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極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

I am grateful that I can freely write my daily thoughts

フランスに留学していた日本人女性行方不明事件で急展開?

2019-03-31 18:31:14 | 拉致

以下文はFNN・PRIME(2019年3月28日)、過去の資料等々を参考に記しています。

 

この事件はもう3年目になりました。

友人談、過去 Le Japon est abasourdi par Nicholas Sepeda Contreras等々と記されたフランスの個人プログがあったそうです。日本語が苦手で英語ではJapan is Be licked by Nicholas Sepeda Contrerasと訳していました。日本語訳では、日本はニコラスセペダコントレラス容疑者になめられている(見下している、怯えている・・・)等になると思います。

 

当時、筑波大3年日本人学生・黒崎愛海さんは、逃亡したチリの元ボーイフレンドによって大学の部屋で窒息死させた可能性が高いと検察が報じています。
2016年12月4日の夜、フランス語を勉強していた黒崎愛海さんがブザンソン市で姿を消しました。地元の検察官エティエンヌ・マンテウ氏は、犬とダイバーを含む広範な調査にもかかわらず、黒崎愛海さんを見つけられなかったため、正確な死因の特定が難しいと述べていました。
ブザンソン市の黒埼愛海さんの大学寮の部屋では、泣いている叫び声を12月4日、午前3時30分頃に仲間の学生が身体的な争いの声を聞いたと言うが血液が見つかっていないことを確認、窒息によるものか?恐らく、血を残すものではないと検察官エティエンヌ・マンテウ氏はブザンソンで記者団に語っていました。
彼は失踪前に彼女を脅かすビデオを投稿していました。黒崎愛海さんの元ボーイフレンドのニコラス・ゼペダ容疑者は、この殺害された主な容疑者と考えられると語っています。

ニコラス・ゼペダ容疑者は、黒崎愛海さんが最後にブザンソンのレストランで食事をした車で離れ、直後にフランスを離れチリに戻っています。

ニコラス・ゼペダ容疑者は彼女の死に対する責任を否定・・・チリ当局はフランスが国際逮捕令状を発行したにもかかわらず、これまで彼の逮捕を拒否しており、地元検察官エティエンヌ・マンテウ氏はこのような措置を講ずるためには一定の怠慢があったこと認めています。

 

元交際相手でチリ人のニコラス・セぺダ・コントレラス容疑者が、殺人容疑で国際手配されていますが、チリ当局は容疑者家族がチリでは有力者等のため、フランス側にも非協力、捜査を躊躇しているようです。

フランス国内での事件とは言え、同じ同胞、未来のある若い日本人女性でした。私達はこの事件を絶対に風化、うやむやにしてはなりません。日本政府も間接的に強く関与すべきです。
フランス司法当局によると4月中旬以降、セペダ容疑者が帰国したチリに捜査担当者を派遣、チリ当局の取り調べに立ち合い容疑が強まった場合は身柄の引き渡しをあらためて求める方針です。

取り調べはチリ当局が行いますが、チリ側の「承諾が得られた場合のみ」、フランス側も事情聴取可能のようです。

事件から、もう3年目になりましたが、ニコラス・セぺダ・コントレラス容疑者はチリ国内では有力者等の家族でチリ当局もフランスの捜査には非協力的、積極的でないようです。事件発生時等の経過を見ると明白、極めて悪質で絶対に許されない事件で海外での日本人の尊厳等が試されていると思います。

事件解決は、日本と多くの善良なチリ国民の未来のために必要不可欠だと思います。もし未解決のまま幕引きの場合、多くの日本人はチリ国に対し、大きな疑問を呈し続けるでしょう。

 

残された家族のためにも、一日も早く事件が解決されることを!

この事件の細部等々は、このプログのカテゴリー「拉致」にも細部を記しています。

 


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世界の幸福度を、食を通じて上げたカップラーメン

2019-03-27 17:26:59 | 日記

以下文はウィキペディア、ニューズ・ウィーク(2007.1.9)、NISSIN食品グループ等々の記事を参考に記しています。(日清食品の企業理念はコピーです。)

 

大変美味しく、調理が簡単、低価格で世界中で多くの人達に食されている美味しい食べ物、驚くことに宇宙船内でも食べられた食品・・・と言うとカップラーメンです。このカップラーメンは日清食品が開発・商業化した商品で世界の食の幸福度を上げ、食文化を大きく激変させたとも言われています。

このカップラーメンの開者、商業化に成功した日清食品・安藤百福(あんどう ももふく)氏等の記事を読むと、心から人々の幸せを願って開発されたことが分かります。

安藤百福(あんどう ももふく)氏は日清食品の創業者で1958年にチキンラーメン、1971年にカップヌードル、2005年には宇宙食ラーメン、スペース・ラムを開発した人です。明治43年3月生まれで、平成19年1月に多くの方々に惜しまれ亡くなられています。日本統治時代の台湾出身で、元の名前は呉百福氏で台湾本島人のため戦後は中華民国籍となりましたが、昭和41年に日本国籍を再取得され、正四位勲二等を授与されています。2006年、タイム誌アジア版11月13日号のアジア版60周年記念特集「60年間のアジアの英雄」において、アジアの英雄の一人にも選ばれています。

 

安藤百福氏の特筆すべき凄いところは、多くの特許侵害にもめげず、自ら開発した技術を一人占めすることなく、オープンな使用許諾を通じて、自身も競争に身を投じ、新しい産業の発展へ貢献されたことだと思います。このような食品の事例を精査、歴史を遡ってみても類似する例はないようです。当時の特許庁長官も同意見で、知的所有権を独占せずに公開、世界的な産業にまで発展させたことは、人々の幸せを願う気持ちが発露された凄い例だと思います。

隣国等では特許、利権等々を厳守し他国の参入を妨害し許さないでしょう。日本、日本人だからこそ出来たと思います。現在、世界では、今も国情に合った多くの種類のカップ麵が開発、発売されています。

 

ドラえもんの世界を彷彿させる、宇宙船内で食べられたカップラーメン、如何にカップラーメンが世界に認知されているかを知ることが出来ます。

宇宙へ持って行かれたカップ・ラーメンは、日清食品の開発した・スペース・ラムです。スペース・ラムは日清食品が宇宙開発事業団(NASDA)と宇宙食の実用化に向けた共同研究を行い宇宙食ラーメン、スペース・ラム(Space Ram)を完成させています。

2005年7月13日に打ち上げられたスペースシャトル・国際宇宙ステーション組立てミッションSTS−114に搭乗した野口聡一宇宙飛行士が宇宙食として携行、食しています。NASAによるスペースシャトル搭載品として適合性が確認されています。

スペース・ラムには、「しょうゆ」味のラーメンですが、野口宇宙飛行士から新たに「みそ」味と「カレー」味等の開発依頼があり、レギュラー、みそ、カレー、とんこつ味が開発されたようです。
このスペース・ラムは過去、宇宙食を開発したいという日清食品会長・安藤百福氏の強い意向を受け、滋賀県の日清食品中央研究所が10人のプロジェクトチームを組み研究、開発、完成されたものです。

他にも以外に知られていない、1974年に食糧庁長官から依頼を受けてたカップライスの開発にも成功しています。完成度は高く、食糧庁やマスコミから奇跡の食品とまで評されていますが、米の原価が高くカップラーメンの10倍位の価格となってしまい、消費者から敬遠され販売停止となったようです。

人類の食に大きく貢献し、食の幸福度を上げたカップラーメン、日本が誇る食として今後も、更に世界で進化したカップラーメンが食されるのは間違いないと思います。

 

