極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

I am grateful that I can freely write my daily thoughts

風前の灯か・・・拉致問題

2019-04-29 13:12:39 | 拉致

新聞、テレビ等々でもニュースになることがめっきり少なくなった拉致問題・・・拉致問題は全く解決していません。以下文は過去の産経新聞、ウィキペディア、メディアは死んでいた・検証 北朝鮮拉致報道阿部雅美 2018/5/23等々を参考に記しています。

 

あれほど大々的なニュース等になっていた拉致問題、被害者家族等はもう待ったなしの超高齢で自分の子供達を再び目にすることなく、生涯を終えた方もおられます。何も罪が無く、拉致(人さらい)された事実・・・日本は主権国家、文明国です。私達の多くは日々の生活に追われ、拉致問題は所詮他人事かもしれません。私達一人々は小さな力しかありません。唯、可哀想と思うだけかもしれませんが拉致被害者、家族は同じ国民、同胞です。

1980年、産経新聞の安部正美氏(日本のジャーナリスト、北朝鮮による日本人拉致事件をスクープ、産経デジタル代表取締役社長兼CEO、東京都生まれ、産業経済新聞社常務取締役など兼務)が拉致問題をスクープしましたが産経、日経以外の朝日、読売、毎日は記事なし。NHK、民放も無視しています。産経、日経新聞同様に拉致報道を大きくしていたら拉致被害者数等は違った可能性があると思います。これらの多くのメディア等々は国、国民等に対し責任があると思います。国、国民の人権等々に対し極めて大きな影響等を与えたと思います、恥を知るべきでした。

今一度、私達は理不尽な拉致の事実、現在の状況等を知ることは大切だと思います。子供達にも何も罪の無い人が拉致されている事実を判り易く教えることは大切だと思います。

日本の激動期を生きた先人達が知ったら何と思うでしょう、決して日本はこんなものじゃないぞと言うでしょう。

もし、自分の子供、孫達が何の罪の無く突然、理不尽にも拉致されたら気が狂いそうな日々を送るでしょう。拉致被害者、家族は正にこのような日々を長年過ごしていると思います。

国は国民の身体、財産を守る極めて重要な基本的な責任があると思います。与野党を問わず全国会議員も今一度最優先事案として再認識してもらいたいものです。

政府は今後、今まで以上に国民に対し、分かり易い拉致対応等の経過報告も重要だと思います。現在政府はどのように拉致問題と取り組んでいるか、一般国民には分かりません。せめて月一回位新聞等々を利用し、分かり易く具体的に広報してほしいです。

多くの国民は首相等々、一部の国会議員等々が襟につけている救出、救国のシンボル、ブルーリボン・バッジさえ知らない人達が多いと思います。多くの議員はこのブルーリボン・バッジさえ着けていません。拉致問題より優先事項が多いでしょうか・・・

日本が拉致問題を解決するためには、どうしても全国民の後押し等が無ければ不可能でしょう。寂しい結末を迎えないためにも、今こそ一丸となり拉致問題解決を悔いのないようにすべきです。

拉致問題は2国間問題でしょうが、時々拉致問題に対し北朝鮮以外の力が見受けられましたが、米国のトランプ大統領は安倍首相と信頼関係が極めて高く、歴代の米国大統領と違い、拉致に対しても自ら北朝鮮側に目に見える形で問いかけています。安倍首相は今まで通り、強いリーダーシップを持って解決にあたってほしいです。

 

政府・法務省は拉致に対する対応として、北朝鮮人権侵害問題啓発週間(12月10日~16日)を設けています。(平成18年6月、拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題への対処に関する法律が施行され、国及び地方公共団体の責務等が定められるとともに,毎年12月10日~16日までを北朝鮮人権侵害問題啓発週間とするとされています。)

残念ながらこの事実を知っている国民の方は少ないと思います。年間で1週間・・・あまりにも弱々しい対応のように思います。何故なら拉致と言う言葉もありませんし、年間で1週間のみです。

やはり、「拉致問題を考える日」等々、(毎月指定日等々)の制定が望ましいと思います。多くの国民に再度認識してもらうためにも!拉致問題解決なくして、日本の未来・夢、日本人の尊厳は有り得ないでしょう。

もし、拉致問題が未解決のまま立ち消え消えた場合、多くの日本国民、善良な諸外国の人達は日本と言う国に対し間違いなく疑問を呈するでしょう。
日本は今、戦後最大の国家の主権が試されていると思いますし、世界の国々は表に出ることは有りませんが、ちゃんと対応、経過を見ていると思います。

拉致問題を一歩でも進めるためには、どうしても憲法9条の一部改正は避けられないと思います。拉致問題の本質的な一部は憲法問題だと思います。自衛隊、警察、海上保安庁等々は現憲法下で動いていますが・・・

北朝鮮の工作員等が他国に堂々と不法侵入して他国民を拉致する行為は、国家の主権を侵害する行為で、誰が考えても国際法上も直接侵略だと思います。

自衛隊の任務は直接侵略等の阻止が最大の任務だと思います。この行為に対応できないのは憲法9条が問題だと思います。拉致は現憲法の犠牲者とも言えると思います。

 

北朝鮮による拉致被害者の増元るみ子さん(64)・拉致当時(24)の増本信子さん(2017年、90才死亡)の夫、正一さんは救出運動の前線に立っていましたが病に倒れ、拉致被害者5人が北朝鮮から帰国した2014年10月17日、79歳で死去していますが死の直前、「わしは日本を信じる。おまえも、日本を信じろ」・・・この言葉を家族に残しています。政府等々関係者ばかりでなく、私達もこの言葉の思いを重く受け止めるべきです。

