11月11日(日) 昨夜の“須賀川松明あかし”から無事にホテルに戻って、天然温泉に浸かり祭りの疲れを癒して就寝。
翌日の11日も朝からどんよりとしたの天候。
でも、ホテルの16階の部屋の窓からは小雨に煙る猪苗代湖が一望です。
今日も一日雨を覚悟してバスに乗って8時20分に出発!
小一時間走って城下町の会津若松市へ到着。
運良くバスの停車に合わせたように雨が止みました。
お土産屋の駐車場で降り、お土産屋の中を通ったら直ぐに城の内堀。
堀を渡ると「史蹟 若松城」の大きな標石。
たしか、会津のお城は“鶴ヶ城”って名前だったけど・・?
城域内看板に城名の説明がありました。
「昭和9年に鶴ヶ城が国の史跡に指定された時、文部省は所在地の地名を登録名としたそうです。 このため公式には“若松城”と登録されたのです。
一般的には“鶴ヶ城”が有名ですが、古くは“会津城”とも云われていました。」
まっ、会津城でも若松城でも鶴ヶ城でも何でもOKってことですね。
城内は今が紅葉の真っ盛り!! モミジや銀杏が色付いて綺麗なこと・・・。
会津の名城・鶴ヶ城!! 五層の天守閣は36m。 昭和40年完成。
(昔の城は白虎隊で有名な戊辰戦争で破損し、明治7年に取り壊される。)
拙者は駕籠に乗って登城のつもり・・・、誰も担いでくれません。
城の天守閣に入場すると色々な展示品があります。(主は戊辰戦争と白虎隊。)
カラフルな会津凧。 江戸時代の平均身長は大人で156cm、現代人より10cm低かったようです。 火縄銃は幕末の混乱期・戊辰戦争のスナイパーでしょうか?
会津の鶴ヶ城天守から見た飯盛山・・・。(中央のピラミッド状の山。)
幕府に忠節を尽くし、官軍と戦った少年達は城下の炎焼を城の炎上と錯誤して飯盛山で全員自刃したそうです。(昔の武士は志が高かった、それに引き換え自衛隊・防衛省の腐敗ぶり! 税金泥棒は防衛省の代名詞!!)
紅葉に染まる鶴ヶ城の干飯櫓と会津市街です。
天守閣から伸びる長い廊下は干飯櫓に続く南走長屋で平成12年の落成。
久し振りに訪ねた会津鶴ヶ城! 戊辰戦争で多くの少年少女が自刃したとは想像もつかない静けさでした。 甍は時代の変遷を無言で物語っているようでした・・・。
2007 11 29(木)記。 前橋市 最高気温10℃。
11月29日 いい肉の日( ※ 下のブタ肉は不味くて食べられません。)
腐臭を放つ防衛ブタ二匹(守屋武昌・幸子)が逮捕され、文字通りブタ箱でクサイ飯!!
守屋天皇・幸子女帝と呼ばれ絶大な権勢を誇ってタカリ放題。
これからは犯罪守屋家の汚名をかぶり地獄逝き・・・!
腐臭ブタを重用し、長年に亘り好き勝手にさせた責任者は小泉・安倍・石波!!
醜悪ブタの退職金7600万円はまだ返還されない。「盗人に追い銭」とはこの事だね。目つきが極めてキモイ石波は責任とって早く辞任しろ!
防衛予算(約5兆円)は自民党の重要な資金源の一つ、群がった自民政治屋にも巨悪が間違いなくいるかも・・・。 ここクリック。
病院へ逃げ込んだ久間と宴席・GOLF疑惑の額賀はいかに・・・!?
新宿区矢来町の守屋容疑者の自宅から長女が報道陣へ放水!!
犯罪者の娘だけあってすごいね、まるで、和歌山の毒カレーおばさんみたいだね。
秋の夜空に輝くお月様の世界へ御招待・・⇒人工衛星「かぐや」の画像はここ。
NHKが国民の金で開発したハイビジョンで撮影した月画像をインターネットで日本国民には見せないで、カナダのDiscovery channel へ売ってカナダからネット上に発信されているって、NHKは日本国民を馬鹿にしているにもホドがあるよ。
NHK受信料拒否にも理解できるね。
11月10日(土) “ホテルリステル猪苗代”で超早めの夕食を摂ってからバスに揺られて約一時間、今回のバスツアーのメイン観光”須賀川松明あかし”見物へ・・・。
高速道路から須賀川市内へ入ったら、バスの運転手が「今日は何でこんなに道路が空いているんだ。普段なら祭りで大渋滞なのに・・。」って。
今日は朝から雨模様。ホテルから須賀川市までの間も土砂降り状態!
