ツトムさん家の写真日記。

写真いっぱいの楽しい日記です。(全面表示でご覧下さい)

第404回 群馬県川場村 岩観音と厄除観音。

2009-02-27 20:20:20 | 旅行

2009 02 11(水)

群馬県川場村の名所巡りの第二弾。

川場温泉にある武尊神社から1km程の場所にある厄除観世音堂を拝見。
(写真を撮ったこの場所に無料駐車場が有り。)

 
軽い傾斜の坂道を上った奥に厄除観音堂
お堂への石段脇には真っ赤な実。 南天の実でしょうか?

 
午後4時頃の誰も居なくてひっそりとした厄除観音堂
扉は厳重に閉じられて内陣に安置された厄除観音菩薩像は拝見出来ません。

お堂の屋根の上にあるピンク色の鬼瓦(木彫?)は舌を出したちょっぴりユーモラスなお顔。




川場厄除観音はお堂だけを見物し、まだ雪が残る田園地帯を走って次の名所・岩観音へ・・・。

3kmほど下って川場村大字谷地の岩観音に到着。 清水が湧き出る駐車場が用意された親切な観音様。
 
小さなお堂が岩観音堂。 
内部には荒削りな仏像が二体と三十三岩観音の名を記した銘板だけで少し寂しいお堂です。

 
岩観音堂の裏側が急傾斜の岩場になっていました。所々で落葉の間から福寿草が顔を覗かせ春の訪れを告げています。

積もった枯葉に足を滑らせながら朽ちかけた木の階段を登り岩観音へ・・・。
 
大きな椿木の背後にある岩肌が穿かれ、何やら霊場っぽい雰囲気です。

大きな岩の壁面一帯に素朴な姿の観音様が刻まれていました。

この磨崖仏群は南北朝戦乱期に北朝方に味方した大友氏と南朝方の新田氏との合戦で亡くなった戦没者を弔う為、新田氏の末裔の僧・良圓(りょうえん)により建立されたそうです。

立像坐像合わせて33体の観音像弁財天1体が刻まれ、建立当時は全て彩色されていたとの由。現在でも色が残っている尊像も見られます。
宝永8年(1711年)信州石工・源七との銘が彫られ、信州の石刻技術の巧みさを表しています。


更に上の方まである岩にも全て観音の姿が彫り込まれ・・・。
かなりの急傾斜で滑りやすく最上部までは到達出来ません。

 
見事な磨崖仏群です。 まだ彩色が残っている観音様もあります。
  
比較的に柔らかな凝灰岩に彫り込まれた観音様は風化の影響を受けて痛ましそうなお姿です。 
合掌観音・延命観音・普悲観音・施薬観音・月光観音・水月観音・白衣観音・魚藍観音・滝見観音・・・・・33観音
 
昔から霊場として、また札所として厚い信仰の対象になっていたとか。

高さ21mの大きな岩観音からはマイナスイオン?の霊気が感じられる癒し系の霊地なのです。

この岩観世音の磨崖仏を含めて川場村には様々な名所旧跡が沢山点在しています。

皆様も来年には春駒まつりの見物を兼ねて川場村を訪ねては如何でしょうか。

次回は館林市にある旧秋元邸の雛祭りです。

2009 02 27(金)  前橋市  最高気温4℃

おまけコーナー。

Tree Power


第403回 群馬県川場村 武尊神社

2009-02-24 20:20:20 | 旅行

2009 02 11(水)

奇祭・春駒まつりの帰路に川場村の名所を探訪。


群馬県北部にある田園地帯の川場村からは雪を戴く谷川連峰が間近に・・・。

平年ならこの一帯は雪が積もっていますが、今年は暖冬で雪が少ないそうです。

川場村北部の川場湯原地区にある武尊神社(ほたか神社)。
武尊神社の周辺一帯は天然温泉が湧き出す川場温泉で旅館や民宿が立並んでいました。

重厚な屋根と風雪にも耐えられる頑丈な茅葺き入母屋造りの社殿には沢山の彫刻が施されていました。

向拝部の反りの少ない海老虹梁(中央の横木)は江戸初期の様式を留めています。

 
武尊神社の内陣を拝見。 一般的な神社には円鏡が置かれていますが、この武尊神社中央奥の須弥壇にある造り総漆塗りの厨子には金箔薬師如来像が二体(立像と坐像)・・・。
武尊神社は享保3年(1718年)に湯前薬師堂として建立された後に神社に造り代えられたのです。
神仏習合の名残みたいで「仲良きことは美しき哉」のお手本ですね。

