ツトムさん家の写真日記。

写真いっぱいの楽しい日記です。(全面表示でご覧下さい)

第213回 埼玉県 吉見町 吉見百穴

2007-06-29 20:20:20 | 旅行

前回の安楽寺厄払い朝観音”に引き続き、埼玉県吉見町にある超有名な「吉見百穴」(国指定史跡)へご案内します。

吉見百穴は古墳時代中~後期にかけて山肌を掘って造られたと云われています。
明治時代に東大教授の坪井正五郎博士が中心となって発掘調査が進められ、一時は先住民(コロボックル人)の住居だったのではと考えられましたが、大正時代になり古代人墳墓だったとの説が有力となり現在に至っています。
沢山の集団墓穴群ですから、現代の最新お墓マンションと同じですね。

吉見町の市野川沿いの丘陵地帯の岸壁に掘られた吉見百穴へ入場・・・。
 
入場料金は大人300円で場内は良く整備されています。
入口を入ると目の前にドカ~ンと百穴の無数の洞穴が迫ってきました。

岩肌に開けられた穴の数は219穴と説明されていました。
(大正期には237穴あったそうです。崩落で減少したのでしょうか? 百と言うのは沢山と云う意味に使われます。)

凝灰岩に開けられた百穴墳墓を仰ぎ見ながら、正面右手の大きな洞穴に歩を進めました。
 
2本の柱で補強された大きな穴は古代人が掘った穴ではありませんでした。
第二次世界大戦(太平洋戦争)末期の昭和20年に当時の中島飛行機㈱大宮工場を疎開させる為に、強制的に拉致してきた朝鮮人(約3500名)に掘らせた地下軍需工場跡の入口穴です。

大宮工場の飛行機エンジンをこの地下工場で本格製造する直前に敗戦となりました。 この地下工場工事で百穴遺跡にも被害が及んだと云います。
戦争の傷跡はこんな古代遺跡にまでも・・・。
 
地下軍需工場入口は狭いですが、中に入ると驚くほどの広さです。
自動車もすれ違える幅もあり、内部では交差点のようなクロスした場所もあります。

旧中島飛行機㈱の大地下工場跡を抜けてから、吉見百穴の見学へ。
凝灰岩を削った階段が整備されて上り下りには安全・便利。
 
岸壁斜面のいたる所に大小の穴が開けられ、内部を見学出来る穴もあります。
人間と比較してご覧の通りの大きさです。

殆どの穴の内部は凝灰岩を屑って造った低いベッドの様なものが左右二つあります。
 
南斜面の穴は乾燥状態ですが、他の場所にある穴は湿度が高く緑の苔が生えていました。
 
結構広い穴も多く、古代人の住居と考えたのも無理はありませんね。
内部は冷んやりとした意外と快適な空間です。

吉見百穴でのもう一つの見所は、薄暗い穴の中に自生したヒカリ苔です。
 
このヒカリゴケ国の天然記念物に指定されている大変貴重な苔です。
暗い穴の内で妖しく光る苔を見ていると、黄泉の国へ引き込まれそうな気配・・・。

吉見百穴の見学を終わっての帰路、百穴との続きの岸壁に何やら怪しげな窓のような穴が幾つかみられます。
 
荒れ果てた子供の遊具などがある場所ですが、ココはかつて岩壁ホテルと呼ばれた場所です。
明治37年~大正14年まで21年間に亘って高橋峯吉氏により掘り進められた宮殿風ホテル跡でした。
岩窟ホテル岩窟掘ってるが訛ったそうで、実際には宿泊出来なかったようで、昭和63年閉鎖)

吉見百穴は「よしみのひゃくあな」と読むのが正式との事です。
一般的には「よしみのひゃっけつ」で通っていますが・・・。

吉見百穴の付近には前回の安楽寺の他にも岩室観音堂八丁湖黒岩横穴群など見所が沢山あります。(後日掲載予定)

吉見百穴の詳細はここクリック。

古代史ロマンを訪ねて吉見百穴に行かれてはは如何でしょうか・・・。

2007 06 29(金)記。    前橋市    最高気温28℃

(使用画像はツトムアーカイブス2004より)


第212回 埼玉県 吉見町 安楽寺 厄除け朝観音。

2007-06-26 22:00:00 | 旅行

6月18日(月)   早朝から観音様参詣です。

訪ねた先は埼玉県中央部の吉見町

吉見町は“吉見の百穴”の古代住居跡遺跡で有名ですが、もう一つ名所があります。
古くから関東一円の信仰を集めている安楽寺観音菩薩です。(通称・吉見観音)

その安楽寺で年に一度の観音講祭りがあると言うので、早速出掛けてみました。

但し、この安楽寺観音祭りは朝早くから始まる行事です。
なにしろ、朝早ければ早いほど功徳があるそうです。
安楽寺の厄除け朝観音と云われ、早くにお参りする人は夜中の0時に参詣するといいます。

真夜中に行っても撮影に苦労するだけですから、遅めの早朝の4時20分に岩殿山安楽寺(真言宗智山派 開山は大同元年[806年] 坂上田村麻呂の開山とも謂われる)へ到着。

まだ日の出前の薄ぼんやりとした中、駐車場(無料)から安楽寺へ・・・。
参道には石の板碑や地蔵像、大きな石造りの仁王様が立ち並んで安楽寺へ人々を誘います。(暗いので画像は帰路。)