だから、雨で松明あかしを見物に来る車が敬遠したのでしょう・・。
ともかく、空いている須賀川市内をスイスイ通過し、バス専用駐車場の「須賀川牡丹園」へ。
バス駐車場も有難いことにガラガラ状態! 今まで降っていた雨まで何故か止んでしまいました。
須賀川牡丹園は世界でも最大級の有名な牡丹園ですね。
230年余前の明和3年(1766年)に当地の薬種商・伊藤祐倫が牡丹の根を薬にしようと攝津の国から牡丹を取り寄せ栽培したのが須賀川牡丹園の始まりと云います。
10ha(東京ドーム3個分)の敷地に290種・7000株の牡丹が植えられています。
江戸時代から立っているみたいな「牡丹園石碑」と近年に牡丹園のシンボルとして造られた「牡丹姫像」。
牡丹姫像は楊貴妃のセミヌードみたいな雰囲気でした。 まっ、牡丹は中国から伝わったものですからね・・・。
バスを下車して“須賀川松明あかし”会場までは無料シャトルバスで移動です。
5分ほどでシャトルバスは松明あかし会場近くに到着。
3分程歩いて会場のある小高い五老山の翠ヶ丘公園(みどりヶ丘公園 26ha・日本公園百選の一つ。)へ・・・。
“須賀川松明あかし”会場には既に十数本の大松明が立てられ祭りの開始を待ちわびていました。
稲ワラ・ムシロと木材(本当は萱と竹と畳表、下のコメントをご覧下さい。)で作られた大きな松明には、それぞれ企業や学校の名前が書かれています。
周囲には大人の関係者や松明あかしに参加する学生達が沢山取り巻いて立錐の余地もありません。
須賀川城址にある二階堂神社で点火された御神火が五老山への坂を上ってきました。(午後6時頃)
御神火の最後尾には須賀川の高校応援団が団旗を高らかに奉げ行進していました。
暗闇の翠ヶ丘公園会場には巨大松明(たいまつ)が所狭しと林立!!
数校の応援団も到着し一斉に校歌や応援歌を大声で斉唱開始。
御神火が篝火に移され、いよいよ“須賀川松明あかし”の開始です。
会場で一番巨大な“大松明”に若者が命綱も付けずに素手でよじ登ります。
この大松明は高さ10m・直径3m、重量3トンの大きさ。
若者が最上部に着くと、下から綱を伝わった御神火がスルスルと松明の頂上に・・・。
御神火を受け取った若者が大松明の先端に点火し、無事役目を果たして下へ・・・。
続いて最初に点火された大松明より少し小振りの姫松明へ娘さんが登ります。
大松明の若者の時とは違って、女性ですから梯子を使って安全作業。
大松明と姫松明に火が入れられ、夜空に炎が煌めきました。
その後は翠ヶ丘公園に林立した松明に次々と点火されてゆきます。
燃え盛る松明の下では高校生応援団が日頃の練習成果を披露し、盛んに校歌などを歌っていました。
燃え盛る炎の中を勇気ある若者は10mもある松明の上に登ってゆきます。
各松明の炎が天をも焦がす勢いで燃え盛っていました。
翠ヶ丘公園いっぱいの大松明が一斉に燃え上がり、この世のものとは思えない壮観さを呈し始めます。
炎上しながら大松明が崩れ落ちてゆく様は戦国時代の須賀川城の落城を見るようです。
“須賀川松明あかし”は須賀川城攻防戦に散った二階堂家将兵の慰霊祭でもあります。
遠く離れていても炎の輻射熱が見物人の頬を熱く焦がしていました。
公園の松明会場の片隅では仕掛け松明です。
仕掛け炎は旗指物を背にした騎馬武者でしょうか?
須賀川城を形取った炎の仕掛け!
美しく燃える様は、伊達政宗に攻略され、紅蓮の炎に包まれる須賀川城の最期を目の当たりにしているようでした。
炎でオレンジに焼けた五老山の下では盛んに須賀川太鼓が打ち鳴らされ、“須賀川松明あかし”の火祭りを盛り上げていました。
勇壮な須賀川太鼓のリズムは“松明あかし”の燃え盛る会場にも響き渡ります。
一面が火の海と化した会場はさながら火炎地獄絵を見ているようです。
凄まじい業火のなかにチョッピリの哀愁を見ている人に感じさせる晩秋の風物詩!!
