極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

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坂本龍馬とは。

2016-01-05 12:45:32 | 日記
日本人にとって坂本龍馬は、幕末維新の大きな立役者、理想像、ヒーローであるかも知れません。
有名な、龍馬がゆくは、司馬遼太郎の長編時代小説で、幕末維新の先導者として坂本龍馬を主人公とした小説です。産経新聞夕刊には1962年6月21日~1966年5月19日まで連載、1963年~1966年にかけて文藝春秋で全5巻で刊行されました。1974年には文春文庫創刊に伴い全8巻で刊行、単行・文庫本ともに改版されています。

著名な著者、司馬遼太郎の代表作であり、私達がイメージする坂本龍馬は、この歴史小説等で作られたと言っていいと思います。
多くの日本人は、坂本竜馬がいなかったら日本の夜明けは無かったような錯覚を起こしますが、所詮坂本龍馬は小説に過ぎないと言えると思います。以下の文は、こんな見方もあると言う程度で読んでください。

坂本龍馬は土佐藩を脱藩した下級武士で郷士と言われており、武士だけでは生活できない身分と言われています・・・脱藩者であることが条件の海上貿易を行う海援隊に入ってるようです。そこに目をつけた、武器商人トーマス・グラバー(1838年、トーマス・グラバーはスコットランド、ブリッジ・オブ・ド-ンで誕生、父はイギリス海軍の一等航海士、父の転勤で州都アバディーンに移り住んだトーマス・グラバーは同市ギムナジウムで中等教育を受けた後、商会事務員として勤務)に拾われ武器商売(営業等々)を行いますが、やはり日本人、武士・・・最後は自分の役割に疑問を持ちます、内情を知りすぎていたと言われています。時すでに遅し、トーマス・グラバー等々の息のかかったと言われる、薩摩藩士等に殺害され生涯を閉じます。やはり坂本龍馬は一面は武器商人等であり、武器商人トーマス・グラバー(アメリカ南北戦争で使用された使用済み銃の販売)に利用された、志ある多感な若者と言えるかも知れません。

激動期の歴史を変えたのは、間違いなく地方侍達で、主に薩摩藩、長州藩、土佐藩等の地方の下級武士で、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允(旧名:桂小五郎)ですが、当時、敵対していた両藩を結びつけたのが坂本龍馬であると言われています。
この両者が結び付いた軍事同盟、薩長同盟の結果、倒幕運動が成功、明治維新になった言われています。今でも語り継がれる坂本龍馬による大手柄・・・しかし、実際には背後に有名なトーマス・グラバーというイギリスの武器商人の存在があります。当時米国の南北戦争が早く終わったので余剰武器の処理に困っていたと言われ、この余剰武器を日本で販売計画だったと言われています。

トーマス・グラバーはロスチャイルド家の系列会社であったマセソン商会(有名なアヘン戦争のアヘン販売会社)の社員として中国の上海に派遣、後、日本代理人として長崎に赴任、グラバー商会を作ります、来日当初は生糸、茶等の卸売、これは表向きで虎視眈々と武器、弾薬等の販売を狙っていたと言われています。
計画どうり、幕末の混乱に着目し薩摩、土佐藩士など倒幕派を相手に、武器や弾薬の商売を始めます。

当時、幕府に敵対していた長州藩は、長崎のトーマス・グラバーから武器購入を幕府から禁止、そこで、坂本龍馬はトーマス・グラバーから買った武器を薩摩藩名義で、長州に売ることで両者和解しました。坂本龍馬を使用して薩摩藩、長州藩を結びつけ、後、両藩を武器支援して幕府を転覆・・・一説ではトーマス・グラバーの計画と言われています。

以前、敵対していた薩摩藩の五代友厚、長州藩士の伊藤博文、両者とも交流のあったトーマス・グラバーは、計画どうりイギリス留学を斡旋し、当地(トーマス・グラバーが住んでいた英国、アバデーン)で交流させたと言われています。
イギリスに密航留学の5人の若者達(伊藤博文、井上馨、山尾庸三、井上勝、遠藤謹助)は長州ファイブ、マセソン・ボーイズと呼ばれました。
この多額の留学費用の大部分負担はトーマス・グラバーの勤務先マセソン商会の社長、ヒュー・マセソンと言われています。これらのイギリスの留学先の英国、アバデーンには当時の留学先(隠れ家)が残されており、過去テレビで隠れが等が放映されていました。現在一般人でも見学可能のようです。

ヒュー・マセソンの上には、世界一の金融王ネイサン・ロスチャイルドの息子、ライオネル・ロスチャイルドがいたと言われています。
ライオネル・ロスチャイルド、ヒュー・マセソンに育てられた日本の5人の若者は日本に戻り、明治新政府では日本の最高指導者となりました。ロスチャイルド家に育てられた若者達によって明治新政府の日本が作られたと言われても過言では無いと言われています。

