極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

I am grateful that I can freely write my daily thoughts

日本軍に感謝した毛沢東

2023-05-20 14:13:37 | 日中

日本は敗戦国故、独立国としての日中問題対応は難しいようです。日中両国は互いにあらゆる面で依存し、日本の国益を考えた場合、孫氏の兵法を守れば益は極めて大きく、これからも関係がなくなることはないと思います。以下文は古い記録ですが、歴史・過去の事実として知る必要があると思います。私達がマスコミ報道等から得て来た情報とはかなり違います。

昭和39年、日本社会党の佐々木更三委員長は人民大会堂で毛沢東と会った際、次のような記録があります。

「中国外交部・中共中央文献研究室・編纂「毛沢東外交文選」・1994年 中央文献出版社に記載」

*佐々木

今日、毛主席から非常に寛大なお話を伺いました。

過去、日本の軍国主義が中国を侵略してみなさんに大へんご迷惑をおかけしたことを申し訳なく思います。

佐々木更三氏

*毛沢東
なにも謝ることはありません。

日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらしました。おかげで、中国人民は権力を奪取しました。
日本の皇軍なしには、わたくしたちが権力を奪取することは不可能だったのです。
この点で、わたしとあなたの間には、意見の相違と矛盾がありますね。

日本の皇軍が過去において中国の中国の大半を占領したため、中国人民は教育を受けることができました。
もし日本の侵略がなければ、我々は今でも山の中にいて、北京で京劇を観ることもできなかっただろう。
日本の皇軍が中国の大半を占領したからこそ、我々はたくさんの抗日根拠地を作り、その後の解放戦争における勝利の条件を作り出すことができたのだ。
日本による資本の壟断と軍閥は我々に対して「好いこと」をしたのだ。
もし感謝が必要なら、むしろ我々が日本皇軍の侵略に感謝したいと思う。

 

「1961年1月24日、日本社会党議員黒田寿男との会見談話」

黒田寿男氏

あなたたちは我々の先生だ。我々はあなたたちに感謝しなければならない。
あなたたちがあの戦争をし、中国人民を教育してくれたため、撒かれた砂のような中国人民は団結をすることができたのだ。
だから我々はあなたたちに感謝しなければならない。

李大倫著の「毛沢東は日本の侵略に感謝する」講話の由来(日本新華僑報、1月8日掲載)

訪中した日本の元陸軍中将、遠藤三郎との談話、同年、接見した日中輸出入組合理事長、南郷三郎にも同様の話をしています。

元陸軍中将、遠藤三郎氏

左から2人目、南郷三郎氏

1964年7月10日、毛沢東は北京に来あわせた、社会党系の五つの訪中代表団(佐々木視察団、社会党平和同志会代表団、社会党北海道本部代表団、社会主義研究所代表団、全国金属労組代表団に対し、会見は、人民大会堂で行われ、午後6時から2時間40分にわたりました。

中国側からは廖承志、趙安博らが同席しました。当時、北京にあった西園寺公一も同席

西園寺公一氏

趙安博氏・・・戦後、日中の橋渡しとなり、多くの問題の解決に尽力されています。

歴史の語り継ぎ_中国国際放送局 (cri.cn)

asahi.com:朝日新聞 歴史は生きている

*主席

友人の皆さんを歓迎します。日本の友人の皆さんを大いに歓迎します。我々両国人民は、団結して、共通の敵に反対しなければなりません。
経済の面では、お互いに援助しあい、人民の生活を改善させていくことです。文化の面でも、お互いに援助しあいましょう。
皆さんの国は、経済の面でも、文化の面でも、技術の面でも、われわれの国よりも発達していますから、おそらく、我々がみなさんを援助することは問題にならず、皆さんがわれわれを援助する方が多いでしょう。

政治のことになりますと、まさか、政治の面では、われわれはお互いに支援しあわなくてもよいというわけではないでしょう? 

互いに対立しあうというわけではないでしょう?

数十年前のように互いに対立しあうというわけではないでしょう?

そうした対立の結果は、皆さんにとってはよいことはなかったし、我々にとっても、よいことはありませんでした。

同時に、他方では、それとは逆のことが、皆さんにとっては、有益だったし、我々にとっても有益だったのです。
20年前のあのような対立は、日本人民を教育しましたし、中国人民をも教育しました。

私は、かつて、日本の友人に次のように話したことがあります。
かれらは、日本の皇軍が中国を侵略したのは、非常に申し訳ないことだ、と言いました。私はそうではない!

もし、皆さんの皇軍が中国の大半を侵略しなかったら、中国人民は、団結して、皆さんに立ち向かうことができなかったし、中国共産党は権力を奪取しきれなかったでしょう、と言いました。ですから日本の皇軍は我々にとってすばらしい教師であったし、彼ら〔その日本の友人のこと〕の教師でもあったのです。

戦争の結果、日本の運命はどうなったでしょうか ?

やはり、アメリカ帝国主義に支配されるようになったではありませんか?

同じような運命は、わが台湾、香港にもみられますし、南朝鮮にもフィリピンにも南ベトナムにもタイにも及んでいます。

アメりカの手は、我々西太平洋並びに東南アジアの全地域に伸びてきており、その手は余りにも長く伸びすぎています。第7艦隊はアメりカの最大の艦隊です。アメリカは航空母艦を12隻持っていますが第7艦隊はその半数6隻を占めています。アメリカは、そのほかに、地中海に第6艦隊を持っています。

1958年に、我々が金門を砲撃した時、アメリカ人はあわてふためき、第3艦隊〔第六艦隊の誤植〕の一部を東に移動させました。 アメリカ人はヨーロッパを支配し、カナダを支配し、キューバを除くラテン・アメリカ全体を支配しています。今では、その手をアフリカまで伸ばして、コンゴで戦争をやっています。

皆さんは、アメリカ人が怖いですか?

*佐々木 ―

私は、中国を訪問した5団体を代表して一言ご挨拶します。

*主席

どうぞ。
*佐々木 

主席が、お忙しいなかをわたしたちを接見して下さるとともに、有益なお話をしてくださったことに感謝します。私は主席が、非常にご健康で、中国の社会主義の躍進のために、全世界の社会主義の事業を指導するために、日夜奮闘しておられることを拝見し、ここで、主席に敬意を表します。
*主席

ありがとう。

*佐々木

今日、毛主席の非常に寛大なお気持のお話をうかがいました。過去において、日本軍国主義が中国を侵略し、みなさんに多大の損害をもたらしました。われわれはみな、非常に申し訳なく思っております。
*主席

何も申し訳なく思うことはありません。日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらし、中国人民に権力を奪取させてくれました。みなさんの皇軍なしには、われわれが権力を奪取することは不可能だったのです。
この点で、私とみなさんは、意見を異にしており、われわれ両者の聞には矛盾がありますね。(皆が笑い、会場が賑やかになる)。
*佐々木

ありがとうございます。
*主席

過去のああいうことは話さないことにしましょう。過去のああいうことは、よい事であり、我々の助けになったとも言えるのです。

ごらんなさい。中国人民は権力を奪取しました。同時に、みなさんの独占資本と軍国主義はわれわれをも〔日本側の記録では、「みなさんをも」となっており、文脈からはその方が適切と思われる〕助けたのです。

日本人民が、何百万も、何千万も目覚めたではありませんか。中国で戦った一部の将軍をも含めて、かれらは今では、われわれの友人に変わっています。
*細迫

私はかつて長いこと牢獄に入っていました。私のような善良な者まで牢獄に入れられてしまい、病気の妻の看病もできませんでした。このような悪らつな政府に対して、私は、主席のような寛大なやり方はとれません。
こんどの中国訪問は、神戸から中国の「燎原」号という貨物船に乗ってきたのです。日本の友好団体は小船を借り、旗を振り、音楽を演奏して、見送ってくれました。しかし、日本の警察側の小船も、そこを行ったり来たりして、別のある種の行動をとりました。
われわれが中国に着きますと、中国の政府要人と人民が一体となってわれわれを歓迎してくれました。日本も一日も早く、政府と人民が一体となって中国の友人を歓迎できるようにしたいと思っています。
*主席

皆さんは上海から上陸したのですか?
*細迫

そうです。日本政府のような悪い政府を早く打倒して、人民の政府をつくらない限り、真の友好を実現することはできません。私は、私を虐待した政府を許すことはできません。私は年をとりましたが、遺言の中で、自分の子供に、お前たちは政府を打倒するように、と訴えたいと思っています。
*主席

いくつになりましたか?
*細迫

67歳です。
*主席

私より若いではありませんか! 

あなたが百歳まで生きれば、すべての帝国主義はみんなくつがえされてしまいます。皆さんが、日本政府と日本の親米派をにくんでいるのは、我々が、かつて、国民党政府の親米派-蒋介石をにくんだのと同じです。
蒋介石は、いったいどんな人物だったでしょうか?

かつては、我々と合作して、北伐戦争をやったことがあります。それは一九二六年から一九二七年にかけてのことでした。
1927年になると、かれは共産党〔員〕を殺し、数百万人の労働組合、数千万人の農民組合をきれいに根こそぎにしてしまいました。 蒋介石が我々に戦いを教えてくれた最初の人だというのは、この時のことを指しているのです。
その戦いは10年続きました。われわれは軍隊を持たない状態から、30万の軍隊を持つ状態にまで発展しました。
結果的には、われわれ自身誤りを犯しましたが、これは蒋介石のせいにすることはできません。南方の根拠地を全部失い、2万5000華里の長征を行わざるをえなくなってしまったのです。この席にいる人で〔長征に参加した者は〕、私と廖承志向志です。
残った軍隊はどれだけだったでしょうか?

30万から2万5000人に減ってしまいました。
我々はなぜ、日本の皇軍に感謝しなければならないのでしょうか? 

それは、日本の皇軍がやってきて、われわれが日本の皇軍と戦ったので、やっとまた蒋介石と合作するようになったことです。
2万5000の軍隊は8年戦って、120万の軍隊となり、人口1億の根拠地を持つようになりました。感謝しなくてよいと思いますか。

 

これらの文献等々が日本国内で報道、議論されることはありません。

これらの記述は、私達がマスコミから知りえた情報等とはかなり違い、当時の中国の日本に対する見方を知ることが出来ますし、この想いは両国で生きていると思います。

 


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永遠の平和と友好を求め・日本人と中国人が共に歩む未来への道(北海道大学出身 孫 麗)

2020-09-15 08:04:31 | 日中

以下の文は、ネット等で見つけた、無名の中国人、北海道大学出身 孫 麗さんが尖閣問題以前の2002年に書いた論文で、若者の素直な気持ちを表現しており、未来の日中のあるべき姿を祈念していると思います。

同じ価値観を有する日米、日本と政治体制が全く異なる共産国中国、今日の日本は貿易相手国中国無くして経済の安定は難しいと思います。日中間には問題山積ですが、何故、理不尽にも思える問題が存在しているか・・・

 

日中等問題をフィクションで考えた場合、一説では特に、白人国・欧米で一番警戒されている国は間違いなく日本、ドイツとも言われ、経済、軍事でも世界の頂点への台頭は絶対に許さないでしょうが、両国の多くの国際的な発言を精査すれば、既に目に見えない大きな楔(くさび)が雲上人等により打ち込まれ、今後、日本・ドイツが世界の頂点になることはないとも言われていますし、日中にも雲上人の強靭な楔が打ち込まれていると思うのが自然にも思えます

 

これらの隙から台頭してきている反グローバル化国、共産国中国、軍事・経済でも世界の頂点は目前とも言われ、核保有、経済大国等でもあり、雲上人等は楔を打ち込むことは難しく、欧米・白人国からしたら有色人種の中国の世界の頂点への台頭は許しがたいでしょう。雲上人等はトランプ大統領を介し、徹底的な反中国政策を行うと思います。

日中が、友好国等になったら、欧米・白人国に対抗する歴史上・世界最強のアジア地域が生まれ、これまでの雲上人等による欧米・白人世界の世界秩序・覇権等は崩壊してしまうことを意味するでしょう。同盟国米国を考えた場合、新型コロナ・ウイルス以降の日本の舵取りは極めて難しくなると思います。幸いトランプ大統領は雲上人側でなく、同じ価値観を有する同盟国、日米は過去と違い、対等な付き合いが可能だと信じています。トランプ大統領が再選された場合、雲上人等への戦い(悲願である米国民の益を取り戻したい、米軍を国民側に取り戻したい等)は理不尽なグローバル化は反グローバル化として本格化するでしょう。世界の未来が決まる米国大統領選挙、日本にも極めて大きな影響を与えると思います。

 

以下文は、未来の日中を考えた北大出身女性の論文です。

「永遠の平和と友好を求め・日本人と中国人が共に歩む未来への道」

北大出身 孫 麗(女性)
日中両国は一衣帯水(いちいたいすい:一本の帯のような狭い川や海のこと。)の隣国であり、両国の間に2000年あまりの友好往来と文化交流の歴史がある。両国人民は長年お互いに支持し合い、協力し合って、深い友情を結んできた。
今年(2002年)は日中国交正常化の30周年にあたり、月日の経つのが早いと嘆くかたわら、両国関係があらゆる分野で世界の近代史の中で例のない大きな発展を遂げたということをつくづく感じた。

20世紀が過ぎ去って平和文化の構築と持続可能な発展を主題としての21世紀の幕が開いた。

新世紀における日中関係をどのように発展させていくか、アジア、また全世界の平和と発展に日中両国がどういう役割を果たすべきか、という問題は世界の未来と呼ばれるわれわれ青年に課せられた新しい課題になる。
われわれは日中友好事業のために力を尽くした先哲からの友好の旗を受け継ぎ、新世紀に日中善隣友好関係を新たな段階に推し進め、永遠の平和と友好を求めるべきである。

このために次の四点が重要だと思う。
第一に、日中関係の伝統を大切にし、21世紀に向けて新しい日中関係を築くことである
1、昔の成果
30年前の1972年、日中両国の賢明な政治家と各領域の日中友好の方々の長期にわたる努力によって、国交正常化が回復し、日中関係史に新な1ページを開いた。30年来、日中両国は各分野の交流と協力において未曽有の発展をみせた。特に経済面では中国の改革開放以来,両国間の交流が飛躍的な発展をして,今や両国は経済的に高度な相互補完関係にある。貿易総額を見ると国交回復当初の10億ドルと比べ、約80倍になった。国交回復当初の人的往来は1万人未満であったが今年(2002年)は既に300万人を超える。つまり人的往来は30年で約300倍になった。友好都市関係も250組以上あり、学術交流も年々増加している。日中友好は実り豊かな成果を収めた。

2、国際情勢認識
ベルリンの壁崩壊から13年たった今日、国際情勢は激動の時代を迎えている。例えば、米国の軍事面での圧倒的優越とそれを背景とした単独主義の傾向、米ロ間のモスクワ条約締結、NATOの東方拡大、EUの独自性強化、上海協力機構の設立、南アジアの緊張等である。経済的にはグローバリゼーションとそのゆり戻しの狭間の中、ITやバイオ、ナノテクなど新技術の革命が進んでいるが、国家間関係の上では多極化が進んでいる。その一方で、アフガン復興に見られるように、NGO(非政府組織)やNPO(非営利組織)という国家以外の主体が国境を越えて重要な影響力を持ちつつある。このような激しい変化の中、日中関係が停滞するようなことがあれば、両国の国益に大きなマイナスである。日中関係を新しい発展の段階に移行させることが新時代からわれわれに課せられた大きな使命である。
世世代代(世々代々)の友好、アジアと世界の平和と発展のためにわれわれは心を一つにして、先人の遺志を受け継ぎ,先人たちが長期に渡り,奮闘してきた得がたい日中友好事業をこれまで以上に大事に守り,平和と発展のための友好協力パートナーシップを築くために努力しなければならない。
第二に、忌憚(きたん:遠慮の無い。なき、素顔の交流を求め、相互理解と相互信頼を深めることである
外交関係は鏡のようなものであり、お互いのイメージが大切である。信頼関係があるか否かは大きな違いがある。信頼関係があると、大きなことでも小さくすることが出来る。しかし、信頼関係がないと、小さい事でも大きくなる恐れがある。問題を解決することを通じて、新たな発展段階を迎えるといった関係が日中関係であり、問題を話し合いながら、解決し、信頼関係を構築していくのが日中関係である。つまり、日中両方が自分の姿を相手に見せた上で、日本は中国に対して率直に注文をつけ、中国も日本に対して、思っていることをぶつける、という関係を作ることが必要である。そのために、以下の事柄に積極的に取り組むべきである。

