ツトムさん家の写真日記。

写真いっぱいの楽しい日記です。(全面表示でご覧下さい)

第602回 日光 中禅寺 湖上地蔵流し。

2011-06-28 18:46:14 | 旅行

2011 06 18(土)

日光中禅寺での法要を終え、昼食タイムの後、午後12時50分から中禅寺湖で“地蔵流し”が催されました。
尊い僧侶様たちは左の“アストリア号”に乗船、信徒たちは二階建ての大きな遊覧船“けごん号”です。
 


けごん号に乗船する時にお地蔵様の印影が押された長さ10cmほどの地蔵札がたくさん手渡され、供養したい人の名前を余白に書き入れます。
 

霧に煙る中、中禅寺前の歌ヶ浜桟橋から初めに“けごん号”が静かに出航・・・・後に“アストリア号”が続きます。。


15分ほど中禅寺湖を滑るように進んだけごん号のデッキでは「ハンニャハラミタ・・・ギャーテイハラギャーテイ・・・・」と般若心経の読経が流れ、一斉に地蔵札が湖上に散華されて“地蔵流し”供養の開始です。
 

日光 中禅寺湖 地蔵流し 1. CIMG6068.AVI

 
日光 中禅寺 地蔵流し 2. CIMG6071.AVI

 
日光 中禅寺 地蔵流し 3. CIMG6073.AVI


それぞれも思いを込めた地蔵札を散じていると、後発のアストリア号からも湖上で供養の法会が厳かに始まりました。
 


日光開山の勝道上人の墓所がある中禅寺湖大日崎沖の小島“上野島”(こうずけじま)に近寄って懇ろに供養します。、


日光 中禅寺 地蔵流し 4. CIMG6078.AVI

 
日光 中禅寺 地蔵流し 5. CIMG6085.AVI


日光 中禅寺 地蔵流し 6. CIMG6086.AVI


日光 中禅寺 地蔵流し 7. CIMG6087上野島.AVI


日光 中禅寺 地蔵流し 8。 CIMG6088.AVI


霧と小雨の降る寒い湖上でも釣りに頑張る人が沢山いるものです。
 

中禅寺湖を高速遊覧するモーターボートもこの日は寒そうでした。


地蔵流し”の遊覧船は中禅寺湖を三回廻って供養を全て終了。

霧の中禅寺湖湖畔を見物しながら出航した桟橋へ戻ります。
国道120号線をまたぐ二荒山神社の朱塗り大鳥居。   日光二荒山神社青銅鳥居と神社社殿なども霧のなか静かに佇んでいました。
 

約1時間強に亘った中禅寺湖湖上“地蔵流し”もつつが無く終了、「中禅寺観音講大法会」に参加した全員は中禅寺を間近に見る歌ヶ浜桟橋に無事に到着しました。


講に参加したので、有難い御品を沢山頂戴致しました。




2011 06 28(火)記。        前橋市     最濃い気温34.7℃



おまけコーナー。

ビキニ美女の川下りコンテスト。(アムステルダム市)
Superkini 2011


第601回 日光 中禅寺 「中禅寺観音講大法会」 「波之利大黒天護摩供養」

2011-06-24 16:35:26 | 旅行

2011 06 18(土)

日光中禅寺湖畔の名刹・中禅寺では午前10時から「中禅寺観音講大法会」が開催されました。

中禅寺の境内を天台宗の高僧たちが列をなして静々と法会会場の“五大堂”へ・・・。
立木観音堂の真裏の小高い斜面に建っているのが五大堂。(霧で霞んでいます)
 

日光 中禅寺 中禅寺観音講大法会 1 CIMG5814.AVI



僧侶たちの後に従って五大堂に昇ると真下中央に「立木観音堂」、左に大黒堂、右の大木が「身代わりこぶ」のある杉木。
あいにく、霧で中禅寺湖の対岸まで見ることは出来ませんでした。



