ツトムさん家の写真日記。

写真いっぱいの楽しい日記です。(全面表示でご覧下さい)

第637回 戦国古城“名胡桃城”

2011-10-31 16:24:10 | 旅行

2011 10 01(土)

北群馬を代表する名城“名胡桃城”(なぐるみじょう)のご紹介。(撮影は秋の陽が傾く午後3時30分頃から)
沼田市と水上町月夜野の中間に位置する山間地に綺麗に整備された名胡桃城址があります。

名胡桃城は室町時代(1492年)に沼田景冬により沼田城の支城として築かれ、その後戦国時代に北条や豊臣が争奪した歴史に名を留める城。
最終的には真田氏の所領となり、泰平の江戸時代に出城の役割を終えて廃城となります。

山城で放棄されてから数百年、天守閣などの建物は全くありません。


名胡桃城があった地の利根川を挟んだ向かい側に聳えるのは山岳信仰の霊地・三峰山です。


山間地に築かれた山城ですから、石垣は無く手掘りで造った空堀が多く見られます。
中央左の山には丸山砦が築かれ、狼煙台として使用されました。


かっての城郭の要所には「丸馬出し」「喰違い虎口」「三の丸虎口」など位置を示す石表が立てられています。
 

時代劇に登場するような城壁や白壁は無く、土塁を盛り上げて土塀にした素朴な山城。
二の丸址から深い空堀を越えると本丸址に着きます。


名胡桃城本丸址に「名胡桃城址之碑」と彫り込まれた大きな一枚岩で出来た風格ある大石碑が堂々と建てられています。
この石碑の文字は明治時代の思想家政治家・徳富蘇峰の揮毫によるものです。
  
大石碑は近郷の村民が辛苦に耐え、約1里先から引っ張って来た岩で大正13年に本丸址地に建てられました。

本丸址から更に先に進みます。再び深い空堀を渡ると小さな岡のような“笹曲輪”があります。


笹曲輪からのパノラマは素晴らしい! 谷川岳から沼田市まで一望です。(正面は三峰山)


笹曲輪の先で急傾斜を下った場所に“物見曲輪”、ここから敵を遠望した見張台だったのです。
現在は周囲に樹木が生茂り、全く展望できません。
 
「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」の句が似合う戦国古城でした。

名胡桃城については ⇒ ここクリック。

名胡桃城に関係する奇祭“ヤッサ祭り”⇒ ここクリック。


2011 10 31(月)記。       前橋市   最高気温22.9℃

タイ国のフルーツカービング芸術。 下画像クリック。



これはすごい!バイクで前転 大技 「地獄車」を極める 「No Limit Japan」



これはもの凄いぞ!地獄車 バイク前転2回転 Hell circle 2roll




第636回 長生山三重院 火渡り・即身成仏 

2011-10-28 12:00:00 | 旅行

2011 10 01(土)


みなかみ町月夜野の義人・茂左衛門の関係地を訪ねた帰路に立ち寄った古寺・三重院(さんじゅういん)を参詣。
路傍に立てられた看板には「長生山 三重院・瑠璃光寺」、脇にあるP場に車を停めて入山します。(長生山=ながおさん) 
 
苔むした年代ものの石仏など小川に沿った参道に立並び厳かな雰囲気・・・。

ほどなくして小川を渡ると正面に長生薬師を祀る三重院瑠璃光寺の本堂。
三重院は本山修験宗として貞和四年(1348年)に開山されたと伝えられている古刹です。
 
神仏混交の名残でしょうか?・・丸い鏡の奥の須弥壇に薬師如来像が祀られていました。

本堂前の庭(境内)に石碑のような置石は「爾明石」(じみょうせき)と云い、その昔し僧・晃道法印の夢に武尊山の霊神が降り下り、「この霊石を境内に安置して長生薬師の脇仏として祀れば、衆生の願いを叶え希望を与えるであろう」と述べたと言い伝えられる武尊山の霊石。
脇にある於伽井の霊水を爾明石にかけて磨けば霊験新たかといいます。
  