参道左側にある有名な団子屋どびんや」では団子を買い求める人の長い列!
並んで団子を購入しようとしたら、すでに本日販売分は終了でした。

そのまま夜店・露店の出ている参道を進み、安楽寺・仁王門下に到着。
 
27段の石階段を登って仁王様(木造寄せ木)とご対面! 「おう、朝早くからよく来たな~」って仁王が云ってました・・・。
仁王門をくぐると、そこの境内一面は団子の露店だらけ! 
空きっ腹には醤油の焦げた匂いが染み渡ります。
 
境内に出ている露店は全て団子屋さん!!団子屋オンパレード! 
噂には聞いていましたが、これほどの団子屋が出ているとは・・・。

威勢の良いお兄さんやオバサンが声を枯らしての売り込みです。
 
安楽寺に参詣に来た人達はこぞって朝団子を買っていました。
毎年来る人はお馴染みの店があるみたいですね。

朝早くから高速道をで駆けつけたので、美味しそうな団子の匂いが鼻腔をくすぐります。

読者の皆様も吉見町・安楽寺の「厄除け朝観音」のお団子を眼と心で味わって召し上がれ・・・。

厄除け朝観音」にはナンでお団子が・・・?
江戸時代に疫病が大流行したとき、当時貴重だった米粉で作った団子を安楽寺観音様に朝早くお供えしたところ、たちどころに疫病が治まったそうです。
その霊験を喜念して、毎年6月18日の早朝に観音詣でが行われています。

境内の団子は全体的に醤油が勝った塩っぱめの風味、昔からの伝統の味付けで厄除け団子と云います。

お団子は帰り道に買う事にして、まずは本堂・厄除け観音様のお参りです。
 
安楽寺・本堂正面の金色錦に覆われて安置されているのが、霊験あらたかな観音菩薩です。(UP画像が観音様)
ロウソクの灯明だけの本堂は手振れ補正カメラでも厳しく、ブレブレShotになりました。
薄ぼんやりの観音様を拝んでから、本堂内部を眼を凝らして見物。
古いお寺ですから、貴重な絵馬が沢山奉納されています。
 
比較的綺麗な絵馬を選んで載せました。
 
薄暗い本堂の絵馬には説明が有りませんので悪しからず。

この安楽寺・本堂で一番の見所は、何と云っても左甚五郎作野荒らしの虎」。

本堂の欄間に嵌め込まれた透かし彫りの虎彫刻の傑作です。
夜な夜な田畑を荒らしまわった虎の後ろ足を、村人がで突き刺した様子がリアルに見てとれますね。この虎彫刻の足からが滴り落ちてからは田畑を荒らす虎は出没しなくなったそうです。

暗い闇の中から飛び出してきそうな迫力で、見る人を圧倒します。
左甚五郎「野荒らしの虎を見るだけでも、吉見の安楽寺へ行く価値は充分にあると思います。
社殿には彩色細密彫刻が他にも沢山あり、昔の風物が興味をそそります。

本堂の右奥には埼玉県で一番大きな三重塔(高さ23.4m 寛永年間の建築。)が見られます。(鎌倉時代の三重塔は48m 戦乱で焼失。)
朝の5時過ぎになって微かに太陽に光が、写真写りも良くなって・・・。
 
本堂の真裏には石垣を穿って中に石観音像を祀った場所があります。
岩殿山安楽寺に言い伝えのある「岩窟観音」でしょうか? 

安楽寺境内には様ざまなお堂が建っています。
太子堂は聖徳太子を奉ったお堂でしょう。
 
内部には極彩色に彩られた厨子が一つだけ。
聖徳太子像はこの厨子の中・・・?

大小のお釈迦様銅像(吉見大仏)の先には、絵馬が沢山奉納されている山王社の建物。
 
巨大な石塔碑(多宝塔?)には驚きました。 但し、地震の時にはご用心!

境内の小高い場所にある薬師堂には朝陽が差し始めてきました。 
 
安楽寺の「厄除け朝観音」の帰路、団子の名店「どびんや」では行列最後のお客様がまだ並んでいました。

到着した時は暗かった参道の仁王様もやっと姿を現して・・・。
 
古い三体の石地蔵が帰りの無事を祈っていました。

岩殿山安楽寺に4時20分頃参詣しましたが、朝観音詣でのピークは過ぎた後でした。
聞いたところ、一番の人出は朝2時~4時頃との事です。
写真撮影でなければ、早い時間帯に参詣して下さい。(早いほど霊験新たかです。)

月曜日で会社勤めがあるので、5時30分に安楽寺を後にして帰路へ・・・。

岩殿山安楽寺詳細はここクリック。

2007 06 26(火)記。    前橋市    最高気温28℃。 蒸し暑し。


第211回 群馬県伊勢崎市 史跡女堀 赤堀花しょうぶ園。

2007-06-22 02:02:02 | 旅行

6月17日(日)   菖蒲の花が美しい季節。

花菖蒲の見物に伊勢崎市赤堀町の女堀へ・・・

正式名は国指定史跡女堀 赤堀花しょうぶ園」。(開園15周年)

名前にある“女堀”って、「かかぁ天下」と云われる群馬の女性が力を合わせて掘ったからでしょうか? 大誤解ですね、実際は群馬の女性は気の優しいカヨワイ人ばかりですよね。