五大堂で午前10時5分頃から「中禅寺観音講大法会」が厳かに始まりました。
 




日光 中禅寺 中禅寺観音講大法会 2. CIMG5848.AVI

観音講大法会と東日本大震災物故者の供養の為の列席者は御焼香が座った席で行われました。


滞りなく観音講大法会も終了、僧侶たちは五大堂(金剛閣)から退出。


日光 中禅寺 中禅寺観音講大法会 3. CIMG5886.AVI



五大堂(金剛閣)の須弥壇に近寄って立派な五大明王像を拝見。
左から金剛夜叉明王(金蓮で見えません)、大威徳明王(見えません)、中央は不動明王。 ロウソクの後ろが軍荼利(ぐんだり)明王、右は降三世(ごうさんぜ)明王。


フラッシュを焚いて御尊顔を拝します。
剣を持った不動明王坐像の前に置かれているのは千手観世音菩薩座像、「観音講大法会」の時だけ置かれるそうです。


別角度から・・・中央の「三界萬霊」の下に「東日本大震災物故者」と記され、東日本大震災で亡くなられた方々の供養も行いました。


五大明王の一番左で見えなかった金剛夜叉明王と大威徳明王の二像。(手振れ画像)


五大明王像の左右には“波之利大黒天”(前立像=レプリカ)と”日光開山・勝道上人”の尊像。
 

50分間ほどの法会が終了し、五大堂から斜面に置かれた石仏など拝みながら、立木観音堂方面に石段をぞろぞろと下りました。


引き続き、立木観音堂(本堂)横の大黒堂(波之利大黒堂)で護摩供養が行われました。


日光 中禅寺 中禅寺観音講大法会 大黒堂 1. CIMG5934.AVI



中禅寺大黒堂は信仰厚い沢山の善男善女で溢れんばかり、波之利(はしり)大黒天が安置された奥堂の間には護摩壇が設けられ護摩木が焚かれます。
 

日光 中禅寺 中禅寺観音講大法会 大黒堂 2. CIMG5939.AVI



波之利大黒天護摩供養も終わり、僧正様から東日本大震災に関しての心のこもった法話などが語られて、大黒堂の護摩供養は終了。


大黒殿に置かれていた「十面千手観音像」。
通常は十一面観音で十面とは不思議~と思って、間近で頭部を数えたら全部で十一面有りましたけど・・・。十面千手観音と記されていたからには何か理由があるのでしょうか?
 

焚いた護摩木の煙が漂う波之利大黒堂奥堂の護摩壇。
 
最奥の宮殿(くうでん)前に安置されていた秘仏・波之利大黒天、財運・健康運・安産子育・五穀豊穣など諸願成就を叶えると云う有難い大黒天様。
中禅寺大黒堂に行けない方は、この波之利大黒天様画像に願掛けするだけでも沢山の御利益が得られます・・・。

波之大黒天は奈良時代に日光開山の勝道上人が男体山頂を極めんとして難儀している時、中禅寺湖の波の上に大黒天が現れ、勝道上人を護持し登頂に導いたことから、その御姿を上人が刻んだ大黒天像と謂われています。

次回は中禅寺湖上で行われた「地蔵流し」編。


2011 06 24(金)記。    前橋市    最高気温38.3℃    昨日に引き続き猛暑日!!



おまけコーナー。

「華麗な瞬間」をとらえた画像。⇒ ここクリック。

スイカ芸術。⇒ ここクリック。


第600回 日光 中禅寺 立木観音 愛染明王。

2011-06-21 18:01:19 | 旅行

2011 06 18(土)


高速道路土・日・祝日1000円の期限が明日(6月19日)で終了する前に、北関東・東北・日光自動車道を乗り継いで日光は中禅寺湖畔に建つ名刹・中禅寺へドライブです。

あいにく、曇り時々小雨の中、濃霧に煙るいろは坂を慎重に登って中禅寺湖に立つ二荒山神社大鳥居に到着。
この信号をひだりに曲がるほど無く朱塗りの中禅寺山門が視界に飛び込んできます。

山門と塀の沿って道なりに進むと直ぐ右側ある中禅寺歌ヶ浜の無料P場に車を停め、中禅寺境内の見学参詣に・・・。
 

中禅寺山門正面に立つのは阿吽の仁王像二体。  山門裏側には風神・雷神像。(埃まみれが残念!)
   

