11月18日(土) カンボジアのロリュオス遺跡群・ロレイ寺院を見た後、直ぐ近くにあるプリアコー寺院を見学しました。
インドラヴァルマン1世の御世、西暦879年に建造されたカンボジアに現存する最古のヒンドゥー教寺院。
前回のロレイ寺院同様に荒廃が著しいが、櫓を組んで修復に努めていた。
でも、工事作業員が全く居なかったのは土曜だからでしょうか?
ボロボロに崩れた寺院の四隅には守護神の石像が綺麗に残っていたが、近年のはめ込みかも・・・。
プリアコー寺院の中央祠堂の前には、ヒンドゥー教三大神の一つ,シヴァ神(破壊と創造の神)を守護する獅子神(シンハ)像とシヴァ神を乗せる為にじっと待機している聖牛(ナンディン)像が南国の陽を浴び、遥かな時の流れを感じさせていました。
プリアコー寺院のレンガ部分は損傷が激しいが、石造のアプサラ(天女)彫刻は見事な状態で残っていました。
南国のカンボジアですね、熱帯の鮮やかな花が寺院の片隅に・・・。
ポルポト政権時代に300万人以上が虐殺され、人口が3分の2に減少したと言う。
その反動で現在は”産めよ、増やせよ、地に満てよ”らしくて、子供達の無邪気な姿が至る所で見られました。 皆んな元気で、明るくて、あどけなく、日本の子供よりず~っと幸せそうでした。
陰湿なイジメ(KAROUSIと同じくIJIMEも国際語になりました。「美しい国・日本」のナント名誉なことでしょうか!?)なんかどこ吹く風って感じの天真爛漫の子供達でしたね。
2006 11 30(木)記。 前橋市 のち
最高気温14℃
11月30日 鏡の日(イイミラー) カメラの日
11月18日(土) 午前中はカンボジア・シェムリアップ市から北東13Kmに位置する古都・ロリュオス遺跡群の見学です。
目的地のロリュオス遺跡は宿泊ホテル・アンコールハワードホテルから車で40分。
道路には一箇所も交通信号機はなく、直ぐに着きそうな距離ですが、道が悪路でスピードが全然出せません。 でも、青空のもと農業国らしい澄んだ空気を味わいながらのバス観光も良いものです。
途中、観光センターで外国人は「顔写真付き観光パス」を購入しなければ何処も入場出来ません。(顔写真は各自持参します)
3日間の観光なので、40米ドルのパス。(1日パスは20米ドル)
パス代金は阪急の格安ツアー料金に含まれているので、添乗員と現地ガイド(サム氏)任せです。(カンボジア通貨はリエル[1000リエル=30円]ですが、何処でもアメリカドルが通用します。)
パスはラミネート加工されているので、持参した細い紐で首から提げるようにしました。
全ての遺跡で観光パスの提示を求められましたから、首紐は便利でした。
何処の遺跡でも下のようなバイクタクシーが客待ちしています。
料金は全て交渉で決める事(1km約1000リエル)になりますが、結構事故も多いとか。
駐車場から梯子みたいな木の階段を上るとロリュオス遺跡のロレイ寺院に出会います。
ロリュオスは世界遺産の超有名なアンコールワット以前の王都。
790年頃、ジャヤヴァルマン2世、3世、インドラヴァルマン1世によって築かれたハリハラーラヤの都。
ロリュオス遺跡群のロレイ寺院は構造物がレンガと漆喰なので、風化・破壊が進んで哀れな姿です。
修復予算も無く、外国の援助に拠る修復のみとの事。
上の写真のように2本の木で支えているだけで倒壊寸前の状態です。
ロレイ寺院の大きな石板の門扉には古代クメール語が彫られていた。
ガイド・サム氏の説明ではほぼ解明・解読されたそうです。
ロレイ寺院は本来はヒンドゥー教だが、今は仏像がちゃっかりと・・・。
ロレイ寺院遺跡の横には小奇麗な仏教寺院が建っていましたが、観光客だけで誰も居なくて漫画チックな仏像様も寂しそうでした。
2006 11 28(火)記。 前橋市 のち
最高気温14℃
11月28日 親鸞忌(浄土真宗の開祖親鸞の忌日) 太平洋記念日(1520年マゼランが南米大陸南端「マゼラン海峡」から太平洋に出た日。)
前回の前橋市総社町・武者行列は未完成でお詫び致します。
後日、仕上げるつもりですので、お待ち下さい。
17日(金)の朝便で、ヴェトナム・ホーチミン経由カンボジアに旅立ちましたので、夜遅くまで武者行列を書けなかったのです。
成田空港からホーチーミン空港まではヴェトナム航空のVN951便で、成田空港を10時30分出発。
今回も阪急旅行社主催のパックツアーなので、2時間前の8時30分に阪急デスク前に集合です。
朝の4時に起床し、軽く朝食を済まして車でGO!
