ツトムさん家の写真日記。

写真いっぱいの楽しい日記です。(全面表示でご覧下さい)

第813回 真岡市 長蓮寺 弁財天。

2013-09-27 12:00:00 | 旅行

2013 08 31(土)


真岡市の名刹“長蓮寺”を訪ねる前に、腹が減っては観光は出来ぬと・・長蓮寺南門前の「立花屋」で昼食。
前回掲載の金鈴荘で紹介されたギョーザが美味しいと評判の店。
 
確かに、中身がぎっしりと詰まり、外の皮がパリパリに焼けたお奨めできる美味ギョーザです。(値段も格安)

県道46号線に面して「真岡木綿会館」の向かい側に長蓮寺山門が在ります。
山門を過ぎると「窪道場」と記された額を掲げた中門です。
長蓮寺は正式名を「大際山華蔵院長蓮寺」と言い宗祖・一遍上人が開いた時宗の寺。(真岡市荒町1037)
 
「窪道場」とは時宗二祖の真教上人(一遍上人の高弟)が念仏修道場場を大際山の窪地に築いた事に由来します。
長蓮寺は永仁5年(1297年)大際山の山麓に真教上人により開基され、南北朝時代の貞和3年(1347年)の真岡城築城に際し鬼門の守護として現在の地に移転したそうです。

広々とした境内には左から鐘楼・庫裏・弁天堂・本堂などが並び建っています。


境内から続く墓地の手前には諸仏の石像・・・。      比較的に新しい尊像は慈母観世音菩薩像。
 

本堂(本尊は阿弥陀如来)は扉が完全に閉められ内陣を拝見できず、隣接する太鼓櫓下の弁天堂をお参りします。
 

弁天堂の内部には沢山の木像が納められています。 下画像は弁財天の眷属(けんぞく・親族、一族)である十五童子の尊像。
 

中央に鎮座する弁財天の脇侍仏として左右に大黒天毘沙門天。 金箔漆塗りの豪華煌びやかな厨子には秘仏の日限(ひぎり)地蔵尊
   

御堂の中央は存在感充分の金色に輝く大きな弁財天像
高さ3.45mにおよび二臂半跏(にひはんか・腕は二本で右足を左足に乗せ左足を下げる。)像としては日本一威容を誇ります。
この弁財天像は江戸時代の元禄13年(1700年)に完成し、浅草の浅草寺に奉安されていたが、縁あって宝暦15年(1762年)長蓮寺に遷座しました。
浅草寺時代には赤穂浪士も大願成就を祈願した徳の高い霊験ある弁財天
 
左手に宝珠を、右手には宝剣を持ち、頭上には金鳥居と財施の神様“宇賀神”を戴く長蓮寺弁才天。(神仏合体像)
五穀豊穣・開運蓄財・音楽芸能学問など・・・諸々の幸福を招く有り難い神様・仏様です。

長蓮寺HP
http://chorenji.jp/


2013 09 27(金)記。      前橋市      最高気温 23.9℃      最低気温 12.8℃  


おまけコーナー。

世界一短い航空路線。(イギリス ウェストレー島とパパウェストレー島間2.8km 所要時間2分)


不吉な13日金曜日のHEL(ヘルシンキの略・地獄HELL)行き666便の旅客機。(ヨハネ黙示録では666は悪魔の数)
http://www.gizmodo.jp/2013/09/13hel666.html


第812回 真岡市 金鈴荘(岡部記念館)。

2013-09-24 12:00:00 | 旅行

2013 08 31(土)


日本屈指の木綿問屋を営み富を築いた三代目・岡部久四郎氏が贅を凝らして建てた重厚な土蔵造りの日本家屋“金鈴荘”(二階建て延床面積は415㎡ 総敷地面積3,312㎡)を訪問。
明治中期に建てられた岡部家住宅は「岡部記念館 金鈴荘」として真岡市が引き継ぎ一般無料公開されてます。
  
真岡市木綿会館の前を通り瀟洒な門をくぐると正面には「県指定建造物 岡部記念館」の石柱。
懇切丁寧なボランティアガイドさんに案内され玄関から入館します。

一階の廊下の梁に使用されていた長~い杉柱に注目。(2階部も同様な杉柱)
15m超の長さの磨き杉柱は驚くことに根元部も先端部も太さは差ほど変わりません。
この杉柱を運んだ時、角を曲がる場合は邪魔になる家を取り壊して通過したと伝えられています。
 