山門を通り抜けると右手に大きな鐘楼。       左の木立ちの中には一口飲めば長寿を叶えてくれる延命水や石仏・石塔など。
 

境内を本堂に向かって進むと大木の根元に見事なコブが・・・“身代わり瘤”(こぶ)。説明では「皆様の病気の身代わりになって出来た瘤」とのこと。 じっと見ていると悪病の怨念が感じられなくはありません。          
 
本堂近くの石地蔵とオンボロな石碑。
石地蔵は江戸時代初期の作と伝えられる“宝珠地蔵”、両手に宝珠を抱いた姿から商売繁盛・金銭融通の仏様として信仰されているそうです。
石地蔵の隣に立つ石碑は江戸中期の豪商・紀伊国屋文左衛門の句碑で「紀文句碑」と呼ばれています。
碑文には「夏の夜や 蚊につつかれて 月を見る」、句碑表面は風化が激しくて判読できません。

中禅寺の本堂(左)と大黒堂(奥正面)。左の一段と高い場所に建つのは五大堂(金剛閣)。
中禅寺は日光開山の勝道上人により、784年に創建された日光輪王寺の別院。



本堂の名称は「立木大悲閣」ですが通称・立木観音堂呼ばれ本尊の立木観音が昔から善男善女に信仰されています。
 

素朴ですが素晴らしい千手観音像(十一面観音 高さ5m、国指定重要文化財)。日光輪王寺やその別院の中禅寺を開創した勝道上人による一刀三礼をもって立木(桂材)に彫ったと伝承される観音像。
技巧を超越した美しさに威徳を感じ、立木観音様は必見に価します。


明治35年の男体山の山津波で中禅寺湖に流されましたが、奇跡的に浮かび上がり再び祀られた事から、災害や苦難を乗り越える観音として尊崇されています。
正面に向かって左は広目天、右には持国天千手観音を御守りしていました。
 
立木堂内部には諸仏が沢山立並び荘厳な雰囲気が感じられました。

境内の片隅に建つのは愛染明王をお祀りする“愛染堂”。
愛染明王は愛と縁結びの仏様。 婚活最中の方々にぜひお奨めいたします。
 

境内や寺務所で拝見した絵馬や御守りなど・・・謹んでご覧下さい。
 

 
見所いっぱいの日光中禅寺、電力不足の今夏の暑気払いに標高1200超の中禅寺湖畔で遊んでみませんか。

次回は中禅寺五大堂と大黒堂で行われた「中禅寺観音講大法会」編。

2011 06 21(火)記。     前橋市     最高気温33.9℃  暑い~!!


おまけコーナー。

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第599回 日本橋と三越。

2011-06-17 21:36:39 | 旅行

2011 05 19(木)

花のお江戸は日本橋の見物。
日本橋界隈は上野・神田から銀座・新橋を結ぶ中央通のど真ん中、江戸時代は五街道の起点として、また商業・物流の中心地として栄えました。

日本橋の袂には今でも証券界の雄・野村證券や日本一の卸問屋・㈱国分、寝具の西川など超有名企業が軒を連ねています。

昭和39年の東京オリムピックに合わせて開通した首都高速道が日本橋川の上空に架かり、歴史ある銘橋の雰囲気を壊していますが、近寄って見ると堂々とした佇まいに迫力さえ感じます。


日本橋一丁目の㈱国分商店前の木立下に日本橋についての由来記や江戸時代の日本橋の姿など銅板で描かれ大変に参考になります。
  
日本橋の橋名板「日本橋」「にほんばし」の文字は徳川15代将軍・徳川慶喜の揮毫よるものです。

最初に架けられた日本橋は徳川幕府が開かれた慶長8年(1603年)、
現在見られる日本橋は東京市により花崗岩造り二連アーチ橋道路橋(全長49m、幅27m)として明治44年(1911年)4月に完成。