1歴史認識
日中戦争に関するいわゆる「歴史認識」は日中関係に常に影を落としてきた。日中両国は歴史教育や歴史教科書の違いによって、両方の認識を完全に一致させることは不可能であるが、共同研究等を通じて、互いに事実関係を共有することが望まれる。重要なのは、その認識の違いを理解していくことで、そこで初めて信頼を確立していくことが出来るだろう。それについて、日本側は過去の誤った国策と行為を反省して終戦50周年(1995年)の際の「村山談話」を発表した。小泉総理も芦溝橋の抗日戦争記念館を訪問したときに、「過去の歴史をよく勉強することによって、人間と言うものは反省し、将来、その反省を生かしていかなければならないと思っている。私ども過去の歴史を直視し、二度と戦争を起こしてはいけない。その反省から、戦後、平和な国家として日本は繁栄することが出来た。」と明確に発言した。中国側も朱鎔基総理訪日時(2000年10月)発表した「中国側は歴史の問題で日本の国民を刺激することはしない。日本側もあの歴史を忘れないという事が必要だ」という精神に基づいて、お互いの感情を傷つけることのないように慎重に対応すべきである。
現在、大多数の中国人と日本人が今までの得がたい日中善隣友好関係を大切にし、過去の歴史を操り返さないという基本方針を支持している。お互いがお互いの立場に立って、出来る限りの配慮をして、大きな譲歩をしたことが日中国交正常化をもたらした原点である。この原点の精神に基づいて日中関係を対処すれば、よりスムーズな友好協力関係を造れるだろう。

2、人的交流促進
両国お互いの理解を深めて友好関係を構築するためには、人と人との交流を促進することが最も有効な手段である。両国間の知的交流、文化交流、地域間の交流、青少年交流といった多層的な対話や交流が拡大されなければならない。そして、単なる接待的な友好と交流ではなく、お互いに文化を尊重し合い、対等に協力し、共生し合う精神文化の基盤を育て培わなければなるまい。首脳レベルによる相互訪問はすでに定期化されたが、両国政府間のさまざまな階層でコミュニケーションを密にすることで、相互理解を深化させることが肝要である。さらに、市民交流や地方間交流、ビジネスや留学、NGO活動等を通じた民間レベルでの交流も一層活発にする必要がある。両国人民の人生観、歴史観、世界観、ものの考え方などの異なる面を十分理解するために民間交流は不可欠なものだと言える。日中両国の政府には、民間交流をもっと推進してもらい、特に中長期のビジョンを作って、民間交流に舞台を提供していくことをより積極的に展開していく必要がある。両国民の相互理解と相互信頼を増進し、誤解や不信などの蟠りを取り除いて、日中両国の間に長期的で安定した善隣友好関係のしっかりした基礎を築くために、これからも引き続いて、努力を続けなければならない。
第三に、長期的な視野に立ち、共同利益を基礎とした経済対等パートナーシップ関係を築くことである

1、経済対等パートナーシップ関係の構築の必要性
経済のグローバル化に従い、国際競争が日増しに激しくなってきた。東アジアの金融危機、ユーロ通貨の始動など、中国も日本も一層大きな圧力に直面している。アジアひいては世界の繁栄と安定のために、日中両国は両国間の経済交流の発展を阻害する要因を取り除き、一体化した経済パートナーシップ関係の強化がますます求められている。
2、経済対等パートナーシップ関係の構築の可能性
中国と日本の経済は一面では競合するところがあっても、基本的には相互補完の関係にある。そして、競争と言っても競う事によって、単独なら長い時間かかるものがいち早く実現するというプラスの点が多い。アジアにおける経済大国である中国と日本は経済面で共通の利益がより多い。経済先導と言っても過言でない21世紀において日中両国は共通の利益を求め、イデオロギーと社会制度の違いを乗り越えて、対等なパートナーシップを築かなければならない。中国の進歩は日本のマイナスでないし、日本の進歩は中国のプラスである。日中関係は本来鳩山由紀夫が述べたようにプラスサムゲームである。よって、経済対等パートナーシップの構築は完全にできると認められる。

3、日中経済交流の一層の拡大に向けて
国交正常化してから今日までの30年間に、両国関係はあらゆる分野で、特に経済分野で大きな発展を遂げた。1972年当時と比べ、日中間の貿易総額は約80倍になり、経済団体の協力も盛んに行われてきた。中国から見て日本は10年連続で最大の貿易相手国であり、日本から見ても中国は米国に次ぐ第2の貿易相手国である。このような得がたい成果を新世紀に持ち込んで経済交流を一層拡大するために日中双方が以下の方面での努力を求められる。
経済グローバル化とWTO加盟に従い、中国の市場経済は飛躍的に発展してきたが以下の諸点についてなお一層の改善を求めたい。
(1)経済の総体的な発展において政府の指導が要求されるが、政府の過分な関与を排除しなければならない。必要な制度の整備や透明化を進めつつ、市場原理に任せていくべきである。
(2)外資企業、知的財産権保護に関する立法(例えば特許法、著作権法など)を始め現行の法律を体系的により改善すべきである。
(3)外資の導入がより進み、全国特に内陸部はインフラ整備、投資環境を改善しなければならない。
日本側は、中国の発展が日本の脅威になるという「中国脅威論」を否定し、日本は中国投資から多くの資金を回収し、日本経済の発展を促進していることを認識しなければならない。そして、21世紀における中国の新たな開発戦略特に西部大開発のプロシェクトに長期的な協力をすべきである。対中のODA援助、IT人材の提供、環境、エネルギー問題等、さまざまな方面で日本各界友人同士の協力が期待されている。
第四に、日中両国はお互いを2国間の狭い関係のみで捉えるのではなく、より幅広く、アジアと世界の中での日中関係のありかたや協力関係を真剣に摸索していく必要がある。
1、 政治,経済という側面で冷戦が終わった後世界は政治多極化、経済一体化したと言われ,さまざまな変化が生じている。国々が競争し合い、協力し合い新しい秩序を求めている段階に入った。このような複雑な国際状況においてアジアの隣人である日中両国はこれからの協力関係をより真剣に摸索していかなければならない。例えば,国連やIMF,WTOなど国際機関での活動においては、お互いの活動を牽制し合うのではなく協力して,アジアの声を代弁すべきである。
2、地球的規模の問題という側面で経済の飛躍的な発展に伴い,さまざまな地球的規模の問題が生じてきた。例えば,人口問 題、食料問題、エネルギー問題、環境問題、あるいは麻薬やエイズのような問題である。これらの人類存亡に関わる問題は両国の狭い間だけでは処理し切れない問題で,全世界の範囲での努力が求められている。
3、IT革命を始め科学技術革命という側面で中国では「科学技術は第一の生産力である」と言う言葉がある。経済発展のために科学技術は代えることのできない重要な役割を果たしている。21世紀の科学技術を代表するIT革命への対応にあたって,日中両国はより国際的視野をもって進める必要がある。特に知的財産権、個人情報の保護、ハイテク犯罪への対応、電子商取引のルール整備など、国際的に整合性が必要とされる問題に日中双方も積極的に対応すべきである。
要するに、日中両国が手を携え、国際社会での多岐にわたる共同活動を通じて友情を深め、信頼と希望に満ちた明るい未来を創造する事が重要である。「共存、繁栄」という人類の共同課題に向けて世界の中での日中友好協力関係をより幅広く努力しなければならない。
新しい世紀と新しい情勢における日中両国の友好関係を、輝かしい希望に溢れたものとするために以上の四つの点が重要であろう。そして、日中間の三つの政治文書、すなわち「中日共同声明」「中日平和友好条約」「中日共同宣言」の原則を基礎に、「歴史を鑑とし、未来に向かう」という精神に基ついて、両国の善隣友好関係を新たな段階に推し進めなければならない。これらのことによって、人々が心から祈っている日中両国間の永遠な平和と友好を迎えるのは目前に迫ってくるであろう。


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理不尽か、昨今の米・中

2020-09-11 13:50:59 | 日中

以下文は、NEWSWEEK(9月8日)の引用版(原文)ですが、著作権については、承諾なしに利用できる私的利用範囲で記しています。

強固な日米同盟の中、日本が進むべき道を暗示しているかも知れませんが、一専門家の中国観として見るべきでしょうか・・・

 

著者は丸川知雄氏(1964年生まれ、1987年東京大学経済学部経済学科卒業、2001年までアジア経済研究所で研究員、この間、1991~1993年には中国社会学院工業経済研究所客員研究員として中国に駐在、2001年東京大学社会科学研究所助教授、2007年から教授、「現代中国経済」、「チャイニーズ・ドリーム: 大衆資本主義が世界を変える」、「現代中国の産業」等著書多数)です。

経済、軍事でも世界の頂点に立とうとしている有色人種国でもある中国、白人の優位性を譲ろうとしない一部欧米等、世界は益々混沌としてきたようにも思えます。対する日本は強固な日米同盟の中、難しい舵取りになるように思えます。

 

ハイテク企業いじめのような戦略なき輸出管理では自分が傷つくだけだ!

2018年7月に始まったアメリカと中国の貿易戦争は、今年1月に第1段階の合意がなされて、中国がアメリカから2年間で輸入を2000億ドル増やすことに同意したことで、とりあえず一段落したように見えた。

ところが今年5月ぐらいからスマホ・通信機器メーカーのファーウェイをはじめとする中国のハイテク企業に対するアメリカの攻撃が苛烈を極めてきた。中国の経済的な切り離し(デカップリング)がにわかに現実味を帯び、日本企業がアメリカを選ぶのか、中国を選ぶのかと態度決定を迫られる日が刻一刻と近づいてきているようにも見える。

今後、アメリカと中国は新たな冷戦へ突入し、世界経済はブロック化していくのであろうか。

筆者はその可能性は小さくないと思うが、アメリカが冷静さを取り戻すことができれば、アメリカの側から新冷戦へ向かっていく動きには歯止めがかかるはずだと考える。何故ならアメリカがこの新冷戦に勝利できる可能性は、かつての東西冷戦の時に比べて格段に小さいからだ。

 

そう考える理由を説明する前に、2018年以来のアメリカの中国ハイテク企業に対する攻撃の経過を振り返っておこう。

まず2018年4月に、中国の通信機器大手、中興通訊(ZTE)がアメリカ製品を組み込んだ通信機器をアメリカの法律に違反してイランに輸出する罪を犯したとして、アメリカからZTEに対する部品やソフトウェアの輸出を7年間禁じる処分を下された。ZTEは2016年3月に同じ問題で同じ処分を下されていたのだが、その1年後に8.9億ドルの罰金支払い、4人の幹部の解雇、35人の従業員に対するボーナス削減を行うことでアメリカ政府と和解していた。ところが、35人の従業員に対するボーナス削減をやっていないとしてアメリカ政府は2018年4月に禁輸を断行したのである。

ZTEはスマホの主要部品が入手できなくなり、工場の操業停止を余儀なくされる危機に陥った。中国の劉鶴副首相が間に入って減刑を求めた結果、2018年7月に14億ドルの罰金支払と引き換えに禁輸措置が解除された。

一方、アメリカ下院は2012年にZTEとファーウェイの通信機器を通じて通信内容が中国に傍受されるリスクがあるのでアメリカ政府が補助金を出している通信インフラから排除するとともに、この2社によるアメリカ企業の買収は拒否すべきだとの報告書を出した。

その提言を受けて、2019年11月に連邦通信委員会(FCC)は通信のユニバーサルサービス実現のための政府補助金を受けている通信ネットワークでファーウェイとZTEの機器を使うことを禁じた。

さらに2020年6月にはこの2社をアメリカの「安全保障上の脅威」と断定し、アメリカの通信網から追放する政策を確定した。

また、2018年8月にトランプ大統領は、2019年国防権限法に署名し、これによってファーウェイ、ZTE、およびハイテラ(トランシーバーのメーカー)、ハイクビジョン(監視カメラのメーカー)、ダーファ(監視カメラのメーカー)の製品を政府機関で調達することが禁じられた。その1年後には、この5社の製品を重要な部品として、あるいは重要な技術として含むシステムを購入することも禁じられ、2020年8月にはこの5社の製品を使っている企業もアメリカの政府調達から排除するとした。つまり、日本企業だろうが何だろうが、例えば社内の監視システムでハイクビジョンのカメラを使っていたり、社内の通信システムでファーウェイの基地局を使っていたらダメであり、アメリカ政府関係に何かを売りたいのであれば、この5社の製品を使っていないことを証明しなければならないのだという。

 

一方、2019年5月に、ZTEと同じく、ファーウェイがアメリカ製品を組み込んだ製品を許可を得ずにイランに輸出したとして関連会社68社とともに輸出管理規則に基づく「エンティティー・リスト」に加えられた。これにより、ファーウェイはアメリカ企業から部品やソフトを購入できなくなった。

ところが、ファーウェイはZTEと違って苦境に陥るどころか2019年に売上を前年より19.1%、純利益を5.6%伸ばす強靭さを示した。ファーウェイにとって、勿論、クアルコムのベースバンドICやグーグルのアプリが使えなくなることは痛手だったが、以前からこうした状況を予期して準備をしてきたのである。

すなわち、ベースバンドICについては子会社のハイシリコンで設計し、台湾のTSMCに生産を委託して調達したし、アプリについてはヨーロッパなどのソフトウェア企業と組んでHuawei Mobile Service (HMS)という独自の生態系を作った。

ファーウェイがZTEと違って音を上げるどころか、スマホの世界シェアでサムスンを抜いて世界一になろうとしていることにアメリカ政府はいら立ちを強め、今年5月に、外国製造の直接生産物(foreign-produced direct product)なる奇怪な言葉を編み出して、要するにTSMCによるハイシリコンのICの受託生産をやめさせようとした。TSMCはアメリカの半導体製造装置を使っているからアメリカ政府の言うことを聞かなきゃならないのだ、というかなり強引な理屈である。

 

アメリカ政府はファーウェイら中国のハイテク企業を目の敵とし、権限が及ぶ範囲はもちろんのこと、他国の権限に属することにまで圧力を加えることで締めあげようとしている。

このうち、中国製の通信機器を通じて情報が抜き取られる、という疑惑についてであるが、本来、情報の漏出を防ぐ責任は通信ネットワークを運営する通信事業者にあるはずである。

情報漏出を防ぐためには、漏出が起きた時に政府が通信事業者を罰するのが有効であると思う。通信の専門家でもない政治家が中国製の機械は危ないから使うなと命令すれば、通信事業者は中国製を使いさえしなければいいんでしょと考えて、かえって情報の漏出防止に対して必要な対策を怠る危険性がある。

日本政府は2018年12月に民間の通信事業者らに情報漏出や機能停止の懸念がある情報通信機器を調達しないでほしいと要望した。字句通りにとらえるならば、この日本政府の対策の方がアメリカよりも適切である。

 

中国製品は危険なので追放したら安心だ、という論法は、2008年1月に日本で起きた、毒ギョーザ事件に端を発する中国産食品追放運動を思い出させる。当時は、スーパーの棚から中国産と表示された食品が軒並み下ろされ、中華料理屋の入り口には、当店は中国産の材料を使っていませんので安心ですという貼り紙がされた。

いうまでもなく、中国産は危険だから追放し、国産は安全だと信じるのは、偽りの安心をもたらすだけで安全はもたらさない。

国産だからといって細菌や寄生虫などへの警戒を怠れば大変なことになる。実際、2013年12月に日本の冷凍食品工場で日本人の従業員が10回以上にわたって食品に農薬を故意に付着させる事件があり、全国で3000人近くの人々がそれを食べて食中毒になった。国産だから安心だという慢心による手痛い失敗である。

 

輸出管理規則によってアメリカ企業から中国の特定企業への製品やソフトウェアや技術の輸出を禁じるというのは東西冷戦の時に作られた輸出管理の枠組を用いている。

第2次世界大戦が終結した直後から、アメリカとソ連はヨーロッパを東西に、朝鮮半島を南北に分割して対峙し、東西冷戦が始まった。特に1949年にはソ連が初の核実験を成功させ、中国では共産党が内戦に勝利するなどソ連陣営の攻勢が強まり、危機感を高めたアメリカはソ連陣営に対して兵器や兵器の製造に役立つ機械や材料といった「戦略物資」を輸出しないようNATO(北大西洋条約機構)に加盟する西ヨーロッパ各国に求めた。各国の輸出規制の内容を揃える調整を行うための政府間の秘密組織としてココム(対共産圏輸出統制委員会)が1949年秋ごろに作られた。まだ占領下にあった日本もアメリカによって輸出を規制され、独立を回復するやココムの一員となった。

