ツトムさん家の写真日記。

写真いっぱいの楽しい日記です。(全面表示でご覧下さい)

第83回 サラ金の”ライフル”で~す。

2006-04-28 01:00:30 | 写真・旅行・日記・コラム

世間をお騒がせしています、消費者金融の”ライフル”です。

この度、近畿財務局より貸金業法違反として業務停止の行政処分を受け、只今全店で謹慎中で御座います。
お客様にはご不便・ご迷惑をおかけし誠に申し訳ご座いません。
この場をお借りして深くお詫び申上げます。

この件を契機と致しまして、更に厳しい組織として再出発いたす所存です。 皆様も高利貸業の取立ての無慈悲さをご理解の上、無計画的にご利用下さい。

新生”ライフル初めてのポスターを作りましたので発表させて頂きます。


ポスターの趣旨を良くご理解の上、返済に遅延無きようご利用下さい。
今迄のキャッチ・コピー「どうする? ライフル」は「殺すよ~!ライフル」に変更致しますのでご了承下さい。

        ライフル社長 福多 吉考   ライフル組・組員一同。

※ 長年親しまれたCM犬・チワワ「くぅ~ちゃん」は業務停止の責任をとり降板とさせて頂きました。  
 (最近のチワワの値段は三分の一に暴落, チワワサラ金は「事前にしっかり計画しましょう」・・・ね。)


2006 04 28(金)

夜食にラーメン食べようって調べたら、東京・中野にインスタント・ラーメン専門のラーメン店☜があるって載ってたよ。
袋のインスタント・ラーメンは美味しいから、作るのが面倒な人には便利かも!?

 


第82回 群馬県月夜野町 上津の姥桜

2006-04-26 16:42:05 | 写真・旅行・日記・コラム

4月22日(土) 沼田市の御殿桜を見物した後、上・中発地の桜も見に行ったが標高が高いので2分咲き程度だった。
急遽、行き先を月夜野町の天然記念物”上津の姥桜”(かみづのうばざくら)に変更。

田圃道を走っていると、左側に突然桜の大木が満開で現れた。
 
これが県北で名高い”上津の姥桜”だ!
見る者を圧倒する風格の桜の大木!!

あいにく日差しが西に傾いて逆光気味で、写真写りはイマイチ。
でも、後方の2階建ての家と比べると大きさが判るね。

この”上津の姥桜”は室町時代中期に、この地を治めた沼田氏の姫がその美貌と才能をかわれて帝の寵愛を受けることになった。
帝の子を懐妊して故郷に帰された時、 都から持参して植えた桜の苗木がこの姥桜だそうだ。
樹齢540年になる桜の老大木で、ヒガンザクラ種だ。
 
老木だけあって幹の根本はボロボロで痛々しかった。
でも、老体にムチ打って、可愛い桜花を健気に咲かしていたね。
 
男の子が居るのだろうか、早くも大きな鯉のぼりが山からの風を受けて空を生き活きと泳いでた。
何処のご婦人だろうか? 一心不乱に田圃のセリ(芹)を摘んでいたっけ。
見ると田の畦道は一面春のセリだらけ、足の踏み場もないくらい。
 
やっぱ、出てきたよ夕飯に! 茹でたセリが・・・大量に!!
でも、セリの香りが口の中に漂って「春を食べてる!」って感じだ。
美味しさは何と言っても田ゼリだね、沢ゼリよりず~と香りが強いからね。

美しい桜を観て、美味しいまで頂けた良き日でした。

2006 04 27(木)   前橋市 朝雨のち晴れ・曇り。


第81回 群馬県沼田市 沼田公園・御殿桜

2006-04-25 18:33:08 | 旅行

4月22日(土) 朝から快晴、少し肌寒かったが今日も桜見物だ。

平野部の桜は散ってしまい、残るは東北・北海道か標高の高い山間部になってしまった。 知人から群馬ではまだ沼田方面の桜が見頃だと聞いたので「善は急げ」とばかりに、風邪気味の体にムチ打って出掛けた。
日頃は使わない高速を走って「赤城PA」で写真タイム。
快晴の陽光を浴びて谷川連峰・上州武尊岳(2158m)が光って綺麗だった。

