢を持てない状態が続いています。


ドイツのマルクの暴落、そこにユダヤ人(アシュケナージ・ユダヤ人)強いドルを持ち込み、ただ同然の価格でドイツ国内のありとあらゆる物件等の買いあさり、誇り高い頭脳明晰なドイツ人は何も出来ず屈辱の日々を味わっています。何とか将来に夢のある国になりたい・・・そこに台頭したのがヒットラー率いるナチスです。

ドイツ国民は、ほぼ全国民がナチスの反ユダヤ策等の政策を支持しています。ヒットラー・ナチス台頭の原因の一つはタルムード、強いドルでのドイツ物件等の買いあさりでしょう。
このような事態がソ連崩壊時起こりました。ルーブル下落時の強いドルでの物件、国宝等々の買いあさり事態となっており、ロシア国内では多くの乞食が出現、高齢者自殺者の激増、経済の混乱等々、プーチンはこれらの実態を精査し、原因を突き止め、国家の指導者として国益、国民益の確保に奔走しました。如何なる理由があるともロシア国、民益を守る為立ち上がった大統領と言われ、常にロシア国民の80%以上の支持を得ています。


ドイツ国内の無茶苦茶なインフレが静まり、しかも財産をただ同然で獲得し終えてから、ユダヤ人勢力は、ドーズ委員会を通じてドイツ国立銀行を再建し、金本位制を復活させ、デフレ政策に切り換えました。
ユダヤ人はドイツ国民を圧迫し、困窮に陥れながら自分たちは裕福な悠々自適の生活、ドイツ国民は想像を絶する大変な困窮生活になっていました。ユダヤ人はドイツの全財産の少なくない部分を占めていました。ドイツの全人口の1%にも満たないこのユダヤ人が、この国の8割の富を所有していました。これらの財産は、主に通貨制度を操作して得たものでしたが、ヒットラーは忍耐強く耐えてきました。


第1次大戦終戦間際、米国のウィルソン大統領は有名な「14ヵ条」を、ドイツをはじめとする世界各国に休戦交渉の共通基盤として宣言しました。
もしドイツが降伏すれば、ドイツ政府もドイツ国民も「不利益を被らないということをほぼ保証」するものでした。休戦条約は皇帝によって正式に受諾され、これによって休戦が宣言され、ひきつづいてベルサイユ講和条約が結ばれました。降伏して武装解除をし無力になると、今度はユダヤ人の手にゆだねられ、解体され、無力化されました。

2次大戦が始まる数ヵ月前にヒットラーはラジオ演説で、ドイツ軍を降伏させるためウィルソン大統領がおこなった14ヵ条の約束のことに触れ、アメリカ政府によって暗に保証されていたこの約束が踏みにじられたこと、ドイツ帝国が解体されたこと、ベルサイユ条約で想像を絶する理不尽な支払い不可能な高額の賠償金が課せられたこと、ドイツ政府のユダヤ人内閣が戦後国民を大不況に陥れたことなどを数え上げ、ヒットラーは次のように述べています。

ユダヤ人は、一方ではこの国を情け容赦なく略奪し、この国を惨めな状態に陥れておきながら、もう一方では、惨めな国になってしまった。

この国の国民を扇動してきた。わが国の困窮状態が、ユダヤ民族が唯一目指しているものにふさわしいほどになったので、増大している失業者の群れの中に、ボルシェビキ革命にふさわしい人材を彼らが養成するのは可能となった。
政治秩序の崩壊と、無責任なユダヤ人の報道機関によって起こされた人心の混乱は、かつてないほどの強い衝撃を経済生活に引き起こし、その結果困窮者は増大し、政府転覆を図るボルシェビキ思想がますます受け入れやすくなる土壌ができあがった。ユダヤ世界政府革命軍は、失業者群を呼び集めて、ついに700万人近くになった。


戦争挑発・・・屈辱的な融和政策はもうごめんだという叫びが現在、世界中に響き渡っているが、この叫び声は戦争挑発者にとって平和解決は最も命取りの解決方法だという事実を世界にふれまわっているだけだ。彼らは血が流されても平気である。もちろん彼ら自身の血ではない。これら挑発者たちは弾丸飛び交う戦地には姿を現わさず、もっぱら金儲けのできる場所にいる。血を流すのは名もない兵士たちなのだ。
 