 

成立した当初からココムのなかでは何を、戦略物資に含めるかをめぐってアメリカとヨーロッパ各国との間ですったもんだが続いた。ヨーロッパは経済復興のためにソ連や東ヨーロッパとの貿易を拡大したかったが、ソ連を締め上げたいアメリカは幅広い品目を禁輸にしようとしたからである。

両者の意見が鋭く対立した品目の一つが天然ゴムである。1951年にイギリスはソ連との間で、英領マラヤ産のゴムをソ連に輸出し、その見返りに穀物を輸入する契約を結んだが、天然ゴムは戦略物資だと主張するアメリカはこれを止めようとした。結局、ソ連向けのゴム輸出は止められなかったが、中国は朝鮮戦争で国連軍と対峙していたため、国連決議によって中国に対するゴム輸出が止められた。ところが、中国は国連未加盟だったセイロンから米とのバーターでゴムを輸入し、国連(アメリカ)の禁輸の裏をかくことに成功した。

1984年に起きた、西ドイツ産のデジタル式電話交換機のハンガリー向け輸出をめぐるアメリカと西ドイツの対立も興味深い。アメリカは交換機は軍事転用の恐れがあるとして輸出を拒否したが、これに怒った西ドイツの経済大臣は、この程度の機械がソ連の軍事力に転化するというのであれば、アメリカのソ連に対する小麦の輸出の方がよほど問題である、なぜならアメリカの小麦がソ連兵を養うからだ、と反論した。

 

このように対立が絶えなかったとはいえ、東西冷戦が続いていた間は、何が戦略物資であるかをめぐって今よりもまともな議論が交わされていた。

それに対して、いまアメリカがやっている中国のハイテク企業いじめには、いったいどのような戦略的意味があるのか説明がなされていないし、説明することもできないのではないだろうか。

クアルコムのICやグーグルのアプリは軍事転用も可能だから外国の軍用品メーカーへの輸出を禁じるというのならば理解できる。

中国は反抗的だから中国にクアルコムのICやグーグルのアプリを輸出するのは全面禁止だ、というのも米中関係を決定的に悪くするのは必定ではあるものの、理解可能である。

だが、ファーウェイに売るのはだめだが、ファーウェイと同じ中国の民生用スマホメーカーであるシャオミやオッポやZTEに売るのは特に規制しないというのでは道理に合わない。

5Gスマホは軍事転用可能な製品だから中国に持たせたくないのだろうか。それならばファーウェイだけでなく、シャオミ、オッポ、ZTEに対しても同様の規制を行い、さらにアップルの中国向け輸出も禁止し、サムスンの中国向け輸出も韓国政府に圧力をかけて止める必要があるだろう。

世界最新鋭のIC製造技術を持つTSMCの能力が利用できなくなるのは、たしかにファーウェイにとって大きな痛手である。中国国内にもICの製造を受託する企業がSMICなどいくつかあるが、SMICの能力はTSMCより5年ぐらい遅れている。ファーウェイはSMICなど中国国内の製造能力を使って高度なスマホ用ICを作る努力を行うだろうが、このままTSMCへの製造委託ができないと、中高級スマホの分野で競争力を失う可能性が高い。

ただ、アメリカが安全保障上の脅威を理由とする輸出規制という経済冷戦の手段を使って実現できる成果がせいぜいその程度のショボいものでしかないことは認識しておく必要がある。

ファーウェイは自ら5Gスマホを作る道を断たれたならば、自社の技術を他社にライセンスするだろう。その結果、中国の国民が手にするスマホのブランドはファーウェイから他社に変わるかもしれないが、いずれにせよ最新鋭の5Gスマホが入手できるのである。これで安全保障上の脅威が減じることになるのだろうか?

 

アメリカが中国に対して輸出管理という経済戦争に勝利できるかどうかは、アメリカおよびそれに同調する国々が、中国が他から入手できないものをどれだけ効果的に封じ込められるかにかかっている。ファーウェイを封じ込めても、中国が他からいくらでも代替品を入手できるのであれば封じ込めの効果はない。

今日、アメリカが対峙している中国は、東西冷戦の時のソ連陣営に比べて経済的に格段に強力である。1950年の時点で、アメリカは一国で世界のGDPの27%を占める圧倒的な経済力を持っており、ソ連、中国、東ヨーロッパのGDPを合計しても実質的にはアメリカの6割ほどにしかならなかった。

一方、2019年の中国のGDPは、購買力平価で測ればアメリカより10%大きい。アメリカのコロナ対策の失敗により2020年に両者の差はさらに広まるであろう。

また、1950年の時点でソ連陣営(中国を含む)が世界の輸出に占める割合はわずか8%にすぎず、うち5.4%はソ連陣営のなかでの貿易で、世界経済におけるソ連陣営の存在感は小さかった。

一方、2018年の中国は世界最大の貿易大国であり、世界の輸出の13%を占めている。世界の国々の3分の2以上は中国との貿易額の方がアメリカとの貿易額より多い。

このことが何を意味しているかというと、中国が西側から天然ゴムの禁輸に遭った時に窮地を救ってくれたセイロンのような存在になる国が今ははるかに多いということである。

このような中国を相手に経済冷戦を仕掛けるというのはまともな戦略判断に基づく方針だとは思えない。

もちろん経済冷戦になれば中国だって痛い目にあう。しかし、今や貿易額も実質的な経済規模も中国より小さいアメリカの被る痛手はそれ以上であろう。まして、輸出の2割が中国向けである日本が対中禁輸などしたらGDPの縮小は免れ得ない。

欧米がコロナ禍で沈む中、中国がいちはやく危機から抜け出したこともあり、2020年7月には中国との貿易は日本の貿易額全体の26%を占めるに至った。「デカップリング」どころか日本と中国との経済的な結びつきはますます深まっているのが現状である。くれぐれも経済冷戦には参戦しないようにお願いしたい。

(参考文献)
Adler-Karlsson, Gunnar. Western Economic Warfare: 1947-1967. Stockholm: Almqvist & Wiksell, 1968.
山本武彦「ココム実態とらえ直せ」『朝日新聞』1987年9月6日


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戦後、中国共産党の本音の一部

2020-08-14 13:16:18 | 日中

以下文は素人が精査した古い記録ですが、私達がマスコミ報道から得て来た情報とはかなり違います。戦後の日中間にこのような会話が記録されていますが、私達は目にすることが出来ませんでした。このような考えを当時の中国トップの毛沢東主席が持っていたことに驚きです。8月は、戦後日本にとっても戦争を語る機会が多い月と思いますが、自身が調べた歴史と、GHQが植えつけた徹底的な自虐史観・・・学校等で学んだ歴史と違います。昭和39年、当時の日本社会党の佐々木更三委員長は人民大会堂で毛沢東主席と会った際の下記のような記録が残っています。

 

中国外交部・中共中央文献研究室・編纂「毛沢東外交文選」・1994年 中央文献出版社記載文

*佐々木委員長

今日、毛主席から非常に寛大なお話を伺いました。過去、日本の軍国主義が中国を侵略してみなさんに大へんご迷惑をおかけしたことを申し訳なく思います。

*毛沢東主席
なにも謝ることはありません。日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらしました。おかげで、中国人民は権力を奪取しました。日本の皇軍なしには、わたくしたちが権力を奪取することは不可能だったのです。この点で、わたしとあなたの間には、意見の相違と矛盾がありますね。

日本の皇軍が過去において中国の大半を占領したため、中国人民は教育を受けることができました。もし日本の侵略がなければ、我々は今でも山の中にいて、北京で京劇を観ることもできなかっただろう。
日本の皇軍が中国の大半を占領したからこそ、我々はたくさんの抗日根拠地を作り、その後の解放戦争における勝利の条件を作り出すことができたのだ。日本による資本の壟断と軍閥は我々に対して「好いこと」をしたのだ。
もし感謝が必要なら、むしろ我々が日本皇軍の侵略に感謝したいと思う。

 

*「1961年1月24日、日本社会党議員・黒田寿男との会見談話」
あなたたちは我々の先生だ。我々はあなたたちに感謝しなければならない。
あなたたちがあの戦争をし、中国人民を教育してくれたため、撒かれた砂のような中国人民は団結をすることができたのだ。だから我々はあなたたちに感謝しなければならない。

李大倫著の「毛沢東は日本の侵略に感謝する」講話の由来(日本新華僑報、1月8日掲載)

 

「訪中日本・元陸軍中将、遠藤三郎との談話」、同年、接見した日中輸出入組合理事長、南郷三郎にも同様の話をしています。

1964年7月10日、毛沢東は北京に来あわせた、社会党系の五つの訪中代表団(佐々木視察団、社会党平和同志会代表団、社会党北海道本部代表団、社会主義研究所代表団、全国金属労組代表団)に対し、会見は、人民大会堂で行われ、午後6時から2時間40分にわたりました。中国側からは廖承志、趙安博らが同席しました。当時、北京にいた西園寺公一も同席

 

*毛沢東主席

友人の皆さんを歓迎します。日本の友人の皆さんを大いに歓迎します。我々両国人民は、団結して、共通の敵に反対しなければなりません。
経済の面では、お互いに援助しあい、人民の生活を改善させていくことです。文化の面でも、お互いに援助しあいましょう。
皆さんの国は、経済の面でも、文化の面でも、技術の面でも、われわれの国よりも発達していますから、おそらく、我々がみなさんを援助することは問題にならず、皆さんがわれわれを援助する方が多いでしょう。
政治のことになりますと、まさか、政治の面では、われわれはお互いに支援しあわなくてもよいというわけではないでしょう? 

互いに対立しあうというわけではないでしょう?

数十年前のように互いに対立しあうというわけではないでしょう?
そうした対立の結果は、皆さんにとってはよいことはなかったし、我々にとっても、よいことはありませんでした。

同時に、他方では、それとは逆のことが、皆さんにとっては、有益だったし、我々にとっても有益だったのです。
20年前のあのような対立は、日本人民を教育しましたし、中国人民をも教育しました。

私は、かつて、日本の友人に次のように話したことがあります。
かれらは、日本の皇軍が中国を侵略したのは、非常に申し訳ないことだ、と言いました。私はそうではない!もし、皆さんの皇軍が中国の大半を侵略しなかったら、中国人民は団結して、皆さんに立ち向かうことができなかったし、中国共産党は権力を奪取しきれなかったでしょう、と言いました。ですから日本の皇軍は我々にとってすばらしい教師であったし、彼ら(その日本の友人のこと)の教師でもあったのです。

戦争の結果、日本の運命はどうなったでしょうか ?やはり、アメリカ帝国主義に支配されるようになったではありませんか?

同じような運命は、わが台湾、香港にもみられますし、南朝鮮にもフィリピンにも南ベトナムにもタイにも及んでいます。
アメりカの手は、我々西太平洋並びに東南アジアの全地域に伸びてきており、その手は余りにも長く伸びすぎています。第7艦隊はアメカ最大の艦隊です。アメリカは航空母艦を12隻持っていますが第7艦隊はその半数6隻を占めています。アメリカは、そのほかに、地中海に第6艦隊を持っています。

1958年、我々が金門を砲撃した時、アメリカ人はあわてふためき、第3艦隊〔第六艦隊の誤植〕の一部を東に移動させました。 アメリカ人はヨーロッパを支配し、カナダを支配し、キューバを除くラテン・アメリカ全体を支配しています。今では、その手をアフリカまで伸ばして、コンゴで戦争をやっています。

皆さんは、アメリカ人が怖いですか?

 

*佐々木

私は、中国を訪問した5団体を代表して一言ご挨拶します。

*主席

どうぞ。
*佐々木委員長

主席が、お忙しいなかをわたしたちを接見して下さるとともに、有益なお話をしてくださったことに感謝します。私は主席が、非常にご健康で、中国の社会主義の躍進のために、全世界の社会主義の事業を指導するために、日夜奮闘しておられることを拝見し、ここで、主席に敬意を表します。

*毛沢東主席

ありがとう。

*佐々木委員長

今日、毛主席の非常に寛大なお気持のお話をうかがいました。過去において、日本軍国主義が中国を侵略し、みなさんに多大の損害をもたらしました。われわれはみな、非常に申し訳なく思っております。

*毛沢東主席

何も申し訳なく思うことはありません。日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらし、中国人民に権力を奪取させてくれました。みなさんの皇軍なしには、われわれが権力を奪取することは不可能だったのです。この点で、私とみなさんは、意見を異にしており、われわれ両者の聞には矛盾がありますね。(皆が笑い、会場が賑やかになる)。

*佐々木委員長

ありがとうございます。

*毛沢東主席

過去のああいうことは話さないことにしましょう。過去のああいうことは、よい事であり、我々の助けになったとも言えるのです。

ごらんなさい。中国人民は権力を奪取しました。同時に、みなさんの独占資本と軍国主義はわれわれをも(日本側の記録では、「みなさんをも」となっており、文脈からはその方が適切と思われる)助けたのです。

日本人民が、何百万も、何千万も目覚めたではありませんか。中国で戦った一部の将軍をも含めて、かれらは今では、われわれの友人に変わっています。

*細迫氏

私はかつて長いこと牢獄に入っていました。私のような善良な者まで牢獄に入れられてしまい、病気の妻の看病もできませんでした。このような悪らつな政府に対して、私は、主席のような寛大なやり方はとれません。
こんどの中国訪問は、神戸から中国の「燎原」号という貨物船に乗ってきたのです。日本の友好団体は小船を借り、旗を振り、音楽を演奏して、見送ってくれました。しかし、日本の警察側の小船も、そこを行ったり来たりして、別のある種の行動をとりました。
われわれが中国に着きますと、中国の政府要人と人民が一体となってわれわれを歓迎してくれました。日本も一日も早く、政府と人民が一体となって中国の友人を歓迎できるようにしたいと思っています。

*毛沢東主席

皆さんは上海から上陸したのですか?

*細迫氏

そうです。日本政府のような悪い政府を早く打倒して、人民の政府をつくらない限り、真の友好を実現することはできません。私は、私を虐待した政府を許すことはできません。私は年をとりましたが、遺言の中で、自分の子供に、お前たちは政府を打倒するように、と訴えたいと思っています。

*毛沢東主席

いくつになりましたか?

*細迫氏

67歳です。

*毛沢東主席

私より若いではありませんか! 

あなたが百歳まで生きれば、すべての帝国主義はみんなくつがえされてしまいます。皆さんが、日本政府と日本の親米派をにくんでいるのは、我々が、かつて、国民党政府の親米派-蒋介石をにくんだのと同じです。
蒋介石は、いったいどんな人物だったでしょうか?

かつては、我々と合作して、北伐戦争をやったことがあります。それは一九二六年から一九二七年にかけてのことでした。
1927年になると、かれは共産党〔員〕を殺し、数百万人の労働組合、数千万人の農民組合をきれいに根こそぎにしてしまいました。 蒋介石が我々に戦いを教えてくれた最初の人だというのは、この時のことを指しているのです。
その戦いは10年続きました。われわれは軍隊を持たない状態から、30万の軍隊を持つ状態にまで発展しました。
結果的には、われわれ自身誤りを犯しましたが、これは蒋介石のせいにすることはできません。南方の根拠地を全部失い、2万5000華里の長征を行わざるをえなくなってしまったのです。この席にいる人で(長征に参加した者)、私と廖承志向志です。
残った軍隊はどれだけだったでしょうか?

30万から2万5000人に減ってしまいました。
我々は何故、日本の皇軍に感謝しなければならないのでしょうか? 

