極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

I am grateful that I can freely write my daily thoughts

ウクライナの過去の一側面

2014-03-29 09:14:19 | ウクライナ
「ユーチューブ」に、ウクライナのティモシェンコ(11代、14代前総理、女性ユダヤ人)氏と国防会議メンバーのジュフリチ氏の電話盗聴がアップロードされてますが、内容が衝撃的なものです、彼女自身電話会話を認めています。
 会話内容は、ティモシェンコ氏からウクライナ情勢とロシア人(800万人)等の問題で、特にロシア人は排除すべきである、殺害もやむを得ない、更にロシアを徹底的に世界から排除するべきである等々、驚愕の会話です、、、到底彼女一人の考えではないように思えます。

 ティモシェンコ氏は、過去莫大な財を得ておりどうして巨額な財を成しえたか、大きなバックが見え隠れします。
米国はウクライナ支援として10億ドル(1000億円)、EUは150億ドル(1兆5000億円)、日本15億ドル(1500億円)、、、支援しますが、米国はウクライナの金33トンを有無を言わせずNY連銀に持ち出し、、、米国巨大企業シェブロン等々が油田地帯の会社を買占めています等々!(参院、浜田議員、現在ユーチューブで視聴可能)
 この米国の行為を皆さんはどう考えますか、とても本当にウクライナの発展を願ってるとは思えないです、見方によっては略奪に見えないことは無いですね、更に米国の10億ドルは誰が立て替えますか?破綻寸前の米国に他国支援の余裕は100%無いと思いますが、、、ずばり○○が負担と考えるのが自然です。

 ウクライナ問題は自国民自身が現在未来を判断等すればいいことですが、それをどうしても阻止する勢力が間違いなく存在してると思います。欧米の人道的?と言う反政府支援、介入?により何も罪のない善良な国民が犠牲になっています、アフリカのスーダン問題とまったく同じ構図です。欧米に何の権利があるでしょうか、前政権、現クリミヤ問題等の諸政策は正当な選挙により決定されていると見るべきです。
見方によっては欧米こそ侵略者そのものでしょう、、、善良なウクライナ国民、ロシアはいい迷惑でしょう。

 ハッキングされた電子メールが公開(米軍人とウクライナとの文書)されていますが、この内容もロシアを侵略者とするための方策が細かく記載されています。(ハッカー者は「アノニマス」です。アノニマスでたどって行ってください。)皆さんも是非トライして内容を読んでください。
 ウクライナ国民の真の平和発展を願わずにおられません。

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元ミスインターナショナル吉松さんと、明治の山川捨松

2014-03-27 18:39:51 | 女性の尊厳・性犯罪等

 元ミスインターナショナルの吉松さん、今でも国内外のプログでも多くの人々が見守っています。吉松さんと如何しても、山川捨松(女性)の生き方が重複します?

激動の時代を生き抜いた姿勢は、日本女性の未来の姿でもありました。吉松さんも一部の理不尽な社会と戦い、現日本女性の生きる、進むべき姿勢を明確に示しました。大和撫子そのものです。吉松さんの勇気ある行動等により、日本社会の歪んだ一端を再確認することが出来ました。

理不尽な裏の社会の一端を知ることで特に日本女性は大きく舵取りをすると思います。

過去どれだけ日本女性が、悪い言葉で言えば食い物にされてきたか、もう一般国民が知ってしまった以上これまでのような理不尽さは許されないでしょうし、マスコミの正体等を・・・マスコミは場合によっては悪の元凶等に他ならないことを示し、その裏の紳士面の裁判所等も所詮同類億であることを日本国民は勿論、良識の世界の人々は知ってしまいました。

吉松さんは行動は良識であり、全世界中に吉松さん問題は知れ渡っています。唯日本のマスコミ等が報道しないだけです。

今後は、日本のマスコミ、裁判所等は全世界から間違いなく色眼鏡で見られるでしょう!我々は国民は、現実を理解、認識することが重要だと思います。

撫子日本女性は内面、外面とも更に磨きをかけ世界一目指してほしいです!

以下の文は文献等の散文を集めたものです。
明治4年、欧米に派遣された岩倉使節団、歴史の教科書にも載っている有名な欧米使節団です。

使節団には、約50名の政府役人の他に、約60名の留学生が加わっていたました。その留学生の中に、5名の少女たちがいました。永井繁子(10歳)、上田悌子(16歳)、吉益亮子(16歳)、津田梅子(津田塾大学創始者、9歳)、山川捨松(12歳)です。

使節団首脳は戊辰戦争での官軍(勝者)側に対し、女子留学生の親たちは全て賊軍(敗者)側でした。

当時の女子留学生を募集したのは北海道開拓使という役所でした。

開拓使次官の黒田清隆(後の総理大臣)は、北海道開拓の参考にと考え、西部開拓の実績を持つアメリカを調査に行きました。黒田がそこで目にしたのは、男性とまったく対等に活躍する女性の姿でした。

日本近代化のため女子にも教育を受けさせる必要を感じた黒田清隆は、帰国後、北海道開拓使がスポンサーになって、女子留学生を募集することにしました。留学期間は10年で、全ての費用は政府がもつという好条件だったようですが、応募は皆無でした。当時の日本では、女子に教育を受けさせたり、外国に10年もやるなど考えられないことでした。かろうじて2次募集をして集まったのが5人でした。5人の家庭は士族ですが賊軍側で、新政府においては隅に追いやられていました。女子留学生への応募は、せめて娘をアメリカで教育させて、やがて薩長を見返してやろうとの思いが込められていたようです。
 
五人の女子留学生の中で、山川捨松(12歳)は、幼名は咲子といって、会津藩家老・山川尚江の末娘として生まれました。8歳の時、会津戦争になり、家族とともに城に籠城して悲惨な戦いを経験していました。幼い咲子も危険な弾薬筒運びの仕事をし、義姉が砲弾で亡くなるのを目のあたりにしていました。

会津藩は降伏後、領地を没収され、北端の斗南(青森と岩手の一部)に移され、悲惨な生活を送ることになりました。
山川家では一番小さい咲子だけでも何とかしてやろうと、海を隔てた函館に預けました。最初は坂本龍馬の従兄弟にあたる、ギリシャ正教会宣教師・沢辺琢磨に預けられ、後にフランス人の家庭に引き取られました。女子留学生の募集が耳に入り咲子はアメリカに渡ることになりましたが、これを機会に、咲子の母親は、「捨松」と改名しました。

