11月10日(土) “ホテルリステル猪苗代”で超早めの夕食を摂ってからバスに揺られて約一時間、今回のバスツアーのメイン観光”須賀川松明あかし”見物へ・・・。
高速道路から須賀川市内へ入ったら、バスの運転手が「今日は何でこんなに道路が空いているんだ。普段なら祭りで大渋滞なのに・・。」って。
今日は朝から雨模様。ホテルから須賀川市までの間も土砂降り状態!
だから、雨で松明あかしを見物に来る車が敬遠したのでしょう・・。
ともかく、空いている須賀川市内をスイスイ通過し、バス専用駐車場の「須賀川牡丹園」へ。
バス駐車場も有難いことにガラガラ状態! 今まで降っていた雨まで何故か止んでしまいました。
須賀川牡丹園は世界でも最大級の有名な牡丹園ですね。
230年余前の明和3年(1766年)に当地の薬種商・伊藤祐倫が牡丹の根を薬にしようと攝津の国から牡丹を取り寄せ栽培したのが須賀川牡丹園の始まりと云います。
10ha(東京ドーム3個分)の敷地に290種・7000株の牡丹が植えられています。
江戸時代から立っているみたいな「牡丹園石碑」と近年に牡丹園のシンボルとして造られた「牡丹姫像」。
牡丹姫像は楊貴妃のセミヌードみたいな雰囲気でした。 まっ、牡丹は中国から伝わったものですからね・・・。
バスを下車して“須賀川松明あかし”会場までは無料シャトルバスで移動です。
5分ほどでシャトルバスは松明あかし会場近くに到着。
3分程歩いて会場のある小高い五老山の翠ヶ丘公園(みどりヶ丘公園 26ha・日本公園百選の一つ。)へ・・・。
“須賀川松明あかし”会場には既に十数本の大松明が立てられ祭りの開始を待ちわびていました。
稲ワラ・ムシロと木材(本当は萱と竹と畳表、下のコメントをご覧下さい。)で作られた大きな松明には、それぞれ企業や学校の名前が書かれています。
周囲には大人の関係者や松明あかしに参加する学生達が沢山取り巻いて立錐の余地もありません。
須賀川城址にある二階堂神社で点火された御神火が五老山への坂を上ってきました。(午後6時頃)
御神火の最後尾には須賀川の高校応援団が団旗を高らかに奉げ行進していました。
暗闇の翠ヶ丘公園会場には巨大松明(たいまつ)が所狭しと林立!!
数校の応援団も到着し一斉に校歌や応援歌を大声で斉唱開始。
御神火が篝火に移され、いよいよ“須賀川松明あかし”の開始です。
会場で一番巨大な“大松明”に若者が命綱も付けずに素手でよじ登ります。
この大松明は高さ10m・直径3m、重量3トンの大きさ。
若者が最上部に着くと、下から綱を伝わった御神火がスルスルと松明の頂上に・・・。
御神火を受け取った若者が大松明の先端に点火し、無事役目を果たして下へ・・・。
続いて最初に点火された大松明より少し小振りの姫松明へ娘さんが登ります。
大松明の若者の時とは違って、女性ですから梯子を使って安全作業。
大松明と姫松明に火が入れられ、夜空に炎が煌めきました。
その後は翠ヶ丘公園に林立した松明に次々と点火されてゆきます。
燃え盛る松明の下では高校生応援団が日頃の練習成果を披露し、盛んに校歌などを歌っていました。
燃え盛る炎の中を勇気ある若者は10mもある松明の上に登ってゆきます。
各松明の炎が天をも焦がす勢いで燃え盛っていました。
翠ヶ丘公園いっぱいの大松明が一斉に燃え上がり、この世のものとは思えない壮観さを呈し始めます。
炎上しながら大松明が崩れ落ちてゆく様は戦国時代の須賀川城の落城を見るようです。
“須賀川松明あかし”は須賀川城攻防戦に散った二階堂家将兵の慰霊祭でもあります。
遠く離れていても炎の輻射熱が見物人の頬を熱く焦がしていました。
公園の松明会場の片隅では仕掛け松明です。
仕掛け炎は旗指物を背にした騎馬武者でしょうか?
須賀川城を形取った炎の仕掛け!
美しく燃える様は、伊達政宗に攻略され、紅蓮の炎に包まれる須賀川城の最期を目の当たりにしているようでした。
炎でオレンジに焼けた五老山の下では盛んに須賀川太鼓が打ち鳴らされ、“須賀川松明あかし”の火祭りを盛り上げていました。
勇壮な須賀川太鼓のリズムは“松明あかし”の燃え盛る会場にも響き渡ります。
一面が火の海と化した会場はさながら火炎地獄絵を見ているようです。
凄まじい業火のなかにチョッピリの哀愁を見ている人に感じさせる晩秋の風物詩!!
須賀川市の“須賀川松明あかし”は400年の伝統を誇り、日本三大火祭りの一つに数えられ、秋の東北を彩る大火祭りです。
須賀川松明あかしの詳しい由来などはここクリック。 動画はこことここ。
運良く見ている間は雨にも降られず、“須賀川松明あかし”を十二分に堪能し、再び天然温泉・ホテルリステル猪苗代へ・・・・。
2007 11 27(火)記。 前橋市 最高気温13℃。
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