極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

I am grateful that I can freely write my daily thoughts

温暖化はCO2が原因?

2019-09-25 19:16:49 | 日本の異常気象等

以下文は主に、「氷河期へ向う地球」「超異常気象」根本順吉著・風濤社 中公新書、NASA・Average Monthly Atarctic Sea Ice Extent Noc 1978~2016、Royal Astronomical Society、ウィキペディア等々の資料を一部コピー等々参考にしています。素人が考えるCO2と温暖化の因果関係です。CO2温暖化説は見方によっては詐欺行為を助長しているかも知れません。可笑しな箇所はスルーして下さい。私達一人々が、自分なりに温暖化を理解することは太陽からの恵み、地球の自然の成り立ちへの理解の一助となると思います。

 

根本順吉氏(1919年~2009年)・・・

と聞いてピンとこないと思いますが、私達に身近な気象庁の予報官として長期予報を担当されていました。

1973年に私達に一つの説として温暖化の原因を分かり易く説明しています。根本順吉氏は東京生まれで、中央気象台付属気象技術官養成所卒業、気象庁予報官でした。

1963年日本付近の異常低圧に気づき、以後異常気象の解析を行っています。1975年には気象百年史を完成させ、退官後は啓蒙家として子供向けの著書などを多く執筆しておられます。2009年、90才で死去されています。著では温暖化現象については、温室効果ガスを原因とする説をとらず、予測を超えた変化「太陽活動」であるといった立場をとっておられます。

他にも、CO2温暖化説に疑問を呈している研究者として、広瀬隆(ひろせ・たかし)氏がいます。1943年東京生まれ、作家、早稲田大学理工学部卒、大手メーカーの技術者を経て執筆活動、東京に原発を!、危険な話、原子炉時限爆弾、FUKUSHIMA福島原発メルトダウン、第二のフクシマ、日本滅亡などで一貫して原子力発電の危険性を訴え続けています。CO2温暖化仮説の裏に隠された原発推進等々を危惧されていると思います。判り易い温暖化の真相の著書として、“二酸化炭素温暖化説の崩壊(集英社新書)”があります。

 

大気中のCO2の増加と、温暖化による気温の上昇は必ずしも並行していません。IPCCの報告によって、大気中に放出されるCO2の経年変化は明らかにされていますが、気温上昇の著しい80年代には、その増加は横ばいになっています。気温上昇がほとんど認められない1965~75年頃には、逆にCO2の増加となっています。

過去30年間の気温とCO2濃度との時系列変化では17万5千年間の気温とCO2濃度との対応変化をみると、CO2濃度は、気温を追っかける(後追いする)形で変化しています。気温上昇が原因となって大気中のCO2濃度の上昇が結果しているのだとすると、やはり地球平均気温の変動の原因は何かという大きな疑問が生じます。根本順吉氏は、この疑問点については「太陽活動」を重視すると記しています。

太陽黒点周期の長さの変化と北半球気温偏差との相関、1861~1989(Friis-Christensen and Lassen,1991)は一致した相関です。気温の経年変化は太陽活動のサイクルに対応して変化していることが分かります。

 太陽活動・・・どのような現象であって、その現象がどのような物理過程によって地球表面の平均気温に変動を生じるのか・・・宇宙線が大気に飛び込んで大気をイオン化させてそれが核となって雲ができ、雲は太陽光をさえぎり気温低下となるとしています。この説は欧州原子核研究機構(CERN )等々の最新の研究調査結果と同じで、根本順吉氏の研究調査は日々気象に接していた経験等が一助となっており、太陽活動等の本質をついているとも言われ高く評価すべきだと思います。

 

先ず、CO2地球温暖化説で話題となる、気候変動に関する政府間パネル(Intergovernmental Panel on Cclimate Change,IPCC)とは?

1988年に地球が温暖化するということがアメリカ議会上院から発信、(上院は学会ではありません。)その年に国連にIPCCができました。

IPCCは国際的な専門家でつくる、地球温暖化についての科学的な研究の収集、整理のための政府間ボランティア機構で、参加している研究者はボランティアで、学術研究連合や国際学会とは性格が全く異なります。IPCCは独自の調査研究は実施せず、既存の研究成果に基づいて合意を形成し、報告書を作成したことになっています。政策立案者向けに作成された報告書にすぎず、学術論文のように厳密な審査を経たものではありません。

日本で報道されることはありませんが、世界ではCO2温暖化対策団体等をFraud group(詐欺団体)と言われるのが多いのも事実です。その理由等の一例が2015年までIPCC議長だったラジェンドラ・パチャウリ氏は当時、アメリカ副大統領だったアル・ゴア氏と共にCO2温暖化説を広げノーベル物理学賞でなく平和賞を受賞しています。CO2温暖化説が物理学賞に値する科学的根拠等が無いため平和賞に変えられたと言われています。パチャウリ前議長はCO2の排出権取引(各国家、各企業ごとに温室効果ガスの排出枠を定め、排出枠が余った国、企業と排出枠を超えて排出してしまった国、企業との間で取引する制度で巨額の金が動きます。この巨額の金が利権の肝とも言われています。)で莫大な利益を得る銀行の顧問でした。これらの取引で多国籍企業、エネルギー業界が生み出す資金をパチャウリ氏が理事長・所長だったエネルギー資源研究所に振り込ませていたことが2010年1月発覚、IPCCはCO2を利権とするFraud group(詐欺団体)と捉えられています。

 

過去、トランプ米大統領は、地球温暖化対策の国際枠組み、パリ協定(2015年、世界190カ国以上が参加合意した国際ルールで、危険な温暖化を防止するため、CO2等、原因となるガスの排出をどれだけ減らすかの目標を作成、対策することを参加国に求めています。) から米国が離脱すると発表、離脱は選挙公約通りです。

何故、トランプ米国大統領が大統領就任前からCO2地球温暖化説に懐疑的であったか・・・2017年6月1日の演説でパリ協定によって米国が他国より不利になると批判、米国産業、国民にとってより公平な合意にするために再交渉するよう呼びかけています。米国が決めたガス排出を減らす目標の取り消し、発展途上国の対策を助けるための国際基金へお金を出すのをやめると明言、経済、石炭産業保護等を理由に国際取り決めよりも自国の利益を優先、これらは表向きの論で温暖化の本質を知り得た上での発言だと思います。国際間の付き合いを考慮している部分もあるとも言われています。

米国政権は内外の多くの著名な研究者等が科学的調査資料等を徹底的に調べ上げ、トランプ氏に情報提供しトランプ氏自身、世界の多くの支援者が更に精査等々した結果の結論と言われています。決してトランプ大統領の思いつきの即断ではないようです。米国には他に財政的に優先すべき問題が山積しているようで、懐疑的なCO2地球温暖化策に貴重な財政を支出するとは到底思えません。

米国がパリ協定から離脱したのは温暖化の原因がCO2でないからでしょう。一説では米国、ロシア、中国等は温暖化の真相を独自に研究、共有等しているとも言われていました。勿論、イギリス、フランス、ドイツ等も温暖化の真相を知っていると言う海外プログが多いようです。

これらの国々は“自国益のために巧妙な形でCO2温暖化説を取っている”ようにも思います、今後CO2温暖化仮説を、益々巧妙な策により自国利権等のため対外交渉の資とするでしょう。

トランプ大統領がCO2地球温暖化に懐疑的と言うと欧米、日本の主要メディアは多くが反発します、これらのメディアは利権を得たい・・・排出権取引、原発利権等々が見え隠れします。

対し、日本のCO2温暖化策・・・1997年に京都会議が行われ、CO2の排出抑制が決まったが、実質的に守ろうとしたのは”日本唯1ヶ国”でした。現政権は真相は熟知しているでしょう。トランプ大統領の判断結果は歴史が示すでしょう。人類が自然をコントロールできない事は事実で人類の驕(おご)りが問われているかも知れません。

 

地球は本当に温暖化、寒冷化しているのか?