武尊神社天井には迫力満点の巨大な龍の板画

墨で描かれた龍画ですが躍動感ある名品。

社殿の壁には到る所に彫刻が施されています。
吉瑞の鳥は鳳凰の彫刻。


中国の故事に因んだ極彩色の透かし彫りの欄間。

 
中国の文人や楽人などの彫り物が多く見受けられます。
武尊神社の彫刻物は保存状態が厳しく、是非とも今の内に修復したいものです。


社殿正面の二本の腕木には見事な龍体か絡み付き、見上げる参拝者を驚かせます。
 
利根・片品の山村である川場村武尊神社では江戸期の神社様式と華麗な彫刻を見る事が出来、往時のこの地方の信仰の厚さを物語っているようでした。
神社近くにある川場温泉(いこいの湯。300円)で旅の疲れを癒しながら次なる名所へ・・・。


2009 02 24(火)  前橋市  最高気温5℃

おまけコーナー。

回転寿司のベルトから見た動画。
Lost in a moment - Tokyo


第402回 群馬県川場村 古刹・吉祥寺 下巻。

2009-02-20 20:20:20 | 旅行

2009 02 11(水・祝日)

群馬県利根郡川場村の名刹吉祥寺の山門と釈迦堂など拝見してから更に参道を進みます。

吉祥寺の山内はいたる所から美味しそうな清水が湧き出しています。
 
清らかな湧水が手洗い場になっていました。

温暖化で少なくなったを集めて飾った石像が可愛いらしい。
 
野仏のような可愛い六地蔵もあります。

吉祥寺本堂の手前に大きな鐘楼です。 豪壮な造りで大きな梵鐘は一突き100円也。
 
本堂前にある銅像は清楚な姿の聖観音立像

参道の正面に吉祥寺の本堂、右手の建屋は庫裏です

春駒まつりを見物する人達で本堂入口は混み合っていました


なかなか爽やかな佇まいの吉祥寺前庭

茅葺き屋根の釈迦堂と本堂の間には石庭がありました

名付けて“臥龍の庭”。 武尊岩と小石と杉苔で作った枯山水。水の流れ雲の動きに横たわる龍を現しているそうです

吉祥寺本堂(1675年・延宝3年再建立)の内陣を拝見
 
本堂の一番奥に鎮座する御本尊様は蓮華に座した虚空蔵菩薩でしょうか・・・?
青龍山吉祥寺は南北朝時代の暦応2年(1339年)中巌円月禅師を開山和尚として、大友氏時が創建した鎌倉建長寺を本山とする臨済宗の名刹です


建長寺派400余ヶ寺の一番北に位置するので、建長寺の北の門とも呼ばれています

本堂を取囲むようにが配置されていますが、暖冬で氷結していません
 
池の奥から流れ落ちる滝は不動滝。 大きな石を積み重ねた小山の最上部から流れ下るのは豪快な昇龍の滝

本堂の裏庭にある大きな池には二段の滝が流れています

この滝の名は“青龍の滝”と名付けられ、別名が出逢いの滝と云い吉祥寺にまつわる伝説にも登場します

この絵は伝説の姫様“河波姫”。

河波姫(かわばひめ・利根局)は藤原時代この地方を治めていた領主・波多野四郎の娘、流浪時代この地を訪れた源頼朝との間に生まれた子が大友能直(豊後大友氏の開祖、末裔に大友宗麟。)で、鎌倉幕府創立後に赤城へ鷹狩りに来た頼朝が探しあぐねた末に青龍滝で河波姫との再会を果したと言う伝説です
川場村の川場って河波姫から名付けられたのかも・・・?

その後豊臣秀吉によって九州豊後に移封されるまでこの地方は大友氏の領地でした、豊後に移った大友家から吉祥寺に財政的援助が続き山奥の青龍山吉祥寺は大友家の庇護により名刹としての地位を築いたのです。 

本堂の欄間を飾る透かし彫りは見事な出来栄え


極彩色で彩られた賢人仏僧が名工の手によって鮮やかに活き活きと掘り込まれています

吉祥寺裏手の小高い山の頂上へは急傾斜の石段
 
頂上には養蚕に御利益が多い金甲稲荷神社がありました。
今日は春駒まつりの日で、お賽銭を入れると春駒クジが貰えるのです。
大人も子供もクジ引きで大喜び!!

