今回の「UTADA UNITED 2006」のライヴレポは、ヒカルの5のときとは全く趣きを変え、きたるべきライヴDVDの発売に備えるように(まだ発売決まってないけど;)&ブログスタイルに対応して、各項目ごとに、短文(あくまでも僕にしては短め、という意味(苦笑)を細切れに掲載していきたいと思います。
といっても、飽く迄も現時点での予定なので、今後どこで主旨変えするか、わかったもんじゃありません。頂いたコメントに応じて、臨機応変に書く内容も変化(へんげ)していくと思います。前回の「ヒカルの5」が“超私的な心のドキュメント”であったのと真逆の方向性である“読者との交流の中で作り上げていくライヴレポ”を想定していますので、僕の遅返信に耐えられる方限定ですがっ!(泣爆)、コメント&メール、お待ちしています~!!(^0^)
*****
今回は、ツアー全体を貫くテーマについての話。
代々木最終日を体験した方々には、ツアーが終わった直後、「ヒカルの5」の最終日のような寂しさは然程感じず、どちらかといえば充実した、未来に向かっての力強さのようなものを感じている人が、多かったように思う。僕もそのひとりだ。ツアーの終わりが新たな始まりとなるこの感覚、Hikkiが全公演に皆勤したという成果が何より大きかったがそれにしてもこの鮮烈な充実感はユニークであった。総てが最終日にユナイトし、そこが次へのステップになっていて、ツアー終盤を前に皆が感じていた「これで終わってしまうだなんて」というそこはかとない寂しさを忘却の彼方に置き去りにしそうですらあった。
しかし、振り返ってみるに、代々木最終公演を迎えるずっと前の段階から既にこのツアーでは当初から一貫して、“終わりが始まり”がテーマだったように私には思える。それは、22公演総てに共通したこのセットリストの設えの中にも見て取ることができた。みてみよう。
セットの中で何より強烈な印象を残したのが、まずは1~2曲目の流れだろう。私自身が2006年6月1日の共和国への投稿で「最初2曲は「Passion~single version~」&「This Is Love」が最強だと思う」とレスした通りの展開の2曲で、これはもう我が意を得たり願ったり叶ったりだった。(正確には「Passion」は単なる「~single version~」ではなく導入部を「~after the battle~」として2つを1つにユナイトした、いわば「Passion ~ United Version ~」ともいうべきものになっていたが)
そして、もうひとつ印象的だったのが、アンコールの選曲だ。“これを聴かねば帰れない”と殆どの人が思うデビュー曲の片方「Automatic」から、宇多田ヒカル自らの名を冠した「光」への感動的な連なりである。「B&C」が聴きたかったという意見にも十分に頷くが、それをさて置けばこの2曲による締め括りの素晴らしさには多くの方が賛同してくれるのではなかろうか。
私はここで、この冒頭と終局の2つの「2曲の流れ」が、共に“終わりが始まり”を象徴した選曲だと考えた。
最初の方は明白だろう。最新大傑作アルバム「ULTRA BLUE」のオープニングを飾るのが「This Is Love」であり、エンディングを飾るのが「Passion」なのであるが、このエンディングとオープニングを繋げてコンサートの最初に置いたのである。
アンコールの方は、読者からするとなかなかピンと来ないかもしれない。私はこれもまた(私見に過ぎないが)『“アルバムの終局から冒頭へ”という流れでライヴ・スタートを形成したのと同じ発想』で選曲されていたと考えた。2004年の武道館ライヴ「ヒカルの5」のセットリストを思い出してほしい。あのときは衝撃的な「光」から始まり、セットをデビュー曲「Automatic」で〆る、という選曲だった。そしてこの「UTADA UNITED 2006」ではその「ヒカルの5」の本編エンディング曲「Automatic」から本編スタート曲「光」へ、という流れを最後の最後にもってきている、と、そう私は解釈したのだ。
