ツトムさん家の写真日記。

写真いっぱいの楽しい日記です。(全面表示でご覧下さい)

第233回 埼玉県 美里町 猪俣の百八燈 祭り

2007-08-31 19:19:19 | 旅行

8月15日(水)   酷暑の美里町に夕闇が迫る頃、猪俣の百八燈火祭りが始まりました。

堂前山の麓に建っている高台院では祭囃子が演奏され、火祭り本番の用意OK!
 
高台院に前に子供達が勢ぞろいし、猪俣一党慰霊家内安全五穀豊穣などを祈願しました。
 
猪俣の百八燈”祭りは昔から子供達が一切取り仕切る慣わしと云う。
さっそく、子供達の持った提灯の蝋燭にも火が入りました。

高台院境内に整列して提灯行列の開始になりました。
 
高台院下の猪俣一族の墓所脇を通ってから、真っ暗な田圃の畦道を進み、大きな土塚が築かれている堂前山尾根へジグザグ坂を登ります。

しばし登って急須をのせた土塚のある尾根筋へ到着。
 
土塚の周囲で笛や太鼓を奏でて祭囃子は最高潮に・・・。

猪俣百八塚の頂上尾根に到着した子供達は提灯を三回高く掲げて気勢をあげ、下の祭り広場会場に火祭りの開始を合図しました。
 
持参した長い竿の松明に提灯のを移します。

百八燈土塚の中央にある大きな土塚に最初にを点火しました。
 
その後は、土塚の上にある急須へ次々に点火してゆきます。

漆黒の闇夜の中、オレンジ色のが堂前山の山頂へ向かって伸びて行く様は幻想的な光景と云えます。(ここからはフラッシュ無しの撮影です。)
 
尾根下では百八灯の電飾かくっきりと・・・。

巨大な土塚からの炎はまるで火山の大噴火のようで、見物者の全ての邪気を打ち払ってくれます。
 
小さな土塚に載せられた茶急須からも鮮やかな灯火が光り、猪俣一党の霊を慰めるかの様でした。

堂前山尾根筋へ伸びる百八塚は壮観そのもの!!

近くではの熱気で身も焼けるほど、天をも焦がす熱さでした。

堂前山尾根の土塚に一斉にが灯り、見物人達の大きな拍手が沸きあがると直ぐに美里町大花火大会になります。
 
高台院からの子供達の提灯行列が通過した畑の中から花火は打上げられます。
 
色とりどりと花火が揚がり、夜空に大輪の鮮やかな華を咲かせていました。
 
美里町の“猪俣の百八燈”奉納大花火大会は夜が更けるまで続き、正しく重要無形民俗文化財の名に恥じない盛大なの祭典となりました。

2007 08 31(金)記。    前橋市    最高気温27℃。


第232回 埼玉県 美里町 猪俣の百八燈と猪俣小平六墓。

2007-08-28 18:28:28 | 旅行

8月15日(水)   15日はお盆の中日。 酷暑の最中に夜祭りを探して埼玉の美里町へ・・・。

埼玉県中部の熊谷市美里町は連日38℃以上の猛烈な暑さ!
(翌日の16日には1933年7月25日の山形市での40.8℃を破り、熊谷市40.9℃という日本最高気温を記録しました。)

日中の暑さを避けて午後4時前に出発し、エアコンをガンガン効かせた美里町へ・・・。

美里町の郊外で猪俣の百八燈と云う有名な火祭りが開催されるのです。
百八燈と同時進行で美里町大花火大会も行われるので、会場付近を通る国道254には警備の人達がウロウロしています。

火祭り消火の消防車のあとに付いて火祭り現場の堂前山尾根へ入ることが出来ました。

無事に最高の場所に駐車して、まだ暑さの残る百八燈火祭り会場などを散歩。
会場では早くも打上げ花火の場所取りが始まっています。

堂前山尾根の中腹は下草が綺麗に刈取られ、み さ と文字のツツジ植込みが鮮やかに・・・。
 
堂前山尾根の上部には百八燈を灯す大きな土塚が並んでいます。
猪俣の百八燈と云うのですから、きっと108基築かれているのでしょう。

今春の寄居北條祭り”(ここクリック)の帰路立ち寄った時には土塚の上には何もありませんでした。 (下の画像は4月15日撮影。)

上の画像と下の画像はほぼ同じ位置で写しました。
8月15日のお盆の百八燈祭りではご覧のように急須ティーポットが載っています。

堂前山尾根沿いにカーブを描きながら一列に並んだ土塚は壮観です。
 
全ての土塚の上には1~2個の急須が置かれています。 
猪俣百八燈では昔から付近の家の用済みの急須を貰って祭りの灯火用に使っていたそうです。
これだけの数量を集めるのには苦労した事でしょうね。

ひときわ大きな土塚(高さ3m強。)の上には白木焚き木がピラミッド状に・・・点火を待っています。
 
土塚の上にどっしりと鎮座する姿はサマになっていました。
蓋は土で塗り塞がれ急須の注ぎ口には綿が詰められ、中には油が入っています。(現在は灯油、昔は菜種油など。)