境内には様々な石碑・石塔がありますが、この石塔は「明徳の法篋印塔」(建立は明徳五年 1394年)と呼ばれ町の重要文化財に指定。

本堂裏手の小高い場所が毎年4月第2土曜日に火渡りの行事が行われる火渡り道場です。

火渡り道場の片隅にこんもりと土饅頭になった場所は“即身即仏”修行を行う「土中行道場」と云う霊場。
この土中行(どちゅうぎょう)とは、五穀断ちを行い体を浄化した上、5~10日間2mの地下に座して食と光を断って即身成仏になる禅修行のことで、7日を越えると本当に成仏してしまうと云う非常に厳しい秘行なのだそうです。
 
案内して頂いた三重院の晃道院主の話ではあまりに厳しい修行なので最近は殆ど土中行は行われないそうです。(危険な難行なので近年の土中行は4日で打切るとの事。)
土中から伸び出した空気パイプからは修行の読経が漏れ聴こえて来るような・・・。

庫裏にお邪魔して拝見した火渡り行事からの写真、修験者が行う火渡りは真剣に気合を込めないと直ぐに火傷してしまうそうです。
 
数ある火渡り行事の中でも三重院の火渡り火生三昧」と云われる厳しい荒行で知られ、御利益が多くある事から沢山の信者が各地から参集するそうです。

地方の寺社に立ち寄るのも勉強になりますね・・・。


2011 10 28(金)記。    前橋市 快晴無風  最高気温18.3℃


おまけコーナ。

終末の音。⇒ ここクリック。

世界一危険な歩道。(スペイン南部、高さ100m)
El camino del rey 2010

 


第635回 第3回中之条ビエンナーレ 2011 中之条伊勢町地区.

2011-10-25 12:00:00 | 旅行

2011 09 25日(日)


今回は“第3回中之条ビエンナーレ”の中之条伊勢町エリアのご紹介。
ビエンナーレとは2年に一回開催される芸術展の事で、1年に一回はアニュアル、3年に一回のはトリエンナーレと云うらしい。

先ずは、IR中之条駅横にある吾妻倉庫内の展示品。
倉庫内の真っ暗な空間に浮かぶのは超幻想的な光を放つ蓮の池!! 死後のあの世はかく有りなんと思わせる仕掛けに感嘆します。
 

第3回中之条ビエンナーレ最高の傑作を動画で御覧下さい。
第3回中之条ビエンナーレ2011 JR中之条駅前 通運倉庫 「生物建築舎」作品。


IR中之条駅前から国道145号線の商店街にある現代芸術作品を拝見。
竹コプター付きのアウトリガー船でしょうか?  題名は「風の家」。
 

造り酒屋「廣盛酒造」の醸造蔵でも作品を展示していました。  広盛の一升ビンを転がし、中心に白い人物を配した酔っ払い作品?
 

酒の仕込み蔵には「想い出についてー酒蔵ー」と題した書棚とガラクタ・・・芸術と言えば芸術かも・・・。


廣盛酒造の酒蔵展示作品の一部を御覧下さい。
 

暗闇に絹糸とテグスを張って水の精霊を表した「来訪」と題された幻想的作品。
  

ビエンナーレですから何でも芸術に見えてしまうから不思議です。
 

古畳から生えたカビ?キノコ?それとも・・・もしかして放射線??