ヒットラーは演説で、ポーランドに向けて率直明快に、もとドイツ領であったダンツィヒとポーランド回廊はもらわねばならない。

ドイツ国民が住んでるポーランド内、飛び地を考慮しています。このことは戦勝国は触れてほしくない事実で、極一部しか公表されていませんが、以前ドイツ領であったシュレジアは要求しないと述べています。更に、世界平和のため以前ドイツ領であったアルザスに関する条約をフランスと結んだことを述べ、その条約を遵守すると演説しています。


ヒットラーはポーランドと交渉を開始、これらの領土を平和的な話し合いによってドイツに返還させようとしました。交渉の最中にポーランド在住のドイツ人虐殺事件が起こったがそれにもかかわらずヒットラーはこの条約を締結するためユダヤ人のポーランド外相ベックとの会見の約束をしましたが、ベックはこの約束を守りませんでした。

ベックは約束を守るどころか、ロンドンへ出向き、英国首相に助言を求めました。ヒットラーは「ポーランドの反乱を押さえるため」に軍隊を送り、その結果、英国とフランスがドイツに宣戦を布告しました。2次大戦の始まりです。

戦勝国が触れてほしくない事実の一つが以下の文です。
そもそもポーランドは1次大戦前は存在しない国でした。

ドイツにとっては、敗戦によりポーランドが旧ドイツ領に建国され、飛び地となったドイツ人の町が孤立してしまいますので、ドイツは如何しても回廊が必要でした。しかし計画的(戦争を好くする人達)なポーランドは絶対に認めないように英国等に後ろで指図等し、ドイツの回廊確保のためのドイツの侵攻を固唾を飲み待ち望みました。

戦争にドイツを引きずりこんだと言う構図が見えてきます。戦争を好くする人達がいたということになります。まったく真相は我々が学んだ歴史とは違います。
日本の真珠湾攻撃、ドイツのポーランド侵攻もまったく同じ構図であり罠にはまったと言う事が出来ます。戦勝国は触れてほしくない部分でもある思います。


ポーランドを侵攻、征服した後、ヒットラーはベルサイユ条約でドイツから奪われた領土以外は、アルザスを例外として要求しないという条件をつけて、連合軍およびその他の国々に和平を再度提案しました。
今回のこの提案と最初の提案との違いは、今回はベルサイユ条約で英国に与えられた植民地をドイツに返還するよう要求しています。
この申し出に対する回答は、ヒットラー政府と取引する気はない、ヒットラーとナチスは潰してしまわなければならないというものでありました。

以後、英国は海上封鎖をして敵を兵糧攻めにする戦略をとりました。英国は、「大英帝国がその大半をつくった国際法」を自ら犯して、ドイツの輸出入を封鎖しました。
ドイツはこれに対してUボート潜水艦と空軍で対処し成果を上げ、飢えるのは「反対側」の英国という皮肉な結果となりました。
考えてみれば、ドイツは国際法の戦争規則に従って戦争をしているように思います。


英独戦では、英国の予想を裏切って、その秀でた空軍力を利用して行なう毒ガス攻撃はせず、英国の指揮官を一人も殺そうとはしていません。
英国の船が沈められたときも、英国の兵士や船員を保護、移送してました。

有名な実話・・・ノルウェーの港に停泊しているアルトマルク号(独の捕虜輸送船)には英国捕虜が多数乗っていましたが、英国のチャーチルの命令で英国の巡洋艦がノルウェーの中立を踏みにじり、アルトマルク号(無抵抗で丸腰の船員)を攻撃しました。ドイツは捕虜たちの船が沈められたとき、彼らを見殺しにすることもできたのに多くの捕虜を救出しました。
非武装のアルトマルク号を英国が攻撃した事件は、英米のユダヤ人報道機関から英国の大勝利として大喝采を浴びました。


ドイツが諸般の理由でユダヤ人の市民権を剥奪し罰金を科すと、アメリカは大使をドイツから呼び戻しました。

これは戦争行為にほかなりません、通常大使引き上げは宣戦布告に先立つ第1ステップです。

ヒットラーは、アメリカではまったく戦争の態勢が整っていないにもかかわらず、アメリカとの戦争を望んでいないという明白な理由で、このアメリカの挑戦に乗りませんでした。