お前を捨てたつもりで遠いアメリカに送るが、お前がお国のために立派に学問を修めて帰ってくる日待っています、、、コノ改名は母の切ない気持ちからでした。
アメリカでの山川捨松らは10年間の留学、上田悌子(16歳)、吉益亮子(16歳)の2名は、病気のためその年のうちに帰国しました、後10歳前後の3名の少女が残ることになりました。
捨松はベーコン牧師宅に預けられ、英語の勉強をした後、ヒルハウス高校を経て、ヴァッサーカレッジを卒業しました。

日本人女性で最初に大学を卒業したのは山川捨松一人です!さらにコネティカット看護婦養成学校に短期入学した。現在の津田塾大学の創設者として有名な津田梅子は、年少であったためこの時の留学では高校卒業でした。後に再留学して、大学を卒業しました。
留学を終え帰国した3人には、何の仕事も有りませんでした。北海道開拓使はすでに廃止されていた。多感な十代をアメリカで過ごした3人は、日本語をほとんど忘れ、考え方もアメリカ的になっておりました。
男尊女卑の風潮が強く残る日本では、高等教育を受けても、女性では活動の場がありませんでした。命がけとも言える10年の留学の結果、待っていたのは本当に失望だったようです。
 
帰国から1年後、捨松は結婚しました。女子教育のための学校をつくるという夢は、当時の社会情勢の壁に阻まれて断念しなければなりませんでした。帰国時、捨松は23歳になっていました。当時は娘は十代に嫁に行く時代で、とっくに適齢期は過ぎていました。
捨松より2歳年下の永井繁子は、すでに瓜生外吉(後の海軍大将。日本海海戦にも参加)と結婚していた。当時は適齢期の女性が結婚をしないで仕事をするなど、考えられない時代でした。

5人の女子留学生のなかで、帰国時10代だった津田梅子だけは、結婚せず「女子英学塾」をつくり、女子教育に打ち込むことを選びました。現在の現在の津田塾大学です。捨松にも縁談はいくつかありました。最も熱心だったのが、薩摩出身の陸軍卿(大臣)・大山巌でした。西郷隆盛の従兄弟になる人でその肖像画のモデルとなった人です。
大山巌には沢子という先妻がいましたが、3人の幼い娘を残して病死してしまっていました。多忙な大山にとって、娘を託せる後妻を早く迎える必要がありました。後妻探しに特に熱心だったのが先妻の父で、娘たちの祖父である吉井友実でした。

山川捨松に白羽の矢を立てたのが吉井友実でした、その名を聞いた大山巌がパーティの席上、捨松を見たところ、一目惚れしました、3回の海外留学経験のある大山巌は洋風好みです、政府高官の立場上夫人同伴での外国要人とのつき合いも多かったようです。

アメリカの大学を卒業し、英語、フランス語、ドイツ語に堪能な才色兼備の捨松はこの上ない女性でした。
吉井友実から縁談の意向を伝えられた山川家はびっくり驚いたようです。

山川家は会津藩の家老です、今でも福島(会津)の一部には、鹿児島(薩摩)山口(長州)に対して、戊辰戦争におけ恨みが消えずに残っているました。大山巌は砲兵隊長として、会津攻撃に参加している上、今や薩摩閥のリーダー的存在でした。山川家は当然拒絶しました。大山巌の従兄弟で、西郷隆盛の弟の従道が説得役になり、山川家に通いました。西郷従道との交渉は時には徹夜になったそうです。
最終的には山川家は捨松本人が承諾すればよいと答えたそうです。捨松は大山巌を知った上で返事したいと、、、先進的なデートをしたいと!親の意向で結婚が決められていた時代において、まさにアメリカ的だったようです。大山巌は応じました。2人はデートを重ね、そして捨松は結婚を承諾しました。

大山巌と捨松、結果として似合いの夫婦でした。捨松は母としても、先妻の3人の子と、自分の産んだ3人計6人の子供を立派に育て上げました。

多額の国費を使い、十年以上の海外留学の結果が、幸せな結婚生活だけだったというわけではありません、捨松は、政府高官の妻という立場から、その留学等で学んだ能力等を十分に生かして、数々の大仕事を成し遂げていきました。

結婚の翌年、伊藤博文の依頼で華族女学校設立準備委員になり、津田梅子やアリス・ベーコンらを教師として招きました。
明治33年、津田梅子が津田塾大学の前身にあたる女子英学塾を設立した際、捨松は顧問として参加しました、後に理事や同窓会長にも就いています。大山夫人というの立場上、直接教師として教壇には立てなかったが、学校の運営面で、女子高等教育の復旧に貢献しました。
独身女性が独立して仕事をしていくには困難な時代において、津田梅子が成功した背景には、社会的地位の高い大山捨松や瓜生繁子の協力があったことは間違いないでしょう。日本女性の地位向上に果たした素晴らしい先人です。

 「条約改正交渉を有利に進めようとの西洋化政策」から、鹿鳴館が誕生しました。
鹿鳴館では、連日舞踏会が行われた。慣れない燕尾服に身を固め、ぎこちないステップを踏む日本人を、外国人たちは「「猿まね」だと笑っていました。その中にあって、大山捨松だけは違っていました。日本人離れした長身を、フランス製のワインカラーのビロードの服でつつみ、アメリカ仕込みの軽やかなステップを踏んでいました、そして、外国人とは流ちょうな英語で会話してました。

大山捨松は、社交上の華やかさだけでなく、鹿鳴館において日本初の慈善バザーを開催し実質的な貢献をしました。貴婦人たちが生まれて初めて「商売」をすると評判になり、目標金額の8倍の収益があがった。全額共立東京病院に寄付されました。
鹿鳴館時代は歴史的評価では、実を結ばない「あだ花」とされるが、大山捨松は本物の花だったということが出来ます。日露戦争で大山巌は、陸軍の最高責任者である満州軍総司令官になりました。

捨松は皇族や華族の夫人や令嬢を率いて、日本赤十字社でのボランティア活動を行いました。募金活動、包帯作り、戦死者の家族の世話など、先の鹿鳴館バザーとともに、捨松は日本の上流社会にアメリカ流のボランティア精神を定着させていきました。
アメリカの新聞では、連日、日露戦争の記事が載った。次々とロシア軍を破っていく日本の総司令官の夫人は、アメリカの大学の卒業生であると報じました。アメリカの世論は日本びいきであったようです、親友アリス・ベーコンも、大山夫人や瓜生夫人からの手紙を地元新聞に紹介し、わが町にいた二人の活動への支援を訴えた。アメリカで集まった寄付金は直ちに日本の捨松のもとへ送られ、慈善活動に使われました。当時としては異例ずくめで画期的なことであったようです。
 
日本女性の地位向上、先駆けとなった山川捨松、現代の日本女性は間違いな外面、内面とも世界一であると思います。大和撫子のDNAは綿々と日本女性に受け継がれてるように思う昨今です。

