ツトムさん家の写真日記。

写真いっぱいの楽しい日記です。(全面表示でご覧下さい)

第551回 松代市 真田十万石祭り 2010年 下。

2010-11-26 19:07:00 | 旅行

2010 10 10(日・体育の日)

“松代城築城450年 真田十万石祭り”を楽しんだ後、松代市に在る真田家由来の旧跡など簡単に見学。

先ずは、人々の出入りの多い“松代藩文武学校”。
江戸時代の形式になる文武学校正門を眺めてから玄関へ・・・。
 
正玄関の前では昔の衣装で餅つき行われて楽しそうな光景でした。

時間的に忙しいので文武学校はそこそこに、次なる古跡の“樋口家住宅”へ・・・。
樋口家は目付役などを勤めた230石取りの上級真田藩士の邸宅。
 
茅葺き寄棟造りの素朴ながらどっしりとした構えの母屋は江戸時代の1800年頃に建てられたと推定されます。

延べ床面積は40.6坪の平屋建て、南側には池を中心とした瀟洒な庭園がありました。

白壁が続く松代の街並みに秋桜(コスモス)の花が彩りを添えていました。


更に、見学したのは、真田家の新御殿と呼ばれた“真田邸”。(入館料200円)
左右に長屋が付いた重厚な冠木門(かぶきもん)が印象的です。


冠木門脇の木戸から入館し、入母屋屋根に式台付きの正玄関から新御殿に上がります。
 
9代藩主・真田幸教が義母・貞松院のため、元治元年(1864年)に建て、新御殿と命名しました。
その後、幸教の隠居所として使われ明治維新後は真田家別邸となったそうです。
木造一部2階建て510坪の建屋内は沢山の部屋に別れ、順路板が無ければ迷うほどでした。

広々とした江戸末期の庭園が残る御殿建築は全国的にも珍しいとか・・・。


真田邸(新御殿)の後、近くにある“池田満寿夫美術館”へ・・・。
入館料は700円と少し高め、館内は撮影禁止でした。
  
直ぐ傍の“真田宝物館”脇の銅像などご覧下さい。
武士姿の立像は江戸時代の経世家として有名な“恩田木工民親”(おんだもくたみちか)。

享保2年(1717年)松代に生まれ、30歳で家老職に抜擢され、41歳のとき6代藩主・真田幸弘に藩政の建て直しを命じられます。
恩田民親は正義を政治の基本とし、倹約を徹底させ、納税法の改正、荒地の開墾、養蚕などで殖産興業を図り藩政の改革を成功させました。

また、庶民の楽しみとして詩歌・音曲など芸能も奨励し民生の安定にも尽力し、その業績は「日暮硯」(ひぐらしすずり)の書により全国的に有名となります。

松代町の名所旧跡を簡単に見物し、5km程の場所に聳える霊峰“皆神山”へ・・・。

稲刈りの終わった田畑の正面が皆神山、右の尖った山はノロシ山
近年、皆神山は世界最古にして最大のピラミッドとして巷に喧伝されている標高659mの独峰。
近年では1965~71年にかけて頻発した松代群発地震の震源地として、当時は有名になりました。
30~35万年前に粘性の高い安山岩の噴出で盛り上った溶岩ドームの里山。

第二次大戦末期に本土決戦のために皆神山と隣接する象山舞鶴山には皇室や政府・大本営が移転避難する地下施設として、総延長約10kmものトンネルが掘られ、幾多の朝鮮人たちが過酷な掘削作業のために殺された霊山でもあります。

その昔、皆神山は群神山とか水上山とか呼ばれていましたが、江戸時代の慶長年間から今の皆神山に名が統一されたそうです。

皆神山中腹の道路脇にある天照大神を祭る“岩戸神社石室”に立ち寄りました。
 
円墳形式の石室で「岩戸神社 皆神山ピラミッドの入口」などと書かれた古びた看板が立てられていました。

皆神山ピラミッドの玄関口、薄暗く神秘的な内部に潜入します。
 
内部は大きな積み石に囲まれた石室(玄室)。一番奥には天照大神を祭った簡素な祭壇が置かれていますが、古代この地方を支配した権力者の古墳かと思われます。

皆神山ピラミッドへの扉はいくら探せど見つかりませんでした・・・残念。

岩戸神社石室から更に上ると「皆神山」と山号が書かれた扁額が掲げられた立派な木造の山門に到着、その右横に無料P場あり。
山門の右前にはとって付けた様な「皆神神社」と刻まれた石標柱。
 
山門には仁王様ならぬ随身像が有りましたから神社の楼門(随身門)なのでしょうか?

