極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

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年金積立金・株運用は、リスクを伴う覚悟が必要

2016-01-17 12:07:42 | 日本社会
現在、厚生年金、国民年金を合わせた保険料積立金は、130兆円程度だそうです。
国家予算をも上回る巨額のマネー運用をしているのは、世界最大級の投資機関、GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人、共済年金、厚生年金、国民年金の年金積立金を管理・運用する機関、厚生労働省が所管、年金給付の財源として年金運用で得た収益を国庫に納めています。)だそうです。運用経費は年間60億円と言われています。
欧米は、日本のこれらの巨額資金を虎視眈々と狙ってるかもしれないですね。

日本の株式市場運用の大半は外国人投資家(ウオール・ストリート)で、高速コンピューター(数百、数千分の1秒)売り買いで、彼らのコンピューター・プログラムです、瞬時に巨額の運用資金が使われ、極論すれば自由に株価・・・これらの株取引は何を意味するか。

GPIFは、累積の運用収益は50兆7300億円、2014年度の運用益が前年度比49.6%増の15兆2922億円だったと発表しています。運用 利回りは12.27%でいずれも過去最高だそうです。昨今では株価低迷等々で、3か月間で7兆9000億円の年金資金が失われた可能性が高いと言われています。年間ではどの程度の利益が出るか・・・

昨今、政府の成長戦略の一環として、国債のみの運用から株式への積極投資へと大きく舵を切ったようです。国内株式の比率を1%上げるだけで1兆円のマネーが流れ込みます。

株価はリーマンショック前の水準を回復、うまくいけば、高いリターンが得られるが、損失が出れば、将来の年金が減ることになります。勿論運用は長い目で見ることが大切ですが・・・大きな損失が出た場合、日本の場合は基礎年金部分に損失が及ぶと言う面があると思います。
自分の家庭で大切な将来の貯金を増やす為に株運用、ある程度の割合までは問題ないでしょうが、やはりリスクを考えます。

例として、アメリカでは基礎年金部分は100%国債で運用しているようです、資本主義大国米国は何故、基礎年金部分を株で運用しないかを知ることは極めて重要に思います。
諸外国では株式運用で損失が出た場合、次世代に先送りしない仕組みがあると言われています、賢明なことだと思います、つけを次世代に渡すことは、年金制度の不安定要素の大きな一つになるように思います。

一例ですが、厚生年金の場合、第79条2には、「積立金の運用は、積立金が厚生年金保険の被保険者から徴収された保険料の一部であり、かつ、将来の保険給付の貴重な財源となるものであることに特に留意し、専ら厚生年金保険の被保険者の利益のために、長期的な観点から、安全かつ効率的に行うことにより、将来にわたって、厚生年金保険事業の運営の安定に資することを目的として行うものとする」と記してあります。

過去2015年11月11日の参議院予算委員会の答弁で桜井充議員(民主党)の「株を持っているのは国民の何%ですか?」の質問に対して、「・・・事実、年金も正に株で運用されているわけでございます。」、国民年金等々の資金を株で運営して利益を出していることを言っています。現在は多いな利益をえていると言われています。

2015年、10月下旬に国民年金の運営方針について、株を大量に増やすことを政府は決定しています。
厚生年金、国民年金の資産約127兆円を運営している、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)は、10月31日に投資配分を定める資産構成割合(基本ポートフォリオ)を見直し、国内株式を従来の2倍にあたる25%に引き上げていると言われています。
1%の引き上げで、1兆数千億円の年金資金が市場に流れるため、今回の決定では数十兆円が株式に投入されることを意味します。

株、為替は急激に変動すると、その反動で最終的には平均的な値に戻ろうとする傾向がありますが(あくまで傾向)、安倍政権で9000円台の株価が1万6000円台まで上がりました。やはり株は暴落するリスクもも考えることは必要だと思います。
最悪、暴落時の対策、責任がないように思えます。

運用を担当するGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の現在の基本ポートフォリオ(資産構成)は、国債60%、日本株12%、外国債11%、外国株12%。それを日本株25%、外国株25%にまで高め、国債を35%まで下げることを2015年、10月31日にGPIFが発表しています。
日本株の許容範囲は±9%、外国株±8%、最大で67%までの株式運用が可能となります。金額にして50%は65兆円、67%だと87兆円を株式に注ぎ込むと言う事になると思います。
サラリーマンの厚生年金と公務員の共済年金が一元化されましたが、共済年金の積立金は独自に運用となっています。制度は同じで、運用は別なのは誤解を生みやすいでしょう。共済年金の資産構成割合は国債70%以上、日本株は8%程度と言われています。

私達は、リスクを伴うが、大きな利益を得ることができる、年金資金株式運用の事実を知る必要がありそうです、株式運用するなら私達にリスクがあることも知らせて運用してもらいたいものです。
どうしても、リスクが伴う株式運用は国民が納得する必要があると思います。
国民に対する、株式運用情報開示は極めて重要だと思います。