現在は正確な調査、研究資料があり誰でもこれらの資料の一部を見ることが出来ます。

2013年にリークされた国連の報告書(故意にリークさせたとも言われています。)では、世界の気温は過去15年間、一切上昇していません。

mail online  20 sep 2013より抜粋

World's top climate scientists told to 'cover up'the fact that the earth's temprerature hasn't risen for the last 15years

世界のトップクラスの気象学者達は、地球の気温が最後の15年間上昇していないことを隠すよう促されました。

Leaked UN report reveals the warld's temprerature hasn't risen for the last 15years

リークされた国連レポートでは、世界の気温はこの15年間上昇していないことを明らかにしています。

南極ボストーク基地の表彰コアの分析から得られた過去17.5万年の気温と二酸化炭素濃度の変化、14万年前に温度とCO2とがほぼ一緒に急上昇しています。その直後、気温は急降下していますが、CO2濃度は、275ppmあたりでもたついた後、”温度変化に引きずられるように降下”しています。同じく、7万5千年前にも、”気温の急降下に対して、CO2量が5千年位遅れて降下”するという現象が認められます。

過去の地球上の温度変化とCO2濃度を南極の地下の氷で、42万年前のものから現代までを正確に調べた結果、“CO2と温度上昇はセット”で、現代の”人類が排出するCO2はほぼ無視できる量”であることが確認されました。恐竜時代の温暖化ガスの濃度は今の10倍以上です。

 

何故、CO2地球温暖化説が重要視されるかと言うと“巨額のウラン等取引、原発推進ビックビジネス、世界の環境団体、NGO等の設立等々による巨額の利権”と言えるかも知れません。

2009年11月には、英国でこのCO2地球温暖化説を補強するため、研究データ改ざん事件が起こっています。有名なクライメット・ゲート事件(気候研究ユニット・メール流出)です。欧米では大変な問題となりましたが、何故か日本では全く報道されませんでした。未だに地球温暖化CO2説を本気で考えているのは、先進国では日本ぐらいかも知れません。今後多くの国がこれらの策から自国益厳守に移行する可能性があります。 

 

私達は小学校の時、理科実験でコップの中に氷を入れ、氷が解けたらコップの水の水面がどうなるかを実験します、この実験は今でも即家庭でも簡単に実験できます・・・この結果は?「氷が解けても、水面の上昇は起こりません!」、これは自然科学、理科の常識です!

過去、CO2による温暖化の結果、海面の氷山が解け海面が上昇すると堂々と報道されています!国民を馬鹿にするのもほどほどにと言いたくなります。南極の氷(海面上の氷)が解けても海水面が上昇するはずがありません!

NASA等の研究チームの研究では実際に氷が解けているのは南極半島等の一部で、内陸部等(勿論、ここが解けると海水面は上昇)は寒冷化により氷の面積は明らかに増大しているようです。1978年から現在まで、人工衛星の観測では地球上空の温度変化は無いようです。地表が少し上下していると言われています。

過去騒がれた、温暖化の象徴とされた、有名な南太平洋の「ツバル」の海面上昇は海面が上昇したのでは無く、(さんご礁の上に出来た陸地は、どうしても地盤沈下は避けられないようです。)地盤沈下でした。現在はツバルの海面上昇は成りを潜めました。

 

少し古いですが、近年の気温、CO2資料

「気温」

1910年~1940年は、温度上昇

1940年~1975年は、少し温度下降

「CO2」

1946年、急上昇

1946年~1975年、急上昇、温度は上がらない・・・地球温暖化の因果関係が説明出来ない状態があるように思います。

温暖化CO2説は1980年代からCO2を悪者にして“原発を推進”するために科学的事実とは無関係に政治的に利用されてきたとも言えそうです。もともとこの説は成り立たないと長年学会等では退けられていたようですが1980年代、利権のため科学を無視、政治的主流になったようです。
CO2濃度上昇が赤外線の吸収を増やし、温室効果を高めると実験で立証した科学者はいませんが、CO2濃度が上昇しても赤外線の吸収は増加せず、温室効果が高まらないこと実験で立証した科学者がいます、英国の物理学者(1820~1893)のチンダルです。

チンダルは、その後の実験で、CO2濃度を2倍にしても赤外線の吸収が変わらないことを見つけています。
1900年頃の科学者は1896年発表のアレニウスのCO2温暖化説はチンダルの実験結果で論破されており全く支持していません。
このチンダルの実験の追試はスウェーデンの物理学者(1857~1910)のクヌート・オングストロームによって行われ、やはり同じ結果が得られています。今日、現在これらを覆す実験結果は無いようです。
CO2の400ppmの赤外線吸収スペクトルと800ppmの赤外線吸収スペクトルは略同一で、これらの結果も当然です。
CO2に温室効果があるから、CO2濃度が上昇すると温暖化する思い込んでいる非科学的な人があまりにも多すぎますし、一般の人達はメディア等々の情報を信じ込んでいるようにも思います。
温暖化CO2説では、CO2が多くなると地球から宇宙へ出る放射がCO2により多く吸収され、地球に熱がたまり温暖化するとされています。
CO2が吸収できる遠赤外線は波長15μm付近だけで、15μmの地球放射は10m未満の高さでCO2に全部吸収され、吸収されずに宇宙まで進んでいるものはありません。
15μm付近の地球放射の宇宙への透過率は0で、その波長ではCO2による温室効果が100%で放射冷却していません。
CO2濃度が高くなっても、さらに多くの赤外線を吸収することはできず温室効果の増大も温暖化も物理的にあり得ません。
CO2の赤外線吸収波長15μm付近の地球放射の宇宙への透過率は0です。その波長では放射冷却が起きず、CO2濃度の上昇による温暖化は不可能です。