ともかく、女堀って変わった名の場所にある菖蒲園を見物。
伊勢崎市営なので入園無料! (駐車場代  300円)

赤堀花菖蒲まつり”の最中なので駐車場も大混雑、少し外れた農道に適当にPして入園見物へ・・・。
 
花菖蒲は見事に満開状態! 眼に鮮やかな花・花・花・・・。
伊勢崎市の発表では、11400m2の植栽面積に24000株の花菖蒲が植えられているそうです。

花菖蒲のある場所はご覧の通りの堀割が二ヶ所で、一段と低い処ですから、堀底の部分なのでしょう。 

とりあえず、花菖蒲の綺麗な凛々しい姿をご覧下さい。
 
いろいろな色の花がありました。
 
何処かに花種名の説明板があったのでしょうが、見落として種名は不明です。
パンフには江戸・肥後・伊勢系の品種と書いてありましたが・・・。
 
真っ白な花菖蒲は周囲とのコントラストが強すぎて上手く撮れません。

PCで明度をアンダーに落として載せています。

これ以外にも沢山の花種類がありましたが、限が無いので省かせて頂きます。

女堀菖蒲園
の一隅では、様々な催し物が行われていました。
 
威勢の良いひごろも太鼓には群馬の女性の意気(粋)が感じられます。(ひ=緋?)
近くで、お淑やかにお琴の演奏、横では無料の野点が開かれていました。
早速、野点に参加して、不昧流の作法に則ってお茶を頂戴しました。

広場では伊勢崎水道局が伊勢崎名泉と命名して、美味しい伊勢崎の水を配っていました.
伊勢崎名泉って伊勢崎銘仙との語呂合わせ・・・?

イベント会場で鉢植えや花の種、野菜・トマトなど沢山頂いてから、また花菖蒲の見物です。

木陰にはアジサイの花が咲き始めて、チョッピリ梅雨の季節を感じさせています。

花菖蒲女堀をブラブラ散策していると、ナニやら人だかりです。
ヤジウマ根性旺盛な筆者としては自然に足が速くなり・・・。

人だかりの原因はコレでした。 女堀花しょうぶ園でモデル撮影会!!

ちょっと控えめに後ろから覗いてみました。
モデルさんの3名は、気温32℃の湿気タップリの菖蒲畑の中で必死に笑顔・・・。
スタッフはカメラマン(ほとんど全員がジジババ)から「レフ板の当て方が悪い!頭が出過ぎて邪魔だ!」って怒られて可哀想!

でも、女性撮影では生かすも殺すも光加減ですからね。
一流の女優さんは撮影時には照明係りに一番気を使うそうですよ。

最新の一眼レフカメラのジジババカメラマンの間を縫って撮影最前列へ・・・。

可愛いモデルさんですね。 このモデルは2006年 ミス・ひまわりだそうです。(鈴木陽子さん)
 
たしかにヒマワリっぽい顔立ちをしています。(誉め言葉です)
正面顔よりに構えたほうが女性は美人にみえますね。

撮影会でモデルの裏側に廻った途端に、「そこのコンデジ(コンパクトデジカメ)、邪魔だ!消えろ!」だって・・・。 撮影会では高価な一眼デジカメ持ってないと片身が狭いよ・・・トホホ。(涙・・)
 
撮影会の中休み、 ミスひまわり足元にご注目!
艶やかなゆかた姿ゴム長靴!  
場所がお堀の中ですから、まッ、許せるっか・・・。 でも、ムレっそう!

菖蒲の花より綺麗なモデルさんを追いかけて、「ナニ見に来たのさ、菖蒲を見に来たんじゃないのッ!」って妻に叱られた半日でした。

[付録] 国指定史跡女堀は、群馬県庁のある前橋市上泉町を起点とし、伊勢崎市国定町(国定忠治の墓)へ至る総延長約13Kmの全国でも屈指の大規模な水田灌漑用水路の跡です。

昔しの古利根川は現在の利根川より遥か北側の赤城山麓下を流れ、その痕跡は今の桃の木川として流れています。
女堀は古利根川を水源として通水し、近隣の田畑に水を供給するため赤城山南麓を南東に掘削して造られました。

前橋市の調査で女堀で1108年浅間山噴火の軽石が確認された事から、12世紀中頃に女堀が掘削されたようです。
(一説には、前橋の基点から伊勢崎の終点までの高低差が4mと少なく、未完成だったのでは・・・との説も。女堀は使われない水路の代名詞とも・・・? 男堀ってあるのでしょうか?でも、男堀ってナンだか気持ち悪いね、新宿二丁目あたりに在るかも・・・。
前橋市から伊勢崎市に至る女堀は昭和58年国指定史跡として認定されました。

“伊勢崎市女堀・赤堀しょうぶ園は6月の花菖蒲の時期に約15万人の見物客が訪れる花の名園です。 (春のも見事です。)
読者の皆様もどうぞ・・・6月いっぱいが見頃です。

2007 06 22(金)夏至 記。    前橋市   最高気温27℃。

参議院議員選挙が一週間延ばされて7月29日(日)になった。
自民・公明党の党利党略だけで引き伸ばされて、「時間が経てば年金問題なんて直に忘れるさっ」て国民をナメ切ってる自称“責任政党”!

