ツトムさん家の写真日記。

写真いっぱいの楽しい日記です。(全面表示でご覧下さい)

第449回 上州三大祇園祭り 大間々祇園まつり。

2009-08-28 19:19:19 | 旅行

2009 08 02(日)

大間々祇園まつり。(8月1~3日)

江戸時代から続き、380年の伝統を誇る“大間々祇園まつり”の見物に群馬県みどり市大間々町へ・・・。

以前は長く「おぎょん」の名で親しまれた大間々祇園祭りは「上州三大祇園祭り」(大間々。世良田。沼田)の一つに数えられています。


祇園祭り会場の大間々町本町通りに着く頃からポツポツとが・・・。
傘を持っていないので少々不安気味な祭り見物になります。


軽く雨に濡れた本町通りにの蹄の音が聞こえてきました。

本町通りを足早に闊歩する馬は大間々祇園祭りの露払いをする神馬(じんば)です。

五色の布で綺麗に飾られた大きな御神馬が通りを駆け抜けて八坂神社へ向かいます。間直に見る神馬は迫力満点!!
一緒に掛ける馬子たちは汗びっしょり・・・。


その昔は足尾銅山への荷駄の中継地として栄えた大間々町
大間々町の本町通りは足尾街道と呼ばれ足尾への交易路として賑わいました。

 
本町通りに並べられた山車では子供達が「大間々祇園囃子」を楽しそうに演奏していました。

小雨にもかかわらず、本町通りには大勢の人々が集まっていました。


大間々祇園まつりの動画をご覧下さい。

大間々祇園祭り 2009年 1. P1600530unit

本町通りの中程には八坂神社仮宮が設けられ、祭り関係者一同が集まり神官から「安全祈願」「五穀豊穣」の御祓いを受けていました。


御神馬も、それぞれの山車も御祓いが厳かに行われ清められます。
 
祇園山車の出立の前に一人の少女による横笛の独奏です。

見物客たちが見守る中、落ち着いた音色で爽やかに奏でていました。

 
いよいよ賑やかな大間々祇園囃子の音曲にのって、大間々祇園祭りの山車の巡行が始まりました。(大間々祇園囃子の起源は天保以前とも云われ、「さんてこ」「きりん」などの14曲が伝承されています。)

大間々祇園まつりの動画をお楽しみ下さい。

大間々祇園祭り 2. 2009年 P1600537


榊と切り紙を持った宮司を先頭に祇園祭りの本日(ほんび)と呼ばれる御神輿と山車巡行です。


黒漆に金箔に御神輿(寛政3年製)の前には赤面天狗様が本歯の高下駄で古式ゆかしく進みます。

少子化と云われる中、子供達も大勢参加した大間々祇園まつり。 
 
あどけなく可愛い子供たちが山車の綱を引いて祇園祭りに華を添えていました。

大間々祇園まつりの動画をお楽しみ下さい。

大間々祇園祭り 3.2009年 P1600555

 
小雨の中、小綺麗な手古舞さん達は濡れながらも山車祭りの先導を・・・。

大間々町の本町通りを約500mに亘って祇園山車の巡行が繰り広げられました。
 
山車がすれ違うときは祇園囃子の打ち合い競演(ひっかわせ)で一層賑や
第一街~第街までの祇園山車が本町通りを埋め尽くします。
かに。

 
旧足尾街道も祇園祭りの人波で溢れ、足尾銅山が隆盛だった往時の栄華を彷彿とさせていました。

大間々祇園祭りの動画をご覧下さい。

大間々祇園祭り 4. 2009年 P1600558

大間々祇園祭りの山車巡行は上毛電鉄の大間々駅前で折り返しとなります。

次第にが強くなり、祭り見物もそこそこに中止して・・・帰路へ。

大間々本町通りの北端では大きな氷塊を積み重ねて氷彫刻展が開催されていました。 題して「北関東氷彫刻大会」。
 
雨の降る中、大きなノミや電動ノコを繰って氷芸術に挑戦していましたが、空からの雨で果たして美しく完成したのでしょうか?