それは、日本の皇軍がやってきて、我々が日本の皇軍と戦ったので、やっとまた蒋介石と合作するようになったことです。
2万5000の軍隊は8年戦って、120万の軍隊となり、人口1億の根拠地を持つようになりました。感謝しなくてよいと思いますか・・・

 

これらの会談記録等々が日本国内で報道、議論されることはありません。これらの記述は、私達がマスコミ等々から知りえた自虐史観情報等々とはかなり違い、当時の中国の日本に対する見方を知ることが出来ます。

 


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仁の心

2020-02-06 18:42:39 | 日中

以下文は新型コロナ・ウィルスへの中国の対応に対する、昨今の思いです。厚生労働省・新型インフルエンザに関するQ&A、タウン・ネット東京、ウィキペデイア等々を参考に記していますが、まとまりのない文となり、雑日記とします。

 

第3代アメリカ合衆国大統領、アメリカ独立宣言の起草者の一人であるトーマス・ジェファーソンの名言にThe most truthful part of a newspaper is the advertisements・・・新聞の中で最も真実を伝えているのは広告のみ。

更にNothing can stop the man with the right mental attitude from achieving his goal; nothing on earth can help the man with the wrong mental attitude・・・正しい心を持っている人が、目標達成するのを阻むものは何もない。間違った心を持っている人を助けられるものなど存在しない。
I like the dreams of the future better than the history of the past・・・過去の歴史より、私は未来の夢のほうが好きだ。
これらのトーマス・ジェファーソンの言葉は、今後、先が見えないような中国の新型コロナ・ウィルス感染に当てはめると・・・

 

日々の日本国内の一部メディア等は中国報道は非建設的な重箱の隅を突くような報道が多いように思います。コロナ・ウィルスが発祥した武漢市は1000万以上の人口で2000万人が60才以上の抵抗力が弱い人とも言われ、中国全体で見た場合、人口14億人のうち2億5000万人が60才以上とも言われています。これだけの中国国民を完璧に統治、統制等することは先進国でさえ完璧には出来ないでしょう。対、新型コロナ・ウィルス対応では中国は最善を尽くしていると思いますし、中国側のメディア等々内容から日本に対して率直な情報交換をしているようにも思えます。

今回の新型コロナ・ウイルス発祥でわかった、欧米諸国の一部白人等から受けている黄色人種への差別、堂々と新聞にも差別記事が闊歩(かっぽ)している国もあるようです。いくら経済大国と言えど黄色人種・日本人も同様の差別を受けるかも知れません。同じ黄色人種・アジアの民として中国は日本、日本は中国にとって極めて重要な国だと思います。同盟国米国同様、今日、両国にとって好き嫌いの言葉は意味をなさないレベルにあるかも知れません。日本の輸出における中国のシェアは19%(2014年の日本から米国への輸出は18%)、GDPの3%に相当、国土狭小、資源に乏しい日本が依然として世界の経済的リーダーであり続けているのは輸出産業に依存しているからだと思います。特に中国巨大市場は日本経済に重要な意義を保ち続けていると思います。

中国は日本と違い、共産主義国家ですが、今回のコロナ・ウイルス支援で日本政府ばかりでなく民間企業、多くの一般市民が物心ともに応援していることに他人を思いやる武士道の心・仁(人としての思いやり、他者への憐れみの心、弱き者、負けた者を見捨てない心、他者への思いやり等々)は意識することなく発露されていると思います。

対し、中国政府だけでなく名も無き多くの中国市民が物資支援、特に感染者が日本国内で日本人と分け隔てなく平等に治療を受けていることに感謝している事実は戦後日本でも特筆すべきだと思います。これらに鑑み、今後、日中は隣国と違い、友好は更に大きく変わる可能性を秘めていると思います。

 

日本国内ではマスク不足等が起こっていますが、このような状況でも中国にマスクを送る多くの日本人は中国のコロナ・ウィルス封じ込めを心から願っていると思います。

心温まる支援・・・中国国営メディアの新華社通信の日本語版記事(2月2日ウェブ配信)によれば、林さんのメッセージは中国のSNS・微博(ウェイボー)で絶賛されているそうです。

中国語検定試験などを行っている一般社団法人・日本青少年育成協会(本部・東京都新宿区)が2020年1月31日、中国・北京の事務局経由で湖北省の湖北高校へ支援物資を送っていますが、支援物資箱の下部に小さな文字で「山川異域 風月同天」

と書いていました。この短い文章は1300年前、当時の有力な皇族・長屋王によって詠まれた漢詩の一節で、「山河は違えど、同じ風が吹き、同じ月を見る」の意味のようです。

一般社団法人・日本青少年育成協会 林委員長談・・・支援物資はマスク約2万個と体温計約30個、日中間には不幸な歴史もあり、美しい友好の永い歴史もありました。日中交流のシンボルとも言えるのが鑑真(1300年前、命がけで中国から日本の仏教発展のために海を渡って来てくれたお坊さん)の来日、長屋王が詠んだ詩の一節を通して日中友好の歴史を思い出していただきたいと思い支援物資の段ボール箱の貼紙に記載しました。

 

日頃、ウイルスに無頓着な人達が、メディア報道等により新型コロナ・ウィルス発祥では大騒ぎ・・・インフルエンザでは例年日本国内の年間の推定平均感染者は約1000万人、2000年以降の死因別死亡者数は、214(2001年)~1818(2005年)人と言われています。日本人のインフルエンザの予防接種率は50%程度、2人に1人は予防接種無し、一度も接種したことがない人は30%程度とも言われています。ウイルスに無頓着な人達も新型コロナ・ウィルス発祥 メディア報道等で即マスク買い・・・

米国ではインフルエンザが大流行、CDC(アメリカ疾病予防管理センター)が1月18日に発表したデータでは、感染者数は約1500万人、入院患者数は約14万人、これまでの死亡者は少なくとも8200人以上と言われていますが、本番はこれからです。米国のインフルエンザの死亡者は、毎年少なくとも12000人を超えており、大流行の2017年~2018年には、4500万人が感染、61000人が死亡しています。

米国人口は約3億5000万人で、2017年~2018年には7人に1人が感染、感染者4500万人のうち死亡者数は6万1000人です。現時点でも米国のインフルエンザ感染者数は新型コロナウイルスの1000倍位、死亡者数は27倍位、これらの事実に日本メディアの多くは報じていません。

日本での新型コロナ・ウイルス等情報は中国、中国人の印象が悪くなるようなニュースが多いように思います。これらのニュースで多くの日本人は中国観が大きく変わると思います。

WHO(世界保健機関)事務局長が中国の恩恵を受けているエチオピア人だから中国に忖度して緊急事態宣言を遅らせた等の発言をしている人達、これらに付随して中国を批判し始めた一部の人達も私利私欲、自己中心でしょう。

歴史上、人種差別は様々な地域で見られますが、特に欧州の一部の白人等(米国では黒人がアジア人を暴行)は、有色人種より白人が優れていると考える白人至上主義(白色人種こそ最も優れた人種であり、黄色人種等は白人に比べ劣っているとする人種差別の立場、考え方)の差別思想により、昨今は世界中で多くの罪無き、新型コロナ・ウイルス非感染者もアジア人・有色人種のため罵声を浴びせられています。これらの人達は愚かにも有色人種差別に結び付けようとしているようにも思えます。戦う相手は新型コロナ・ウイルスであって有色人種が敵ではないと言う考えが出来ないものでしょうか・・・

 

今、新型コロナ・ウィルス対応等で私達に出来ることは、今後更に日本国内で感染が増大しても一部メディア等に惑わされることなく、冷静に新型コロナ・ウイルスを正しく理解すれば対応し易くなると思います。

憲法上日本は安全よりも人権が最優先されるようです。今回の対応に担当者等々は苦しんでいる面が見受けられますが、最悪を避けるためにも安倍総理の強いリーダーシップのもと柔軟に整斉とした対応により、先ずは国民の安全を確保してもらいたいものです。

日中は政治体制も違いますし、尖閣等問題山積です。先が見えない新型コロナ・ウイルス感染、私達は更に厳しい現実に直面、直視するかも知れませんが、隣国として任の心を持って出来る限りの支援をすることは両国の未来、日本の国益、何よりも苦しんでいる中国国民への人道上の支援に対し、私達は喜びを感じることにもなると思う昨今です。

 


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国難と超迅速な人道支援

2020-01-28 12:09:19 | 日中

以下文は、過去の内外等の報道記事等々を参考に記しています。

中国で蔓延する新型コロナ・ウイルス、見知らぬウイルスに人類が何時でも発症する可能性を今回の新型コロナ・ウイルス発祥であらためて認識したと思います。

対する、一部日本メディアの重箱の隅を突くような報道もありますが中国は過去、政治的理由等から災害、SARS等の被害に関する数字を隠ぺい、犠牲者数を少なく発表してきたとも言われています。勿論、中国ばかりではありませんが・・・中国が過去、日本の国難、3・11等の大災害時等々において重箱の隅を突くようなネガティブ(マイナス)な報道をしたことはありません。

今回の中国の国難とも言える、新型コロナ・ウイルス発症対応は政治体制等々日本と違い違和感があるかも知れません。日本国内報道では否定的な面ばかりが散見され医療後進国かも知れませんが、中国内の報道を見ると新型コロナ・ウイルス封じ込めに国家として最善を尽くしていると思います。

不思議と世界の先進国等々の中国への物的支援等は極めて少ないように思います。今回の新型コロナ・ウイルスを中国のみならず世界が封じることに失敗した場合、計り知れない被害を出すでしょう。各国は楽観しすぎで、もう中国だけの問題ではないと思います。世界中が知恵を出すべきです。

日本からの人的支援は感染等の問題がありますが、世界最高品質を誇る日本の医療資材等々の物的支援は超迅速に行うべきです。中国側もこれらの超迅速な支援を待っていると思います。

 

今回のウイルス発祥・感染・拡大とは異にしますが過去、中国は日本の国難、3・11の際にも、心からの温かい支援をしています。

当時の温家宝首相は中国政府を代表して日本政府と日本国民に対しお見舞いを申し上げるという電報を管直人総理に送るとともに必要な援助を提供する意思があることを表明しています。胡国家主席は犠牲者の方々に深い哀悼の意を表し、一日も早い復興をお祈り致しますとの電報を明仁天皇に送っています。

中国地震局は3月12日夜、日本の被災者に人道援助を提供するため国際救援隊15人を同月13日朝に派遣すると発表、中国の救援隊は国際救援隊の中で最も早く日本に到着しています。

中国は最初に日本に計3000万元(約19億円)の緊急無償人道支援で過去最高額で、当時の国営新華社通信は四川大地震で日本から支援を受けた恩に報いたいという論評記事を配信しています。

中国赤十字会は同日、日本赤十字社に100万元(約6400万円)を緊急援助、必要に応じた人道援助をすることを決定しています。

一般市民間でも支援の声は高まり、北京の大学生、会社員、有志の若者が仲間に義援金を呼び掛けています。

同日午後、中国国際援助隊は生存者の捜索に必要な設備や救急医療物資など4トンの物資を携行、羽田空港に到着しています。中国政府商務部は14日、毛布2000枚、テント900張、手提げ式応急灯200個等、3000万元(約4億7500万円)相当の援助物資追加支援を決定、初回分は14日、上海から空輸、宮城県登米市に提供されています、第二陣は28日にミネラルウオーター6万本やゴム手袋325万組がそれぞれ宮城県、日赤に提供、第三陣は31日にゴム手袋1万組、仮設トイレ60個、スニーカー2万5000足を提供、さらに別枠で3月16日、中国政府は日本政府の要請に応じてガソリンと軽油各1万トン(1億8000万円相当)を日本政府に対して提供することを決定、4月2日、3日に日本到着、被災地に送られています。

華声在線(中国メディア)は、過去の遺恨による民族主義は天災や人道とは関係ないとし、四川大地震の際に日本が援助したことを受け民族の感情を超越した人道主義と評し、必要なのは学ぶことと助け合うことと伝えています。中国の地方政府や民間機関からの援助となると、さらに枚挙にいとまがありません。

3月19日、東電は中国外務省を通じて中国の三一重工業集団有限公司(三一重工)に高さ62メートルから放水できるポンプ車の購入を打診、三一重工が無償での提供を申し出ています。三一重工は100万ドルのポンプ車を提供したのみならず、技師3人を現場に派遣して技術指導も行っています。この巨大ポンプ車は1台約8500万円で、運搬にかかる費用を含めた約1億円を同社が提供、24日に日本到着後、陸路で福島に向かい、31日より福島第一原子力発電所の原子炉冷却作業を開始しています。

4月1日、中国政府はガソリン1万トン及びディーゼル油1万トンを緊急支援物資として被災地に提供しています。

これらの支援は、中国は大国とは言え、国民は十分な経済状況ではない中、3・11と言う日本の国難に支援してくれたことが報道でも少なく、十分に私達日本人に伝わっていないように思います。

 

武漢を主に極めて困窮している医療資材等々の不足・・・感染することなく日本が支援できることは、日本には多くの中国の定期便(中国航空各社の日本路線、総計1130往復:2019年、11月6日現在)が就航しています。日本の世界最高品質のマスク、防護服、洗剤等々をアウトバンド(中国向け)機の貨物室に搭載出来ると思います。状況によっては航空会社は無償搭載させてくれるかも知れません。有償であっても支援すべきです。

政治体制は違いますが、人道支援に主義主張等の問題は無いと思います。先ずは更なる感染拡大阻止、減速のためには超迅速性が極めて大切だと思います。日本の支援は未来の日中発展に計り知れないものになると思います。

中国の感染・拡大等は極めて深刻と思うべきで、必ず何らかの形で日本に跳ね返ってくると思います。日本の感染者等対応はあくまで限られた感染者数での対応が可能と思います。感染者が一定数以上になった場合、対応は困難を伴うと思います。最悪の国内感染状況になった場合、犠牲者を最小限にするためにも、一元化した国家の強制力は必須だと思いますが、命よりも人権に重きを置く可笑しな日本の憲法には非常事態条項等が無く、他の先進国のようには対応できないでしょう。米国等々の一部個人プログを見ると、このあたりの厳しい策は明確に一線を引いているようです。

日本政府は、国内での新型コロナ・ウイルス感染、感染者等の処置等に対し、最悪を想定した更なる策を講じるべきだと思います。チャーター機の運航も感染者等が確認された場合、運航中止も選択の一つとして考えるべきです。米国同様、帰国者も全員数週間隔離し感染の有無を確認してから帰宅してもらうようにすべきです。これらの策が実行されたら人権侵害と言われる方もいるかも知れませんが感染を防止するための隔離であり国家としても当然の行為だと思います。

新型コロナ・ウイルスを中国が封じ込めるためにも、野党等の皆さんも桜を見る会等ばかりの追及ばかりで無く、新型コロナ・ウイルス対策の代案等々を示した質疑、与野党協力等も大切だと思います。

新型コロナ・ウイルスと闘っている中国の人達、世界最高品質の日本の医療資器材等々の超迅速な、隣国よりも隣国な中国への支援は、人道上も必須だと思う昨今です。


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周恩来ここに学ぶ・・・東亜予備高等学校跡碑

2019-04-12 18:49:03 | 日中

中国の周恩来氏と言ったら日本人で知らない方が少ないくらい日中間に影響を与えた人で、困難であった戦後の日中国交を成し遂げた人です。

以下文は周恩来・十九歳の東京日記・小学館文庫1999年、ウィキペディア等々を参考に記しています。異論が多々あると思いますが、素人の周恩来氏への思いです。

 

周恩来ここに学ぶ・・・東亜予備高等学校跡の碑は、東京都千代田区神保町の愛全公園内にあります。何故、この地に周恩来氏の碑があるかと言うと若きころ来日し、この地で多くを学んだと言われ、以後中国での両国の友好発展を込めた対日策に極めて大きな影響を与えたと思います。

 

周恩来(しゅう おんらい、1898年~1976年)氏は中華人民共和国建国1947年以来、77才で亡くなるまで首相(政務院総理・国務院総理)を務めています。文化大革命には反対で、これらの激動期を生き抜き、西側世界との国交を目指していました。

日本にとって忘れることが出来ない1972年・・・田中角栄首相と日中共同声明に調印したことでも有名です。妻は鄧穎氏、子女は孫維世氏(養女ですが文化大革命で迫害死)、李鵬氏(養子ですが、後の国務院総理です。)

1972年、米中国交正常化交渉を前進させ、アメリカ大統領ニクソンの訪中を実現させています。同年、日中のスポーツに理解を示し、ピンポン外交により訪中した内閣総理大臣・田中角栄氏と数度にわたる交渉に臨み、日中共同声明に調印、日本との国交正常化を実現しました。調印式で交わした田中角栄との固い握手とその写真は時代の象徴と有名です。

共同声明等の一部の要約・・・日中両国には様々な違いはあるが、小異を残して大同につき、合意に達することは可能である、わが国は日本に賠償を求めない。日本人民も我が国の人民と同じく軍国主義者の犠牲者である。賠償を請求すれば、同じ被害者である日本人民に払わせることになると話しています。

 

周恩来氏は中国・江蘇省淮安の官僚地主出身で13才となった1911年に辛亥革命勃発、翌1912年清朝が崩壊し中華民国建国、1913年天津の南開中学校入学、中学卒業後の1917年日本留学、日本語の習得不足で第一高等学校、東京高等師範学校受験に失敗し、東亜高等予備学校(日華同人共立・東亜高等予備学校)、東京神田区高等予備校(法政大学付属学校)、明治大学政治経済科(旧政学部・現政治経済学部)にて多感な時期に多くを学んでいます。日本で学んだ知識を更に中国で進化させたとも言えると思います。