2時間30分で成田空港から少し離れた格安パーキング屋に無事到着。
いつも使っている駐車場なのでポイントが溜まって、係りのお姉さんが「次回の駐車は無料になりますよ」だって。
助かりますね! 格安の上に5回で1回無料! ナンテたってタダが一番だ~~。
パーキング屋の送迎車に乗り換えて成田第二ターミナルへ。
集合時間の20分前に「優雅に過ごすアンコールワット5日間」の阪急デスクへ着きました。
時間前だから受付していないと思ったら、同行するツアーガイドの土○さんが早々に手続きしてくれました。
朝早くから頑張って仕事している人って尊敬に値しますよね。
出国まではカード会社のラウンジで朝から無料ビールと珈琲などご馳走になって時間潰しです。
ヴェトナム航空機(VN951)は定刻通り9時50分から搭乗開始。
共産国の航空会社なので、旧ソ連のオンボロ機かと心配していたら、米国のボーイング777だったので一安心です。
出国トラブルも無く10時30分に無事テイク・オフ。
空は曇っていましたが、雲の上には富士山だけが見送ってくれました。
成田からホーチミン空港までは6時間の空の旅。
12時前に民族衣装のアオザイを着たスッチーさんがヴェトナム語で「お飲み物は如何でしょうか?」って。
スパークリングワインを呑んで、顔がホンノリと桜色になった頃に機内食が配られました。
ヴェトナム航空の機内食ではと、あまり期待しないで食べたら意外や意外!
ご覧の通りの立派な食事です!
ピンク色の“梅そうめん”や“牛肉・海老”“玉子チャーハン”も・・・。
呑んで食べて、オマケに機内が空いていたので長々と横になって眠れて、ホーチーミンまで快適な空の旅でした。
約6時間半で大メコン河が流れるヴェトナムの大地が見えてきます。
ホーチーミン市の真中にあるホーチーミン空港にふんわりとランディング。
ヴェトナム時間午後の3時(日本時間5時)の到着。
トランジットですから空港の売店を覗いて、帰国時の土産品の品定めをしながら乗り継ぎ便を待ちました。
16時30分にカンボジア・シェムリアップ空港行きのヴェトナム航空VN829便が出発。
ホーチーミンからシェムリアップまでは約1時間の短い飛行です。
機内では簡単なボックスランチ(パイナップル入りクリームパンとチョコレートとパック水)が配られました。
食べ終わらない内に早々と着陸案内のアナウンスです。
夕暮れ間近かなシェムリアップ空港に着きましたが、着ていたのが冬服なので気温の熱いのには閉口しました。
シェムリアップ空港は小じんまりとした空港で、物々しい警備など全く有りません。
きっとテロとは無縁の空港なのでしょうね。
(航空機テロ対策でペットボトル飲料は機内に持ち込めないと思ってたら、アメリカ路線以外は持ち込みOKでした。)
午後6時にシェムリアップ空港からバスで宿泊のアンコールハワードホテルに直行(15分)。
ホテルでの夕食はカンボジア料理を頂き、部屋に戻って早めのでした。
2006 11 23(木・勤労感謝の日)記。 前橋市 薄 最高気温16℃
11月23日 勤労感謝の日 一葉忌(樋口一葉) いいふみの日 いい夫妻の日 いい家族の日 Jリーグの日 手袋の日 外食の日
11月12日(日) 前回に続き、秋元長朝公を偲んでの「秋元歴史まつり・武者行列」の下巻です。
「エイエイ・オー」の鬨声の後、秋元長朝公の菩提寺・光巌寺から武者行列出発!