2012年ミスインターナショナル吉松さんは、日本社会に一石を投じました、日本女性の更なる地位向上等々になることを願っています。


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G7とウクライナ問題(注意:フィクション)

2014-03-25 09:54:17 | ウクライナ
 ウクライナ問題は最終的には、対立の構図の構築で完成する可能性があります。世界に無理難題の諸問題を作り対立を必要とする人たちがおり、本当に世界にとって悲しむべきことですね。対立を必要とする人たちは決して表に出ることはありません、、、対立により想像出来ないような巨額の利益を作り出しています。(スノーデン氏、公開文書等で誰でも知ることが出来ます。)
 各国一般国民は、統治の手段として活用されてるマスコミ、特定の人物への既得権付与等により簡単に世論誘導が行われていると言われています。(米国プログに多い。)

 ウクライナ問題は、反ロシア状況証拠等が多く明確に存在しており、正義感、良識ある国、国民は理解していると言われており、欧米側に正当性を求めるのは難しい側面があり、重箱の隅を突くようにでもしない限り、、、特にEU諸国では50%以上(NHK報道)の人々(おそらく真相を知っていると思います。)がウクライナ、クリミヤ問題に欧米は干渉すべきでないと明確に国民は意思表示しています。日本と違い現実に直面する問題でもあり、真剣に真相等を考えるからでもあるでしょう。
 今後もロシアは清々とクリミヤ問題を処理するでしょうし、それを阻止することは不可能でしょう、何故なら100%とは言えないにしても正当性があるからに他ならないでしょう。ロシアは国連の場でも堂々と意見を述べるでしょう。
 
 急遽G7がオランダで実施されたのは、おそらく○○○の日記破損事件(犯人は精神異常のごとく報道されていますが、精神異常にしないと、、、)が、、、
 この問題は日本人には大げさに思えるかもしれないですが、当事国にとって国家の存亡に関わる事項なのです。類似例として、以前○○○○ーロが廃刊に追い込まれたことがあります。ホ○○ー○ト、○○○日記は○○○○ルにとっては、どんなことがあっても阻止、絶対に触れてほしくない問題で、今世紀最大の世界のタブーでもあると言われています。これらが研究され、真相結果が、、、間違いなく国家の存亡にも関わります。建国のスタートが○○でスタートしているからには○○を貫くしか他ならないでしょう。現在もヨーロッパでこれらに疑問を公言したり、研究等したら逮捕、収監されます(イラン大統領の対話がユーチューブにあります。)何故封じるか!
 日本の総理はオランダで、、、を訪問見学しました、日本国民に対する、、、G7が何故オランダだったか、日本国民に絶対に○問を持たせない、、、G7事前準備した人たちがいたと考えるのが自然に思えます。

 日本は貿易立国でもあり、正論ばかりではG7との関係には大きな利害関係となり、厳しい現実に直面するのは判りますが、、、本来の日本は、侍の国で正しいことは堂々と世界に意見を述べる国でした。いつの日か、日本も真の独立国としての誇りを未来の子供達が享受できる時代が来ることを、、、


  ***注意:フィクションです。

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中国防空識別圏に対し、現在日本の航空機はフライトプランを提出中

2014-03-21 09:11:11 | 日中

 あれほど騒がれた、中国防空識別圏問題、忘れ去られようとしてるように思います。
結果的には世界に中国防空識別圏は認知された?と思います。世界の現実を考えた場合仕方ないでしょう。
 
 じゃ我が日本の航空機はフライトプラン提出問題は?と言うと、ちゃんと提出しています!時間の問題だと思っていましたが・・・
 国民の大多数?は日本がフライトプランを提出してることは殆んど知らないでしょうし、あまり触れてほしくない問題でもあると思います。最初から無理な側面があったのでは?
 100%安全を確保するには、フライトプラン提出は必要だと思います。とりあえず100%安全運行は確保されたと思います。やはり国民にはフライトプランを提出は、航空会社等の判断に一任等するようにしたと明確に公表すべきだと思います。
 国民には、隠すことなく諸情報を可能な限り公開する!ことに尽きるでしょう。何となく怪しい中国防空識別圏問題、今後もグレーゾーンとしたいようにも取れますが?

以下はレコードチャイナの記事で、原文のままです。
 2013年12月12日、日本メディアによると、国土交通省の関係者は同日、「中国が設定した防空識別圏に関して、フライトプランの提出は航空会社各社の判断に委ねる」と政府の決定を明らかにした。中国新聞網が伝えた。
 中国の防空識別圏発表後、日本航空と全日空は中国にフライトプランの提出を決定したが、日本政府の要求により提出を中止。ところが、韓国が同国の航空会社に対しフライトプランの提出を許可したこともあり、日本の航空会社から政府に対して再考を求める声が上がっていた。
 これにより日本政府はフライトプランの提出を許可。国土交通省の関係者によると、「中国の防空識別圏に反対する日本政府の姿勢に変わりはないが、飛行の安全面を考慮し、中国へのフライトプラン提出は日本の航空会社の判断に委ねると決定した」と話している。日本メディアは「国土交通省が態度を一変させたことからも、日本政府が識別圏問題において一定の立場を放棄したことが読み取れる」と指摘している。

参考資料:レコードチャイナ等々


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正当なクリミヤ住民投票選挙結果

2014-03-19 09:29:01 | ウクライナ
 クリミヤで3月16日実施された、ロシア編入の是非を問う住民投票の結果は、新聞報道等によれば96.77%が賛成しました、投票率は83.1%だったそうです。これらの選挙には各国の選挙監視団も監視しており、何も不正は無く本当の住民の意思だったそうです!

 日本のマスコミ等は、選挙には不正にロシア等が圧力を掛けたような、シリア情勢同様一方的なニュースが多く見受けられ、マスコミ等の論調は最初から反ロシアのように思えます。日本のマスコミ等は、正しいこと、正当性が有った場合、無言、一切論調等しなく無視続けることが多く、一方的な報道が多いように感じます、まあ統治の手段として支配されてるので致仕方ない面は有りますが、、、 

 世界には過去、住民投票等で分離、独立等々したセルビア、東チモール等々の国がありますが、これらの国は、住民が民主主義にもとずく選挙結果で、住民の意思であり世界選挙監視団監視のもとでの選挙でしたし、世界から正当性が認められました、勿論米国自身も認めています、、、以後これらの独立国々は何の問題も無く現在も国作りに邁進しています。