少し考えてみてほしい。この「UTADA UNITED 2006」の最初の最初のスタートは、どこにあったか。私がそこで真っ先に思い出すのは、「ヒカルの5」最終日の最後の最後に彼女が観客席に向かって叫んだあのことば、「今度は、私が全国を回るから!」だ。あのひとことから、今回の6年ぶり2度目の全国ツアー「UTADA UNITED 2006」が始まっていたのではなかろうか。
そして、以来この2年半の様々な活動を経て2006年6月、宇多田ヒカルの努力の結集たる最新アルバム「ULTRA BLUE」がリリースされ、すぐさまこのツアーに突入したわけだから、「ヒカルの5」から「ULTRA BLUE」までの一連の流れの結実が、この
全国ツアーの直接の土台になっている、そう私は捉えた。
ツアーまでの2年半の始まりとなる「ヒカルの5」をライヴのエンディングに、ツアー直前の一旦の終結&集結となる「ULTRA BLUE」をライヴのオープニングに、それぞれ配したのだ。
この多層構造。もう一度反復しておこう。宇多田ヒカル/UtaDAによる全国ツアー「UTADA UNITED 2006」のセットリストは、ツアーの“始まり”となった前回の局所集中連続公演「ヒカルの5」のオープニングとエンディングの2曲を順序逆としてライヴのアンコールに配置、この2年半の活動の一旦の集大成といえるアルバム「ULTRA BLUE」のオープニングとエンディングの2曲を順序逆としてライヴのオープニングとする、という2層の“終わりが始まり”で形作られている、とそう私は解釈した、とそういう話である。以下に図解しておく。(テーブルタグが使えないのでレイアウトがズッコケ気味なのはご愛嬌;)
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┣━ ライヴの始まりの2曲 ━ / ━ ライヴの終わりの2曲 ━━
┃
┃「Passion」~「This Is Love」 / 「Automatic」~「光」
┃
┣━終わりの曲~始まりの曲━ / ━終わりの曲~始まりの曲━
┃
┃ アルバム「ULTRA BLUE」 / ライヴ「ヒカルの5」
┃この2年半の一旦終わりの作品/この2年半の始まりの5公演
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
もちろん、今回の考察だけでは、「なぜ、このツアーのテーマが“終わりが始まり”になったのか」或いは「そもそも“終わりが始まり”というコンセプトには、どんな含意があるのか」といったもっと興味深い疑問には答えられない。今の私にはその能力も理解も欠けている。寧ろ、これから書いてゆくライヴレポを通して、そういった疑問についての(ある程度の)答えも突き止められていけば、と考えている。何より、筆者自身が、このライヴレポの続きを期待している、というわけだ。とりあえずは気軽に受け止めておいてくれれば幸いである。次回に続く!(予定!;)
| Trackback ( 0 )
|
|
ま、これは置いといて、と(笑)
で、「光」。
これ、『DEEP RIVER』の最後の曲でもあるんだよね。
光陰矢の如し とか、
1“光年” とか。
光ってさ、時間をあらわすこともあるんだよね。
日時計も、光かな。
だから、私は別の意味で、
>終わりが始まり
を感じてました。
「光」で終わって、
時間をあやつる「Passion」へ。
ループ。
うん。どっかでこの映像、見たような。
「CASSHERN」ですな(笑)
「Opening」の最後、
まばたきをするヒカルちゃん、
かすかにほほえんでるんだよね。
まるで、いまから始まるこのループの罠に、落としいれようとしているような。
それがまたいいんだけどさっ(笑)
次回に続くっ!