日清食品の創業者、安藤百福(あんどう・ももふく)氏は2007年1月5日に亡くなられました96才でした。

その4日後、ニューヨークタイムズ紙は、ミスター・ヌードルに感謝と題する社説を掲載しています。原文(英語)は過去文で見れます。

ミスターヌードルに感謝」という見出しで、即席麺開発の業績により、安藤百福氏は人類の進歩の殿堂に不滅の地位を占めたと絶賛しています。

社説は、即席めんの発明は戦後日本の生んだ独創的な発明品、シビック、ウォークマンやハローキティように、日本から世界的に普及した製品と同じく会社組織のチームで開発された奇跡だと思っていたがそうではなかった・・・安藤百福氏というたった一人の力で開発されたものなのであると驚きを表現しています。社説は、人に魚を釣る方法を教えればその人は一生食べていけるが、人に即席めんを与えればもう何も教える必要はないと結んでいました。

 

安藤百福氏曰く・・・

会社は野中の一本杉であるよりも、森として発展したほうがよい。
終戦翌年の1946年の冬、大阪の御堂筋を歩いていると、腹を空かせた子供達、やせ細り、うつろな目をした飢餓状態の人達がたくさんいた。道端にうずくまっている人がいたが、それは餓死者だった。

安藤百福氏はこの光景を見て、衣食住というが、食がなければ衣も住も芸術も文化もあったものではないと思い至る。
その翌年の冬、阪急梅田駅の裏手にあった闇市を通りかかると、一軒の屋台の前に20~30メートルの長い行列ができていた。それはラーメンを待つ行列だった。温かいラーメンをすすっている人たちの顔は、皆幸せそうな表情に包まれていた。これが安藤百福氏のその後の人生を決定付けたとも言われており、日清食品の企業理念へと受け継がれていると思います。

 

日清食品の企業理念は、安藤百福氏の生前の言葉から用いられています。

*食足世平「食が足りてこそ世の中が平和になる」

食は人間の命を支える一番大切なものです。文化も芸術も思想も、すべては食が足りてこそ語れるものです。食のあり様が乱れると、必ず国は衰退し争いが起こります。食が足りて初めて世の中が平和になるのです。日清食品の事業は、人間の根源から出発しています。

*食創為世「世の中のために食を創造する」

企業にとって最も大切なものは創造的精神です。創造とは、新しい発想と技術によって革新的な製品を生み出す力です。食を創り、世の為につくす。日清食品は、世の中に新しい食の文化を創造し、人々に幸せと感動を提供します。

*美健賢食「美しく健康な身体は賢い食生活から」

空腹を満たし、味覚を満足させたいと思うことは、人間共通の欲求です。しかし、食に求められるのはそれだけではありません。美しい体をつくり、健康を維持することが、食品のもつ大切な機能なのです。美しく健康な体は賢い食生活から作られます。日清食品は、食の機能性を追求し、世の中に「賢食」を提唱します。

*食為聖職「食の仕事は聖職である」

食は人々の生命の根源を支える仕事です。食の仕事に携わる者は、社会に奉仕するという清らかな心を持って、人々の健康と世界の平和に貢献していかなければなりません。食の仕事は聖職なのです。 安全で美味しくて体にいい食品を世の中に提供していくことが、 日清食品の使命です。

安藤百福氏はチキンラーメンの発明に成功するまで、実に多くの商売を起業しています。製塩、学校経営、加工食品、蚕糸、幻灯機、炭焼き等々・・・戦後の時代でもあったでしょうが、次々と新しい事業に手をつけています。成功したかと思うと、はめられたり、騙されたり、無一文になった時期もあったようですが起業精神は萎えることはなかったようです。50才からでも60才からでも新しい出発はあると述べているように、安藤氏には年令規範という偏狭で窮屈な「べき論」(理想を実現しなければならないことなどを強く主張する論調)は無かったようです。チキンラーメン開発は48才!カップヌードル開発は61才!です。

 

日本が世界に誇る食べ物として、世界中に食の大きな幸福度を与え、人類の食に大きな貢献をしたカップラーメン!素晴らしい日清食品の4つの企業理念、カップラーメンを食べる前に安藤百福氏、企業理念を思い起こして食したら、更に美味しく食べれそうです。

 


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アシール VS 現・パレスチナ

2019-03-23 20:44:22 | 日記

以下文は「聖書アラビア起源説」カマール・サリービー著・広河隆一、矢島三枝子訳・草思社・1988年、偽イスラエル政治神話 単行本(1998.10)・ロジェ ガロディ著・Roger Garaudy(原著)・木村 愛二訳、ウィキペディア等々を参考に概要を記していますが素人の解釈です。

 

世界最古の書である旧約聖書、約3500年前にモーセにより書かれ、完成したのは約2400年前です。

聖書と言うと宗教書に思えますが、宗教とは何の関係もないようで人類の魂、未来の予言等の書とも言えると思います。聖書は宗教を作る時、聖書を持ち出し各宗教が都合のいいように解釈等して宗教書としていると言えそうで、これは大変重要なことだと思います。

聖書は有史以来、現在まで世界のベストセラーで宗教信者以外でも多くの方に読まれ、人間が生きていく上での道しるべとして世界中で参考とされています。特に世界で問題となっている、難しいLGBT(Lesbian:レズビアン・女性同性愛者、Gay:ゲイ・男性同性愛者、Bisexual:バイセクシュアル・両性愛者、ransgender:トランスジェンダー・出生時に診断された性と自認する性の不一致)等に対する聖書の基準は極めて明白です。

世界は聖書基準・発想・予言等々で動いているとも言われています。タブーの一つかも知れませんが、日本の国体の一部も大きく関わっているとも言われ、旧約聖書等への興味は尽きません。

 

旧約聖書に書かれているパレスチナ等の場所・・・アブラハム(血統的ユダヤ人・ユダヤ人の祖等)が神から約束された地、モーセ(古代ユダヤ人の指導者、レビ・祭司の祖等)にユダヤ民族に与えると約束された蜜と乳のしたたる地は、現在のパレスチナではない可能性があります。

約3000年位前、ダビデ、ソロモン王が活躍した古代イスラエル王国の地は現在のパレスチナではなくアラビア半島・メッカの南東に位置するアシール地方であるとも言われています。現在、この地はサウジアラビア政府は外国人の立ち入りは一部を除き禁止されており、遺跡探査も認められていません。
多くの研究者等が現在のパレスチナの地をいくら発掘しても古代イスラエル王国の痕跡は見つからないようです。こじつけ地はありますが決定的な遺物は見つかっていません。これらの研究はタブーの一つでもあるようです。

現イスラエル(アシュケナージ・ユダヤ人)は現地・パレスチナに存在すること自体矛盾します。当然、現イスラエルはこのような説は絶対認めないでしょう。

現イスラエルは、1947年に建国されました。この地は神がユダヤ民族の祖アブラハム、モーセにユダヤ民族に与えると約束された土地ですが、間違いないのは現イスラエルの人達は旧約聖書に記されたユダヤ民族ではない事です。先祖がこの地に居たとの理由でパレスチナの住民を追い払い建国しています。このパレスチナの人達の多くは旧約聖書に出てくる血統的ユダヤ人とも言われますが、虐げられています。イスラエル国内にも、これらの人達がいますが、虐げられ2等国民とされているとも言われています。イスラエルの構図は支配層がアシュケナージ・ユダヤ人、その下に2級市民のスファラディー・ユダヤ人、その下に3級市民のパレスチナ人となるようです。2、3級市民は虐げられている市民です。

 

イスラエルのジャーナリストであったナイム・ギラディ氏は典型的なスファラディーユダヤ人で、建国と同時にアラブ世界からイスラエルに移住しましたが、目にしたものは思いもつかない想像を絶するイスラエルの現状であったと述べています。見たこともないユダヤ人と称する人々、アシュケナージ・ユダヤ人を見て大変戸惑ったと言っています。

 