 

私達にとっての当たり前の日々の生活・・・拉致被害がなかったら買い物、食事、結婚し孫とのふれ合い等々ができたでしょう。拉致被害者、家族にとっては長き地獄の日々を過ごされています。

ドラえもん・・・静香ちゃんがのび太と結婚するのに迷い、躊躇(ちゅうちょ)する時、パパからの静香ちゃんへの言葉、のびたは人の喜び、悲しみが分かる人だよ、結婚しても心配要らないよ・・・多くの日本人は人の悲しみが分かる方が多いと思います。私達は拉致被害者、家族に思いを寄せること、関心を持つことは誰でも今すぐ出来ます。先ずは関心を持つことが大切だと

思います。

拉致問題の新たな一歩となるためにも、国際法上も直接侵略でもある拉致・・・憲法9条の一部改正は是非実現してもらいたいものです。何時の日にか拉致問題解決・会見が開かれることを願わずにはおれません。

 


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全世界が敬意を表している日本の天皇

2019-04-18 19:50:32 | 日本社会

以下文は、日本誌・エンゲルベルト・ケンペル著  霞ケ関出版(今井正) 2001年7月、日経新聞(2019年4月2日号)、ウィキペディア等々を参考に日記として記しています。

 

世界、人類にとって残念なことは1974年、エチオピアでは軍事クーデターにより王統は崩壊しました。皇帝は捕らえられ処刑されたとも言われています。古代イスラエルのソロモン王とシバの女王から3000年間、脈々と受け継がれてきた世界最古のエチオピア王統は1974年消滅しました。

異論があるかも知れませんが、日本の天皇・皇室には古代イスラエル、ダビデ王統を考慮した場合、旧エチオピア王統に匹敵する歴史を有していると思います。天皇・皇室は血統を極めて重視されるようです。

 

現在、世界で公式に皇帝・エンペラーと呼ばれるのは日本の天皇だけで国際儀礼でもあると思います。

世界には王族・キング(現在27の王室が存在)はいますが皇帝・エンペラーは天皇を除いて残っていません。人類史上、長い歴史を有する日本、天皇・皇室は人類の悠久の歴史でもあり、海外の王室と違うようです。(異論があるかも知れませんがシュメール、旧約聖書等の流れを汲んでいるようにも思えます。)普段、私達は意識しませんが国外から見たら私達日本人は凄い国に住んでいることになります。

国際社会では天皇のみが王・キングよりも格上とされ皇帝・エンペラーと見なされています。勿論、中国の人々も国際儀礼としての天皇に敬意を表し認めています。
世界で天皇を認めていない国は隣国韓国で、昨今は天皇を日王と蔑称で呼ぶ韓国、現天皇を戦犯の子とも発言していますが・・・即位の礼には出席せざるを得ないでしょう。出席しないなら全世界から非文明国と思われ笑いものになるでしょう。やはり一番の被害者は韓国内で日本の天皇制度を尊重し日韓友好を心から願う人達だと思います。

天皇は大日本帝国の君主であったために皇帝・エンペラーと呼ばれていたと思っている方が多いと思いますが、素人ながら精査すると1889年の大日本帝国憲法発布時以前から天皇は欧米人から皇帝・エンペラーと呼ばれ王・キングよりも尊敬されていました。

欧米から尊敬されていた天皇・・・尊敬されていた根拠の一つがドイツ人医師のエンゲルベルト・ケンペルが記した日本誌(The History of Japan)です。欧州中で大変なベストセラーとなった日本誌の中でこれらの事実を確認することが出来ます。エンゲルベルト・ケンペルは1690年から2年間、日本に滞在、帰国後この著を残しています。

日本誌は、17世紀末に出島のオランダ商館に勤務したドイツ人医師エンゲルベルト・ケンペルが江戸時代、日本での見聞をまとめ執筆した書物です。彼の遺品の多くは遺族により3代のイギリス国王に仕えた侍医で熱心な収集家だったハンス・スローンに売られました。

1727年、遺稿を英語に訳させたハンス・スローンによりロンドンで出版された日本誌はフランス語、オランダ語にも訳されています。特にフランス語版が出版されディドロ(フランスの哲学者、美術批評家、作家、主に美学、芸術の研究家、18の啓蒙思想時代にあって、ジャン・ル・ロン・ダランベールとともに百科全書を編纂しており、百科全書派の中心人物です。)の百科全書の日本関連項目の記述が全て日本誌を典拠としたことが原動力となって知識人の間で一世を風靡しゲーテ、カント、ヴォルテール、モンテスキューらも愛読、19世紀のジャポニスム(19世紀にヨーロッパで流行した日本趣味のこと。)に繋がって行くようです。

 

エンゲルベルト・ケンペルは日本誌で日本には聖職的皇帝の天皇と世俗的皇帝の将軍という2人の皇帝がいると記しています。1693年頃に書かれた日本誌が天皇を皇帝とする最初の欧州文献史料と言われ、天皇に対する尊敬等が醸成されたと思います。
有名な話としてナポレオンが19世紀初頭に突如、皇帝になったことは欧州の保守派の人達の間では認められるものではなく、馬鹿にされています。何故なら皇帝・エンペラーには相応の歴史、血統の正統性が要求されるからです。

ドイツのヒットラーが戦前、満州重工業の総裁であった鮎川義介氏に会った際、ヒトラーは鮎川氏に対し、次のようなことを語っています。貴方の国が如何に努めてみても、我がドイツのような工作機械は作れないだろう。しかし、ドイツがどうしても日本にまね出来ないものがある。それは貴方の国の万世一系の皇統である・・・尊敬の念と憧れを表していると思います。