山門(楼門)をくぐると参道の正面に仏教寺院の本堂が見えてきます。
 
でも、内部には「侍従大神」と額が掲げられ神社の拝殿様式です。
建物は全てお寺形式、内部は神社形式、何でもありの神仏習合の見本を垣間見るようです。
歴史を辿ると奈良時代の養老2年(718年)に出速雄神社を勧進し、後に仏教が広まると皆神山大日寺と仏教寺院となり、明治時代に神仏分離令で再び神社になった目まぐるしい社寺なのです。

この本堂形式の建物は昔は侍従坊と呼ばれた寺院で侍従大神と神社名に改称したのです。
侍従大神は「安産・子育て・長寿・火防の神様」として尊崇されています。

皆神神社の絵馬は定番の学業の神様・菅原道真公
 
御璽札御朱印など霊力ありそうな紙札も販売中。

侍従大神を祭る拝殿から杉林の奥に進むと小じんまりとした御社が・・・。
この御社は熊野出速雄神社(くまのいづはやおじんじゃ)の本殿と云い、最初に勧進した出速雄命を祭る社(やしろ)です。
 
境内の至る所に摂社・末社が祭られ全てに手を合わせる時間がありません。

更に登ると、何故か出口王仁三郎の筆になる地質学上  世界の中心山脈の十字形せる 珍の神山 聖地に些しも違はざる 尊き神山 皆神の山と彫られた石碑が置かれていました。

出口王仁三郎は確か京都・綾部市に本部を置く大本教の二代目教祖で戦前には大本教を日本有数の教団に育て上げますが、関東大震災や大東亜戦争の敗戦など予言し、不敬罪や治安維持法などで軍部と警察により大弾圧され壊滅寸前の憂き目に会った大本教の傑物教祖でしたが、この皆神山に登り神の啓示を授かったのでしょうか・・・。
なを、戦後有名になった新興宗教の多くは大本教から分派したのです。

皆神山山頂付近にも小さな(ほこら)が鎮座しています。
近づいて見ると覆屋で囲まれた小さな石造りの(やしろ)でした。
 
この御社には名前などの額はありません。地図上では浅間神社と記されていましたが、熊野出速雄神社の奥社かも・・・。

その奥社裏を覗くとそこにはゴルフコースが・・・。
神社裏の山頂一帯は芝生が敷き詰められた皆神山ゴルフコースだったのです。
 
皆神神社楼門横にひっそりと佇む池は天然記念物“クロサンショウウオ”の産卵地とか、数少ない希少生物は大切に・・・。
山頂近くに水の湧き出る池があるとは摩訶不思議?

皆神神社とはこの山に八百万の神々が集う聖地として名付けられたそうです。

暮れなずむ松代町を眼下にして皆神山を下り、高速道で前橋市への帰路を急ぎました。


2010 11 26(金)記。  前橋市  最高気温18.0℃

おまけコーナー。

”墨俣の一夜城”の秀吉もビックリ!!
15階建てホテルを基礎から内外装まで全て6日間で完成!(中国湖南省長沙市)
Ark Hotel Construction time lapse building 15 storeys in 2 days


第550回 松代市 真田十万石祭り 2010年 中。

2010-11-22 20:37:30 | 旅行

2010 10 10(日・体育の日)

松代城から出陣した真田十万石祭り武者行列は旧松代藩の城下町(市街地)へ・・・。

武者行列の道筋にある大きな和風作りの旅館「梅田屋」(うめたや)は江戸時代から続く由緒ある老舗宿。
 
梅田屋の軒先に立つ「二十番碁大局の地」石碑は江戸時代後期の嘉永4年(1851年)に日本最強のアマチュアと謳われた松代藩士・関山仙太夫とプロ最強の本因坊秀策が旅籠「梅田屋」で20日間連続して対局した記念石碑。