 
金甲稲荷大明神様もこの春駒祭りの日ばかりは大賑わい・・・

金甲稲荷から下って吉祥寺本堂そばにある古月庵でランチタイム
 
キノコそば(630円)で空きっ腹を満たしてから春駒まつりの追っかけに・・・

川場村吉祥寺は見応えのあるお寺です、春うららの花咲く頃に訪ねては如何でしょうか・・・。

次回は川場村北辺部の名所をご案内

2009 02 20(金)  前橋市  最高気温14℃

パンくずで魚を捕る賢い鳥。
Amazing Bird Fishes Like A Human


第401回 群馬県川場村 古刹・吉祥寺 上巻。

2009-02-18 18:18:18 | 旅行

2009 02 11(水)

群馬県利根郡川場村の奇祭・春駒まつりの奉納会場となった古刹・吉祥寺の紹介。

吉祥寺の参道脇に大きな岩うぃ積み重ねて造った池と滝がありました。
滝の名は「丈六の滝」、背の高い岩から清水が流れ落ちています。池は「円月池」、丸々肥えて美味しそうな鯉が・・・・。

 
2月11日と云っても水ぬるむ春近しですね、水中からザゼンソウ新芽が・・・。
この吉祥寺は春から秋に掛けて山内に美しい草花が咲き乱れるので別名を花の寺とも呼ばれています。


春駒まつりの露店などが立並ぶ参道を辿ると、吉祥寺の大きな山門に出会います。
 
この山門は1815年(文化12)に建立され、二階軒下には後光厳天皇の直筆になる「青龍山」の勅額が掲げられ、寺の格式の高さを物語っております。

山門の楼上には十六羅漢文殊菩薩を中心にして左右に安置されていました。

ホコリを被っていましたが、木彫の16体羅漢像は整然と並んでいます。

中心に安置された文殊菩薩像。金箔の光背が鮮やかな見事な造りです。
ボケた頭に智恵が授かります様に祈願しながら撮影致しました。


吉祥寺山門の頑丈な重層造りの木組みも見応えがあり、四隅には獅子なども彫られています。
 
山門楼上から見た参道。春駒踊りの見物人が三々五々吉祥寺本堂へ・・・。

山内では沢山の尊像に出会いました。
カラフルな色彩の陶製の弁財天は朱塗りの小さなお堂に鎮座。

 
岩上の大きな銅製仏像は延命地蔵。 健康で長生きしてコロリと逝きますようにお願いしました。

吉祥寺本堂への参道脇には数々の石像も見られます。
仏教説話に登場する悪人を厳しく裁く閻魔大王(みそなめ爺)。
三途の川で死者の衣を奪う奪衣婆(みそなめ婆)の苔生した石像。
みそなめ爺婆の口に味噌を供して極楽往生を願い信仰心を集めた石像ですね。
昨秋に訪ねた「味噌なめたか」で有名な新潟の名刹関興寺も吉祥寺と同じ宗派(臨済宗)で、禅宗ですから味噌に関した寓話が多いのでしょう・・・。

  
山門の側に巨木があります。 天然記念物に指定されている姫小松の大木。
高さは30mほどもあるでしょうか・・・樹齢は400年余と云われ川場村のシンボルにもなっています。


吉祥寺本堂への左側に古びた茅葺きの御堂が建っています。
このお堂は釈迦堂と呼ばれ、1790年(寛政2年)の茅葺き寄棟建築。

 
釈迦堂の左壁に大きな経板。 経板の表面には48世智顕英行和尚の直筆になる般若心経が彫り込まれた日本一の大経板です。
縦3m60cm 横幅1m80cm 厚さ12cm 畳4畳分もある大楠木の一枚板。


釈迦堂の御本尊は釈迦如来像(中央) 向って左に普賢菩薩像 右は文殊菩薩像。
釈迦如来像は吉祥寺創建当時の仏像で鎌倉後期の作られ、身長約1m 桧の寄せ木造りで重要文化財に指定されています。


向って左の白象に乗った普賢菩薩と獅子に乗った文殊菩薩は共に江戸期の名作。
釈迦三尊像の両奥の僧侶像は中興開山の禅師。左は34世天嶺慧鑑和尚 右が30世万源恵詳和尚の木像。両木像ともに県の重要文化財です。


群馬県北の片田舎・川場村にこれほど立派な寺院が存在しているとは全く知りませんでした。 人には会ってみよ、物は見てみよ・・・って本当ですね。

次回は川場村吉祥寺の下巻。

2009 02 18(水)  前橋市  最高気温9℃ 寒し。

日本の恥! 人類の恥! 中川金融財務大臣の酒酔い記者会見
100年に一度の経済危機に泥酔で世界に恥を晒した中川昭一(自民)は議員も辞職すべし!