 

エンゲルベルト・ケンペル以降、約140年後に日本に渡ったシーボルトにも大きな影響を与え、日本の先人を顕彰しています。

16~17世紀、日本を訪れた多くのヨーロッパ人は万世一系の皇統とその異例の古さというセオリーを受け入れています。江戸時代、日本書紀研究者達は、神武天皇が王朝を創建した年の計算を行っています。神話的な日本建国の年代をヨーロッパ人達は西暦に計算しなおして報告しています。日本誌はそれを明治時代に制定された神武天皇即位紀元と同一の紀元前660年とした最初期の例で、エンゲルベルト・ケンペルは日本誌で以下のように説明しています。

 

皇統・・・

3番目かつ現在の日本の君主制、すなわち王代人皇(天神七代、地神五代に続くもの)ないし、祭祀者的世襲皇帝はキリスト前660年に始まり、それは中国の皇帝恵王(周王朝の第17代皇帝)の治世17年のことである。この時からキリスト紀元1693年まで、すべて同じ一族の114人の皇帝たちが継続して日本の帝位についている。彼らは自分達が日本国の最も神聖な創建者である天照大神の一族の最も古い支族であること、そしてその長男の直系であり代々そうである事を極めて重んじている。

続いて、日本で書かれ刊行された2つの年代記を参照して、歴代天皇の名前と略伝を列記しています。

エンゲルベルト・ケンペルは天地創造がキリスト紀元前4000年頃の出来事だという計算が信頼されていた時代で、これを古代史の年代計算の妥当性の基準にしています。

日本誌の中では、日本の歴史家が中国の帝王・伏羲(古代中国神話に登場する神または伝説上の帝王)の統治開始年をキリスト紀元前21106年と算出していることに触れ、それを棄却、上記の基準すなわち神による天地創造の以降とされた諸王朝の年代設定には寛容であったようです。

 

政府は10月22日の新天皇の即位の礼(日本の天皇が践祚(せんそ:天皇の位につくこと)後、皇位を継承したことを国の内外に示す一連の国事行為たる儀式で最高の皇室儀礼)に日本が国家承認している195カ国の代表者と欧州連合(EU)の大統領、欧州委員長、国連事務総長等の方々を招待すると発表しています。

隣国でもある北朝鮮は国交が無いため招待がないようですが、メディア等が報道することはありませんが表向きは批判的でも天皇・皇室に対しては間違いなく尊重、尊敬しています。これは韓国とは相反する考えです。国交があれば高い地位の政府関係者が参加するでしょう。一説では、拉致問題の深部の一部にも皇室等への憧れを見出すことが出来るとも言われています。

即位の礼は新天皇の海外へのお披露目という意味合いが強く、招待国は絞らない形式を採用しているようです。憲政史上初めて、平成31年4月30日に行う天皇陛下の退位の儀式、退位礼正殿の儀、翌5月1日に皇太子さまが新天皇に即位後最初に臨まれる「剣璽等承継の儀」等、付き従う皇族方の立たれる位置など詳しい手順を定めた細目を決めているそうです。

菅官房長官は「退位礼正殿の儀」は1週間前をめどに、「剣璽等承継の儀」と「即位後朝見の儀」は当日の5月1日に、それぞれ憲法に定める国事行為として行うことを閣議決定する考えを示しています。

さらに、「即位礼正殿の儀」の翌日の23日に、海外の要人などをもてなすため総理大臣夫妻の主催で開く晩さん会の文化行事について狂言師の野村萬斎さんに総合アドバイザーとして助言してもらい、日本が誇る伝統芸能を外国の賓客にわかりやすく堪能してもらえるようアドバイスをいただくようです。

私達にとっても元号使用は天皇・皇室との関わりを感じると思います。日本人の大半は日本に生を受け生涯を閉じます。この当たり前でもある私達の日常、世界から見たら悠久の歴史を有する日本、天皇・皇室を有する国で生きるということに世界の人達から見たら羨望の眼差しがあります。これらの事実は多くの個人プログ等で誰でも確認できます。

 

万葉集は、奈良時代の日本最古の歌集万葉集で天皇や皇族、歌人、農民等、幅広い階層の人々が読んだ約4500首の歌が収められています。

新元号・令和・・・

春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように一人ひとりが明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる・・・
そうした日本でありたいとの願いを込めて・・・考案者は国文学者の中西進氏とも言われていますが本人談・・・元号は中西進という世俗の人間が決めるようなものではなく、天の声で決まるもの。考案者なんているはずがないとコメントしています。

一説では、大嘗祭等、宮中祭祀「等」を全て取り仕切っていると言われる鴨神社・ヤ***ス、元号考案が祀り「等」ごとであれば、・・・形の上では元号は公募等々となり考案者名が何人か記されていますが・・・

令和の出典元である梅花の歌は、万葉集5巻に収録されていますが、万葉集・梅花の歌の作者は、お酒が大好きな大伴旅人(おおとも の たびと)作と言われていますが諸説あり作者不明です。大伴旅人は、飛鳥時代から奈良時代に活躍した歌人で太宰府長官でもありました。

万葉集約4500首の中で筑紫国で詠まれた歌は約320首があり、そのうち大宰府長官・大伴旅人邸(大宰府)で開かれた宴で筑紫歌壇の員により梅花を題材に詠まれた32首があります。その宴を梅花の宴と呼ばれ、万葉集巻五に収録されています。序文として、梅花の歌が寄せられています。この中から令和が引用されているとも言われています。