梅田屋前の路上で幕末期の大砲の発射演武が行われ松代市街地に大轟音が轟きます。
 

松代町市街地で行われた大砲発射演舞をご覧下さい。
真田十万石祭り 2010年 6. CIMG8653 大砲ムービー.wmv


続いて、武芸演武が登場。
真剣を引っ下げての居合い抜きや巧みな棒術が見事です。
 

武芸演武の動画をお楽しみ下さい。
真田十万石祭り 2010年 7. CIMG8657・59・60・63・62ムービー.wmv


松代藩城下を真田十万石祭り武者行列が堂々と練り歩きます。
 
高坂弾正昌信(鷲澤市長)も少々お疲れ気味か・・・?

真迫せまる面魂の武者! いざ、合戦へ・・・!
 
武田軍と上杉軍も遺恨を水に流して一緒にパレード!

 

真田十万石祭り武者行列動画をご覧下さい。
真田十万石祭り 2010年 8. CIMG8675・77・79・82・84ムービー.wmv


武者行列で一番目立ったのは豊臣方への義を貫き徳川方を翻弄した“真田左衛門佐幸村”。


大阪城甲冑隊の威風堂々たる行列行進に拍手喝采!
 

武者行列動画をご覧下さい。
真田十万石祭り 2010年 9. CIMG8686・90・91・93・8701ムービー.wmv


松代藩最後の10代藩主・真田幸民(ゆきとも)は人力車で行列を追います。


大名行列の先払い組は裃(かみしも)に威儀を正して「下に~ 下に」と先導役を勤めます。
 

槍振り奴の道中パフォーマンスをお楽しみ下さい。
真田十万石祭り 2010年 10. CIMG8712・13・18・19ムービー.wmv


国道403号線が直角に曲がる場所で再び武術の演武が披露されました。
 

旧7イレブン前の国道で立ち会われた武芸演武をご覧下さい。
真田十万石祭り 2010年 12. CIMG8739・40・41ムービー.wmv


真田松代藩の初代藩主“真田伊豆守信之”と正室“小松姫”は家臣団を従え凱旋帰陣へ・・・。


国道には「これより松代城下 松代藩真石田十万まつり」と記された城門(臨時)も設置されました。
姫君御女中たちは真田十万石祭りに華やかな色を染めていました。
 

引き続き真田十万石祭り動画をお楽しみ下さい。
真田十万石祭り 2010年 11. CIMG8720~23・25~27ムービー


真田十万石祭りも終盤戦、武者行列の各隊が次々に帰陣して来ました。
 
8代藩主・真田幸貫(ゆきつら)は外様大名としては異例な老中となり、松平定信が押し進めた天保の改革に参画しました。
また、藩内に於いては佐久間象山らを登用し洋学の研究に当たらせ、産業の育成を図り藩政の改革を成功させた名君。

”松代藩 真田十万石まつり”で一番の人気は大名行列を先導する槍振り奴の演技ですね。
奴全員が175cm程の背丈の揃った大男集団!!
随所で繰り広げられた奴パフォーマンスは江戸時代の大名行列にタイムスリップした錯覚に陥るほどの見事さでした。


松代城の表門では武者姫君たちの記念撮影。
午後4時に秋の西日を浴びて美しく撮れました。

長野県松代町で開催された“松代藩 真田十万石まつり”にはいろいろな催物が目白押し、秋の一日をたっぷりと楽しめるお奨めのお祭りでした。
皆様も足を伸ばし松代町で楽しまれては如何でしょうか・・・。

2010 11 22(月・いい夫婦の日)記。  前橋市  最高気温12.8℃

おまけコーナー。

つま楊枝アート。↓下画像をクリック。


第549回 松代市 真田十万石祭り 2010年 上。

2010-11-17 19:01:26 | 旅行

2010 10 10(日・体育の日)

快晴の秋空に誘われ、運動がてらに信州長野県の北信に位置する松代へ・・・。
上信越自動車道の長野ICで高速道路を下り、祭り会場の松代町・松代城跡を目指しました。
松代城近くのP場にやっと駐車スペースを確保し、徒歩5分程の祭り会場へ・・・。