米国ルーズベルトにとっても残念ながら当てはずれだったようで、米国ルーズベルトは怒りをあらわにして、ドイツからの輸入品に25%の関税をかけ、ニューヨークの銀行に預金されていたドイツ国立銀行の金を差し押さえました。
これらの行為は明らかな戦争行為であるが、ヒットラーは落ち着いて堂々と対処しました。
ヒットラーはアメリカから大使を引き上げ、アメリカのドイツへの輸出品に同様の関税を課しただけでした。
ヒットラーがアメリカとの戦争を望んでいるのであれば、彼には戦争を始める大義名分があるにもかかわらず戦争を避けました。


当時のワルシャワのユダヤ系ヘブライ語新聞、ハ・ ツフィラーが述べているように、ヒットラーが極悪人なら、彼はわれわれに宣戦布告するであろう。

しかも、われわれの準備や武器が整わない今の間にそうするであろう。わが国が工業活動を加速し、消耗した戦備を補給できるまで、二年も三年も待ちはしないであろう。彼はそんな悠長なことをするほど無分別ではない。彼は、自分の準備が整い、われわれがまだ不備ないま宣戦するであろう。

ヒットラーについていかなる見解を抱こうと、われわれは次のことを認めねばならない。「ヒットラーはこの戦争に余儀なく引き込まれた」こと。彼はベルサイユ条約によって不当にドイツから奪われた領土をドイツに返還することを基準として、和睦する用意があったこと。さらに彼は、文明国戦争のルールに従って戦争を遂行したことである。

連合国側が戦争を行なう目的は、ポーランドやチェコスロバキアやその他の国の回復ではなく、主目的はヒットラーとドイツを倒し、金本位制を守ることである。

なぜならヒットラーもドイツも共に反ユダヤであり、金本位制を通してユダヤ人はすべての国の経済を動かせるからだ。ヒットラーが金本位制を廃止したその日からドイツは繁栄に向かい、失業もなくなりました。ドイツは金を持たずに戦争を行なっており、ユダヤ人からカネを借りなくとも戦争はできるということを世界に示しました。

ヒットラーの我が闘争を読むと、彼の主張は正当なものが多々あるように感じます。
(我が闘争は、進化論で有名なダーウィンの題名「生存闘争」を模して、題名を「我が闘争」にしています。)

この憎悪に満ちた世界の動きを陰で操っている者はどこにいるのだ。誰がこの狂気を作り出したのだ。この狂気を全部ロシアに移植し他の国々にもはびこらせようとしているのは誰だ。

この疑問に対する答えを知れば、われわれの反ユダヤ政策とわれわれの妥協なきユダヤとの戦いの本当の意味がわかるであろう。なぜならボルシェビキの国際組織インターナショナルは、実際にはユダヤの国際組織にほかならないからだ。

マルクス主義を考え出したのはユダヤ人である。マルクス主義を媒介にして世界革命を起こそうと何十年も前から画策してきたのはユダヤ人である。世界中の国々のマルクス主義組織の党首は、現在すべてユダヤ人である。国家も民族も国も持たない流浪の民にしかこのような悪魔の思想は宿りえない。悪霊に取り憑かれた者のみが、この革命を行なえるのだ。
(ゲッペルス 1935年演説)

ヒットラーと言うと悪の権現、独裁者と思いがちですが、ナチス結党以来の目標の一つには、格差社会の根絶等があります。この目標は最後まで変わることはありませんでした。

ヒットラーは決して自分の利益のために行動を起こしたわけではなく、日々の生活は質素で、酒、タバコ、肉は食べなかったと言われております・・・理不尽な社会の改革、ゲルマン民族の真の独立実現を目標にしていたと言えると思います。ヒットラーはドイツをローマ帝国のように強い国にしたかったようです。手を上げたハイルの敬礼、ドイツ軍の鉄兜・・・全てはローマ帝国を模しています。