大正12年9月の関東大震災にも昭和20年3月の東京大空襲にも耐え、日本国道路原標を橋の中央に設置した日本橋は平成11年5月に国の重要文化財に指定。
(道路橋の国指定重要文化財は日本橋と新潟市の万代橋の2橋。)

橋欄干の装飾照明灯の彫刻も見応えがあります。
青銅製の獅子は日本橋の守護神で前足の下には東京市の紋章。


橋の中央には大迫力の青銅彫刻!!
伝説の翼のある怪獣“麒麟像”、この麒麟(キリン)は東京の繁栄を象徴して建てられました。

ルネッサンス様式のアーチ石橋に和漢の銅像装飾が違和感も無くマッチした素晴らしい銘橋です。

日本橋の道路中央に埋め込まれているのが「日本国道路元標」の金属プレート(50cm角)、この地点が日本の全道路の起点なのです。
道路元標の文字は元総理大臣・佐藤栄作の筆によるとか・・・。
 

日本橋室町一丁目側の日本橋たもとには“元標の広場”が造られています。

本物は見物に危険な道路の中央なので、この広場に「日本国道路元標」のレプリカが置かれていました。
  
道路元標から各主要都市までの里程標もありました。南は鹿児島市まで1469km。北は札幌市まで1156km。

元標の広場に立てられていた「東京市道路元標」は元来は橋中央の「日本国道路元標」の場所に都電の架線柱を兼ねて設置されていたのですが、昭和47年(1972年)の都電廃止・撤去時に現在の地点に移されました。
「東京市道路元標」は平成11年(1999年)5月に米寿を祝う日本橋と共に国の重要文化財に指定されています。
 
日本橋から眺めた日本橋川、首都高速で蓋をされ哀れを誘う光景です。
日本橋の詳細は⇒ここクリック。

元標の広場」の道路を挟んだ向かい側には「乙姫広場」がありました。
日本橋のこの場所から下流の江戸橋にかけて江戸の台所をまかなう魚河岸があったのです。
大正12年の関東大震災で魚河岸が築地に移転するまでは日本橋川の水運を利用して全国からの物資が荷揚げされ繁華を極めていたそうです。
 
広場の名になった乙姫像はなぜか熟女みたい・・・。

大正期の賑わう日本橋界隈の情景写真。


ついでに、老舗デパートの三越を見物に・・・。
その昔はデートや待ち合わせで賑わった三越入口のライオン像(1914年設置)も最近の消費不況で買い物客も少なくチョッピリ寂しそうです。
 

三越本館一階中央の巨大なオブジェと久し振りに対面しました。
凄い!がふさわしい芸術作品ですね、彫刻家・佐藤玄々(朝山)が10年の歳月をかけて作製した“天女像”(まごころ像)、昭和35年(1960年)に三越創立50周年記念としてホール中央に設置された。(高さ11m 重量7トン)
「今日は帝劇、明日は三越」と謳われ、高度成長期初期の百貨店華やかなりし頃の象徴的な彩色木彫像です。
 
良く見ると中央に鳳凰と天女を配した構図「瑞雲から花芯に降り立つ天女」、極彩色に彩られた細密で絢爛豪華な作品、圧倒的迫力で見る人を極楽浄土へ誘います。
(和の感性からするとグロテスクに見え・・・天女は小林幸子に見えたり・・・。)

流石に、花のお江戸・東京ですね、歴史も風物も良し見所いっぱいのエンターテインメント都市は興味深くて面白い・・・。

2011 06 17(金)記。     前橋市時々    最高気温23.2℃


おまけコーナー。

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第598回 上野公園散策と旺玄展。

2011-06-14 17:52:00 | 旅行

2011 05 19(木)

久し振りに芸術観賞のため東京は上野公園へ・・・。
毎年この時期に東京都美術館で開催していた「旺玄展」が都美術館の改築のため、今年は上野の森美術館に会場を移して開かれました。