一階廊下から見た回遊式日本庭園

一階客間座敷、掛け軸・襖(ふすま・)戸袋などに明治・大正期を代表する日本画家の作品が見られます。


何気ない床の間に見えますが、使われている木材は紫檀・黒檀・鉄刀木(タガヤサン)など超一級品の唐木!
往時の岡部家の底知れぬ財力が垣間見られる床の間です。
  
トイレには衣装を整える三畳間も設えられています。  昔の日本家屋特有の急傾斜な階段を上って二階へ・・・。

昔の一時期、料亭としても使用されていたそうで、酒や膳を2階に運ぶのに余りの急傾斜で難儀をしたそうです。

二階には金箔より高価な芭蕉布が襖として使用された部屋もあります。(左の松絵襖)
 
襖枠にも贅沢な紫檀・黒檀を使用。

「ゲゲゲの鬼太郎」(水木しげる)の元祖のような愉快な「妖怪地獄絵」。
足尾鉱毒問題を世に問うた田中正造翁の直筆「至誠無息」の額、「誠を志す人に休息は無い」という意味。
 

木綿の一大集積地だった頃の真岡の木綿問屋を描いた団扇絵。  地元画家・矢橋天の孔雀掛け軸。
  
二階も一階と同様な間取りで広い畳敷和室が三部屋と板敷間。 古風な電灯笠が大正ロマンの時代を物語ります・・・。
東日本大震災で壁と瓦に被害を受け、無骨な耐震用格子枠が取り付けられました。

二階廊下の一部から日本庭園と四阿(あずまや)を望む。
戦後の一時期、有島武郎の小説「或る女」の主人公のモデルだった佐々城信子が居住していましたから、この様な景色を見ていたのでしょう。

大地震にも耐えたガラスは建築当時の物で、微かに歪みがありす。

二階からの庭園風景。池泉回遊式の日本庭園(庭園面積1600㎡)。


庭園からの金鈴荘全景。堅牢な造りは震度6の地震にも耐え、重厚な姿を見せていました。


建築にあたって、地元出入りの大工・左官・指物師などの職人を東京で3年間修行させ、10年の歳月を費やして造った、
“金鈴荘”(栃木県有形文化財)を訪ね、和風建築の粋を味わっては如何でしょうか・・・。

「金鈴荘」動画。(市会議員 佐藤和夫氏撮影)。



金鈴荘の手前に“真岡木綿会館”が在りましたが、丁度昼休み中で内部は拝観できず。
木綿会館前に置かれた、木綿の街をアピールする“福姫 舞ちゃん”に別れを告げ、昼食を食べながら近くの名刹・長蓮寺へ・・・。
  


2013 09 24(火)記。       前橋市 朝小雨     最高気温 26.9℃     最低気温 17.8℃

おまけコーナー。

カタカタ手押し車を教えるネコ先生。


 猛獣のヒョウも大きなネコだった。


大惨事直前の決定的瞬間!
http://blog.livedoor.jp/sekaiminzoku/archives/32008397.html


第811回 真岡市 真岡鉄道 真岡駅 蒸気機関車。

2013-09-20 12:00:00 | 旅行

2013 08 31(土)


真岡市の夏の風物詩“尊徳夏祭り 花火大会”の見物を兼ねて、真岡(もうか)市内の名所を訪ねてみました。
先ずは、駅舎が蒸気機関車に似せて建てられた真岡鉄道真岡駅
煙突や出入り口まで動輪風に造られたユニークな駅舎、鉄道ファンは見ているだけでワクワクします。
 

真岡駅のプラットフォームから見た真岡鉄道、停車しているのは「モオカ14形」気動車。     
最上階には真岡市の大パノラマが楽しめる展望デッキが用意され、オモテナシの心意気が感じられます。
 