超高層ビルのクレーンで懸垂。(高所恐怖症の方は見ない方がいいかも・・・)
http://www.dailymotion.com/commented/search/grue/video/x45wyz_trois-abrutis-font-des-tractions-en_extreme


第400回 奇祭 群馬県利根郡川場村 春駒まつり。

2009-02-13 17:59:45 | 旅行

2009 02 11(水・祝日)

「冬の京都の旅」は小休止し、今日は群馬県の沼田市の北に位置する利根郡川場村の伝統行事を紹介します。

この行事は“川場村 春駒まつり”と呼ばれる春を告げるお祭り。

午前の時頃から地元の集会所に集まった男性達が化粧や着付けを凝らして、明け方の時から川場村門前地区の家々を巡回して唄い踊るお祭なのです。

谷川岳を間近に望む厳寒の川場村、とても朝の6時から祭見物は出来ません。
川場村役場に問い合わせると「11時30分頃に一旦、村の吉祥寺に戻って春駒踊りを奉納する」との由。
それに合わせて前橋市から出発! 途中の川場村道の駅(川場田園プラザ)でコーヒーなどで体を暖めて近くの吉祥寺へ・・・。

吉祥寺の門前にはダルマ売り露店や地元名産品の販売所なども出ていました。
軽く焼いて串に刺した初午団子(50円)やけんちん汁(100円)など美味しくて人気を博していました。

吉祥寺門前の参道には春駒の雪洞(ぼんぼり)。
春駒祭はこの吉祥寺の裏山にある金甲稲荷神社の祭日に奉納されるお祭りとも云われています。
 
11時40分に春駒踊りの若衆たちが午前の集落巡回を終えて吉祥寺に到着。
先頭で入って来た母様役は人手不足で本当の女性が役者を担っているのかと思うばかりの美しさ!

吉祥寺本堂の内陣も綺麗に片付けられて春駒踊り御披露の準備万端。
 
本堂の片側には観客やカメラマン達がびっしりと・・・。
待つ間もなく正午から春駒踊りが奉納されました。

母親役が団扇太鼓(うちわだいこ)を叩きながら「さーさー、 のりこめ はねこめ・・・春の初めの 春駒なんぞ 夢に見てさえ よいとや申す 年もよし 蚕飼(こがい)もよいし・・・」と養蚕の一部始終を物語風に織り込んだ「春駒の唄」を唄い始めます。
  
男性とは思えない可愛い美人でしょ!?

人様のご迷惑をも顧みず、斜め正面に移動して春駒踊りを拝見します。

手前に座っているのがおっとう(父)親役、後ろでうちわ太鼓を叩いているのはおっかあ(母)役。
踊っている人が踊り子(娘)役です。 なんと全部が男性なのです。

動画をご覧下さい。(逆光で暗いですが・・・。)

川場村 2009 春駒祭 1.  P1550287


昼の食事が終わり、午後の集落巡りに出発。
 
娘役の手には(駒頭)人形の頭が・・・。を持ってに踊るので春駒ですかね。

おっかあ役も娘役もいずれ劣らぬ美人ぞろいです。
 
吉祥寺の本堂から元気良く、川場村門前地区の集落へ・・・。

集落の一軒ごとにお邪魔して角付け踊りをご披露致します。
  
踊り子の娘役もマジに見ると弁慶か・・・!?

春駒祭の動画二弾目。

川場村 2009 春駒祭 2.  P1550477


川場村門前地区の農家の庭先を通って次なる家へ辻々を練り歩きます・・・。

晴れた空の下、集落ではうちわ太鼓が甲高く良く響き渡ります。
 
ほとんどの家では奥まった床の間か神棚に向かって舞うので踊り子の後姿ばかりしか見られませんが、この家では何とか斜め前から拝見することが出来ました。
先端にを付けたショール風な布を揺らしながら、手先ので拍子をとって踊ります。
涼やかな鈴の音47番までもあると言う春駒唄、のどかな田園に情緒タップリな春告祭になりました。