火祭り猪俣の百八燈の本尊・猪俣小平六墓地が近くなので見学に・・・。
国道254沿いに看板が出ています。
 
丘陵地に建っている高台院の下に猪俣小平六の墓がひっそりとありました。

猪俣小平六の墓地にも上に焚き木を載せた大きな土塚が・・・。
百八燈と同じ様に墓地でも燈が灯されるのです。
 
薄暗い墓地入口の巨石門柱に比べると小さな墓石です。
同じ墓石が左右に二つ。 猪俣小平六の墓は多分右の墓石かと思われました。

堂前山尾根の猪俣百八燈で供養される猪俣小平六範綱(いのまたこへいろくのりつな)は小野篂(おののたかむら)の末裔といわれ、源義朝・頼朝などに仕えて軍功多く十六騎の雄将として名高い。

また、武蔵七党の一つ猪俣党の棟梁として北武蔵地方を領有し領民の信頼を集めたと言う。

猪俣の百八燈の行事は猪俣小平六とその一党の霊を慰める為に毎年8月15日に行われ、国の重要無形民俗文化財にも指定されています。

次回は猪俣の百八燈の火祭り本番と美里町花火

2007 08 28(火)記。    前橋市    最高気温31℃。


第231回 群馬県 南牧村“大日向火とぼし” 大日向橋の巻。

2007-08-24 18:18:18 | 旅行

8月14日(火)   前回に引き続き、大日向橋での火とぼしです。

南牧川を挟んで安養寺の対岸の山腹にある稲荷神社から藁束のを引きずって、大日向橋へ子供達は一目散に駆け下ります。
 
大日向橋の上では大人達が本格的に藁束の火を操り始めます。
火の束が近くのカメラクレーンに度々衝突して大きな火花を散らしていました。

夕暮れの大日向橋の下でもあちこちで盛んに火とぼしを行っています。
  
危険なの上でもバランスを取りながら豪快にに火とぼし・・・。

南牧川の河原で小さな子供まで参加してを上手に回していました。
 
陽が落ちて空の色も暗くなり、火とぼしのオレンジ色の火が鮮やかさを増しています。
 
大日向橋で三人の火回しですが、タイミングが命ですね。
リズムが乱れると火束がぶつかって川へ落下・・・。

大日向橋の向こう側でも火とぼしが開始されます。
 
見事な火のサークルが完成!!

振り回している地元の方々は大変でしょうが、見物人には眼に鮮やかな一幅の火の絵巻です。
 
時々火束の落下ハプニングもあって面白いお祭り(奇祭)です。

 

夜の更けるのと共に火扱いの呼吸も合って、大きな火輪が完成!

次々と火束が回され南牧川の川面にも火が浮かび、大日向橋火とぼしも終には芸術の域に達しました。

山間の清流・南牧川を火で照らして行われるお盆の行事“大日向火とぼし”は、400年余前の戦国時代に圧制を敷いていたこの地方の領主(小幡氏)を武田軍の上州攻略(1561年・永禄4年)の際、地元民達が松明を持って武田軍の道案内をして小幡軍を打ち破った事に由来するそうです。

その戦闘で犠牲になった人々の霊を弔うために行われる様になりましたが、今ではそれに加えて五穀豊穣や安産・子育て・無病息災を祈る為の行事でもあります。

群馬県南牧村に昔から伝わる“大日向火とぼし”は心に残る夏の夜の風物詩!!
読者の皆様も風光明媚な南牧村を是非訪れて、8月14・15の両日行われる関東一の夜火奇祭大日向火とぼし”を堪能されては如何でしょうか・・・。

2007 08 24(金)記。    前橋市    最高気温34℃。


第230回 群馬県南牧村 “大日向火とぼし” 稲荷神社の巻。

2007-08-21 21:21:21 | 旅行

8月14日   今日も夜祭り見物へ・・・。

夜祭りの場所は群馬県甘楽郡南牧村ですが、知らない人はコンニャクで名高い下仁田町の少し西奥で、信州と境界線を接する西上州風光明媚な地と思って下さい。(南牧村⇒なんもくむら)

この南牧村の大日向地区で昔から伝わる火祭り8月14~15日のお盆の両日に開催されました。

夏は涼しい夜の祭りに限るとばかり、地球温暖化防止もすっかり忘れて車を飛ばして南牧村へ・・・。
南牧村は以前に群馬の山 九十九谷 黒瀧山不動寺」(クリック)でお世話になった場所なので、道に迷うことなく南牧村役場に到着し、適当な所に駐車させて貰いました。