イスラエル国内ではスファラディー・ユダヤ人は2級市民に落とされていますが、彼はその2級市民の代表としてイスラエルであらゆる運動を展開していました。何度も刑務所に入れられていますが、一貫して彼は本当のユダヤ人とは何かを主張し続けました。本当のユダヤ人に対する住宅、社会生活、就職などの改善を訴え続けました。

1992年秋、ナイム・ギラディ氏はスファラディー・ユダヤ人を代表する一人として日本各地を回って講演しています。

イスラエルでは本当のユダヤ人達が、どれほど惨めな生活を強いられていることか・・・アシュケナージ・ユダヤ人を名乗るハザール系ユダヤ人達が、スファラディー・ユダヤ人、すなわちアブラハムの子孫たちを2級市民に叩き落としていると訴えています。

イスラエルのパレスチナ人達に向かって次のように演説しています。

あなたがたは自分たちをイスラエルにおける2級市民と言っているが、実はあなたがたは2級ではなく3級市民なのです。何故ならアシュケナージ・ユダヤ人とあなたがたパレスチナ人の間にも私たちスファラディー・ユダヤ人いるからです。そして、私達もあなたがたと同じように虐げられています。

 

 

よく考えて見ると、現イスラエルの人達は旧約聖書に記された血統的ユダヤ人とは何の関係もないアシュケナージ・ユダヤ人で、ユダヤ教に改宗したカザール人等です。このことは触れて欲しくない問題とも言われています。やはりパレスチナの地に現イスラエル建国は大きな矛盾を生じていますし、イスラエルは世界の諸問題の発火点とも言われる方も多いようです。現実に存在するイスラエル、核兵器保有強国のイスラエル、私達はパレスチナ人、周辺国等とも仲良くしてもらいたい位しか言えない厳しい現実・・・

当時の古代ヘブライ語は、子音のみで表記されていたようですが、実際の読みは母音を入れて表現されているので、正しい発音は復元が難しく、変化するので、元の古代の地名の復元はむずかしいとも言われています。アルジェリアの言語学者のラシド・ベナイッサ氏は、現在ヘブライ語を正確に話すユダヤ教徒のいる唯一の国はイエメン(アシールの南)であると述べています。

紀元前500年頃、アシール地方のユダヤ人達は衰退の中で民族意識、歴史等も無くしていたようです。何故、このようになったのか、アラビア半島のアシール地方は土地が大変豊かで古代イスラエル王国の2代国王ダビデ、3代国王ソロモン時代に繁栄しましたが以後、ユダ王国とイスラエル王国に分裂、アッシリア帝国や新バビロニア王国の度重なる侵略をうけ、大変疲弊してしまいます。

アシール地方(アール・シャリーム=イスラエル)のユダヤ人たちは、当時の交易路でつながれていたパレスチナ地方に新天地を求めて多数移住して行ったようで、移住したユダヤ人達がアシュール地方の出身等地名をパレスチナ地方の移住地につけたと考えるのが自然だと言われています。

パレスチナ地方には、聖書記載地名の場所が多いようですが、その位置関係となると聖書記述に一致しないことが極めて多いと言われています。この聖書記載地名をアシュール地方に当てはめると、聖書に書かれている位置関係が一致するとも言われています。

ソロモン王がヤハウェ神殿を作ったエルサレム、アシール地方のアール・シャリームが本来のエルサレムと言われています。古代イスラエルの金等で覆われた豪華絢爛の遺跡等が地下には埋まっていると言われていますが、サウジアラビア政府は絶対に地下探索は認めません。現代の技術を用いれば精度が高い地下探査が出来ると言われています。

長い年月では言語の変化があるようで、古代のアラビア半島や古代ヘブライ語の知識が必要と言われています。聖書に書かれているオリーブ、イチジクなどの植物、気候自然の風景までもパレスチナ地方ではなくアシール地方の説明とする方が、合理的で、記述に一致するようです。

 

以下文は「イザヤ書37章22節、31~32節、列王紀下19章21、30、31節」より

処女であるシオンの娘は、あなた(アッシリア王センナケリブ・前704~前681)を侮り、あなたをあざける。

エルサレムの娘は、あなたのうしろで頭を振る。
ユダの家の、のがれて残る者はエルサレムから出、のがれる者はシオンの山から出る。万軍の主の熱心がこれをなし遂げられる。
・・・と記されています。

この記事を読むと、ソロモン王の神殿があるエルサレムのシオンの丘「アシュール地方」と、新しいエルサレムとシオン「パレスチナ地方」を区別しています。

パレスチナ地方のエルサレム=「エルサレムの娘」、シオンを「シオンの娘」と表現しているとも言われています。

前722年、アッシリアにより北王国のイスラエル王国は滅ぼされ、首都のサマリアは破壊され、イスラエル王国の民もアッシリアに連行されています。前586年、南王国のユダ王国も新バビロニアに滅ぼされ、民はバビロン捕囚によってバビロニアに連れ去られています。

首都・エルサレムのヤハウェ神殿も破壊されています。
アケメネス朝ペルシアによって新バビロニアが滅ぼされ、オリエントが統一されると、南王国のユダヤ民族は、前586年「バビロン捕囚」より解放され、祖国(アシュール地方)に帰ることになります。
アケメネス朝ペルシアのオリエント統一は、交易路の変化を生じ、交易の拠点として栄えていたアシュール地方の諸都市は交易路から外れ衰退していったと言われています。

アシュール地方に帰還した、ユダヤ人達は荒廃と衰退に祖国の再建をあきらめて四散したと思われます。

他方、パレスチナ地方に住み着いたユダヤ民族はアケメネス朝ペルシアの支配下で信仰の自由をえて大交易拠点として発展することになります。パレスチナ地方のユダヤ民族、周辺の民族も大い繁栄することとなります。アケメネス朝ペルシアは、アレキサンダー大王に征服されます。

前141年ハスモン朝の下にユダヤ国家が独立しますが、パレスチナのエルサレムの神殿はユダヤ教徒にとって第一の聖所と認識されていたとも言われています。ハスモン家はユダヤ教のレビ(祭司)の家系で自ら古代イスラエルの正当な後継者であるとみなしていたようで、この王朝によって故意に、アシール地方の歴史が抹殺されパレスチナ地方にダビデ・ソロモンの王国があったと解釈されるようにされたのではないかと言われています。

アシュール地方が、神からの約束の地であるとすれば、現イスラエル建国の前提が崩れることになります。何時の日かサウジアラビアの英断で地下探査が認められればおぼろげながら、本当の古代イスラエルは何処か・・・この説が正しいかどうかがはっきりするでしょうし、事実であれば、この暁には世界は大激変するでしょう。

 

朝日新聞(1999.10.30夕刊)の記事より。

古い記事ですが、1999年10月30日のイスラエル紙ハーレツに掲載された文の一部内容です。

テル・アビブ大学のゼエブ・ヘルツォグ考古学教授によるものでイスラエル各地で70年にわたって続けられた発掘の結果を検証した考古学者や歴史学者の大半が、旧約聖書に描かれたことがらは史実ではないと結論づけています。イスラエルの考古学は1960~1970年代は旧約聖書の記述の裏付けに夢中になっていました。科学的な研究、調査を続けてきた人達の大半はユダヤ民族の成立過程は聖書に描かれたのとは全く異なると言う考えで一致しています。聖書の記述が事実であることを証明しようとしてきた研究者も、多くが、これに同意するようになったと言われています。

一例としてモ一ゼがユダヤ人を率いてエジプトを出国し、砂漠をさまよったとする出エジプト記・・・どのような記録にも古代エジプトにユダヤ人が集団で住み脱出したことを示すものは無く、大半の歴史家は脱出が本当にあったとしても数家族の小さなもので、宗教上の必要から拡大されたとみています。