国道沿いの閉店したパチンコ店もビエンナーレに活用されていました。
誰でも泥土人形を作って床に並べ展示できます、入場者参加型芸術作品ですね。


国道の交差点に建つコミュニティーセンター“つむじ”でも展示中でしたが、芸術より食欲でおやつタイム。
 

中田材木店の一つの倉庫には木材では無く石材作品、 芸術作品らしく見えます。
 

倉庫横には巨大なオブジェ! 題して「痕跡ー枝が伸びる」。無数の枝を挿した努力賞的アート作品なのです。


材木倉庫には木材を使った彫刻芸術、周囲に材木との調和が取れ不思議な雰囲気を醸していました。
 

材木倉庫の二階では空間利用の作品「窓際の風景ーこの世界 」。ゆらーりゆらーりと少し揺らすと面白いです。


筆者がビエンナーレで訪ねた地区は「中之条伊勢町」「伊参」の2地区、この他にも「四万温泉」「沢渡温泉」「暮坂」「六合」の4エリアでも開催していました。

全て無料で拝観できる現代アート“第3回中之条ビエンナーレ”、秋の一日散歩がてらに芸術観賞は如何でしょうか・・・。

中之条イメージソング 「生まれたての風」 いがりまさし



2011 10 25(火)    前橋市一時    最高気温24.2℃


おまけコーナー

天才ピアノ弾きネコ!“ノラちゃん”
"NORA: Practice Makes Purr-fect" - Check the sequel too.



Nora The Piano Cat: The Sequel - Better than the original!



脱力ネコ。
Le Chat qui dort un peu trop profond醇Pment ! - une vid醇Po Animaux.mp4


第634回 第3回中之条ビエンナーレ 大道公民館 富沢家住宅 日本一の樅の木。

2011-10-21 21:02:34 | 旅行

2011 09 25(日)

前回掲載の“桃瀬の水牢”見学のあと、中之条町で開催されて「いる“第3回中之条ビエンナーレ2011”の見物。
現代芸術と豊かな自然のコラボ・・中之条ビエンナーレは2007年から隔年で開かれ今回で3回目。

中之条町伊参(いさま)エリアの大道公民館に立ち寄り、地場名物の“おやき”(100円)など食べながら秋の芸術観賞です。
 

大道公民館の一階座敷部屋、鹿だかカエルだか判らない奇妙な縫いぐるみオブジェ
薄暗くなって見たらさぞかし気持ち悪いでしょうね。
 

芸術作品ですからご自由に想像しながら御覧下さい。
 

大道公民館から県道53号線を北に上った大道1274番地に建つ茅葺きの古民家が“富沢家住宅”。
1790年建築の北毛地区を代表する大型養蚕農家で、1970年に国重要文化財に指定されました。
二階が蚕室になり、一階部が住居(うまや)の造りになっています。
 
土竈(かまど)が据えられた広い土間と馬4頭分のが一階の右側(東)に見られます。

土竈を利用した芸術作品。エネルギーの流れを表しているのでしょうか?
 
の暗さを生かした青色発光ダイオードの作品。

一階住居部にもビエンナーレ参加作品が展示されています。
 

キャンバスは襖(ふすま)と障子です。
 

蚕室に使われた二階部。
暗い二階の屋根裏からぶら下がった輝く銅の人形オブジェ!(人の昇天か?摩訶不思議な感覚)
 

築後220年余の富沢家住宅、二階前部が武士の兜に似ていることから前兜型と呼ばれ、二階に専用蚕室がある農家としては日本最古の農家住宅です。
 

大道公民館の近くにある“日本一の樅の木”も見物。
「囀(口へんに転)石のモミ」(囀石=しゃべりいし)といい、樹高37m、幹周7.8m、枝張18mの樹齢800年を越える大樹です。
 

この地の旧家・小渕家の広い屋敷内にあり、明治時代末の集落火災で幹内部が空洞になっているにも拘らず樹勢は旺盛とのこと。
 
どっしりとした根元や見上げる太い幹からは生命の息吹きを感じ、近寄ると圧迫感を覚えるほどの樅の巨木です。


2011 10 21(金)     前橋市      最高気温20.2℃


おまけコーナー。


【モラル欠如の大中国 衝撃映像】車に轢き殺された2歳児・悦悦(ユエユエ)ちゃん、18人の 通行人は無視=見るに耐えない!