真岡鉄道真岡線は下館駅~茂木駅までの41.9Km。
昔の国鉄からJR東日本に移り、更に昭和63年からは栃木県や自治体などの第三セクターによる運営となりました。

駅舎4階の展望デッキからの展望は絶景で、足元の鉄道も、遥か那須連山の山並みまで遠景が楽しめます。
 

蒸気機関車形駅舎の展望デッキに隣接する「マルチ体験ゾーン」には子供や鉄道マニア垂涎の鉄道模型が沢山用意されています。

精密な鉄道ジオラマは見応え十分! 誰でもNゲージの鉄道車両が動かせます。

真岡駅舎と鉄道構内の模型。            小さなお子様たちが大喜びの立体プラレール、自由に走らせて遊んでいました。
 

駅舎の横にはいろいろな形の機関車やディーゼルカーなども展示、車両ごとに説明板が付けられるサービス設計。
キハ20形ディーゼル客車(昭和33年製造)とDE101014ディーゼル機関車。  ヨ8000形車掌車(昭和49年製造)。
 

国鉄時代の懐かしい旅客車両(スハフ44形客車 座席80名)。 学生割引周遊券で日本各地を旅した想い出が脳裏を掠めます。
 

真岡駅舎本館に隣接した「SLキューロク館」の一階には実物の蒸気機関車が展示されています。
大正時代に製造された9600形蒸気機関車、長距離用機関車として開発され全部で770両製造、当時の花形機関車だったそうです。
 
動輪は4軸ですからデコイチと同じで、D形式の蒸気機関車でしょうか、車両番号は「49671」。
大正9年(1920年)川崎重工(株)の製造、「キューロク」の愛称で親しまれたテンダー型(炭水車)蒸気機関車です。



9600形蒸気機関車の勇姿をお楽しみ下さい。
 真岡駅 蒸気機関車 9600形。



真岡駅舎の横に「守鉄社」なる神社が在ります。
この神社は真岡線建設の際、線路敷地内に鎮座していた熊野権現・稲荷明神・八幡宮の三社を一つに併せ、安全を祈る鉄道守護神の「守鉄社」としてこの場所に奉ったのです。
 

SLが走る鉄道として有名な真岡鉄道、その中心地に建つ真岡駅には鉄道車両や模型などファミリーで楽しめる鉄道ファンの聖地。
秋の行楽には真岡鉄道を楽しまれては如何でしょうか・・・。



2013 09 20(金)記。     前橋市      最高気温 28.7℃    最低気温 17.1℃        昨夜は中秋の名月。


税金大国!日本。 最後の項目に注目。




おまけコーナー。

大空を飛ぶワシにカメラを付けて撮影。



 洪水を楽しむ男。(ロシア)



恐怖の大陥没!
http://news.livedoor.com/article/detail/8057362/

海外の地下鉄で撮った凄い乗客。
http://rocketnews24.com/2013/09/01/363892/

中国ではバスの中で女性も放尿。
http://club.pchome.net/thread_1_15_7661140__.html



3.11大津波で幽霊出現!? 一反木綿?
http://www.youtube.com/watch?v=_dT0no1QZYI


元映像。  大津波(気仙沼市)で幽霊か・・・? 10分46秒と11分23秒。 


第810回 大田原市 第33回 大田原 与一まつり。

2013-09-17 12:00:00 | 旅行

2013 08 03(土)


栃木県大田原市最大のイベント“大田原 与一まつり”(第33回)が8月2・3日の両日に亘り開催されました。
場所は旧奥州街道の宿場町・大田原宿の中心部。現在の国道400号線と国道461号線が交差する地区。
目印に青銅製の大きな灯篭“金燈篭”(かなどうろう)が立てられています。
  
この金燈篭は奥州街道を往来する旅人の便宜や大田原宿の防犯・安全を願い、文政2年(1819年9に町人有志により建立された常夜灯です。
但し、初代の金燈篭は第二次大戦で供出され、現在見られるのは昭和54年に再建された二代目の金燈篭。
初代から伝わる台石に刻まれた「上町 江戸 白川」の文字が宿場町の往時を忍ばせます。

上町・金燈篭交差点に設えられた「お祭り広場」の一角で“与一まつり”の開会を宣する「那須与一の扇的」が行われました。(15時頃)
的になった日の丸扇を見事に打ち抜き、駆け付けた“与一くん”もドングリ眼(まなこ)で喝采を挙げます。
 