役場の隣り広場では南牧村祭りの準備中、警備の若いイケメン警官に火祭りの場所を聞いたら「役場から8分ほど県道を下ったところにある大日向橋(おおひなた)」と云う。

教えられた通りに歩いていると、道端には桔梗が可憐な花を咲かせて早くも秋の気配を・・・。
 
白い桔梗花は清楚な感じがしますね。

イケメン警官の云う通りに8~9分で火祭り会場の大日向橋に到着。
 
県道脇には「安養寺火とぼし」の大きな石碑柱が建っています。
川の対岸にある安養寺境内の百日紅の鮮やかな赤い色が眼に焼付きました。

南牧村の火祭りは正式には大日向火とぼしと云います。
会場の大日向橋下の清流・南牧川の河原には既に多数のカメラマン達が陣取っていました。
 
大日向橋でもフジTVのスタッフが火祭りに備えてTVカメラとカメラクレーンの調整中。 

火とぼし”まで時間があるので、百日紅を見に安養寺(天台宗)を訪ねてみました。
寺に県道の石柱の文字を言って「火とぼしは安養寺のお祭りですか?」と尋ねたら、、「皆さん間違うのですよ、“安養寺*火とぼし”で“安養寺火とぼし”とは書いてないでしょ・・」だって。
確かに“”は刻んでなかったのですが・・・、「大日向地区全体の火とぼし」だそうです、判じ物みたいな微妙な石柱文字でしたね。

安養寺での説明では、安養寺の対岸の山の上にある大日向稲荷神社で“火とぼし”の点火して大日向橋まで運んで来るのだと云う。
そろそろ稲荷神社で点火の儀式が始まるらしいと云うので、妻を河原に残して稲荷神社山へ一目散にGO!!

県道横に二つ並ぶ石像のある参道を急いで登ったが、道に迷って難渋しました。
なんとか稲荷神社へのルートに達して杉林を抜け、刈込んだ草地の急斜面をヒーヒー・ゼェーゼェー喘ぎながら15分かけて稲荷神社に到着。
 
山頂近くの薄暗い杉木立の中に大日向稲荷神社が陰にこもって厳かに祀ってありました。
でも、猛烈なヤブ蚊の攻撃に閉口しましたよ。 滅多に人が来ないので、きっと久し振りの餌と思われたのでしょうね。
ヤブ蚊と戦いながら稲荷神社“火とぼし”の点火式を待ちましたが、待てど暮らせど誰一人としてそれらしき人は現れません。もしかして、点火式は無いのかも・・・?
まだ陽も高いので南牧村大日向の集落を眼下に見ながら、仕方なしに大日向橋へ戻りました。

大日向橋で祭り役員に聞くと、これから子供達が稲荷神社に登って点火するとの事、早とちりで早すぎたのだったとガックリと反省!
折角下りて来たばかりなのに、また老骨に鞭打って子供達と一緒に再び稲荷神社へ・・・。
 
大きな藁を背負った地元の子供達(磐戸区)に負けずに降りてきた山道を頑張ります。
群馬県刊行の「グラフぐんま」誌のカメラマンも重い機材を担いで一緒に登りました。

急登の草地をジグザグに登って、稲荷神社への半分程のところで藁束を置き小休止。
 
筆者も担いで来た藁束からようやく開放されホッと一息!
係りのお兄さんがこの場所で点火するとの事。

「折角だから、稲荷神社まで登って神社前で点火しましょう。」って云ったら、「稲荷神社は林の中で下から火が見えないんです。」って。 
なるほど確かに言われる通り、下から見えなくては無駄なパフォーマンスになります。
子供たちも汗拭き拭きで登り疲れていますから、点火式の省略に御稲荷様もお許しになりますよ・・ね。

休む暇なく藁束に火打石ならぬライター点火。神主もいませんから点火儀式もなにもありません。
 
無駄な儀式は省略するのが一番!!  急斜面の草原でを点けた藁束を、長い藁縄で子供たちがビュンビュンと威勢良く振り回し始めました。  
遥か下の大日向集落からも子供が回す山の火とぼしが見えるのでしょうね。
 
それぞれの子供が担いで来た藁束に火を点けて豪快に振り回していました。

山中の稲荷神社での火とぼしに呼応するかの様に、下の大日向橋周辺でも“火とぼし”が始まりました。(稲荷神社のを大日向橋へ運んでから大日向火とぼしが始まるとばかり思っていましたので、チョッピリ裏切られた感じ・・・。)

でも、山から見る大日向橋火とぼしも素晴しい印象的な光景でした。
(薄暗い山の中腹からの望遠のショットですから、ボケにはご了承を・・・。)

小さな藁束は振り回して燃やし、大きなのは先端にを点し、消さないように山から下ります。
 
県道脇の稲荷神社参道入口へ全員無事生還です。
二度の山登りに筆者のメタボで鈍った身体はへとへと状態となりました。

県道からはナゼか藁束を引きずって大日向橋へ小走りに向かいます。
 
引きずるのには何か理由があると思いますが聞き忘れたので判りません。
この後、大日向橋での“火とぼし”が豪快に挙行されます。

次回は“大日向火とぼし”本番です。 

2007 08 21(火)記。    前橋市     最高気温36℃。 酷暑が続きます!!

南牧村で出会った素晴しい千手観音です。(ここクリック)


第229回 埼玉 寄居町 玉淀水天宮祭。

2007-08-18 18:18:18 | 旅行

2007年8月4日(土)   夏本番! 夏祭りの季節!