アラブの狂犬、独裁者カダフィの末路! 下画像をクリック。


手土産いっぱい持って訪韓。竹島のタの字も云えない、おバカ野田民主党!ここクリック。

神業!! 青森大学の新体操。
Japanese Synchronized Gymnastics


第633回 名水百選“箱島湧水”

2011-10-18 18:00:00 | 旅行

前回の水牢編で記述しました、日本名水百選の一つ“箱島湧水”をご紹介。 画像は2006年9月3日(日)撮影。

日本のヘソを町おこしのメインテーマにしている渋川市から県道35号線を吾妻方面へ約12km。
県道に立てられた「箱島湧水」の看板に従って左折し、ほんの少し坂道を上ります。

無料P場に車を停めて、「箱島不動尊入口」の道標脇の緩い坂道を山のオゾンに浸りながら10分ほどの散歩です。
 
木立の間から綺麗な小川がちらちらと見え、軽いピクニック気分。

箱島湧水の少し手前には群馬県最古のロックフィルダム址なども見られます。
明治43年(1910年)完成、箱島水力発電所としてこの地方に電気を灯したそうです。
 

ロックフィルダムから100m奥に進むと“箱島湧水”が湧き出す斜面に到着します。
湧出口に「日本名水百選 箱島の湧水 不動の霊泉」の石碑。
 

箱島湧水は昭和60年7月22日に「日本名水百選」に環境庁から認定。


樹齢400年以上の杉木の根元から大量に湧き出す清水
  

清冽な清水が苔生した岩石の間から水量豊かに湧き出しています。(一日の湧水量3万トン)
不動の霊泉」と呼ばれて昔から愛飲されている名水。
喫茶店やレストランで使うため遠くからもポリタンクを携えて水汲みに沢山の人達が訪れます。
 
不動尊の大杉の根元には不動明王石像が憤怒の形相で美味しい泉を守っていました。

箱島湧水から杉の巨木が林立する石段を登ると由緒ある“箱島不動堂”。
 

箱島不動尊の霊泉」の由来書も謎めいて面白いですね・・・。


渋川市・伊香保温泉・吾妻渓谷方面を訪れる際は、“箱島湧水”の名水で喉を潤しては如何でしょうか・・・。

2011 10 18(火)記。     前橋市   最高気温23.2℃

おまけコーナー。

幽霊か?エイリアンか?

Strange Alien Stick-like creatures caught on security camera above Fresno in
Yosemite National Park

【心霊】準備中の店内で幽霊っぽい(なにこれ、マジ怖ぇよ)

 


第632回 義人・茂左衛門 池の薬師の水牢 桃瀬の水牢。

2011-10-14 18:44:49 | 旅行

2011 09 25(日)

前回までの義人“茂左衛門”と非道な藩主・真田伊賀守信利の時代に年貢取立て使われた悪名高き“水牢”を訪ねて群馬県吾妻郡へ・・・。

日本のヘソを自認する渋川市から県道35号線(通称・日陰の道)を北西へ約15km、日本名水百選の一つ“箱島湧水”を少し奥に進んだ吾妻郡東吾妻町奥田の山中に建つ薬師堂が水牢のある目的地。


お堂の名称は「池廼薬師堂」(廼=の)、水牢は「池廼薬師堂水牢」と云います。
眼病に効くと言う薬師堂の右脇に農民を苦しめた“水牢”がありました。
 

水牢のあるこの場所は榛名山の北斜面に位置し、一年中陽は射さない陰気な雰囲気の古池。

年貢取立てでこの水牢(水深60cm)に農家の妻子を4~5人づつ縄で縛って入れたそうです。
 
因みに水温を計ったら15℃、3分ほど手を入れていると痺れてしまいました。(気温24℃)
投獄される時期は冬の12月ですから薄氷の張る極冷えの水温になり、とても耐えられるものではありません。

寒さに泣き叫ぶ妻子の姿を見て、祖先代々の田畑を売って米や金子(きんす)などを工面したと言い伝えられています。
真田伊賀守信利の苛酷な刑罰によって水牢で低体温症になり命を奪われた人々の怨嗟の声が聞こえて来るようです。