過去、地球の6億年でみても、宇宙線強度と気温にはスベンスマルク効果で高い相関がありますが、CO2濃度と気温には、全く相関がありません。古生代に“CO2濃度4000ppm”でも氷河期があります。
1000年前の中世温暖期は3割少ない280ppmでも、気温は現在と同程度です。
6000年前の気候最適期は3割少ない280ppmでも、気温は現在よりも2度高温でした。
2000年以降、CO2濃度は1割近くの36ppmも上昇しましたが、衛星観測による気温は横ばいのままで変わっていません。CO2濃度が低いと低温、高いと高温という温暖化CO2原因説は成り立ちません。恐竜時代の温暖化ガスの濃度は、今の10倍以上です。

赤外線吸収飽和論に対して、地球温暖化CO2原因説を信じている人達には反論がありますが、やはり屁理屈ばかりのようです。米国、ロシア、中国等々は正確な情報を持っておりCO2温暖化に懐疑的であるのは当然でしょう。これらの国のトップばかりが懐疑的ではなく、国家としての意思と受け止めるべきです。

“日本は世界最大のCO2地球温暖化対策、資金等提供国”です!1997年の京都会議、CO2の排出抑制が決まりました。これらの策に日経連は反対しましたが、実質的に守ろうとしたのは”日本唯1ヶ国”です。以降、日本から温暖化対策、CO2取引等々のため数兆円の金が海外に流れていく可能性があります。可笑しなCO2温暖化説のために巨額の日本の金が湯水のごとく・・・消費税増額が空しく思えます。

昨今の地球温暖化を訴える16才少女の国連演説、この演説はCO2温暖化は嘘ですよと白状しているようなものです。世界の歴史上、公の場に子供が出てくることがありますが末期状態の時ばかりです、今回はCO2温暖化は嘘と言う末期状態?この少女がCO2温暖化論の肝とも言える、地球温暖化の計算式を本当に理解、計算出来るか大きな疑問です。少女の後ろの人達は誰でしょうか・・・自分なりに調べるとこの少女は本国スウェーデンでは豊かな身なり、生活をしています。経済発展のためにCO2が増える途上国等の人達(少女の数十分の一の経済状態)への軽蔑の眼差し、私達はメディア等のこれらの情報を鵜呑みにすることは問題だと思います。少女の本質を見抜く努力も必要かと思います。フェースブック等々を見ると世界の多くの人達は、この少女に対し極めて大きな疑問を呈しています。

 

地球に優しく接するためにも、CO2が温暖化に関係が無いとしても、CO2の無秩序な放出は戒めるべきです。私達一人々が、自分なりに地球と太陽との関わり、地球環境、温暖化等々を理解することは夢が持てる未来への一助となると思います。

 


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私達にとっての緊急事態

2019-09-22 10:22:30 | 日本社会

以下文は法に素人の災害等への思いです。防衛省、ウィキペディア、ネット等々の記事で誰でも確認できる内容です。まとまりの無い内容になってしまいました、可笑しな箇所はスルーして下さい。

 

毎年、繰り返される自然災害、多くの人命、財等が自然災害で失われています。私達はこれらの自然現象を受け入れるしかありませんが、これらの自然災害等を危機管理等、運用面(ソフト)の整備により現在よりも少なくすることは十分可能だと思います。

しかし、地方等は人、物等にも限界があると思います。これらの自然災害等に対し、地方等にとって最後は国頼み、自衛隊、消防等々頼みとなると思います。

近未来に起きると言われる東北大震災を超えるような南海トラフ巨大地震、超大型台風等々、国家機能が一部喪失するような大災害が起きても不思議でない今日、もう待ったなしの状況だと思います。限られた人、物等を少しでも効率よく運用等するには危機管理等、運用面(ソフト)等面の整備は極めて大切だと思います。最終的には、これらの整備の肝となるのは非常事態条項だと思います。

 

日本の憲法には緊急事態条項がありません。先進国、近隣諸国等には憲法等々に記し、これらの運用は政府が一元化出来るようになっているようです。

私達は戦争・紛争、自然大災害・・・特に朝鮮半島に起因する武装難民日本上陸等々の発生を考えたくもないし、避けていますが気候変動、世界・日本周辺の国際状況等は激変していると思います、これらの事態は待ってくれません。大災害等に関して一部の方は、先の東北大震災でも地方に権限等があれば解決できるので非常事態条項は必要ないと言われる方がいますが、これらはあくまで想定内等々の論でしょう。ほんとうに国家機能が一部喪失するような事態ではこれらの論は通じないでしょうし、多くの国民は最悪、非常事態条項が無いため機能喪失した政府に代わる国連軍等の日本統治を望むでしょうか・・・日本は主権国家のはずです。

平時に想定が出来ないような事態が発生した場合、超法規的措置で当たることが必要なのは世界的に見ても常識です。国にとって最も重要で大切なことは、命や財、国土を守ることで、これらの事態中に平時の法律を守ることではないのは当たり前です。

 

一般論として非常事態宣言は戦争・紛争、大災害等々による国家などの運営の危機に対し、緊急事態のために政府が特別法を発動することです。戒厳と似ていますが、戒厳は国の立法、司法、行政という統治権の一部または全部を軍に移管しているようです。緊急事態条項での根拠にもとずく国家緊急権とは戦争、大災害等、国家の平和と独立を脅かす緊急事態に際し、政府が平常の統治秩序では対応できないと判断した際に憲法秩序を一時停止し、一部の機関に大きな権限を与えたり、人権保護規定を停止するなどの非常措置をとることによって秩序の回復を図る権限のことです。

議会制民主主義を基調とする国家において、平和と独立を脅かす急迫不正の事態または予測される事態に際して、一刻も早い事態対処が必要と判断される場合において憲法の一部を停止、超法規的措置等によってこれらの危機を防除しようとする権能です。多くの国の憲法、特に大陸法(市民法civil law)をとる国のほとんどの憲法には緊急権の規定があるようです。

 

日本版・緊急事態条項とは・・・憲法改正「4項目」の中の緊急事態

緊急事態・・・大地震、その他の異常かつ大規模な災害と定義

戦争などの人災は公明党、野党の慎重論を踏まえ定義から省かれています。国会が機能しない場合、閣が政令を出して一時的に権限を集中する条文を新設、国政選挙が実施出来ない場合、衆参両院で出席議員の3分の2以上が賛成した場合、国会議員の任期を延長するとなっているようです。

東日本大震災を超えるような国家運営の危機等に関わるような大自然災害等の緊急事態が発生した時、緊急事態を宣言し、内閣総理大臣や内閣に権力を集中させ、法律に代わる緊急政令を出し、財政支出を行えるようにするものです。また、宣言が有効な間、衆議院は解散されず、両院議員の任期には特例を設けているようです。法律の制定や財政支出は、平時であれば国会の審議が必要です。しかし、国会審議を待っていることができない非常事態に政府に権力を集中させて対処しようと言うのが日本版・緊急事態条項と言えそうです。

これらの案は東日本大震災翌年の2012年から自民党草案に盛り込まれ、緊急事態条項は大規模災害等の国家の存立が脅かされる可能性がある場合、政府の権限を一時的に強めるものです。“全体の利益のために、個人の権利を抑制できるという考え方”に基づいているようです。国家の緊急事態時に、人権無視等々叫ぶ馬鹿な人はいないでしょう。