初春の「令」月にして、気淑(よ)く風「和」ぎ、梅は鏡前の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫(かをら)す。

 

日本には四季があり、世界から見たら極めて恵まれた自然・・格差社会等々がありますが医療、生活等々日本は全てに世界から見たら極めて恵まれています。

日本で生きていけないために日本を出国し、海外移住を目指す人達は極一部の人達を除いていません。この逆の日本に移住したい人達は極めて多いのが実情で、根底には天皇・皇室を有しているため揺ぎない安心感、信頼感等々が大きいと思います。天皇・皇室に対し、日本人は計り知れない心の拠り所としていると思います。

元号・令和で新しい日本の歴史が始まりますが、私達も新たな気持ちで未来の夢、希望を語れる社会、一人々の悔いのない人生を送り、自分史を素敵な日本国で作りたいものです。 

 

参考

梅花の歌三十二首并せて序
天平二年正月十三日に、師の老の宅に萃まりて、宴会を申く。

時に、初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す。

加之、曙の嶺に雲移り、松は羅を掛けて蓋を傾け、夕の岫に霧結び、鳥はうすものに封めらえて林に迷ふ。

庭には新蝶舞ひ、空には故雁帰る。ここに天を蓋とし、地を座とし、膝を促け觴を飛ばす。

言を一室の裏に忘れ、衿を煙霞の外に開く。

淡然と自ら放にし、快然と自ら足る。

若し翰苑にあらずは、何を以ちてか情を述べむ。

詩に落梅の篇を紀す。

古と今とそれ何そ異ならむ。

宜しく園の梅を賦して聊かに短詠を成すべし。

 

 

現代訳

天平二年正月十三日に、大宰師の大伴旅人の邸宅に集まりて、宴会を開く。

時に、初春の好き月にして、空気はよく風は爽やかに、梅は鏡の前の美女が装う白粉のように開き、蘭は身を飾った香のように薫っている。

のみにあらず、明け方の嶺には雲が移り動き、松は薄絹のような雲を掛けてきぬがさを傾け、山のくぼみには霧がわだかまり、鳥は薄霧に封じ込められて林に迷っている。

庭には蝶が舞ひ、空には年を越した雁が帰ろうと飛んでいる。

ここに天をきぬがさとし、地を座として、膝を近づけ酒を交わす。人々は言葉を一室の裏に忘れ、胸襟を煙霞の外に開きあっている。

淡然と自らの心のままに振る舞い、快くそれぞれがら満ち足りている。

これを文筆にするのでなければ、どのようにして心を表現しよう。

中国にも多くの落梅の詩がある。

いにしへと現在と何の違いがあろう。

よろしく園の梅を詠んでいささの短詠を作ろうではないか。


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改憲4項目と私達日本人

2019-04-13 20:19:32 | 日本社会

以下文は、日頃の思いを記したものです。

自民党は昨年3月、憲法改正をめぐり自衛隊、緊急事態、参院選・合区解消、教育の充実の4項目に関する条文素案をまとめ公表しています。

憲法改正に向けた国民の理解を深め、国会での議論を活発化させる狙いでしたが、特に9条改正は呆れたことに、同じ自民党内の利権絡み政治屋等の反対が多いようです。公明党も慎重のようです。合区解消、教育充実に関しても反対が多いようです。昨今は改憲論議はめっきり減ったように思います。

 

最も大切な憲法9条への自衛隊の明記・・・戦後日本の未来はこの条文で良い意味で大きく変わるでしょう。9条があるため、日本は極めて大きな国益、国民益を戦後から失い続けています。メディア等は9条改正反対で真相は報道しません。

9条のために日本は国家としての尊厳は地に落ちてしまっています。隣国からはレーダー照射、天皇謝罪要求等々、言われ放題です。相手は日本の肝でもある足元(9条等)を見て発言していると思います。

韓国の慰安婦既得権等同様、日本も9条既得権者が多く存在しているかも知れません。

世界広しと言えど自国の守る憲法条文等がない、守る気概が少ない国民は世界に存在しないでしょう。自衛隊員は国を守るために状況によっては自分の命と引き換えに任務を遂行するでしょう。多くの人達は自衛隊は国民に信頼されている等々言われますが、一歩踏み込むと、間違いなく自衛隊は日陰者扱いされています。比較に異論があるかも知れませんが、警察官等々が憲法上も可笑しな存在だとしたら警察官等々はどう思うでしょうか・・・私達は日陰者扱いされる自衛隊員の気持ちの一端を理解することは大切だと思います。

9条により戦後日本の安全が保たれてきたとは言えないと思います。やはり自衛隊、在日米軍の存在だと思います。自衛隊員の尊厳を守るためにも私達はよく考えるべきです。9条に条文が付加されたからと言って好戦国、即戦争になる訳では無いと思います。理想世界、夢を持つことは大切ですが、現実を無視したら砂上の楼閣に過ぎないでしょう。世界は良い国、良い人達ばかりでは無いと思います。

意外に思われるかも知れませんが身近な問題・・・戦後、米国等に対しノーと言えなかった日本、対外圧力に屈し続け、要求を受け入れてきました。この結果大きな格差社会を作ってしまったと思います。何故、ノーと言えないか、この本質は日本人の生命等を駐留米軍に依存している現実、9条にあると思います。

素人ながら現状を精査した場合、そのしわ寄せは弱者に降りかかっていると思います。9条が改正されない場合、弱者等に対し大きなしわ寄せが今後も続くでしょう。

 

緊急事態条項の創設についても、南海トラフ地震等々、専門家は待ったなしと言っています。大災害等、緊急事態発生時に可能な限り政府が対応しやすいように整備することは大切だと思います。世界広しと言えど、この条項も日本にはありません。