水牢で殺された農民の無念を弔うのか、池のほとりに石仏が・・・。
 

高台から俯瞰した池廼薬師堂水牢。水牢に流れ落ちる清水で眼を洗うと眼病が治るとか・・・。

注ぎ込む清水は飲むことができます。 箱島湧水の近くですから大変美味しい湧き水です。

薬師堂の正面奥には石地蔵様が鎮座。苛酷な水牢刑で命を落とした領民の菩提を弔っているのでしょう。


池廼薬師堂水牢を見学した後、県道35号線から吾妻川を渡って国道353号線(吾妻街道 通称・日向の道)に出て中之条町へ向かいます。

稲穂が揺れる初秋の吾妻街道の前方には岩櫃山(いわびつやま 標高802m)の岩峰が・・・あの山上には中世の名城・岩櫃城が築かれていました。


中之条町で国道353号を右折し、国道145号線(日本ロマンチック街道)を3分ほど車を走らせた左側、中之条町横尾1639に次に目指した水牢があります。(145号道路に小さな看板、近くに吾妻神社あり)
 
それは豊作の稲田を過ぎ、小川を渡った林間地にありました。

悪名高き真田伊賀守信利が民百姓に重税を課し、納められない者を見せしめとして入れた“桃瀬の水牢”。
  
中之条カルタで、む 「昔の悲話を伝える桃瀬の水牢」と詠われています。

桃瀬の水牢」の石碑が無ければ見過ごしてしまいそうな小さな池。
池は背後の小丘からの湧き水を湛えていました。

水温を計ると19℃。半袖で充分な温暖な秋日和の陽溜まりの水牢でしたから、「池廼薬師堂の水牢」より4℃ほで高い水温です。
水牢を使ったのは冬の雪降る12月でしたから、この水温よりずっと低くとても耐えられない冷たさだった事でしょう。

桃瀬の水牢脇に立てられていた説明板を記します。
「水牢は人を水の中に入れる水責めの一種で、おもに年貢の取立てに使われたといわれる。
水牢跡は近世の沼田藩の中で吾妻東部にだけ残されている遺跡であり、八ヶ所ある中でこの跡がもっともよく原型を残している。
記録には12m四方に粗朶(そだ)をゆい、木戸を設け、周囲は石垣で、女は水を70cm位にし、子どもある者は背負わせ、単衣(ひとえ)にさせ五人ぐらいを袖に縄を通してつなぎ入れたといわれる。
男は首がつかるまで入れたといい、体温低下で死んだ者もいたといわれる。この悲惨な姿を見て、人々にすがり年貢を納めたのだといわれる。
吾妻東部にしか見られないものなので、中世における岩櫃城主斉藤越前守(岩櫃衆)が使ったものと推定され、それを近世になり真田伊賀守も使っただろうと考えられている数少ない遺跡で貴重なものである。」

戦国の智将・真田家の末裔は暴君だったのですね。


次回は、名水百選の一つ「箱島湧水」。


2011 10 14(金)記。    前橋市のち    最高気温23.3℃


中国 豪華遊覧船の進水式が浸水式に・・。⇒ ここクリック。

車にはねられる幽霊。
Ghost On Security Camera Hit By Car??This is Weird


第631回 茂左衛門奥の院と首塚 昌月法印 義民・松井市兵衛 状橋地蔵(二使者切腹地)

2011-10-11 16:29:09 | 旅行

2011 10 01(土)

今回は義人“茂左衛門”に関係する幾つかの場所のご紹介。

真田伊賀守信利(信直)の暴政に耐えかね、農民を救うために茂左衛門直訴事件の前に直訴におよび失敗し、目的果たせずに打ち首に処せられた政所(まんどころ)村の名主・松井市兵衛を祀る“市兵衛地蔵尊”をお参りします。
 

みなかみ町政所村の隣村・真庭村の旧街道筋で、昔は利根川岸であった斜面に“市兵衛地蔵尊”がありました。


茂左衛門祭りの当日だったので、地蔵堂の扉は開かれ、祀られている市兵衛地蔵を拝顔することが出来ました。


市兵衛地蔵堂脇の木立の中には“義民・松井市兵衛”の首が切られた刑場跡碑があります。


この地点が義民・松井市衛処刑の地。 
農民たちの困窮を救うべく、月夜野村の名主・杉木茂左衛門と相談した松井市兵衛は単身江戸に赴き(延宝9年)、大目付・桜井正之助登城の際に訴状を差し出しますが、握り潰されて越訴(直訴)の咎で捕縛され天和元年12月29日ここ真庭の地で打ち首に処せられました。(茂左衛門直訴の数ヶ月前のこと。)
 