無能アベ内閣のお陰で、選挙費用だけでも数十億円が無駄となりました。 

国民を愚弄するのもいい加減にしろ!!


第210回 新潟の旅 7 良寛様と五合庵。 酒呑童子。

2007-06-20 02:02:02 | 旅行

6月2日(土)    国上山の雲高山国上寺の参詣を終わり、次なる名所旧跡へ・・・。

「国上(くがみ)やま、苔の岩みち踏みならし、幾度われはまいりけらしも」と良寛様も詠まれた、国上寺境内の良寛銅像に見送られて、良寛様が20年ほど暮らした“五合庵”を訪ねる事にしました。
 
途中の道端には四国八十八箇所霊場の石塔がずら~っと並んでいました。
この石塔を拝めば、四国八十八観音霊場をお参りしたのと同じ功徳があると謂われています。

ほどなく、正面に国上寺の清楚な山門?が見えてきます。
 
門には越後二十二番札所雲高流岳堂吟詠会の看板が掛っています。
前号の雲高流山田岳堂の詩石碑はここに本部がある為だったんですね。

山門を通り抜けると右側にお寺が見えました。
この寺は国上寺の寺務を掌る客殿とのことです。(元丈2年・1737年建立)
 
客殿の前には「幸せ観音」なる銅像が控えております。
この観音像の周りを時計回りに3回廻ると幸せが訪れるそうです。
賢い読者の皆様は心の中で廻ってみて下さい・・きっと幸運が・・・。

客殿の横には水子地蔵様がお行儀良く雛壇に・・・。
 
客殿の玄関から入ってみました。

正面中央に安置されていたのは御本尊千手千眼観世音菩薩像!かなりの年代物ですね。
 
横には金箔貼りのお釈迦様でしょうか? まだ新しそうです。

国上寺・客殿から五合庵方面へ下り道をさがる途中に突然と井戸が出現!
 
この井戸鏡井戸と言い、昔し外道丸(雷童)と云う美しい童僧が国上寺で修行していましたが、あまりの美男ゆえに近郷近在のから恋文が沢山届けられ大籠いっぱいになるほどでした。
ある日、一人のが恋にこがれ死にして、それを聞いた外道丸は驚いて恋文籠の蓋を開けたところ、恋文が白煙となって立ちのぼり外道丸は気絶してしまいました。

暫くして起き上がった外道丸は顔の異常に気付き、この井戸に顔を写したところ鬼面になっていたそうです。
狂乱した外道丸国上寺を飛び出して山中の崖穴のこもり、酒呑童子と名のり悪行を重ねた後に丹波大江山に移り住んだと言います。
懐かしい話ですね、大江山酒呑童子茨城童子
酒呑童子を退治した源頼光渡辺綱など・・・酒呑童子のルーツは国上寺だったとは・・・忘れていた昔話を少し思い出し、ボケ予防になりました。
 
午後の5時を少し過ぎてやっと苔生した五合庵に到着です。
 
の木々に囲まれてひっそりと五合庵は建っていました。
ご覧の通り二間四方程度の広さの質素な小庵です。

とりあえず内部を見物します・・と云ってもひと目で全部が見えてしまいます。
 
良寛和尚様の坐像が二体あるだけです。 写真の良寛様の顔風情がひょうきんそうでユニークですね。

良寛様(1758~1831年)が39歳の寛政8年(1796年)から20年間ほど居住したこの五合庵は、江戸時代の貞享の頃(1684~)建てられ、国上寺の中興の祖・万元上人にこの庵と毎日五合の米を供した事から名付けられました。

五合庵の横奥に万元上人の墓碑が密やかに建っています。
 
現在見える五合庵大正3年に復元した庵との事です。

良寛和尚ゆかりの五合庵からお土産屋のある駐車場までは、長い吊り橋を渡ると近道になりました。
吊り橋の名前は千眼堂吊り橋と云い、長さ124m・幅1.5m。平成3年竣工完成(橋本体建設費1億300万円)。
 
眼下は千眼堂谷と云い、谷の最下部から吊橋までは35mの高さがあります。
吊橋は歩くたびに左右上下に揺ら揺らと、高所恐怖症の人は眼を瞑って渡りましょうね・・・。
無事、千眼堂吊橋を渡ると小高い朝日山展望台公園に入り、信濃川や越後三山を一望する展望台からの眺望は素晴しいものがありました。

新潟方面にお出かけの際は、ぜひ国上寺五合庵へ・・・。

(新潟の旅シリーズは今回で終了。)
2007 06 20(水)記。   前橋市     最高気温32℃

皆様お馴染みの YouTube に便利な日本語版がリリースされました。

YouTube 日本語版」 はここクリック。


第209回 新潟の旅 6 越後の名刹 雲高山国上寺。

2007-06-18 23:23:23 | 旅行

6月2日(土)   弥彦山観光も無事に終わり、その後は岩室温泉経由で越後第一の名刹・国上寺五合庵へ・・・。

新潟県の名湯・岩室温泉の近くに洒落た和風建築の美味しそうなお菓子屋があったので、小腹を満たす為ちょっと立ち寄ってお菓子を数点購入しました。
 
お菓子屋の屋号は角屋悦堂(新潟市岩室温泉616)。
名物・温泉饅頭わらび餅麩饅頭をお土産に持ち帰りましたが、いずれもかなりの美味!
特にわらび餅麩饅頭絶品と云っても過言ではないでしょう。(注意・季節商品 温泉饅頭70円 わらび餅140円 麩饅頭160円)
ナンでこんな田舎にこれ程美味しいお店があるのか不思議でした。