須賀川市の“須賀川松明あかし”は400年の伝統を誇り、日本三大火祭りの一つに数えられ、秋の東北を彩る大火祭りです。
須賀川松明あかしの詳しい由来などはここクリック。 動画はこことここ。
運良く見ている間は雨にも降られず、“須賀川松明あかし”を十二分に堪能し、再び天然温泉・ホテルリステル猪苗代へ・・・・。
2007 11 27(火)記。 前橋市 最高気温13℃。
秋の夜長、寝付かれない人に寝台列車の動画をプレゼント。⇒ここクリック。
11月10日(土) 秋本番、紅葉の季節にバスの旅へ・・・。
一泊二日で4食事付きの格安バスツアーに参加し、福島・茨城方面へ出掛けました。
バスツアーの名称は「須賀川松明あかしと紅葉の袋田の滝」です。
内容充実に引き換え、料金は23980円と格安設定でした。
群馬県○×駅前を朝6時に出発。数箇所で参加者をピックアップしてから、雨の中バスは東北自動車道を一路磐梯方面へ・・・
東北自動車道を降り、猪苗代湖への途中で昼食タイム。
数年前にも大内宿のバス旅行で立ち寄ったドライブイン「磐梯ドライブイン」に到着。
団体旅行様専用のドライブインみたいですね。
店内では郡山薄皮饅頭や金箔カステラなどの試食品も盛り沢山です。
バスツアーの昼食は10時50分と少し早めでした。
昼食に用意されたのは蒸篭(セイロ)五段重ね弁当!
温麺の入った椀物も付いて立派な御膳でした。
「磐梯ドライブイン」の食事は何時でもお徳用とおもいます。
早めの昼食を済ましてから、バスは紅葉の会津路を猪苗代湖と裏磐梯へ向かいました。
小雨降る車窓からの山の紅葉画像です。
日本で二番目に大きな湖・猪苗代湖はバスの窓から眺めていました。
雨降りですので、下車しても仕方ありませんね。
次にバスから降りた所は裏磐梯の五色沼の一つ毘沙門沼。
毘沙門沼周辺は紅葉が真っ盛り!!
運良く雨は小休止状態で、傘もささずに散歩です。
良く晴れると毘沙門沼の彼方に雄大な磐梯山が見えるのですが・・・。
晴天の沼の色とは違って落ち着いたコバルトブルーに紅葉が映えていました。
乗る人がいないボートの横では錦鯉が群れて餌のオネダリです。
雲の切れ目から薄日がもれて湖水と紅葉が一層鮮やかさを増していました。
綺麗な湖水に紅葉が良く似合う日本の典型的な秋の景色ですね。
毘沙門沼の紅葉風景をたっぷり堪能してからバスの出発まで近くの土産店で無料茶など頂いて暇つぶしです。
次なる行き先は「世界のガラス館」とか・・・。
かの有名な“野口英世”の生家の直ぐそばでした。
店内には世界中から集めたガラス器などが展示即売されていました。
ガラス吹きでガラス製品を作る実演も見学出来ます。
様々な美しいガラス品が所狭しと並べられて女性達の歓心を買っていました。
バス旅行のお土産店としては洒落た店でしたね。
世界ガラス館から裏磐梯の紅葉を車窓から見物して、今夜の宿泊ホテルへ・・・。
大きなホテルです! 遠くから見ると山間の巨大ダムみたいです。
ホテルの名前は「ホテルリステル猪苗代」。18階建ての天然温泉付き巨大ホテルです。
午後3時にバスは到着し、そのままチェックイン。 筆者は一人参加なのに有難いことに16階のツインベッドルームです。
窓から猪苗代湖が一望できる綺麗な部屋でバス旅の疲れも癒せます。
バスツアーのメインイベント「須賀川松明あかし」を見に行くので早めの夕食になりますとの説明がありました。
なんと!驚きの3時30分からの夕食です。病院の夕食より早いですね。
格安バスツアーにしては豪華な夕食が出てきました。
メタボを気にしながらも全部頂き、今夜の“須賀川松明あかし”見物のエネルギー補給としました。
次回は“須賀川松明あかし”本番です。
11月24日(土)記。 前橋市 無風・快 最高気温14℃。
11月4日(日) 今年初めての菊花見物。
場所は伊勢崎市の赤堀地区・磯町の「小菊の里」です。
有名な赤城山山麓で伊勢崎市最北端に位置する小高い峰岸山(標高168m)の南斜面の広大な敷地(2.5ヘクタール)に沢山の菊花が植えられていました。
遠方からも「小菊の里」が鮮やかに眼に飛び込んできました。
遥か後方には赤城山の峰々が迫っています。(11月19日初冠雪)
200m程離れた所にあるゴミ焼却場の駐車場から田舎道を歩くと直ぐに「小菊の里」へ到着。
「日本一の小菊の里」のノボリ旗が菊園を取り囲む様に立てられていました。
「小菊の里」は伊勢崎市の新名所のするべく、地元の有志たちで作られた「小菊の里づくりの会」(約280名)が中心になって植え付け・管理されているそうです。
有難いことに「小菊の里」の入場は無料です!!