勉学に励むと共に、友人と活発に交流し中国の将来について語り合い、日比谷公園、靖国神社、三越呉服店、浅草等を積極的に回っています。

特筆すべきは、1918年5月1日には靖国神社の大祭見物・・・それを見てはなはだ大きな感慨(心に深く感じること。)を催す(引き起こす。)と記しています。6月2日には游就館を訪れたことも記しています。

日本社会、日本人についてもよく観察しており、これらを理解することにより知日派としての基礎を作ったとも言われています。隣国・韓国等とは全く違う捉え方で、日本で学んだことによりファンダメンタル(基礎的な諸条件等)を正しい歴史観、世界観で捉えていると思います。

1972年の日中国交正常化後初の中国人留学生として来日した、知日派である程永華(2010年2月~2019年4月まで駐日中国大使)氏にも周恩来氏は大きな影響を与えたと思います。異論があるかも知れませんが、中国は共産国家ではありますが、これらの基礎的史観等で、今日世界から中国が大国と言われる所以(ゆえん)かも知れません。

1918年、留学生の一斉帰国運動も起きますが、即帰国せず冷静な対応をしていることが分かります。一旦中国に帰りますが、再来日・・・母校の南開学校が大学部を創設するということを知って帰国しています。

1920年パリ留学、労働党の研究のためにイギリスに渡り、エディンバラ大学に入学を許可されますが中国政府からの奨学金が下りずに断念しフランスに戻ります。その後、中国共産党フランス支部を組織、ヨーロッパ総支部が作られるとその書記となっています。この留学時代の仲間には李立三や鄧小平、陳毅、朱徳など後の中国共産党の幹部となった者が多数いました。

 

1919年4月5日、帰国のため船に乗る神戸に向かう途中、京都の嵐山に寄って歌った詩「雨中嵐山」は、嵐山(亀山公園)の周恩来記念碑に刻まれています。

正式には周恩来副総理詩碑で碑文は漢文ですが、日本語では次のように読むようです。

 

「雨中嵐山」

雨の中を二度嵐山に遊ぶ

両岸の青き松に、いく株かの桜まじる

道の尽きるやひときわ高き山見ゆ

流れ出る泉は緑に映え、石をめぐりて人を照らす

雨濛々(霧・煙・砂ぼこり・ 湯気などが一面に立ちこめるさま)として霧深く

陽の光雲間より射して、いよいよなまめかし

世のもろもろの真理は、求めるほどに模糊(はっきりしない様)とするも、模糊の中にたまさかに一点の光明を見出せば、真(まこと)にいよいよ、なまめかし(みずみずしい)。

日本・京都、1919年4月5日

 

上記の碑は1978年8月、日中平和友好条約が調印され、この条約調印を永遠に記念し子々孫々にわたる友好を願う心を表わしたいという声が巻き起こり、京都にゆかりの深い、日中両国友好のために尽された周恩来総理の詩碑を建立しようという運びに至り建立されています。

当地では有名な筋金入りのマルクス主義者、河上肇の著書で初めてマルクス主義に触れ、京都大学でその講義を聴講しています。

1919年4月帰国、南開大学文学部入学、その直後に中国近代史の起点となる五・四運動(1919年パリ講和会議・ベルサイユ条約の結果に不満を抱き発生した中華民国の北京から全国に広がった抗日、反帝国主義を掲げる大衆運動)が起き、周恩来氏は学生運動リーダーで頭角を現しています。

日本滞在中の様子は、周恩来・19才の東京日記が詳細に記録しています。

 

記念の植樹としては東京都八王寺市内の創価大学には、周桜と呼ばれる桜があります。故周恩来総理を記念するために植えられたものだそうです。

周恩来氏は1972年に膀胱癌が発見されましたが、その後も休むことなく職務を続けましたが、病状は悪化の一途をたどったようです。周恩来氏を研究していた研究者の疹心文氏によれば、病に倒れてから何時の日か何処かに行けるなら日本に行きたいとの希望を持っていたとも言われています。日本に対する思いを垣間見ることが出来ます。

日中には理不尽な難問等々が山積していますが隣国・韓国等と違い、毛沢東、鄧小平、習近平氏等の中国共産党・歴代最高指導者は天皇の歴史、権威を理解し、天皇を擁する日本の本質を理解しているのは間違いないと思います。

日本に対する厳しい策は今後も変わらないと思いますが周恩来氏同様、物心とも理解する努力をされている知日派の人達は、日中の理不尽な難問等々にも良い知恵を出すと思います。

 

周恩来氏の名言

若者が何度かつまずいたり、障害にぶつかったりしない者はいない。
これらの難問にぶつかっても落胆してはならない。
一番苦しい時でも、気を落としてはならない。
前進を続ける気概をもて、勇気をもて。
希望の光が、我々を照らしている。

私達は経験ばかりから学ぶことなく、正しい世界、歴史観を学ぶことは未来の日中関係をより確かなものにすると思います。


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客家(はっか)18の教え

2018-10-27 14:54:27 | 日中

以下文は、客家(はっか)大富豪の教え・Kindle版・甘粕 正 (著)、ウィキペディア等々を参考に記しています。

 

客家(はっか)と聞かれても、?と思える方も多いと思いますが東洋、中国の血統的ユダヤ人(スファラディー・ユダヤ人)のことです。

先ず、このユダヤ人は2つに分けられます。有名な旧約聖書に記されているユダヤ人はアブラハム→ヤコブ→イサクの流れでスファラディー・ユダヤ人(主に黄色人種、イエス・キリストも同様)と言われ血統的なもので本当のユダヤ人です。

対し、世界の金融等々を支配しているのがアシュケナージ・ユダヤ人でユダヤ人と言った場合この方達を指し、世界のユダヤ人(約1340万人)の90%を占めています。

この人達は宗教がユダヤ教で、カスピ海周辺のカザール地方が出自となるようで旧約聖書に出てくるユダヤ人とは何の関係もありません。表に出ることはありませんが、タルムードを信奉していると言われています。有名なのが小説・アンネの日記に登場するアンネ・フランク等々です。

日本のタブーの一つとも言われている日本と古代ユダヤの関わり、一説では日本はスファラデー・ユダヤ人の最終到着地とも言われており、ユダヤ人(スファラディー)の全部族「12部族+レビ(祭司)」が到着しているとも言われています。これらは神道等となり天皇を頂点とする日本の核・国体を成しているとも言われています。

これらの事実が信頼出来、分かりやすく記されている本は三笠宮殿下の御著書「古代オリエントと私」、江上波夫著「騎馬民族王朝説」がお勧めです。江上氏は毎年正月皇居で行われる講書の儀で、過去に昭和天皇の前でこれらの概要を解説されているようです。

 

紀元前700年位前に国家を失ったイスラエル人達は預言どおり、東の島々を目指しますが途中、中国に残ってしまった部族、これが客家と言われ、秦 (紀元前、約700年~200年位)の末裔とも言われています。客家(はっか)はよそ者でもあり土地所有ができないため、多くが商人、金融業になっていますが政治にも関心を持つ人も多く、客家(はっか)の多い地域は政治に強い影響を与えてきたようです。客家出身の政治家には鄧小平、洪秀全、台湾総統の李登輝、シンガポール建国の父リー・クアンユー、フィリピンのアキノ大統領・・・陽明学の陽明、朱子学の朱子、水戸学思想の祖「朱舜水」をも誕生させた優秀な民族と言われています。客家(はっか)は、華僑・中国人社会に多大な勢力を持つ集団で、全華僑で客家が占める割合は10%にもなりませんが、華僑経済の30%以上で大富豪を多く輩出しています。

 

中国本土外で国籍が中国にある中国系人口を華僑といい、国籍が居住国にある中国系人口を華人と言われています。少し古い統計ですが、中国本土以外の華僑・華人人口は、台湾・香港・マカオに2700万人、他世界に2300万人(アジアは2000万人)で、合計5000万人程度(参考記事、若林敬子「中国人口超大国のゆくえ 」・岩波新書・1994)だそうです。華僑の総資産は世界で100兆円以上とも言われています。(小平 和良・日経ビジネス上海支局長執筆記事)

 

世界経済を裏で動かすといわれる人物を輩出している客家に伝わる、幸福になるための18の金言は客家の老人の導きによって成長してゆく一人の青年実業家の物語に託して伝えるものです。客家の教えは東洋のユダヤ人達に今も守られているそうで、興味ある内容が記されています。

 

特に1番目の言葉は、大変有名な言葉です。この一番だけでも理解すれば何かの参考になると思います。

 

客家(はっか)、18の教え

1 運は親切をした相手の背中から来る。

「人との出会いは決して偶然ではなく、頑張っている人間を必ず誰かが見ています。他人に親切にしても、その人から何か返ってくることはまずありません。しかし、その人の友人やそれを見ている人間が必ずいて、その人達から運を与えられます。つまり、自分の運をコントロールすることは可能なのです。」

2 許す事を知れば、運命は変えられる。
3 退却は重要な才能なり。

4 何を始めるかに最も時間を費やすべし。
5 ビジネスには大義名分が必要なり。
6 準備していなかったチャンスはリスク
7 小さい約束こそが重要なり。
8 家族を蔑ろにする者は成功せず。

9 お金に使われず、お金を働かせるべし。
10 50人の仲間が成功の核心となる。
11 金鉱ではスコップを売るべし。
12 安売りには必ず終わりがやって来る。
13 嫉妬は成功の敵、愛嬌は成功の素
14 物事は因数分解して考えよ。
15 汗ではなく、考える事こそが富を生む。
16 笑顔はコストゼロの最良戦略
17 「ありがとう」は、必ず声に出すべし。
18 欲望に忠実になる為にこそ禁欲的に。

 


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孝、忠、義、智,勇を大切にしていた、中国4大美人の一人・貂蝉(ちょうせん)

2018-10-08 14:38:37 | 日中

以下文はDVD・三国演義(义)、ウィキペディア等を参考に記していますが、三国演義・第八話を主に一個人が視聴した感想です。

三国演義は中国の長編小説で、四大奇書(中国で元代から明代にかけ、俗語体で書かれた4つの長編小説の総称)の一つで羅貫中(らかんちゅう:中国の元末・明初の作家)の作と言われています。三国志に基づき、三国時代の歴史を虚構を交えて演義したもので、蜀(しょく)の劉備(りゅうび)・関羽・張飛・諸葛孔明ら英雄豪傑の活躍と運命を通俗的に描いています。日本では江戸時代に訳出されています。

この三国演義・映画(全84集)を見ると中国の意外な面を垣間見ることが出来ます。特に「第8話」に登場する中国4大美人の一人・貂蝉(ちょうせん)は日本の武士道にも出てくる「考」、「忠」、「義」、「智」、「勇」等を有しており、現代の多くの中国の人達も視聴者数等々からしても考、忠、義、智、勇を理想としているようです。

「義」・・・人道に従うこと、道理にかなうこと。
「智」・・・物事を知り、弁えていること。
「忠」・・・心の中に偽りがないこと、主君に専心尽くそうとする真心。
「考」・・・おもいはかること、工夫をめぐらすこと。親孝行すること。
「勇」・・・勇気

余談になりますが、これらは中国の儒教の中の一つのようですが、新渡戸稲造(にとべ・いなぞう)の武士道を読むと日本の武士道が中国の儒教に大きな影響を受けていたかと言うと影響は受けていないと思います。

そもそも、武士道は鎌倉時代位に武士が発生(当時は貴族等を守る人達・・・)、生死の隣り合わせて生きた生活倫理から生じているようです。武士道は日本特有の倫理観であり、千年位の歴史を有しています。中国儒教が武士間に普及したのは江戸時代で、徳川家康が戦乱のない平和な時代、武士の内面を儒教思想で理念化するために広めたように思います。武士道は「葉隠れ」のように江戸時代に文書として表しています。武士道は現代の多くの日本人の内面にも間違いなく受け継がれていると思います。

 

本題の第八話!

後漢朝廷の高官・王允(おういん)との約束を守り、使命を全うする「智」と「勇」の女性、王允の国を憂うる心を知って、なんとかこれを助けたいと思う「孝」と「忠」と「義」の女性、中国4大美女の一人、貂蝉(ちょうせん)・・・美人、儒教的道徳観から見ても、現代の多くの中国国民は女性の理想像を見ているようです。

中国での原題は三国演义で羅貫中作の通俗歴史小説・・・三国志演義を題材とした中国中央テレビ製作のテレビ・ドラマシリーズです。

日本ではテレビ放送、ソフト化された際の邦題は三国演義等です。1991年7月に中国が国家的事業として製作開始し、製作費は当時の日本円で100億円以上、動員中国軍のエキストラは延べ10万人以上で中国映像史上空前の規模で行われています。

現実感と迫力の追求のため、CG、ミニチュアは用いず、曹操が建築した銅雀台や赤壁の戦いの陣営のセットは全て原寸大で再現、赤壁の戦いの撮影はそのセットや船舶を実際に燃やして行われています。武将の一騎討ちの場面も、武将役の俳優が代役のスタントマン無しで行っています。韓国歴史映画と比較した場合、物・心ともスケールが違い、凄いの一言です。レンタル・DVD、ユー・チューブでも無料で見れます。日本では、過去NHK衛星第2テレビジョンで1995年4月~9月までに日本語吹き替えで放送、再放送もされています。

中国では3年の収録後、1994年旧正月に第1話が放映されると大反響をとなり、放送時間になると中国の繁華街から人が消えたと言われ、如何に関心が高かったが分かります。

この三国演義では、第八話で一人の美人女性が出てきますが、この女性は中国4大美女の一人と言われる「架空」の美女、貂蝉(ちょうせん)です。中国4大美人は、春秋時代の「西施」、漢代の「王昭君」、唐の「楊貴妃」、後漢末の「貂蝉」です。この中で三人は実在女性ですが、貂蝉だけは小説・三国演義の中で作り出された架空の人物です。貂蝉(ちょうせん)と変な名前に思えますが、貂は動物のテンのことで、蝉はセミです。もとは武将のかぶり物、冠、帽子のようです。南北朝時代では、このかぶり物で貴人に仕えた女性を貂蝉と呼ぶようになったようです。

 

後漢の王朝は2世紀の終わりごろから外戚(皇后の親族)と宦官による権力争いが続いて混乱し政治的な空白ができるのですが、そこにもぐり込んだのが董卓(とうたく)という軍人です。

彼は後漢の宮廷に入り込んで専横を極めるのですが、それに対して曹操の呼びかけで反董卓連合が出来ますが、この中には三国時代の英雄・劉備、関羽、張飛もいます。

董卓には呂布という義理の息子がいて、この呂布は兵(つわもの)で強く、劉備、関羽、張飛の三人が力を合わせても完全には打ち負かすことが出来なかったほどです。

反董卓連合軍は董卓を追いつめますが分裂し、やがて崩壊します。

董卓は幼い献帝(後漢最後の皇帝)を連れて洛陽から長安に移ると更に横暴になり、機嫌を損ねると命を奪われるかわからないので誰も何も言えません。そこで以前も董卓を亡き者にしようと謀った後漢朝廷の高官・王允(おういん)が連環の計を企てます、その連環の計とは、美女を使った策略です。

董卓の義理の息子・呂布は三国演義最強の武将と言われます。もともとは并州刺史の丁原の養子でした。名馬・赤兎馬(せきとば)に心奪われて養父を裏切って亡き者にし、董卓の義理の息子となります。

ある夜、王允は董卓の横暴ぶりに国の前途を憂えて眠れず、庭を散歩しているとこの家の歌妓・貂蝉が月を眺めながら深いため息をついています。彼女はこの年16才、子供の頃から屋敷内で我が子同然に可愛がっていた少女です。王允が心配し、声をかけると貂蝉は自分の心配事を打ち明けます。

近頃ご主人様はお国のことで悩んでいらっしゃるご様子、どうにかしてさしあげたいが、か弱い女の身で何もして差し上げられず、こうしてため息をついていたところです。

王允はこの話を聞いて驚き、彼女の顔をじっと見つめ、はたとあることを思いつきます。

そこで貂蝉を画閣と呼ばれる美しい部屋に連れていき、彼女に向かって何度も拝礼し涙を流して、董卓と呂布の父子を美女連環の計で滅ぼそうと思う。ついてはその任を引き受けてはくれまいかと頼みます。

貂蝉はこれを引き受けます。王允は再び頭を下げ、この話はくれぐれも漏らさぬようと念を押します。

こうして王允は貂蝉を娘として呂布に引き合わせますが、呂布は彼女の美しさに心奪われ、すでに正室があるゆえに側室として彼女をもらい受ける約束をします。

側室として嫁がせるためには良い日取りを選ばなくてはなりません。それに手間取っている間に、王允は貂蝉を董卓にも会わせ、彼もまた彼女の美貌に心奪われます。その様子を見てとった王允は即座に「この娘を董卓様に献上したいと思いますが如何?」と聞きますと董卓は大喜び。

こうして貂蝉は呂布に心惹かれながらも二人の間で双方に良い顔を見せ、時には涙を流したり自ら命を絶つ真似をしてみたりして迫真の演技を繰り広げ、呂布の董卓への憎悪をかき立てていきます。やがて呂布は王允に打倒董卓をそそのかされてその気になり、登城の途中で董卓を倒します。

その後呂布は貂蝉を側室として迎え入れ、下邳の戦いでは正妻とともに呂布の出陣を引き留めていますが、貂蝉をめぐる記述はここで終わりますが、中国人にとって考、忠、義、智、勇を有している彼女の生き様は、心の中に強烈に焼きついているようです。現代も中国人の女性の理想として生き続けていると思います。貂蝉が三国演義に出てくるのは上記の場面だけなのですが、素晴らしい中国美人の演技を見ることが出来ます。

 

何故、彼女は四大美女とされるまで中国の民衆の心をとらえたのでしょうか?