お土産の温泉饅頭を食べながら、再び弥彦神社の脇を通過して、一路国上寺(こくじょうじ)へ・・・。
 
国上寺門前の誰も居ない駐車場へを止めて、夕方で閉店作業をしているお土産屋を横目で見ながら、なだらかな参詣道を登ります。
途中にある「ボケ封じ地蔵」「やすらぎ観音」などの諸仏像が心を癒してくれました?(ピカピカ新品の像です。)

木立の中、森林浴オゾンをいっぱい浴びながら5~6分で国上寺の境内へ。
 
路傍に建っている「雲高流・祖宗範 山田岳堂」(詩吟)の石碑を見て、緑の樹木に包まれた国上寺境内に入ると左手に鐘楼が建っており、本堂手前の参道には玉石を敷き詰めたなだらかな太鼓橋が架かっていました。
説明文には、麓の村の西条喜惣兵衛が寄贈した「玉の橋」と。
弥彦神社玉の橋は神様専用でしたが、国上寺のは誰でも渡れて有難いですね。

国上寺本堂の左横には六角堂」(文化3年・1806年建立)と名付けられた趣のある古いお堂と苔生した立派な石仏群が・・・。
 
六角堂内部に安置されているのは大黒天
この大黒天は弁慶たちと奥州へ落ちのびる途中の源義経が文治3年(1187年)に国上寺参詣の折、旅の無事を祈願して寄進したと云われています。

国上寺本堂の右手には国上山(くにがみさん・くがみさん 標高313m)登山道と大師堂(寛永8年・1631年建立)。入口に「縁結び大師」の看板。
 
内部にお馴染み弘法大師の尊像がって微笑んでいました。

弘法大師像の横に気色悪い役の行者と男女の晒し首の木像
とても「縁結び大師」って雰囲気ではありません。もしかして、あの世で結ばれるってこと・・・??
 
大師堂の前に巨大な倒木が屋根付きで保存されています。
この倒木は五鈷掛の松と呼ばれ、国上寺開基より霊木と崇められました。
修行を終えた弘法大師(空海)が中国からの帰路、三鈷五鈷を空高く投げたら、三鈷高野山の松に、五鈷国上寺のこの松に掛かりその縁から真言の道場なったと云う松です。

真言宗豊山派 雲高山国上寺(こくじょうじ)の本堂。本来の屋根は茅葺ですが、屋根を銅版で覆っています。(雲高山は雲上山とも国上山とも呼ばれる。)
国上寺の創建は古く、和銅2年(709年)泰澄大徳(682~767年)の開山。北海の鎮護仏法最初の霊地と謂われる越後最古の名刹
国上とは国中で一番の意味、国上寺は正一位の格式を持つ越後一の寺
上杉謙信公の時代には境内に七堂伽藍、山中に二十一ヶ寺、百三十余の末寺を擁した大宗派となり隆盛を極めました。
 
本尊は上品上生阿弥陀如来像、有名な行基の作と伝えられている。

本堂内陣には貴重な尊像が沢山ありました。
下左は国上寺開山泰澄大徳の古木像。
 
上右は阿弥陀堂(本堂)を再建した国上寺中興の祖・万元上人。(何故か万元上人は天台宗の僧侶。)

雲高山国上寺は幾多の戦火や火災で焼失、現在見られる本堂(阿弥陀堂)は江戸時代・享保3年(1718年)に万元上人の尽力により再建されました。

次回は良寛和尚の五合庵

2007 06 18(月)記。    前橋市    最高気温29℃。

腐りきったアベ内閣の閣僚・長瀬法務大臣
赤坂の元クラブママとの怪しい関係で金銭疑惑!と富山の実家を登記せずに固定資産税の脱法行為!ここクリック。


第208回 新潟の旅 5 弥彦山。

2007-06-15 12:12:12 | 旅行

6月2日(土)   弥彦神社参拝の後、車で弥彦山見物。

すっかり田植えの終わった越後平野の田園地帯を見ながら名山弥彦山(国土地理院標高634m[638mの異説も])へ。
弥彦山は日本海の海岸から突如聳え立つ秀麗な山容ですが、深田久弥著「日本百名山」には入らず、後書きで「名山だが絶対的な標高が足りなかった」と述懐しています。
 
農道脇の秋に刈り取った稲を架けて干す稲架木(はさ木・はざ木)並木が越後特有の風景を醸していました。
空撮の弥彦山の彼方に佐渡島が望めます。

車は平野部から弥彦山スカイラインに入って上り坂を一気に頂上へGO~!
スカイライン途中で突然出現する大きな金ピカ観音にはビックリです。(観音寺)
 
弥彦山頂上近くにはハンググライダー場があり、晴天の日本海めがけて羽ばたいています。 鳥人間の気分で気持ち良さそ~~!  

弥彦スカイライン頂上の無料駐車場に車を止めて、記念写真をハイ、パチリ!
後ろの山は多宝山(標高633.8m)で弥彦山と同じ高さの双耳峰です。
 
喉を潤す清水の代わりに越後名物・コシヒカリアイスをGET!(250円)

山頂駐車場そばにはパノラマタワーという回転しながら上下する乗り物がありますが、600円は高いのでご遠慮!
 