 今回のクリミヤ問題に対しては、過剰に思える反応をする米国(実質的米国支配は●●●人と言われており、米国はイスラエルの意向を受け行動する構図になると思います、、、参考までに述べれば巨額借金国米国のイスラエル支援金は巨額です、この金を巨額借金国であるアメリカは出せないので大半は●●が実質負担しています、●●債購入等々で、間接的に●●は反政府支援国と見なされてるように思います、これは欧米のプログに多いです。)、NATO(1990年過去イタリア国会でジュリオ・アンドレオッチ首相はNATOの秘密部隊が存在、イタリアでは「グラディオ」と呼ばれていること公表しました、シリア問題等でも不正反政府活動家訓練等々支援)等、、、反政府活動支援はどう考えても理不尽に思えます。

 現世界で堂々と米国に自国の意見を述べることが出来る国は、世界で唯2カ国ロシア、中国のみしかないように思えます。欧米のプログ等を見ると反ロシア等が多い中、ロシアのプーチン大統領のリーダーシップは万人が認めるように思えます。当然米国、NATO等からすれば、従わない国を屈服させることが出来ないもどかしさ、、屈辱であり、絶対に許せない存在でしょう。

 我日本は外交では過去と違い、安部政権下で少し変化の兆しが見え始めていますし、今後の対ロシア制裁では旧態依然の右へならへとなるか、独自判断となるか、独自判断となれば当然米国等からは圧力、警戒等される政府となる可能性があります。日本は既得権一部付与等?により、今でも戦後を抜け出すことが出来ず、独自外交等が出来ない屈辱的な面が多々あったように感じます、特に沖縄、尖閣、北方、竹島、慰安婦、靖国、拉致、反中韓等問題等では「米国等」の影が常に付きまとい翻弄されてるように思えますし、これらの諸問題を複雑解決困難等にしているのは?、、、日本の反国家、反国民益集団はマスコミにほかならないように思える時があります。
本来マスコミは日本の発展、国民の福祉、幸せの増進等のために正しい情報を提供し、国民の判断の資としなけばならないのに、故意の誤情報提供により、国民は益々愚民化されてるように感じます、これだけインターネット等が発達した今でも、残念ながら日本国内では正しい情報が国民に提供、開示されない面が多すぎます。

横道にそれましたが、、、
過去正当な民主的に行った選挙結果にもとずく政権の誕生を、利害等々のために反政府活動等により他国政府転覆を図る、これらを支持してる国は民主国家でなく、民主国家の仮面を被った国に他ならないでしょう。

クリミアの住民投票選挙では間違いなく「世界26カ国、126人の世界選挙監視団が参加」しており「不正はなかった!!!」と言われています。
後は清々とクリミヤ住民が民主的にロシア、ウクライナ等と話し合い善処すれば事足りることです。

 我々個人にはクリミヤ問題は関係ないように思いがちですが、日本企業は世界に進出しています、国際情勢の影響を受ける側面は否定できないでしょう。一番身近な賃金にも影響すると思います。クリミヤ情勢の真実をを知ることは、、、日々の生活においても国債情勢を自分自身で自分なりに判断できることは生きる上で自信、糧になると思います。

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拉致問題解決と安部政権

2014-03-17 09:15:52 | 拉致

安部政権は、3月19日からの中国で開催予定の日朝外務省課長による、非公式協議を前に菅官房長官が「安部政権下で拉致問題は解決する・・・」、この決意の言葉は本当に拉致被害者家族等だけでなく、多くの国民に希望を大きく前進させる第一歩となると思います。
歴代政権下でも聞くことが出来ない言葉でした。今後我々国民、野党等も最大の後押し、支えが必要と思います。

注意すべきは、「解決を望まない国」が身近にいると考えたほうが自然です。日朝の2国間協議等に対し、某国はすぐに反応し報道官は透明性(まあ勝手にやるなということでしょう。)での解決等々を述べていますが、この言葉の意味することを政府、国民は理解することは極めて重要だと思います。そもそも拉致解決は、主に日朝間等の問題であり他国等が日本国益等?に反することをとやかく言うことは不自然です。北朝鮮核問題と故意?にセット等々された。拉致問題に核問題をつけたらどうなるか当然複雑になるし、当然多国間協議となるでしょうし置き去りにされるのは当然です!何か問題の本質がすり変えられてるように思います。
安部政権下の2国間の協議は一歩前進であることは間違いなさそうな気がします。

日朝間の拉致問題協議には「絶対に他国を介入させない!」ことに尽きるでしょう。勿論「真に協力」してくれる国等(公表することなく。)は喜んで受け入れる必要はあるでしょう。拉致問題解決協議には某国等から、大きな圧力等々を受けるでしょうし、極一部の国内の・・・

2国間で日朝拉致問題協議をするには政府だけでなく国民等の勇気、決断等々を必要とするでしょう。我々一般国民は協議に直接参加は出来ませんが、安部政権を支える意思表示は間違いなく出来ますし、解決したら間違いなく日本の近代史に残る政権となるでしょうし、拉致家族等だけで無く、日本人としての誇りと自信を我々国民に与えることは間違いないと思います。

戦後最大の事案、国家を揺るがす自国民拉致、こんな大事案が処理されずに長期間放置された現実、政府だけの責任ではなく我々国民も、声を大にして政府に対応を求めるべきだったと思います。
自分自身に実害等が無いため、所詮他人事でしかなかったでしょう。
今回の安部政権の決意を機に拉致日本人を取り戻すことは、拉致被害家族等だけでなく、日本の真の戦後のスタートに思えます。

拉致被害者家族等は高齢化しており、何の罪も無く、理不尽にも他国に拉致された挙句、我が子、兄弟等に2度と会うことなく人生を閉じなければならないのです。特に若い方々には、拉致被害者家族に想いを寄せてほしいです。
「拉致被害を考える日」の制定、政府の定期的な拉致被害対応の国民向けの経過報告等があれば、我々国民の気持ちは高まり勇気と覚悟等が更に醸成されると思います。
いつの日か、拉致被害家族等の拉致解決記者会見等を夢見て!

北朝鮮未国交国・・・日本以外、アメリカ、イスラエル、韓国、フランス、サウジアラビア等の極めて少数です。これらの国に共通するのは対立です。

現実には世界の160ヵ国の国には国交があります。


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クリミア住民の意思は、ロシア編入を目指すか?