群馬北部の沼田市は西に利根川・南に片品川・北に薄根川の三河川に挟まれた日本一の河岸段丘の上部に発展した街で、標高約300mで約55000人の人口だとか。 
尾瀬・丸沼、迦葉山、日光方面への交通の拠点でもある。

有名な”御殿桜”(沼田公園)のある市街地は、利根川近くの沼田駅から急坂を登ったところにあり、駅と繁華街は2km程離れている。
沼田駅から公園への河岸段丘の途中にある”榛名坂”のも満開で見事であった。
桜の下には薄紫の「花ダイコン」の群生。

榛名坂を上り終えた左が旧沼田城址(沼田公園)だ。
 
沼田公園には城の石垣の一部はあるが建物などは全く無い。
城跡でも城郭を期待するのは間違いだろう。

沼田市の名前は、この地に初めて城(1532年築)を造った主”沼田氏”から由来している。 その後、北条上杉武田氏の領地にめまぐるしく代わって、武田氏の配下・真田昌幸[六文銭の旗印で名高い智将・幸村の父。秀吉をして「表裏比興の者」(煮ても焼いても喰えない油断なら無い奴。)と言わしめた武将.]がこの地を治めた。 

更に江戸時代には昌幸の長男・真田信幸から約一世紀の間、真田氏(2万7千石後に3万5千石)が支配したが、1682年に江戸両国橋の建替え用材の伐り出し遅延と失政を理由に改易になり、城も領地も幕府に没収され、深い堀・重厚な五層の天守閣も全て取り壊された。

当時の天守閣五層からなっており、関東では江戸城以外では沼田城だけで、いかに幕府が沼田地方を重視したかが伺える。
 
沼田公園には朝から露店が並び威勢良く客を呼び込んで、
上州(群馬)名物の”焼きまんじゅう”(200円)が甘くて香ばしい香を漂わせていた。

焼きまんじゅうは白くてふっくらとしたプレーンな饅頭に甘味噌を塗って炭火で焼いたもの。 中には餡子(あんこ)は入っていないが食べてみる価値は充分にあるローカル味豊かな群馬名物
(沼田市は”焼きまんじゅうをウリに「町起こし」とか・・・。)


 
沼田公園の奥でひと際目立つのが、黒く塗った鐘楼だ。
鐘楼の高さ14mで1634年(寛永11)に鋳造された城鐘が最上階に。 
1887年(明治20)に建てられ、1983年(昭和58)に復元。

鐘楼の下を進むと広場から、満開の”御殿桜”が見えてきた。
 
この御殿桜樹高17mヒガンザクラの巨木だ。
この地に城が構えられた時に植えられたそうで、樹齢400年余り
周囲には染井吉野桜が250本程取り囲んで見事に咲いていた。
夜にはライトアップと1500個の提灯で夜桜祭りとの事。

次回は月夜野町”上津の姥桜”です。

2006 04 25(火)   前橋市 晴れ・にわか雨と雷のち晴れ 


第80回 新潟・燕市分水町 大河津桜祭り・おいらん道中 3

2006-04-21 01:52:30 | 旅行

分水おいらん道中の行列もいよいよ佳境入り。

前回の「信濃太夫おいらん道中」に続いて、第二番目の桜太夫おいらん道中姿が見えてきた。
 
おいらん太夫は皆んな「ほうかん」の肩に左手を乗せていた、高下駄を履いているので、バランスを取っているのかもしれない。

続いて最後に、分水町の名を冠した「分水太夫」のご登場。
 
大河津分水路の堰堤道を約1000mに渡っての「おいらん道中絵巻」。
太夫の歩みに合わせて超ゆったりとしたお練りだね。

所々で「おいらん」パフォーマンスが行進に花を添えていた。
おいらん太夫」が腰を少し落として裾さばきよろしく、高下駄を外八文字にまわして超スローに歩を進める独特な仕草が目をひいた。
 