隣のクライミングカー(傾斜式エレベーター・往復300円)で山頂近くまで一気に登りました。
山頂の弥彦神社奥社に行くにはこちらが便利です。

クライミングカー50度の傾斜角でスリル満点の急斜面を登って山頂駅へ。(全長60m)
 
横ではパノラマタワーがノンビリ上下。 逆光でキラキラ光る日本海の向うには佐渡島

クライミングカー山頂駅から弥彦神社・奥宮までは整備された気楽な散歩道。
 
弥彦山頂にはTV局のアンテナが所狭しと林立しています。
神聖な御神体の山とは思えない光景ですね。

山頂までの遊歩道には美しい花が咲き乱れて・・。(花名は谷空木[タニウツギ]・すいかずら科・田植え時期に開花するので、別名「田植え花」「早乙女花」 深津様談)
 
山頂駅から10分程で山頂の鳥居と社務所に到着。
石の鳥居には「御神廟」の扁額が架けられていました。

弥彦山頂石弥彦神社・奥宮(御神廟)。
 
弥彦山最高地点は奥宮の中のこんもりとした小さな古墳状の場所、神域なので入れません。

弥彦山頂から内陸部燕三条方面を撮りました。真下の集落が弥彦神社のある弥彦村

右側奥を望遠で撮る(下画像)と「分水おいらん道中」(クリック。)で有名な分水町信濃川が見えます。


霞んでいますが、寺泊・出雲崎方面で右は白砂青松の日本海


下は寺泊漁港と思います。 観光バスが必ず訪れる寺泊鮮魚センター(魚のアメ横)が中央左に見えますが・・・。

手前の川は信濃川大河津分水路[放水路](クリック。)です。 

山頂に据え付けられた方位石盤。 
方向が子丑寅・・・の十二支って面白いですね、弥彦山の歴史を感じさせます。
 
佐渡海峡を挟んで佐渡島が薄っすらと望めました。佐渡島の右端は姫崎。

クライミングカー山頂駅屋上から見下ろした弥彦山ロープウェイ山頂駅。(弥彦神社の横に山麓駅。)
 
下に見える駐車場への帰りもクライミングカーのお世話になりました。

弥彦山は越後平野・日本海・佐渡と360度の眺望を誇る天下の名山です。
麓の由緒ある弥彦神社と共に一度は観光に行かれることをお奨め致します。


次回は良寛和尚縁の国上寺・五合庵。

2007 06 15(金)記。    前橋市   最古気温28℃。

(拝借画像に感謝!)


第207回 新潟の旅 4 弥彦神社。

2007-06-14 12:57:43 | 旅行

6月2日(土)    弥彦神社を参拝。

美味しい海鮮ランチを頂いた後、三条市から20km程の弥彦山へ向かった。

越後の名峰・弥彦山へ登る前に、弥彦山麓にある超有名な弥彦神社へお参りします。

弥彦山も山肌が新緑に染まって清々しい姿を見せていました。(弥彦山全体が弥彦神社の神域。)

弥彦神社の境内入口には朱色の大きな鳥居「越後一宮・名神大社 弥彦神社と刻まれた名石碑。(名神大社[みょうじんたいしゃ]は967年施行の延喜式神名帳に記された2861神社の中でも特に霊験があらたかな特別格の神社。名神大社は全国に224社。)
 
大鳥居から振り返ると少し鄙びた弥彦温泉街が見えます。

弥彦神社大鳥居から続く敷石を辿って行くと、鬱蒼とした木立ちの中を流れる御手洗川に架かる朱色の太鼓橋が右手に有りました。
 
この太鼓橋は神様だけが渡れる御神橋(玉の橋)と云います。神様が必死によじ登る姿を想像すると面白いですね。

さらに奥に歩を進めると、宝物殿や御札・御神籤などを売る御神札授与所がありました。そばの手水舎で手と口を清めてから弥彦神社拝殿へ・・・。
 
途中に神社には不釣合いな鉄製タンクが大切に保存されていました。
明治17年に新潟の田代虎次郎氏が考案した二十石蒸留釜とのこと。
このタンクに原油を入れ下から熱し、蒸発ガスを上部のパイプで取り出して冷却分離したそうです。原始的な石油精製装置で全国に2基のみ現存。 
新潟県では今でも石油を産出しているのでしょうか?

長い参道を更に進むと、大きな石の鳥居に出合います。
その遥か向うに弥彦神社の御社が・・・。
 
石の大鳥居の横には神馬舎があり、実物大の御神馬像が見られます。
往時は極彩色で華麗な姿だったのでしょうが、今では色褪せて不気味なミイラ馬状態で甚だ気色悪し。

いよいよ弥彦神社の御社へ・・。 まずは唐破風屋根の随神門(昭和15年建築)です。
 
左右には木造の武人像が控えていますが、お寺の仁王様と同じ役目でしょうか?