日中は猛暑でお祭り見物どころではないので、夜の祭りに出掛けました。
場所は埼玉県北部の寄居町。 今年の春に“寄居北條祭り”で訪ねた町(北條祭りはここクリック)

北條祭りが行われたのと同じ場所の名勝玉淀河原で夜祭りの玉淀・水天宮祭が開催されるのです。
早速、午後4時から車を飛ばして寄居町へ・・・。

寄居町玉淀河原を一望できる荒川に架かる正喜橋から見た水天宮祭会場です。


広い玉淀河原では大勢の見物客達が早々と場所取りに・・・。。
祭りの主役となる舟山車艘で清流・荒川岸に係留中。(左の崖上が鉢形城址)

先ずは、お祭りの祭神を祀る玉淀・水天宮を訪問。
寄居玉淀・水天宮水神様を祀り、水難除けと安産・子育てで武州一帯の信仰を集めています。
ちょうど祭神を乗せたお神輿を氏子達が担いで出発、水天宮祭の開始となりました。
 
金ピカ神輿は寄居町中心部を一回りしてから玉淀河原に到着。
ここで御神輿は神主のお祓いを授けてから小さな御座舟へ乗船です。
 
金ピカ神輿を伴って提灯で飾った舟山車を次々と周り、祭りの安全鉢形城攻防戦で散った霊に祈りを奉げていました。

寄居玉淀水天宮祭のメインはなんと言っても巨大で賑やかな舟山車(万灯船)です。

五隻の舟山車は祭り正装姿で出番を待っています。
舟山車は武町、本町、中町、栄町、茅町の五隻で、正式名は供奉船と云います。

対岸の鉢形城下の河原でも夜祭りの準備中。 水天宮文字の電飾でしょうかね?
 
舟山車では若衆が提灯のロウソクに点火して祭り開始に備えていました。
(確認したところ、灯り関係は全て蝋燭を使用で、時には火事になる場合もあるとか。)

夕刻になり陽も落ちて、いよいよ玉淀・水天宮祭の本番開始です。
 
五隻の舟山車にはそれぞれお囃子方が乗船し、盛んに祭囃子を奏でて祭りを盛り上げています。

玉淀河原一帯も暗闇に包まれ、舟山車の蝋燭提灯の灯りが川面にも映し出され印象的な光景です。
 
荒川を挟んだ対岸の鉢形城址から花火が盛んに打上げられ始めました。

提灯・雪洞(ぼんぼり)と花笠で満艦飾の舟山車は川に入った祭り勢子達によって上流へ曳かれて往きます。  
 
普通の祭り山車は子供たちに路上を曳かれるのですが、川面での山車とは実に珍しい祭りですね。貴重な文化財を見せて貰いました。

対岸の鉢形城下の河原には水天宮の文字に火が灯り、関東一の水祭りと云われる玉淀水天宮祭も最高潮に・・・。

上流から精霊流しの灯篭が下流へ漂い、舟山車の賑やかさと相まって幻想的な雰囲気を醸していました。

対岸の鉢形城址から切れ目なく花火が打上げられて夏祭りのムードは満点です
  
玉淀の岸辺に寝そべって見上げる花火は極楽気分

河原に陣取った子供たちが一斉に風船ロケットを上げます。
 
カラフルな風船が子供の夢を乗せて夜空高く飛んでゆきました・・・。

荒川に浮かんだ舟山車では親も子も脇目も振らず祭り囃子に熱中です。

ほどなく対岸の鉢形城の崖では仕掛け花火が・・・。
 
お茶屋さん、運動具店、建設会社等々が仕掛け花火を提供していました。
お馴染みナイヤガラ花火水天宮祭豪華花火大会は終了。

花火後もいつ醒めるとも無く玉淀河原には熱気が漂い、何時までも祭りの余韻に浸っていました。

普通の祭り山車とは異なり、水上で豪華に繰り広げられる舟山車祭りは一見の価値以上のものがあります。
名勝玉淀河原の爽やかな涼風を肌に感じながら、夢幻の舟山車豪華花火の競演の“寄居・玉淀水天宮祭りを読者にもぜひお奨め致します。(8月第一土曜日開催。)

2007 08 18(土)記。    前橋市    最高気温26℃


第228回 熊谷市 八坂神社 宇佐稲荷神社

2007-08-12 22:22:22 | 旅行

7月21日(土)   熊谷うちわ祭りの途中で少し熊谷市内を散歩。

熊谷市内を綺麗な川が流れ、両側が遊歩道になっていました。
川の名前は星川と云い近くの名庭園「星渓園」からの湧き水が流れています。
 
熊谷市ではこの地区を「水と緑と彫刻のプロムナード」としてアピール中。
星川沿いの所々に洒落た彫刻像が置かれ、清流の星川と共に市民の憩いの場所となっています。
上の石像は昭和20年8月14日(敗戦一日前)の熊谷空襲での犠牲者を慰霊する為に建てられた「戦災者慰霊之女神」(作者・北村西望)。

清流・星川の遊歩道を上流へ歩くと、直ぐに熊谷うちわ祭の祭神を祀る八坂神社です。 神社拝殿前はテント幕で覆われていました、祭神「素戔鳴尊」の乗った神輿がここから出発した名残りでしょう。