大間々町の祇園まつりが通りを駆け抜け、が祇園山車を引っ張るのが見所でしたが、今年は(昨年も)牛を全く見られませんでした。
近年、農耕牛はいないでしょうが、牛が引く山車をなんとか復活して欲しいものです・・・。
2009 08 28(金)  前橋市  最高気温32℃

おまけコーナー。

子猫と姉猫によるシンクロナイズドキャット。


第448回 最新ハイテク、ディスプレー付き雑誌。

2009-08-25 19:19:19 | 写真・旅行・日記・コラム

2009 08 25(火)

新しい形態のハイテク雑誌、タイム社発行の「エンターテインメント ウィークリー誌」登場!

これまでもCDDVDなどが付録についている雑誌がありましたが、プレーヤーで再生しなければ見られず、手間が掛かり面倒でした。
このハイテク雑誌ように極薄ディスプレー(画面サイズ5cm×3.8cm)が付いていればページを開けば何時でも気軽に動画を見ることが出来て大変便利です。
(ディスプレー部は2.25インチ。右に5個の選局ボタン、ドラマやコメディーなど4番組とペプシCM.勿論、音声も聞けます。 右上の破線枠がディスプレー、下方の小さな13穴がスピーカー部。)

この号では米国のCBS放送のTVドラマペプシコーラCMが見られるそうです。


CBS embeds Video Player in Entertainment Weekly Magazine


このディスプレーが付いたアダルト本開くとき周囲にご注意を・・・。

2009 09 25(火)  前橋市  最高気温29℃

おまけコーナー。

残念!日本代表の宮坂絵美里嬢、ミス・ユニバース上位入賞ならず!

斬新でエロチック振袖のナショナルコスチュームで頑張ったのに・・・。(でも、ナンだかストリップショーみたい・・・)

30日は衆議院議員選挙の日。

停滞の日本を変えるには若い力が必要です。
大切な一票は若い候補者に・・・

権力にしがみ付く老醜な政治家って見苦しいですね。




第447回 川越百万灯夏まつり(第28回) 2009年  蔵の町・小江戸川越の夏祭り。

2009-08-21 21:21:21 | 旅行

2009 07 26(日)

昔しの江戸情緒をたっぷりと残し、蔵の街とも呼ばれる埼玉県川越市の夏を彩る“川越百万灯夏まつり”見物へ・・・。

関越高速道の渋滞に巻き込まれ、川越に着いた時には一番見たかった川越藩火縄銃鉄砲隊の火縄銃演武のある時代行列は既に終了でした。

人通りの多い川越駅前クレアモールなど繁華街の散策をしながら夏祭り提灯に灯が点るのを待ちます。
 
百万灯夏祭りのせいか、NHK連ドラ「つばさ」のせいかまるひろ百貨店前の商店街通りは人の波です

の陰る頃の蔵造りが多く残る川越一番街通りの風景を眺めながら散歩です。
古くからの街並みが残る川越のランドマークといえばこの2っですね。
 
江戸時代寛永年間から時刻を告げている鐘つき鐘楼の“時の鐘”。
現在は埼玉りそな銀行になっている旧八十五銀行本店の大正ロマンを感じさせるノスタルジックなビルディング。(1918年1月竣工。 国登録有形文化財)


小江戸と呼ばれる川越一番街・蔵造りの街並みの動画をご覧下さい。

川越百万灯まつり 2009年 1. P1600243 part蔵の町・小江戸川越


川越一番街通りのりそな銀行前では富士見太鼓など各種のイベントも開催されて見物に来た人々を飽きさせません。
 
蔵造りの商店はお祭りに合わせ気合を入れて商い中。(寛政4年建築、重要文化財の大沢家住宅

近くの住民でしょうか? 通りの真ん中にある公園に賢いオウムを遊ばせていました。
人の腕に気軽にのって大人気のオウム鳥
 
夕刻時からサンバカーニバルのダンスパレードが始まります。
 
ラテンリズムにのって情熱的に踊るサンバの動画をお楽しみ下さい。

川越百万灯まつり 2009年 2. P1600296unit川越サンバ


プロのサンバチーム「リベリダージ」はサンバリズムにのって華やかに踊って見物客を魅了していました。

サンバガールの最後尾には打楽器で激しく賑やかなリズムを奏でる楽団です。
 
夕刻になり、川越の街中に飾られた提灯にも灯が点され、百万灯の雰囲気が出てきました。

小江戸川越のメインストリートにある蔵造りの通りも提灯の明かりで江戸情緒が醸し出されます。(重要伝統的建造物群保存地区)

蔵造りの通りもサンバカーニバルで大興奮!!
 