 

可笑しなメディア、一部の人達等々は憲法9条改正、非常事態事項等の憲法記載は全て絶対反対!これらを阻止するためにも、私達にとって最後の頼みである自衛隊の諸活動状況等を多くの国民が認知しないよう如何に報道しないようにするか・・・一例として、昨今の佐賀豪雨災害では日本の過去に例がない11万3000リットルの油が流失、輸送支援として航空自衛隊が佐賀空港へ大規模のオイルブロッター(油吸着材)を輸送しています。(C-1輸送機×2機(9月1日)、C-2輸送機×3機(8月28日、8月31日、9月4日)、これらの輸送支援活動に対して全国、地方も全く報道はありませんし、陸自の支援活動に対しても自衛隊の部分をカットして地元では報道しているようです。オスプレイ問題等もあり自衛隊の更なる認知増が怖いのか、如何に自衛隊の活動を目立たないようにするためか、もうここまでくれば反政府、反自衛隊病の一種だと思います。

 

今、日本は戦後最大の大きなターニングポイントにあると思います。これらのきっかけとなった日韓問題、これらの韓国側の根底に潜む対日観の肝は、日本の可笑しな憲法だと思います。

素人の解釈で異論があると思いますが、一例として日本国憲法の前文で“平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した”と記されています。

日本の憲法で日本の命運を他国民に委ねる、よく考えると主権国家とは思えない程、理不尽な文に思います。歴代、韓国政府は諸国民を都合よく解釈し、日本の命運を決めることが可能、対日強行策の実行等々を堂々と行えると考えていたかも知れません。このような捻(ひね)くれた考え方を韓国政府はしないと思いがちですが現実を直視した場合当てはまっている部分も多々あるように思います。

日本の憲法は9条等ばかりでなく、憲法前文でも可笑しく、日本は相手国の強行対日策でも文句はいいません、貴国を信じます、日本は無責任国家と公言しているようなものだと思います。

日本の可笑しな憲法が、これらに鑑み如何に韓国の国益にかなっていたか、日本の国益が失われていたか、レーダー照射問題、反日等々を紐解けば・・・

夢が持てる未来の日本は私達一人々にかかっているのは間違いないと思います。“このまま現状で進むか”、“未来に夢を持てる国にするか”は日本の憲法改正にかかっているように思います。今、私達に出来ることは、先ずは、自分なりに憲法改正問題に関心を持つことが大切だと思います。、 


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朝鮮の金・玉均(きん・ぎょくきん)は韓国版明治維新を目指したか・・・

2019-09-17 13:51:59 | 日韓

以下文はJJ太郎さんのココログ“かつて日本人は清らかで美しかった。かつて日本人は親切で心豊かだった。”の一部コピー文です。ウィキペデア、文春新書「韓国併合への道」呉善花(著)等々を参考に記しています。可笑しな解釈が多々あるかも知れませんので、日々の思い日記とします。

 

金・玉均(きん・ぎょくきん)と聞いて、多くの人は?と思うでしょう。李氏朝鮮後期の政治家で朝鮮独立党の指導者で、一口で言えば3日間と言う短い期間ですが、夢であった支那の1000年に及ぶ朝鮮支配を断ち切り、朝鮮、独立国家政権を樹立した政治家です。
1851年2月、朝鮮・忠清南道公州に生まれ、1872年に科挙(隋から清の時代まで、約1300年間にわたって行われた官僚登用試験)文科に合格、開化派である朴珪寿(パク・キュス)、呉慶錫(オ・ギョンソク)等の影響で開化思想を抱いていたと言われています。

開化思想・・・19世紀中頃、通商修交反対論の中で開化思想家が現れています。これらの人達は北学思想(清朝等を肯定的に捉えた思想等)と中国と往来し見聞きした世界情勢によって新しい認識を持った人達で、日本の明治維新前の士達に似ています。自主的に門戸開放、西洋文物や制度を受け入れようと主張、西欧の通商要求を無条件拒否は悲劇的な状況が起こると判断したためとも言われています。開化派代表者は朴珪寿(パク・キュス)と中人訳官の呉慶錫(オ・ギョンソク)、医師の劉鴻基(ユ・ホンギ)等でした。

自分達が持つ志を実現させるためには、最も厄介な両班(朝鮮、高麗の特権支配階級、朝鮮王朝 (李朝)時代の上位身分)子弟の育成が必要と考えています。1870年頃に朴珪寿家に集合したのは金玉均、朴泳孝、洪英植、金弘集、金允植でした。彼らは北学思想、西欧文物を学び世界情勢の急変を知りました。これらの人達は1880年代、政界に進出、開化政策を先頭に推し進めていました。


明治12年当時、朝鮮半島には閔(びん)氏(朝鮮の氏族の一つで中国系、始祖は 高麗の閔称道、孔子の弟子である閔子騫の末裔と称し、驪興付近に土着していた家門)一族の清国傀儡の朝鮮政権がありました。
当時の朝鮮内には、清国に従属して開化を進めていこうとする事大派と独立・近代化を主張する独立党がありました。独立党のモデルは日本の明治維新、日本の支援を期待していました。このリーダーが金・玉均です。

明治15年、金・玉均は、福澤諭吉の支援を受け来日、慶應義塾等に寄食、福沢諭吉の独立の気力、(学問のススメ第三章・・・わが日本国人も今より学問に志し気力を慥かにして、まず一身の独立を謀り、したがって一国の富強を致すことあらば、なんぞ西洋人の力を恐るるに足らん。道理あるものはこれに交わり、道理なきものはこれを打ち払わんのみ。一身独立して一国独立するとはこのことなり。)に大変感銘を受けたと言われています。
自らは積極的に日本の議会、裁判所、学校、電信施設、練兵場、印刷所、建設会社等を見学、更に福沢諭吉の邸宅を拠点にさまざまな人物と会い、意見交換、必死で日本から多くのものを吸収しようとしていました。
日本の明治維新を模範とした清朝からの独立、朝鮮の近代化を目指しました。

1883年には借款交渉のため日本へ渡り、翌1884年4月に帰国、清がベトナムを巡ってフランスと清仏戦争を開始したのを好機と見て、12月には日本公使・竹添進一郎の協力も得て閔氏政権打倒のクーデター(甲申事変)を起こしていますが、当時の国王・高宗(コジュン)は暗黙のうちに金のクーデター計画を承諾していたと言われていますが、国王・高宗は民の幸せ、独立国家を目指すなんか微塵も考えてなく、裏切って清国の出兵に同意、清国の袁世凱が1300人の軍で王宮を攻撃してしまいます。事件は清の介入で失敗し、わずか3日間の政権で終了しました。


このクーデターは清国とフランスが交戦中に実施する予定でしたが清国が敗退、清国は威信をかけて朝鮮半島を平定しに来ました。
当時の日本軍の守備隊は150人と少数、数の上では少ない日本兵の練度は高く善戦しましたが、日本の竹添公使は弱気で撤収を決めてしまい仁川港から撤退してしまいました。ここで日本が強く支援し安定した朝鮮政府が確立していたら、以後、朝鮮半島の歴史は大きく変わっていた可能性があります。