 

昨年、安倍首相が憲法記念日に提起した内容に沿い、9条の2を新設して自衛隊の存在を明記、政府は自衛隊を合憲と解釈してきましたが違憲論を解消することを目的としています。

憲法に自衛隊の存在を明記しても自衛隊の権限、役割に変更がないことを明確にするため、戦争放棄をうたった9条1項、戦力不保持と交戦権を否定した2項とその解釈を維持しています。

9条とは別条文となる9条の2を設け、既存の9条は一切変更しないことを強調しています。

自民党の石破茂元幹事長らが強く主張した2項削除論は、憲法改正を困難にするための策でしょう。安倍首相の足を影で引っ張る人でもあり、勿論、本音は9条利権絡みで憲法改正は反対でしょう。

野党の立憲民主党等は軍=諸悪の考えでもあり、もっとものように憲法違反だとする安全保障関連法を前提とした9条改正に反対しています。

1 憲法9条

※第9条全体を維持した上で、その次に追加

第9条の2

(第1項)前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。

(第2項)自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。

 

2 緊急事態条項の創設

緊急事態を大地震、その他の異常かつ大規模な災害と定義しています。戦争などの人災は公明党や野党の慎重論を踏まえ、定義から省いています。

 

緊急事態条項

第73条の2

(第1項)大地震その他の異常かつ大規模な災害により、国会による法律の制定を待ついとまがないと認める特別の事情があるときは、内閣は、法律で定めるところにより、国民の生命、身体及び財産を保護するため、政令を制定することができる。

(第2項)内閣は、前項の政令を制定したときは、法律で定めるところにより、速やかに国会の承認を求めなければならない。

内閣の事務を定める第73条の次に追加

第64条の2

大地震その他の異常かつ大規模な災害により、衆議院議員の総選挙又は参議院議員の通常選挙の適正な実施が困難であると認めるときは、国会は、法律で定めるところにより、各議院の出席議員の3分の2以上の多数で、その任期の特例を定めることができる。

※国会の章の末尾に特例規定として追加

 

3 参院選、合区解消

47条と92条を改正し、参院選の「合区」解消と都道府県単位の選挙制度の維持を図ります。

衆参両院の選挙区と定数は、現行憲法の人口比例による基準とは別に、「地域的な一体性」などを「総合的に勘案」して定めるとしています。

特に参院選について「改選ごとに各選挙区において少なくとも1人を選挙すべきものとすることができる」と明記しています。

公明党は参院選を全国11ブロックに分ける大選挙区制を提唱、自民案に否定的です。一票の価値の平等を損ねる恐れがあるとして、他党からは異論もあります。

 

参院選、合区解消

第47条

両議院の議員の選挙について、選挙区を設けるときは、人口を基本とし、行政区画、地域的な一体性、地勢等を総合的に勘案して、選挙区及び各選挙区において選挙すべき議員の数を定めるものとする。参議院議員の全部又は一部の選挙について、広域の地方公共団体のそれぞれの区域を選挙区とする場合には、改選ごとに各選挙区において少なくとも1人を選挙すべきものとすることができる。

前項に定めるもののほか、選挙区、投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は、法律でこれを定める。

第92条

地方公共団体は、基礎的な地方公共団体及びこれを包括する広域の地方公共団体とすることを基本とし、その種類並びに組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基づいて、法律でこれを定める。

 

4 教育の充実

自民党の素案では、経済的なハンディが教育に反映しないように、誰でも教育の機会が得られるようにしています。(細田博之・自民党憲法改正推進本部長)ことを主眼に26条を改正し、国が教育環境を整備する努力義務を規定しています。

89条も改め私学助成の合憲性を明確にしています。

日本維新の会が求める幼児教育から大学までの教育無償化は、必要財源を確保するのが困難として明記を見送っています。維新は自民案が現状のままなら反対する考え。立憲民主党などの野党は改憲する必要性はないとの立場です。

 

第26条

(第1、2項は現行のまま)

(第3項)国は、教育が国民一人一人の人格の完成を目指し、その幸福の追求に欠くことのできないものであり、かつ、国の未来を切り拓く上で極めて重要な役割を担うものであることに鑑み、各個人の経済的理由にかかわらず教育を受ける機会を確保することを含め、教育環境の整備に努めなければならない。

第89条

公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の監督が及ばない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

 

今日、日本・安倍政権は戦後一番改憲出来る状況だと思います。憲法改正は敗戦国日本にとって、日米問題で、私達に見えない部分だったかも知れません。幸い、トランプ大統領は歴代米国大統領と違い、日本の立場を大変尊重されています。このような大統領は過去いなかったと思います。

安倍首相が言ったように、まさに憲法改正、新たな改革等は戦後レジューム(戦後確立された世界秩序、政治の体制、制度を指します。)からの脱皮でもあると思います。

安倍首相は、戦後の歴代首相で初めてパフォーマンスでなく日本の国益、国民益を考え未来に夢が持てる国作りのために憲法改正を目指した首相だと思います。何よりも今日、同盟国米国との極めて良好な関係を作っており、米国にとっても日本の憲法改正には違和感を持っていないと思います。過去を鑑んだ場合、憲法改正にはどうしても米国の思惑が大きく、一歩踏み込めない首相が多かったと思います。

現在の政権内にも9条利権により動く政治屋が如何に多いか・・・今後も憲法改正を掲げる安部首相に対し、現在の9条利権を厳守したいメディア等々から重箱の隅を突くような情報が多く出てくるでしょう。世界の安倍首相に対する評価は大きいいです。日本のメディア等々の報道に一喜一憂することなく自分なりに精査することは大切だと思います。