春駒祭の三弾目動画です。

川場村 2009 春駒祭 3  P1550529


 
踊り訪ねた各家では金一封御神酒が振舞われていました。
唄い踊るごとにお酒ですからアルコールに強くないと務まりませんね。

春駒祭の第四弾目をご覧下さい。

川場村 2009 春駒祭 4  P1550445


おっとう(父)役は何杯もの日本酒でヘベレケ状態!(一巡で約2升の酒を呑むそうです) 千鳥足で廻る肝臓勝負の春駒まつりです。
 
川場村の春駒祭は明治時代にこの地区で養蚕豊作を祈って舞っていた旅芸人の親子が来なくなってから大不作に見舞われたので、大正時代になって村の若衆が旅芸人の踊りを真似て豊作祈願や家内安全を願う踊りを行うようになったのが起源とか・・・。


今年は温暖化の影響か全く雪が無い暖かな農道を歩いて巡ります。

おっとう(父)が担いでいる大きな布袋の中は50cmほどの桑の小枝と御祝儀袋。
この桑の小枝で太鼓を叩いた後で金の色紙を結びつけて踊った家に差上げます。
この小枝を神棚に供え、養蚕時に蚕室へ飾るとがあたると言い伝えられています。

 
二手に分かれて集落を訪ねた春駒踊り芸人は地区内の造り酒屋(永井酒造)のレストラン(古新館)に合流し舞台で踊りを披露して、その後また門前地区の飛び地へ向かいました。

早朝から門前地区の130戸を唄い踊って酒を勧められる重労働の祭行事で、夜中の1時に集会所で化粧・着付けをし、早朝の時から午後時まで集落の一軒一軒を地元の若者が女装して踊る奇祭として平成11年に文部大臣表彰を受賞しました。

利根上流の川場村の一風変わったお祭り“春駒祭”は養蚕豊作・五穀豊穣と家内安全を祈願しつつ、本格的な春を呼ぶ迎春祭なのです。
また、養蚕の守護神の金甲稲荷神社でお賽銭を入れるとお徳な福引が頂けるオマケまで付いた有難いお祭りでもあります。

来年の2月11日には皆様もぜひ川場村春駒まつりをご覧になって下さい。

2009 02 13(金)  前橋市  最高気温12℃

おまけコーナー。


明日はバレンタインの日。 チョコフォンデューなどいかが・・・。


ねこ好きな方はどうぞ・・・。
Lolcats song


第399回 2009 京都冬の旅 貴船神社奥宮。

2009-02-10 18:18:18 | 旅行

2009 01 20(火)

貴船神社の本社での参拝を済ませ、更に上手に鎮座する奥宮へ・・・。

貴船川で初夏から開かれる川床の料亭が立並ぶ貴船街道を遡ります。

貴船神社奥社への参道は雪が積もり、厳寒の貴船の杜の風情満点でした。
 
真っ白な参道上に突如として現れた朱塗りの楼門
楼門横の石碑には「史跡・貴布祢神社」と彫られていました。
貴布祢・気生根・木生嶺・黄船・貴舩・貴船・・・いろいろなキフネがありますね。


楼門を入ると雪一面の広い境内。 日中と云えどもお参りする人が誰もいません。
 
雪の境内を本殿に続く一筋の道の左手に小さな社(やしろ)と二又の杉
説明文には“連理の杉”と言い、別々の杉と楓が和合した珍しい木とありました。
連理は夫婦・男女が仲睦まじい姿を言います。この“連理の杉”は貴船神社奥宮の御神木になっています。

貴船神社奥宮本殿の直前に雪で取囲まれた寒々しい姿の舞殿が建っていました。

真冬ですから訪れる人も無いのでしょう、木立に囲まれてひっそりと・・・。

舞殿の真後ろに貴船神社奥宮本殿がありました。

斜め格子戸の直ぐ向うが本殿ですから、拝殿は見当たりません。
普通の神社は正面が拝殿、その奥に本殿がありますから。珍しい形式です。
御祭神は貴船神社本社と同じくを司る高龗神(たかおかみのかみ)。

白木造りの小ざっぱりとした本殿。 両開き扉の前に立てられた金の御幣がキラキラと輝いていました。
 
貴船神社奥宮本殿を斜めから拝観した写真です。 有名な割には意外と小さな御社でした。

本殿の横に小判型の石積みが見受けられました。
立て札には「船形石(ふながたいわ) 神武天皇の母神様・玉依姫が大阪湾より、水源を求めて黄色の船(黄船)で鴨川を遡り、上流の貴船川のこの地に到った。 乗って来た黄船を人目に触れぬように石で囲んでここに隠した」と記されていました。
この黄色い船・黄船が貴船の語源かも・・・・?
 