古代イスラエル王国の版図はダビデ、ソロモンの栄華の時代に現在のヨルダン、シリアの一部まで広がったという記述も否定され、エルサレムと西岸南部のヘブロンを中心とする狭い範囲を治めたにすぎないのではないかと言うのが考古学的検証の結論のようです。

更に唯一の神という一神教の概念についても、生まれたのは今から2000年余りさかのぼるにすぎないと指摘しています。

宗教指導者らは旧約聖書の内容を否定する説はこれまでにも多く出ているとして無視する構えです。聖書に出てくる地名を盾に、ここはユダヤ入の土地だと入植を正当化する人々の根拠を揺るがすのは確かです。ユダヤ教の戒律厳守の押しつけに反発するイスラエル市民が増えており、学問的に聖書の世界を否定する説は、聖書を背景にした権威に反論する有力な根拠となりそうです。

イスラエル国家、パレスチナの場所はエリコとアイの場合、遺跡の考古学的発掘調査の実例が紹介されていますが、調査結果は旧約聖書の物語と食い違っています。

最近の考古学の成果を見ると意外にも、これまでは軽視されがちだった口承伝説には、かなりの真実が含まれているようです。旧約聖書の固有名詞の読み方が間違っていると言う有力な説があります。旧約聖書の地名、人名、部族名などの固有名詞の解読が間違っていたとしたら、当然のことながら考古学的な知見とは矛盾が生じます。この旧約聖書誤読説が当たっているとしたら、これまでのすべての研究は、ご破算となり全面的な見直しが必要になるでしょう。

聖書アラビア起源説(草思社、1988)の著者のカマール・サリービーはベイルート大学の歴史学教授で中東史の権威です。この本の内容を知っている日本人は極めて少なく、欧米での刊行後、ニュウズウィーク、クリスチャン・サイエンス・モニター、サンデー・タイムズなどを含む世界の主だった紙誌に取り上げられ、一大センセーションを巻き起こしました。

日本語版出版は1988年、英・仏・独・オランダ・スペイン・アラビア・フィンランドの各国語版が出ています。論証の中心はセム語学、固有名詞学一分野の地名学による旧約聖書の地名の照合です。旧約聖書にはふんだんに地名が現われるが現在のパレスチナ地方の地名とはほとんど一致しなく、確かな証拠となる遺跡もありません。エルサレムはアラビア語のアル・シャリと同じで祝福された場所の意味です。この地名は各地に多くありアシール地方にもあります。

有名なソドムとゴモラは火山の爆発で消滅したとされていますが、パレスチナ地方には火山は存在しませんが、アシール地方には類似地名もあるし、火山の爆発の跡が残っています。

アシール地方には、古代からのユダヤ教徒の子孫もいます。この本には、現地のユダヤ人の写真がのっており、肌色はアフリカの黒人に近いようです。

 

日本経済新聞(1997.5、27)の文化欄より

京都大学霊長類研究所教授、庄武孝義氏の紀行文、マントヒヒの楽園発見から・・・

サウジアラビアといえば砂漠というイメージを抱いていた私はアシール地方の緑の山々に目を見張った。国立公園でもあるこの山岳地帯は標高三千メートル、サウジ有数の避暑地だ。

ヒトにとって快適な気候は、マントヒヒにも都合がいいようだ。

隣りのサハラ砂漠の山地の洞窟には超古代の黒人文明の壁画が残っている。そのころのサハラ砂漠は緑に覆われていた。アラビア半島全体も同様だったのである。

 

 

 

 

 

 


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Japanese true feelings

2019-03-18 20:36:11 | English diary

Why did Japan go to war ... because it was blocked resources and can not live. It is not intended for aggression from the beginning. It is a defensive war, as McArthur spoke in the US Congress

Japan became a defeated nation after the war. With the efforts of the people and the support of friendly countries,it has become a developed country.In particular

The United States and Japan are allies that share their values. For many Japanese, the United States is distant in distance, but the mind is the neighboring country

All the people of Japan are longing for Korea in the neighboring country now. I do not think it is a very democratic country

It is a underdeveloped country that ignores the rules of the international community.As the same Asian country, other countries are also embarrassing. I think other Asian countries do the same

I think Korea is reducing the civilization and culture of the world.

would like to put pressure on funny Korea.South Korea's human rights ignorance which does not appear in the table ... If it is a pro-day in Korea, it is sealed and human rights ignorance is performed. It is no different from ignoring human rights in North Korea.Being a pro-day, it is treated as an obstacle by society, and even human rights are ignored.There is no country in the modern world that ignores such human rights except in Korea

Many Japanese think that pro-day is a sign of friendship.Japan and Korea will not be friendly countries in the future Many Japanese do not want to be friends

Many people in Korea who advocate for the importance of Japan-Korea friendship, as well as many democratic nations want pressure on Korea to protect the thought and the freedom of Japan-Korea friendship

From now on, Korea is no different from North Korea in human rights issues in the world. We should find out the essence of human rights issues in Korea. Human rights are cleverly hidden.After World War II, Japan has made great efforts to pursue peace.This attitude is also inherited by Prime Minister Abe, and in particular Prime Minister Abe wishes world peace and development. This attitude is no doubt a fact.You should know the facts of Korea in which human rights are neglected because you are friendly in the modern world

Finally, Japan is working against countries that suffered from the previous war, making reparations and compensations, and the Japanese people are aiming for a new future

 

The world thinks it is wise to think about how to deal with Korea, seeing Korea's own measures against inferiority. I think that it is extremely important that we do not interact deeply with non-civilized country Korea

 


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私達に身近な2つの歴史事実

2019-03-16 12:16:58 | 日本社会

以下文はウィキペディア、「人生は自ら創る(PHP文庫)安岡 正篤 著」等々を参考に記していますが不適切、可笑しな文があるかも知れませんので、雑文日記とします。

 

天皇陛下が終戦を知らせた玉音放送、この原稿の作成にも安岡正篤(やすおか・まさひろ)氏は大きく関わっています。

安岡正篤氏は平成の元号の考案者です。何時か昭和が終わったら次は「平成」というのはどうだろう・・・「平和が成り立つ」という意味だと言われています。

一説では、大嘗祭等、宮中祭祀等を全て取り仕切っていると言われる鴨神社・ヤ***ス、元号考案等が祀りごと等であれば・・・形の上では元号は公募等々となり考案者名が何人か記されていますが・・・万葉集・・・

没後20年以上経っていますが、今も安岡正篤氏に対し人徳、人柄を慕い、私淑(ししゅく:直接に教えは受けないが、ひそかにその人を師と考えて尊敬し、模範として学ぶこと。)する人が多いとも言われています。

じゃこの方はどんな方・・・1898年2月生まれ、1983年12月に亡くなられています。大阪府大阪市出身の陽明学者・思想家・教育者です。古代中国の学問に大変精通しておられたと言われています。

小さい時は大変優秀な子供で第一高等学校、現東大にあたる学校へトップ入学されています。卒業後文部省に入り、官僚になリましたが半年で退職、金鶏学院を開塾、三井、住友等の財閥からの援助により設立された金鶏学院は世の中を良くするには、公私ともに優れた人物が必要であるとの信念のもと儒教、国体、制度学等の講義を行い精神教化の結果が日本の原動力となることを期してその指導者の育成に努めたと言われています。

特筆すべきは日本の指導者のトップを育成・・・普通の方ではないことが分ります。間違いなくヤ***スと言われており、天皇と表裏一体とも言われるヤ***スとも深い繋がりがあり、天皇を裏で支えておられる方(この方達は大嘗祭等、宮中祭祀等を裏で仕切っていると言われています。ヤ***スの歴史は日本の天皇の歴史と同等となります。)で日本の国体を支えられていた方であることが分かります。近年、安岡正篤氏が初めてその存在(ヤ***ス)を表に出した方とも言われています。