やっと弥彦神社の拝殿・本殿に到着。
霊山・弥彦山を背景に美しいお社ですね。シンメトリックな流麗な三間社流造り社殿。

延喜式
・神名帳には伊夜比古神社と名付けられています。
祭神は越後の国開拓の始祖・伊夜比古神(天香山命)だそうですが、拝殿には居ませんでした。名前から推測すると夜遊び男(ホストかジゴロ)の神様かも・・・?
古い社殿は明治45年火災で焼失、現在の社殿は大正5年に再建されました。

提灯が並べられた拝殿内では厳かに祝詞を・・・。
 
薄暗い拝殿内部の手持ち望遠撮影は流石に少しブレました。

入って来た随神門を拝殿横から撮影。神社らしい雰囲気があります。

この静かな弥彦神社で昭和31年1月1日に神社の石玉垣が崩れ、石段付近の参拝客124名が圧死・犠牲になった大惨事の弥彦神社事件がありましたが、今ではその痕跡もありません。 惨事の原因となった餅撒きはその後行われていません。
さわらぬ神にタタリなし!」・・ってこの神社から出た言葉!?

来た道を辿らずに拝殿横から出ましたら、目の前に立派な建物が・・。
お寺の鐘楼かと眼を凝らして見たら、太鼓を吊るしていました。鼓楼ですね。
 
モノノケが出そうな杉木立の中に忽然と七つの摂社群十柱神社(一番奥の屋根)が出現!
それぞれ○□社・△×命と名が記して有りましたけど・・・ね。
(弥彦神社と摂社・末社・十柱神社を含めて国指定重要文化財

朽ちかけそうな十柱神社の奥の舞殿(神楽殿)で神楽が始められました。
可愛い子供たちが弓矢を操って演じています。(暗さとバッテリー切れで撮影苦労。)
 
境内を散策し入口の大鳥居で戻ったら、結婚式の可愛らしい花嫁さんに遭遇! 
今日2日はお日柄も良く、天気も良くて大安DAYの最高の一日でした。
花嫁さん、お幸せに~~~!」     弥彦神社の詳細はここクリック。)

次回は弥彦山と弥彦神社奥社の巻です。

2007 06 14(木)記。    前橋市    最高気温24℃。

お暇な方はここクリック。(ドナルド君のご乱心!?)


第206回 新潟の旅 3 三条市 食事処・魚家

2007-06-12 12:12:12 | 旅行

6月2日(土)    “三条大凧合戦”の午前の部を見物していたら、丁度お昼時間になりました。

午後は弥彦山観光を予定していたので、弥彦山へ行く途中で昼食を摂ることにした。
旧三条競馬場から国道8号線を横切って、八王子橋方向へを走らせていると、道路の左側に雰囲気の良さそうな平屋建ての和食屋が見えてきました。(三条市上須頃850)

店横には広い駐車場が完備されていましたので、飛び込みで即駐車!
お店の壁面全体は写真の様な大きな看板で覆われています。
 
店名は“和旬喰燗・魚家と大きく書いてありました。(魚家はここクリック。)
その中ほどには干鮭が初夏の微風の中、気持ち良さそうにぶら下がっています。
村上市三面川の鮭を思い出し、のれんを腕で押して店内へ・・・。 (村上鮭の記事はここクリック。)

和旬喰燗魚家”の内部は白木造りの落ち着いた雰囲気。
店名のサブタイトルから推測すると、夕方からは居酒屋商売ですね。
 
魚家の客席数はカウンター席を含めて約30席ほどです。カウンター席以外は家族連れのお客が占めていました。
早速、メニューを開いて品定めに入ります。

昼時でしたので、ランチメニュー“魚家の海鮮丼”“北海丼”(共に1450円税込み)を注文しました。
妻が選んだ注文の品海鮮丼です。 海の幸がいっぱいの海鮮丼セット!!
 
ご覧の通り甘エビ・イクラなど十種類の魚貝類のネタがテンコ盛り状態の海鮮丼です。
ランチメニューでは海鮮丼が魚家一番のお奨め料理と云ってました。
ナルホド、ナットク・納得・・・。

次は筆者注文品の北海丼のセット。
 
こちらも海鮮丼の負けず劣らず豪華な盛り付け!
北海丼の名前の通り北の海の幸が満載です。
生鮭と北寄貝が特に新鮮で美味でした。

“和旬喰燗・魚家ではランチだけでしたが、使用されていた食材は全て最高級鮮魚!
海の香りが胸の奥まで感じられる、採れたて魚貝の素晴しい海鮮ランチ丼
胃袋も気分も美味しさ一杯の幸せを実感させてくれた“和旬喰燗・魚家”のランチタイムでした。

蛇足ですが、魚家TOTO-YA(トトヤ)と読むそうです、幼児言葉を上手に面白く利用していますね。 三条市方面にお出掛けの折にはTOTO-YAでお食事を・・・。

2007 06 12(火)記。    前橋市 快  最高気温31℃。

6月12日    日記の日 (アンネ・フランク「アンネの日記」が書始められた日) 恋人の日 (全国額縁連合会が昭和63年に制定。 恋人との写真を額縁で飾る企画。)


第205回 新潟の旅 2 三条市 三条大凧合戦。 下

2007-06-08 18:18:18 | 旅行

6月2日(土)     三条大凧合戦開始。

三条市の大凧合戦の舞台は、日本第一の長さを誇る信濃川脇で、三条大橋横の三条競馬場跡地の広々とした草地です。
大凧合戦は一日に二回行われ、午前10時頃から大凧合戦の午前の部が開始されました。
 
凧揚げは4~5人が一組になって、先ずはを無事に空に揚げなければ始まりません。  当日の午前は少し風が弱かったので揚げるのに苦労してたね。

 
揚がる途中で失速したり、墜落したりで引き手達は大慌て!
凧綱を手繰ったり、風上に駆けったりの大奮闘!
 