旺玄会の会員による沢山の名画が会場所狭しと展示されています。
今年の展示は会場の都合で大きな作品の展示は禁止なのとか・・・手頃な作品が見られました。
 
理事の先生と雑談を交わしながら、会員の素晴らしい力作労作を500点ほどじっくりと観賞。
全部見終わる頃には、ベンチに座り込む人達も・・・いつもの事ながら美術観賞は体力勝負ですね。

「上野の森美術館」を出て上野公園の木陰を散策。
林の中に“寛永寺 上野大仏”なる看板を発見!!
鎌倉や奈良の大仏は知っていますが、上野公園の寛永寺に上野大仏があるなんて・・・聞いたことも見たこともありません、早速石階段を上って見学です。
 

20段ほどの石段を上った先に見えたのはパゴダ風な建物で通称“大仏パゴダ”。
軒先には「本尊 薬師如来」の文字。鉄筋コンクリート造りの薬師堂です。
装飾物が全く無いパゴダ内の正面に安置されていたのは万病に霊験がある薬師如来像と月光・日光菩薩の脇侍仏。
 
読者皆様の無病息災を祈念いたします。

境内の左側に進むと絵馬掛けと大きな青い顔面
受験に効能があると云う“合格大仏”(胴体がないので落ちることがない。)。 この大きな面が上野大仏なのでしょうか?
 
絵馬もご覧の通り上野大仏絵馬。 裏面には心願成就・無病息災の印字。
 

大きな青銅面の傍に置かれていた写真が在りし日の“上野大仏”なのです。(高さ7m)
寛永8年(1631年)この地に戦乱で亡くなった人々の冥福を祈るため越後村上藩主・堀直寄によって粘土・漆喰製で建てられ(5m)、明暦・万治の頃(1655~60年)に木食僧の浄雲師により銅製に改鋳、天保12年(1841年)火災で焼失、天保14年に大仏を新鋳、安政大地震でも首崩落・改修。

大正12年(1923年)の関東大震災で大仏頭部が崩落し、顔以外の青銅部材は太平洋戦争で供出されるという数奇な運命を辿りました。
大仏再建の願いを込めて昭和47年から青銅製の尊顔だけを祀っているのだとか・・・早期の再建を祈ります。

春の上野公園ではそこかしこに音楽の響きがコダマしていました。
南米系のラテンリズムやフォルクロ-レなど賑やかです。
 

散策中に立ち入り禁止の墓所を発見・・・。
立て看板には「天海僧正毛髪塔」。
天海僧正は徳川家康・秀忠・家光三代に亘って影響力を及ぼした天台僧。
日光造営や上野寛永寺を創建し108歳まで生き永らえたと言う怪僧・天海僧正の毛髪を納めた供養塔です。
 
東日本大震災地震の影響で危険につき立ち入り禁止になっていました。

次に通りかかった場所に建っていたのが“彰義隊の墓”。
慶応4年(1868年)徳川幕府を支持する武士団(彰義隊)と官軍が上野の山で戦い、僅か半日で彰義隊は壊滅しました。(上野戦争)
戦死者の霊を祀るため、生き残った小川興郷ら隊士は明治7年に新政府の許可を得て、激戦のこの地に“彰義隊の墓”を建てたのです。
 
彰義隊墓の表面「戦死の墓」は旧幕臣の山岡鉄舟の筆になる文字が刻まれています。


上野駅方面に向かうと見えて来るのが、お馴染みの西郷隆盛の銅像。
製作者は高村光雲、明治31年(1898年)序幕した身長370cmの青銅像。
愛犬の名は「ツン」。銅像では雄犬になっていますが、実際は雌の薩摩犬とのこと。
  
犬の製作者は高村光雲では無くて彫刻家の後藤貞行氏。
西郷隆盛の妻が「全く似ていない」と言った銅像ですが、上野の森の象徴に相応しいモニュメントですね。

春うらら、お上りさんを決め込んで上野公園の知られざる名所を散策した半日でした。

2011 06 14(火)    前橋市 薄   最高気温27.2℃


おまけコーナー。

犬の運転手!
Dorgas?Larguei! Agora sou motorista

 Driving Dog Prank - Just For Laughs Gags

 
ネコ用出入口から闖入者・・・。
Strange Cat Door Surprise

 