石囲みの船形石の周りには小さな御社が幾つか建てられています。
玉依姫の御霊と黄船をお祭しているのでしょう・・・。

貴船神社奥宮の参拝も済ませ、玉依姫が求めた水源(貴船川)を見物。
現在は浅くて小さな清流ですが、玉依姫の黄船の船体規模から推し量ると古代は相当な水量があったと思われます。

ここまで来ると貴船川の狭い河原も白一色の雪景色です。
誰も居ない貴船神社奥宮の参拝をして清らかな気持ちで次なる観光地へ・・・。
(貴船神社中社と呼ばれる結社は時間の都合でカットしました。)


次回は“鞍馬寺”と八坂の料亭“中村楼”の巻。

2009 02 10(火)  前橋市  最高気温14℃


車を水槽に・・・。(バンコックのショッピングセンター)
http://www.metacafe.com/watch/938944/car_aquarium/


第398回 2009 京都冬の旅 貴船神社。

2009-02-07 16:55:40 | 旅行

2009 01 20(火)

前日までの大阪から本20日は冬の京都の探訪です。


宿泊の京都ホテルの部屋から見た薄曇の東山方面。 

しっとりと凍みて肌寒い古都。いっそこと寒さついでに洛北へ・・・。

午前中に訪ねた名所は“貴船神社”。
京都市内から車で25分程で,梶取橋の袂に建つ、朱塗りの大鳥居が見えてきました。(貴船神社一の鳥居。横の石碑には「官幣中社 貴舩神社」)
 
そのまま貴船街道のなだらかな坂道を上ると右手に清流・貴船川が流れ落ちてきます。
夏になるとこの川の上に木製の床を設えて有名な“川床料理”の場所になります。
真冬ですから川床は撤去されて貴船川本来の姿が見られました。

一の鳥居からまもなく川床料理店街の中程に二の鳥居
鳥居からは石段が続き、その両側に朱塗りの灯籠が並び厳かな景観を見せています。
 
石段を昇りきると提灯を張った白木造りの“神門”が快く迎えてくれました。

拝殿下の少し狭い境内に手水舎と馬の銅像があります。
ここで手と口を清めて参拝の準備。
 
躍動感あるの銅像はこの貴船神社が“絵馬”の発祥地なのを記念して建てられた由。
横の立板には「貴船神社は古来より雨乞いの神社で、旱天(ひでり)に黒馬、霖天(ながあめ)には白馬を献じて祈願した事から、生き馬の代わりに板に馬の絵を描いた「板立馬」を奉納し・・・」と書かれていました。
その板立馬が現在に伝わる「絵馬」になったと云われるので、貴船神社が絵馬の起源地なのだそうです。

古の大宮人が加茂競馬の勝敗を祈り、源義経が源氏再興を絵馬に祈願したのも貴船神社絵馬だったそうです。
競馬の神様でしょうか・・・?

今年の干支は。 牛の絵馬が沢山奉納されていました。
もちろん、馬の絵馬もありましたよ。
 
紫式部か清少納言でしょうか、それとも小野小町・・・? 
十二単の衣装が鮮やかです。(女流歌人の和泉式部でした。)

御神門の脇には貴船神社の御神木「」。
樹齢400年余、高さ30mの大木です。
大地にしっかりと根付いた御神木からは気エネルギーが感じられます。
貴船は古来、気生根・木生嶺と云われ、大地の気エネルギーが満ちた土地なのです。
 
拝殿前の社務で売っている絵馬。マンガちっくな馬顔が可愛い・・・。
「何事もうまくいく絵馬」って面白いですね。


社務所の横には鬱蒼とした森林の奥に湧いた清水が断崖石垣の間から流れ滴っています。
 
この清水は貴船神社の御神水とか。 御神水の流れに占い紙を浸して浮き出る文字で運勢を占うのです。
水占斎庭」(みずうらゆにわ)と言う遊び心いっぱいの水占い・・・。


木の香りも漂う貴船神社拝殿。 まだピカピカの白木造りですから数年前に新しく建て替えたのでしょう。

所々に雪がある冬の貴船神社は訪れる人も少なく静寂そのものです。
静かな佇まいには荘重で神秘的なな趣が感じられました。

ちょっと失礼して拝殿内部を撮影です。

白木の拝殿内部は明るく爽やかな雰囲気。
正面の上段には丸い鏡が置かれているだけのシンプルさ・・・。
主祭神は“高龗龍神”(たかおかみのかみ)。の供給を司る神様です。
平安時代の勅願社22社の一社。全国に2000社の分社があるといいます。