更に、日本との貿易を開始したロスチャイルド家の代理人、トーマス・グラバーは幕府の体制が古いため、武器が売れない等、なかなか効率よく取引ができません。 そこで地方の薩摩藩・長州藩等の下級武士に資金、武器を提供し乱を起こさせます。自分達が教育、支援した若者達が政府を転覆等、彼らを通じての日本の支配・・・有利な関係を作ります。
所詮、イギリスの後押しで出来た明治新政府に不満を持つ者も多く出てきます・・・内戦、有名な戊辰戦争、薩摩藩、長州藩を中心に作られた明治新政府を相手に、不満を持つ旧幕府軍との戦い。

多くの悲劇を生んだ明治初期の内戦、戊辰戦争は新政府軍と幕府軍の主導権争いの京都、鳥羽・伏見の戦いに始まり、次は東北戦争、日本を北上、旧幕府軍の最後の抵抗となる箱館戦争で終了・・・初め京都の戦いでは両軍の兵力、新政府軍の約5000人位、 旧幕府軍が15000人位、旧幕府軍側が3倍ほど数で圧倒しています。しかし朝廷が薩長軍を官軍と認定、錦の御旗の使用許可を与えると形勢が逆転します。

錦の御旗は、下級公家であった岩倉具視が密造したと言われています。朝廷の許可て戦地で使用、御旗を掲げると天皇には逆らえないと旧幕府軍の戦意は低下、新政府軍の圧勝で終了・・・多くの日本人の血が流されました。これらに疑問を持った志士たちは殺害されたと言われています。

文献等では、坂本龍馬は武器の販売、配分で利用された面が多々あり、何時しかこれに疑問を持った坂本龍馬、何故、日本人同士が戦を、真相を知りすぎた、対立、利用価値が無くなった・・・生かすことが出来なかったでしょう、坂本龍馬は激動の生涯を閉じます。

司馬遼太郎氏の小説、坂本竜馬が行く、小説にも関わらず、何時しか日本人をも変えてしまったように思います。

ウィキペデア等々の資料を参考にしています。意味不明文等があるかも知れません、プログ日記と言うことで。

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憲法改正は、更なる独立国への第一歩

2016-01-01 11:31:43 | 可笑しな日本の憲法

新年おめでとうございます。

日本国憲法はどのようにして戦後出来たのか、日本国憲法のルーツを知ることは極めて重要だと思います。素人なりに調べてみると、現在の日本国憲法(1947、5,3)は、ポツダム宣言(1945、8,5)下でのGHQ作成で国会の十分な審議を経ていないと思うのが自然でしょう、敗戦国でもあり。国会の十分な審議を経ていないと言うことは・・・

参考までにポツダム宣言とは、13項目を・・・大変威圧的内容で教科書には載せないし、マスコミ等は国民にも報道していません。

1 合衆国大統領、中華民国政府主席およびイギリス総理大臣は、自国の数億人の国民を代表して協議した上で日本国に対し、今回の戦争を終結させる機会を与えるということで意見が一致した。

2 合衆国、英帝国および中華民国の巨大な陸、海、空軍は西方から自国の陸軍および空軍による数倍の増強を受け日本国に対して最終的な打撃を加える態勢を整えた。右軍事力は日本国が抵抗を終止するまで同国に対して戦争を遂行する一切の連合国の決意によって支持され、かつ、鼓舞されているものである。

3 覚悟を決めた世界の自由な人民に対抗するドイツ国の無益かつ無意義な抵抗の結果は、日本国国民に対する先例を極めて明白に示している。現在、日本国に対して結集しつつある力は、抵抗するナチスに対し適用された場合において全ドイツ国人民の土地、産業および、生活様式を必然的に荒廃に帰せしめたのに比べ、計り知れないほどにさらに強大なものになる。我らの決意に支持される我らの軍事力の最高度の使用は、日本国群体の不可避かつ完全な壊滅を意味すべく、また、同様必然的に日本国本土の完全な破滅を意味する。

4 無分別な打算によって日本帝国を滅亡の淵に陥れたわがままな軍国主義的な助言者によって日本国が引き続き統制されるべきか、あるいは理性の道を日本国が進むべきかを日本国が決定すべき時期が到来した。

5 我らの条件を左に述べる
我らは右の条件を絶対に離脱しない。これに変わる条件は存在せず、我らは遅延を認めない。

6 我らは無責任な軍国主義が世界より駆逐されるまでは平和、安全、および、正義の新秩序が生じ得ないことを主張する。従って、日本国国民を欺瞞して世界征服の暴挙に出る過ちを犯させた者の権力と勢力は永久に除去する。

7 右のような新秩序が建設され、かつ、日本国の戦争遂行能力が破壊されたことの確証が得られるまでは連合国の指定する日本国領内の諸地域は我らの指示する基本的な目的の達成を確保するために占領されるべきだ。

8 カイロ宣言の条項は履行されるべきで、また、日本国の主権は本州、北海道、九州および四国と我らの決定した島嶼に限定される。

9 日本国の軍隊は完全に武装を解除された後、各自の仮定に復帰し平和的かつ生産的な生活を営む機会をえさせるべきだ。

10 我らは日本人を民族として奴隷化しようとしたり、または、国民として滅亡させようとする意図を有するわけではないが、我らの捕虜を虐待した者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重な処罰を加える。日本国政府は日本国国民の間における民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障害を除去すべきだ。言論、宗教、思想の自由、ならびに基本的人権の尊重は確立されなければならない。