第597回 藤岡市八塩 伝教大師ゆかりの浄法寺、道忠禅師、相輪塔。

2011-06-08 16:55:44 | 旅行

2011 05 15(日)


群馬県藤岡市浄法寺八塩地区に咲く“ポピーまつり”観賞の帰路、同じ八塩地区に建つ古刹・浄法寺”に参詣。
前橋ー長瀞街道の国道462号線に面した山門脇に「伝教大師御巡錫の寺」と書かれた看板が目印です。
 
山門から入山しひっそりとした境内を進むと正面に華麗な姿の本堂
寺の正式名は天台宗広厳山般若浄土院浄法寺
唐招提寺を開山した鑑真和上第一の高弟・道忠禅師が室町時代に創建した古刹。

浄法寺境内を散策、本堂の前には青銅製の古い「宝筺印塔」や伝教大師童子像や「一隅を照らす」石碑など天台宗らしい事物が拝見できます。
  

境内片隅に建つ鐘楼の格天井には美しい天井画が描かれ、吊るされた梵鐘にも「天台佛法照干一隅」の文字。
 

広い境内を進むと木々に囲まれた一角に金色の尊像が・・・。


伝教大師巡錫の御姿を模った大きな立像です。(高さ7m)

東京芸術大学名誉教授で天台大仏師の法印公朝先生の製作とか・・・。
この尊像は延暦7年に伝教大師最澄上人が比叡山に延暦寺を開創してから昭和62年が1200周年にあたり、群馬教区天台寺院記念事業により東国開教の旅で大師が錫丈を留めた浄法寺に建立したのです。

境内には「聖徳太子が草庵を結んだと言い伝えられている近くの地蔵山に浄法寺住職・出三法印照芳上人が仏果増進と一切衆生済度を祈願して刻まれた彰徳地蔵像」(文化12年1815年)や古色蒼然とした年代物の石塔なども在りました。
 

浄法寺墓所近くには薬師堂、堂内正面には金箔が貼られた薬師如来像が鎮座。
 

相当な歳月を経た石碑や石仏も丁寧に並べられ。浄法寺の仏心が偲ばれます。
 

境外には関東地方に仏教を広め、伝教大師の良き協力者で浄法寺開基の“道忠禅師供養塔”(室町時代明応5年1496年建立)、屹立として風雪に耐えた塔に刻まれた「南無阿弥陀仏」文字以外は風化で判読できません。


道忠禅師供養塔の近くに聳えて建っていたのが「相輪橖」。(橖とう=塔)
平安時代弘仁6年(815年)創建、寛文12年(1672年)と大正11年に改建。高さ5.3m唐銅造り。
伝教大師が全国6ヶ所(比叡山2ヶ所、太宰府天満宮、日光輪王寺、栃木県大慈寺、浄法寺。)の納経所に宝塔建立を発願しましたが、大師存命中に完成したのは浄法寺(当時の寺名は緑野教寺)と大慈寺の2ヶ所だけでした。


最上部には黄金の宝珠を頂き、塔身には寄付者と思われる村名や個人名と寺社名がびっしりと打刻されています。
上栗須村(現在の藤岡市上栗須地区)とか出牛村(じゅうしむら・埼玉県秩父郡皆野町)など近郷の村名が沢山読み取れます。
  