独立党の指導者達は日本に亡命してしまいます。井上角五郎(日本の実業家、政治家)らの助けで日本に亡命、日本亡命中は岩田秋作と名乗っていたそうです。

現地の日本公使館は焼き討ち、多数の日本人が惨殺されてしまいました。

日本に逃れた金・玉均は明治27年、同志の裏切りに会い上海に連れ出され、清国傀儡政権の閔氏が差し向けた刺客によって1894年3月28日(43才)暗殺されてしまいます。死体は朝鮮に送られ、六支の刑(頭、手足をバラバラにする極刑)に処せられ朝鮮各地にさらされました。父は処刑、母は自殺、弟は獄死、妻子は行方不明になり日本は探偵を送ってその捜索を行い同年12月偶然発見して保護しました。

福澤諭吉は上海で暗殺された金玉均の供養のために法名をつけることを真浄寺の住職である寺田福寿に依頼、福寿はただちに諭吉の要請に応え、古筠院釈温香という法名を付け、法要は東京朝鮮公使付通官山崎英夫や朴泳孝などを諭吉邸に招いて営まれています。

遺髪と衣服の一部は金玉均の護衛であった日本人和田延次郎が密かに日本に持ち帰り、宮崎滔天たちによって浅草本願寺で葬儀が営まれています。葬儀は浅草本願寺で営まれましたが、妻は丁度再婚・・・お墓は本郷の真浄寺に、青山の外人墓地にも墓があり墓碑にはこう刻まれています。

嗚呼、抱非常之才、遇非常之時、無非常之功、有非常之死・・・
「ああ 大変な時期に たぐいまれなる才を抱き 大きな功績を残せず 無情の死・・・」

金玉均は清国に支配されない、真の朝鮮の独立を目指し属国政府等と戦いました、3日間の短い政権でしたが、千年にわたるシナの支配に終止符打ち、近代朝鮮の英雄でその魂は朝鮮の歴史に生きていると思います。金・玉均が建国した短い3日間の朝鮮独立国家は朝鮮歴史上初めてです。

朝鮮の真の愛国者は安・重根(あん じゅうこん)では有りません。

伊藤博文・暗殺事件裁判等の文献等を読むと、安重根は反日思想ではなく、平和を望んだクリスチャンで、日本や明治天皇に敬意と感謝の念を持っていたようです。

安重根は暗殺事件裁判で日本が大韓帝国の皇太子、李垠(イ・ウン)の教育に尽力したことに触れ、国民が感謝していると述べていますし、日清・日露戦争を通じて日本が朝鮮半島を含む東洋の平和を守ったことも評価しています。明治天皇が韓国の独立をはかり、平和の維持に努めたことも理解していたようです。

金・玉均の生き様は朝鮮半島で、本来の国のあり方、民の幸せを願う心は今も消えていないように思います。


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隣国で最も嫌われる日本人

2019-09-14 13:15:03 | 日韓

以下文は豊臣秀吉の朝鮮出兵従軍記者の見聞録(近世日本国民史)、天正少年使節団記、北國新聞(2002年7月9日)、ウィキペデア、ピクシブ辞典等々を主に参考としています。一部、可笑しな解釈文がるかも知れません。素人が書いたまとまりの無い文となってしまいましたので雑記とします。

 

韓国人が最も嫌いな日本人の一人は、16世紀に朝鮮へ出兵した豊臣秀吉と言われています。2014年7月30日公開の豊臣秀吉軍を海戦で打ち破った民族の英雄・李舜臣を描く映画・鳴梁(ミョンリャン)が大ヒットしています。

 

朝鮮出兵参加大名

肥前(佐賀県)唐津に前線基地として名護屋城を築城、宇喜多秀家(総大将)、小西行長、宗義智、松浦鎮信、有馬晴信、加藤清正、鍋島直茂、黒田長政、島津義弘、福島正則、長宗我部元親、小早川隆景、立花宗茂、安国寺恵瓊、毛利輝元、細川忠興、九鬼嘉隆、藤堂高虎、石田三成、大谷吉継、豊臣秀勝など名立たる武将が参戦しています。総兵員158000人(現在名護屋城跡は史跡となり、県立名護屋城博物館も併設等整備されています。)

韓国の歴史教科書は、豊臣秀吉の朝鮮出兵に関しては徹底的に悪事を記しているといも言われていますが、元寇襲来・・・高麗が元をそそのかした結果、元寇の日本進攻となった経緯、元寇・高麗軍の九州北部での残虐行為は記していないとも言われています。これらの過去の日本への加害は歴史から消し去り、自分達の被害だけを強調した歴史教育を行っていると言われています。昨今の日韓問題を機に豊臣秀吉に対する韓国の論に対しても、私達は自分なりの正しい対論をユーチューブ等々でも発信すべきだと思います。可笑しな相手にとって一番恐れることは、正しい論、孫子の兵法で反論された場合です!今、日韓は激変しようとしていると思います。

 

豊臣秀吉(安土・桃山時代の武将・1537年~1598年・61歳没)と言うと、戦後の歪曲された朝鮮出兵論が持ち出され、韓国では悪の代表みたいに言われ、日本人の中にも悪人と思う方もいますが豊臣秀吉はキリスト教布教の裏に隠された真実、本質、人身売買等の事実を知っており、これらに対し諸策を行っています。豊臣秀吉は当時の時代に己を信じ、日本・日本人を守り抜いた名武将と言えそうです。

豊臣秀吉の朝鮮出兵は、当時のアジア情勢が大きく影響しており、内外の事情を細かく日本側が理解していたからこそ、関東以北等の大名達も秀吉の朝鮮出兵に自ら協力しています。この時代に世界の強国スペイン等に征服されていなかった国はアジアでは明と日本等のみで、朝鮮は歴史的にもシナの属国で日本統治・日本敗戦以降始めて国の形が出来たようです。

スペインの伝道地占領策は、まず宣教師を派遣、キリシタンが増えると次は軍隊を送り、信者に内応(見方を裏切ってひそかに敵と通じさせること、内通)させ、その伝道地国土を征服、世界中の多くの領土を難なく占領しています。

文禄5年(1596年)スペインの貨物船、サン・フェリーペ号が遭難、土佐の浦戸に漂着、救助した船員達に対し、秀吉の五奉行の一人である増田長盛(豊臣秀吉に仕えた武将で甲賀忍者でもあり、現在の諜報活動等により内外の情報を得ていたとも言われています。)が取り調べた結果、スペインの対日策等々、驚くべき事実を掴んでいます。

これらの事実等が朝鮮出兵(最終目的は明を制すること。明制圧前の経路途上の戦いになってしまったようです。朝鮮は明の属国で日本は明へ行くには朝鮮を縦断する必要があり、日本側は無害通過を求めたが朝鮮は属国であるが故、無害通過等と出来ないと返答、いつの間にか対朝鮮戦となったと思います。)のきっかけとなったと思います。