2014-03-15 09:55:26 | ウクライナ

ウクライナ情勢等のニュース内容等は、事実からかなり逸脱している可能性があり、まともに信じたらとんでもないことになりそうです。 

ロイターによると、ウクライナ南部のクリミア自治共和国議会は11日、ロシアへの編入を問う16日の住民投票後、多数の賛成者がいれば、独立したうえでロシア編入を目指すとする文書を採択したようです。 文書ではロシア編入が決定した場合、クリミアは独立主権国家になると明記されているようです、対しウクライナ最高会議(議会)は11日、クリミアの住民選挙の無効とする決議を行ったようです。
11日に、前行政府長官(知事)を首都キエフで拘束したとのこと、国境の変更を呼び掛けた疑いで、ドブキン氏は最高会議に大統領を解任されたヤヌコビッチ氏(正当な民主的な選挙で選ばれた。)の最側近です。

そもそも、暫定ウクライナ政府は、親ロシア政策を挙げ、正当に民主的に国民から選ばれた大統領がEU参加拒否?等々、一部の人達の主義、利権等と相反するため米国等反政府資金等により政府を転覆させました。暫定政府となっても当然法律上ではまだ前大統領等は有効でしょう。

暫定政府にはロシア人が多数を占める一部住民(クリミヤ等)が政策等々ついていけないと言うことで・・・住民の選挙投票結果次第では、ロシアに帰属したいと言う事であると思います。住民が、正当な民主的な選挙で決めることは致し方ない一面があります。クリミアに常駐してるロシア軍はウクライナとの協定にもとずくもので、何ら問題がないと思われますし、侵略等してるとは思えませんし、協定による行動等でもあると思います、逆に米国等側の反政府活動資金供与が間接侵略に他ならないでしょう。欧米のマスコミは問題の本質をすり替え、多くの人々に報道しています、日本のマスコミも更に煽り立て、ロシアは侵略軍等と決め付けてる一面が見受けられます。

同様に過去諸般の事情により、住民投票によりユーゴスラビアからセルビア、東チモール等々独立した国家は有りますが、今回の米国等のロシア帰属絶対反対は正当性が見えません。
ある国は独立OK、他は米国等の一部利権等に沿わないから強制力等でも阻止する、正しく暴力集団に過ぎないでしょう。東大大学院のロバート・キャンベル氏が述べているように、米国は場合によって対応が違う、時の政権次第等々と。本当に米国の掲げる民主主義とは、我々の価値観とは違う側面があるようです。

対立、紛争火種?を米国等の一部巨額利権者等は何としても残したいように見えないでもないですね。日本も独立国として勇気を持って、先の湾岸戦争時の米国の同盟国ドイツの対応のように、対ロシア、ウクライナ情勢に対応してほしいです。我々も正しく理解、判断をするためには、統治の手段として支配している新聞、テレビ等ニュースを鵜呑みにしないことに尽きるでしょう。統治する側から見れば真実を模索されることは困るでしょうが、自身の有意義な生き方をするためにも、自分なりに情報を集め、自分なりに考えることも重要だと思います


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千島、北方4島の真実

2014-03-11 09:21:36 | 戦後

 安部総理、プーチン大統領との日露会談が行われた場合、北方4島問題が議題となるようです。
日本は1945年9月2日ポツダム宣言を受諾し、降伏文書に署名し正式に敗戦、終戦となりました。このポツダム宣言には、日本領土に関する記載が有り、明確に日本領土は「本州、九州、四国、北海道の4島及び連合国側が認める島々のみ」と記載され、その他全て連合国最高司令官の命令、指示に従い、行動します等々、領土問題等を理解するには必要不可欠で是非一読を薦めます。

 知られていない北方4島の真実
世界の国々から見れば、日本の4島返還という、頓珍漢なことを言う日本、日本人、北方4島の戦中後の歴史の真実等は、チャーチル第2次大戦回願録等々で誰でも明確に確認することが出来ます。

1945年2月8日、グロムイコにルーズベルト大統領のメモがスターリンから渡されました。内容は、戦後米国政府が正式に、南樺太と千島列島をソ連領として認める内容になっていました。
当時太平洋で戦う米兵が、日本軍から大きな反撃を受け、大きな犠牲を出していました。今後日本に近ずくほど犠牲が増えることが予想され、日本上陸の際には相当の犠牲を覚悟する必要に迫られていました。

 日本の降伏を如何しても早め、米兵の犠牲者を少なくするためにも、ルーズベルト大統領は、ソ連軍の参戦、主に満州侵攻等々(満州には当時精鋭日本陸軍が無傷で温存され、日本に移動してきたら日本上陸作戦時は、極めて大変な脅威になるため、日本移動前に満州内でソ連軍に壊滅させてもらう等々)の支援を仰ぐ必要がありました。

ヤルタ会談の4カ月前の44年10月14日に、駐ソ連大使のハリマンを通じてスターリンに日本に対する参戦を持ち掛けています。ハリマンは、いつごろなら日本攻撃を実施でき、その見返りに何を必要とするか?と問いただしたところ、スターリンは早くもその翌日、ドイツ降伏後2~3ヶ月で攻撃可能と明確に答えています。

 更に、「戦闘に必要な3ヶ月分の武器と弾薬等」をソ連の満州国境周辺に米国が用意することに加え「一定の政治的条件」が満たされることが見返りだったようです。
 一定の政治的条件とは、南樺太、千島列島の獲得、大連港、旅順港の租借及び南満州鉄道の管理権です。

 ハリマンはルーズベルト大統領の指示で12月14日に再度スターリンに会い、ソ連参戦への条件の細部を詰めています。
スターリンが要求した武器等提供については、マイルポスト合意として成立し米国は1945年、中立国だったソ連の船を使って日本海を抜け、ソ連のウラジオストクに八十万トン相当の武器弾薬等を間違いなく陸揚げ供与しています。
こうして日ソ不可侵条約を無視した、ソ連満州国侵攻作戦は米国側の、強い要請、援助等によって準備、成立しました、我々日本人が知ってる、理不尽な一方的なソ連の参戦ではなく、米国がソ連参戦を強く要請した結果です。
一口で言えば、ソ連に日ソ不可侵条約を無視し、参戦してもらい、満州の精鋭日本陸軍を壊滅してもらう、ご褒美に千島列島を差し上げると言う事は間違いない歴史の事実のようです。

 戦後日本は1951年サンフランシスコ講和条約等を受諾しました、条約には千島列島の放棄が明確に記載されています。受諾日の前日、当時の吉田総理は「択捉、国後」は千島列島(南千島列島)に含まれる!と演説、明言しています、この時点で日本は明確に国後、択捉は放棄したことになります。

当時シベリアには多くの日本兵が抑留されており、一日も早く日本に帰国させるためには、国交、平和条約等が早急に必要と判断した一側面もあると言われており、国後、択捉はソ連側が如何しても妥協しないため、早期平和条約等締結のため日本側が放棄したと言われてるようです、この判断を誤判断と一概に言えない気もします、心情的にシベリア日本兵抑留解決を考えたら、、、以後北方4島に米国(英国も一部関与、日ソ領土問題は解決しないよう公電を打っています、公電文は残っているそうです。)が深く関与し続け、現在も平和条約等を結ばせない理不尽さを継続しているように思います。
現ロシアのプーチン大統領は戦中、戦後の日ソ領土問題を、KGB出身でもあり熟知してると言われ、戦後の日本の置かれてる立場(在日米軍、北方問題、靖国問題等々)を最も理解してるといわれています。