直訴が取上げられなかった事は後の“茂左衛門直訴”に多くの教訓を与え、上野輪王寺経由の直訴で成功となりました。

次に訪ねたのは国道旧17号線の横にある“大宝院塚”。 場所は沼田市恩田町。
 

大宝院塚曼珠紗華が満開の墓地の片隅にひっそりと建っていました。


この苔生した石塚は、「茂左衛門直訴状」を浄書した天台宗大宝院の僧侶・昌月法印が捕らえられ、残酷な“石子詰”(いしこずめ)の刑で処刑された場所です。 江戸時代の直訴には幾多の命が奪われたことか・・・。


大宝院跡から約1kmの場所、小川のほとりに建てられている小さな御堂が“状橋地蔵尊”。
 

茂左衛門磔刑に間に合わなかった事に責任を感じた赦免状持参の使者“小川安左衛門”と“加瀬甚之丞”が刑場1里手前の井土上村のこの場所で切腹し果てました。
哀れに思った村人たちが二人の使者の霊を弔らうために石地蔵を刻みこの場所に祀ったのです。
  

更に茂左衛門関係遺跡を訪ねてみました。
みなかみ町月夜野では旧国道17号線脇に建つ民家の軒先に「義人 茂左衛門屋敷跡」の看板。
 
この辺りが名主・茂左衛門の屋敷があった場所といいます。(左隣は駐在所でP場あり)

茂左衛門屋敷跡から近くの赤谷川に架かる「小袖橋」を渡ります。(この少し上流が絶景の“黒岩渓谷・黒岩八景”)


小袖橋から約400mほど坂を上った場所に建つのが“茂左衛門地蔵奥の院”。
この地(小袖坂)で茂左衛門は捕縛されてしまいました。
 

極彩色の浮彫り彫刻で飾られた茂左衛門地蔵奥之院。 内陣正面には四体(立像3、坐像1)の石地蔵尊が静かに鎮座していました。
 

ここまで来たからには、晒し首にされた茂左衛門の首(頭)を村人が強奪し、秘かに埋葬したという“茂左衛門首塚”をお参りする事に・・・。

山中の首塚には所番地がありませんからカーナビが使えません、近くの村で道を尋ねますが「近くて遠きは田舎の道」で迷いっぱなしです。
諦めかけた時、「迷う神に救う神あり」です。 有りがたい事に軽トラックで道案内してくれるという親切な人が現れました。

軽トラの後について実り豊かな農村地帯をくねくね走って着いたのは山の麓!(軽トラのおじさん有難う!)
車の終点からは徒歩で誰も居ない寂しい急な山道を10分ほど息を切らせてハイキングです。(途中に猪除けの電流線あり、注意して跨ぐ)

野鳥のさえずりを聞きながら、あえぎ喘ぎ登った山道の端に目指す“茂左衛門首塚”がありました。
 
苔生した石が積重ねられた所に茂左衛門の首が埋められたそうです。
石積の最上部にポツンと置かれた古びた墓石が諸行無常の哀れを物語っているようでした。


次回は茂左衛門の時代に農民を苦しめた“水牢”を訪ねます。


2011 10 11(火)     前橋市 薄    最高気温26.0℃


おまけコーナー。

富士山。
Cool Japan! Mt.Fuji


第630回 みなかみ町月夜野 天下の義人“茂左衛門” 下。一代記 

2011-10-07 12:12:12 | 旅行

2011 09 23(金・秋分の日)


松代藩十万石の真田本家を継ぎたかった真田伊賀守信利は沼田藩主に任命されるや、領地石高3万石を再検地し、本家を上回る14万4000石に格上げし本家に対抗しようと目論みます。
その無理な石高増加分は約5倍の増税となり、農具から子供の衣服まで税を課したり前回掲載の違法な「伊賀枡」をはじめ窓税・出産税・結婚税に井戸税などなど強引に徴税、山間地で只でさえ生活の苦しい領民・農民への過酷な増税となりました。
  