文は、年金積立金管理運用独立行政法人等々の資料を参考にしています。


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真の朝鮮独立国家を目指した、金・玉均(きん・ぎょくきん)

2016-01-17 06:37:01 | 日韓
金・玉均(きん・ぎょくきん)と聞いて、知っている人は少ないと思います。
簡単に言えば、支那の1000年に及ぶ朝鮮支配を断ち切るために立ち上がった人です。朝鮮・忠清南道公州に生まれ、1872年に科挙文科に合格、朴珪寿、呉慶錫らの影響で開化思想を抱いていたと言われています。3日間と言う短い期間ですが、夢であった朝鮮、独立国家政権を樹立しました。

明治12年当時、朝鮮半島には閔(びん)氏(朝鮮の氏族の一つで中国系、始祖は 高麗の閔称道、孔子の弟子である閔子騫の末裔と称し、驪興付近に土着していた家門)一族の清国傀儡の政権がありました。
当時の朝鮮内には、清国に従属して開化を進めていこうとする事大派、独立・近代化を主張する独立党がありました。独立党のモデルは日本の明治維新、日本の支援を期待していました。このリーダーが金・玉均です。

明治15年、金・玉均は、福澤諭吉の支援を受け来日、福沢諭吉の独立の気力、(学問のススメ第三章)に感銘を受けたと言われています。
自らは積極的に日本の議会、裁判所、学校、電信施設、練兵場、印刷所、建設会社等を見学、更に福沢諭吉の邸宅を拠点にさまざまな人物と会い、意見交換、必死で日本から多くのものを吸収しようとしていました。

明治17年、清仏戦争で清国が敗退、好機とみて金・玉均は日本の竹添公使の協力を得てクーデーターを起こし新政権を樹立します。これが甲申事変と言われるものです。
以後、改革要領の発表、清国の排除、真の独立国家建設へ向けて活動を開始します。
当時の国王・高宗(コジュン)は暗黙のうちに金のクーデター計画を承諾していたと言われています。しかし、国王・高宗は裏切って清国の出兵に同意、清国の袁世凱が1,300人の軍で王宮を攻撃してしまいます。

このクーデターは清国とフランスが交戦中に実施する予定でしたが、清国が敗退・・・清国は威信をかけて朝鮮半島を平定しに来ました。
当時の日本軍の守備隊は150人と少数、数の上では少ない日本兵の練度は高く、善戦しましたが、日本の竹添公使は弱気で、撤収を決めてしまい仁川港から撤退してしまいました・・・ここで日本が強く支援して、安定した朝鮮政府が確立していたら、以後、朝鮮半島の歴史は大きく変わっていた可能性があります。

金・玉均と朴・泳孝(パク・ヨンヒョ)達の独立党の指導者達は日本に亡命してしまいます。現地の日本公使館は焼き討ち、多数の日本人が惨殺されてしまいました。

日本に逃れた金・玉均は明治27年、同志の裏切りに会い、上海に連れ出され、清国傀儡政権の閔氏が差し向けた刺客によって暗殺されてしまいます。死体は朝鮮に送られ、六支の刑(頭、手足をバラバラにする極刑)に処せられ、朝鮮各地にさらされました。父は処刑、母は自殺、弟は獄死、妻子は行方不明になり日本は探偵を送ってその捜索を行い、同年12月偶然発見して保護しました。
金・玉均の葬儀は日本の浅草本願寺で盛大に営まれましたが、妻は丁度再婚・・・日本人が持ち帰った金・玉均の遺髪があったそうです。
お墓は本郷の真浄寺に、青山の外人墓地にも墓があります、墓碑にはこう刻まれています。

嗚呼、抱非常之才、遇非常之時、無非常之功、有非常之死・・・
「ああ 大変な時期に たぐいまれなる才を抱き 大きな功績を残せず 無情の死・・・」

金玉均は清国に支配されない、真の朝鮮の独立を目指し属国政府等と戦いました、短い3日間ですが夢であった新政権を立ち上げました、千年にわたる支那の支配に終止符打ちました、近代朝鮮の間違いなく英雄で、その魂は朝鮮の歴史に生きていると思います。
朝鮮の真の独立を目指したのは、安・重根(あん じゅうこん)では有りません・・・現在の大韓民国は、戦後連合国から与えられた独立でしかなく、見方によれば傀●と言えます。戦後、真の独立を目指したのは、元朴 正煕大統領ですが、最後は暗殺されてしまいました、その娘さんが、現、朴槿恵大統領です。

金・玉均が建国した、短い3日間でしたが本当の朝鮮独立国家は朝鮮歴史上初めてだと思います、現在の韓国でさえ・・・
戦前の金・玉均、戦後の朴 正煕の生き様は朝鮮半島で輝いていると見るべきでしょう。

参考、ウィキペデア、文春新書「韓国併合への道」呉善花(著)等々を参考にしています。

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