当時ヒットラーの秘書であったユング女史が述べているように子供が大好きで、別荘ではいつも子供達が遊びに来てたそうで絵画、犬が大好きだったそうです。世界の多くの人々は未だにこの真実に触れることはできません。

ユング女史の証言を書いた映画「ヒットラー」は、ドイツ人自身が戦後初めて作成したヒットラーの映画でドイツの尊厳を書いていますが、現ドイツ・ユダヤ人には最大の配慮をしてるようです。

過去、麻生氏が発言われたナチスは国民の多数合意で政権の座に着いた・・・間違いなく多くの国民の支持合意で政権の座についています。

勝者の理論で戦勝国はナチス、ヒットラー等を全世界に悪の権現、独裁者と徹底的に伝え、戦後のイスラエルに同情を得ようとしました。その典型例がアンネの日記です。何の根拠も無い小説です。現在もこの流れは不変です。

私達が常日頃利用している高速道路のインターチェンジ、オリンピックの聖火等ヒットラーのアイデアです。
有名なホルクス・ワーゲン、当事の車は高価で、多くのドイツ国民が低所得者でも夢が持てるようにヒットラー自身がデザインしました。
ヒットラー自身は決して贅沢するでもなく、大変質素な生活をしています。

ドイツの主権回復、自国益のために奮闘しています、独裁者とは思えません。
日本同様ドイツも苦難の戦後が現在も尾を引いてるようです、教育を変えられた日本ほどではありませんが・・・

ユダヤ人(アシュケナージ・ユダヤ人)の中にも、現在世界の平和、経済発展等々に尽くされてる多くの有名、無名の方々がいるのも事実です。

参考資料 
日本人が知らない真実の一部コピー、加筆部分があります。
Rothschild Money Trust
「わが闘争」
ヒットラー等


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格差是正と戦ったヒットラー

2014-02-05 15:35:06 | 二次大戦ドイツ

以下の文を書くにあたり、自由に文を書けることに感謝します。ドイツ国内では徹底的な反ユダヤ取締りが現在も行なわれており、ユダヤに疑問を持つことはタブーであり、絶対に許されません。

ヒットラーは、近代世界の極悪人であるとのレッテルを欧米、特にイスラエル等が世界に向かってマスコミ、教育機関等を利用し、徹底的に悪の張本人にしてしまいましたが、事実はまったく違います、情報操作とは恐ろしいものです。

ユダヤのアンネの日記と同じです、アンネが日記を書いたと日本人は信じていますがまったくの小説、世界の「援助と同情」を得るための手段として書かれました、書いた小説家が堂々と私が書いたと発言しています!
アメリカのユダヤ人作家メイヤー・レビンが、アンネ・フランクの父オットー・フランクから、この日記作成に対する謝礼金として5万ドルを受取ったと認めています。フランクはこのレビンに5万ドルを払い、その後レビンの作品をまるで自分の娘の作品の様にしてしまった・・・ 絶対にマスコミは報道できないシステム、世界のマスコミはユダヤ人によりコントロールされています。勿論日本のマスコミも!

真のヒットラーの姿は、実に質素な生活であり、決して利権を得るとか、既得権を得ることは、決してありませんでした。子供が大好きで、いつも別荘には子供たちが訪れ夢を語り合っています。美術を愛し、特に動物(犬)に対する愛着は並外れていたそうです。

当時の側近の一人、秘書ユング女史が述べております。戦後ドイツの歴史をユダヤ人(アシュケナージ)に気兼ねし、ヒットラーは異常者ではないとの思いを込めて制作した、ドイツ戦後初のDVD「ヒットラー」があります、この制作にはユング女史がドイツの尊厳、歴史の真実を伝えるため、生涯をかけて制作したものです、是非見られては!ところどころユダヤ人に気兼ねした場面が多々あります。

ヒットラーの政策は、国家予算の大部分を、「アウトバーンの公共事業」や「国民の福祉増進」に予算を割き、一心不乱に夢が持てる失業対策を行っています。その結果多くの圧倒的な国民の支持を得て、合法的に権威を獲得したのです。
特に経済問題は最優先したそうです。平時に軍備増強予算というのはありませんでした。戦争直前までイギリス以下です。