11 日本国はその経済を維持し、かつ公正な損害賠償の取り立てを可能にするように産業を維持することを許される。ただし、日本国に戦争のための再軍備をさせるような産業はこの限りではない。右の目的のための原料の入手、(原料の支配は含まない)を許可される。日本国は将来世界の貿易関係への参加を許される。

12 前期の諸目的が達成され、かつ、日本国国民の自由に表明された意思に従って平和的な傾向を有し、かつ、責任ある政府が樹立された場合には、連合国の占領軍はただちに日本国より撤収する。

13 我らは日本国政府がただちに日本国軍隊の無条件降伏を宣言し、かつ、右行動における同政府の誠意によって適正かつ十分な保障を提供することを同国政府に対し要求する。右以外の日本国の選択は、迅速かつ完全なる壊滅があるだけだ。

このような状況下で作られた日本国憲法、国会で十分な審議がされたとは言えないでしょう。
今後は全国民の総意による憲法改正は極めて大切だと思います。憲法改正せずに日本の更なる独立は有り得ないでしょう。現状の日本は空きだらけ国家で、近隣諸国は日本の空きを更に突いてくるでしょう。
日々の生活に追われ、憲法問題どころじゃないと言われるかもしれませんが、やはり現日本に生まれた以上未来の為、日本人としての尊厳を得るためにも・・・

ワイマールと聞けば、私達はワイマール憲法を思い出します。(ワイマール憲法は、英文ウィキペデアで全文を見れます、英文ですが。)
ドイツ・テューリンゲン州の都市で、主要な歴史的文化都市のひとつで面積は84,27 km²、人口約63,000人、主な宗教はキリスト教プロテスタントルター派です。ワイマールとは聖なる泉を意味する言葉と言われています。
第一次世界大戦後の1919年、憲法制定会議が行われた地として有名です。会議が行われた場所は、ワイマール国民劇場です。ここで制定された憲法をワイマール憲法で、1919年から1933年までのドイツ共和国をワイマール共和国と呼んでいます。
この憲法を創案したのはユダヤ人のフーゴー・プロイス以下3名のユダヤ人です。フーゴー・プロイスは、ドイツの公法学者、ユダヤ系商人の息子として、1860年10月28日にベルリンで生まれています。ベルリン大学、ベルリンの大学院で教鞭を執っています。ワイマール憲法の父として知られています。

ワイマール憲法は何も問題ないように見えますが、ユダヤ人がワイマールを支配するための策が随所で間接的に入っています。見方によればワイマール支配のための憲法であると言われています。初代大統領フリードリヒ・エーベルトが1919年8月11日に調印、制定、3日後に公布、施行されました。

何故、日本国憲法は、ワイマール憲法の丸写しか・・・ユダヤ人ケーディス(GHQ民政局次長で、日本国憲法草案作りの実務責任者)、幣原喜重郎総理を中心とした、GHQのユダヤ人ニューディーラー達によって作られたと言われています、ワイマール憲法を参考にしたと当時の草案作成ユダヤ人参加者等が述べています。わずか2週間(一説では数日)という短日時に作られたものです。GHQ撤退後の日本統治を考えた巧妙な憲法だとも言われています。見方によっては、日本国憲法問題はユダヤ問題を含んでいるかも知れません。

ワイマール憲法は、中世以来、苦難の道を歩まされた在独ユダヤ人の要求を実現させたものと言われますが、統治に有利のように思えます。これらを表面に出すことをタブーとされると言われています。

現、日本国憲法は、国民の意見は割れており多くの国益、民益等が失われているように思います。
世界の多くの国々は、日本の平和憲法は素晴らしいと言いますが、何故なら、日本に対しては自国益をなるからでしょう。じゃ、この軍保有禁止憲法を自国に取り入れるかと言うと絶対に採用しません。過去日本の憲法に対し、異論を唱えた人が唯一人います、理不尽にも殺害されたリビアのカダフィ氏です・・・1986年、日本人とのインタビューで、私は日本人を大変尊敬していますが、残念なのは日本は自主独立の憲法を持っていません、独立国家として問題ですと。

多くの日本人が納得できる凛とした人生を、日本国で送れるためには誇りある日本国を作ることが必要と思います。そのためには国家の魂とも言える、日本人作の憲法が必要と思います。
世界には200弱の国等がありますが、日本のように国家防衛、軍保有等々の文がない等、主権等が無いような憲法は無いようです。(小国コスタリカは軍保有を認めていませんが、有事には軍を創設明記だったと思いますし、ちゃんと憲法に交戦権はあります。・・・平和主義条項を持っている国は世界には多数あります。)

憲法改正は戦争準備では決してないと思います、更に理不尽さが目立つ現在の社会改革にも、条文等改正で真剣に日本の真の独立の第一歩を踏み出すことが出来ると思います。
是非、憲法のルーツにも関心を寄せてほしいです。


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