今日、日本には理不尽な問題等々難問が山積していますが、これらの解決の第一歩のためにも、未来に夢を持てるためにも、第一歩は憲法改正以外は無い思います。


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周恩来ここに学ぶ・・・東亜予備高等学校跡碑

2019-04-12 18:49:03 | 日中

中国の周恩来氏と言ったら日本人で知らない方が少ないくらい日中間に影響を与えた人で、困難であった戦後の日中国交を成し遂げた人です。

以下文は周恩来・十九歳の東京日記・小学館文庫1999年、ウィキペディア等々を参考に記しています。異論が多々あると思いますが、素人の周恩来氏への思いです。

 

周恩来ここに学ぶ・・・東亜予備高等学校跡の碑は、東京都千代田区神保町の愛全公園内にあります。何故、この地に周恩来氏の碑があるかと言うと若きころ来日し、この地で多くを学んだと言われ、以後中国での両国の友好発展を込めた対日策に極めて大きな影響を与えたと思います。

 

周恩来(しゅう おんらい、1898年~1976年)氏は中華人民共和国建国1947年以来、77才で亡くなるまで首相(政務院総理・国務院総理)を務めています。文化大革命には反対で、これらの激動期を生き抜き、西側世界との国交を目指していました。

日本にとって忘れることが出来ない1972年・・・田中角栄首相と日中共同声明に調印したことでも有名です。妻は鄧穎氏、子女は孫維世氏(養女ですが文化大革命で迫害死)、李鵬氏(養子ですが、後の国務院総理です。)

1972年、米中国交正常化交渉を前進させ、アメリカ大統領ニクソンの訪中を実現させています。同年、日中のスポーツに理解を示し、ピンポン外交により訪中した内閣総理大臣・田中角栄氏と数度にわたる交渉に臨み、日中共同声明に調印、日本との国交正常化を実現しました。調印式で交わした田中角栄との固い握手とその写真は時代の象徴と有名です。

共同声明等の一部の要約・・・日中両国には様々な違いはあるが、小異を残して大同につき、合意に達することは可能である、わが国は日本に賠償を求めない。日本人民も我が国の人民と同じく軍国主義者の犠牲者である。賠償を請求すれば、同じ被害者である日本人民に払わせることになると話しています。

 

周恩来氏は中国・江蘇省淮安の官僚地主出身で13才となった1911年に辛亥革命勃発、翌1912年清朝が崩壊し中華民国建国、1913年天津の南開中学校入学、中学卒業後の1917年日本留学、日本語の習得不足で第一高等学校、東京高等師範学校受験に失敗し、東亜高等予備学校(日華同人共立・東亜高等予備学校)、東京神田区高等予備校(法政大学付属学校)、明治大学政治経済科(旧政学部・現政治経済学部)にて多感な時期に多くを学んでいます。日本で学んだ知識を更に中国で進化させたとも言えると思います。

勉学に励むと共に、友人と活発に交流し中国の将来について語り合い、日比谷公園、靖国神社、三越呉服店、浅草等を積極的に回っています。

特筆すべきは、1918年5月1日には靖国神社の大祭見物・・・それを見てはなはだ大きな感慨(心に深く感じること。)を催す(引き起こす。)と記しています。6月2日には游就館を訪れたことも記しています。

日本社会、日本人についてもよく観察しており、これらを理解することにより知日派としての基礎を作ったとも言われています。隣国・韓国等とは全く違う捉え方で、日本で学んだことによりファンダメンタル(基礎的な諸条件等)を正しい歴史観、世界観で捉えていると思います。

1972年の日中国交正常化後初の中国人留学生として来日した、知日派である程永華(2010年2月~2019年4月まで駐日中国大使)氏にも周恩来氏は大きな影響を与えたと思います。異論があるかも知れませんが、中国は共産国家ではありますが、これらの基礎的史観等で、今日世界から中国が大国と言われる所以(ゆえん)かも知れません。

1918年、留学生の一斉帰国運動も起きますが、即帰国せず冷静な対応をしていることが分かります。一旦中国に帰りますが、再来日・・・母校の南開学校が大学部を創設するということを知って帰国しています。

1920年パリ留学、労働党の研究のためにイギリスに渡り、エディンバラ大学に入学を許可されますが中国政府からの奨学金が下りずに断念しフランスに戻ります。その後、中国共産党フランス支部を組織、ヨーロッパ総支部が作られるとその書記となっています。この留学時代の仲間には李立三や鄧小平、陳毅、朱徳など後の中国共産党の幹部となった者が多数いました。

 

1919年4月5日、帰国のため船に乗る神戸に向かう途中、京都の嵐山に寄って歌った詩「雨中嵐山」は、嵐山(亀山公園)の周恩来記念碑に刻まれています。

正式には周恩来副総理詩碑で碑文は漢文ですが、日本語では次のように読むようです。

 

「雨中嵐山」

雨の中を二度嵐山に遊ぶ

両岸の青き松に、いく株かの桜まじる

道の尽きるやひときわ高き山見ゆ

流れ出る泉は緑に映え、石をめぐりて人を照らす

雨濛々(霧・煙・砂ぼこり・ 湯気などが一面に立ちこめるさま)として霧深く

陽の光雲間より射して、いよいよなまめかし

世のもろもろの真理は、求めるほどに模糊(はっきりしない様)とするも、模糊の中にたまさかに一点の光明を見出せば、真(まこと)にいよいよ、なまめかし(みずみずしい)。

日本・京都、1919年4月5日

 