菊園内が広すぎて全域は写せません。
黄色の菊花がまぶしい程の鮮やかさでした。
小菊は玉菊とも言われるそうです。
全体が丸い形状ですから納得できます。
天気は晴れたり曇ったり、鮮やかさが欠ける画像は陽が翳った時のものです。
黄色の菊花にもオレンジっぽい花もありました。
立体物の接写はピントの位置が難しいですね。
「小菊の里」の中央通路から下側は紫小菊が所狭しと植えられていました。
黄色菊とは対照的に地味っぽい紫菊花です。
峰岸山の斜面一帯に植えられた小菊は2万株と云います。
一ヶ月間の菊祭りの期間中には萎れた菊花は新たな花と植え替えられるのです。
「小菊の里」の中央には展望台が設置されて園内が一望できます。
展望台からの眺望の素晴しさは圧巻の一語でした。
色とりどりの菊花が咲き、玉菊で文字図形も描かれていました。
展望台横のテントでは地元の特産品(農産物)を販売中。
菊の鉢植えも超特価で良く売れていました。
白・紫・黄色・赤・・・の菊花が晩秋の空に鮮やかに映えていました。
白菊の花も清楚で「野菊のごとき君なりき・・・」ってな感じです。
黄色菊の間には食用菜が植えられていました。
菊の香りで害虫が付きにくいからでしょうかね?
峰岸山の上部からの「小菊の里」の眺望です。
ここでは玉菊を一株単位で販売しています。
気に入った菊株を掘り起こして大きなプラ鉢に移して売っていました。
「小菊の里」では蝶と蜜蜂だけが楽しそうに舞い遊んでいました。
くっきりと眼に鮮やかな菊は日本の秋を彩る代表的な花ですね。
小春日和の一日、皆様も伊勢崎市「日本一の小菊の里」を訪ねては如何でしょうか・・・。
11月19日(月)記。 前橋市 最高気温10℃。
今朝は北関東の山岳地帯に初雪!
ネコ鍋って動画は最近有名ですね。
今日は寒いので、我が家では・・・。
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ねこ釜飯です!!
美味しくほっかほっかに炊けてますよ。
11月3日(土・文化の日) “本庄まつり”の夜の部・宵祭り。
夕闇迫るなか華麗な山車行列は商店街からJR本庄駅前を経由して市民プラザ広場へ・・・。
山車の前には本庄の綺麗どころが艶やかな手古舞姿で先導します。
子供囃子も大活躍です。日頃の練習が効を奏していますね。
晩秋の夕闇がせまるなかJR本庄駅そばの市民プラザに続々と山車が集合しました。
それぞれの山車にも提灯に灯が入り、その優雅な姿が祭り情緒を醸しています。
各山車の柱には豪華・細密な彫刻(龍が多い。)が施され人目を引き付けていました。
本庄市民プラザではTV局が“本庄PRレディ”にインタビュー。
流石に皆さん綺麗なお嬢さん達で受け答えもしっかりしていましたよ。
山車のお囃子台でも可愛いお嬢さん(将来のミス本庄。)が小太鼓を叩いていました。
本庄市照若町の桃太郎山車の破風に飾られた雉(キジ)・犬・猿の透し彫りはお見事!