続いて勇壮な“与一太鼓”の演奏会で与一まつり盛り上げます。


与一太鼓の演奏をご覧下さい。
第33回 大田原 与一まつり 与一太鼓。



大田原 与一まつり”の出陣にに先立ち、戦勝を祈念する「出陣餅」が福原衆により力強く搗かれ、那須与一公に供されます。
 
「福原餅つき」は平氏追討に旅立つ時に福原の住民が“力餅”を搗いて献上したのが起源という。

「福原餅つき」をお楽しみ下さい。
第33回 大田原 与一まつり 福原餅つき唄。



出陣式に於いて必要不可欠な縁起物「打ち鮑・搗(か)ち栗・昆布」の三品を総大将“那須与一公”に捧げ、次に出陣祝い酒の三献を挙げます。
 

出陣式も整い、気合高々な号令一下、いよいよ武者行列出陣へ・・・。(16時頃)
 

最後に“大田原 与一まつり 武者行列”の健勝を祈念し、全員で声高らかに「エイエイオー」と勝ち鬨の三唱!

今年の那須与一公は村形駿樹殿、那須十郎(与一の兄)は塚本孝大殿、共に国際医療福祉大学の学生。

那須与一公は騎乗にて御出馬、総大将らしく武者行列の先陣を務めます。
 

大人の部に続いて、小学生の武者行列の出番です。
「皆のもの出陣せよ!」と小学生ながらアッパレな出陣決起号令・・・。
 

物々しい出で立ちの若武者たちが太鼓を先頭に大田原の中心部を練り歩きます。
 

女性たちも男に負けずと張り切って行進します。


男子若武者より颯爽としていたのは女子の長刀(なぎなた)、背筋を伸ばして堂々の行列行進。
日本の未来は頼もしい女子力にかかっていますね・・・。
 

武者行列が出払った「お祭り広場」では美味しい“出陣餅”の配布が行われ、大人気を博していました。
  
大田原 与一まつり”は神輿渡御や“与一踊り”・“よさこいソーラン”“打上げ花火大会”など多彩なイベントが夜遅くまで開催されるのです。


「那須国造碑」からの大田原市探訪はこれで終了、次回からは“真岡市”を訪ねます。


2013 09 17(火)記。        前橋市       最高気温 27.3℃   最低気温 16.4℃   昨日の台風18号一過で爽快。

朝鮮人従軍売春婦問題。
http://news.livedoor.com/article/detail/8071279/


おまけコーナー。

マンモスは20世紀まで生きていた!?
(1943年 ロシア国ヤクーツクでドイツ人撮影)
http://karapaia.livedoor.biz/archives/52139778.html

「水中なら負けないぜ!」カンガルーと犬の格闘。



 卵は守る! 卵を食べに来た亀と戦う魚。



どうなってるの? 宙に浮く石?(長崎県)
http://karapaia.livedoor.biz/archives/52140276.html

最大画数の漢字。
http://www.yukawanet.com/archives/4535861.html


第809回 大田原市 那須与一の墓。

2013-09-13 12:00:00 | 旅行

2013 08 03(土)


大田原市福原361に在る名刹“玄性寺”(げんしょうじ)、那須与一の墓所寺として有名。
道路脇の坂道を上がると「須峯山玄性禅寺」「那須與一公御墓」と刻まれた石柱、その奥正面には沢山の地蔵尊が出迎えてくれます。
 
境内の片隅には那須家の菩提寺らしく那須家の家紋が付いた弓道場もあります。

広い境内の奥まった場所に建つのが“一心堂”、那須与一を祀る祈祷堂です。


一心堂の内部、正面には木彫の那須与一像。弓の名手らしく横には弓が立て掛けられています。
左右の壁には「一発必中」の書額と「那須与一扇的」の絵額。
 

屋島の戦い(元暦2年 1185年)で平家の軍船に掲げられた扇の的を見事打落とし、名声を天下に轟かせた「那須与一扇の的」奉納大絵馬。
 
願いは「一発必中」で叶えてくれる絵馬もあります。

那須与一墓所への途中に「矢剪石」(やせんせき)なる大石があります。
この「矢剪石」は母を知らない那須与一が「守り地蔵尊」と名付け注連縄を張って日頃から母のように尊んでいました。
屋島の戦いで那須与一が見事に扇的を射抜いた時、680km離れていたこの大石が裂けたと伝えられ、村人たちはその不思議さに「矢剪石」と命名して祭り、長く与一公の遺徳を偲んだそうです。
 