上記の碑は1978年8月、日中平和友好条約が調印され、この条約調印を永遠に記念し子々孫々にわたる友好を願う心を表わしたいという声が巻き起こり、京都にゆかりの深い、日中両国友好のために尽された周恩来総理の詩碑を建立しようという運びに至り建立されています。

当地では有名な筋金入りのマルクス主義者、河上肇の著書で初めてマルクス主義に触れ、京都大学でその講義を聴講しています。

1919年4月帰国、南開大学文学部入学、その直後に中国近代史の起点となる五・四運動(1919年パリ講和会議・ベルサイユ条約の結果に不満を抱き発生した中華民国の北京から全国に広がった抗日、反帝国主義を掲げる大衆運動)が起き、周恩来氏は学生運動リーダーで頭角を現しています。

日本滞在中の様子は、周恩来・19才の東京日記が詳細に記録しています。

 

記念の植樹としては東京都八王寺市内の創価大学には、周桜と呼ばれる桜があります。故周恩来総理を記念するために植えられたものだそうです。

周恩来氏は1972年に膀胱癌が発見されましたが、その後も休むことなく職務を続けましたが、病状は悪化の一途をたどったようです。周恩来氏を研究していた研究者の疹心文氏によれば、病に倒れてから何時の日か何処かに行けるなら日本に行きたいとの希望を持っていたとも言われています。日本に対する思いを垣間見ることが出来ます。

日中には理不尽な難問等々が山積していますが隣国・韓国等と違い、毛沢東、鄧小平、習近平氏等の中国共産党・歴代最高指導者は天皇の歴史、権威を理解し、天皇を擁する日本の本質を理解しているのは間違いないと思います。

日本に対する厳しい策は今後も変わらないと思いますが周恩来氏同様、物心とも理解する努力をされている知日派の人達は、日中の理不尽な難問等々にも良い知恵を出すと思います。

 

周恩来氏の名言

若者が何度かつまずいたり、障害にぶつかったりしない者はいない。
これらの難問にぶつかっても落胆してはならない。
一番苦しい時でも、気を落としてはならない。
前進を続ける気概をもて、勇気をもて。
希望の光が、我々を照らしている。

私達は経験ばかりから学ぶことなく、正しい世界、歴史観を学ぶことは未来の日中関係をより確かなものにすると思います。


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トランプ大統領を主導した人・バロン氏

2019-04-05 11:25:23 | 日記

以下文はトランプ大統領就任演説、ウィキペディア等々を参考にしていますが、素人の文であり可笑しな解釈等々が多々あると思います。文は日々の日記とします。

 

トランプ大統領就任時、主席補佐官・・・大統領上級顧問・首席戦略官であったスティーブン・ケヴィン・バノン氏・・・トランプ氏を主導してきた人でもあります。何よりも弱い立ち場であった本来の白人達の代弁、選挙公約の実現を進言した人物でもあると思います。利権を守りたい日本のメディア、政治屋等々の人達は理解できないし、しようとしないでしょう。見方によっては日本の救世主となるかも知れませんし、安倍政権も同じ思想かも知れません。

1953年、バージニア州ノーフォーク生まれ。

1971年、バージニア州リッチモンドにある私立でカトリック系軍関連高校のベネディクティン・カレッジ・プレパラトリーに入学、学生自治会の会長を務めています。

1976年、バージニア工科大学建築・都市学部を卒業、都市計画で学士号取得

1983年、海軍で兵役に就いていた時ジョージタウン大学外交スクールから国家安全保障研究で修士号取得

1985年、ハーバード・ビジネス・スクールから経営学で名誉修士号取得

卒業後、1976~1983年まで海軍所属(大尉)、兵役7年間

卒業後、ゴールドマン・サックスのM&A部門で投資銀行業務に携わっています。1990年、ゴールドマン・サックス退職し独立、ビバリーヒルズでメディア専門の投資会社であるバノン株式会社を立ち上げメディア業界への投資で成功を収めています。

2003年のイラク戦争には反対しています。

2005年~2008年まで中国香港と上海に滞在、オンラインゲーム会社の経営に携わっています。

 

私達がトランプ大統領の多くの政策等を見た場合、過去の歴代大統領と違う面が多々あります。特にトランプ大統領の国民側に立った就任演説、選挙公約通りの策の遂行等、これらの政策を協力に支え、主導してきた人物と言うと、元・大統領主席補佐官 スティーブン・バノン氏です。

米国の大統領首席補佐官は、大統領の職務を補佐する補佐官であり、首席補佐官は必要な時にはいつでも大統領に会うことができる等、ウエスト ウイング(ホワイトハウスにある西棟の名称で、大統領の執務室「オーバルオフィス・Oval Office」にある閣議室、国家安全保障会議室、定例記者会見室、危機管理のためのシチュエーションルーム等のほか、現在では副大統領、首席補佐官、大統領補佐官、報道官、法律顧問、上級顧問などの上級スタッフのオフィスなどが入るアメリカ合衆国連邦政府の中枢です。)を実質的に取り仕切る職務で、ホワイトハウス職員のトップに立つ人でもあります。

実質的には大統領を補佐すると言うより、政策等を遂行するために大統領を操り、利用し、これらの政策を主導している陰の大物と言うのが真相だとも言われています。

大統領会見等々には、側についており誤った発言をしていないか細かく確認、状況により発言を修正させています。大統領は操り人形であると言われる所以はここから来ているとも言われています。

 