着いた時は運良く丁度“真田十万石祭り”の武者行列出陣式の最中!
二の丸広場では黒や赤の甲冑を身に着けた戦国武者たちが幟旗の下で大集結していました。


松代城石垣を背景に真田家家紋の「六文銭」(六連銭・三途の川の渡し賃)の幔幕を張巡らせた二の丸ステージでは出陣の儀式が厳かに執り行われていました。
 
壇上では現在の真田家16代当主“真田幸俊”様が出陣決起のご挨拶。

姫君たちも16代殿様のご挨拶を謹んで拝聴していました。
 
出陣の儀が滞り無く終了、歴代の真田家当主や姫たちは城内で武者行列の御用意です。

秋晴れの空の下、松代城の内堀に架かる表門橋で火縄銃演武が行われました。


火縄銃演武を行うのは朱色で固めた「真田鉄砲隊」の面々。
 
真田鉄砲隊隊長の指揮の下、一斉に火蓋が切って落とされます。

耳をつん裂き地を揺らす轟音!! 火縄銃や手筒銃の見事な一斉射撃は圧巻です。


火縄銃演武の動画をご覧下さい。
真田十万石祭り 2010年 1. CIMG8513・~・28ムービー


火縄銃演武の後は勇壮な“真田勝鬨太鼓”の演奏が披露され“真田十万石祭り”武者行列の開始を寿ぎます。


真田勝鬨太鼓の動画をご覧下さい。
真田十万石祭り 2010年 2. CIMG8537・38・40ムービー.wmv


今年は松代城築城450年、松代城内の大きな太鼓門から内堀を渡って続々と武者行列が出陣して行きます。
最初に出馬したのは「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」の風林火山馬印を従えた武田家重臣の高坂弾正昌信(初代松代城主)。
「逃げ弾正」の異名をとった高坂弾正を馬上で演じたのは長野市長・鷲澤正一氏。
次の選挙も逃げ切りを狙いますか・・・?
 
」の幟旗は上杉の重臣・村上景国(4代城主)。煌びやかな鎧兜が武者行列の醍醐味です。

大阪の陣で大活躍で後世まで名を轟かせた智将“真田左衛門佐幸村”(本名は信繁)、右手を振って声援に応えていました。
赤備具の大阪城甲冑隊を従え、真田軍団は堂々の御出陣!!


初代城主・高坂弾正昌信から出陣する武者行列動画をお楽しみ下さい。
真田十万石祭り 2010年 3. CIMG8547・53・55・60・63城出陣


黒駒で出陣したのは9代城主の松平忠輝(徳川家康の六男)。
   
真田家3代当主の真田信之(幸村の兄、父・弟と袂を分かち徳川方に加担)は江戸時代に上田から松代に移封され初代松代藩主となり真田家を存永させ治世に尽力した名君。
一歩後ろに続くのは、敵味方に分かれた舅の真田昌幸の上田城訪問を拒み、城近くの正覚寺で昌幸の孫をさせた逸話で「良妻賢母の鑑」とされた小松姫(信之の正室)

時代は江戸時代に移り、大名行列の先頭を司る槍持奴も道中パフォーマンス御披露し観客の喝采を博していました。


江戸時代の大名行列の先頭を勤める槍持奴のパフォーマンスをお楽しみ下さい。
真田十万石祭り 2010年 4。 CIMG8572 ムービー.wmv


真田軍団の本拠地・上田市からも「上田城甲冑隊」が六文銭旗をなびかせ、威風堂々の隊列を組んで応援参加!


華やかな衣装を纏った姫様たちも歴代城主の後に従って表門を出てきます。


正室三千姫を気遣いながら橋を渡るのは7代藩主の真田幸専(ゆきたか)。
 
沢山の姫御が登場します、右隅は9代藩主・真田幸教の生母お貞の方(真田幸良の正室)と思います。

江戸末期の第9代松代藩主は真田幸教(ゆきのり)、この時代には思想家・兵学者の佐久間象山など幾多の人材が松代から輩出しました。


松代藩にも近代兵器の大砲が配備され、幕末の動乱に備えました。
 
時代は戦国から江戸、更に明治維新と移り変わります。
文明開化の象徴の人力車で登場したのは松代藩最後の10代藩主・真田幸民(ゆきもと)。
官軍に加わり戊辰戦争で功を挙げ、明治2年に藩知事に任命された真田幸民は伯爵に叙せられたそうです。