ダイナマイトボディーに観客の目は釘付けです。


夜の帳の下りた川越に響くサンバリズムの動画をご覧下さい。

川越百万灯まつり 2009年 3. P1600363unit川越 夜のサンバ

やっぱ、夏の祭りには煌めく衣装を身に纏ったサンバダンスが一番!!
  
嘉永3年(1850年)、川越藩主・松平斉典の徳を偲び、家臣の娘たちが軒先に提灯を掲げたのが始まりと云われる色とりどりの百万灯より、激しく華麗に踊るサンバ娘に眼を奪われた夏の一日でした。

見所いっぱい、遊び心いっぱいの夏の川越をお奨めいたします。
2009 08 21(金)  前橋市 薄
  最高気温29℃


第446回 東松山よさこい陣屋まつり・サンバカーニバル 2009年 

2009-08-18 19:34:35 | 旅行

2009 08 08(土)

東松山市郊外の丘陵地帯にある“埼玉県平和資料館”見学の後、夏祭り見物に東松山市市街地へ・・・。

まるひろ百貨店前のまるひろ通り商店街は全面的に車通行止めになり、着いた時には既によさこい踊りの路上パフォーマンスが始まっていました。(午後2時開始)
 
この祭りは“東松山よさこい陣屋まつり”と名付けられています。

青少年が鮮やかに踊る、「吉見ふれあい連」のよさこいダンス
 
一糸乱れぬよさこい踊りの動画をご覧下さい。

東松山よさこい陣屋まつり 2. 2009年 P1610100


続いて、少人数ながら迫力一番のよさこい踊りは絆連!
 
ベトナム風の衣装で若さいっぱい激しく踊って観客を魅了していました。

東松山よさこい陣屋まつり 3. 2009年 P1610079


揃いに衣装で華麗に舞ったのは隣町の坂戸市役所連
 
2123(日)に開催する「第9回 坂戸よさこい」の宣伝を兼ねて踊ります。

東松山よさこい陣屋まつり 1.2009年 P1610124


地元東松山市からは「輝楽楽」連が出場!!
 
若い女性の華やかな舞姿で輝楽楽よさこいをご披露しました。

東松山市よさこい陣屋まつり 4. 2009年 P1610157unit


まるひろ通り商店街ではいろいろな連のパフォーマンスが・・・“よさこい まい”も“とき川連”も民主党頑張ってます!
  
面白い立体広告発見! 生ビールですが、広告主は“いろは整体院”・・・ビールは体に悪いって??  

まるひろ百貨店横の広場で出場者全員が元気良くよさこいを踊ります。

よさこい陣屋まつり動画をご覧下さい。

東松山よさこい陣屋まつり 5. 2009年 P1610167


東松山よさこい陣屋まつり”が終了すると、次は情熱的なサンバ踊りが開始されます。(午後6時30分)
 
まるひろ通りと東松山駅の中間にあるぼたん通り商店街で賑やかなサンバ!!
“第20回 東松山サンバカーニバル”は
ピチピチ・ムレムレの見事なボディーに圧倒されて・・・。
 
ぼたん通り商店街でグラマラスなサンバをご披露したのは、プロサンバチーム浅草サンバチーム仲見世バルバロス”!!

ラテンリズムにのってダイナミックボディーの情熱ほとばしるサンバダンスをお楽しみ下さい。

東松山サンバカーニバル 2009年 P1610180unit



東松山夏まつりはラテンの熱烈なサンバダンスと和風よさこい踊りの両方が楽しめる価値ある夏祭り。

東武線の東松山駅付近で繰り広げられる“東松山夏まつり”を読者の皆様もご覧になっては如何でしょうか・・・。

浅草サンバカーニバルは ⇒ ここクリック。


2009 08 18(火)  前橋市  最高気温30.3℃


第445回 戦争と暮らし 埼玉県平和資料館。

2009-08-11 18:29:19 | 旅行

2009 08 08(土)

毎年月になると広島・長崎の原爆や終戦記念日が巡って来て、戦争の惨禍と平和の尊さを思い出します。

今回は先の大東亜戦争の反省を基として建てられた“埼玉県平和資料館”を8年ぶりに訪ねてみました。
場所は埼玉県東松山市岩殿241-113(TEL0493 35 4111) 東松山市西南の丘陵地帯。
 