相当な筋力を使いながら、涼やかな顔で演技するおいらん役は本当にご苦労様です。
 
絢爛豪華な太夫の分厚い衣装に一つ約700gの黒漆塗り三枚歯の高下駄
カツラ・簪(かんざし)と衣装・高下駄などで約30Kgの重量にもなるんだ。
そのうえ1Kmスロー行進に途中で度々のパフォーマンス!!
太夫役に公募で選ばれる女性は美貌超体力が必須条件だね。

おいらん道中は大河津分水堤防の桜並木路から分水町に入って勝敬寺で一休み。

寺の地蔵堂ではお化粧直しに余念が無かった。
この後、分水町の通りを「おいらん道中」して終了となりました。

分水町・本町通りでは分水太鼓の熱演。
 
大太鼓に乗った酒呑童子が威勢の良い演技を披露した。

近くで撮影専門用の「染井吉野太夫」と撮った写真を載せるね。
筆者も「ほうかん」の衣装を借りて太夫とのツーショットだ。
 
染井吉野太夫は15cmの高下駄を履いているから、私が小さく見えるね。
間近だから、白粉化粧の匂いで太夫を身請けしたような気がして、何故かドキドキ・ルンルン気分になったよ。
本番の日までは太夫役は体育館で毎日の猛特訓だ。 

15cmの高下駄での足まわしだから大変だね。 
つまづいてコケた太夫なんてサマにならないからね・・・。

本当に四太夫はじめ「おいらん道中」の皆様ご苦労さまでした。
桜の満開には早かったけど、十二分に楽しませて頂きました。
分水おいらん道中は絶対のお勧めです、ぜひ見に行って下さい。

2006 04 20(木)     前橋市 のち

  (おいらん道中1~3 ツトム・アーカイブ05より) 


第79回 新潟・燕市分水町 大河津桜祭り・おいらん道中 2

2006-04-19 22:48:59 | 旅行

毎年四月第三日曜日に大河津分水路の堤防で桜祭り・おいらん道中が開催される。

今年の桜花の開花は遅れて、未だ1~2分咲きでとても花見と云える状態ではなかった。

それでも、全国から観光客が集まってその数15万人とか。
桜花の咲いていない堰堤の道は露店と人々とその整理の警官で大混雑。 聞こえるのは人のざわめきと迷子の放送・・・。

昼近くなってやっと「おいらん道中」の始まりだ。
 
最初に「手古舞」と云われる道中先導役を勤める女性が、上部に金属の輪がついた金棒をシャンシャンと音をたてて突きながら登場。
次に、なぜか子供の「おいらん(花魁)ほうかん幇間)」が現れた。
 
その後からは、「提灯持ち」と桜色の着物の「みどり」(「かむろ」になる前の幼女)と呼ばれる女の子がヨチヨチ・・・と。
 
みどり」の後ろにはおいらんの道具(たばこ盆・座布団など)を抱えた赤い着物で「かむ」(将来の花魁候補)の子供。  いよいよ本番お待ちかねの「おいらん」(信濃太夫)と横には付き添いの「ほうか」(「おいらん」の世話役)だね。
 
直ぐ後に重い大きな傘を斜めに担いだ「傘持ち」を従えて・・・。
公募者約100人の中から選ばれただけあって、素人にしては落ち着いた道中お練り姿だった。「おいらん」役になるには猛特訓を受けるらしいね。
 
おいらん」の次には「新造」(「かむろ」が成長して「おいらん」見習い)のお姉さんと可愛い子供の「舞妓」。

おいらん」のノンビリとした歩調に合わせて、列を乱すことなく歩む子供の愛らしい演技には感心だった。

この「おいらん道中」は「古手舞」に始り、「舞妓」で終わります。
以上の「おいらん道中」は信濃太夫の道中で、次に「桜太夫道中」「分水太夫道中」と三太夫の道中絵巻が総勢約70人で煌びやかに繰り広げられます。
江戸時代の「花魁(おいらん)」を彷彿とさせる豪華な艶姿には大感激でした。

