「立って燥ぐか座って観るか」問題ってかなり根深い。結論を先に書いておくと「観劇と出張ダンスホールが混ざった」というのが歴史的な経緯なのかもしれない。
今でこそ日本の邦楽でもコンサートで立って燥ぐのが普通になったが、半世紀前頃はコンサートは座って観るのが普通だったようだ。当時としては最も過激な音楽であったろうDEEP PURPLE1972年の来日公演もアンコールまでは皆座っていた。欧米でリリースされたライブアルバム「ライブ・イン・ジャパン」のジャケットが観客席を撮影した一枚だったものだから当時の欧米のメディアから「日本の観客は座ってDEEP PURPLEを観るのか!」と驚かれたらしい。ホントかどうか知らないけど。誰かソースくれ。
どうやらその辺りから「コンサートでは立って燥ぐものらしい」というのが普及してきたようで、それまでは恐らくコンサートホールで行われる興行は「観劇」と同様のものだったのだろう。つまり、寄席や演芸、歌舞伎や能などの演目の中に歌や演奏が混じるというのの延長線上だった。
ところが欧米からやってきたロックなる音楽は、パブやライブハウス、ダンスホールといった「人が立って燥ぐ場所で演奏される音楽」として生まれた。“If you wanna dance with me ?" と問われるまでもなく、ロックンロールはダンスミュージックだったのだ。その中からロックンロールにアート性を見出そうとした人たちが現れて徐々に演奏を聴かせるタイプのバンドやアーティストが出てきた。そんな人たちが売れてくると、ホールやアリーナでの公演が興行として打ち出された。まぁ速い話がビートルズだよね(彼らの初来日は1966年で、そのあとすぐライブ自体やめちゃった。先程触れたDEEP PURPLEより更に6年前か。学生でロックコンサートに赴く人達は反社会的で不良の扱いだった。余談。) そもそもの成り立ちがこうなのだ。
つまり、そもそも日本では会館などで立って燥ぐ音楽を演奏する習慣がなかった為(盆踊りもあんまりホールではやらんよな)、いつものように座って観ていたら外タレから「あれ?お前たち立たないの?」と言われて「あ、こういう時立つもんなの?」みたいな風に習慣が輸入されてきたのが実情なようなのだ。ここでまた面倒臭い事に、これまた輸入された観劇習慣であるクラシックコンサート鑑賞などは、「アンコールになるとスタンディング・オベーションで演奏を讃える」=「アンコールでは立つ」という習慣があったから紛らわしい。なので、これらが混ざり合って、「コンサートの最初から立つ」という表現が生まれた。他の国のことは知らないけど「日本独特」って言い切っちゃおうか。
この歴史はつまり、少なくとも半世紀以上のややこしい変遷を遂げているということだ。もともとあった日本の観劇習慣に、欧米から2つの全く異なった流儀、パブで燥ぐ奴らとコンサートホールでお行儀よく咳き込んでる人たちそれぞれのマナーがやってきて、途中から混ざり合って何が何だかわからなくなって出来上がったのが日本のロック/ポップスのコンサートの歴史なのね。
てことで、宇多田ヒカルのコンサートで「立って燥ぐか座って観るか」論争が巻き起こるのは、日米英をまたにかけて生きてきたヒカルさんが歌う以上必然的に巻き起こるというか、極論すればそこの違いについてあんまりツッコんだことをヒカルさんがしてこないからこうなってるとも言えて、うむ、かなり根深い話なので一朝一夕で解決するようなものではないわよね。その分気長に気楽に構えた方がいいかもね。
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