前のページで触れたように、この神社は愛宕神社と合祀神社で正確には「愛宕八坂神社」と言います。
 
境内には多数の石碑が点在しています。
熊谷鳶組合の纒を刻んだ石板碑や熊谷祇園祭の石碑なども・・・。

拝殿とその内部も祭神が祭り会場に出張中でモヌケノ殻状態。
 
愛宕八坂神社境内には熊谷鳶職人の「木遣塚」や「熊谷木遣石碑」などが建てられ、熊谷鳶の心意気が感じられます。
 
熊谷うちわ祭の祭神社「八坂神社」の参詣の後、神社の相向かいにある稲荷神社へ・・・。
 
宇佐稲荷神社と云い、位は正一位の高い格式です。
ここも戦後の区画整理で削られたのでしょうか、狭い敷地の御稲荷様です。

社殿内は勿論のこと、賽銭箱の上にもお狐様がいらっしゃいます。
 
お稲荷様には皆様の平和と繁栄を心からお願い致しました。

2007 08 12(日)記。    前橋市

8月12日   日航機御巣鷹山墜落の日(ここクリック)
         
乗客と乗務員520名のご冥福をお祈り申し上げます。 合掌・・・。

摩訶不思議な墜落事故ですね。
日本側が何も云わない内にボーイング社から隔壁修理ミスが原因と発表するとは・・・。
  
墜落直後からいろいろな噂が出ました。 自衛隊説、米軍説など・・・。
筆者も10冊ほどの日航機墜落本を読みましたが、深い闇が広がるばかり・・・。


第227回 熊谷市 熊谷うちわ祭 昼の部。

2007-08-09 19:19:19 | 旅行

7月21日(土)   昨夜に引き続き熊谷うちわ祭の見物に行きました。

は熊谷市役所に駐車させて貰い、徒歩で祭りの中心地・国道17号線へ・・・。
熊谷市の国道17号線は車の通行止めになって、人・人・人・・・でいっぱい!
 
熊谷と云えばやっぱり菓子の五家宝とデパートの八木橋ですね。
早速、有難いことに八木橋百貨店でお祭りうちわを頂きました。

八木橋デパートの相向かいには昔から夏季定番のおばけ屋敷が開店中。
 
子供たちのキャ~キャ~という声が国道にまで響いています。
係りの御姐さんが面白おかしく客を呼び込んでいました。

まもなく熊谷うちわ祭の先導に八坂神社(熊谷)の神主達が山車と共に・・・。
 
揃いの藤紫色ハッピ(半被)を着たイナセな御姐さん方の出番です。

交通規制の敷かれた国道17には豪華な山車次から次に登場。
 
それぞれの山車彫刻見返り幕の刺繍も見事なものです。

“熊谷うちわ祭り”動画  07 07 21(土) 1. P1380536・42~46ムービー.wmv


所々で山車が向かい合って賑やかにお囃子合戦を演じていました。

お祭りの男衆もいいけれど、ヤッパ可愛い女衆がいると祭りが華やかになっていいですね!
 
うちわ祭に参加していた中では八木橋デパートからの御姐さん達が特に綺麗でしたよ。
八木橋の化粧品売に勤めているのでしょうか? お友達になりたいですね。

熊谷市役所から国道17号に交差する場所で山車大勢揃いです。

ここでも太鼓のお囃子の熱演が始められました。
暫くお囃子合戦をしてから、山車群は直角に曲がりJR熊谷駅方面へ・・・。

この通りでは山車の上に人形像を揚げて進みました。
 
お馴染み神武天皇熊谷直実などが空高くそびえ立ちます。

山車に行く手に熊谷八坂神社の仮宮が作られていました。
八坂神社祭神の素戔鳴尊(スサノオノミコト)は奥の金ピカ神輿に乗って来たのでしょうか?
 
それにしても、熊谷って美人の産地なのでしょうか!?
八坂神社分社前で山車にお祓いする神主の中にも美女が・・・。
山車だってオジサン神主より美人にお祓いして貰いたいですよ・・っね。

祭りの合間に熊谷うちわ祭の本祭神を祀っている八坂神社に参詣。
JR線の線路脇に誰一人居らず静かに佇んでいました。
 
扁額には愛宕神社八坂神社とが一緒に書かれています。
多分、愛宕神社に八坂神社が間借りしているのでしょうね。
狭い境内にはうちわ祭の碑と熊谷木遣の石碑が建っていました。

八坂神社仮宮前では次から次に山車が神主のお祓いを受けに来ていました。
 

“熊谷うちわ祭り”動画  07 07 21(土) 2. P1380623・29・30・68ムービー.wmv

熊谷市の真夏の祭典熊谷うちわ祭は夜遅くまで盛大に続きます。
鉦太鼓のお囃子合戦の賑やかさはまるで川越祭の曳っかわせ(クリック)を彷彿とさせます。

熊谷市役所との国道交差点では山車が煌々たる光に包まれて、鮮やかな雄姿を見せていました。(夜のうちわ祭は前のページ参照の事。)