その前に前橋市長を中にして撮影会です。
緋縅(ひおどし)や黒縅の甲冑の武将も出陣前に「ハイ、チーズ!」。
秋元山・光巌寺の楼門から武者行列が始まりました。
槍隊・鉄砲足軽や武士の間に薙刀で身を固めた腰元衆とお姫様。
今どき珍しい大八車に座ったお姫様はチョッピリと哀れで可哀相です。
光巌寺・楼門前に武者行列が勢ぞろい。
これから氣雲山・元景寺までの約1kmの行進となります。
出陣式で舞った「立石の獅子舞」も疲れも見せずに行列に参加しました。
前橋市総社町を南北に通る幹線道路(佐渡奉行街道)を地元の小・中学生の鼓笛隊が先頭に進みます。
横笛を吹きながら昔の鼓笛隊も頑張っていました。
裃姿の侍と鎧姿の侍では足取りが違っていましたね。
模造の甲冑でも結構重量があると云ってました。
腰元衆のナギナタの構えも板についています。
武者行列の道中も長いので、途中で休憩タイムです。
秋元長朝公たちと重臣は床机に腰掛けて休めますが、姫を始めその他は立ちっ放しで本当にお疲れ様。
途中ですが、秋元・武者行列(下)は後日仕上げますので、ご了承下さい。
11月16日(木)記。 前橋市
11月12日(日) 前橋市・総社町で武者行列のお祭りが開催された。 昼過ぎ1時からの祭りで早朝から出発しなくても済むから便利。
場所は前橋市の西方で利根川左岸の総社町中央部。
総社・秋元武者行列は総社城主・秋元長朝(あきもとおさとも)公の遺徳を偲んで、縁の秋元山光巌寺(あきもとさんこうがんじ)から氣雲山元景寺(きうんさんげんけいじ)まで約1000mの行程の往復でおこなわれた。
秋元山光巌寺(天台宗)は江戸時代初期この地(上野国・惣社)を治め、利根川上流から困難な工事の末、導水した名高い“天狗岩用水”などを造って田畑を整備し、領民に慕われた名君・秋元長朝公の菩提寺。
朱塗りの楼門を始め大規模な本堂や庫裏などや、当時の領民が総社藩主・秋元長朝公を顕彰して建てた“力田遺愛碑”(りょくでんいあいひ)などあります。
近くには難工事の末に出来た“天狗岩用水”(天狗の化身が岩盤を穿って工事を助けた伝説)なども見られます。
また、氣雲山元景寺(曹洞宗)は長朝公の父君(景朝公)の墓所や淀君の墓で知られており、墓所からは利根川や赤城・榛名・子持・小野子・谷川などの山々が一望できます。
(光巌寺・元景寺と秋元氏については後日掲載予定。)
秋元山光巌寺に駆けつけた時には武者行列出陣式が丁度始まったところでした。
光巌寺境内はご覧の通りの人だかり、頭・頭・・が邪魔で良く見えません。
仕方なしに失礼ながら、石灯籠などに足を架けての写真撮影です。
煌びやかに鎧を着用した武将達が勢揃い!
武者行列出陣式ではお決まりのご挨拶。
前橋市長・高木政夫氏の挨拶は「・・・~で、ござる。」の武士口調で境内の笑いを誘って愉快でした。
出陣に先立っては、出陣盃の儀ですね。綺麗な腰元衆のお酌でお酒を一献。
(盃を受けているのが前橋市・高木市長)
戦勝祈願する無形文化財・立石の獅子舞や楽曲の披露もあります。
頭の被り物を烏帽子から兜の代える儀式も・・・。
鎧兜の威風堂々たる秋元長朝公(左・市長)と景朝公です。
後ろには腰元衆に囲まれた可愛い姫君。
何処のTV局のカメラでしょうか? GTVって群馬テレビ?
秋元長朝公は金の采配を、他の将兵は槍・刀をかざしての総決起!
出陣の儀式も滞り無く終わり、参加者全員で“エイエイ・オーの鬨声”をあげて、武者行列に出発と相成り候。
2006 11 15(水)記。 前橋市 最高気温18℃ 無風で温暖。
11日15日 七五三の日 着物の日 かまぼこの日
11月3日(金) 毛呂山町・出雲伊波比神社の流鏑馬の後、を飛ばして東村山市へ。
東村山って云えば「アィ~んだよ、 ヒガシむらやぁま~ 一丁目・・」の志村ケンと、西武園しか思い出さない場所ですよね。
ところがどっこい、ナンと東京都唯一の国宝の寺が有ると言う。早速見物開始です。
毛呂山町から東村山市まで曲りくねった一般道を1時間のドライブです。
目的の寺には2時過ぎに到着、運良く寺の山門前100m程の道路にパーキング。
目指す寺の山門前は祭りの露店と人の行列でごった返していました。
寺の山門から50m程手前の行列最後尾に並んでノロノロと。
訪ねた寺の名前は正福寺(しょうふくじ)と云う禅寺です。
正式には臨済宗建長寺派・金剛山正福寺。
一年で大祭のある11月3日だけが正福寺の地蔵堂が開帳され、内部の拝観が許されます。
(地蔵堂拝観時間は午前・午後の2回のみ時間限定。)
この地蔵堂は「正福寺・千躰地蔵堂」と云って昭和27年に国宝に指定されています。
関東の建造物で国宝指定なのは、日光の陽明門と鎌倉・円覚寺舎利殿とこの東村山・正福寺千躰地蔵堂の3ヶ所のみとの事。
もちろん、東京都ではここが唯一の国宝建造物になりますが、なんで田舎の東村山にあるの・・・??