まずは、三国演義が中国人からとても愛された物語だということがあるようです。皆が知っている、ほとんど男ばかりの中の物語に出てくる美しく、しかも男顔負けの度胸を持った少女が貂蝉です。彼女は美しい人です。

さらには秘密が漏れれば命を奪われる可能性があるのに、最後まで王允との約束を守り、自分の感情に流されず使命をまっとうする智と勇の人でした。

彼女は父でもあり主人でもある王允の国を憂うる心を知って、なんとかこれを助けたいと思う孝と忠と義の人でもありました。

このように美人であるとともに、儒教的道徳観からいって人としてもすぐれていたところに、中国の多くの民は、おそらく女性の理想像を見ていたでしょう。

貂蝉がこの物語の中で活躍した時の年令は16才、中国古典で16才はよく年方二八と書かれますが、これは28才ではなく、2×8で16才のことだそうです。昔の中国美女とは一般に15才~20才の女性で、これ以上の年令の女性は美女の範疇に入れなかったそうです。

古来から現代まで中国の人達が持つ、美人、女性像・・・この映画第八話で、多くの中国民の女性の理想像を知ることが出来ました。この理想像が男女問わず具現化できれば日中の諸問題も和らぐようにも思う昨今です。


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日中戦争の一側面

2017-08-12 09:27:00 | 日中

以下文は、毛沢東・竹内実(翻訳)、 毛沢東語録(平凡社ライブラリー)、平尾治・或る特種情報機関長の手記・我が青春のひととき・1987年、ウィキペデア、李大倫著の「毛沢東は日本の侵略に感謝する」講話の由来、日本新華僑報等々を参考にしています。

意味不明文等多いかと思いますが、まとまりが無い散文、日記程度の内容です。

今でも中国(一部の日本人も)では、日本は過去中国を侵略したから謝れと言いますが、真相・真実の一部を知ることは両国民にとっても大切だと思います。

 

北京の南にある盧溝河(ろきょうがわ)に架かる橋が盧溝橋(ろこうきょう)・・・1192年完成、全長266.5m、11幅のアーチからなり、各アーチは長さ11m、橋の欄干にはそれぞれが異なる表情や姿をした計501基の獅子の彫像が置かれています。かつてこの地を訪れたマルコ・ポーロは著書・東方見聞録で、この橋が世界中どこを探しても匹敵するものがないほどの見事さと記しています。

昭和12年7月7日夜半、盧溝橋の近くに駐屯していた日本軍は夜間演習を行っていましたが、突如、暗闇から日本、国民党両軍は実弾銃撃を受けました。日本軍駐屯地付近には、国民党軍(蒋介石軍)も駐屯していました。

日本軍は銃撃は国民党軍によるものと思いこみ、国民党軍は日本軍の銃撃と思い、両軍の武力衝突が起こりました、これが盧溝橋事件です。現在でも中国が事ある毎に、日本軍国主義の歴史的事実として引っ張り出しますが、日本軍が仕掛けたものでは無いと言えそうです。 

この事件を契機として、日本は広大な支那大陸を舞台に、昭和20年8月15日の終戦迄、日中戦争と呼ばれる終わる事の無い戦争の泥沼へと引きずり込まれていきました。中国の裏には蒋介石を支援する国、組織が存在し、日本の泥沼化の主因となったようです。

日本軍が最初に銃撃を受けた時、日本軍は実弾を携行していませんでした。橋本群・陸軍中将(駐屯軍参謀長)は当時の状況を実弾を持たずに発砲された為、応戦出来ず、非常に危険な状況に置かれたと証言しています。空砲の他に、万が一の場合に備えて各自実砲30発を携帯していましたが実砲は厳重に包装され、間違っても使用できない状態になっていました。(木綿糸でグルグル巻きしていました。)
空砲による演習は中国側に予告する必要はありませんでしたが、中国側の特別の希望により、当日の夜間演習は4日に通告してありました。更に同中隊はその夜の演習に鉄帽さえ携行していませんでした。 

 

じゃ、盧溝橋で先に銃撃したのは?

事件当時、記録では国民党軍も日本軍同様、銃撃を受け、国民党軍は日本軍によって銃撃を受けたものと思い込んでいます。

この事件が発端となって、日本軍と国民党軍は交戦状態に突入したのですが、やはり双方共、腑に落ちない点が多々あり、現地解決、事件不拡大方針で交渉し発生後5日目に、日支両軍は停戦協定を結びました。日本軍はこれ以上、事を荒立てたく無い、支那との全面戦争等、最初から欲していなかった状況が分かります。

 

日本軍・国民党軍双方に銃撃を加え、双方を戦わせる様にし向けたのは、一体誰か?

以下文は、「平尾治・或る特種情報機関長の手記」・我が青春のひととき・1987年

天津の支那駐屯軍司令部内設置の特種(ママ)情報班は、無線による情報収集に任じていました。その一通信手は、蘆溝橋事件が発生した7月7日の深夜、北京大学構内と思われる通信所より延安の中共軍司令部の電台に対し、緊急無線により、平文(ヒラブン)の明碼(ミンマー)(秘密でない電信の数字番号、中国では数字を用いて送信)で、「2052 0501 0055」(成功了――うまくいった――)」と三回連続して反復送信しているのを傍受しました。該通信所よりの送信者、送信の情報源及び情報経路等は不明ですが、その情報源の関係者は、前述の7日午後10時40分頃の第8中隊仮設敵の空包発射と同中隊後方からの中国軍の実弾発砲とをもって、日中両軍を衝突させることに成功・

 

支那事変勃発直後(8月22日)

毛沢東、「中共中央の陕北洛川での政治局拡大会議・指示」
冷静になれ。前線に出て抗日英雄に充当させられるな。日本との正面衝突を避け、日本軍の後方に回って遊撃戦に出ろ。
八路軍(国民党軍の中に送り込んだ中国共産党軍の名前)を拡充させるため抗日遊撃拠点を構築しろ。
あらゆる手段を用いて我が党の武装力を蓄積し、拡大しろ。
政府から前線に赴けとの命令が来たら、さまざまな言い訳をして引き伸ばせ。
日本軍が大々的に国軍(国民党軍)を殺傷して初めて、我々には抗日効果が転がり落ち、国民党から政権を奪取することができるのだ。

我々中国共産党員は必ず、国民党と日本人との殺し合いと言う天が与えた機会に乗じ、日本の中国占領と言うすばらしい時機に乗じて自己を発展させ、抗日戦争の勝利後は、疲れ果てた国民党を打倒して、必ず全中国を手中に収めなければならない。

我々共産党員の方針は、日本軍に多くの土地を占領させ、蒋介石、日本、我々の三国志を現出させることだ。
これは我々には有利な形勢だ。
我々が厳格に遵守しなければならない方針は、「(力の)一分は抗日、二分はいい加減にあしらう、七分は発展、そして十分は宣伝」である。
いかなる者、いかなる組織もこの総体的方針に違反してはならない。

戦後、日中多くの方々の真相を知りたいと言う研究者の努力があり、一定の結論を得ています。やはり、戦いを好くする人達が戦いを仕向けてたと言うことが出来ます。

 

盧溝橋事件で避けて通れない人物!劉少奇!中国共産党の後ろに見え隠れする黒幕!

毛沢東の次に位置する劉少奇(りゅう しょうき)は、中華人民共和国の政治家、第2代中華人民共和国主席(国家主席)などを務め、中国共産党での序列は毛沢東党主席に次ぐ第2位でした、文化大革命の中で失脚しています。

当時の「劉少奇」がこの日本、国民党両軍に対する攻撃部隊の共産党軍を企画指揮したと思うのが自然と言えそうです。

答えを得るために、特に精査する必要がある援蒋ルート(香港方面、ビルマ、仏領インドシナの3つがありますが、仏領インドシナ領ルートは50%以上の物資を運んでおり、日本の仏領インドシナ進駐の主因となったようです。)の背後は何処の国?、組織?・・・当時の状況、記録、言い伝えが中国等々に存在、特に当時の劉少奇の周辺、動きを精査したら意外な一面が出てきます。現代の北朝鮮問題の黒幕・・・

現在は審陽市沈河区、中国特有マンション在住、張兵武氏、当時の劉少奇の警備隊長でした晩年の細部まで知っています。

両国の戦争を好くした両国以外の人達がいたと言うことが言えそうです。

内外の文献等々で援蒋ルートの細部を知ることは日中戦争の真相を知ることになるかも知れません。

1969年11月12日、劉少奇は失脚後は常に監視、自由を奪われ、中国内のスファラディー・ユダヤ人の町、河南省開封で妻、家族、身内に看取られることなく、監視人のもとで、世への深い恨みの辞世の句を残し亡くなりました。

劉少奇は、聖書に出てくる生粋の血統的スファラディー・ユダヤ人で、時の支配者に利用されたと言えるかも知れません。

 

これらの事実を調べると、現共産党中国に日本は本当に謝る必要があるのか、対中戦で戦ったのは国民党軍だったはずです、素人ながら疑問が残ります。 

過去、村山富市・元首相は当地を訪問した時、盧溝橋で往事を反省してきた等、可笑しな発言をしています。この発言は後世日中間に楔を打ったように思えますし、両国の未来にとって極めて不幸な発言だったと思います。

私達が学んだ盧溝橋事件とはかなり違います。 日本は盧溝橋事件の当事者でないことは明白です。

 


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中国で親子の心を掴んだドラえもん

2016-11-02 14:42:25 | 日中

以下文は、主に劉 瀟瀟氏・三菱総合研究所 政策・経済研究センター研究員の記事、環球時報、ウィキペデア、WSJ等々を参考にしています。

ドラえもんは、2008年には日本のアニメ文化大使

2013年には2020年東京オリンピック招致の招致スペシャルアンバサダー(特別大使)にも就任していました。

ドラえもんが「尊敬」、「友情」と言った価値観を体現していることがオリンピック誘致を成功させる上で重要な支援になったと言われています。東京オリンピック誘致を、ドラえもんが支援していたことを私自身知りませんでした。

 

中国で親子の心を掴んだドラえもん。今も中国ではドラえもんは大変人気者で、DVDだけでなく、今もテレビ放送等されているそうです。

ちなみに登場人物の中国名は・・・

ドラえもんは、「机器猫」・ロボット猫の意味で「チー・チー・マオ」
のび太は「大雄」・「ター・ション」
ジャイアンは「阿胖虎」・太った虎ちゃんの意味で「アー・パン・フー」
スネ夫は「小夫」・「シャオ・フー」
しずかは「静香」・「チン・シャン」
ジャイ子は「阿花」・「アー・フォア」等々

過去のネット上(日本語訳)では、1979年から始まった人工増加抑制策の一人っ子政策が大きく影響しているとも言われています。一人っ子政策は1979年から始まっています。人口増加を抑制するための政策です。

両親は仕事、兄弟、姉妹がいない一人の寂しさを埋めてくれるドラえもん・・・一人っ子、のび太をドラえもんが助けてくれます。

「STAND BY MEドラえもん」の脚本は、「三丁目の夕日」シリーズ、「永遠の0」などを手がけた山崎貴、監督は「friends もののけ島のナキ」を手がけた八木竜一と山崎貴の共同監督です。シリーズ初の3D作品で、ドラえもんを再構築した作品でもあります。藤子・F・不二雄生誕80周年記念作品となっています。

第38回日本アカデミー賞、最優秀アニメーション作品賞受賞作です。

 

「STAND BY MEドラえもん」は、2015年5月28日に初めて中国で公演されました。

ドラえもんとの出会いから別れを描いていますが大冒険はありません。のび太(一人っ子)が難問等々を起こした時にはドラえもんが登場、のび太を助けますが、ドラえもんの魔法の道具で困難を切り抜けます。困ったことは何でもドラえもんに相談します。子どもたちを熱中させる、魔法の道具ばかりを使用しす過ぎると問題が発生、さあどう対処するか。

のび太が結婚し、大人になったドラえもん、最後に父に別れを告げる場面は親子の心をジーンとさせます。ドラえもんの根底に流れる、「尊敬」、「友情」と言った価値観を何気なく、子供たちに教えているように思えます。

ドラえもんは子供達に害を与えることがなく、大人達も安心して子供達に見せることが出来ます。この安心感が中国でも根付いたと思います。家族でも安心して鑑賞できることを両国民の親達は知っているからでしょう。

 

中国での、「STAND BY ME ドラえもん」は大ヒットし、開始4日間で収入は47億円を突破し最終的には中国国内で105億円の興収を上げています。

過去のフォーブス誌の寄稿記事では、カンフー・パンダ2が持っていた1日の興収記録を塗り替えています。公開、4日間の興収でも、ヒックとドラゴン2の記録を上回っています。

日本での封切りは、公開開始後3日間興収が約10億円で、世界全体での興収は、中国での上映開始前の時点で106.7億円と、日本映画としては凄い人気でした。

中国の映画評価サイト、豆板(Douban)では10点中8.6点を獲得しています。と米エンターテインメント情報誌、ハリウッド・リポーター、ウェブサイトが伝えています。

ドラえもんは、中国の20~30才代では子供時代の思い出ですし、映画は思い出に連れ戻してくれるでしょう。ハリウッド・リポーターも子供時代の良い思い出、ドラえもんと一緒に育ったと言うコメントを紹介しています。

環球時報によると、中国にドラえもんの漫画が紹介され始めたのは1980年代後半で、テレビアニメのほうは1989年に地方局で、1991年に全国放送が始まっていました。

過去の、中国でのドラえもんの劇場版映画の興収は振るわなかったそうです。

のび太の恐竜2006、のび太の新魔界大冒険、のび太と緑の巨人伝が日本での公開翌年に中国で上映しましたが興収はそれぞれ4.34億円、2.9億円、1.18億円しかなかったようです。

2010年の、のび太の人魚大海戦の上映はキャンセル、宣伝不足、劇場版オリジナルストーリーが観客のなじみがなかったことが主因だそうです。

「STAND BY ME ドラえもん」は、のび太とドラえもんの出会いから、別れ(さようならドラえもん)まで、漫画の名作エピソードをつなぎ合わせており、懐古にふける大人も、ドラえもんを初めて見る子供も楽しめると記事は語ります。

中国で日本映画が上映されたのは、3年ぶりのことだったようです。

 

過去、ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)紙ブログ、日本リアルタイムによると、中国当局は国内で公開される海外映画の数を年間30本ほどに厳しく制限していると言われていました。

2012年、尖閣諸島問題で日本映画の上映は中国国内では許可されていなかったとWSJ(ウオール・ストリート・ジャーナル)紙は伝えています。ハリウッド・リポーターによると、最後に上映された日本映画は、2012年7月のウルトラマン・サーガだったそうです。

ドラえもんが中国に戻ってきたことは、日中関係が回復しつつあることの表れと考えられていると当時の記事は語っています。フォーブス誌の寄稿者ロブ・ケイン氏は、中国の習近平国家主席の意向により日本映画の上映が復活との見方をしています。

習主席は、日中の文化交流の重要性を公の場で称揚していると語っています。

過去、日本の観光団体関係者など3000名規模の日中観光文化交流団が北京を訪れ、日中友好交流大会に出席しました。大会で習主席は両国の民間交流の重要性を強調しています。

当時のWSJ紙は、習主席が意外にも日本の交流団を歓迎と伝えています。ドラえもん映画上映は、日中関係改善のしるしに連なるものだと語っています。

 

ドラえもんが2008年に日本のアニメ文化大使に就任していることをフォーブス誌、環球時報が伝えています。

外務省で行われた就任式でも、当時の高村正彦外務相はドラえもんに、アニメ文化大使として世界各地を飛び回り、日本がどんなところなのかを紹介していただきたいと語ったと言われています。フォーブス誌は、高村大臣は良いところに目を付けたと評しています。

尖閣問題での対立を和らげることはなさそうでも、ドラえもんは中国で日本への好意を大いにもたらしていると語っています。

ハリウッド・リポーターでは、中国一部メディアはドラえもんがそうした大使を務めていることを難じ、ドラえもんは文化侵略の道具だなどと主張しましたが、多くの中国国民はまともに取りあわなかったようです。

 

ドラえもんは、子供達ばかりでなく、親達も安心して見れるアニメである事は間違いないようです。

ドラえもんの根底に流れる、「尊敬」、「友情」と言った価値観が日中両国の真の友好・親善に寄与し続けることを願っています。

頑張れ、ドラえもん!