領民からは厳しく取り立てる一方、真田信利は酒色に溺れたのみならず、普請道楽のすえ関東では江戸城以外には無かった五層の天守閣も造営するという華美放漫の政事を行っていました。

また、殺生禁断の霊地“迦葉山”で農民を猟犬代わり酷使した巻狩りを行ったり、江戸に赴く途中で館林藩(当時の館林藩主は後の将軍・綱吉)の街道筋で行列の前を横切った幼女を母の眼前で切り捨てるなどの非道も平然と行っていました。
  
大水で流された隅田川両国橋の建替え用材を請け負い、困窮した農民を極寒の山中で幾多の犠牲を出しながらも伐採・搬出にあたらせなどの徴用も厳しく課していました。(材木は期日までに納入できず、沼田真田藩叱責される)

旧暦12月までに年貢を納められない農民には冬にも拘らず過酷な水牢の刑罰が実施され、耐え切れなくなった農民は飢死するか田畑を捨てて他国に逃散するしか方策がありません。
  
農民の困窮ぶりに政所村の義民“松井市兵衛”は大目付に直訴しますが、握りつぶされて直訴は失敗、月夜野利根河原であえ無く打ち首に処せられてしまいました。

この困窮・惨状を見かねた杉木茂左衛門(元は武士)は利根・吾妻・勢多177ヶ村の領民を救うべく、一命を投げ打つ覚悟で妻子に別れを告げ、真田信利の非行・領民の惨状を記した直訴状を持って江戸に出立します。

直訴状を徳川将軍に届ける秘策を練った茂左衛門は、金菊紋入り蒔絵文箱(輪王寺御用箱を装う)を故意に中山道板橋の茶屋に置き忘れ、茶屋の亭主から上野輪王寺宮へ・・・そして最後は将軍家へ直訴状は届けられる事となりました。
  
鵜澤家に伝わる茂左衛門直訴箱と由来書の一部。

茂左衛門直訴状の解読文。


直訴状が上野輪王寺宮から将軍・徳川綱吉に無事届けられます。
  
直訴の件が沼田藩に伝わり犯人割り出しとなり、直訴状を浄書した天台宗・大宝院の住職“昌月法印”が捕えられ沼田恩田村の利根河原で「石子詰」で処刑されてしまいました。

茂左衛門の直訴が成功し、幕府の取調べで様々な非行・悪行が露見し、「真田伊賀守信利父子罪状10ヶ状」で数々の罪状が糾弾されて沼田真田藩は改易(取り潰し)、沼田城は完全破却となり、真田伊賀守信利は閉門のうえ山形藩奥平家へお預けの身となります。
 
幕府により再々検地が行われ、実石高は約6万石と判明しました。

しばらく身を隠していた茂左衛門は自首する茂左衛門は一目妻子に会いに家に戻りますが、翌日に自首のため出立した茂左衛門は月夜野小袖坂で捕らえられ江戸送りとなりました。
捕縛人は留守中に茂左衛門家で働いてた作男で幕府の隠密だったとも云われています。
  
哀れ茂左衛門とその妻子は「直訴御法度」の咎により月夜野の利根川竹之下河原で磔刑に処せられてしまいます。(1682年 天和2年11月5日 享年48歳)

茂左衛門の義挙に救われた近郷近村からの助命嘆願や東叡山輪王寺宮からの救命要請で幕府は赦免状を携えた幕吏を走らせますが、磔刑場の1里手前で泣いて戻って来る村民から刑が執行された事を知り、2人の幕吏(小川安左衛門 加瀬甚之丞)は間に合わなかった事を悔いその場で切腹し果てました。
  
茂左衛門は月夜野で晒し首になりましたが、恩人の首を取り戻すため首番人を襲った村人たちによって首は秘かに山中に埋葬され、その場所は“茂左衛門の首塚”として大切に敬われています。

群馬県の恩人、義人・茂左衛門の義挙を記した「茂左衛門一代記」、ご参考になったでしょうか・・・。


次回は「茂左衛門首塚・松井市兵衛・昌月法印・二人の使者」など縁の地を訪ねます。


2011 10 07(金)記。    前橋市   最高気温


おまけコーナー。

古銭コレクター必見。 下画像クリック。


第629回 みなかみ町月夜野 天下の義人“茂左衛門”祭り 上。

2011-10-03 16:15:20 | 旅行

2011 09 23(金・秋分の日)