山門を入ると正面に“千体地蔵堂”が見られますが、境内にはまだまだ行列が続きます。
途中で地蔵堂に願掛けて納める木製の小地蔵様が販売されています。 願い事が叶ったときには二倍にして納める慣わしとか・・・。
国宝・千体地蔵堂は禅宗様式の代表的建物で上部の屋根は木板を重ねた杮葺き(こけらぶき)、下の庇のような屋根は銅版葺きで、空に向かって急角度に反り上がった屋根先端が禅宗様式の特徴です。
長い行列の末、地蔵堂に辿り着いて堂内の拝観を・・・。
千躰地蔵堂入口の正面には金箔を貼った大きなお地蔵様が微笑んで参詣者を迎えてくれます。
この大きな地蔵本尊は建物ほどは古くなく、江戸時代の文化8年(1811年)に神田須田町・万屋善兵衛が製作したそうです。
高さ3m近くで右手には錫丈・左手に宝珠を持った延命地蔵菩薩。
大きな延命地蔵の左右に小さな千躰地蔵がケースに行儀良くびっしりと並んで収まっていました。 木肌のままの地蔵や金箔の地蔵などあり、古い年月を重ねた黒ずんだ地蔵様も見受けられました。
小さな千躰地蔵尊のケース背面に窓が開けられて後姿が見られます。
国宝の地蔵堂の内部の頑丈な木組みは見事なもので、鉄釘は使わすに建築されました。(係員が木組みを丁寧に説明しています。)
土に埋め込まれた扁平な石の上に硬い欅材の土台を載せ、その上に建物を支える白木の丸柱を立てています。 これで600年間も建屋を支えているのですから奇跡みたいなものです。
(正福寺・千躰地蔵堂は1278年・弘安元年、執権北条時宗によって創られたとも云われる。また、北条時宗がこの地での鷹狩の際疫病にかかり、夢枕に地蔵菩薩が現れて救われたことから、飛騨の工匠を招いて七堂伽藍を築いたとも伝えられています。 しかし、昭和8~9年の解体修復工事で室町時代の応永14年・1407年の建立と判明しました。)
屋根の軒下の繁垂木(しげたるき)も密にして整然として、華美を廃した禅宗の朴訥らしさが見受けられます。
但し、「国宝千躰地蔵堂」の扁額は2年前に作ったとかで真新しい・・・。
外壁の無装飾な板壁や障子を貼った花頭窓(かとうまど)も禅宗様式の特徴です。
千躰地蔵堂の見学が終わってもまだ人の波の行列が絶えません。
係りの人に聞いたら、最近、TV東京の「出没!アド街ック天国」で東村山と地蔵堂をON AIRしたので例年の4倍くらいの人出との話でした。
マスメディアの効果は抜群ですね。
金剛山正福寺の本堂は国宝・千躰地蔵堂の奥にありました。
千躰地蔵堂は大賑わいですが、正福寺本堂の方はガラ空き状態。
チョッピリ寂しいけど、地蔵堂の年に一度のお祭りですから仕方ありませんね。
正福寺創建730年記念に造られた十三仏石像が幾何学的直線に並び、少し味気ない無機質的感じを受けました。
千躰地蔵堂のすぐ横にある八坂神社では“地蔵まつり”に合わせて雅楽と巫女舞が奉納されました。
巫女舞はゆったり伸びやかな「浦安の舞」、雅楽の楽曲は定番の「越天楽」です。
笙(しょう)・篳篥(ひちりき)・龍笛(りゅうてき)など奏でる楽人の半数が女性なのには驚き・感心しました。
舞と雅楽生演奏のノンビリとした天平リズムで優雅なひと時を過ごすことが出来ました。
11月3日は東京都唯一の国宝建築物・正福寺千躰地蔵堂のご開帳日、ぜひ皆様も来年に・・・。
11月10日(金)記。 前橋市 最高気温20℃
11月10日 トイレの日
エレベーターの日
11月3日(金) 文化の日に流鏑馬(やぶさめ)見物。
場所は埼玉県・毛呂山町。 毛呂山町(もろやま)って何処? 仕方無しにカーナビ頼りに出掛けました。
最近のカーナビは精度が良くてピッタリ目的地の神社に8時30分到着。
杉並木の裏参道に駐車し、坂道を2分歩いて神社横に出ました。