当時日本とスペインの戦力、スペインが日本に侵攻する場合、海を渡ってきます。スペインとの直接対決はスペイン人は少数、火力、武力とも日本が圧倒的に優位、スペインが明を植民地として支配下に治めることになると話は大きく違ってきます。数多くの鉄砲を日本が保有していたとしてもスペイン支配の明兵士が、数の力で日本に攻め込んだら一大事です。この驚異を取り除く方法はスペインより先に、明を日本支配下に置くことで地政学的に日本の安全が確保、秀吉が朝鮮出兵を行なわず日本の国力をスペインに見せつけていなかったら、スペインは当然のことながら明国を植民地としての支配下に置いたでしょう。当然朝鮮半島もスペインの支配地となったでしょう。

スペインが日本に最初に渡来したのは、天文18(1549年)、宣教師フランシスコ・ザビエルです。スペインの宣教師は表向きはキリスト教の伝道、裏では軍事組織、キリスト教の伝道と見せかけ、先々の国民に受け入れられやすそうな良いことばかりを言っては改宗させ、頃合いを見計らって軍隊を送り込み、人民の殺戮や財宝の強奪、植民地占領などを行っています。

これらの豊臣秀吉の時代、奴隷として売られていた若き日本女性達・・・その数、数十万人~五十万人とも言われています。この事実を知った豊臣秀吉は激怒しています。当時、文明国と言われた欧米白人国では権力者等は自己の利益のためなら普通に行われていた有色人種の奴隷売り買い、豊臣秀吉は許しませんでした。

 

徳富蘇峰の「近世日本国民史」

徳富 蘇峰(とくとみ そほう)、明治から昭和のジャーナリスト、思想家、歴史家、評論家、國民新聞を主宰し、大著「近世日本国民史」を著したことで有名です。

1918年(大正7年)7月、55歳となった徳富 蘇峰は「近世日本国民史」の執筆に取りかかって國民新聞にこれを発表しています。

近世日本国民史は、「日本の正しい歴史を書き残しておきたい!」という一念から始まった徳富 蘇峰のライフワークでもあったようです。

当初は明治初年以降の歴史について記す予定でしたが、明治を知るには幕末、幕末を知るには江戸時代が記されなければならないとして結局、織田信長の時代以降の歴史を著したものとなっています。1952年(昭和27年)4月、全巻が完結しました。

近世日本国民史は多くの史料を駆使、織田信長の時代~西南戦争までを記述した全100巻の膨大な史書で、1918年(大正7年)の寄稿開始より34年の歳月が費やされています。戦後、この著は日本の歴史の真実を記されており、当時の米国等の戦後策には邪魔だったとも言われる方もいます。

 

近世日本国民史より

当時、豊臣秀吉は元来織田信長の政策を継承、キリスト教布教を容認、1586年(天正14年)3月には大坂城にイエズス会宣教師ガスパール・コエリョを引見、同年5月にはイエズス会に対して布教の許可証発給、しかし、九州平定後の筑前箱崎に滞在していた秀吉は長崎がイエズス会領となっていることを知らされ、驚いた秀吉は天正15年6月18日付覚を認め、翌日、ポルトガル側通商責任者(カピタン・モール)ドミンゴス・モンテイロとコエリョが長崎にて秀吉に謁見した際に、宣教師の退去と貿易の自由を宣告する文書・バテレン(伴天遠)追放令を手渡してキリスト教宣教の制限を表明

 

バテレン(伴天遠)追放令

(バテレンとは、ポルトガル語で神父の意味)

 

大意

1(自らが)キリスト教徒であることは、その者の思い次第であるべきである。

2(大名が)国郡の領地を扶持として治めさせているが、その領地内の寺や百姓などたちにその気がなかったのに、大名がキリスト教徒になることを強いるのは、道理が通らずけしからんことだ。

3 大名がその国郡を治めることについて、大名に命じているのは一時的なことなので、大名が交代することはあっても、百姓は交代するものではないので、道理が通らないことはなにかしらあることで、大名がけしからんことを言い出せば、(百姓を)その意のままにできてしまう。

4(知行地が)200町、3000貫以上の大名は、キリスト教徒になるには、朝廷や幕府に報告をし、その思し召しの通りにできることとする。

5 知行地がこれより少ない者は、八宗九宗などのような宗教上のことだから、その本人の思い次第であってよい。

6 キリスト教徒については、一向宗以上に示し合わせることがあると、そう聞いているのだが、一向宗はその国郡を寺領(寺内町)を置いて大名への年貢を納めないだけでなく、加賀国を全てを一向宗にしてしまい、大名の富樫氏を追放し、一向宗の僧侶に治めることを命じ、そればかりかさせ越前国までも取ろうとし、治天下の障害になっていることは、もう隠しようがない事実だ。

7 本願寺の僧侶には、天満の地に寺を置く(=天満本願寺)ことを許しているが、この(一向宗の)寺領のようなものは以前から許したことはない。

8 国郡や領地をもつ大名が、その家臣達をキリスト教徒にさせようとすることは、本願寺の宗徒が寺領を置くことよりもありえないことであるから、治天下の障害となるので、その常識がわからないような者には処罰ができることとする。

9 (大名などよりも)下の身分の者が思いのままにキリスト教徒になることについては八宗九宗と同じで問題にならない。

10 中国、南蛮、朝鮮半島に日本人を売ることはけしからんことである。そこで、日本では人の売買を禁止する。

11 ウシやウマを売買して食べることは、これもまたけしからんことである。

ことごとくこれらの条文で固く禁止し、もし違犯する連中があればすぐに厳罰に処する。 以上 

天正15年(1587年)6月18日

 

豊臣秀吉の朝鮮出兵従軍記者、見聞録の一部(近世日本国民史より)
キリシタン大名、小名、豪族達が火薬がほしいぱかりに女たちを南蛮船に運び、獣のごとく縛って船内に押し込むゆえに、女たちが泣き叫ぴ、わめくさま地獄のごとし。

アシュケナージ(偽ユダヤ人)・ユダヤ人であるザビエルは日本をヨーロッパの帝国主義に売り渡す役割を帯び、ユダヤ人でマラーノ(スペイン語で豚、もしくは汚らしい人を示す言葉)のアルメイダ(戦国時代末期の日本を訪れたポルトガル人、商人、医師の免許あり)は日本に火薬を売り込み、交換に日本女性を奴隷船に連れこんで海外で売りさばいた最高責任者であつたと言われています。

キリシタン大名の大友宗麟・大村純忠・有馬晴信の名代として、天正少年使節団は1582年(天正10年)にローマへ派遣されました。

天正少年使節団は4名の少年を中心とした使節団で、イエズス会員アレッサンドロ・ヴァリニャーノが発案、1590年(天正18年)に帰国しました。ローマ法王のもとに行きましたが、報告書を見るとキリシタンの悪行が世界に及んでいることが証明されています。