真田松代藩初代藩主・真田信之~最後の10代藩主・真田幸民の動画をご覧下さい。
真田十万石祭り 2010年 5. CIMG8576・~・97ムービー


「徳川幕府は数多の大名家に移封や改易を断行しましたが、何故か松代藩の真田家は初代藩主・真田信之の時に上田から松代に移封されただけで、二百数十年間変わらずに明治に至るまで松代に居城し永らえたと云う稀有な歴史があります」

松代城表門からの武者行列も一段落し、松代城の内側を見物です。
内堀に架かる橋を渡り、表門をくぐると威圧するような大きな太鼓門に出会いました。
その昔、太鼓門の階上に大きな太鼓が置かれ、登城の合図などで叩かれたそうです。
 
城内は公園広場で本丸などの建物は全くありません。
裏門にあたる北不明門の近くに「海津城址之碑」と刻まれ大きな石碑、武田と上杉の川中島合戦で奪い合いとなる海津城は松代城の前の名前だったのです。
石碑の左脇には天守閣址かと思われる石垣造りの高台があります。

高台に上ると松代の美しい田園風景など楽しめます。

近くに特徴有る皆神山や太平洋戦争末期に大本営地下壕などが掘られた象山も望めます。
この皆神山は世界最大のピラミッドとか云われる神秘的な霊山。
真田十万石祭りの終了後に訪れる予定です。

松代城に設置されたステージでは色々なイベントが開催されていました。
威勢良く鳴り響いたのは子供演奏の「子供真田勝鬨太鼓」。
  
松代町のユルキャラは「みみちゃん」、可愛いネコキャラクターです。
昼飯代わりに「六文銭」が焼印が捺された六文銭大判焼など食して英気を養いました。

次回は真田十万石祭り・武者行列の城下編。
2010 11 17(水)記。  前橋市  最高気温11.9℃

おまけコーナー。

人間って凄い!!

PEOPLE ARE AWESOME


第548回 日高市 巾着田の曼珠紗華。

2010-11-10 19:57:01 | 旅行

2010 10 02(土)

秋季を代表する花“曼珠紗華”(彼岸花)の見物に埼玉県日高市へ・・・。
関越高速道経由で曼珠紗華見物で渋滞の県道・川越日高線を走り、日高市大字高麗本郷にある曼珠紗華の名所「巾着田」(きんちゃくだ)に午前11時35分ころ到着。

環境保全協力金と云う美名の付けられた駐車料金500円を支払って、人で混雑する4番出入口から入場です。

入場料金は格安の200円也。

広い広い巾着田の曼珠紗華公園!!
満開の曼珠紗華を撮影する大勢のカメラマン・・・。


じっくりと曼珠紗華をご観賞下さい。
 

巾着田曼珠紗華園は比企丘陵を源にする清流「高麗川」(こまがわ)に沿って字形に造られ、総面積は16.7ha・散策路延長は2kmと広大な花園。
園内に咲いている曼珠沙華は100万本超という膨大な花数。

高麗川架かる「あいあい橋」は環境に配慮してか?木造です。
橋を渡った先には「高麗郷民俗資料館」などもありました。



日高市巾着田の曼珠紗華 2010年 1. CIMG7958・ 曼珠紗華音楽ムービー


燃え出るような朱赤色の曼珠紗華
 

赤い中にも珍しい白色の曼珠紗華、皆さん立ち止まって撮影に夢中でした。
 

何所を向いても曼珠紗華!!


立ち枯れた木の上に咲いた曼珠紗華
 

曼珠紗華の中に咲いていた薄ピンク色の花・・名前は判りません。


広大な園内には散策路が縦横に整備されてる日本一曼珠紗華群生地。


日高市巾着田の曼珠紗華 2010年 2. CIMG8100・69・70・23 ムービー



秋の木漏れ陽を受けて曼珠紗華が一層光り輝きます。


園内の「ふれあい広場」ではテント村やアトラクションステージが設置され、「よさこい踊り」や「太極拳」「大旗振り」などで見物客を楽しませていました。
 

子供たちが熱演する「高麗太鼓」の音が園内に響き渡ります。
 

昼時なのでテント屋台村は大混雑!