神社の表参道には多数の露店が開店準備中。
神社の名前は“出雲伊波比神社”(いずもいわい)と云い、奈良時代の宝亀3年(772年)編纂の「延喜式神名帳」にも記されている格式ある神社です。
祭神に「出雲の天穂日命」(あめのほひのみこと)を祀っているのが神社の名の由来になっています。
この出雲伊波比神社の本殿は“一間社流造”(いっけんしゃながれづくり)で建築され、埼玉県内最古の神社です。
霊験が沢山ありそうな気配の立派な神社でした。
本殿は昭和13年に国宝に指定されましたが、昭和28年に指定見直しで重要文化財に格落ちに・・・。
出雲伊波比神社の秋の例大祭の行事として、流鏑馬が行われます。
ここの流鏑馬の起源は1063年に源頼義・義家父子が奥州平定のため伊波比神社に戦勝を祈願し、凱旋の帰路この地で流鏑馬を奉納したのが始まりです。
拝殿裏から本殿に向かって神主が厳かに祝詞を奉げていますが、後ろの日本酒が厳かな雰囲気を壊して・・・。
拝殿横では流鏑馬の鏑矢(かぶらや)が縁起物・お守りとして販売中。
でも何故か、可愛い巫女様にカメラ目線は集中。
午前9時30分からいよいよ流鏑馬の本番です。
初めに流鏑馬の矢取り役や口取り・馬勢子達が走る馬場コースを巡回。
流鏑馬の3人の乗り子が神社拝殿に参拝し、柏手(かしわで)で安全を祈願。
その後、乗馬してのお披露目があります。
乗り子(騎手)の被っている陣笠に注目!
流鏑馬は3頭走りますが、陣笠の白色は源氏、藤色は藤原、赤色は平家を表しているそうです。
最初は弓矢を持たないで軽く足慣らしで馬場を往復。
流鏑馬本番は直線の馬場を南方向から北への軽い上り坂で行われます。
陣笠から烏帽子に代えて、口には矢をくわえて猛烈なダッシュ!!
揺れる馬上で弓に矢をつがえて的(直径50cmの丸い藁座布団)に射るのです。
的にはめったに命中しません。また、次の的が直ぐ近くなので矢をつがえるのも難しく、なにせ乗り子(騎手)は小中学生ですから・・・。
3頭の馬は50m程の間隔で次々目の前をに素早く走り去り、間近で見ていると、もの凄い迫力です。
大地を蹴る馬のヒズメの振動が全身に伝わってきます。
スピードが速くて、とても一台のカメラではベストショットは撮りきれません。
午前の流鏑馬の騎射は朝的(あさまとう)と云います。矢を射るのは一回だけ。
午後の流鏑馬は夕的(ゆうまとう)と云い、2時半から行われます。
矢を射る流鏑馬の後は笞馬(むちうま)が行われました。
的場では両手を高く挙げての乗馬です。 お見事!!
この笞は紅白の布が巻かれた飾り棒で、馬にムチ打つ物ではありません。
使われた花笞は厄除け、養蚕守護、赤子の夜泣き封じ等に霊験あらたかとされています。
流鏑馬の騎射の後に乗り子の慰労のための行事の“野陣”(のじん)が設けられました。
陣幕を張った処で酒・菓子の接待で流鏑馬の労をねぎらう行事です。
流鏑馬行事終了後には乗り子と矢取り役が拝殿前で記念撮影。
大役責任を達成した乗り子の安堵感が表情に表れていました。
午前の流鏑馬・朝的の後は神社前の神楽殿での奉納神楽が続きます。
伊波比神社は武人の神社なので刀剣の舞などが演じられました。
流鏑馬馬場の脇では詩吟の奉納吟詠で、プロ詩吟師・伊藤一浄(いとういっせい)氏が熱唱。
お馴染みの七言絶句「少年易老学難成、一寸光陰不可軽。未覚池塘春草夢、階前梧葉已秋聲。」(朱子「偶成」)や「想夫恋」など朗々と吟じていました。
最後の結句「階前の梧葉すでに秋聲」は実感として心に染み入りました。
「あ~っァ、Blog作りで大切な時間を失って・・・こんな事でいいのかなぁ~」っとね。 読者の皆様は如何お過ごしでしょうか?
