今月頭に発売になった漫画「ワンピース」の最新巻で「おや?」と思わせる場面があった。私は「このクラスの扱いのキャラクターでこの雑なキャラデザ? さしものキャラデザ神尾田も遂にネタ切れか?」とそこで一旦訝ったのだが、いやはや、やっぱり尾田は天才でした。私が浅はかなだけでしたとさ。キャラデザ神、健在どころかますますパワーアップやん。詳しくはネタバレになるので控えます。
20年近く続く連載がその名の通りひと繋がりになっているのが同作最大の魅力だが、勿論キャラクターの力も半端ではない。恐ろしいのは脇役チョイ役に至るまでこれでもかと1人々熊キャラクターデザインを描き分け続けている点だ。モチーフがあからさまなものも大量にあるとはいえ、漫画家というのは大抵自分の得意な方向性でしか画力を発揮できないものなのにこの人はまさに全方位。苦手な分野なんてあるんだろうかと疑いたくなる。
その秘訣のひとつに「美男美女にこだわらない」というのがある。美男美女というのは、よく言われるように「平均顔」な為、美しくしようとすればするほど似通っていく。中央値に収束しているんだからね。だから美男美女の描き分けは難しく、髪型を変える位しかなくなる。天才尾田だってその例外ではなく、美女・美少女がアップで会話を続けるとどちらがどちらだか時々わからなくなる。
しかし、大抵の場合尾田は「異形のもの」を描きたがる。いわば際物だ。そうなると途端にバリエーションが豊富になる。何しろ中央値に収束せずに幾らでも全方向に拡散できるのだから。お陰でどんどんキャラデザがデフォルメ化していくのはご愛嬌だが。
そういう事が出来るのも、尾田が「異形のもの」を心底愛しているからだ。こどもが漫画を描き始める場合、かなりの割合で美男美女から描いていく。夢や理想が投影されるから当然なんだが、それが極まるとあだち充や高橋陽一のように「描いた本人ですらキャラクターの判別がつかない」事態に陥る。あだち充キャラ当てクイズ画像は本当に笑える。もとはテレビのクイズ番組だったのかな。
人が美男美女を愛せるのはある意味当然である。だから描きたくなるし、観たくなる。しかし尾田は逆方向を選んだようにみえる。「偏り」「癖」「拘り」といったともすればネガティブと捉えかねない要素を総て「個性的な魅力」として愛せてしまう。でなくばあそこまで気合いの入ったキャラデザを何百何千とは生み出せまい。そうやって、中央から大きく外れる「半端者」たちを拾い上げられるかどうかで、作品の魅力が変わっていくのである。
…拾い上げる? うん、そうだね、この話の続きはまた次回にでも。
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