山車背面の金糸銀糸で刺繍された緞帳は鮮やかな輝きを放っていました。
現代風の娘さんもイナセな姿でお囃子の鉦(かね)を弾いています。
本庄市の街中を練り歩きながら山車は次々と市民プラザへ・・・。
星空の下、華やかな時代絵巻が次々と繰広げられました。
市民プラザ広場は山車の迫力あるお囃子合戦の場でもあるのです。
美しい手古舞さん達もお祭り本部のある市民プラザへ・・・。
本庄の鳶職(とびしょく)による木遣歌と纏回しで“本庄まつり”宵祭りの幕開けです。
市民プラザ広場に11基の豪華山車が勢揃いしました。
北関東随一の山車の競演と云われています。
本庄市の市長(中央の紫たすき)も駆けつけてご挨拶。(短くて良。)
照若町の桃太郎山車の上から縁起物の撒与が行われ、皆さん一生懸命に拾っていました。
撮影している筆者の所までは届きませんので内容物は不明です。
各山車の上には人形が飾られ、いっそう華やかな雰囲気となりました。
上右の人形は上町山車の神功皇后(じんぐうこうごう・女帝)の朝鮮遠征(三韓征伐)の姿でしょうか?
次は闇夜に浮かぶ素盞鳴尊(すさのおのみこと・イザナギの鼻水から生まれた。)の威厳に満ちた姿。
11基の山車(三重高欄)にそれぞれの人形がせり上げられ、市民プラザの一帯は祭り熱気に包まれています。
大勢の観客を巻き込みながら、お囃子合戦は最高潮に達していました。
本庄市民プラザ広場での華やかな山車宵祭りの後、それぞれの山車は街中に向かって移動します。
各町内の辻々で数基の山車が鉢合わせになって、そこでもお囃子合戦を繰広げました。(下画像は本庄銀座通り。)
辻でのお囃子合戦は「辻の叩き合い」と云うそうで、本庄市内の辻々(4ヶ所)で叩き合いが行われていました。
夜が更けるにつれますます“本庄まつり”は盛大になり、観客も巻き込んで華やかな祭りのクライマックスを迎える事となります。
埼玉の本庄市にこれほどの豪華な山車が揃っているとは知りませんでした。
流石に本庄は中山道最大の宿場町として繁栄を誇っただけのことがあります。
昼祭りの曳き回し・宵祭りの辻叩き合いともに見る人の胸を熱くさせていました。。
皆様にも“本庄まつり”をお奨めいたします。
2007 11 15(木)記。 前橋市 最高気温23℃。
11月3日(土・文化の日) いよいよ本庄まつりの本番。
前回の金鑚神社を参拝したあと、本庄まつりが行われる本庄商店街へ・・・。
“本庄まつり”の先導は赤天狗様。下駄は一本ではなく二本歯でした。
豪華金ぴかな御神輿は台車に載っての巡行です。
最近は若者が減って担ぎ手不足。 日本中祭りは何処でも人手不足ですね。
近未来は外人主体のお祭りになりそうです・・・。
御神輿のお供に山車行列が続きます。 赤い連獅子は南本町の山車。
お囃子太鼓を叩いていたのは美人さんですね。鄙に稀なるとはこのこと・・・。
本町の出しは石橋(しゃっきょう・白獅子)の出し物です。(石橋詳細はここ。)
彫刻も緞帳も驚きの絢爛豪華さ!!
お祭り衣装で着飾った娘さん達も薄化粧で可愛さ倍増!
街の辻々では山車の前で小さなお子さんの扇子踊りです。
石橋人形もさる事ながら、金箔うるし彩色の彫刻が素晴しい。
後ろの緞帳も唐獅子刺繍を織り込んだ文化財物の逸品です。
何で埼玉の本庄にこれ程立派な山車が?・・・と誰しも思います。
“本庄まつり”で巡行する山車は明治5年から大正13年にかけて建造されたそうです。現在でも10基が健在で祭り巡行していました。