行く先々で日本女性がどこまでいっても沢山目につき、肌白く、みめよき日本の娘たちが秘所まるだしにつながれ、もてあそばれ、奴隷らの国にまで転売されていくのを正視できず。
鉄の伽をはめられ、同国人をかかる遠い地に売り払う徒への憤りも、もともとなれど白人文明でありながら、何故同じ人間を奴隷にいたす。

当時のポルトガル人教会、師父が硝石(火薬の原料)と日本女性を交換しインドやアフリカまで売り飛ばしてっている。
豊臣秀吉は準管区長・コエリヨ(戦国時代の日本で活動したイエズス会司祭、宣教師、イエズス会日本支部の準管区長)に対し、次のように命じています。

「ポルトガル人が多数の日本人を奴隷として購入し、彼らの国に連行しているが、これは許しがたい行為である!」
従って伴天遠(神父の意)はインドその他の遠隔地に売られて行ったすぺての日本人を日本に連れ戻せ!」

過去、2002.7.9日付北國新聞「石川県金沢市に本社を置く株式会社北國新聞社が発行する地方紙」もバテレン追放、宣教師達による日本人女性人身売買について触れています。
豊臣秀吉のバテレン追放令・10の、日本人を南蛮に売り渡す(奴隷売買)ことを禁止したことを紹介、次のように記しています。

バテレン船で主に九州地方の女性が外国に奴隷として売られていることが分かります。秀吉の追放令は、筋の通った要求と結んでいます。

豊臣秀吉は、この奴隷狩りを止めさせるために、イエズス会の司祭、コエリュを詰問・・・

「九州に来る西洋の商人たちが日本人を多く購入し連行していることをよく知っている。いままで誘拐して売り飛ばした日本人を返せ!」

「それが無理なら、ポルトガル船に買われて、日本にいる監禁されている日本人だけでも開放しろ!」

「そんなに金が欲しいなら、代金はあとで渡す!」

 

対し、コエリュ・・・

日本人売買の禁止はかねてからのイエズス会の方針、問題なのは外国船を迎える港の領主(キリシタン大名や天草四郎)であり、厳しく日本人の売買を禁止しない日本側に責任がある。このやり取りで秀吉は激怒、以後、奴隷売買禁止令、「バテレン(伴天遠)追放令」を発しています。

 

茶の開祖でもある、有名な「利休」

利休はこのキリシタン問題に深く々関与している一面が見え隠れします。

利休は畿内キリシタンの主導者、高山右近(戦国時代~江戸時代初期の武将、大名で代表的なキリシタン大名として知られています。カトリック教会の福音者、 父は摂津国人・高山友照、母は洗礼名マリア、同じく摂津国人の中川清秀は従兄弟です。)とは極めて親密だったようで、海外の宣教師達と会っていたのは間違いないでしょうし、若き日本女性が奴隷として海外に売られていたことを知っていたと考えるのが自然だと思います。

千利休の別名は、聖・利休(セイント・リキュウ)、リキュウはヘブライ語でルカ、ルカとは新約聖書のルカによる福音書、使徒行伝の著者でも知られる聖人、この聖人ルカを日本語にすると千利休、茶道では、茶碗を手のひらに乗せて回しますが、同じように英国でもティー・カップを回します。

キリスト教の聖餐式(せいさんしき)は、パンと水またはブドウ酒が使用されます。日本では和菓子と茶が用いられるます。和菓子=パン、お茶=水またはブドウ酒

茶道を行う部屋に入るためには、普通の茶会では使用する機会が少ないですが、大変狭い躙り口(にじりぐち)という狭い出入り口があり、ここをくぐって茶の部屋に入ります、これは侘と寂(わびとさび)となり、日本人の美意識の1つで贅沢は禁止、質素にすると言う意味があるそうで、全てキリストの教えのようです。このように日本と聖書は切っても切れない関係であることが分かります。

 

当時、豊臣秀吉は茶道をキリスト教の教えなどとは全く知らず、茶の儀式だと思い込み受け入れてしまったようです。豊臣秀吉は、自ら茶道をたくさん開き全国に広めました。

豊臣秀吉は途中、茶道がキリスト教の教えだといくことに気づき、利休に騙されたことを後から知ったでしょう。キリスト教を日本で布教することを禁じたはずの豊臣秀吉が自ら日本中にキリスト教を広める結果となってしまったようです。

豊臣秀吉から、利休は切腹を命じられたことは自然でもあると思います。近代の歴史では、利休の切腹理由は闇の中とされているようです。

 

教科書に出てくる有名なキリシタンの天草四郎、彼らは最新鋭の鉄砲で武装できたのも奴隷商売等での豊富な資金があったと考えるのが自然です。教科書のような絵、小説、ドラマに描かれているような貧しいムシロ旗、竹槍の武装は有り得ないと見るべきで、「作り話」と見るべきで、最新銃で武装した強力なキリシタン武士達です。戦前までは、このような内容は普通に知られていたと言われていますし、当然、天草四郎は悪魔等として記されていたようです。

16世紀に行われていた、日本人女性奴隷売買は遣欧使節他、 多くの歴史史料に記載されており、間違いない史実です。このような歴史の事実が、徳川・江戸幕府鎖国体制の要因の一つになったとしても自然に思います。鎖国体制は正しい判断だったと思います。

 

戦後、これらの日本の近代史は呆れたことに、日本人が悪でキリスト宣教師等は善で日本人の迫害のみが教科書に記載され、迫害を受けた真相が明らかにされていません。これらの観光地では一方的にに説明されているように思います。

奴隷貿易で、何の罪も無く、多く連行されたのは若き日本人女性達です。戦後教育は日本人=悪、欧米白人=善と教えているように思います。。

*天正少年使節団が報告した日本人女性奴隷の数々

*数十万~50万人が奴隷として売買されていた事実

*火薬一樽で50人の若き娘が売られていった事実

豊臣秀吉の国、民を想う気持ち、日本にとって正当性があった鎖国体制等は時代が変ろうと語り継がれるべきです。豊臣秀吉の朝鮮出兵も何故、明、朝鮮へ兵を向けたか・・・日本国、民を守るためだったと思います。朝鮮出兵の目的地は朝鮮ではなく、明を目指す経由地にしか過ぎなかったと思います。

私達は可笑しなメディア、知識人と称する人達に惑わされることなく、歴史を継承することは夢を持てる未来の日本のためにも必要不可欠だと思います。世界から見たら善が多い日本の歴史等にもっと誇りを持つべきです。


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朝鮮半島を救った日本

2019-09-04 20:43:42 | 日韓

以下文の参考記事はウィキペディア、日米戦争を起こしたのは誰か ルーズベルトの罪状・フーバー大統領回顧録を論ず、フーバー大統領著 Freedam・Betrayed(裏切られた自由)の中の朝鮮半島に関する箇所で、著書は日本の朝鮮半島統治前後を中立・公正な見方で記しています。