毛呂山町・出雲伊波比神社の流鏑馬まつり(無形民俗文化財)は一見の価値あります、
オススメできる秋祭りの一つと思います。
2006 11 07(火)記。 前橋市 朝・強いのち
強風 最高気温24℃
11月7日 立冬 ロシア革命記念日 鍋の日 知恵の日
10月28日(土) さいたま市「与野大正時代まつり」のメイン・イベンント、大正時代まつり仮装行列。
JR与野駅前から国号17号線まで約400mの西口商店街通り(停車場通り)で繰り広げられる大正時代絵巻の仮装行列は、午前と午後の2回j開催されます。
大正時代仮装行列の先頭には、昔しお馴染みの“チンドン屋”が「大正時代まつり」の看板を前後に背負いチンチン・ドンドンと賑やかに行列の開始を合図・・・。
数台の人力車には旦那衆が乗り、芸者さんはテクテクと歩きです。
後半は慣れない衣装で疲れたのか、芸者も人力車に乗っていましたね。
艶やかな芸者衆に続いては大正時代の風俗絵巻です。
大正デモクラシー・大正モダンの束の間の平和を謳歌した時代の華やかな洋装パレード。
明治・鹿鳴館の流れを受けた華麗な舞踏衣装も登場です。
上流階級は着飾って暮らせても、庶民・大衆の暮らしは次第に厳しく暗い時代になってゆきました。
第一次大戦のアブク銭景気も一時で、シベリヤ出兵・重税・米騒動・大震災と生活苦は増すばかり・・・。 煙突男に娘の身売りとか。
「朕はたらふく食べている、庶民は飢えて死ね・・」ってね。
市民は仕方なしにアイスキャンデー売りや行商で糊口を凌ぎました。。
それにしても、この富山の薬売りにはビックリしました。
そっくりでしたよ、顔・形が“藤岡琢也”さんに!!
警察・軍人が幅を効かす暗黒時代になってきました。
天皇制軍国主義の戦慄する足音がヒタヒタと・・・。(密かに現代も進行中かも・・報道の自由度で日本は138ヶ国中51番目で先進国の最低位。NHKはじめほとんどが政府の御用機関化。)
煌びやかに勲章を付けた第一軍装のパレードは華美です。
それに引き換え、実戦部隊の兵隊は辛い事ばかり!!
仮装兵が担った機関銃は本物みたいに精巧な出来で、見物客も感心して見ていましたね。
仮装の軍隊行進が過ぎると、初々しい女学生の出番です。
いつの時代も女学生は最高!
「涙流してるじゃん、女の子をイジメるんじゃないってば!!」
これだから、バンカラ学生は流行らないわけですね。
陰湿なイジメは昔から日本人の本来的特性かも・・・。
「男女七歳にして席を同じゅうせず。」ってのはイジメ防止のための標語??
大正時代の商店奉公の丁稚さんが久し振りの休日にカフェの女給とランデヴーって設定でしょうか?
大正時代のメイドは後姿もカワユイって・・・。
誰かこんな和装メイドの店知りませんか~!?
大旦那を乗せた車夫は気配りで大変ご苦労さんでした。
大正時代仮装行列の最後尾には可愛い親子がヨチヨチと・・・。
爽やか日差しでしたが、長い行程を立派に頑張りましたね!
天皇主権下の軍人が威張っている悪夢の時代より可愛いコが見れる平和の方がず~っと素敵!!
それにしても、モボ・モガ姿の真中のコ、退廃的な妖しい魅力の大正モガ姿がピッタリですね・・・と思うのは眼が邪しまだからでしょうか?
旧与野市JR駅前からの停車場通りで行われた西口商店街主催「大正時代まつり」は大正時代の様々な風俗が見え、更に大道芸・各地の名物踊り・お囃子や大笑コンテストと地域通貨(10銭札)など盛り沢山な催しです。
気軽に行って見て、絶対にお得な「大正時代まつり」をオススメ致します。
youtubeの動画(中国兵の暴虐)
2006 11 03(金)記。 前橋市 最高気温21℃
11月3日 文化の日