確かに、上右画像の大石の左側から下にかけて亀裂が入っています。

「矢剪石」から参道を上がると、直ぐに「那須家の墓所」に到着。
小高い場所の石の柵で囲まれた中に古色蒼然とした七墓石が並んでいます。
 


那須与一公の墓石は左から三基目、墓所前に立てられた墓碑には「那須与一宗隆公墓」と記されています。
那須家は名前を世襲する慣習で、当主になった時には那須資隆と名乗りました。
宗隆は初名であり、与一は11番目に生れた男で十あまる一で与一と通称されるようになったそうです。
なを、那須与一は佐奈田義忠と浅利義遠を加えて「源氏の三与一」と呼ばれたとか・・・。
 
那須与一公墓石の左には与一の父(那須資隆)の墓石。
那須与一公の戒名は「即成院殿禅海宗悟居士」「即成院殿月山洞明大居士」、山城国伏見で逝去した与一公は京都東山の泉涌寺の即成院に埋葬された後、この福原の地に分骨されたので「即成院殿」文字が戒名に記されました。

十一男に生まれながら、兄弟の長男から十男までが平家に味方したなどで、与一公が那須家当主の座に治まりこの地方の領主となります。

墓所前の那須与一公顕彰碑 “那須与一公を讃える”。
「見よやあっぱれ与一公 三国一の晴れ姿 八百年の後までも そのいさおしは 伝えらる」。


那須与一公墓所下に建つ玄性寺本堂を参詣。
正式名は曹洞宗須峯山瑠璃光院玄性寺、創建の時期は定かではないが江戸時代と謂われている。


本堂内の須弥壇に鎮座するのは御本尊の“薬師如来坐像”。
  
ユニークな姿の木彫りタヌキ僧侶像が廊下で日向ぼっこしていました。
このタヌキは木魚の上に座禅を組み瞑想の境地を悟った“観月たぬき”とか・・・。
那須与一公の眠る菩提寺本堂ですから、「屋島の合戦扇的」の貼り絵・絵画なども沢山奉納されています。


2013 09 13(金)記。     前橋市     最高気温 31.2℃    最低気温 24.0℃


東京五輪を妨害し続けた南朝鮮が手の平返しで日本に擦り寄る厚顔無恥な事情。
http://news.livedoor.com/article/detail/8057362/


おまけコーナー。

サンドアニメの「父親の一生」が秀逸。(ベトナム画家)



サンドアニメ。



ウクライナ少女の手描きアニメ。


第808回 大田原市 光丸山 法輪寺。

2013-09-10 12:00:00 | 旅行

2013 08 03(土)


下侍塚古墳から国道294号線を1.5kmほど南に下った位置にある古刹“法輪寺”(大田原市佐良土1401)に参詣。

国道横にある法輪寺の直ぐ脇を流れる御行川(岩川)の中に鳥居が立っています。
海や湖などに真っ赤な鳥居が立っているのは厳島神社や芦ノ湖などでも見られますが、普通の川に鳥居とは珍しいことです。
  
この鳥居は光丸山奥之院への第一鳥居で第二・第三鳥居は山中の参拝道に立てられているそうです。
その昔は、この川は参拝道だったのか?または、この第一鳥居までは舟で上って来たのか?摩訶不思議な鳥居です。
川中の両部鳥居に掲げられた扁額には「光丸山大権現」の金文字。

鳥居と国道を挟んだ場所で杉木立に囲まれているのが“光丸山 法輪寺”、天台宗の名刹で貞観2年(860年)慈覚大師円仁の開山と伝えられています。
ちょうど、貞観大地震(貞観11年)直前の時期に開山した古刹です。
 
参道脇の手水舎にあるの姿がまるで身を乗り出して水を飲んでいる様で面白い・・・。

入口の正面に建ているのは光丸山本院大日堂、シンメトリックな形が美しい寺院形式の神社です。
訪ねた“光丸山 法輪寺”は古来からの神仏習合を留めるユニークな寺院、この地では神仏分離・廃仏棄釈の嵐は吹かなかったのでしょうか?
 