埼玉県平和資料館の外観・内部は戦争中の資料を展示する館には似つかわしくないほど近代的な建物です。
 
先ずは料金100円を払って入館し,順路に従ってスロープを歩きタイムトンネルに入ると戦前の光景が眼前に広がります。

天井からは裸電球が下がった、戦争前の平和な民家の様子が丁寧に再現されています。
 
和室には当時の平均的な夕食の光景。 野菜や漬物に小魚も惣菜として食卓(ちゃぶ台)に・・・。

太平洋戦争が激しく戦況が悪化し始める頃には各家のガラス窓は和紙で爆風対策の貼りがなされます。 外に光が漏れて敵機に見付らないように屋内の電球も黒布で被われます。(灯火管制 )

家の外には急ごしらえの手掘り防空壕。 土嚢が積まれ戦中の切迫した情景が見事に再現されていました。

戦況の悪化と共に生活物資のほとんどはに徴用され、一般の家庭は慢性的に物資欠乏症に・・・。
戦中の食事は大根・人参入りのスイトンサツマイモ。 軍関係が最優先で普通の家庭は僅かな物資をも無駄に出来ない耐乏生活を強いられました。

 
戦争中の標語は「欲シガリマセン 勝ツマデハ」「質素倹約 火の用心」 「撃滅 鬼畜米英」「進め 一億火の玉だ」 「贅沢は敵だ!」など・・・。
「贅沢は敵だ!」をもじって「贅沢は素敵だ!」とか「欲シガリマセン 
豚勝マデハ」と云う揶揄した愉快なのもありましたね。

平和資料館の内部には当時の国民学校も建ててあります。
校舎入口の脇にはお馴染みの二宮金次郎翁の石像。

 
懐かしい木製の粗末な机と椅子が整然と並んだ教室。 
上から降りてきたスクリーンに戦前の授業が映し出されますが、映像が消えると突如「東部軍管区情報・・・房総半島洋上から敵爆撃機○○機来襲!」と警戒警報が発令されます。


さあ、爆撃で死にたくなかったら校庭に掘られた防空壕に急いで退避しなければなりません。
 
土壁で固められ土嚢で補強された防空壕の中に飛び込んで、頭を抱えて身を伏せましょう。

埼玉県平和資料館の国民学校から防空壕へ避難し、敵機の爆撃を避ける模様の動画です。 実際は爆撃音と共に防空壕が振動する仕掛けが迫力満点!!の施設。

埼玉県平和資料館の防空壕 P1610001


土俵を積み上げて道端に簡単な防空壕を作っている写真。(熊谷市 石川守彦氏所蔵)
コンクリート造りではない為に直撃弾は勿論のこと、至近弾が落ちると振動で防空壕が崩れ落ち、中で圧死する事も多かった。

 
平和資料館には戦争中の資料が沢山展示されています。
館内の天井に浮かぶ丸い球体物は日本から偏西風に乗せ太平洋を越えてアメリカ本土に落下・炸裂を意図した風船爆弾。(平和資料館のは七分の一模型) 和紙をコンニャク糊で貼って大きな風船を作り、下に爆弾を吊り下げただけの、風まかせ運まかせの稚拙な兵器でした。

対するアメリカ軍は日本軍の高射砲が届かない高度1万mから焼夷弾爆撃。
日本各地の都市を襲い猛火を浴びせた焼夷弾の模型も展示。六角の焼夷筒が束になって格納されている様子が良く判ります。
 
国内の家屋では敵機に見付からない様にと粗末な素材で電球にカバーをし息を殺して恐怖のなか暮らしていました。(灯火管制)

平和資料館の映写室では戦中のニュース映画が上映されています。
 
天皇が統帥するにだまされて、当時は老いも若きも国民総動員で必至に戦わされました。
焼夷弾で延焼する家屋にバケツリレーで消火! 演習はともかく、高熱の炎で近寄ることも出来ず、逃げるのが精一杯で防空演習・防火訓練は実際には全く役に立ちませんでした。

焼夷弾に束になって格納された六角形の焼夷筒。この中にゼリー状油脂が充填されて落下し炸裂発火します。
 
一般国民が防ぐ手立ては粗末な木綿製の防空頭巾!!(で濡らしていないと直ぐに火が燃え移るのです。)
竹槍で重爆撃機B29を撃墜するのと同じくらいに無力な防具でした。