吉田総理は「歯舞、色丹」の2島のみが日本領土と、演説、公言、現在も世界の国々、現ロシア側も当然そのように明確に認識していると言われています。4島返還は無理な話で、現ロシアが国後、択捉を返還することは考えられません。
鈴木宗雄氏等は4島問題細部等を熟知しており、鈴木宗雄氏の北方日ロ政策を見てみると極めて、本当に日本の国益を考えた的を得た政策であったと思います、いつの間にかこんな優秀な人が、逮捕されたり隅に追いやられる理不尽さ、残念ですね。

当時の、吉田総理、田中委員長、国会等も間違いなく国後、択捉は千島に含まれると認識していたようで、ちゃんと公記録、文献等があります。今も政府、国会議員等の一部は認識してるのは間違いないでしょう。如何しても国民には「4島返還」しか言えない苦しい胸のうちがあるのは間違いないでしょう。1956年日ソ国交回復しましたが、平和条約は締結されていません、、、 複雑にしたのは冷戦、米国等の日ソ対立諸策略、、、日ソ平和条約を結ぶと沖縄返還は無いと米国ダレス長官は明言しています(文献等)、この対立の仕組みは今だに継続し、いつの間にか吉田総理等の答弁からは歪曲され、北方4島は日本領土と言わされ続け国民は信じて、頓珍漢な全国民4島返還となっているように思います。

日本の領土問題では極めて重要な「ポツダム宣言」、宣言細部内容を日本国民に知らせることはタブー?みたいにされてるように思うときがあります。国後、択捉が本当に不法占拠なら当然国連、国際司法裁判所?等でも問題になると思いますが、なりません。
いつの日か、日本も圧力に屈せず、「独立国として勇気を持って」、ロシアとの平和条約等を結び、極東の繁栄、平和に貢献してほしいです。敗戦後60年以上経ちました、日ロ平和条約締結、真実にもとずく北方問題解決は日本が生きる新たな道でもあると思います。

参考資料
「第二次大戦回顧録」毎日新聞社 ウィンストン・チャーチル著
「ルーズベルト秘録」 扶桑社文庫  産経新聞社「ルーズベルト秘録」取材班キャップ前田徹著
国会等答弁書、吉田総理会見記録等々
欧米、国内WEB、プログ等(一部誤理解部分があるかも知れません。)


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「拉致被害を考える日」等の制定を!

2014-03-07 11:54:59 | 拉致

 進展しない拉致問題、全国民は理不尽な拉致の実情を、今一度再認識する必要があります、政府は最初の拉致発生から現在までの状況等を分かりやすく国民に新聞、テレビ等々で再度説明する必要があると思います。
我々国民は何となく分かっているが、自身に直接関わる問題で無いため何とかなるでしょう程度が真相でしょうし、他人事でしかないのです!これじゃ拉致された家族はたまったものじゃありません!拉致被害者の方々が活動されていますが、如何しても限界があると思います。

 今後は「2国間協議」が意外と効果的に思えますが、解決策もあると思いますが、どうも許さない勢力の存在が見え隠れします、当然政府も「勇気、覚悟」を持って対処、解決してほしいです。

 全国民は拉致された家族に想いを致すことは最も重要で、自分の子供、家族が何も罪がないのに拉致される、時間が長引けば最悪2度と子供、家族に会えずに家族は生涯を閉じなければならないのです!こんな理不尽なことが近代国家日本で起こっていたのです!必ず、拉致解決の道筋はあると思いますし、官民上げて、全国民の英知を集めたら解決の道筋が見えてくる可能性が十分有ります。他国に頼る解決方法よりも、「日本独自の行動等」が最重要だと思います、「対●を好くする一部他●等」から間違いなく圧●が、批判されようとも最終的には、当事国日本が解決する以外ないと思います。

 国家は、領土、国民、主権の3つで成り立っています、この中の1つが犯されてるのです、国家安全保障上でも大きな事案だと思いますし、本来は国家最優先処理事案なのです!残念ながら結果、事実として、日本は長年放置してしました、政権を批判してきた野党等も!

 現日本は国家という、3つの要素の1つを放置した国家姿無き国家となっており、未来の日本国民が省みた場合、何と言う愚かな日本国民だったかと思うでしょうし、日本の歴史に大きな汚点を未来に残すのは間違いないでしょう!
これが戦前中の正義感、道徳心がちゃんとあった国民だったら絶対許さないし、解決していた可能性があります、何故なら当時の多くの国民は、道徳心等により勇気、覚悟等々があり、国家としての理不尽さを認識できる明確な基準を共有していたと思います。

解決には本当に困難を極めると思います、再度国を上げて、真剣に全国民の「勇気、覚悟等」を示すことがなければ、解決は厳しいでしょう。

弱々しい、北朝鮮人権侵害問題啓発週間(12月10日~16日)国民でどれ程の方がこの週間を知っているか・・・皆無に近いでしょう。この弱々しい週間では国民は目を覚ましません! 

是非「拉致被害を考える日」の制定をしてほしいです!年に一回等暫定的等な休日でもいいと思います、不可能であれば、毎月1回等指定日を作り、全国民の拉致問題意識の高揚等を図るための資とする等々、全国民が拉致問題に政府と一緒に官民が英知を出して努力する場、証等を明確に作り、成果を確認できるシステムを作ることが重要だと思います。
日本の歴史に悔いを残さないと言うよりも、日本国を信じてきた拉致被害者を絶対裏切ることがないように、いつの日か解決記者会見、拉致家族の笑顔が見れることを願っています。拉致問題が解決した暁には、本当の独立国日本のスタートとなるでしょう。
 拉致問題が解決しなければ、多くの心ある人々は間違いなく日本という国家に疑問を呈するでしょう!いくら愛国心を持ってほしいと言われても・・・


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ウクライナ情勢

2014-03-05 09:05:42 | ウクライナ
 日本でのウクライナ情勢報道は、正しいウクライナ情勢が日本では伝えられていないように思えます。昨今のシリア情勢同様米国等の報道を鵜呑み報道は寂しい限りです。
 