「光丸山」の扁額を飾る龍彫刻は素晴しい!

本院(大日堂)の横に建つ「天狗堂」を拝見、中に鎮座している天狗面の大きさは高さ2.14m幅1.5m鼻の高さ1.3m重量1トン。
1880年(明治13年)に奉納、昭和6年と28年に漆塗り替えされ、木製では日本一の大天狗面と云われ、防火・盗難厄除けの霊験があります。
 

大きな天狗面を拝見の後、大日堂の右奥に進むと古代の建築物を想わせる山門に出会います。
この山門は後嵯峨天皇直筆になる「勅額」を掲げた“勅額門”。
 

勅額は山・院・寺の三額を賜ったそうで、この門には山号の「正覚山」の文字。
但し、現在の額文字は後嵯峨天皇直筆ではなく、霊雲法親王(護良親王)の筆になります。
“光丸山 法輪寺”とは神社と寺の合体通称名、法輪寺の正式名は「天台宗 正覚山 実相院 法輪寺」。
   
勅額門の近くには霊験新たかな“薬師堂”、祀られているのは勿論万病に効く“薬師如来坐像”。

勅額門を通過すると正面に法輪寺の本堂(釈迦堂)、光丸山の中之院でもあります。
消灯され暗い内陣の須弥壇には釈迦如来坐像が鎮座しています。
 

本堂の右手前に建つ鐘楼脇に立派な枝垂桜の古樹が見られます。
この桜樹が樹齢約800年と伝えられる“西行桜”、保延年間に法輪寺を訪れた西行がこの桜を愛でて、「盛りには などか若葉は今とても 心ひかるる糸桜かな」詠じた事から“西行桜”と名付けられたそうです。(現在の桜樹は二代目)
  
法輪寺の境内には観音堂大黒堂無量堂などの諸堂が並び、深山の寺院らしい荘厳な雰囲気を漂わせていました。

時間が許すなら、二之鳥居・三之鳥居を経て“光丸山奥の院”まで参拝したい・・・。


現在でも神仏混淆を守る貴重な光丸山法輪寺、幽玄なひと時を味わいに訪ねては如何でしょうか。



2013 09 10(火)記。     前橋市     最高気温 28.4℃    最低気温 20.5℃


おまけコーナー。

ゴッホの絵をアニメーション化したショートフィルム。



歴史を物語る興味深い写真。
http://karapaia.livedoor.biz/archives/52138728.html

錯覚画像コレクション。
http://blog.livedoor.jp/sekaiminzoku/archives/31301989.html


第807回 大田原市 歴史民俗文化資料館 なす風土記の丘湯津上資料館。

2013-09-06 12:00:00 | 旅行

2013 08 03(土)


大田原市湯津上の下侍塚古墳の相向かいに建つ“大田原市歴史民俗文化資料館”(無料)の見物。
 

古民具から地蔵菩薩・武具など様々な物品が展示されています。
  

行灯・結婚式什器・ミシン・各種農機具・・・などなどの昔懐かしい民具の品々が沢山集められ陳列。
真田家旗印の六文銭の鎧、この地方を真田が治めていた時期があったのでしょうか・・・?
 

江戸時代・明治時代の書状帳や版木。     現在は廃線となった「東野鉄道」(1918~1968年)の最終乗車券(切符)は珍品。
 
展示物を詳しく見る時間も無く、隣接して建つ別の資料館へ・・・。

次に見物したのは“大田原市なす風土記の丘湯津上資料館”(料金100円)という長い名の展示館。
主に古墳時代の出土品などを展示。 約4000年前に東北地方から伝わった「複式炉」(竪穴式住居に設置)
 

縄文中期から後期にかけて使われた子供用の埋甕(うめがめ)、寂しがらないように竪穴式住居の出入り口近くに埋葬されたそうです。
 
地面に掘った穴に木の実などの食糧を保存、さしずめ古墳時代の冷蔵庫。

火炎土器などの珍しい土器や石斧・石鍬・石皿などの石器類も多数展示、その時代の生活様式が偲ばれます。
  

酢屋古墳に埋葬された豪族の副葬品の勾玉・三環鈴や鉄器(刀剣・鏃・小刀)など当時の技術が垣間見られます。
 

“風土記の丘湯津上資料館”の中央を飾るのは、国宝“那須国造碑”の実物大レプリカと碑文の拓本。
右下に石碑に使用したのと同じ花崗岩も陳列展示。石碑のある笠石神社を挟んで那珂川の対岸地区から切出された岩石。