戦局が悪化すると18歳以上の男子には召集令状(赤紙)が発せられ、国民は根こそぎの動員となりました。(国家総動員法

国民皆兵が施行されると・・・“一億玉砕”が声高に叫ばれ、人々の暮らしは更に悲惨な状況に突き進んで行きました。

類型的に整然と陳列された戦争中の品々には興味深いものが沢山展示さています。

 
入営者(兵隊になる者)を送り出した家には在郷軍人会から入営証明標が門戸に貼られ名誉な事とされました

日本軍の情報操作とその宣伝機関になった当時のマスコミ報道により、国民生活は戦時色一色に染まってゆきました。
 
子供の本や人形・団扇までもが軍事色で埋め尽くされ、子供を含めて誰もが戦争で死ぬのが当然と云う狂気の世相に・・・。
 
各地の「愛国婦人会」「大日本国防婦人会」「大日本連合婦人会」など婦人会・母の会・主婦の会等の婦人組織は全て国策の「大日本婦人会」に統合され銃後の守りとして戦争への協力を推し進めてゆきます。(昭和17年発足 全既婚婦人は強制加入。)

国内各地では出征兵士の無事を祈って縫い込む“千人針”が流行。
千人針で縫った布を身に着けていると敵弾が当っても死なないという迷信もまことしやかに流されて・・・。

上の千人針絵葉書は洋装・ハイヒール・パーマ姿もいますから、戦局が逼迫する前の光景と思われます。

千人針で縫った肌着。ご丁寧に心臓部には五銭玉を縫いこんだ日の丸などを。 五銭は四銭(死線)を越えると云う意味。
 
戦地で戦う兵隊に送った“慰問袋”。 物資不足の内地から無理して送った事でしょう。

「勝ってくるぞと勇ましく、誓って国を出たからは、手柄立てずに帰らりょか・・・」と勇ましい軍歌を歌いながら駅で見送った出征兵士の肩に掛けられた赤襷

「祈・武運長久」と海軍旗・虎を千人針で縫いこんだ腹巻も軍国日本の悲しい遺品として涙を誘います。
一般兵士の出征は死にに逝くと同義語の悲しい時代でした。

明治維新から太平洋戦争の敗戦まで、天皇制軍部の独走を抑えられずに「陸海軍あって、国家なし。」と言われる軍事独裁国家になり、相次ぐ戦争により国民は凄惨な生地獄を経験させられる事となりました。
二度とこの様な愚かな轍を踏まないように、来し過去を振り返り戦争の惨禍のない平和な日本を築いてゆきたいものです。

戦争の悲惨さと平和の尊さを実感させてくれる埼玉県平和資料館、ぜひ訪ね狂気の時代の愚行を省みて未来に役立てては如何でしょうか・・・。

2009 08 11(火)     前橋市時々     最高気温32.6℃
 


第444回 奇祭 龍神まつり 「龍神の舞」 長野県御代田町

2009-08-07 20:20:20 | 旅行

2009 07 25(土)

長野県御代田町の奇祭龍神まつり”(第37回)が7月25日の午後1時から開始となりました。
仁王門から観音堂への杉並木参道に主役の龍神と祭り関係者が集合。

 
先ずは真楽寺の老住職が龍神開眼を厳かに執り行います。
祭り関係者一同で地元の銘酒・深山桜で乾杯。(有り難い事に、筆者にも盃が頂けました。)


とぐろを巻いた龍の眼が開眼式直後から光り出し、いよいよ「龍神の舞」が開始されます。


手前が雄龍の「三郎」で胴回り3.3m、全長45m  後方の仁王門そばに小さく見えるのが雌龍の「舞姫」で全長21m。

日本一の大きさがトグロを解き放って暴れだし、「龍神の舞」の始まりです。

本物のの如く龍口からは火炎が吹き出し観客を驚かせていました。

龍の先頭に立つ玉はい色が雄龍「三郎」の玉。 色の玉は雌龍「舞姫」用。

仁王門から石階段までの参道を巨大龍が勇壮に練り歩きます。
 
参道でのお披露目が一段落すると、二龍は参道から杉林の中へ・・・。

杉林の奥に広い池(大沼池)が青々とした透き通る様な水を湛え、神秘的な光景をみせていました。

この大沼池で龍の(みそぎ)が行われ、晴れて龍神として生まれ変わるのです。

御代田龍神まつり動画をご覧下さい。

御代田 龍神まつり 1. 2009年 P1590978


巨大な雄龍「三郎
は玉を追って杉林から大沼池の奥深くへ・・・。

 

続いて雌龍の「舞姫」も池に入って(みそぎ)を行います。

浅間山からの伏流水が湧き出す清水ですから、夏でも非常に冷たい大沼の池。

龍神色の玉を追って大沼池を巡ります。


御代田の“龍神まつり”の大沼池の動画をご覧下さい。

御代田 龍神まつり 2. 2009年 P1590990



(拾い画像に感謝! 良く撮れていますが、杉の木にでも登って撮影したのでしょうか?)