日高市の隣は関東の茶所の狭山市、名高い「狭山茶」の試飲で一服します。
 
昼食がてらに小腹を満たしたのは「巾着うどん」(500円)。
油揚げ巾着やバラエティに富んだ具材が評判の地元名物うどんです。

食後、曼珠紗華園から出て直ぐ近くの水車小屋など見物し、隣接する「コスモス園」へ・・・。


園内一面に秋桜と云われるコスモスがキラキラ・・・息を呑む美しさ!!

コスモス摘み放題で200円の看板も・・・。

実に綺麗で優雅な秋桜・・・。

日高市巾着田の曼珠紗華 2010年 3. CIMG8123 ムービー.wmv


 
花見物の眼疲れには美味しい抹茶ソフト(280円)が一番です。

日高市巾着田の曼珠紗華 2010年 4. CIMG8128・24秋桜音楽ムービー


眼に焼き付く朱赤の曼珠紗華と秋の陽に映え輝くコスモスが同時に一ヶ所で楽しめる日高市の巾着田は花園パラダイス!

皆様にも是非お薦めしたい秋花の名所「巾着田」でした。


2010 11 10(水)記。  前橋市  最高気温17.8℃

おまけコーナー。

中国漁船衝突事件! 動画流失の海上保安官直筆メモ!(↓下画像クリック。、)



おもしろビフォー・アフター。(↓下画像クリック。)
  


第547回 尖閣 漁船 衝突 ビデオ !!

2010-11-05 05:05:05 | 写真・旅行・日記・コラム
尖閣諸島 漁船衝突ビデオ!!

2010年09月07日(火)  中国漁船が日本の海上保安庁巡視船に意図的激突!!

尖閣 漁船 衝突 ビデオ 動画0 午前10時16分頃 中国漁船「ミンシンリョウ5179」VS巡視船「よなくに」。



尖閣 漁船 衝突 ビデオ 動画1 午前10時56分頃 中国漁船「ミンシンリョウ5179」VS巡視船「みずき」。
尖閣 漁船 衝突 ビデオ 動画1


巡視船「はてるま」から撮った衝突映像。
どうなる尖閣 海上保安庁6


2010 11 05(金)記。  前橋市  最高気温20.3℃

第546回 新潟市 万代橋 まんがストリート。

2010-11-02 21:14:01 | 旅行

2010 09 20(月・祝)

新潟総おどりの午前の部を見終わり、近くの有名ラーメン店の「みなみ」で昼食。
お祭りの昼食時とあって店内は大混雑、テーブルになんとか相席させてもらいました。
 
お店のお薦めラーメンの「日本一ら~めん」(600円 味噌・塩・醤油)を食します。
鶏ガラをベースに魚介出汁をブレンドした醤油系複雑味スープ、麺は中太で大きめなチャーシューとゆで卵が魅力な「日本一ら~めん}。
日本一の味とは疑問符の付く新潟ラーメンでした。

ラーメンで腹を満たしてから友人A氏と信濃川に架かる万代橋(日本橋に続いて2番目の国指定重要文化財)へ・・・。
 
万代橋たもとの地下道に案内され、気合の入った掛け声でダンスの練習をする女性に驚かされながら見学したのは「万代橋の歴史的遺物」。
現在の万代橋は約307mですが、1886年(明治19年)初代の木造万代橋が架けられた時は782mもの日本有数の橋長だったそうです。

初代・二代の万代橋の橋脚や補強杭などの実物が展示されて興味が尽きません。
 
初代の万代橋は1908年(明治41年)の新潟大火で焼失しましたが、翌年の暮に二代目万代橋が初代と同規模で再建されました。
1922年(大正11年)大河津分水(信濃川放水路)の完成で新潟市街の信濃川幅は約三分の一に縮小されたのを機に、1929年(昭和4年)に永久橋として竣工した現在の三代目万代橋へと引き継がれています。

信濃川に架かる竣工時同様に復元された万代橋をぶらりと渡って繁華街の古町通りへ・・・。
再び新潟ブルースの歌碑を過ぎて2分ほど歩くと、「鏡橋」なる石碑に出会いました。
石碑の黒石板にも「ここに鏡橋あり」と刻まれています。

この場所にあった「鏡橋」とは・・・・・今は2車線道路になっている場所に昔し「他門川」と呼ばれた川が流れ、そこに架かっていた橋の名前だそうです。
東京・数寄屋橋の「君の名は」のようなラブドラマはあったのでしょうか・・・?