秋分の日、群馬県民なら誰でも知っている上毛カルタに「」の項目で出てくる「天下の義人茂左衛門」でお馴染みの”茂左衛門祭り”が開催されるというので、みなかみ町の月夜野へ・・・。
利根川に架かる月夜野橋を渡ると正面の段丘上に義人・茂左衛門を祭る“千日堂”が見えてきました。
 
義人・茂左衛門地蔵尊と書かれた幟旗に従って境内へ上ります。

茂左衛門地蔵尊・千日堂の境内では沢山の参詣客と露店で大にぎわい・・・。

意外と若年層が多かったで、この近郷では現在でも茂左衛門が親しまれている事がわかります。

春の春分の日と秋の秋分の日の年2回、ここ千日堂茂左衛門祭りが行われ、沢山の参詣客が訪れ義人“茂左衛門”の威徳を偲び供養を致します。
 

茂左衛門は月夜野の中農で姓名を“杉木茂左衛門”と云い、時の沼田藩主・真田伊賀守信利(信直)の苛斂誅求な悪政を将軍家に直訴して沼田藩改易(取り潰し)・真田伊賀守は山形藩にお預けとなりましたが、茂左衛門はその家族と共に越訴の咎により利根河原で磔刑(たっけい はりつけ)・獄門晒し首に処せられました。(詳細は次回の「茂左衛門絵物語」に掲載)

御堂の名は茂左衛門供養のため千日間読経が続けられた場所に建てられたので「千日堂」と名付けられたそうです。
千日堂内の正面に磔(はりつけ)の処せられた杉木茂左衛門妻子の地蔵像が安置されています。
 
善男善女が引きも切らずに参詣し、大きな賽銭箱に金子を次々に投げ入れていました。

本堂の茂左衛門地蔵の下に展示されていたのが領主・真田伊賀守信利が年貢取立てに使った悪名高い“伊賀枡”(いがます)。
 

伊賀枡は幕府公認の(一升=約1.8ℓ)よりかなり大きく作られていますから、沼田藩の農民は約15%~20%余計に年貢を納めなければなりません。
いわれ無き姑息な重税を課せられた農民は塗炭の苦しみを味わう事となりました。


千日堂の境内では三国太鼓など演芸が繰り広げられ、楽める“茂左衛門祭り”で茂左衛門を供養する縁日です。
 


茂左衛門祭り 2011年秋 1. CIMG9507.AVI


千日堂から見下ろした国道17号線と利根川に架かる月夜野橋。 
左下の小さな木立に“茂左衛門磔刑址”の石碑が建てられています。


現在は平地で駐車場になっていますが、当時は利根川の月夜野竹之下河原と呼ばれた場所で妻子と共に磔刑(はりつけけい・たっけい)に処せられました。

地元では義民・杉木茂左衛門のことを“磔茂左衛門”(はりつけもざえもん)とも言います。

茂左衛門磔刑地址を後にして、茂左衛門のお墓を訪ねに参ります。(徒歩で5~6分)

天然記念物に指定され、樹高10m 幹周4mで樹齢300余年といわれる桜の大樹「町組の江戸彼岸桜」が生い茂る墓所の中にある「川端家墓地」の一角に義人・茂左衛門とその家族の墓が初秋の陽を浴びていました。
 
義人・杉木茂左衛門の戒名は「高徳院義岳仁道居士」。

千日堂近くの弓道場では茂左衛門供養の弓道大会が行われ、若い男女が懸命に弓を引き絞って矢的を狙います。


茂左衛門祭り 2011年秋 2. CIMG9605.AVI


昔も今も重税に苦しめられるのは一般庶民ですね・・・。
公務員人件費20%削減の公約は何処へやら、大震災復興を名目にした増税には反対しましょう!!

次回は「義人・杉木茂左衛門絵物語」。


2011 10 03(月)記。    前橋市     最高気温21.4℃



おまけコーナー。

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