低所得者、格差社会の根絶がナチス結党以来の一貫したテーマだったようです。いつも圧倒的多数の国民の支持を合法的に得ていました、独裁ではまったくありません。根底は夢が持てる策が多いようです。当時のドイツで最大の懸案事項は、「低所得者、格差是正の根絶のための経済政策」だったのです、他国を侵略しようとは眼中には無かったようです。

ヒットラーは政権取得後「第一次4力年計画」を立てました。特に公共工事を重視しました。
1 公共事業によって失業問題を解消
2 価格統制をしてインフレを抑制
3 疲弊した農民、中小の手工業者を救済
4 ユダヤ人(高金利貸し、悪徳商法等)や戦争利得者の利益を国民に分配
5 ドイツの経済界を再編成というのが主な内容でした。

  ヒットラーの「公共事業政策が大成功」した要点
1 支出の多くが「労働者賃金」に振り向けられました。
アウトバーン建設費のうち46%が労働者賃金に充てられ失業対策として無駄は無かった。経済 学でいう、乗数効果が最大限得られた。
「公共事業で買収する土地」はその「計画が決定した時の値段を基準」にされ、日本のように 不動産業者一儲けさせるような事はさせなかった。ナチスが作った労働戦線という組合が企業を監視し、「賃金のピンはね」を許さなかった。
日本での公共事業の資金はゼネコンや地元企業、地主に払われ労働者に払われる賃金は微々たるものです。日本の場合投資した資金は地主やゼネコンに蓄積されやすく、乗数効果を得にく い。現状日本の福島原発公共事業をみても、ピンはねのオンパレード!呆れるばかりです。

2 適切な事業内容を選んで公共事業を行いました。
普及しだした自動車産業を発展させるのに適した公共投資、必要なものを必要な時に作った。日本の場合、同じ道路でも既に交通網は整備され、必要ではない道路の建設が多いように思います。

3 一定の時期に集中的に行われたようです。
1933年に莫大な予算を集中して投資、その結果ドイツ経済自体の潜在能力を素早く引き出 すことに成功しました。公共投資を始めて2.3年後建設業以外の産業が活気づいていきました。「第一次4ヵ年計画等」の諸問題等が起きた場合は、必ず国民にラジオ、新聞、会報等で細かく説明し、国民に納得してもらう方法を取ったそうです。
日本の場合は、過去に500兆円もの大金を10年間に渡り分散投資したため建設業界が公共投資 頼りの体質となってしまい、他の産業が活気付かなかったと言われています。500兆円の真実の行方も?報道は限定的・・・10%でも労働者に賃金として還元されたらと思うとやりきれないです。
 
ヒットラーの経済政策には、真に「国民の福祉、幸福追求、格差是正等々」が一貫して込めれられていたようです。それに比べ、現日本の実情は既得権者のオンパレード、日本の真の格差是 正はまず無いでしょう。

まだまだ日本には真に「格差是正、底辺の国民の底上げ、国民の幸せ、公平な社会」を願う勇気ある人々が国会議員の中にも沢山います、あきらめる必要はありません。若者に日本の未来はかかっています。


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低所得者、格差是正の根絶に奮闘したヒットラー

2013-06-18 09:23:33 | 二次大戦ドイツ

低所得者、格差是正の根絶に奮闘したヒットラー

日本の格差社会の一部を是正する一つのヒント、それはヒットラーの経済政策が
参考にできるかもしれません。特に公共事業を主に低所得者の底上げに奮闘努力した結果、ベルリンオリンピックを開催するまでに経済発展しました。

世界の極悪人であるとのレッテルを欧米、特にイスラエル等が世界に向かってマスコミ、教育機関等を利用し、徹底的に悪の張本人にてしまいましたが、事実はまったく違います、情報操作とは恐ろしいものです。
ユダヤのアンネの日記と同じです、アンネが日記を書いたと日本人は信じていますがまったくの小説、世界の「援助と同情」を得るための手段として書かれました、小説家が堂々と私が書いたと発言していますが、アメリカのユダヤ人作家メイヤー・レビンが、アンネ・フランクの父オットー・フランクから、この日記作成に対する謝礼金として5万ドルを受取ったと認めている。フランクはこのレビンに5万ドルを払い、その後レビンの作品をまるで自分の娘の作品の様にしてしまった、 絶対にマスコミは報道できないシステム・・・イラン、シリア、北朝鮮問題等と同じですね。
 