次回は「おいらん道中」第三弾(桜・分水太夫の花魁歩き、他)です。 お楽しみに・・・。

2006 04 19(水)   前橋市 薄曇り(黄砂かも)・暖かい


第78回 新潟・燕市分水町 大河津桜祭り・おいらん道中 1

2006-04-18 19:06:28 | 旅行

関東の桜も山間地を除くと見頃が終わりになったよ。

少し遠いけど、桜並木での大河津・分水おいらん道中が開催されるって聞いたんで行ってみたんだ。 

場所はブランド米コシヒカリの産地・新潟県だ。
以前は西蒲原郡分水町だったけど、今じゃ食器やゴルフクラブの生産地で名高い燕市の一部になったらしい。

分水町って聞きなれない名前だから調べてみたよ。
この”分水”は新潟を流れる信濃川の水を人工の水路を造って本来の河川と放水路とに分ける事だって。

信濃川の洪水・氾濫から越後平野の被害を無くそうとして、日本海への最短距離のこの地では江戸時代から分水(放水路)の計画があったそうだ。

1869年(明治2)に本格的な分水路工事が大河津(おおこうづ)地区で人力による手掘りで着工開始、 巨大工事の困難さのために、いく度かの挫折・中止。

大正に入って掘削土木機械が導入されて本格的な工事になる。
1922年(大正11)大河津から寺泊までの約10Kmの信濃川放水路の完成、通水量5500トン(毎秒) 「東洋のパナマ運河」と呼ばれた大治水工事、分水路の堰の上下では3mの水位差があるので、船が通行できる閘門式運河も備えていた。
 
1931年(昭和6年)可動堰が出来、現在の毎秒11000トンを放水できる分水堰となったそうだ。
写真の上の太い河川が大河津分水路(放水路)で右下に流れる細い川が昔からの信濃川本流だね。

この大河津の分水路堤防に明治44年桜樹が植られて、今では3000本の染井吉野の桜並木で「日本さくら百選」の一つに数えられている桜の名所だって。
 
新潟の田舎町でなんで”おいらん道中”なのかな~って?
そしたら、大正13年の桜祭り仮装大会の「おいらん姿」が昭和初期に「分水・おいらん道中」行列に発展し、現在まで続くようになったんだ。

次回は華やかな「おいらん道中」を掲載しますね。


2006 04 18(火)    前橋市 晴れ・温暖 


第77回 山梨県北杜市 山高神代桜(実相寺)

2006-04-14 21:48:00 | 旅行

春はサクラ花を追いかけて何処までも・・・。
桜の名所を訪ねて、7日はついに山梨県北杜市・武川町まで来てしまった。

この北杜市は山梨県の西北部で、すぐ隣は長野県だ。
甲府盆地を洪水から守ために武田信玄が作ったとされる「信玄堤」がある釜無川が市を貫いている。

その釜無川の近く武川町地区に超有名な山高神代桜があった。
神代桜は日蓮宗・大涅山 実相寺(寺のHPは充実)の境内にあり、今を盛りと豪華に咲き誇っていたね。
 
の背後にはまだ残雪を残す南アルプス(鳳凰三山)や甲斐駒ケ岳・八ヶ岳が控え、桜花の色艶を一層際出させていた。
 
実相寺本堂前には日蓮宗開祖・日蓮上人の銅像が陽光を浴びてにこやかに出迎えてくれたよ。
境内には桜の他にも水仙花チューリップなどか花開いて春を謳歌していた。
 
梵鐘越しに見た甲斐駒ケ岳(2967m)の削ぎ落としたような岩壁は冬の佇まいのままだった。
実相寺の”山高神代桜”には圧倒的な存在感が・・・!!
日本三大桜の一つだね。(福島県・三春の瀧桜 岐阜県・根尾谷の薄墨桜 山梨県・北杜市の山高神代桜)
 