大沼池での龍の禊が終わると、次は参道から石段上の厄除観音堂龍神は駆け上がります。(昇龍の儀)
 
急傾斜な石段を祭り勢子達が全長45mの雄龍「三郎」を懸命に力合わせて登ります。

雄龍に続いて雌龍の「舞姫」も昇段へ・・・。
 


御代田龍神まつりの昇段を動画でご覧下さい。

御代田 龍神まつり 3. 2009年 P1590999


二体の龍は無事に石段を駆け上り、三重塔前広場に「龍神の舞」の舞台は移りました。



御代田龍神まつり”の「龍神の舞」暴れ龍をご覧下さい。

御代田 龍神まつり 4. 2009年 P1600014


御代田 龍神まつり 5. 2009年 P1600067


御代田 龍神まつり 6. 2009年 P1600053


龍神の舞
」の出演者一同は小休止の合間に得意のポーズで記念撮影です。


龍神の舞」が一段落すると引き続いて「剣の舞」が開催されました。
ご披露するのは「剣伎衆かむゐ」の面々。


見事な立ち回りを見せる「剣の舞」の動画をご覧下さい

御代田 龍神まつり 7. 2009年 P1600050


真楽寺三重塔
の広場での演技が終了すると、龍神が下参道に向かって石段を下り始めます。

火炎を噴出す巨大な龍体ですからゆっくりと・・・。

御代田 龍神まつり 8. 2009年 P1600108


21mの雌龍「舞姫」に続いて長さ45mで日本一の雄龍「三郎」の降龍。


真楽寺での「龍神の舞」を滞りなく済ませた後、二体の龍神は御代田町中心部にあるしなの鉄道御代田駅へ向かいました。

真言宗浅間山真楽寺仁王様に「また来いよ~」と手を振って見送られ、龍神を追って御代田駅へ・・・。
 
真楽寺門前では早くも秋桜(コスモス)が咲く初めていました。
今年の秋は早いのかも・・・。


山国信州の天候は移ろい易いもの・・・御代田駅前でのイベント開始時刻には小雨が降り出しました。

舞台の上で龍神まつり実行委員会の挨拶の後、龍神太鼓保存会「鼓響」による勇壮な太鼓演奏。

 
続いて地元子供達による小龍神「龍神丸」「雪窓丸」の龍舞が行われました。


降りしきる小雨の中、全員が一生懸命に龍神を担いで「小龍神の舞」を元気よく踊っていました。

御代田駅前に張られたテントで雨が止むまで小休憩。
龍神まつりの食事は名物・おにかけうどん。(400円) 唐辛子が効いたちょっぴり辛めな味の野菜うどん。


御代田駅前では小雨が本降りとなり、夕刻からの“龍神まつり”のイベントは中止模様なので「おにかけうどん」を最後に帰宅することに・・・。

信州高原の町、御代田町で開催された「御代田龍神まつり」は想像以上の規模のお奨めできる奇祭です。 
夏は爽やかな空気と歯に凍みる清水のある御代田町へ是非お出かけ下さい。


2009 08 07(金)  前橋市夕立。  最高気温30℃

おまけコーナー。

大原麗子様のご冥福を祈ります。

'83-90 大原麗子CM集 vol.2


サントリーレッド 電話編


1983 サントリーRED


サントリーレッド ラグビー篇(?) (1983)


第443回 奇祭 龍神まつり 真楽寺 長野県御代田町 

2009-08-05 19:19:19 | 旅行

2009 07 25(土)

