ツトムさん家の写真日記。

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第253回 群馬県箕郷町 戦国絵巻 箕輪城攻防戦。 

2007-11-05 20:20:20 | 旅行

10月28日(日)   箕輪城の攻防戦を見物。

戦国時代の名城箕輪城で合戦絵巻が繰広げられるというので、群馬県箕郷町へ・・・。

みのわの里のきつねの嫁入り」で9月30日に一度訪ねた榛名山中腹にある閑静な町。
狐の嫁入りは箕輪城を守った稲荷曲輪の狐に因んで創作された嫁入り行列と野外劇。 今回はその箕輪城で武田軍との城攻防戦が演じられました。

箕輪城大手口から武将達の行列が城域の杉木立の中を進んで来ます。
 
先頭は箕郷町御嶽教講社の山伏の面々。 続いて華麗な武具を身に纏った武者行列です。

秋の野花が咲乱れる二の丸跡地を行進して行きます。
 
暑い日差しの中、城跡までの長い上り坂には皆さん少しバテ気味です。

埼玉県寄居町からの応援部隊の武者達も続々と本丸跡に到着。
 
ちびっ子忍者隊女子長刀隊なども入城しました。

程なく、本丸跡地でイベントが開始されます。
群馬名物だんべぇ踊りもオバサマたちの元気溢れるステップで盛り上っていました。
 
イマイチ品の良くないチ○ポコ楽器?も登場し、失笑ものでした・・・。

北野神社獅子舞保存会の舞う綱切り獅子舞は一見の価値があります。

この他にも玉取り獅子舞や箕輪城太鼓などがにぎやかに演じられました。

山伏行者姿(村野氏)の鳴らす法螺貝で武田軍と箕輪城兵の本丸跡へ入城開始。
  
武田軍風林火山の幟旗の金文字がキラキラと輝き威風堂々の行進。
武田軍のくの一(女忍者)で参加している素敵な人は確か寄居町北條まつりに・・・。
 
友情応援の寄居三鱗隊の一員として参加しているのですね。

延々と続いた来賓の挨拶や役員紹介のあと、やっと箕輪城攻防戦が行われる段となりました。
 
古式大筒(大砲)が一斉に轟音を轟かせて合戦の火蓋が切られました。

黒い武田軍の猛攻を必死でくい止める箕輪の将兵の防戦模様が展開されます。
(足軽・雑兵の陣笠や甲冑はフェルト生地を用いた手作りです。)
 
集団乱戦での決着が着かず、 武田と箕輪の武将の一騎打ちが行われました。

格闘の末、一騎打ちでは箕輪軍の武将が相手を切り伏せて完勝。

味方武将の敗死に怒り狂ったった武田軍は再度箕輪軍に猛攻を仕掛けます。

死力を尽くして防戦した箕輪軍が辛くも勝利し、箕輪城将兵全員で「エイ、エイ、オ~」の雄叫びを天高く揚げました。
 
城攻防戦に勝利し、箕輪城の姫君たちもにこやかに安堵の表情を浮かべていました。
 
武田軍の有力武将・真田の六文銭の兜を着けた若いイケメン、勝ち虫と云われるトンボ前立て板垣信方兜の豪傑武将は戦闘場面には加わらずにモデル撮影?

箕輪城まつりも無事に終了! 関係者一同は記念撮影です。

日差しの強い秋の一日、箕輪城攻防戦も無事に終わり御苦労様でした。

国指定史跡の名城・箕輪城は約1500年頃、長野業尚(なりひさ)により築城された平山城、1566年長野業盛(なりもり)の代に武田信玄により落城しました。
(長野業盛公辞世の句「春風に、梅も桜も散り果てて、名のみぞ残る、箕輪の山里」)
長野業尚・憲業・業政・業盛の四代で長野氏は滅亡し、以降武田・織田・北條・徳川の各家臣が箕輪城を拝領し、豊臣秀吉が死去した1598年に井伊直政の時に廃城となりました。 
現在残る土塁・石垣・空堀などは、井伊氏の時代のものと推定されています。

箕輪城まつり”は秋祭りとして気軽に楽しめますが、来賓挨拶関係役員の紹介が長すぎるのが玉にキズ!!
壇上の方々は日陰ですが観客はカンカン照りの中で紫外線浴びて汗だらけ。
観客のことも少しは考えた祭りに・・・。

2007 11 05(月)記。    前橋市    最高気温17℃。


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