安岡正篤氏と佐藤栄作元総理のエピソード

沖縄返還を実現するためには、アメリカとの厳しい交渉が必要でした。安岡正篤氏が日米交渉前に佐藤栄作元総理に送った言葉は、中国の古い教えで「戦いに勝ちては喪礼を以って之に処る」・・・勝国は敗国に対して侮るのではなく、喪に服するように敬意をもって接しなさい。と言う意味です。

アメリカの大統領・ジョン・F・ケネディ・・・敗戦国日本が相手で会談時間は数分~数十分程度しか無かったと言われています。ケネディ大統領との会談時に佐藤栄作総理は安岡正篤氏の言葉をそのまま伝えたと言われています。ケネディ大統領は、そんな言葉を知っている佐藤栄作総理に一目置いて見るようになったと言われています。ケネディ大統領がその言葉の意味を理解し対応したのは、凄いアメリカ大統領と言えることが出来ます。この精神は元駐日ケネディ大使にも宿ってると言われています。

結果会談は細部に及び、盛り上がり会談時間は3時間を超えていました。友好関係を築くことができた佐藤栄作総理が沖縄返還を実現、ノーベル平和賞を手にしました。沖縄返還、ノーベル賞受賞功績のきっかけを作った安岡正篤氏・・・私たちは安岡正篤氏の名前はほとんど聞いたことが無いと思います。

ここで不思議に思うのが、私達がなぜ安岡正篤氏の名前を知らないのかということです!

 

安岡正篤氏は以下の言葉を残しています。

有名無力・無名有力

有名になればなるほど注目され、しがらみができて力を発揮しにくくなる。陰から支えれば力を発揮し続けることが出来る。安岡正篤氏は表に出ないように行動していたため私達のほとんどがその名前を知らない事は当たり前です。

 

安岡正篤氏は多くの政治家、財界人の精神的指導者、御意見番として知られる方でもありました。安岡正篤氏を師と仰いだ政治家には吉田茂、池田勇人、佐藤栄作、福田赳夫、大平正芳等々歴代の首相も名を連ねています。更に三菱グループ、東電、住友グループ、三井グループ、近鉄グループ等々の方々も師と仰いでいます。日本の黒幕とも呼ばれた方ですが、本人は自分はただの教育者にすぎないと黒幕と呼ばれるのも嫌がっていたと言われていました。

日本の天皇制を裏から支え、日本の国体(国家の状態、くにがら、国のあり方等々)国家 の根本体制を考え、進むべき道を示した人です。安岡正篤氏を知るということは、日本の国体を知る一番の近道でもあると思いますし、日本を動かしてる三井、住友等々・・・本当の日本を知るには、安岡正篤氏を知ることだと思います。日本の政府、政治、経済等々を動かしている方の一人であることは間違いないでしょう。現在でも安岡正篤氏の後継者は間違いなく日本を動かしているとも言われています。

 

安岡正篤氏が書かれた多くの本の中で、是非お勧めする本は「人生は自ら創る(PHP文庫)安岡 正篤・著」です。私達に分かり易く、日本人としての生き方等々を書かれています。日本、日本人等々を理解する一助となると思います。616円で、間違いなく座右の本となると思います。

 

安岡正篤氏の名言集

*幸福な人生とは、その人が一生の間にどれだけ「幸せだ」という感情を持つ事ができるかによって決まるもの。

こう考えると、順風満帆の時もそうでない時も、その時、「どう感じるか」が重要になってくる。

つまり、いま、この瞬間をどう思うかなのである。

今を幸せと感じられれば、人生は「いま」の連続体なのだから、一生が幸せなのである。

 

*一つの灯火を掲げて一隅を照らす。

そうした誠心誠意の歩みを続けると、いつか必ず共鳴する人が現れてくる。

一灯は二灯となり三灯となり、いつしか万灯となって、国をほのかに照らすようになる。

 

*一人の人間の死後に残り、思い出となるのは、地位でも財産でも名誉でもない。

その人の心・精神・言動である。

 

*自己と仕事が分裂していてはダメ。

仕事に打ち込んでいくと、自分の対象である仕事は、自己と一つになることによって精神化される。

そうすると、どんどん物事が解決していく。

 

*なるべく人の世話役を心がけよ。

そして、報(むくい)を望むな、求むるな。

 

*世の中が悪い、時代が悪いというのならば、そういう時世に対して、一体自分はどれだけ役に立つのか、それをどう解釈し、それに対してどういう信念・情熱を持っているのか、よく自分を責めるがよい。

 

*皆が利を求めて行動するようになると、お互いに忌みあい、必ず人間関係、人間の生活、人間の事業というものを壊してしまう。

 

*人間はいろんなものを失うが、何が一番失いやすいかといいますと、自己である。

人間はまず自己を得なければいけない、人間はまず根本的に自己を徹見する。

これがあらゆる哲学、宗教、道徳の、基本問題である。

 

*積み上げて自分の身ほどの書物は、毎年読み続けるくらいの心がけが、人物を磨いていくのである。

 

*道に志したなら、衣食がたとえ粗末であっても気にすることはない。

一番身近な日本とは、日本の国体とは、天皇・皇室とは、日本の指南者とは・・・興味は尽きません。唯、これらの一部はタブーとされています。平成後の元号もヤ***スの方々が前回同様大きく関与されているでしょう。一応公募のような形にはなると思いますが・・・

日本の国体は「天皇・皇室」、「ヤ***ス」無しには存在しないでしょう。私達が知らない国体等の真実、一般国民は知る必要がないと言われる方も多いようですが、間違いなく言えることは東京は政治、京都は権力の中枢であることは間違いなさそうです。日本は天皇・皇室を有する国で、日本の歴史を顧みた場合、天皇・皇室、ヤ***スは国家の安泰・平和・国民の幸せ等を願っているのは間違いないと思います。

日本は世界の歴史上でも不思議の国です。世界のトップに君臨する国家、リーダー達の一部はこれらの事実を熟知しているとも言われています。日本の悠久(ゆうきゅう:果てしなく続くこと。)の歴史はシュメール等・人類の歴史、旧約聖書に限りなく近ずくようにも思える昨今です。

 

 


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韓国の近代化を促進したセマウル運動

2019-03-15 13:52:10 | 日韓

何かと批判される日本の朝鮮半島統治、当時の弱肉強食白人主体の世界、現代を基準にした場合、日本の策等は多々問題はあると思いますが大筋では現代から見ても欧米白人国の殖民地策とは違い差別、搾取等は極めて少なく良策だったと思います。その例が台湾、韓国ですが韓国は反日、何故反日か・・・近代の歴史上、初めて白人に手向った有色人種、当時の白人は日本を許さない国の一つとしてします。

韓国は隣国、これまで日本と極めて密接であった朝鮮半島の中の韓国、韓国の反日は諸問題の火種として置かれたかもしれません。GHQのメディアに対する検閲制度では30項目の禁止事項が定められ、その一つに朝鮮を批判してはいけないという項目があります。(Draft of c/n,Subject :War Guilt Information Program,From:CIE、To :G-2(CIS),:Date:6 February 1948)、戦勝国の戦後日本統治策の一つかも知れません。

自分なりに近代史を精査すると決して日本の近代史は可笑しなものではありません。日本は間違いなく誇りを持てる国です。

以下文はウィキペディア、朴正煕称賛大会で終わった地球村セマウル指導者大会・成果は「朴正煕のおかげ」、外信記者の憂慮には「なせばなる」・キム・ギュヒョン記者2015年11月30日等々を参考に記していますが、まとまりの無い文となってしまいました。雑、散文です。

 