更に歩むと本町通りと柾谷小路の交差点に「新潟市道路元標」がありました。

1919年(大正8年)に木製で設置され、1922年(大正11年)に現在の石柱に造り直されました。
右の「里程標」では東京中央区まで国道17線で442km 京都市まで8号線で592km 青森市まで7号線で518kmと・・・里距離ではなくkm表示ですから「粁程標」にした方が判り易いのでは・・・。


裏日本一と言われた繁華街の古町、今は万代橋を渡った万代一丁目の万代シティや伊勢丹に客を奪われて昔日の賑わいは見られないそうです。
下画像に見られる県内一を誇った大和百貨店も既に撤退し無人のビルに変わり果てていました。


古町のメインストリートから「ふるまちモール」アーケード街を2~3分散策してアートな街・古町五番町へ・・・。

現在の古町五番町のアーケード通りは「まんがストリート」と呼ばれ親しまれています。
ここ五番町は漫画家“水島新司”の生まれた街、アーケード通りには水島新司氏の代表作「ドカベン」「野球狂の詩」などに出てくるユニークなキャラクター達の銅像が立並んでいます。

最初に出会ったのは漫画「あぶさん」で有名な景浦安武さん、球界一の長いバット「物干し竿」に酒を吹き付けて相手ピッチャーを震え上がらせる男の中の男と言われる酒豪の強打者。


水原勇気の躍動感あふれる銅像、日本初の女性プロ野球投手で変幻自在な秘球「ドリームボール」でバッターを翻弄して、東京メッツの名ストッパーとしてアンダースローで大活躍。


里中智は山田太郎とバッテリーを組み、甲子園で20勝という前人未到の記録を達成。小柄な体で「小さな巨人」と呼ばれ名球「スカイフォーク」で球界を代表する投手となる。
 
バットを振り回している山田太郎像、不動のバッター“ドカベン”、「気は優しくて力持ち」温かな雰囲気でチームを引っ張る不言実行の名スラッガー。

なんて不謹慎な!! でも、こんな愉快な画像がネット上にありました。


アゴを突き出すユニークなフォームの岩田鉄五郎。東京メッツの主力投手にして投げる時の「にょほほ」の奇声が特徴、生涯現役を目指して頑張る「球聖」。
 
とんま」の愛称で呼ばれた殿馬一人像、天才的な音楽感覚でリズムに乗せた打法「秘打」を駆使、フィールドワークでも足キック送球など多彩な芸を持つ俊足の2塁手。

岩鬼正美像、神奈川県の出身なのに関西弁、口数・失言の多い男だが憎めない性格の有言実行のスラッガー。
その日の気分で咲いたり枯れたりする葉っぱを口に咥える名3塁手。(葉っぱは時々盗まれるとか・・。)
座右の銘は「花は桜木 男は岩鬼」。
 
歌人・文学者“会津八一”もここ五番町で生まれ育ち、まんがストリートのアーケード街の生家跡には会津八一の大きな石碑「新潟の濱にて」が建てられています。
歌碑には「ふるさとの はまのしろすな わかきひを ともにふみけむ ともをしぞおもふ」と・・・。

五番町アート街の楽しいまんが銅像散策を終えた後、古町の旧友宅でビールなどで雑談しながら小休憩。
9月18~20日の長野蓼科高原から新潟総おどりの旅を終え、夕方近くの午後5時に前橋に向け帰路に・・・。

越後新潟は風光明媚で美女多数、人情厚く、米に酒に海産物は旨くて、豪雪さえなければ言うこと無しの桃源郷ですね。


2010 11 02(火)記。  前橋市後、うす  最高気温21.00℃


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おまけコーナー。

爆弾処理班が出動した「怪しい箱」。
Bomb Squad Opens Suspicious Box To Find ADORABLE KITTENS!