因みに、珍しい名前の出牛村には隠れキリシタンが住んでいたそうで、出牛はデウシ→デウス→ゼウスに通ずるとか・・・また、出牛は十字架を表しているとの説もあります。

大正11年の宗祖大師1100年記念奉修改建で塔身最下部に今は無き「鐘渕紡績株式会社新町工場」と記され、かつての繊維産業隆盛期の名残を感じました。

普段は素通りする様な場所にも立寄ってみると意外と面白い発見がありますね・・・。


2011 06 08(火)記。     前橋市 薄   最高気温26.3℃


おまけコーナー。

いつ爆発するか御心配の方へ・・・。
東京電力福島第一原発のライブ映像。 ↓ 画像クリック。


福島原発事故放射能を隠蔽し被害を拡大した政府とNHKと東大教授。⇒ ここクリック。


第596回 群馬県藤岡市 八塩ポピーまつり。

2011-06-01 22:08:42 | 旅行

2011 05 15(日)

群馬県藤岡市浄法寺の八塩温泉で開催中の”八塩ポピーまつり”見物。
前橋ー長瀞線の国道462号を走り銘石・三波石の産地として有名な鬼石町の近くにある八塩温泉地区へ・・・。

八塩温泉地区で国道から一つ山側に国道と並行に造られた超立派な広域農道・ふるさとみかぼライン沿いに無料P場を兼ねたテント村が出来ていました。
無料駐車場に車を止めると「環境整備費」名目の入園料として200円請求されます。
 
テントでは地元婦人会による農産物即売会も開催中。大きな「田舎まんじゅう」が美味しそう・・・。
とにかく、入園料を支払ってポピー祭り会場へ歩を進めます。

八塩温泉地域の山裾斜面を利用してポピー畑は作られているので、花を見ながら軽いピクニック気分・・・。
 

案内表示版に従って山斜面に間伐材チップを敷き詰めて造られた遊歩道を登ると、一面にポピーが咲き乱れて見事な景色になります。
 

それでも、今年の冬の寒さが長かったのでポピーの開花が10~15日程遅れているそうです。
たしかに、4~5分咲の状態でしたが天気は晴天で運動と思えば文句無し・・・。


山(浄法寺山)の斜面に広がるポピー畑(約100万株)をのんびりと登ると、散策路の途中に「幸福の鐘」などもありました。


色鮮やかなポピーを観て“幸福の鐘”を鳴らせば誰もが“HAPPY”気分になれますね・・・。


春の里山を彩る美しいポピーをご覧ください・・・。
 

深紅のポピー花だけでなく、様々な色の花が咲いています。
   

山の斜面の段々畑の休耕地を利用してポピー花園にしています。
一番上にはテントが張られ、イスやテーブルなど用意された休憩場所があり、飲み物なども販売していました。
 

ポピー園の最上部に鳥居を見かけたので、神社参拝に向かいます。
神社の名前は御倉御人神社。弁天山(364m)の中腹に建てられていますから、少しキツイ上りの参拝道でした。
 
御倉御人神社の社殿は最近の再造営らしく、石造りの狛犬共々新品ですが、八塩地区が西暦545年(安閑天皇2年)に朝廷直轄地(全国で26ヶ所)の一つに指定された時に守護神として御倉神社を八塩の地に祀ったと伝えられていますから歴史ある由緒正しき古社なのです。
祭神は農耕・商工の神で五穀豊穣の倉稲魂命(稲倉魂尊・ウカノミタマノミコト=稲荷神社主祭神・お稲荷様)とか・・・。

神社から再びポピー畑の中を歩いて下り道をルンルン気分で進みます。


ポピー花は近寄って見ても素晴らしい・・・光が透けて見える花弁の美しさはこの世のものとは思えません!!
 

総延長約1kmのポピー園散策路を一巡りして入口のテント村で大きな「田舎まんじゅう」(130円)を昼飯代わりに食べ、序でに孟宗竹のタケノコ(500円)も購入。親切に米糠も付いていますから茹でる時には便利です。
 

6月上旬までは楽しめる“八塩ポピーまつり”で眼と心の保養などされては如何でしょうか・・・。

八塩温泉あじさいの里も名所です。→ ここクリック。

2011 06 01(水)     前橋市    最高気温14.9℃  寒ぅ~、3月中旬の気温。


おまけコーナー。

スカートを勝取った少年。↓ 画像クリック。

 

福島原子力発電所3号機爆発 Fukushima Japan phreatic explosion