韓国語にチャルサラボセと言う言葉がありますが、豊かになろうという意味だそうです。疲弊していた農村、農業外収入、農閑期作業等で所得増となり農民は夢が持てるようにするための国家策がセマウル運動で、ルーツは日本の農村振興運動です。

セマウル運動とは農村振興運動で儀礼簡素化、自力更生、農村振興、忠孝愛国、自立自助、勤倹等の思想で、農業ばかりでなく都市、工場にも拡大し都市、工場セマウルとなり住宅、道路、上下水道等も大きく改善、特に国にとって一大事のコメ自給も実現しています。食料を自国で自給すると言うことは凄いことで国の指導者と国民の努力の結果だと思います。

このセマウル運動は、第5~9代・朴正煕大統領が悲願でもあった国の発展、国民の幸せを願い強力な指導力で行われ農村ばかりでなく都市部等の近代化を図っています。韓国の近代化発展は朴正煕大統領の強いリーダーシップ、多くの韓国民の努力なしでは有り得なかったでしょう。

朴正煕大統領の娘さんである第18代・朴槿恵(パククネ)大統領は父親のセマウル運動を継承しており、大の親友であった崔順実(チェ・スンシル)氏とも継承していたようです。反日と称する人達からは親日策でもあるセマウル運動は目障りだったでしょう。残念ながら主体的な反日でなかった両氏は収監されています。

セマウル運動は儀礼簡素化、自力更生、農村振興、忠孝愛国、自立自助、勤倹等を目標にスタートし大きな成果を上げています。朴政権最大の功績の一つだと思います。この成果に発展途上の近隣諸国でも大きな関心を持ったとも言われています。

 

このシステムは中央にセマウル本部を置き、その下等にセマウル運動模範を組織、それをモデルに中央のセマウル教育機関で養成したセマウル指導者を派遣して運動を強力に推進しています。

日本より遅れていた農村部を早急に発展させるという意図が強かったため反面、開発・独裁に合わせた農村作り、統制強化等の意図等があったとも言われています。

セマウル運動のルーツは1930年代、朝鮮総督府の宇垣一成総督が進めた農村振興運動です。

この農村振興運動は、李氏朝鮮時代の悪弊であった高利債の整理、収支の均衡、食糧の充実ということに重きを置いています。

高利債の整理では、金融組合だけでは対応不可能で預金部の低利資金を何百万円か毎年金融組合に殖産銀行、連合会を通じて借りる様にしています。

当時、農村部では便所が無く、適当に用を足し、家庭ではオンドルの中においた壷に夜に小便して、朝窓から捨てる状態だった為、トイレ造りの費用を予算で補助し、甕を埋めて大小便を肥料として使う事を指導したりしています。

稲作では、種をそのままばら撒いていただけの作付方法を日本のように苗代を作って稲を植える方法を導入、適時、適切な指導者を派遣等し農業振興事業が行き渡る様にしています。

朴正煕・元大統領は自身が当時農村振興運動の人材育成のための指定校だった慶尚北道の聞慶国民学校(農村振興運動の「中堅人物」を養成する指定校)教師で地域の農場でも指導していました。

セマウル運動の標語は農業振興運動の標語と全く同じで、日本統治時代に朝鮮総督府が進めた農村振興運動をモデルにした韓国の地域開発運動で1970年4月22日、朴正煕大統領が全国地方長官会議で提唱したのが始まりです。

丁度、同時期の北朝鮮における国民運動の千里馬運動(1956年12月に北朝鮮の金日成が朝鮮労働党全員会議で提唱、経済発展を促進し社会を大躍進させようという運動)を意識した政策とも言われています。

 

セマウル運動の目標

*全ての住民を自発的にこの運動に参加してもらい精神的な革命を目指す。

*社会開発により住民がより暮らしやすい村で福祉生活を営む。

*経済開発により村の労働生産性を向上させ、個人所得を高める。

1971年から全国規模拡大したこの運動は、農民生活の革新、環境改善、所得増大により、それまで経済開発から取り残されていた農村の近代化を主として政府主導で実現しています。

この運動にちなみ、朴大統領自身がセマウル運動歌を作詞・作曲したのに続き、快活なセマウル歌謡が次々と作られ、放送や拡声器を通じて終日流布されたと言われています。優等列車がセマウル号と命名されたほか、金融機関ではセマウル金庫が設置されています。

セマウル運動を通じて国家社会発展に寄与した功績が明確な者にセマウル勲章(1973年1月25日に制度化され自立章・自助章・協同章・勤勉章・努力賞の種類があります。)を与えています。

セマウル運動の発祥地は慶尚北道の清道郡とされており、セマウル運動発祥の地・清道というキャッチフレーズとセマウルのイメージが入ったマークを特許庁に商標登録したと発表しているそうです。一方、浦項市は同市北区杞溪面・文星洞が公式的なセマウル運動の発祥地であるとしており、発祥地をめぐって慶尚北道清道郡と浦項市は法廷でも争ったようです。韓国の人達にとってセマウル運動の成果は大きく、今後もセマウル運動の精神は継承されると思います。

2009年から韓国はアジア・アフリカの途上国における農村近代化運動支援事業としてセマウル運動の実践指導を始めており成果を上げています。セマウル運動記録物がユネスコ(国際連合教育科学文化機関)が推進する記憶遺産に2013年に登録されています。

何時の時代も、如何に政府、指導者等により国の発展、国民の幸せ等は大きく変わることになると思います。如何なる理由があるにせよ親日であると言うだけで、弾圧等を受けると言う事実、正気の国では無いようです。更に韓国は世界で相手にされない国の筆頭になるでしょう。

昨今の韓国は何時から可笑しな国になったでしょうか・・・

 


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世界最高の浄水技術と水道水

2019-03-06 18:21:31 | 日本社会

日本が世界に誇るものがありますが、私達にとってあたり前のように思いがちですが世界から見たら凄いことです、それは「公衆便所」と安全、清潔な「水道水」です!海外に行かれて多くの方々が実感されると思います。

以下文は水道水について、主に国土交通省、MSN産経ニュース、ウィキペディア等の資料を参考に日頃の水に対する思いを記します。

 

地球は青く輝く水の惑星とも言われています。地球表面3分の2は水で覆われ、約14億立方キロメートルの水があると言われていますが、大部分は海水で淡水は僅か2.5%程度です。また、淡水の大部分は南極、北極地域等の氷、氷河として存在しています。地下水、河川、湖沼等の水として存在する淡水量は地球全体の水の約0.8%に過ぎず、大部分は地下水です。更に河川、湖沼等、人が利用しやすい状態の水の量は約0.01%(10万km3)で極めて限られており貴重です。

 

日本は水に極めて恵まれており、水は水道の蛇口を捻ればいくらでも飲料可能の水が出てきますが、海外では一般的には飲料水は購入するものです。当然、海外で食事をしてもお冷は出ませんし、お冷をお願いしますと言うと有料となる場合が多いようです。日本の水道水は安全、清潔ですが蛇口を捻っても消えないものがあります、それは塩素です。コレラ、赤痢、腸チフス等の水系感染症の拡大を防ぐために塩素が入っているそうです。塩素を水道水に使用・管理し安全、清潔な飲料水にするには高度の技術が必要とも言われています。

塩素は水と結合し化学反応を起こしトリハロメタンが生まれるようです。トリハロメタンは発癌性を持つ成分とも言われています。勿論、日本の水道水は高度の浄水技術で処理されていますが相応のコストがかかっています。世界で日本の高い浄水技術に勝る国は無いようです。

多くの国では水道設備よりも、安全な水をペットボトルにして売る方が低コストで済むため水道設備を導入しないようですが、このペットボトルもあまり安いものは注意を要します。メーカー品だったら安心できそうです。