なんでも日本武尊が東征の折、この地に植えた桜木がこの巨木になったと言う話だ。 鎌倉時代に枯れそうになったのを日蓮が祈ったら見事に回復したので、別名”妙法”とも云うらしい。
樹齢は約1800~2000年とか・・・。
根周り13.5mで桜樹としては日本一だ。
 
約2000年近く生きてきた古木だけあって、樹幹の風化老成の跡が痛々しかったが、その歳月を経た風格は観る人に強烈な感動を与えている。

大正11年に天然記念物に指定されたエドヒガンザクラだ。
巨木・古樹になるのは何故かエドヒガン桜が多い。

2年前までは幹の上に屋根をかけてから守っていたが、
景観が良くないので取り払ったと云う。

このままでは何時まで現状を保てるか不明だから、見ておいて良かったと思った一日でした。

2006 04 14(金)  前橋市 薄曇り・20℃温暖
 


第76回 秩父 清雲寺の枝垂れ桜

2006-04-11 01:22:29 | 旅行

華やかな桜の季節になると、お出かけ虫がムズムズと・・・ね。

早速、PCで調べたら近場?の秩父に有名な枝垂れ桜があるんだって。
寺の名前は清雲寺ってあまり聞いたこと無いけど、桜花オタクには人気がある寺なんだ。
秩父の山奥だから満開には少し早いかと思ったけど、「思い立ったが吉日」って云うからね。
4月7日(金)に妻をひとりに乗っけて朝の6時30分に出発だ!

カーナビ頼りでも何とか清雲寺に着いたよ。 東京に流れ下る荒川源流の奥秩父・荒川村(現在は秩父市)にある寺だ。 山奥でも国道140号線の近くだから判り易かったよ。
寺の周りは有料駐車場だらけ。駐車代一回500円だってから遠慮してね、7分ほど歩く畑の路肩に無料駐車。

清雲寺に向かうと鮮やかな桜の森がこんもりと見えてきたよ。
路端では江戸時代石碑も春の花に埋もれてまぶしそう。
 
朝の8時と云うのに、三脚立てたカメラジジ・ババが早くから陣取ってた。

今時のお年寄りは元気なもんだね。 
老人大国なんて何処吹く風だ。 そのバイタリティーには、自称48歳のツトムも完全にKO負けだよ。
清雲寺の境内にある苔生した六地蔵(七?)も艶やかな装いで春の息吹を感じたね。
 
境内いたるところ桜の巨木、正に桜寺って表現がピッタリだね。

清雲寺の桜木のメインは山門前にある樹齢約600年と云われる枝垂れ桜です。
 
天然記念物に指定されてるエドヒガン桜
清雲寺の開山僧・楳峯(ばいほう)禅師が1446年に植えたそうだ。
高さ15m 根周り4.3mの堂々たる古樹だ。北西斜面の山麓で600年の風雪に耐えた貫禄が樹の幹に具現されていたよ。
ツトムも辛い社会の風雪に耐えてるんだけど・・・、花咲くかな~。

まだ少し時期が早かったので分咲き程だったけど、さすが素晴らしい桜で胸に迫る思いがあった。(4月中旬頃が満開かも・・)

因みに、この寺は臨済宗・建長寺派 岩松山清雲寺と言う禅寺だけど、秩父34霊場の札所ではないみたいだ。 
色気の無い禅寺では桜花の色気が一層引き立つ・・・ってね。
 
山並み連なる秩父路もやっと春本番の花咲季節を迎えたよ。

桜樹下の露店で食べた朝の串焼き鳥(地鶏・1串100円)の美味かったこと!
ヤッパ、本心は花より団子でしたね。

また、遊びに行こう~~っと! 立派な枝垂れ桜見物の一日でした。

2006 04 10(月)   前橋市 曇りのち小雨 花寒。

(朝8時台で清雲寺は山の日陰ですので、画像の発色が”今市”です。モニターの輝度をUPすると綺麗になります。)


第75回 桜満開・大宮公園

2006-04-07 00:54:11 | 旅行

ナゼか「大宮公園の桜」記事が消えてしまったので、再度記憶を頼りに作り直して掲載します。

2006 04 01(土)  天候・晴れ

早朝から気持ち良く晴れ渡っていたので、を駆って桜見物に大宮へ・・・。
目指した桜の名所は“大宮公園”です。
大宮公園のP場はほぼ満杯状態。 少し離れた大宮第二公園の無料P場に駐車しました。

大宮第二公園は中心にを配置した広大な公園です。(洪水用の遊水地かも?)
周囲の土手には約千本の桜木が植えられ、今が満開の状態!
 