当時、この地方も生糸の輸出で大いに栄えたそうで、その時の財力で造ったそうです。
娘祭り囃子も賑やかに本庄まつり山車巡行は続きます。
弓先に金鵄(きんし・金色のトビ)を頂いた神武天皇は山車人形の定番ですね。
笹竹に囲まれた武将の加藤清正公は七軒町の山車です。
埼玉県は武蔵野国ですから、太田道灌公も鷹狩り姿でお出ましです。
人形や緞帳の他にも山車の側面にある彫り物が素晴しい。
加藤清正公の山車には見事な朝鮮虎の迫力ある透し彫り。
山車上部の人形を上下する巻揚げ機は奥ゆかしい人力作業です。
日本武尊は宮本町からの山車人形。
泉町の山車は子を抱いた珍しい武内宿禰(たけのうちのすくね)人形です。
武内宿禰は300歳まで生きたと言われる伝説の人。(詳細はここ。)
金杖を鳴らしながら祭り衣装姿のミス本庄たちの先導で商店街を山車行列は巡行しました。
おかめ・ひょっとこの舞踊りも登場し、本庄まつりは佳境に入ります。
本庄は美人の産地でしょうか、お囃子に綺麗な方が優雅な音色を奏でていました。
山車の前破風に彫刻された犬・猿・雉を従えて鬼退治を終えた桃太郎。
絢爛華麗な衣装に身を包んで登場しました。
“本庄まつり”はその昔し、中山道随一を誇った本庄宿の秋祭り。
金鑚神社からの祭神を神輿に乗せて先頭に、国道旧17号線の商店街からJR本庄駅へ華麗な山車巡行。
山車の規模と豪華さと台数は北関東一を誇ると謂われています。
晩秋の時代絵巻、“本庄まつり”は必見の秋祭りです。皆様にもお奨めいたします。
次回は本庄まつりの夜祭り篇です。
2007 11 13(火)記。 前橋市 最高気温20℃。
11月3日(土・文化の日) 本庄まつりの祭神・金鑚神社。
3日文化の日は埼玉県北部の本庄市市の“本庄まつり”見物へ・・・。
本庄祭りは本庄地区最大の金鑚神社(かなさな神社)の秋の例大祭。
地元の本庄では「本庄の鎮守様」と親しまれている金鑚神社で、秋の収穫に感謝を奉げる為のお祭りです。
本庄商店街から続く、旧国道17号線脇にたたずむ金鑚神社。
祭り神輿も出発して境内は人影もまばらです。左の建屋は神楽殿。
金鑚神社と印した大幟旗の奥に鳥居と大きな楠木(クスノキ)。
胴回りが5.1m、高さ約20m。 南方産の楠木が北関東で巨樹に育ったのは非常に珍しい。
この楠木は1639年に本庄城主・小笠原忠貴が献木。(埼玉県指定天然記念物。)
楠木の近くには萱木(カヤ)の巨木も威風堂々と・・・。
両木ともに文化財に指定されています。
その奥には開かずの門の大門です。
大門の横に竹の釣竿を持った恵比寿様が鎮座していました。
本庄七福神の一つ、恵比寿尊をお祀りしているそうです。
(恵比寿様は七福神のなかで唯一の日本製の神様、商売繁盛の神。)
金鑚神社の境内を進むと、左手に立派な手水舎。吐水口は青銅製の見事な龍です。
金鑚神社社殿近くには舞殿の神楽殿。 人々が集まっていましたから、何か催されるのでしょうか?
石の階段を上がると、正面には見事な権現造りの金鑚神社拝殿(1778年建。)です。
天照大神・スサノオノミコト・日本武尊の三神を祭神と祭る。
創立は541年。武蔵七党の一つ児玉党の氏神で北武蔵の総鎮守社。
朱漆塗りに金箔・極彩色の彫刻を施した見事な造りの社殿です。
少し早めの七五三のお参りがみられました。
金鑚神社拝殿の唐破風下の彫り物は見応えがあります。
砂埃が無ければ、もっとカラフルで鮮やかだったでしょうね・・・。
柱の飾られた獅子と象の彫刻も迫力充分!