真のヒットラーの姿は、質実質素な生活であり、決して利権を得るとか、既得権を得ることは、決してありませんでした。子供が大好きで、いつも別荘には子供たちが訪れ将来の夢を語りあったそうです。美術を愛し、特に動物(犬)に対する愛着は並外れていたそうです、当時の秘書ユング女史が述べております。
国家予算の大部分を、「アウトバーンの公共事業」や「国民の福祉増進」に予算を割き、一心不乱に失業対策を行った。その結果多くの圧倒的な国民の支持を得て、合法的に権威を獲得したのです。
特に経済問題は最優先したそうです。平時に軍備増強予算というのはありませんでした。戦争直前までイギリス以下です、、、「低所得者、格差社会の根絶」がナチス結党以来の一貫したテーマでした。いつも圧倒的多数の国民の支持を得ていました、独裁ではまったくありません。ドイツ国民が夢を持てる策が多いのが特徴です。当時のドイツで最大の懸案事項は、低所得者、格差是正の根絶のための経済政策だったのです、他国を侵略しようとは眼中には無かったようです。

ヒットラーは政権取得後「第一次4力年計画」を立てました。特に公共工事を重視しました。
1 公共事業によって失業問題を解消
2 価格統制をしてインフレを抑制
3 疲弊した農民、中小の手工業者を救済
4 ユダヤ人(高金利貸し、悪徳商法等)や戦争利得者の利益を国民に分配
5 ドイツの経済界を再編成というのが主な内容でした。

ヒットラーの「公共事業政策が大成功」した要点
(1)支出の多くが「労働者賃金」に振り向けられた。
アウトバーン建設費のうち46%が労働者賃金に充てられ失業対策として無駄は無かった。経済学でいう、乗数効果が最大限得られた。
「公共事業で買収する土地」はその「計画が決定した時の値段を基準」にされ、日本のように不動産業者一儲けさせるような事はさせなかった。ナチスが作った労働戦線という組合が企業を監視し、「賃金のピンはね」を許さなかった。
 日本での高速道路の資金はゼネコンや地元企業、地主に払われ労働者に払われる賃金は微々たるものです。日本の場合投資した資金は地主やゼネコンに蓄積されやすく、乗数効果を得にくい。現状日本の福島原発公共事業をみても、ピンはねのオンパレード!呆れるばかりです。一部の金が既得権者の懐に入るシステム

(2)適切な事業内容を選んで公共事業を行った。
普及しだした自動車産業を発展させるのに適した公共投資であった。必要なものを必要な時に作った。日本の場合、同じ道路でも既に交通網は整備され、必要ではない道路の建設が多い。
(3)一定の時期に集中的に行われた。

1933年に莫大な予算を集中して投資した。その結果ドイツ経済自体の潜在能力を素早く引き出すことに成功した。公共投資を始めて2.3年後建設業以外の産業が活気づいていきました。「第一次4ヵ年計画等」の諸問題等が起きた場合は、必ず国民にラジオ、新聞、会報等で細かく説明し、国民に納得してもらう方法を取ったそうです。
 日本の場合は、過去に500兆円もの大金を10年間に渡り分散投資したため建設業界が公共投資頼りの体質となってしまい、他の産業が活気付かなかった。500兆円の真実の行方も報道は限定的、10%でも労働者に賃金として還元されたらと思うとやりきれないですね。
 ヒットラーの経済政策には、真に「国民の福祉、幸福追求」が一貫して込めれられていたのです、それに比べ、現日本の実情は既得権者のオンパレード、日本の真の格差是正はまず無いでしょう、一人ひとりが情報をよく吟味し、判断する能力をつけることが重要でしょう。幸い新聞、テレビを見ない人が増えていますので少しずつ真実の情報に触れる機会が多くなる可能性があります。選挙では人物を見抜いて一票を投じることが重要になります。

まだまだ日本には真に「格差是正、底辺の国民の底上げ、国民の幸せ、公平な社会」を願う勇気ある人々がいます、あきらめる必要はありません!若者に日本の未来はかかっています!


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