桜見物の人々は直接に大宮公園へ行くので、大宮第二公園は人影も疎らでノンビリとを愛でられました。
上右の写真の左隅にはさいたま新都心の高層ビルが遠望できます。

大宮第二公園を一周して桜花を楽しんだ後、産業道路(川口ー上尾)を越えて桜祭りメイン会場の“大宮公園”へ・・・。

大宮公園の正面には氷川神社の大きな石鳥居が建っています。
ここの氷川神社が全国の氷川神社の総本社とか。
桜見物の大勢の人達がゾロゾロと氷川神社の大鳥居をくぐって入園していました。
 
かなりの古木桜木の下では家族連れが陣取ってジュースで酒盛りなど・・・。
周囲には沢山の露店が軒を並べて威勢の良い声で客引き合戦です。

大宮公園には散策路があり、散歩がてらに桜見物が出来ます。
 
時刻も正午を過ぎたので、公園内の露店で甘酒玉こんにゃくを頂きました。
山形県特産の玉こんにゃくを食べながら、昔し訪ねた山形の立石寺境内で食べた玉こんにゃくを思い出したりして・・・。 
  
露店の一角では懐かしい飴細工です。日本人の器用さの見本ですね。
 
大宮公園の数千本ある桜木の下は何処もかしこも家族とグループの群れで埋め尽くされています。

下左の存在感のある枝垂桜は樹齢120年余のセンダイシダレザクラ。(仙台枝垂れ桜)
大宮公園名物桜木の一つの数えられています。
 
古木ながら美しい桜花を咲かせて、観る人の心を和ませていました。

大宮公園は明治18年創立の埼玉県最初の公園で、公園内の桜は「日本桜の名所100選」に選ばれております。
確かに、見事な桜木で空も覆い隠されてしまいそうな程の圧倒感のある桜公園!!
一生に一度は見ておきたい必見の桜の園と思います。 読者の皆様も是非お奨めいたします・・・。
2008 03 28(金)  前橋市    最高気温17℃


第74回 高崎・慈眼寺 枝垂れ桜

2006-04-04 12:47:45 | 写真・旅行・日記・コラム

寒い冬もやっと終わって、待ち遠しかった桜の咲く季節になった。

名高い染井吉野より、一週間早く咲く垂れ桜がある慈眼寺(じげんじ)に、参詣がてら見物しに行ったね。(参拝無料)
 
高崎市の東のはずれにある寺だ。高野山真言宗 花敷山・慈眼寺
と云う、名前の通り昔から眼病に霊験あらたかで、「滝の慈眼寺」と親しまれて信仰を集める古刹だ。

ここの枝垂れ桜は南北朝時代(1352年)に足利尊氏の命で住職・乗弘大徳によって植えられたと言われる由緒正しき桜なのだ~!?

境内に三十数本有る枝垂れ桜は、今が盛りと滝のように咲き誇っていた。
 
お寺には枝垂れ桜が実に良く似合うんだね。
落ち着いた境内の雰囲気に華やいだ桜色が映えて。
 
あいにく天気は花曇りだったけど、大きな枝垂れ桜は満開に咲き乱れていた。
 
小さなお堂の近くの桜がお酒でも呑んだかのようにホンノリと桜

平日(3月30日)の午前にも拘らず、沢山の善男善女の参詣(見物)人が綺麗な枝垂れ桜に感嘆の声を上げていたよ。

慈眼寺の門前には露店も出ていて客を集めて賑わっていた。

2006 04 04(日)   前橋市 薄曇り・微風。