選挙期間の行動、報道、会見等々を見るとスティーブ・バノン、元主席補佐官は基本的には反ワシントン(国民側等でない人達、支配層等「エスタブリッシュメント」)で、トランプ大統領と極めて近い考えのようで選挙時にも大きな力を発揮した人物、知恵袋で戦略的等な強力なアドバイスを行っています。この考えはトランプ大統領の就任演説内容等にも大きく反映されています。

反グローバリズムであり、トランプ大統領はスティーブ・バノン氏に動かされている面が見え隠れし、その策を具現化しているとも言えそうです。英国のメイ首相にも近いように思います。スティーブ・バノン氏は”反ネフィルム”(世界を支配している地球外生命と地球人の間にできた子の子孫、現世界の13血流です。彼らが地球の全てを支配しています。旧約聖書の6章に出てきます。)でこれらと戦っています。英国のメイ首相も同様で、”ネフィルムが作ったグローバル化、EUから脱退する最大の理由”です。メディアは絶対に報道しません。今後、トランプ政権は2期目以降、このネフィルムと戦うことを最大の目標としています。人類 VS ネフィルムの戦いです。世界の巨大メディアは徹底的にトランプ大統領を批判攻撃し続けるでしょうし、バロン氏は政権を離れてもトランプ大統領に良き世界の未来の為、知恵を与えるでしょう。勿論、バロン氏を排除するため雲上人・僕はあらゆる手段を講じ罠をかけ排除するでしょう。私達の未来は米国の未来ばかりで無く、世界、日本の問題です!世界の未来はバロン氏に掛かっていると言えます。世界、日本のメディア等は絶対に真相を伝えていません。

昨今では、2019年3月7日に自民党の外交部会・国防部会・外交調査会・安全保障調査会合同会議が開催されていますが、元・首席補佐官のスティーブ・バノン氏を招き講演を依頼されています。現在、今後のトランプ大統領の政策等々を理解、予測するにはスティーブ・バノン氏が如何に重要であるかを物語っていると思います。この講演会では大統領選挙の戦略、トランプ大統領の世界戦略、対中国戦略を推し進める策等のエキスを推察する内容だったそうです。

 

2017年8月、トランプ大統領の最側近でもあったスティーブン・バノン大統領上級顧問・首席戦略官が辞任しています。

スティーブン・バノン氏は米国第一を主導、移民・難民の入国規制の強化等の政策推進、環太平洋経済連携協定(TPP)からの永久離脱、移民・難民の入国規制、地球温暖化対策の国際的な枠組みであるパリ協定からの離脱・・・

移民を少なくすること、中国やメキシコとの自由貿易を制限すること、年間所得が500万ドルを超える人たちへ課す連邦所得税を増税の3つを主張していました。

国外へ軍事介入にも懐疑的で、アフガニスタン、シリア、ベネズエラに対するアメリカの介入を拡大しようとする案に反対していました。スティーブン・バノン大統領上級顧問・首席戦略官の退任は、現在のグローバリゼーションを推進、体制を作るという構造に対し、疑問符を投げかけたアメリカ国民の挑戦、英国民のEU離脱を助言、影響を与えてきたと思います。

 

スティーブン・バノン氏本人会見談(ホワイトハウスを去った理由)

*外部から援護射撃をしたかったからだ。

*もともと、1年ほどしか働くつもりはなかった。

*私はホワイトハウスのスタッフには向いていない。

*私には自分のメディア企業があるし、他のビジネスもある。

*トランプ氏のために働くことは大変光栄だったが、スタッフの一員でいることは苦痛だった、私の役割とは違うのだ。

*ホワイトハウスの居心地が悪かったということはないが、ホワイトハウスのスタッフは連邦政府の職員だ、政府の職員になったら何をするにしても縛られる。

*今は、私が大事だと思うことを実行できる柔軟さがある・・・

今日、スティーブン・バノン氏は政権から離れたとは言え、今も政権に対し大きな影響力を持っているとも言われています。

タブーでもある血統的白人でもあり、白人の本当の歴史を紐解く鍵を握っているとも言われています。

辞任後、ヨーロッパ等のさまざまなナショナリストやポピュリストや保守派の政治運動に参加したりそれらを支持しています。安倍晋三、ロシアのウラジーミル・プーチン、中国の習近平、フィリピン、韓国等のリーダー達がナショナリズムへと向かうのも変化の一部であると見ているようです。

 

昨今のトランプ大統領の政策、考え、今後の政策を考えた場合は大統領就任演説、バロン氏の考えを理解すれば比較的分かり易いと思います。

米国大統領と主席補佐官の仕組み、役割は私達が考えている世界とはかなり違いそうですが、これは米国の現実の一面であることは間違いなさそうです。

トランプ大統領登場で米国ばかりでなく、日本も大きく変わっていると思います。バロン氏の日本への思いを対中国政策の中でも見ることが出来ます。

私達はこれらの問題理解は難しいし、素人でもありますが憲法問題同様、本当は身近な問題を秘めていると思います。

トランプ大統領、バロン氏は政権からは退きましたが、選挙公約の実現に全力を掲げていることが分かります。世界の歴史から見ても異例でもあり、弱い立場の多くの声無き人達を代弁しています。トランプ大統領の政策遂行に対し世界、日本のメディア等ばかりでなく、日本の政治家・屋からしたら既得権を失いたくない涙ぐましい努力が滑稽に思えます。トランプ大統領の約束通りの選挙公約政策遂行は後世歴史の事実として残ると思います。

世界の未来予測は「トランプ大統領の就任演説」と「スティーブン・バノン氏」に関心を持てたら、素人でも世界の未来の一部が解き易いようにも思え、バロン氏には日本の未来が大きく関わっていることは間違いないようにも思える昨今です。


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