あ、光年についてね。
距離ではなくて、時間の視点からみました。
だからそこはつっこまにゃいでね。
どうしてこれが、始まりの曲になるのか、
オフ会で話したこと、補足よろしくっ!(笑)
「光」がアルバム最後の曲だから云々、ってのは、
前回のヒカルの5のライヴレポのときにちょこっと触れているが、
これって「入口は広く出口は狭く」っていうコンセプトからも、
ちょっと来ている気がした。この曲って、Hikkiの「自分らしさ」の
集約みたいなものだから、一番コアともいえるわけで、
結構間口が狭いものだと(最初は)思ってたんじゃないかな。
だから、この曲は「出口」なんだと思う。
そう、歌詞にあるようにねw
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=66490
この一節を読みながら、「ヒカルの5」のオープニングを思い出してみると、、、
・・・って、しまった、リラート内のネタここで使っちゃったっ!( ̄ロ ̄;
まいっか(^^ゞ また「光」について書いたときに再掲しよう。
「Passion」がなぜ始まりか、ということについて、、、というのは、
歌詞の内容と絡めての話のことかな?? 単純に、この曲が最も
全体のテーマを“中心で”体現しているから、ってのが
大雑把な答えになるけれど、これもおいおい書こうかな、、、いや、
こうやってオイラがモタモタしているうちに、コメント欄に
いろいろ書いてくれたら、それに応じてまた書くからねん☆
> 光年
一応、解説しとく。
アルバートくん以来、光速は時間と空間より先んずる存在になりました。
速度って空間と時間の割り算だからね。この割り算を優先させて、
相対論ってな出来上がってます。だから、時間も空間も、
光速に基づいて測られるようになってるだわさ。現代ではな。
光がなければ、時間も空間もないんだよん。
> まるで、いまから始まるこのループの罠に、落としいれようとしているような。
確かに。(笑) “ループの罠”、か、、、またヒントがここにひとつ、、、。
ライヴレポ(というのか最早??)の続編は、
また後日(いつだよっ!(怒))掲載しますね~
それまでは、こうやってコメント欄で小出し小出しに、、、w
よく聞く、“アメリカの大学”みたいですな(笑)
こういうのだったら、いくらでもかけるんだけどなー
卒論どうしよ。
光。
光って、懐中電灯型か、ろうそく型か。
まっすぐな光か、あたりを照らす光か。
つまり、本来なら、
>入口は広く出口は狭く
これはありえないんだよね。
ただ、
出口に自分が立って、そこから光を打つと、
「入口は広く出口は狭く」なる。
自分が光となる。
トンネルの先の光に。
その先には希望があって。
希望。
それが俺とルナの子供だ。
……とちょうどCASSHERNの最後の曲を聞いていたのだが(笑)
でも、そういうこと。
“こういうの”って、どうゆうの?(^o^;
光は乱反射を繰り返させてひとところに集めると
眩いばかりの強さになるんだよ。
紆余曲折を経て強くなる誰かさんwith僕らも、
そういうんじゃないのかぃ。
「全ての確信は希望であり、また希望こそが最大の確信でもある」
これが、“子供”のことだとしたら、
夫婦で両側からひとつのことを表現したことになりますな。
ふむ。考えさせられるわ。UD06DVDのブックレットには
新しい詩が掲載されるのかなぁ。懐かしい。
曲に関すること。
人、じゃなくてね。
ああ、そっちね。>光
たしかに。
だから、彼女は出口に立つんだよな~。
ただ、さいたまでは、詩の朗読はなかったからねぇ。
出口と入口とそれを繋げるトンネルと光。
どういうイメージなんだろうね。
布団かぶってMDに鼻歌録音してる、ってことか?(笑)
あぁ、そうだねぇ、あのとき期待してたのに、朗読なかったな。
忘れていたよ。でも、編集次第だからさw 期待々々www
いや、ライヴレポ、いつ更新するんだ俺。(苦笑)
読者サマ、申し訳ござりません、、、暫し、、、m(_ _;)m
卒論としては、読んでて面白くないじゃん。
それこそ自己満足になっちゃうし。
>トンネル
入り口は広くて、出口は狭いんでしょ?
いまパッと浮かんだのは、
よくあるバラのアーチみたいな(笑)
幅50cmくらいのw
気が向いたときに更新で十分ですよっ
何がテーマでも自己満足に陥るキケンセーは孕んどるがな。
他人に見せるために書くのだから、何より、
ひとにアッピールしたいテーマを選ぶのが一番だと思われ。
ってか、それってつまり「自分が面白いと思ったこと」から
始まるから、出発点は自己満足なんだよね~、それが面白いw
バラのアーチ? 痛そう。(笑)
なんだ、植物園か何かにあるやつかい??
お気遣いありがとうっ。 やさしいねv