何かと日本の朝鮮半島併合を侵略等々と言われますが、当時の弱肉強食の国際環境下で何も国際的にも違反しておらず、私達は堂々と日本の朝鮮半島併合を語ることが出来ると思います。

韓国併合再検討国際会議は、第1回会議・2001年1月ハワイ、第2回会議・2001年4月東京都多摩市、第3回会議・2001年11月にハーバード大学で開催されました。これらは日韓併合の合法性・違法性かを問う国際学術会議です。

参加者

*韓国側は李泰鎭ソウル大学校教授等4人(違法論を国際的に認めさせようと国際学術会議を開催)

*海野福寿明治大学教授(不当だが合法論)

*笹川紀勝国際基督教大学教授(不法論)

*原田環広島女子大学教授(併合条約に先立ち、大日本帝国が大韓帝国を保護国にした日韓保護条約(第二次日韓協約)について高宗皇帝は条約に賛成しており、批判的だった大臣たちの意見を却下していた事実を紹介)

*英国・アンソニー・キャティダービー大学教授(当時、国際法といえるものが存在していたかどうかさえ疑わしいとし、特定の条約の合法、違法を判断するに足る法を発見するのは困難であると主張)

*国際法の権威ジェームズ・クロフォード・英国ケンブリッジ大学教授(当時の国際慣行法からすると英米を始めとする列強に認められている以上、仮に手続きにどのように大きな瑕疵があろうとも「無効」ということはできないと指摘)・・・

この学術会議は最初から韓国側の強い主導により、韓国側主張の違法論を国際的に認めさせようという極めて政治的意図の下に主導・開催されたものでしたが、韓国側主張の日本朝鮮半島統治が違法であるとする国際的なコンセンサス(複数人での意思の一致)は得られませんでした。

 

以下文は一部ですが、ハーバート・クラーク・フーヴァー(Herbert Clark Hoover 1874年8月~1964年10月)はアメリカ合衆国の政治家、第31代米国大統領で地質学者等でもありました。地質学者等でもあったため朝鮮半島の地下鉱物等の調査等々のため朝鮮半島を初めて1909年に訪問、1946年にも再訪問しており、この時の朝鮮半島訪問で日本の朝鮮半島併合前後の状態をFreedam・Betrayed(裏切られた自由)に記しています。

フーバー大統領は極めて冷静に当時のアジア、朝鮮半島の歴史、社会状況を見ているように思います。これらは正論のため米国政府、欧米等からも著しく煙たがられ、著書等は一時封印等されていたようです。これらの著は判りやすい明白な根拠等にもとずき冷静・公平に記していると思います。当時の歴代大統領の細部をも精査等しており、当時の日米等の世界が手に取るようにわかりますが、米国が不利になるような論が多々出てきます。

 

Freedam・Betrayedより朝鮮半島の記事を一部抜粋し和訳したものです。(素人のため可笑しな訳が多々あると思います。)

***********

私は1909年、最初に朝鮮を訪問し、同じ訪問者の日本人実業家に技術的等な問題等について助言をしていました。当時の朝鮮人は私がアジア各国で目撃したように極めて貧しく、貧困で無秩序の人達でした。

彼らは食事も十分にしておらず、社会生活は無秩序、大衆は食料等々が不足していました、服を着た状態でもみすぼらしい状態で便所の衛生設備は無く最粗悪でした。道路もあまり無く通信施設、教育施設は殆ど無く、社会は無秩序のため強盗、泥棒が横行していました。

日本統治の35年間により公共建築物、優れた住宅、衛生的な便所、農業生産のより良い方法を確立しました。北朝鮮には巨大な肥料工場を建設し、農業生産も向上し人々への食料供給率を合理的なレベルに引き上げました。

荒涼とした地には木さえ生えていませんでしたが、多くの建物が建ちました。秩序ある社会システムを確立し、朝鮮人への教育、技術の開発支援、朝鮮人が着ていたほこりっぽい、単調で不潔な衣服はきれいな明るい色に置き換わりました。日本の統治により朝鮮人の生活は激変しました・・・

 

これらの記事は、実際にフーバー氏が朝鮮半島を訪問した結果の事実を記しています。特筆すべきはフーバー氏は統治者側でも、併合された側でもなく第三者の中立の立場で記したものです。異論が入り込む余地は無いように思います。極めて信頼、信憑性が高い文だと思います。

当時の日本は日本と同一目線で台湾、朝鮮を併合していたことがわかります。当時の白人側の植民地策からしたら、日本のみが善政・植民地策(併合)を行っていたことに対し、これまでの白人植民地支配の立場が危うくなると思ったでしょう。この延長線上がGHQ等による対日策の目玉でもある、日本の戦争は侵略戦争であった、朝鮮半島併合は侵略であった等々、多くの日本人、アジア人への洗脳、プロパガンダであることがわかります。

私達は堂々とこれらの事実を語るべきです。隣国等に何と言われようと事実は事実で、可笑しな内外のメディア等々に左右されるべきではないと思います。私達も凛とした姿勢で可笑しなメディア、知識人等と称する人達に惑わされるなく相応に自己確立すべきです。決して先人達は侵略者ではなく日本、アジアの発展に日本人として多くは名も無き人達で、それぞれの立場で精一杯尽力した人達です。

正しい義が常に勝つためには、相応の勝つための努力が必要だと思います。昨今の日本政府対韓国策も日本自らが世界に日本の意思を情報発信していますが、このような策は極めて大切だと思います。これらはこれまでの日本歴代政府に欠けていたものだと思います。

隣国は可笑しな大統領政権の次期法相に、可笑しな人を祭り挙げようとしていますが、特に頭がきれるわけでもなく、唯、反日、親北等のエキスパートのようで、肝心の司法に関しては何回も司法試験に落ちた人で、世界でも稀な法学部出身のようです。更に本人の卒業論文不正等々が明らかにされた現在、この人は汚職不正の総合デパートのようです。この人が法相についた場合、韓国の未来は益々夢が持てない国になるのは間違いないでしょう。日本はこれらの人達に屈しないためにも、物事の本質を見極め、韓国内の心から親日を願う多くの人達の心に共に寄り添い、一人々が自分なりに屈しないための努力を忘れないことが極めて大切だと思います。

 

参考記事

Freedam・Betrayedの抜粋

I first Visited Korea in 1909,to advise same Japanese industrialists on enjineering matters,The Korean people at that time were in the most disheartening cndithion that   I had witneseed in any part of asia,

thers was little low and order,,the masses were underfed,under clothed,,under housed under equipped ,there was no sanitation,and flith and sqalor enveloped the whole countryside,the roods were hardry passoble ,and there were communicathion or educathions facilies,scarcery a tree broke the dlsmal landscape,thieves and bandis seemd to be unrestrained

Good public buildings,and greaty improvent housing,they established sanitathion and taughit better methods of agriculture,they built immense fertilizer factories in North Korea which lifted the peoples food supplies to reasonable levels,they refore sted the bleak hills,they established a general syatem of education and the development of skills,every dusty,drab and filthy clothiong had been replace with clean bright colors

 


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