その昔、村人達は難解な碑文が読めず那須国造碑(笠石)を雨乞いの祭祀に使っていたそうです。
普段は上に載る笠石を外しておき、干天時に碑身の上に載せて慈雨を祈願したとの事・・・。


次回は、川の中に鳥居が立つ、光丸山法輪寺。


2013 09 06(金)記。     前橋市 一時雨     最高気温 25.7℃    最低気温 21.7℃  


おまけコーナー。

日本の珍発明15選。
http://rocketnews24.com/2013/09/04/364959/

危険な一瞬!
http://karapaia.livedoor.biz/archives/52139152.html

写り込んでしまった!失敗画像。
http://karapaia.livedoor.biz/archives/52028911.html

食べるのがもったいないキャラ弁!
http://blog.nakatanigo.net/archives/50767178.html


第806回 大田原市 下侍塚古墳。

2013-09-03 13:13:13 | 旅行

2013 08 03(土)


前回掲載の「那須国造碑」のある笠石神社から国道294号線を南に500mほど南に下った場所にある“侍塚古墳群”を見学。

最初に眼に入った古墳は“侍塚古墳群 1号墳”、比較的に形状が整った長さ40m高さ5m程の小さな前方後円墳。
 

前方部墳丘上から見た南側にも大きな古墳が点在しています。


侍塚古墳群”には10基の古墳があったそうですが、2基が田畑に開墾され現在では8基残すのみ・・・文化財を大切に!
それでも、周囲を見渡すと田圃の中に円墳方墳が幾つも見る事が出来ます。(画像は左から5 6 8号墳墓)


小型の古墳を見た後、古墳群に隣接する大型で日本一美しいと言われる“下侍塚古墳”(しもさむらいづかこふん)を訪ねます。
 
国道294号線に沿って松林に覆われた“下侍塚古墳”と「史跡 下侍塚古墳」(昭和26年6月29日指定 文部省)の大きな石標柱。



国宝“那須国造碑”に記された「那須直韋提」の墓とも言われる“下侍塚古墳”。
“那須国造碑”の保存に尽力した水戸光圀公は“下侍塚古墳”の発掘・調査も行い、出土した埋葬品類を調べ記録した後、木箱に納めて再び埋め戻したそうです。
更に、墳丘が崩壊しないように松樹を植樹し、下侍塚古墳の保存に努めたとのこと、黄門様って本当に立派な殿様だったのですね・・・。

黄門様による本格的な発掘・調査の故に、この場所は「日本考古学発祥の地」と言われています。

稲田に囲まれた下侍塚古墳の東側面。 松で見づらいですが左の墳丘は前方墳丘、右が後方墳丘。


古墳の周囲には遊歩道が敷かれ柵が設置されていますが、東側の一ヶ所から入る事ができます。



昆虫採取に来た近所の親子の後を追って筆者も墳丘に登ります。


この下侍塚古墳は二子山風の前方後円墳に見えますが、実は全国的にも珍しい「前方後方墳」です。

下画像は前方部、確かに墳丘の隅は角ばっています。
 

こちらは後方部の墳丘、判別しにくいですが、やはり角のある方墳形です。
 
墳丘上に石の祠(ほこら)でも祀られているかと思いましたが・・・何も人工物はありません。

5世紀前期の築造の“下侍塚古墳”は姿形が日本一美しいと言われる古墳ですが、松に圧倒されその実感が乏しいのが実情です。

下侍塚古墳の側面。

下侍塚古墳の説明板。


下侍塚古墳の直ぐ南に“上侍塚古墳”がありましたが、時間に追われ今回は見学出来ません。


次回は下侍塚古墳の相向かいに立つ「歴史民俗資料館」「那須風土記の丘 湯津上資料館」編。



2013 09 03(火)記。       前橋市 一時雨     最高気温 32.6℃    最低気温 23.5℃


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