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中国人旅行者等々の日本観

2016-07-17 17:32:20 | 日中

以下文は、人民網日本語版(2016年7月14日)原文で、中国国内で中国人が抱いている日本と、訪日以後の日本に対するイメージは激変するようです。

毎日新聞によれば、2016年には499万人の中国人が訪日、多くの中国人は帰国後日本ファンとなると言われています。その証の一例が25%以上のリピーター(再日本訪問者)と思います。

中国人旅行者の増加等々についてはパーフェクト・インバウンドの資料を一部使用しています。

中国は南シナ海等で大きな問題を生じさせていますが、中国国民は真実、真相を知れば、一人ひとり生き方が変ると思いますし、訪日は、更に自分自身の生き方を加速させると思います。

――――――――――――――

中国人は日本に到着後、即感動!

日本はまさに「悪魔の国」そのもの・・・華字

 

中国人が日本へ行くと、突然「細部の海」へ落とされたかのような気分になり、そのおもてなしには、驚きと喜びを感じ、なにかこそばゆい気持ちにさえなる。

西洋には、「悪魔は細部に宿る」ということわざがある。この基準を東洋社会に当てはめて考えると、細部へのこだわりがあらゆるところに見られる日本はまさに「悪魔の国」そのものだ。

日本人にとって、細部へのこだわりは、わざわざ取り上げられるほどではなく、当然のこととなっている。

一方、中国人が日本へ行くと、突然「細部の海」へ落とされたかのような気分になり、そのおもてなしには、驚きと喜びを感じ、なにかこそばい気持ちにさえなる。(文:劉檸。在日華字紙・中文導報掲載)

最近、微信(WeChat)では、中国のある空港の作業員がベルトコンベアから流れてきた受託手荷物をどのように扱っているかを捉えた動画が話題になった。動画を見ると、2人の作業員が荷物を運んでいるというよりは、まるで投げる練習をしているように取り扱っている。

 

一方で、日本の空港の作業員の荷物の取り扱いには、その「細部」へのこだわりが反映されている。作業員は、荷物をそっと持ち上げて、そっと置くだけでなく、スーツケースをベルトコンベアに置く時には、旅行者が取りやすいように、全て取っ手を外に向けて置いている。また、誰も取らなかった荷物は、係員がべルトコンベアから降ろし、一つの場所に固めて置いている。さらに、ベルトコンベアの落差がある所や曲がり角にも係員がおり、スーツケースが落ちてしまわないよう見守っている。万が一、スーツケースが破損してしまった場合は、航空会社がそれをメーカーに送って修理してくれる。修理できない場合も購入した際のレシートがあれば、それに基づいて弁償してくれる。この類のことは、日本ではきわめて普通のことであり、いちいち驚く人は誰もいないが、中国人にとっては、日本に到着してまず感動することとなる。

初めて日本に行った旅行者がその「おもてなし」に驚くだけでなく、何年も前に日本で生活した経験があり、今でも毎年数回日本を訪れる私でも、その細やかさにはたびたび驚かされる。私が以前にある本の中で書いたように、紀伊國屋などの本屋では雨の日に本を買うと、店員が「雨避けのカバーをかけましょうか?」と聞いてくれる。そして、レジの下から、底の開いたビニール袋を出して、紙袋にかける。すると、紙袋の取っ手だけがちょうどビニール袋から出てくる仕組みだ。

最初のうちは、「小雨なのになぜ店員は雨が降っているのを知っているのだろう?」と不思議に感じていた。しかし、雨が降り始めると館内で流されている音楽が変わり、店員は入り口や窓から遠く離れた所にいても、天気の変化を把握できることを後から知った。店員はそれに応じて、「雨避けのカバーが必要か?」と聞いてくれるのだ。これほど行き届いたおもてなしには、驚かざるを得ない。

こうした「日本流」の細やかさはどのようにして生まれ、そのクリエイティブのメカニズムや構造はどうなっているのだろう?私は特に研究したわけでもなく、発言権はないが、観察者、消費者として感じたことや発見したことがある。それは大まかに言って以下の2点だ。

まず、消費者の権利が主体であるという意識だ。消費者が感じたことやそのニーズは、クレームを含めて全て店側に伝わり、店側は「お客様は神様」という考えに基づき対応をしてくれる。店員も、時には消費者となるわけで、視点を変え、消費者の身になってその利益を考える。このように、消費者の声が、細部にまでこだわる原動力となっている。

次に、社会に良い意味での競争がある。それが、文化をさらに向上させ、悪い習慣は自然と行き場を失って消えてゆく。また、日本のビジネスは成熟しており、競争は非常に熾烈であるため、商品の品質や値段は非常にクリアで、売る側が得ることのできる利益にも限りがある。店側はサービスの質を向上して、消費者に「快適だ」と感じてもらえるようにしなければ、生き残ることはできないのだ。そのため、消費者の視点に立った、行き届いたサービスが生まれる。

最後に、私が強調したいのは、「ビジネスと商業化は別物」という点だ。現在、中国経済は急速に発展し、過熱気味だ。そして、それはかなり商業化という状態になっている。しかし、商業化が進む中で、ビジネスとしては成熟していない一面がたびたび明るみになる。本当に成熟したビジネス社会とは、消費者の権利が主体となった環境であるはずだ。そうでなければ、行き届いたサービスを提供する原動力に欠け、それが生まれることもないのだ。(提供/人民網日本語版・編集KN

 ――――――――――――――

中国人観光客が増加している理由・・・

中国国内の経済発展に伴い裕福な人が増えています。

日本は中国から距離も近く、清潔で安心というイメージがあるため多くの中国人が旅行先として選んでいるようです。

中国人旅行者を支える日本等の策等・・・

2010年には日本政府が規定する中国人観光客に対する観光ビザの発給要件が緩和されました。年収25万元(約450万円)以上などの条件で富裕層に限定していたビザ発給を中間層にも緩和されています。

大手クレジットカード会社発行のゴールドカードを所有しているか、年収約6万元(約108万円)以上の収入があるなどが新しい要件です。対象者の家族の単独の旅行も認められれました。(人民網日本語版、2013-15年度の大卒初任給は9万5千円ですが・・・上海の普通の一流会社員でない人は、大卒程度で月給4万~6万円程度だったと思います、これは実際に現地の会社員と会話した内容で、地方に行けば相当安いように思います。)

2015年1月から中国人観光客に対するビザの発給要件がさらに緩和、具体的には有効期間中は何度でも日本に入国できる、数次ビザの発給要件が緩和、これまで求めていた日本への渡航歴要件の廃止や日本側身元保証人からの身元保証書等の書類要件が省略されています。

 

中国人観光客が増加している別の理由・・・

円安

2014年後半には19円以上にまで上昇(円が下落)これにより中国人にとって日本旅行がより割安に、お得に感じるようになったと言われています。12円の時と比べると約2/3の費用で日本旅行が楽しめる。これには日本で交通・宿泊費だけでなく、日本での買い物の費用も含まれます。中国人観光客が日本で爆買いする背景の大きな理由として円安の影響があることは間違いないと言われています。中国人にとって日本の商品がとても安く感じるからでしょう。

日本人同様、特に中国人は家族、親戚、友人等々へお土産等々を買う方が多いように思います。日本の高品質の数々の製品に魅了されていると思います。

 

春秋航空をはじめとする中国-日本の格安航空の便数や空港の増加も中国人観光客にとって、日本がより身近に旅行できる場所になった理由の一つと言われています。

春秋航空では高松-上海、佐賀-上海、茨城-上海、札幌(新千歳)、大阪-天津、大阪-武漢、大阪-重慶などの国際線が日本-中国間で発着、しかもチケット料金は片道3,000円からと非常に格安で購入出来るようです。

フライト・レコーダー24でパソコン上で航空機の飛行状況を見た場合、日中の航空便は凄い数です。両国にとって今後も増大すると思います。是非、フライト・レコーダー24(無料ソフト)で日中の航空便を見てください、両国の依存に驚かれるでしょう。

 

 

 

 


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中国は如何にして豊かになったか。

2016-06-03 13:53:36 | 日中
昨今の日本での中国人のデパート等々での爆買い、日本人から見たら羨ましいと言うのが本音かも?・・・中国の経済発展、どうして富裕層が生まれたのだろうか、興味が尽きません。
中国、四川省広安市小平古里管理局の資料を一部参考にしています。素人の見た中国と言うことで書いています。

極端な貧富の差があるとは言え、何故中国人は豊かになったか。
やはり1990年代、小平氏(中国を代表するスファラディー・ユダヤ人で旧約聖書上の本当のユダヤ人です。日本にも天皇家を頂点としたスファラディー・ユダヤ人が数百万人いると言われ、古来から日本を先導してきたと言われています。現日中間は表面上は対立していますが、見えないある一面は絆で結ばれていると思います。)が貧弱な国営企業等から民営化等など多くの分野で経済改革を行ったからと言えると思います。

小平氏に対する評価は賛否緒論ありますが、市販の本等読めば日本、欧米でも高く評価されてるのは間違いなさそうです。
小平氏は1998、9年の日米訪問等により先進国の現状を知り、当時の貧しく経済発展が著しく遅れていた中国の現状等から生産力増大を第一に考え、「不管猫白猫・捉到老鼠就是好猫」・・・「白猫(しろねこ)であれ黒猫(くろねこ)であれ、鼠(ねずみ)を捕(とる)るのが良(よい)い猫(ねこ)である。」との有名な言葉を残しています。

1978年10月、日中平和友好条約の批准書交換のため中国首脳として初訪日、中国の指導者としては初めて昭和天皇と会見、千葉県君津市の新日鉄君津製鉄所、東海道新幹線、トヨタ自動車等の先進技術、施設の視察を精力的に行っています。訪日で小平氏が目の当たりにした日本の物、人の躍進振りは、以後の改革開放政策(農業、工業、国防、科学 技術の「四つの近代化」に向けた、国内改革および対外開放政策)の動機にとなり、以後、先ずは鉄による国作りのため新日鉄との提携で上海に宝山製鉄所を建設が決定されています。(鉄作り、日本の明治維新に似ていますね。)
1979年1月に米中国交樹立、小平氏は同28日~2月5日に訪米、大統領ジミー・カーターとの会談後、ヒューストン、シアトル、アトランタなどの工業地帯を訪問、ロケット、航空機、自動車、通信技術産業を視察、前年の日本訪問、この訪米で立ち遅れた中国という現実を直視した氏は改革開放の強力な推進を決意、同年7月に党中央は深圳市など4つの経済特別区(一部地域に限り外資の導入を許可、促進することで経済成長を目指すという政策)の設置を決定しています。
世界の中で生きる中国の進むべき道を考えた、小平氏の心は、日本に学べ!であったでしょう。

中国の歴史を変えた経済改革は、安い労働力を利用、海外企業の資金を使った製造業の目覚しい成長、当時の日本はバブル時代、多数の企業がコスト競争の為に人件費が格安の中国に工場を作り、技術支援を行ってきたと言われています。
結果、中国の投資家等は潤い、中国各省の税収も増加、銀行からの投資も可能に。先ずはインフラの交通網等から不動産事業に始まっているようです。当時の中国のGDPは年間20%成長、驚異的な数値です。
昨今の中国の成長率は、下方修正が続いているようですが(相当深刻かも・・・)、まあ、自国の本当のGDP等々を発表する国は世界中無いでしょう、当然自国益等々を考慮し、数値を操作した値を一般に発表するのは極当然でしょう。

中国は余りにも自由に任せた為、大都市で発生する公害(PM2.5等々)、偽ブランド、特許問題、汚職など多くの問題を露呈してしまったと言われていますが、これらの一部は先進国も大して変らないように思います。
公害、偽ブランド等々を除き、中国と先進国は巧妙さのレベルが違います。汚職等に関しては先進国は極めて巧妙で大して中国とレベルは変らないように思います。

今の中国は諸規制を厳しくしてコンプライアンス意識を向上させると皮肉にも経済成長がストップしてしまう・・・資金の海外流出の可能性があるとも言われています、中国の現状はどうも野放しのようになってるように思います。
中国国内の労働賃金も高くなり、多くの企業がベトナム、タイ、ミャンマーなど少しでも安い低賃金国に移転していると言われています。

中国は成長した現経済力を背景に、アジアインフラ投資銀行(AIIB)を利用し、中国流の手法で世界へ影響力を強くすると思います。
将来、中国がくしゃみをすれば世界が風を引く、世界は中国を無視できない現実、何か新しいアジアの時代がそこまで来てるかも知れないですね。

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中国春暁ガス田開発等々

2015-07-29 09:07:47 | 日中
グローバル化を目指す、米中・・・日本はと言うと紛れも無いナショナリズムであり、米中対日本と言うことも、まんざら間違いではなさそうに思えます。米中の根底は同じ?

文献等(英文、ジョセフ・マッカーシー米国上院議員の著作等々)を精査すれば中国共産党を作ったのは間違いなく米国であり、これも紛れもない事実・・・他、一例等として1900年、山東省で外国人を襲撃する義和団の乱(外国排斥運動)が起こりました。この乱はたちまち全土に広がり、外国人にとっては、さながら地獄図のような光景が眼前で繰り広げられました。この時、清国政府は何もせず、逆に彼らを応援していました。そこで義和団鎮圧のために列強8ヵ国による連合軍が出動しました。軍を派遣した8ヵ国の内訳はイギリス、アメリカ、フランス、ドイツ、イタリア、ロシア、オーストリア(=ハンガリー)と日本です。約2ヵ月後、8ヵ国の連合軍は首都北京及び紫禁城を制圧、乱を鎮圧しました。

この乱で清国は莫大な賠償金を欧米側に支払いました、欧米側はこの賠償金+ロックフェラー資金で現中国有名大学、精華大学(別名ロックフェラー大学・・・)を作り、米国との交流等々で中国の科、化学等々の技術向上等々を図り、中国の国力増強に努めました。アジアでの2極、対立構造を作る為とも思われ、中国の発展を後ろから後押し、強い中国を作り、支配してるのは米国であることが分かります。

中国は中国国民、人民のものでは無く、中国は中国共産党のもの・・・私物に思えます。中国共産党は悲しいかな自国民の格差是正、幸せなんか考えていないでしょう。

米国にとって最重要国は・・・
昨今のユーガブ(イギリスの意識調査機関)による、米国一般国民の意識調査では、米国にとって友好関係を維持する、最も重要な国は・・・中国45%、日本25%、韓国12%となります。経済的な結びつきが大きいと言われていますが、日本人にとって日米は友好国と言われていますが、何か割り切れない感じがします。

昨今大きなニュースになっている、中国春暁ガス田開発等々、我々日本人からすれば、日本側海底地下資源のガス等がストローで吸うように中国側に持っていかれるのを黙って見ているのは相当頭にくると思います・・・これらの行為は間違いなく日本人の嫌中国を増やすと思います。

じゃ日本もガス田等を同区域日本側等で開発したらいいのでは?と思いますが出来ないでしょう。おそらく日本のエネルギーを握るLNG等々メジャーは許さないでしょう。
田中元総理とキッシンジャーの会談を思い起こします、日本独自開発等々は絶対に許しません・・・答えは極めて明確です。