2007 08 09(木)記。    前橋市    最高気温36℃。  猛暑日で夕立なし。


第226回 熊谷市 熊谷うちわ祭 夜の部。

2007-08-07 23:23:23 | 旅行

7月20日(金)   関東の真ん中、埼玉県熊谷市の夏祭り・熊谷うちわ祭り。

熊谷うちわ祭りは別名・関東一の祇園祭りとも云われています。

江戸時代に熊谷の地へ京都の八坂神社から祭神・スサノオノミコト(素戔鳴尊)を分祀して始まった夏祭りです。

うちわ祭りの名の由来は、その昔し祭りの期間中熊谷の商家では赤飯を振舞っていましたが、江戸時代に赤飯の代わりに団扇を配ったことから熊谷うちわ祭りと呼ばれるようになったそうです。

先週は京都の祇園祭見物へ行ったので、今度は東日本の関東一の祇園祭り見物に熊谷市へ・・・。

熊谷うちわ祭りの期日は7月20~22日(日)。 祭りは夜祭りと昼祭りとがあります。

まずは7月20日の夕方に熊谷市へ到着。
熊谷市のJR駅周辺は交通規制が敷かれて入れません。
秩父鉄道の北熊谷駅の近くにPして散歩がてらにJR熊谷駅へ。

JR熊谷駅前には熊谷の名付け親・熊谷次郎直実公の大きな騎馬銅像。
 
JR熊谷駅前には多くの人々が祭り山車の登場を待っていました。
6時頃から駅前通りを賑やかな山車が駅に向かってきました。

そのままJP熊谷駅前広場に入るかと思ったら、駅前で急左折!
 
祭りの係員に尋ねると、「最初にJR熊谷駅東口に行き、次に中央口に来ます。」との事。
飾り立てた山車の後に従って祭り囃子を聴きながら東口へ・・・。
  
熊谷駅東口前に山車の大集合! 十数台に山車が並び一斉にお囃子合戦!
東口前の大提灯タワーの明かりも煌々と、夜の祭りを盛り上げています。

イナセなお兄さん達が随所で(まとい)が威勢良く翻して技を競っていました。

東口前で30分ほどお囃子合戦を行ってから中央正面口へ移動となります。
移動中は屋根上の人形像は山車内部に納めます。

威勢の良い職人たちが正調熊谷木遣を唄いながら重い纏を操る手捌きは見事の一言。
熊谷木遣唄は品格と切々たる曲調で、江戸木遣唄と双璧をなす大切な無形文化財です。 熊谷木遣唄が永続することを願うのみでした。
 
何故か長野の八十二銀行の行員さん達は頑張っていましたが、社命で駆り出されたのでしょうか?

次から次に山車が東口前でUターンして中央正面口へ・・・。
男に負けずと女性のお囃子山車は本石町の山車
 
見返り緞帳も金糸銀糸で刺繍された豪華な幕です。

JR熊谷駅正面に集まってきた山車です。 時計で時刻が判りますね。

今にも降り出しそうな曇天のなか、山車の屋根上に祭り人形が立ちました。
駅前に勢ぞろいした山車の豪華さは流石関東一の祇園祭と云うだけの事があります。

JR熊谷駅前で全山車が一斉にお囃子の鉦太鼓や横笛などを打ち鳴らします。
 
しばらくお囃子の競演を聞きながら祭りムードに浸ります。
囃子方には意外と女性が多いのには驚きました。
熊谷も群馬に近いので、“かかぁ天下”なのでしょうか?

“熊谷うちわ祭り”の動画。 07 07 20(金) 夜のJR熊谷駅前 屋台囃子競演。 P1380382・83


山車屋根上には歴史上の様々な伝説英雄達の立像が据えられました。
スサノオノ尊、熊谷次郎直実、神武天皇・・・・。
   
  
JR熊谷駅前で夜のうちわ祭りを小一時間見物した後、小雨降る中を各町内の山車庫へ帰る山車と共に北熊谷駅の車へ・・・。
途中のおもちゃ屋さんの屋根に灯台のように光っていた巨大な招き猫が印象的でした。

次回は熊谷うちわ祭り昼の部。

2007 08 07(火)記。   前橋市 時々   最高気温33℃。

8月7日   バナナの日。 (8=バ 7=ナナ)

   諸兄の大切なバナナの元気度は・・・!?

クスリ飲んでも元気にならないの~。 

じゃ~こんなのどうかしら・・・。
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第225回 京都 祇園祭 第五巻 夜の山鉾。

2007-08-04 04:04:04 | 旅行

7月15日(日)   昼間の祇園山鉾屏風祭りを見物してからホリデイ・イン京都で一休み。
このバスツアーには夕食は付かないので、三条まで出て先斗町納涼床で夕食を頂こうかと思い、妻とブラブラ夜の京都へ・・・。
夕刻の三条大橋から見た鴨川岸には人々が涼を求めて沢山集まっていました。
川岸へせり出す様に作られた納涼床もいっぱいの人です。
 
先斗町の納涼床はお祭り中は予約で埋まり、空いているには西洋料理店くらいなもの。  
京都まで来て洋食じゃと、鴨川の納涼床が見える和食店で京風懐石料理など頂きました。

夏の京料理には日本酒が合うと呑んだのが悪酔いの元!
店を出てからは千鳥足状態です。
それでもふらふらと山鉾のある四条通りへ・・・。
 
片側2車線の夜の四条通りは人でいっぱいです。(浴衣着の京娘は期待したより少なかったっです。)
四条河原町近辺の山鉾の周囲も黒山の人だかり!
 