 ウクライナ情勢は、当然ロシア側から見れば、、、9年前、正当な選挙で選ばれた、親ロシアを選挙で掲げたヤヌコビッチ首相を、一部市民が抗議等し選挙を無効にする、「オレンジ革命」等を経て、いつの間にか反体制側(首相の贅沢品購入等の証拠写真がよく写真に乗りますが、何時もの反体制側のプロパガンダの常套手段の一つでもあり、鵜呑みにしないことも必要かと思いますが、、、反体制側は米国、NATO等支援と言われています。)により違法に政権を乗っ取られ、大統領は失脚、、、普通に考えたら前ヤヌコビッチ政権が真の民主主義の国ということになります、ロシア側が怒るのも当然でしょう。
 問題を複雑にしてるのは反体制側を米国、NATO等が支援した組織であることが大きいと言われています。(海外プログは特に多い)
反体制側が政府を転覆させた理由の一つは、前ヤヌコビッチ大統領はEU加入をしないと決断したのも原因の一つであると言われてますが、しかしこれは国民により正当に選ばれた首相が判断したことであり、国民の意思でもあると思います!
EUに入ったら当然ウクライナ憲法は廃止され、EU加盟憲法下になり、EU枠内での行動等(NATO等)が重んじられ、、、歴史的に親ロシア、民族等を重んじるウクライナには無理があると思います、、、日本がウクライナの立場だったら、憲法等を廃止してまで、まず加盟しないでしょう!一概にウクライナのEU加盟拒否を批判できないと思います。
 反体制側に対する支援等は、特に巨額(数年間で、過去9000億円程度)の支援、、、ウクライナのオレグ・ツアレフ上院議員は、米国からの現金輸送が外交郵便で届く様子を世界にビデオを公開してるそうです。更に米国等は直接、間接的にウクライナ野党勢力を細部まで指導、指示してると言われてるようです。
 米国等は反政府支援等をおこなってるのでは、、、日本国内でも報道されたオバマ政権のヌーランド国務長官補の通話盗聴記録暴露があります、信憑性についてはジェニファー・プサキ国務省報道官は本物だと認め、ヌーランド国務長官補は謝罪しました。(参考:米国政府での政策実権等は「、、、補」が付く人が握っておるようです。オバマ大統領だって、補佐官の操り人形であるように見ることが出来るようです。)
通話盗聴内容は、ヤツェニュク氏(政府転覆後の現首相)が政府のトップであるべき、クリチコ氏、チャニボク氏は蚊帳の外が望ましい、国連がまとめ役として望ましい、EUは口出しするな等々、ウクライナ情勢が多く入っており、一部サイト等では、話し合いの細部内容まで米国が指示等してると言われています。
 米国等は反政府指導者を事前指定してた可能性が極めて大きいと見るべきでしょう。
も一つの問題は、現ウクライナの黒海艦隊の撤退要求、、、ロシア軍の駐留は、ロシア、ウクライナ間の協定(~2042年)で決められており正当であるということです、逆にウクライナ側が協定を無視してるとみるべきでしょう。
ロシア側は毎年多額(110億円程度)のロシア軍駐留費等をウクライナ側に払ってきましたし、正規の手続きを踏まえてロシアは行動してるとみるべきで、当然今後もかなり強く出る行動を取るでしょう。
 米国、NATO等にとって中東での理不尽な覇権行使のためには、ロシアの黒海艦隊(爆撃機、海兵隊等々保有)は邪魔で仕方ない艦隊でしょう!特にシリア等問題では大きな力となりましたし、シリアの政府転覆等は大多数国民のシリア大統領支持等により成功できなかったと言われています。シリア、イラン問題等も、プーチン大統領等のリーダーシップ、及び黒海艦隊により抑えられてる面が極めて大きいと言われています。 現在の世界で、特に中東のリーダーは世界万人が認める、プーチン大統領となるでしょう。
 本当に世界には如何しても対立、紛争等を好くする勢力が存在し、紛争等により巨額の利益を得ている人がいる現実はどうも本当のように思いますし、真のEU目的、、、わが日本の周辺国との対立も怪しくなります、まさか、、、
今後ウクライナ情勢次第では、欧米がロシア制裁等を実施した場合、日本も同調するでしょうが、先のイラク戦争での欧米と違った対応をしたドイツを例にしてほしいです、欧米からは勿論大きな圧力を受けますが、日本は米国に白黒をはっきり述べる国になることを国民は望んでいると思います。 ロシアのプーチン大統領は、昨今日本の置かれてる状況を理解してると言われており、一般報道とは大きく違います。
ウクライナに対する正当性はどう見ても現状では状況証拠等を精査したらロシア側にあるように見えます。(個人的思い込みかもしれませんが、、、)
 我々日本人は現状報道では、100%ロシア側が不法にウクライナに侵入、武力行使してるように思いがちですが、このような見方もあるということで、、、勿論このプログにも偏見で書いてると思われる箇所が多数有るかもしれません。
日本の未来を考えた場合、米国も重要ですが、極東の繁栄と平和、特に今後日本はロシア抜きでは有り得ないと思います。

欧米WEBサイト等の情報を参考にしました、一部不適切な表現があると思いますが、、、プログと言う事で、、、

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アンネの日記は小説

2014-03-03 21:18:37 | 戦後

ナチスドイツによるユダヤ人迫害の象徴というイメージのある「アンネの日記」は良く学校等で読まれます、映画にもなり、私自身真実だと思い大変感動し、学校で作文も書きました。アンネの日記は全世界で2500万部以上のベストセラーになりました。

「アンネの日記」は、どうも主人公のアンネ・フランク(アシュケナージ・ユダヤ人、宗教上のユダヤ人、カザール人・・・本当の聖書上のユダヤ人ではありません、ユダヤ人とは何の関係もないカザール人)では無く、精査すれば間違いなく小説家が書いた・・・マスコミ、政治家、官僚、評論家等は利権がらみで絶対に触れません、全てを失います!世界のタブーの一つです!