滝昇りの龍など、社殿に到る所に彫り物が満載です。
見づらいですが、金鑚神社の本殿(1724年建。)も彫刻に溢れていました。
金鑚神社本殿の奥には小高いお社がありました。
鳥居の扁額に「琴・・・」と判別しがたい文字が有りましたから、たぶん琴平神社をお奉りしているのだと思います。
絢爛豪華な社殿を持つ金鑚神社で皆様の御健勝をご祈念いたしました。
金鑚神社近くに大きな赤煉瓦造りのがっしりとした建物が目立っていました。
昔は銀行の建物だったそうです。(明治27年築。本庄商業銀行・・近年まで埼玉銀行。 文化庁の登録有形文化財。)
銀行にしても巨大ですのでお聴きしたところ、貸し金の担保としての繭などを保管していたのだそうです。納得しました、銀行の店舗兼倉庫だったのですね。
内部は洋菓子店に改装されていました。洋菓子「ローヤル」と云う洒落たお店です。
親切な店主が色々説明して下さいました、無料のコーヒーを飲みながらソファーで休めるので疲れを癒すには最適な洋菓子喫茶店です。(シュークリームはお値打ちな100円。)
次回は本庄まつり本編です。
2007 11 08(木)記。 前橋市 最高気温19℃。 立冬。
10月28日(日) 箕輪城の攻防戦を見物。
戦国時代の名城“箕輪城”で合戦絵巻が繰広げられるというので、群馬県箕郷町へ・・・。
「みのわの里のきつねの嫁入り」で9月30日に一度訪ねた榛名山中腹にある閑静な町。
狐の嫁入りは箕輪城を守った稲荷曲輪の狐に因んで創作された嫁入り行列と野外劇。 今回はその箕輪城で武田軍との城攻防戦が演じられました。
箕輪城大手口から武将達の行列が城域の杉木立の中を進んで来ます。
先頭は箕郷町御嶽教講社の山伏の面々。 続いて華麗な武具を身に纏った武者行列です。
秋の野花が咲乱れる二の丸跡地を行進して行きます。
暑い日差しの中、城跡までの長い上り坂には皆さん少しバテ気味です。
埼玉県寄居町からの応援部隊の武者達も続々と本丸跡に到着。
ちびっ子忍者隊や女子長刀隊なども入城しました。
程なく、本丸跡地でイベントが開始されます。
群馬名物“だんべぇ踊り”もオバサマたちの元気溢れるステップで盛り上っていました。
イマイチ品の良くないチ○ポコ楽器?も登場し、失笑ものでした・・・。
北野神社獅子舞保存会の舞う”綱切り獅子舞”は一見の価値があります。
この他にも玉取り獅子舞や箕輪城太鼓などがにぎやかに演じられました。
山伏行者姿(村野氏)の鳴らす法螺貝で武田軍と箕輪城兵の本丸跡へ入城開始。
武田軍の風林火山の幟旗の金文字がキラキラと輝き威風堂々の行進。
武田軍のくの一(女忍者)で参加している素敵な人は確か“寄居町北條まつり”に・・・。
友情応援の寄居三鱗隊の一員として参加しているのですね。
延々と続いた来賓の挨拶や役員紹介のあと、やっと箕輪城攻防戦が行われる段となりました。
古式大筒(大砲)が一斉に轟音を轟かせて合戦の火蓋が切られました。
黒い武田軍の猛攻を必死でくい止める箕輪の将兵の防戦模様が展開されます。
(足軽・雑兵の陣笠や甲冑はフェルト生地を用いた手作りです。)
集団乱戦での決着が着かず、 武田と箕輪の武将の一騎打ちが行われました。
格闘の末、一騎打ちでは箕輪軍の武将が相手を切り伏せて完勝。
味方武将の敗死に怒り狂ったった武田軍は再度箕輪軍に猛攻を仕掛けます。
死力を尽くして防戦した箕輪軍が辛くも勝利し、箕輪城将兵全員で「エイ、エイ、オ~」の雄叫びを天高く揚げました。
城攻防戦に勝利し、箕輪城の姫君たちもにこやかに安堵の表情を浮かべていました。
武田軍の有力武将・真田の六文銭の兜を着けた若いイケメン、勝ち虫と云われるトンボ前立ての板垣信方兜の豪傑武将は戦闘場面には加わらずにモデル撮影?
箕輪城まつりも無事に終了! 関係者一同は記念撮影です。
日差しの強い秋の一日、箕輪城攻防戦も無事に終わり御苦労様でした。
国指定史跡の名城・箕輪城は約1500年頃、長野業尚(なりひさ)により築城された平山城、1566年長野業盛(なりもり)の代に武田信玄により落城しました。
(長野業盛公辞世の句「春風に、梅も桜も散り果てて、名のみぞ残る、箕輪の山里」)
長野業尚・憲業・業政・業盛の四代で長野氏は滅亡し、以降武田・織田・北條・徳川の各家臣が箕輪城を拝領し、豊臣秀吉が死去した1598年に井伊直政の時に廃城となりました。
現在残る土塁・石垣・空堀などは、井伊氏の時代のものと推定されています。
“箕輪城まつり”は秋祭りとして気軽に楽しめますが、来賓挨拶と関係役員の紹介が長すぎるのが玉にキズ!!
