今はあんまり言わなくなったかもしれないが、秋といえば食欲の秋、読書の秋、スポーツの秋、という風にこの季節は文化的な取り組みをするのが通例だった。しかし、ここ十数年、殆ど真夏ともいえる残暑に苦しめられているうちに台風が何個も押し寄せ、翻弄されているうちにいつの間にか冬になってた、という感じで「あれ、今年は秋あったっけ」となってしまっている。これは春も同様だろう。
実際、今年は暑さを通り過ぎた途端雨続きで、まるで二度目の梅雨、或いは乾期の後の雨期である。日本も亜熱帯化しているというのなら乾期と雨期の繰り返しになるのも…と一瞬思ったが、日本の夏は乾期と呼ぶには湿度が高過ぎる。全然カラッカラじゃない。湿暑期と雨期とでも呼んであげようか。
秋に文化的な色合いが強いのは、伝統的には収穫の時期で生活が豊かだからだが、過ごしやすい季節に落ち着いて活動できるという意味で現代にも通用する習慣であった。それがこんな風な気候の変化では。エアコン頑張れ。
さて、では秋の宇多田ヒカルといえばどんな感じだったか。新曲を発売したのは99年、01年、05年、06年といった感じか。04年はUtadaが秋にアルバムを出している。00年と06年はツアー終了後ということで幾らか休みが取れただろうか。そんな中で"ぼくはくま"を発売出来たのは特筆に値する。発売日の日付的には冬のシングルといって差し支えないのだが、どうにも自分の中では"秋の名曲"という印象が強い。曲調が秋っぽいとかではなく、みんなのうたに絵本にと、どこかいつもの浮ついた商業的な感覚の薄い、作品とその作品性そのものに焦点を当てた活動が、なんだか人間文化の"真の豊かさ"みたいなものを感じさせたのだ。更に、ファンが如何にこの歌を愛しているかを表現する企画まで行われた。いつもいつもレコード会社の屋台骨を期待され売上だ何だと言われ続けていた宇多田ヒカルの活動に漸く収穫の時"秋"が訪れた。それが"ぼくはくま"だったのではないか
。
だとすればヒカルは、この歌を作った時も勿論だが、この歌を発表した事でますますこの歌を好きになった、そんな風な気がしている。とんでもない愛情がなければぬりえコンテストの2万枚を超える応募総てに目を通すなんて凄まじい所行を完遂できる筈がない。“ぼくはくま愛”所以である。
あの9年前の時間を経て今ヒカルは初めての”母親としての秋“を迎えている。ぼくはくまを歌い聴かせているだろう。今のヒカルの母性に溢れたぼくはくまを是非聴いてみたい。それこそ本物中の本物だろうな。
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