世界の有名・水ペットボトルメーカー

* Volvic・ボルヴィック、フランス硬度 60

*Contrex・コントレックス、フランス硬度 1468

*六甲のおいしい水、日本・硬 度 84

*evian(エヴィアン)、フランス・硬度 304

*CRYSTAL GEYSER(クリスタルガイザー)、アメリカ・硬度 38

日本の水道水はトリハロメタンの総量が有害にならないよう管理されています。このような高度浄水処理により世界でも安全な水道水が私達に提供されています。どうしても塩素臭(カルキ)が気になる方は、10分程度沸騰させたら塩素臭(カルキ)を無くすことが出来るそうです。

 

日本の水道の歴史は長いようで120年の歴史があると言われています。昔は川から直接水を汲んでそのまま飲んだり、その水を沸騰させたり、井戸を利用したりしていたようです。

江戸時代には幕府が水道整備を行っており武家・町民地域には水道網が完備している箇所もあったようですが、限られた地域で全国の殆どの家では川水、井戸水を地下からくみ上げて使っていたようです。

江戸末期になるとコレラ、チフス等の感染症が流行していますが、コレラ、チフスは水を介して拡がる感染症です。原因は水質汚染、不衛生飲料水だったと言われています。

感染症から国民を守る為、安全な水を供給する水道設備が確立されたのは明治20年と言われ、日本の水道の始まりと言われています。

以降、都市部を中心に水道が発達していますが、2つの大戦で水道事業が停止、昭和32年当時の普及率は約41%位で急激に普及したのは高度経済成長期と言われています。平成23年の水道普及率は97.5%、今も水道が普及されていない離島地域がありますが、離島では井戸水を使っていたりしますが、勿論、安全管理等された水です。

 

日本のように安全な水道水が飲める国は世界でどの位か・・・

「世界の水道水が飲める国(平成16年版「日本の水資源」・概要版)国土交通省」より

水道水が安全に飲める国は、世界195カ国中で15カ国です。

アイスランド(天然水)、フィンランド(天然水)、スウェーデン(天然水)、ドイツ(天然水)、オーストリア(天然水)、アイルランド、スロベニア、クロアチア、アラブ首長国連邦、南アフリカ、モザンビーク、レソト、オーストラリア、ニュージーランド(虫歯を防ぐ目的で水道水にフッ素が添加)、カナダ(一部の地域では、虫歯予防のためのフッ素を添加)・・・米国等々でも一部地域は自然水の飲料は可能で、美味しい水を飲むことが可能ですが、基本的には15カ国以外の国では水道水は飲んではだめと言えそうです。

身近な隣国韓国の場合

韓国の水は硬水で、女性は髪のトリートメント等には注意が必要

一般的には水道水は飲まない人が多いようです。

家庭用浄水器を設置、沸騰させて飲む、ミネラルウォーター等を購入が多いそうです。稀に水道水を飲む人もいるそうです。

韓国の水道水の場合、水そのものの問題でなく貯水タンク、配管等の掃除が行き届いてなく汚れ、菌が紛れ込んでしまう場合があるとも言われています。

 

水の硬水、軟水とは?

水にはミネラルの一種であるカルシウム・イオンとマグネシウム・イオンが含まれていますが、水1リットル中に含まれているカルシウムとマグネシウム量を表した数値が硬度と言われています。

ミネラルウォーターには軟水、硬水の2種類に分けることができます。コンビニ等で購入するミネラルウォーターは、硬度は300mg/1で硬水に分類されるようです。

0~100mg/1を軟水

101~300mg/1を中硬水

301mg/l以上を硬水

ミネラルウォーターは、外見上では全く見分けがつきません。一般的には軟水はまろやか味,口当たりが優しい。硬水はマグネシウムが多いため飲みごたえのあるしっかりとした舌触りを感じると言われています。

基準の定義は世界保健機関(WHO)が、カルシウムとマグネシウム含有量を定め硬水。軟水としています。

120mg/l以下のミネラルウォーターを「軟水」

120mg/l以上含んでいるミネラルウォーターを「硬水」

カルシウムとマグネシウムが多く含まれる水は硬水、少ない水が軟水と言えます。

日本の水は、硬度60mg/l位で軟水の部類で、コンビニ等で購入するミネラルウォーターは、硬度は300mg/lで硬水です。

 

WHOガイドライン(右側は硬度数値)

軟水・・・0-60mg/l
中程度の軟水・・・60-120mg/l
硬水・・・120-180mg/l
非常な硬水・・・180mg/l以上

日本の平均的な総硬度は約50-60mg/lで軟水の国です。

硬度の高いミネラルウォーターを飲み過ぎると身体に悪影響を及ぼす可能性があると言われ、腹が緩くなってしまう、体調の不良が発生する可能性があるとも言われています。
ミネラル分でもあるマグネシウム・イオン成分を多く含む硬水は、飲み過ぎは消化器系に影響を与える可能性があり、下痢のようにお腹が緩くなるだけでなく、大量に摂取することで体内のバランスを崩してしまうケースもあり、むくみや冷え性気だるさなどの症状、最悪は、尿路結石と呼ばれる体内に石ができる病気を発症させてしまうこともあるそうです。

 

日本の水道水は安全、清潔で飲料可能ですが、より美味しいコーヒー、紅茶等を飲むために更なる美味しい水を求めて名水を求める方も多いようです。

日本の恵まれた自然、河川は多くの人達により支えられており、一般家庭の水洗トイレでさえ飲料可能な水道水が使用されており、海外から見たら驚異です!私達は意識することはあまりありませんが凄い国で生活していることになります。

一方で、日本の水を虎視眈々と狙っている国もあるようです。

過去の産経ニュース等では、中国を始め外資系企業による森林の買収が表面化しているようです。表向きの購入目的はリゾート開発や資産保有ですが、本当の狙いは地下に眠る水資源にあるとも言われています。平成18年~24年の林野庁、国土交通省の調査では、外国資本に買収された森林は68件で計801ヘクタール、東京ドーム約170個分に相当する土地が外国の手に渡っています。

日本には地下水を飲み水としてくみ上げることを制限する法律はありません。一部、自治体が独自に制限するケースはあるそうですが、原則土地の所有者は自由に井戸を掘って水をくみ上げられます。林野庁調査では富士山周辺の森林は買収されていないことになっていますが実際は静岡県内の約1万坪の土地が日本企業を介して中国系の企業に渡っている事例もあるようです。

未来に日本の安全、清潔な水が絶えることがないよう願うものです。


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素人が思う、日本の戦後賠償

2019-03-04 16:45:58 | 戦後

以下文は、教科書が教えない歴史・藤岡信勝、捏造された日本史・黄文雄、インドネシアに対しての戦後賠償・岸良造、ウィキペディア、個人プログ等々を参考にしていますが、一部金額が不正確な箇所があるかも知れません。主にインドネシア等資料を参考にしています。素人が書いた雑文、日記とします。

 

歴史上、植民地支配を行った米国、英国、ドイツ、オランダ、スペイン、ポルトガル、ベルギー等々多くありますが過去の植民地支配に対し謝罪、賠償金等まで支払った国は世界で唯一日本だけです。

1951年、日本はサンフランシスコ講和条約を結んで連合55カ国中、48カ国と講和(戦争を終局的に終止させることを内容とする当事国間の合意)をしています。

講和条約には、連合国構成国のソ連は会議に出席しましたが条約に署名していません。連合国構成国の植民地継承国のインドネシアは会議に出席、署名しましたがインドネシア議会の批准はされませんでした。連合国構成国の中華民国、連合国構成国の植民地継承国のインドは会議に出席していません。韓国は国として存在せず、日本との交戦国でもないにも関わらず講和に参加しようとしましたが追い出されているようです。意外かも知れませんが、正確には朝鮮は歴史上日本統治前は王朝はありましたが中国同様、国としては存在しないと思います。

 

