無意識日記
宇多田光 word:i_
 



今日11月11日は「1111」という並びが弦4本に見えるということで「ベース(ギター)の日」だ。普通のギターの弦は6本だがベースギターは低音だけ鳴ればいいということで4本しかないのよね。ま、理屈の付け方は「ポッキーの日」とそんなに変わらんわ。


ヒカルのベースの使い方は、一言で言えば「打楽器の一部として」だ。あまりベースを単独の楽器として捉えて居らず、ドラムセットやパーカッションに組み込むカタチで毎度編曲している。トライアングルやタムやコンガといった「セット全体の一要素」という感じ。ベーシストといえばロックバンドを組めば必ずそこに居る重要な存在なのだが、率直に言ってヒカルはかなりベースを軽んじているように思う。音は重いのにね。

例えば『Stay Gold』なんかはベースレスだが、恐らく殆どの人はそんなことは気にならない。毎日「どこかに美味しいベースリフは落ちてないかしらん?」と新しい音楽を摂取している私のような人間ですら、同曲にベースが入ってない事を不満には思わなかった。確かにこの曲独特の浮遊感にベースレスというコンセプトは一役買ってはいるものの、そもそも宇多田ヒカルの編曲にベース自体そんなに重要ではないから、無ければ無いで楽曲は問題なく成立した。『In The Flesh 2010』や『WILD LIFE』ではベースを擁するアレンジの『Stay Gold』が聴けるがそこまで劇的な変化は無い。元々の楽曲の構造にベースが不要だからだ。あってもなくても変わらないのですわ。

「打楽器の一部として」というのは、この楽器が曲の中で一番目立つ場面においてどう使われているかをみればわかりやすい。例えば『誰にも言わない』の3:04のところ。例えば『忘却』の2:54や3:23の場面。「ずーん!」とベースが大きく1音鳴らされるが、これらなどはまるで銅鑼やクラッシュシンバルをバシャーンと打って見せ場を作るのに近い感じがするのよさ。フレーズの面白みよりもタイミングと音色の迫力で押すこの感じはまさに打楽器としての使い方だろう。

思い返せば、例えば『甘いワナ~Paint It, Black』のベースラインなどは流麗な流れで跳ねるようなグルーヴを生み出していて、如何にもベースギターの長所を活かしたフレーズとなっていた。しかし、恐らくアレはヒカルのアイデアではない。あたしの勝手な想像でしかないけれどね。当時は余り編曲面では貢献していなかったからさ。

そんなヒカルのベースへのアプローチだが、デビュー23周年も間近に迫ったここにきてやっと、『Find Love』と『君に夢中』で、「おっ!?」と思わせるベースラインを繰り出してきている。果たしてあれらがヒカルのアイデアなのかどうか、やっぱり小袋成彬のインプットなのかどうかは、各曲のフルコーラスをハイレゾサウンドで聴けた時に改めて判断したいと思う。ま、誰が作ったものであれ、美味しいベースラインが鳴っているのは大歓迎な私でありましたとさ。ベースの日万歳っ。

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常々思っている事だが、なぜに公共放送の貴重なニュース枠で民間企業の営利活動である「プロ野球」についての報道が毎日あるのだろうか。民放なら好きにすればよいが、あれだけ普段商品名を明示するの避けたがる公共放送がヤクルトだロッテだと言うててええんかいなと。

国民の注目度が高いから、というのであれば、同じかそれ以上(アリーナもあるので)の観客を動員するドーム公演を行うミュージシャンのライブについても同じように報道してもよいのではないか? 巨人が勝ちました負けましたといったどこの進撃だよそれはという話だけでなく、「昨夜は東京ドームで乃木坂46がコンサートを行い46曲を熱唱しました」などとも報じればよいのに、と思う。ラジオのニュースだったら余計に音楽の報道の方がいいだろう。特にプロ野球のシーズンオフはドーム会場が空いてるのだから一年の半分は同じ枠で「昨夜日本で行われた国民注目のコンサート」を毎日報じてもいいんじゃなかろうか。前も書いた気がするけど。

いや、結局、ずっと地上波で中継してきたお陰で50代以上の認知度が高いってことなんだろうが、習慣に囚われず常に批判的に編成を見直して欲しいものですよ。


ヒカルがその公共放送に登場する機会は結構ある。デビュー当時から常に話題になっていた「紅白歌合戦出場」も2016年に果たした。「みんなのうた」に『ぼくはくま』が登場した2006年から数えて10年後とかだな。他にも近年は「SONGS」などで大きくフィーチャーされたりして恩恵を被っている。

一方で危うさもある。『ぼくはくま』の歌詞が問題になってすわ「みんなのうた」降板かという局面もあった。特定の新聞社や携帯電話会社の宣伝を兼ねたプロ野球のニュースを流す放送局に歌詞の内容の文句を言われたくもないのだが、嘗ては、ヒカルもカバーした山口百恵の「プレイバックパート2」も歌詞を「真っ紅なポルシェ」から「真っ紅なクルマ」に変えさせられるなどの話もあったし(途中から本来の姿に戻したようだが)、aikoの「ボーイフレンド」の「テトラポット」は大丈夫なのかと話題になったこともあったわね。えらく厳格なイメージの局だったが、流石に昨今は柔らかくなったかな。

それを測れるリトマス試験紙があるとすれば『Kiss & Cry』だろう。『今日は日清カップヌードル カップヌードル カップヌードル』とまさにCMソングさながらに連呼する同曲を歌詞変更無しに公共放送局で歌う日が来ればその時やっと溜飲が下がる気がする。次のアルバムをリリースすればまたSONGS等に出演する機会もあるだろうから、『Laughter in the Dark Tour 2018』で披露した『Can You Keep A Secret?』をフィーチャーしたバージョンを放送で歌ってくれたらきっと楽しい。…ん?そうなると『お姉さんのリストカット』も全国放送に? 案外、そっちの方が話題になるかもね。

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