恭しく拝殿に額ずいて読者皆様の平穏を祈願の後、境内を拝見。

石垣の上に貴船本殿が・・・こちらも新しく造営されていました。
お参りのGALたちも絵馬に願い事を記入して・・・。
古来より貴船神社に丑の刻詣りして祈願すれば願い事は叶うと云われています。
実際、平安人は盛んに夜詣りしていたそうで、和泉式部は貴船神社の結社で夜祈願を行い、別れていた夫との復縁が叶ったのでした。

本殿の後ろ側の後門から厳かに退出です。
 
冬の清々しい貴船神社を心置きなく参拝してから、更に奥の貴船神社奥宮へ・・・。

次回は貴船神社奥宮の巻。


2009 02 07(土)  前橋市  最高気温10℃ 無風。

フリーダムなキリスト様。 ノーヘルハーレーで布教とは・・・!!

Fishermen, Inc. on ABC News


もし、神がプログラマーだったら・・・。⇒ ここクリック。


第397回 群馬県伊勢崎市 豊武神社 第98回追儺節分会。

2009-02-03 18:51:43 | 旅行

2009 02 01(日)

伊勢崎市の神社で少し早めの節分会が行われました。
場所は伊勢崎市大正寺町272. 伊勢崎市民公園の南側です。

会場の豊武神社には午後時からの豆撒きに既に沢山の人々が集まっていました。
寒風にもかかわらず節分会を祝うかのように天気は大快晴の「豊武晴れ」!

先ずは大きな注連縄(しめなわ)が印象的な豊武神社拝殿に額づいて参拝します。
主祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)というから応神天皇のことですね。
 
武神社は近郷に在ったっの神社が明治年に一つに合祀して誕生した村社です。
豊武神社の名前の由来は以前のっの神社在った地名の「富塚」「除ヶ」「大正寺」「下道寺」から一文字づつ取ってトヨタケ(豊武)としたそうです。単純で合理的すが権威ありそうな立派な名前に改名しましたね。


可愛らしい赤鬼の絵馬を見つけました。世界中の「厄除 開運」を早めにお願い致します。
 
豊武神社拝殿の斜め奥に天満宮がありました。勉学の神様の菅原道真公もお祭りしているのです。 
絵馬の五歳頃の道真公が可愛いいです。
美しや 紅の色なる 梅の花 あこが顔にも つけたくぞある」と五歳で詠んだそうです。 
天才ってのは素晴しい!! 「栴檀は双葉より芳し。」ってね。

豊武神社の節分会は「大人の成人式」とも呼ばれ、近郷・町内の人々が祝福を兼ねて駆けつけ、境内は多数の老若男女で賑わっていました。

周辺4地域の年男たちが裃袴の正装姿で福豆を撒く慣わしです。

先ずは年男会の会長が威勢良く福豆を撒き、第98豊武神社追儺節分会が始まりました。 
赤鬼も豆をぶつけられて大騒ぎ!
 
年男たちに混じって若い巫女さまも撒き始めました。
 
節分の豆撒きって見ているだけでも気分が爽快になります。

豊武神社拝殿の横に建つ“神楽殿”からも同時に豆撒きが行われました。

年男たちが撒く福豆と菓子が空高く舞い上がっていました。こちらには青鬼が・・・。


筆者も撮影しながら必死に菓子を拾い集めました。結構メタボの運動にもなりますよ。

10分程で節分豆撒き終了。 続いてはアトラクションの部。
 
久し振りに“フーテンの寅さん”(野口よういち氏)に出会いました。 最近お眼にかからないと思ったら、伊勢崎で子供達相手に風船売りしてたんですね。
更に続いて“歌マネショー”です。 有名歌手の物真似で上手に歌を披露していました。


今度は鮮やかな半被姿の小さな子供達の出番です。

小さな体で一生懸命に叩いたのは和太鼓の演奏。 
太陽保育園の児童さん達で、親御さんが我が子の晴れ姿を熱心に撮っていました。


境内に設置されたテントでは福引の抽選会が開かれていました。
福引は一回300円で空クジ無し。(ハズレでも約300円程の必需品)