それでも全員ベテランですね、 苦労の末大空に二十数旛が揚がりました。

澄み切った大空に舞う大凧の姿は壮観そのものです。

大凧の空中戦が展開されてゆきます。
年来の宿敵凧か、風に有利な位置から組し易い凧に狙いを定めて攻撃!
 
バランスを崩した大凧は糸が切れて墜落してしまいます。

下左の凧綱の交差光景が見えるでしょうか?
 
相手綱を切断しきれずに互いに墜落するものも多くありました。
 
写真撮りで夢中の筆者の頭上にも大凧が落下!!
幸いにも紙の部分が頭に当たっただけでケガはありませんでした。
近くでは大凧竹骨が頭に当たり救急車で運ばれた人も・・・。
頭に大凧骨では大怪我ですね。 大凧合戦の真下はご用心!
 
各凧組から選ばれた役員が空を見上げて大凧空中戦審判、点数制で優劣を判定します。

三条の大凧合戦は“三条のイカ(紙鳶)合戦”とも云われ、江戸時代の慶安2年(1649)の子供の喧嘩から始まったとの説があります。

江戸時代には三条は村上藩の飛び地で村上武士の住む陣屋があり、その陣屋の武士の子達が揚げている凧に、日頃から武士の子を面白からずと思っていた鍛冶屋の子達が自分達の凧を揚げて、武士の子の凧糸をいたずらに切り落とした事が凧合戦の始元となりました。

その後、子供の争いが大人の凧合戦に発展し、端午の節句に庶民と武士が凧で合戦することが公認されました。 今では町内同士の対抗戦形式となり、6月最初の土日に開催される盛大な三条大凧合戦祭りとなりました。

来年の6月には三条市へ、ぜひ勇壮な三条大凧合戦をご覧下さい。

2007 06 08(金)記。     前橋市     最高気温26℃。

自衛隊は恐ろしい組織に変質を加速中! 

自衛隊の情報保全隊が国民を密かに監視(スパイ)!詳細ここクリック。
次第に戦前の軍国主義の足音が背後まで・・・。“天皇塀下マンセー”で特攻死せよ~~って。
ズサンな年金問題より空恐ろしい基本的人権の侵害(「きっこの日記」はここクリック。)

久魔防衛大臣が弁護・容認、制服組を統制出来ず、シビリアンコントロールを遺棄した愚劣大臣。

情報保全隊の任務は自衛隊員の情報漏えい調査が目的のはず!それが逸脱して国民を監視下に・・・。 (公安調査庁もスパイ組織)
Hサイトばっか見てる貴方は監視されてますよ!!
独裁自民党の数による横暴・驕りで平和憲法改悪、軍事大国・徴兵へ一直線・・・。

皆様の税で皆様見張る隊(磯谷佳世子様)


第204回 新潟の旅 1 三条市 三条大凧合戦。 上

2007-06-05 22:22:22 | 旅行

6月2日(土)   新潟県三条市の三条大凧合戦見物。

関越自動車道を飛ばして新潟へ。
トンネルを抜けるとそこは雪国?ならぬ青々とした新緑の越後湯沢でした。

高速道の正面に大きなスロープを見せる岩原スキー場廃墟状態のリゾートマンション群。
 
南魚沼の田植えが終わった米作地帯からは弥彦山が望めます。
途中、越後川口SAで休憩し、更に運転続行・・・。
ここまで来ると、目的地の三条市は真近になります。

三条大凧合戦会場三条競馬場跡地
その昔は「三条島之城」があり、幾多の攻防戦が行われた信濃川沿いの要衝の地です。
到着した10時15分頃にはすでに多くのが大空に・・・。
 
すぐ近くに無料駐車場(旧競馬場の駐車場)が有ります。 

三条大凧合戦の幟旗が会場の周囲に・・・。
 
凧合戦会場には凧屋さん(須藤凧店・小林凧店)が色とりどりの珍しい凧を売っていました。

前夜ので少しぬかるんだ旧三条競馬場の重馬場に入って凧合戦の見物です。
三条凧六角形は三条で世界最初に作られました)には幾つかの凧組がありました。
代表的な組では「雷神組」「留神組」「旭組」「三条越路組」「清正組」「藤組」・・など。

地元・越後の偉大な武将・上杉謙信を奉った謙信組もあります。
 
上町組」は仇討ちで有名な曽我五郎凧の出品。
筆者との対比で大きさが判ると思います。(縦217~425cm)

村さ来”凧ってお馴染みの居酒屋でしょうか・・??
 
め組」は辰五郎の凧で参戦。

それぞれの“凧組”の看板凧を見て廻るだけでも楽しめますね。

三条凧合戦は午前と午後の二回戦で、6月2日と3日の両日大空高く揚げられました。

次回は、三条大凧合戦の空中戦です。

2007 06 05(火)記。    前橋市    最高気温26℃。 

疑惑自殺の松岡利勝 前農水大臣に醜聞!! 松岡の契約愛人の記事はここクリック。  

 美しい契約愛人を持てる国だって・・!


松岡首吊りは発見から20分間吊ったまま放置された!の衝撃写真記事はここクリック。 20分放置で確実な死を確認、読むほど自民の深い闇が・・・。