日本は今後も長きにわたり石油、欧米ガス等メジャーからのみの購入となるでしょう。選択の道はないと言われています。数年前のLNG価格は、米国5.44ドル、韓国13.18ドル、日本15.12ドルの極めて高い価格で購入しています。

中国のガス田等開発は、特に海中での特殊工事など高度の技術を要すると言われており、技術的には自国のみでは出来ず、過去中国の要請で英・オランダ系国際石油資本であるロイアル・ダッチ・シェル、米石油大手会社のユノカルが資金、技術両面で応援、協力してきた経緯があるようです。
途中、欧米の2社が、中国の石油化工シノペック等に対し商業的理由から油田、ガス田開発から撤退することを、通告してきました。商業的な面ばかりでなく、複雑な政治、戦略的な面もあると言われています。

現在も表に出ることなく、ガス田等開発は巧妙な形で一部欧米の支援を受けていると見るべきでしょう、支援することは米国益等に有益だからでしょうか?
日中が対立すれば米国益となるか・・・中国が独自ガス田等開発等々をすればするほど、日本国民は反発、日中が対立すればするほど・・・

春暁ガス田については、過去中国が日本にも共同開発を提案してきたことがあり、そのとき日本側は一応、丁重に断ったようです。表向きは国境線、経済水域問題などがあると言われていますが真相は?もし共同開発が行なわれていたら、状況によっては日本のエネルギー問題は一部変わった可能性があります。勿論共同開発を絶対許さない人達がいるのも間違いない事実と思います。
現在も中国の油田開発等企業は、軍事技術同様、欧米の最新技術等を、有り余る資金で巧妙に取得していると言われています。
一例として、高い技術を要する油田開発技術・・・地下にある油田の立体的な状況を視覚的に確認するための三次元地震探鉱、画像技術、油田に向けて垂直に採油しなくても原油を吸い上げることができる水平坑井技術、海底での掘削状況が地上できるMWD(リアルタイム掘削情報検知システム)等々、最新技術を次々と取得、技術を学んだと言われています。

今後、中国は開発段階から実生産に移行する可能性があります、日本は冷静な目で独立国として国益を失うことが無いよう正しい、正確な情報収集等々による判断が必要となるかも知れないですね。

何かと日本を取り巻く環境は、四面楚歌に思えますが、正しい、正確な情報を得られるならば、判断に国益を失うことは少ないように思います。

一般の我々はテレビ、新聞のオーソライズされた情報ばかりしか情報は得られません、情報を鵜呑み、騙されることなく、自分なりの判断をするにも、どうしても正しい情報を得る努力は必要と思います。

正しい情報、プロパガンダ情報等々は溢れています、多くの情報から自分なりに正しい情報を選ぶことは難しいかもしれませんが、現在の受身の情報より精度は上がるように思えますが・・・
意義ある人生を送る為にも、如何に自分なりに正しい情報を得、自分なりの判断をすることが重要かを認識する昨今です。

サンケイ新聞、ユーガブ米国民間意識調査結果等々の資料を一部参考にしています。





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日中の未来を考えた、一無名の中国人論文

2015-03-22 13:01:18 | 日中
世界最大の両経済大国、両政府には大きな隔たりがあります・・・しかし現実は間違いなく日中両国民は互いに必要としていると思います。
世界から見た場合の日中間問題は、日中間の問題では済まされず、間違いなく世界の問題等でもあると思います。今世界は中国抜きでは成り立たない現実・・・我々日本人も独立国として、冷静に未来志向することが必要だと思います。

歴史的に見て、過去両国の交流史は長く・・・昨今、報道等はネガティブな問題ばかり取り上げられ・・・勿論、多くの一般中国国民とはかけ離れた現在の中国政府は自国国民の幸せを本気で考えてるとは思えないし、極一部の共産党一族等のみの利権維持、有無を言わせない核を中心とした強い軍事力で将来アジアを支配しようとしてるのは間違いないでしょう、勿論諸論等はありますが・・・
多くの日中両国民は誤解してる面が多々あるように感じる時があります。

 昨今、日本を訪問する中国人観光客等は、日本に来て実際目にしたものは中国国内の情報とは大きく違い、日本の素晴らしさ、感動をお土産に帰国されると言われています、多くの中国人は再度日本に是非旅行したいと言うリピーターが多いのも間違いない事実です。
 日中両国の一般国民にはマスコミが報道するような大きな隔たりはあまり無いように思える時があります、更に理解しあうことは可能だと思えますが・・・

 考えてみれば、世界から見ればアジアの心は、(孔子等々・・・陸象山が言った、宇宙は便ち是れ吾が心、吾が心は即ちこれ宇宙・・・)中国であると言われています。我々日本人は、日本人の心(無為無私等)は比較的理解していますが、アジアの心とはを理解する努力をしてない様に思います。

 以下の文は、ネット等で見つけた、無名の中国人(日本の北大出身、女性)が尖閣問題以前の2002年に書いた文で、何かアジアの心が見えるようです・・・
      
        ――――――――――――――――――――――
    「永遠の平和と友好を求め・日本人と中国人が共に歩む未来への道」
                                孫 麗
 日中両国は一衣帯水の隣国であり、両国の間に2000年あまりの友好往来と文化交流の歴史がある。両国人民は長年お互いに支持し合い、協力し合って、深い友情を結んできた。
今年(2002年)は日中国交正常化の30周年にあたり、月日の経つのが早いと嘆くかたわら、両国関係があらゆる分野で世界の近代史の中で例のない大きな発展を遂げたということをつくづく感じた。20世紀が過ぎ去って平和文化の構築と持続可能な発展を主題としての21世紀の幕が開いた。新世紀における日中関係をどのように発展させていくか、アジア、また全世界の平和と発展に日中両国がどういう役割を果たすべきか、という問題は世界の未来と呼ばれるわれわれ青年に課せられた新しい課題になる。
 われわれは日中友好事業のために力を尽くした先哲からの友好の旗を受け継ぎ、新世紀に日中善隣友好関係を新たな段階に推し進め、永遠の平和と友好を求めるべきである。このために次の四点が重要だと思う。

 第一に、日中関係の伝統を大切にし、21世紀に向けて新しい日中関係を築くことである
1、昔の成果
30年前の1972年、日中両国の賢明な政治家と各領域の日中友好の方々の長期にわたる努力によって、国交正常化が回復し、日中関係史に新な1ページを開いた。30年来、日中両国は各分野の交流と協力において未曽有の発展をみせた。特に経済面では中国の改革開放以来,両国間の交流が飛躍的な発展をして,今や両国は経済的に高度な相互補完関係にある。貿易総額を見ると国交回復当初の10億ドルと比べ、約80倍になった。国交回復当初の人的往来は1万人未満であったが今年(2002年)は既に300万人を超える。つまり人的往来は30年で約300倍になった。友好都市関係も250組以上あり、学術交流も年々増加している。日中友好は実り豊かな成果を収めた。

2、国際情勢認識
ベルリンの壁崩壊から13年たった今日、国際情勢は激動の時代を迎えている。例えば、米国の軍事面での圧倒的優越とそれを背景とした単独主義の傾向、米ロ間のモスクワ条約締結、NATOの東方拡大、EUの独自性強化、上海協力機構の設立、南アジアの緊張等である。経済的にはグローバリゼーションとそのゆり戻しの狭間の中、ITやバイオ、ナノテクなど新技術の革命が進んでいるが、国家間関係の上では多極化が進んでいる。その一方で、アフガン復興に見られるように、NGO(非政府組織)やNPO(非営利組織)という国家以外の主体が国境を越えて重要な影響力を持ちつつある。このような激しい変化の中、日中関係が停滞するようなことがあれば、両国の国益に大きなマイナスである。日中関係を新しい発展の段階に移行させることが新時代からわれわれに課せられた大きな使命である。

世世代代の友好、アジアと世界の平和と発展のためにわれわれは心を一つにして、先人の遺志を受け継ぎ,先人たちが長期に渡り,奮闘してきた得がたい日中友好事業をこれまで以上に大事に守り,平和と発展のための友好協力パートナーシップを築くために努力しなければならない。

 第二に、忌憚なき、素顔の交流を求め、相互理解と相互信頼を深めることである
外交関係は鏡のようなものであり、お互いのイメージが大切である。信頼関係があるか否かは大きな違いがある。信頼関係があると、大きなことでも小さくすることが出来る。しかし、信頼関係がないと、小さい事でも大きくなる恐れがある。問題を解決することを通じて、新たな発展段階を迎えるといった関係が日中関係であり、問題を話し合いながら、解決し、信頼関係を構築していくのが日中関係である。つまり、日中両方が自分の姿を相手に見せた上で、日本は中国に対して率直に注文をつけ、中国も日本に対して、思っていることをぶつける、という関係を作ることが必要である。そのために、以下の事柄に積極的に取り組むべきである。

1歴史認識
日中戦争に関するいわゆる「歴史認識」は日中関係に常に影を落としてきた。日中両国は歴史教育や歴史教科書の違いによって、両方の認識を完全に一致させることは不可能であるが、共同研究等を通じて、互いに事実関係を共有することが望まれる。重要なのは、その認識の違いを理解していくことで、そこで初めて信頼を確立していくことが出来るだろう。それについて、日本側は過去の誤った国策と行為を反省して終戦50周年(1995年)の際の「村山談話」を発表した。小泉総理も芦溝橋の抗日戦争記念館を訪問したときに、「過去の歴史をよく勉強することによって、人間と言うものは反省し、将来、その反省を生かしていかなければならないと思っている。私ども過去の歴史を直視し、二度と戦争を起こしてはいけない。その反省から、戦後、平和な国家として日本は繁栄することが出来た。」と明確に発言した。中国側も朱鎔基総理訪日時(2000年10月)発表した「中国側は歴史の問題で日本の国民を刺激することはしない。日本側もあの歴史を忘れないという事が必要だ」という精神に基づいて、お互いの感情を傷つけることのないように慎重に対応すべきである。
 
 現在、大多数の中国人と日本人が今までの得がたい日中善隣友好関係を大切にし、過去の歴史を操り返さないという基本方針を支持している。お互いがお互いの立場に立って、出来る限りの配慮をして、大きな譲歩をしたことが日中国交正常化をもたらした原点である。この原点の精神に基づいて日中関係を対処すれば、よりスムーズな友好協力関係を造れるだろう。

2、人的交流促進
両国お互いの理解を深めて友好関係を構築するためには、人と人との交流を促進することが最も有効な手段である。両国間の知的交流、文化交流、地域間の交流、青少年交流といった多層的な対話や交流が拡大されなければならない。そして、単なる接待的な友好と交流ではなく、お互いに文化を尊重し合い、対等に協力し、共生し合う精神文化の基盤を育て培わなければなるまい。首脳レベルによる相互訪問はすでに定期化されたが、両国政府間のさまざまな階層でコミュニケーションを密にすることで、相互理解を深化させることが肝要である。さらに、市民交流や地方間交流、ビジネスや留学、NGO活動等を通じた民間レベルでの交流も一層活発にする必要がある。両国人民の人生観、歴史観、世界観、ものの考え方などの異なる面を十分理解するために民間交流は不可欠なものだと言える。日中両国の政府には、民間交流をもっと推進してもらい、特に中長期のビジョンを作って、民間交流に舞台を提供していくことをより積極的に展開していく必要がある。両国民の相互理解と相互信頼を増進し、誤解や不信などの蟠りを取り除いて、日中両国の間に長期的で安定した善隣友好関係のしっかりした基礎を築くために、これからも引き続いて、努力を続けなければならない。

第三に、長期的な視野に立ち、共同利益を基礎とした経済対等パートナーシップ関係を築くこ とである
1、経済対等パートナーシップ関係の構築の必要性
経済のグローバル化に従い、国際競争が日増しに激しくなってきた。東アジアの金融危機、ユーロ通貨の始動など、中国も日本も一層大きな圧力に直面している。アジアひいては世界の繁栄と安定のために、日中両国は両国間の経済交流の発展を阻害する要因を取り除き、一体化した経済パートナーシップ関係の強化がますます求められている。

2、経済対等パートナーシップ関係の構築の可能性
中国と日本の経済は一面では競合するところがあっても、基本的には相互補完の関係にある。そして、競争と言っても競う事によって、単独なら長い時間かかるものがいち早く実現するというプラスの点が多い。アジアにおける経済大国である中国と日本は経済面で共通の利益がより多い。経済先導と言っても過言でない21世紀において日中両国は共通の利益を求め、イデオロギーと社会制度の違いを乗り越えて、対等なパートナーシップを築かなければならない。中国の進歩は日本のマイナスでないし、日本の進歩は中国のプラスである。日中関係は本来鳩山由紀夫が述べたようにプラスサムゲームである。よって、経済対等パートナーシップの構築は完全にできると認められる。

3、日中経済交流の一層の拡大に向けて
国交正常化してから今日までの30年間に、両国関係はあらゆる分野で、特に経済分野で大きな発展を遂げた。1972年当時と比べ、日中間の貿易総額は約80倍になり、経済団体の協力も盛んに行われてきた。中国から見て日本は10年連続で最大の貿易相手国であり、日本から見ても中国は米国に次ぐ第2の貿易相手国である。このような得がたい成果を新世紀に持ち込んで経済交流を一層拡大するために日中双方が以下の方面での努力を求められる。
経済グローバル化とWTO加盟に従い、中国の市場経済は飛躍的に発展してきたが以下の諸点についてなお一層の改善を求めたい。
(1)経済の総体的な発展において政府の指導が要求されるが、政府の過分な関与を排除しな  ければならない。必要な制度の整備や透明化を進めつつ、市場原理に任せていくべきであ  る。
(2)外資企業、知的財産権保護に関する立法(例えば特許法、著作権法など)を始め現行の  法律を体系的により改善すべきである。
(3)外資の導入がより進み、全国特に内陸部はインフラ整備、投資環境を改善しなければな  らない。
 日本側は、中国の発展が日本の脅威になるという「中国脅威論」を否定し、日本は中国投 資から多くの資金を回収し、日本経済の発展を促進していることを認識しなければならな  い。そして、21世紀における中国の新たな開発戦略特に西部大開発のプロシェクトに長期 的な協力をすべきである。対中のODA援助、IT人材の提供、環境、エネルギー問題等、さま ざまな方面で日本各界友人同士の協力が期待されている。

第四に、日中両国はお互いを2国間の狭い関係のみで捉えるのではなく、より幅広く、アジアと世界の中での日中関係のありかたや協力関係を真剣に摸索していく必要がある

1、 政治,経済という側面で
冷戦が終わった後世界は政治多極化、経済一体化したと言われ,さまざまな変化が生じている。国々が競争し合い、協力し合い新しい秩序を求めている段階に入った。このような複雑な国際状況においてアジアの隣人である日中両国はこれからの協力関係をより真剣に摸索していかなければならない。例えば,国連やIMF,WTOなど国際機関での活動においては、お互いの活動を牽制し合うのではなく協力して,アジアの声を代弁すべきである。

2、地球的規模の問題という側面で
経済の飛躍的な発展に伴い,さまざまな地球的規模の問題が生じてきた。例えば,人口問 題、食料問題、エネルギー問題、環境問題、あるいは麻薬やエイズのような問題である。これらの人類存亡に関わる問題は両国の狭い間だけでは処理し切れない問題で,全世界の範囲での努力が求められている。

3、IT革命を始め科学技術革命という側面で
中国では「科学技術は第一の生産力である」と言う言葉がある。経済発展のために科学技術は代えることのできない重要な役割を果たしている。21世紀の科学技術を代表するIT革命への対応にあたって,日中両国はより国際的視野をもって進める必要がある。特に知的財産権、個人情報の保護、ハイテク犯罪への対応、電子商取引のルール整備など、国際的に整合性が必要とされる問題に日中双方も積極的に対応すべきである。
要するに、日中両国が手を携え、国際社会での多岐にわたる共同活動を通じて友情を深め、信頼と希望に満ちた明るい未来を創造する事が重要である。「共存、繁栄」という人類の共同課題に向けて世界の中での日中友好協力関係をより幅広く努力しなければならない。

新しい世紀と新しい情勢における日中両国の友好関係を、輝かしい希望に溢れたものとするために以上の四つの点が重要であろう。そして、日中間の三つの政治文書、すなわち「中日共同声明」「中日平和友好条約」「中日共同宣言」の原則を基礎に、「歴史を鑑とし、未来に向かう」という精神に基ついて、両国の善隣友好関係を新たな段階に推し進めなければならない。これらのことによって、人々が心から祈っている日中両国間の永遠な平和と友好を迎えるのは目前に迫ってくるであろう。

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