信州の古刹・真楽寺で行われる龍神まつりを見物に長野県の御代田町塩野に・・・。

御代田町は避暑地で有名な軽井沢に隣接する場所なので夏場も爽やかな気候。
25日の当日も晴天にもかかわらず、気温は25℃。半袖でも長袖でもOKな最適な天候です。

御代田町の北に位置する真楽寺には御代田駅からシャトルバスが頻繁に往復して「龍神まつり」の見物客を送迎していました。

環境に悪いと云われる車を真楽寺より500m程下に路上駐車してから爽やかな田園地帯を徒歩で寺へ向かいました。

小さな石造りの太鼓橋を渡ると真楽寺の山門になる「仁王門」が最初に出迎えてくれました。
萱葺き寄棟造りの古色蒼然とした仁王門(17世紀)。八脚門の左右には当然ながら仁王様(金剛力士像 室町時代 1395年造)が不心得者を見張っています。
 
仁王門の天井には「浅間山」と書かれた大きな扁額。
前方の境内ではナニヤラ青い巨大な怪物が・・・。

近寄って見るととぐろを巻いた巨大な龍。 人物と比べるとその大きさが良く判ります。

これが御代田の“龍神まつり”の主役になる龍神様なのでしょう・・・。
周囲には祭り勢子達が祭りの開始を待っていました。

「第37回 龍神まつり」の開始は午後時からなので、それまでは真楽寺境内を散策です。

仁王門から続く立派な杉並木の右手には大きな池がありました。
説明板には甲賀三郎伝説に出てくる龍神の棲む“大沼の池”とか・・・。

神秘的ともいえる透明感のある青い池は絶えず浅間山からの伏流水が湧き出し、聖徳太子が立ち寄った折に生長の見事さを賞賛したという「七尋芹」の伝説もあるそうです。(はたして太子が信州の山奥まで来たのでしょうか?)
池の一角には青銅製の龍神様がひっそりと首をもたげていました。
  
仁王門からの杉並木の突き当たりは急な石階段。

上に建っているのは観音堂(厄除慈母観音堂)。江戸時代初期の寛文5年(1665年)に再建立されました。


観音堂は側面から見ると意外に大きな建物で、入母屋造りの複雑な屋根が人目をひきます。

厄除慈母観音堂の内部。天井からは厄除観音と記した大きな赤提灯。
正面の黒格子の中に慈母観世音が祭られています。
初期の観音堂は源頼朝が42歳の厄除け祈願の為に建てたと伝えられています。

 
幾つか絵馬が掲げられていましたが、木材を荷馬で運搬している珍しい絵馬、林業が盛んだった頃が偲ばれます。
塩野とはこの御代田地区のことです。営林署があったのでしょうか?


観音堂の左手には鐘楼や石碑などが建っています。
手前の大きな牛銅像は牛供養?・・・同じ信州ですから「牛に曳かれて善光寺」で同じ宗派かも?
 
境内の一角には松尾芭蕉の句碑。「むすぶより はや歯にしみる 清水かな」
確かに歯に凍みるほど冷たい清水が湧き出していました。


観音堂の右手には端正な姿の三重塔(高さ18m 重要文化財 江戸時代中期の寛永4年創建)

手前の右側に立つ巨樹は神代杉で樹齢1300年の古木です。
樹高15m 目通り9.2m 
幹下の中に菩薩坐像が安置されていました。
  
杉の中央部が裂けているのは1816年の火災の痕とか・・・。

観音堂の左後に真楽寺の本堂。扉が閉められて内陣は拝見できません。

真楽寺の宗派は真言宗で山号は浅間山(あさまさん)。
創建は奈良時代の用明天皇元年(586)、頻繁に噴火を繰り返していた浅間山を鎮める為に鎮火祈願所として建てられました。

奉納絵馬は大願成就の青龍神の絵馬。
 
本堂の前には「弁慶の腰掛松」がありましたが、筆者が乗っても折れてしまいそうな細い松でしたから何代目かなのでしょうね。

この他にも源頼朝が植えたと伝えられる「逆さ梅」(梅花が全て下を向いて咲く)などの名物もあります。

ここ御代田町の真楽寺は別称「やまゆりの寺」とも呼ばれています。
境内の各所にやまゆりが咲き乱れて馥郁とした香りを漂わせていました。

 
信州長野県の御代田町に建つ真楽寺は山奥の寺院とは思えない立派な佇まいを見せる名刹。“龍神まつり”の時期ばかりでなく時々訪ねたいお寺です。

次回は御代田龍神まつり”の本番「龍神の舞」です。

2009 08 05(水)  前橋市  最高気温33.4℃

おまけコーナー。

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