 
カップスターやクリネックスや米などの生活密着品が景品として山積みされていました。
特等は薄型TVやブルーレイレコーダーとか・・・豪華です。


午後時から再び神社での豆撒きが行われます。豆撒きは全部で回との事。
  
妻と頑張って獲得した戦利品です。 福豆も一合ほどGet'sしました。
楽しく遊べて運動にもなる「豊武神社の豆撒き節分会」に皆様もぜひ参加してみては如何でしょうか・・・。 (2月最初の日曜日開催)


2009 02 03(火)  前橋市  最高気温14℃ 春みたい・・。


ハンドル・ブレーキにご注意!!
Lada - The best car in the world


第396回 大阪 夫婦善哉 法善寺横町。

2009-02-02 19:14:22 | 旅行

2009 01 19(月)

法善寺の水掛不動様をお参りしてから、不動様の隣にある有名なお汁粉屋さんへ・・・。
 
訪ねたその店の名は「 夫婦善哉 」。(明治の創業時の名は「お福」)
 
中途半端な時間帯だったのでしょう、店内にはお客様は誰も居ません。

この店を一躍有名にしたのは作家の“織田作之助”氏。
 
戦前に描いた「夫婦善哉」の本が大ヒットし、法善寺にあるこのお店もあやかって大繁盛しました。 小説「夫婦善哉」は ⇒ ここクリック。

夫婦善哉の店に入って早速「善哉(ぜんざい)」を注文。
厳選された丹波小豆の粒あん汁白玉が真ん中に浮いていました。


一盆に二椀のぜんざいで夫婦の一人前です。 (値段は800円と少し高め。)
甘い「ぜんざい」を味わいながら塩昆布で口直し、なかなか味覚のバランスが取れています。

店内の壁には様々な有名人の色紙が飾られ、夫婦善哉の繁盛振りが偲ばれます。(映画「夫婦善哉」で主演の淡島千景さんの色紙)

 
女店員が記念写真を快く撮ってくれます。(カメラに向かってハイ、チーズではなくて、ハイ、ゼンザイ!でした。) 男二人で甘い善哉を食べるってのも問題かな~?


男には少しツライ二椀のぜんざいを食してから、法善寺・水掛不動の一本北の法善寺横町の見物へ・・・。

法善寺横町はご覧の通りの狭い道筋です。 3m程度の道幅です。
 
左右から覆い被さるような圧迫感です。 法善寺横町の道端にはこの横丁に縁がある石碑が所々に建っています。

昭和30年代でしょうか? 藤島桓夫が唄って一世を風靡した「月の法善寺横丁」の記念歌碑。 作詞・十二村 哲 作曲・飯田景応の名曲でした。
 
板前さんとお店のこいさんとの恋と修業の物語ですね。
「包丁一本、晒しにまいて~ 旅へ出るのも 板場の修業~ 待ってて こいさん 哀しいだろが ああ若い二人の 想い出にじむ法善寺 月も未練な 十三夜~。」

小説「夫婦善哉」で名を馳せた織田作之助の石碑もあります。
 
碑文には「行き暮れて ここが思案の 善哉(よしや)かな」と・・・。
大阪市出身の織田作之助は大阪の市井人情を温かく書き起こし、出世作「夫婦善哉」など多くの名作を残しながらも、昭和22年1月10日に「土曜婦人」を新聞に連載中に結核で34歳の若さで病没・・・。(大阪を愛した作之助らしく十日戎が命日となりました。)


法善寺横町には近年建てられた石碑も・・・。
阪神神戸大地震の慰霊と復興を祈念した“慈悲地蔵尊”。いつも花が絶えないそうです。
 
吾 知 唯 足」の井戸です。 金と物の欲望が渦巻いている世の中に清々しい言葉ですね。これが一服の清涼剤・・・。
でも、なかなかこの境地に達せられないのが凡人の現状です。


心斎橋・道頓堀から法善寺と大阪のミナミ界隈の名所を楽しく散策して再び御堂筋線で新大阪方面へ・・・。

2009 02 02(月)  前橋市  最高気温11℃ 無風温暖。


10秒でゆで卵を剥く方法。
最初に卵の尖っていない方の殻をむきます。次に尖っている方を少しむき、尖っている方から息を吹き込むみたいです。
Peeling eggs


に漬けておくだけで透明な卵にする方法
ここクリック。