一番鉾長刀鉾では揃いの浴衣を着たお囃子方が“コンチキチ~ン”と優雅な?祇園囃子を奏でていました。
を打つとき、ぶら下がっている尾紐が胴掛けにゆらゆら舞う姿が面白いですね。

昼間見物した山鉾を逆順に訪ねました。
 
長刀鉾、函谷鉾、月鉾と、山鉾は昼とは全く違った趣を醸しています。

菊水鉾でも煌々と提灯に灯を入れて、囃子方が負けじとコンチキチ~ンです。
 
台風4号は太平洋の沖に去ったのですから、ビニール被いは頂けませんね。

夜の9時過ぎまで熱気覚めやらぬ祇園山鉾を見物して、地下鉄叡山電鉄を乗り継いでホテルへなんとか無事帰着。(タクシーはつかまりません。)

先斗町で呑んだ日本酒の酔いも醒め、ホテルで再びBEERで乾杯して酔い潰れた京の夜でした。
2007 08 04(土)記。    前橋市    最高気温34℃。

シブトイね~!! ボクちゃんは・・・。

大ウソ安倍総理で美しい軍国日本、マンセ~!”・・ってか。

辞めなくていいも~ん! 皆でお仕置きしちゃうも~ん! 

まだ辞めないの~! しつこいね~。 呆れて、皆が日本国民を辞めちゃうよ~!


第224回 京都 祇園祭 第四巻 京の屏風祭。

2007-08-03 03:03:03 | 旅行

7月15日(日)   山鉾見物を終わって帰りしなに、京町屋で公開している屏風絵など拝見しようと歩いてたら行列発見。
 
行列に並んで小路を奥に進むと、そこは霰天神様(あられ天神)でした。
霰天神は昔し京都が大火になりそうな時、突然霰雨と共に小さな天神様像が降って鎮火したと云う由来があるそうです。 奥では可愛い京娘が火災厄除けの霊験のある御札を売っていました。

霰天神に火災除けを祈願し、通り筋にある霰天神山を見ながら散策。
京都ですね~、風雅な和物があちらこちらに飾ってあります。
 
古い商家に松坂屋の看板が!
マークも松坂屋デパートと同じで人だかり。
負けじと人を掻き分け先頭に・・・。松坂屋の内部を覗いてみました。
 
さすが呉服物の松坂屋ですね。金屏風と共に帷子小袖(かたびらこそで)や京友禅高級夏呉服が多数展示されています。
 
鎧兜などの目を奪う貴重なお宝品も沢山出品中で、鑑賞客の賞賛を集めていました。

別の町家(藤井紋)でも屋内を開放し、江戸時代の「四季の図屏風」(狩野派)と北山観音山の模型を公開中。
 
豪華な屏風に囲まれて、奥の方では家人たちがお茶飲みながら仲良く談笑です。
 
京都商家の屏風飾りを鑑賞しながら、昨年見に行った“新潟・村上市の屏風祭り”を懐かしく思い出しました。 村上・屏風祭りはここクリック)

次回は夜の山鉾
2007 07 03(金)記。   前橋市 時々   最高気温33℃。

ヤソキー先生こと義家弘介が参議院議員に当選したって!

信条をコロコロ変え、ウソで固めた人生!よくも恥ずかしくなく議員先生になったもんだね。
金回りが良くなって、高級マンション一棟所有して高級外車乗り回したり、高級ついでに高級ソープ通いだって!
高級ソープで「女の質が悪い!!」って文句をわめいたってね。(文春07 12)
義家弘介の方が質もタチも優れて最悪だ!

私は立つ!」ってけどソープでチ○ポコをおっ立てながら日の丸教育か??
私は戦う!」って、ソープ嬢と裸でニャンニャン戦ゴッコかね?
教職3年程度のこんなヤカラが教育再生会議担当室長だってから、本当に日本チン没だね。

あべ大嘘総理が任命するヤツラはクズばっかり、閣僚そろって内閣機密費で高級ソープへ団体割引で御入湯~って事にもなるかもよ・・・。

蛆家弘介センスンさま、ご愛用の高級ソープ」と「」を教えてよ。
は新宿の「バルボラ」か? は川崎の「琥珀」か?「クラブハウス・シェル」か? 
蛆家が行きそうなソープ店は多分そんな処だろうね。 

スキンレス中出しは一回15万円だって。普通の庶民じゃ払えないね。
高級ソープの支払いは蛆家本人じゃなくて同行の人って話も・・・内閣機密費から、教育再生会議費から!? 野党は国政調査権で調べるべきだね。
人の財布で支払いなら高級ソープは毎日だってOKだろうさ。最低の汚いエセ教育者野郎だ!
お陰で特殊浴場組合のご推薦が貰えての御当選なんだろうな~!?