壇上の方々は日陰ですが観客はカンカン照りの中で紫外線浴びて汗だらけ。
観客のことも少しは考えた祭りに・・・。
2007 11 05(月)記。 前橋市 最高気温17℃。
10月21日(日) 美しい花馬のお祭りが開催されました。
お祭りが行われるのは群馬県南部の藤岡市本郷地区。
秋晴れの上州路をドライブして、藤岡市の土師神社へ・・・。
土師神社からかなり離れた本郷・美九里小学校が祭り指定P場。
小学校のP場に駐車しないで、手前の畑路地に車を止めました。
散歩がてらに土師神社まで歩く途中に綺麗なコスモスが・・・。
土師神社には参拝客・見物客が沢山集まっていました。
(土師神社⇒どしじんじゃ。)
土師神社社殿に着いた12時半に奉納獅子舞が始まりました。
獅子は三匹ですが、子供達も三人加わって賑やかな獅子舞が繰り広げられます。
獅子舞の後半では二つの獅子が踊りながら最後に相手の獅子を投げ飛ばしました。
今までに見たことも無い誠に珍しい獅子舞の光景です。
神聖な神社の境内で、目出度い秋祭りの奉納獅子舞にあるまじき所作!
後で神社境内を見物して分かったのですが、この土師神社は「日本三辻の一・土師の辻相撲壇」といわれる処で、参道脇に大きな相撲土俵があります。
すり鉢を伏せたような形状の土壇(土俵)で、高さ160Cm・上円部直径495Cm・基底部直径1300Cmの大きさです。
昔しは野外相撲が行われた土俵のある場所を相撲辻と呼んだそうです。
日本に三ヶ所あり、この土師神社と大阪住吉大社と石川県羽咋市の羽咋神社。(はくいじんじゃ。)
相撲辻にある土師神社は昔は相当立派な規模と高い格式を誇った由緒正しい神社と思われます。
明治以前は勧進相撲が行われたそうで、この土俵には幕内力士以上でなければ相撲壇にあがれなかったそうです。
獅子舞で相手を投げたのは、昔の奉納勧進相撲を模したのでしょう。
獅子舞行事が終了すると、いよいよ麗美に飾った神馬花馬の登場。
白馬の鞍には大きな花笠が据えられていました。
爽やかな秋の日差しを浴びて花馬は土師神社から町内を一周の御練り行列
このおねり(御練り)は秋の収穫に感謝を奉げる行事との事です。
獅子舞の踊り子達も行列に従い,コスモス畑の中を・・・。
馬上の武者は早くも流鏑馬の練習でしょうか?
30分ほどで一周し、花馬行列は土師神社に戻りました。
これからは恒例の古式ゆかしい流鏑馬の開始となりました。
馬場は土師神社の社殿から入口の鳥居までの直線200m。
木立に囲まれた流鏑馬馬場ですので、被写体ブレにはご容赦を・・・。
殆ど板的をはずさないとても上手な流鏑馬でした。
流鏑馬を演じたのは日光古式馬術保存会の射手達です。 拍手喝采!
疾駆する馬上で矢を射る姿は凛々しい坂東武者に見えますね。
矢が当たって割れた板的は縁起の良い当り的として1000円で販売されました。
人気があるのか霊験があるのか、全て即座に売り切れです。(廃物利用で上手な商売を考えたものですね。)
流鏑馬の最後は着飾った射手がユックリとした歩調の馬で板的を射抜きました。
土師神社の神馬花馬が花笠を飾り付けた姿で直線馬場を駆け抜けて祭りの終了となりました。
土師神社秋の例大祭・花馬流鏑馬祭りは藤岡市の片田舎の祭りとは思えない立派なお祭りでした。
土師神社から北へ250mほどには本郷埴輪窯址があります。
古代日本ではこの辺りは文明が早くから開け、素焼の土器や埴輪などを盛んに生産していたようです。
埴輪を焼いた窯址は民家風の建屋で覆われて風雨から守られています。
窯の規模は幅180Cm・長さ550Cmの登り窯で、明治39年に発掘された国指定史跡です。
土師神社祭神の野見宿禰(のみのすくね)は出雲から土師部(はじべ)300人余をこの地に呼び、土器・埴輪など作らせる。 土師(どし)神社は土師部(はじべ)一族を祭った神社と思われます。
うららかな秋の一日、土師神社の花馬流鏑馬など如何でしょうか・・・。
2007 11 02(金)記。 前橋市 最高気温16℃。
2007 世界一の美尻決定!
10月31日 ドイツ・ミュンヘンで開催された世界美尻コンテストで優勝したにはブルガリア代表クリスティーナディミトロワ嬢。
日本代表は惜敗! 美尻日本一はここクリック。
やっぱ、世界一は尻の迫力が違いますね・・・。 こんな娘とシリ合いたい!