講和条約内の賠償箇所・・・

*日本が行うべき賠償は役務賠償(相手方に与えた損害を金銭によらず技術・労務の提供で行う賠償)のみとし、賠償額は個別交渉する(第14条a1)

*日本の商標・文学的及び美術的著作権は連合国各国の一般的事情が許す限り日本に有利に取り扱う(第14条a2-III-v)

*連合国は、連合国全ての賠償請求権、戦争の遂行中に日本国及びその国民がとった行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権、占領の直接軍事費に関する連合国の請求権を放棄(第14条b)

・・・となっていますが、実際は連合国側等は厳守していません。敗戦国への厳しさかもしれません。

これらの講和とそれに続く、個別の国との協定(当事者間における何らかの合意)において日本は戦争で与えた損害に対して賠償を行なうことを約束、そこから戦後処理が始まっています。

日本の戦後賠償に関して、当時の欧米諸国の意見は?
武力により未開国を征服、植民地とする行為は当時の国際法でも合法、合法的行為に対して謝罪や補償金の支払いは必要ないとする考えです。

植民地支配は当時の未開国に対し文明をもたらし、地域住民に現代文明の恩恵を与え生活が向上、人口の増加、住民寿命も伸びています。相手が植民地支配が悪いと言うのなら、彼等は以前の様な未開の生活、無知蒙昧の状態に戻るべき、植民地政策により生活の進歩向上をさせてもらったことを宗主国に感謝すべきで、対する謝罪要求などもってのほか、もし要求されてもそれには絶対に応じませんし、我々、西洋諸国は過去の植民地支配について罪悪感など抱くことは決して無いとしています。

 

インドネシア賠償交渉担当・アルジ・カルタウィナタ国会議長談・・・
独立のお祝いというつもりで賠償を・・・当時の岸首相に対して、独立のお祝いというつもりで賠償を払ってください。日本が悪いことをしたから賠償をくれと言う訳ではありません。

独立当事のインドネシアは、経済的にも窮し国民が貧困に喘いでいました。独立できたのは日本軍が軍隊(PETA:郷土防衛義勇軍・Tentara Pembela Tanah Air)を作ってくれ、敗戦後も独立運動に参加してオランダ軍と戦ってくれたからという好意的な対日感情が背景にあったようです。独立戦争に参加した2000人の日本軍のうち、1000人が戦死、今でもインドネシアの独立記念日には、インドネシア人の男女2人と日本軍の格好をした1人を加えて3人で国旗を掲揚しています。

1958年1月20日、日本とインドネシアの賠償協定はジャカルタで藤山愛一郎、スバンドリオ両外相の間で締結、4月15日批准書を交換、発効しています。日本が戦争中にインドネシアに与えた損害を償うものです。賠償金・総額223百万ドル(当時の円換算で803億円)を物資か役務で提供するものです。その他に焦げ付き貿易債権177百万ドルの放棄、経済協力借款4億ドルを加えると総計約8億ドルの規模です。
余談ですがテレビ等で有名な、デビ婦人(現在78歳)も見方によれば、インドネシアの戦後賠償等で人的に関わった一人で両国の友好を願った方です。(インドネシア名はラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ、日本名は根本七保子さん、出身地は東京都麻布区です。)

このほか賠償・補償の総額は約3566億円、借款・約2688億円で合わせて6253億円にのぼります。これ以外にも事実上の賠償として、当時日本が海外に保有していた財産は、すべて放棄して現地に残しております。
公にされることは少ないですがインドネシア意外にも日本が海外に持っていた預金、鉄道、工場、建築物、国民個人の預金、住宅等、巨額に達しています。特に朝鮮半島は巨額で軍事用資産を除き計53億ドルにも上ります。

中国の蒋介石政権は、対日賠償請求権を当然持っていましたが、以徳報怨(怨みに報いるに徳を以てせよ)の精神に立ち、一切の賠償請求権を放棄してくれました。蒋介石は、今後日本と中国が手を取り合って、大同の世界(真の平和が実現した世界)を実現していこうと呼びかけてくれました。この蒋介石の賠償請求放棄は、敗戦国日本にとって大変ありがたかったと言われています。

1972年に日中国交回復、中国は共産主義政権でしたが以来、日本は中国に対し莫大な6兆円程度の財政支援を行っていました。この財政支援は、日中間の賠償問題はすでに決着がついているので、日本は隣国・中国への友情のしるしとして財政支援という形をとったようです。
残念ながら中国政府は、今だにこの事実を十分に国民に知らせていないようです。勿論、大部分の日本人も知りません。今も多くの中国国民は、中国は賠償権を放棄して日本に恩義を与えたということだけを聞かされ信じています。

日本は中国、韓国、台湾等に莫大な資産をそのまま残してきたので、その資産は単なる賠償以上にその後の中国、韓国、台湾の発展の基礎となっています。

敗戦国であったドイツの場合はどう賠償したかを見てみると、国に対する賠償を行なうのではなく、個人に対する賠償の方法を取っているようですが、真相はユダヤ人(アシュケナージ・ユダヤ人)に対してのみの個人賠償です。

個人プログの中には、ユダヤ人以外の賠償予定もあったようでしたがユダヤ人はその金はユダヤ人に増額するよう要求したとも記していました、真相はどうでしょうか・・・言えることはドイツの戦後個人賠償はユダヤ人のみだったようです。日本も一部の方がドイツのように完全に戦後賠償するようにと言われますが・・・

戦後ドイツの考え方は、ナチスの戦争責任は国家にはなく、全て個人にあり戦争被害者もすべて国家ではなく個人であるという考え方のようです。
ユダヤ人のみに対する個人賠償を行ないましたが、戦争被害を受けた国家に対する賠償は一切行なっていませんし、戦後分断国家であったためか被害国との講和も一切結んでいません。これらのことも鑑み戦後、ドイツはユダヤ人(アシュケナージ・ユダヤ人)支配を巧妙な形で受け、今もドイツは大きな国益を失っているとも言われています。今もドイツはユダヤ人に完全に監視された国家ですが、これらの事実が表に出ることは無いようで苦しい戦後の歴史を歩んでいるようです。勿論、ドイツには旧約聖書に出てくるスファラディ・ユダヤ人でもある本当のユダヤ人、失われた12部族の中のダン族の末しょうがドイツを裏で支えているとも言われています。(日本には11部族全部の末しょうがいます。)私達が学校で学んだドイツの歴史とは違います。

日本とドイツの賠償の仕方は、異なる形のものです。どちらがいいというのではなく、両方ともそれぞれのやり方で賠償をしています。日本は戦後の貧しい時代に、賠償を約束した国々に対しては誠心誠意実行しており、世界の歴史上でも初めてな例だと思います。

毎年の返済額は、国家予算の3割にも達しています。ちなみに1955年の超一流企業の初任給は、5000円位だったと思います。

日本の韓国、台湾、インドネシア等々の植民地策は欧米の植民地策とは全く異質で国内同様の善政を行っています。白人に歯向かった日本の植民地善政は欧米諸国からしたら困るし、許されないことだったようです。一部メディア、知識人等と称する人達が、これらの日本支配を徹底的に批判する内容は重箱の隅をつくようなことが多いように思います。

一言で言ったら、日本とこれらの植民地の関係は日本を内地としたら、植民地は外地と表現できると思います。普通、内地(一国の領土、国内)と外地(一国の領土、国外)の意味は支配とかではなく、何ら国内と訳隔てなく統治していたことは多くの文献等で確認できます。

日本の戦前、中の歴史は白人至上の弱肉強食の時代で、現代から見ても日本の策は何も白人を支配、占領する意図は全く無く、有色人種等の人間としての主権を求めたものだと思います。日本の策は正論であり、多くの先人達に敬意をはらうのは極自然だと思う昨今です。

 


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