メイヤー・レビン氏というアシュケナジー・ユダヤ人(アンネ同様、聖書上の真のユダヤ人で無く、カザール人)が、アンネの父から依頼されて書いた小説と言われています、日本では小説と信じて読まれてることは少ないようです。小説だから当然内容も当然フィクションで実際には無かったことになります。
***参考ウェブサイト:アンネ・フランクは「アンネの日記」を書かなかった

原文は、特に13才の少女が書いたとは思えないような大人の文章であり、日本人ドイツ語学者によれば、その文章は大人びているだけでなく、「古典的ドイツ語」で書かれているようで、13歳の子供の文ではないと言われています。

アンネ・フランクはオランダで生まれ、13才で腸チフスで死亡、彼女は当然、オランダ語を話しますが、まず「古典的ドイツ語」は自在に操れるほど堪能ではないと言われており、日記が疑問視される明確な証拠として「アンネの日記」の筆跡と、「アンネの筆跡が明らかに全く違う」さらに、日記に使用されている「筆記具ボールペン」は1951年以降実用化され一般化したが、アンネの生存中は一般には出回っておらず、アンネの日記の原文を、当時の写真家が写真を撮ろうとしてたがフォーカス等してはならないよう指示されたといわれています。何故隠さなければならないのか、堂々公表すればいいのに、現在は写真不可のようです。幸いにも過去、の筆跡が写された写真が残されていました。当時の筆跡が公開されていますが、誰が見てもあまりにかけ離れてると言われています。

戦後「アンネの日記」論争は1981年、日記を保管するオランダ国立戦時資料館は法務省所属のオランダ国立法科学研究所に鑑定を依頼しました。このとき、使用されている物質(インク、紙、糊など)と筆跡を調査した結果、内容的には「アンネの日記は1942年から1944年の間に書かれた」ということが異論の余地無く論証され追加改ざんされた様子は無い、と結果が出ました。
問題となったのは、「日記の4巻目」から使われている「ボールペンの筆跡」は以前の1、2、3巻と同じ、と結果が出されたことです。「1945年」に死亡した人物が「1951年に普及したボールペン」で書ける訳は有り得ない、結果として、作者はアンネの名を語った者で、戦後に全編を完成したように思うのが自然であるようです。

アンネの日記の真の作者は「ユダヤ系アメリカ人作家メイヤー・レビン氏」、彼は「アンネの日記」が大ヒットするにつれて、最初にもらった原稿料に飽き足らずが少ないため、日記が生み出す膨大な利益の供与を主張するようになりました。

版権は本来なら父のオットー氏(アシュケナージユダヤ人)に有るのですが、メイヤー氏が版権を主張したため、両者は対立してしまいました。後に裁判に発展し、法廷でメイヤー氏は自分が版権を持つことを主張するために「自分がアンネの日記を書いたことを暴露」してしまいました。その判決により「アンネの日記」は、アンネ・フランク直筆の作品では無く、メイヤー・レビン氏が書いたことがはっきりしました。これらは封印され続けています。
ニューヨーク「最高」裁判所の判決の、書類番号「2241ー1956」でありますが、ニューヨークの地方事務所に確実に保管していなければなりませんが、何故か、「このファイルのみ現在紛失」してしまっているようで、原因は不明、調査しようとすると、必ず何者かの強い圧力がかかり調査は続行不能となるようで、現在は事実上異議を述べることは不可能と言われてるようです・・・正々堂々と出来ないとこを見るとほぼ小説であることは間違い無いと言われてるようです。

「アンネの日記」がシオニストユダヤ人のプロパガンダとして、世界の同情を得、イスラエル国家を建国するため、多額の寄付金等を得るための手段等とされたようです。異議を述べれば、問答無用でドイツ等では逮捕等になるようで、現に逮捕者もいるといわれています。
海外では日記としてる国もありますが大方は、真実は知ってるがあえて触れないという策を取ってる国が多いようです。根っから信じてる国は日本ぐらいであるのは間違いないと言われています、この件に色々触れることは、不思議にもご法度のようです。

「エコノミック・カウンシル」誌 1959年4月15日版によれば、「アンネの日記は、とても十代の子供が書いたとは思えない、明らかに違う筆跡です。

この事についてニューヨーク最高裁判所の判決から裏付けを取る事が出来る。アメリカのユダヤ人作家メイヤー・レビン氏が、アンネ・フランクの父オットー氏から、この日記作成に対する謝礼金として、5万ドル(現在価格で2億円)を受け取ったと明確に認めている。オットー氏はこのレビン氏に五万ドルを支払い、その後レビン氏の作品を、まるで自らの娘の作品のようにしてしまったのである。この最高裁の判決の書類「2241-1956」は、ニューヨークの地方事務所にあるはずなのだが、残念な事にこのファイルはいまやいずこかへ消えてしまっている。

『アンネの日記』は1951年、出版後ただちにベストセラーになった。しかしなぜ、アンネの父を巻き込み、本の真実性を追ったこの裁判が、今日公に報告されることがないのだろうか。オットー・フランクがその娘の死、およびその悲劇から膨大なカネを儲けたというのに。」
(見えざる帝国 宇野正美 著)

スウェーデンのジャーナリスト、ディトリィェブ・フェルデュラー氏は、次の様に証言しています。
11959年、映画『アンネ、の日記』が作られた時、アンネが住んでいたというアムステルダムのオリジナルの建物を、「日記に書いてあるように改装してもよい」と言われたという。小説であり、当然実際の建物が違う。

2 13歳の少女が冒頭で「フランク家の歴史を語り、そのすぐ後にドイツの反ユダヤについて語っている」のは何故か?

3 彼女は本文中で「オランダ風の階段」と語っているが、彼女はオランダでしか育っていない。

1980年10月9日の「ニューヨーク・ポスト」には、「エルンスト・ロエマー」なる人物が「アンネの日記」は真実ではなく、小説である事を追及し続け、裁判に持ち込んだ記事が書かれている、そしてついに「2度目の裁判」で彼の主張は、明確に正当であると認められた。

アンネ・フランクは1945年3月上旬、ベルゲン・ベルゼン強制収容所で発疹チフスを患って亡くなった。もし治療を受けていたら、もしかすると彼女は助かっていたかもしれません。
しかしユダヤ教に入り込んだ悪魔の法典タルムードの「偶像礼拝者や異教徒からの医療的な助けは避けなければならない」(Pesachim 25a) という邪義がそれを許さなかった。タルムードを信ずるユダヤ人達に、非ユダヤ人の治療を受ける選択肢はありません。小さな彼女が治療を受けて生き延びていたら、悲劇の主人公が描かれる「アンネの日記」を小説家メイヤー・レビンが書くことは無かったと思うわれ、本当に可哀想です。

 アンネも「シオニズム運動」の可愛そうな犠牲者の一人であることは間違いなさそうです。 
アンネは、ごく普通の女の子だったようです、彼女がアメリカの友人に送った本物の手紙の筆跡を見れば見るほど、本当にかわいい筆跡で13歳の少女の姿が浮かび上がってきます。日記の筆跡とは誰が見ても、天と地の差があると言われています。何故父親のオットー・フランク氏は5万ドルという大金(現在の約2億円)を払ってまで、小説家に娘の名前で小説を書かせたのか・・・

「アンネの日記」は、小説として立派であり、我々は日記、小説であれ気にすることはなさそうですが、日本では年間2~3万件程度の図書被害があり、別に一々被害届を出すことは無いそうです。

参考資料:「見えざる帝国」 宇野正美 著 等々
*殆んどがネット内の資料等を参考にしています。


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