蛆家弘介たちの指導する最悪軍国教育指針で教育される子供たちには悲劇が待ってるね!


第223回 京都 祇園祭 第三巻。 長刀鉾・月鉾 ちまき。

2007-08-01 01:01:01 | 旅行

7月15日(日)   函谷鉾の搭乗見物から四条通りを東へ向かいました。

京都祇園祭32基の山鉾巡行の先頭に立つ長刀鉾へ・・・。
京都の老舗の名入り提灯が一列に並びお祭りムードを高めていました。
 
長刀鉾の名前通りの長刀が鉾頭に聳えています。

祇園山鉾巡行の先頭を飾るだけあって見事な山車です。
鉾頭の長刀疫病邪気を祓いながら、鉾山車に乗った生稚児が結界を解く注連縄切りが有名です。
 
金糸銀糸の西陣織水引と段通の胴掛けはペルシャ花文模様の絢爛豪華の一語に尽きます。

長刀鉾の屋根裏には鶴(前)と孔雀の大きな絵。(松本景文の金地著彩群鳥図)
 
前後の破風にある木彫は長刀製作を表して、彫刻師・片岡友輔の作。

長刀鉾の次は鶏鉾(にわとりぼこ)の見物です。
 
鶏鉾の鉾頭は三角形枠の中に円形のが入っています。
三角枠が諌鼓と云う「中国・尭時代の訴訟用太鼓」で、その中に鶏が卵を産み付けるほど事件が無く、平和の象徴と云う意味の鉾です。

続いて見えてきたのは月鉾です。
 
名前のごとく新月型(十八金製の三日月)の鉾頭が輝いていました。
月鉾もゴージャスな山車の一つですね。
前後の屋根破風彫刻は有名な左甚五郎の作品の月に兎。 見ているとピョンピョン飛び出してきそうなリアル感があります。
 
屋根裏の絵は丸山応挙の作品「金地著彩草花図」。金箔地に描いた見事な絵です。

月鉾のちまき売りの娘さんと話してたら、鉾に上っても良いよっ!って。
タダで上っては申し訳無いので月鉾ちまき(千円)を買いましたね。
 
月鉾会館の二階から白木の渡り通路を通って搭乗するのです。
二階の部屋には函谷鉾の場合と同様に鉾の関する品々が展示されています。
祇園祭は八坂神社の夏の大祭ですから掛け軸も八坂神社。
 
品格のある月鉾の稚児人形(月の兎に因み、名は於菟磨[おとま]。)や鉾掛けのペルシャ・コーカサス段通なども公開中。

月鉾山車の提灯の間から四条通り東側の風景です。
 
月鉾で買い求めた「月鉾ちまき」。厄除けに霊験あらたかと言われています。
それぞれの山鉾でちまきの効能が異なります。 曰く、病除け、火除け、風雨除け、厄除け、地震除け・・・。 男除け・女除けは無く、縁結ちまきあります。

お好みの厄除けちまきを玄関外側に飾るとその効果抜群といいますが・・・。

いろいろな山鉾を見物しましたが、変わった鉾ではこの船鉾が一番です。
船鉾の舳先に立つ大きな金色瑞鳥ゲキが怪獣映画そこのけの迫力。

船鉾の由来は神功皇后の伝説の船からと云います。
船形の山車が巡行する姿は平安絵巻そのもので、都大路の見物客を大いに楽しませるでしょうね。
全九基の鉾山車のしんがりを務めるのがこの船鉾の役目とか・・・。

次回は夜の祇園祭宵々山と屏風祭りです。

2007 08 01(水)記。   前橋市    最高気温32℃。

茨城の恥・日本の恥、あかぎ脳衰大臣が詰め腹を切らされて辞任!  
辞任して済む問題じゃないからあべみたいに居座れば良かったのに・・・トカゲの尻尾切りにされて。
領収書のコピーと二重計上って私文書偽造行使脱税だ。
アカギ赤いポルシェに乗って超優雅な生活をしてるってけど、お金を誤魔化して贅沢してるご立派な野郎だ!
普通の人なら逮捕されるのに警察・検察は少しも動かない、弱きを挫き強きを助ける疑惑だらけの権力組織と思われるよ。

北九州市では「オニギリ食べたい。」って生活保護切られて飢え死にした人もいるのに、責任政党って詐称してる自民党てのは最低生活の面倒もみられない贅沢三昧の無能政治屋集団か!!

あかぎ脳衰相には女装趣味・・・って噂も!?(ここクリック) 超キモイ!!


丸川タマ代のホームページの一部です。
自身が投票したこともないのに他人には投票へ行けって・・・まったく図々しいタマだよ。期待してないから嘘女は当選辞退しろ!

あべ
総理も「安倍を取るか、小沢を取るか!」と国民に選択を迫っていながら、負けてもまだ居座る大嘘つき!!  ”醜い嘘で固めた日本”マンセ~!!
自民党
にはウソつきばかりがいるんだな~って思う昨今です。