ツトムさん家の写真日記。

写真いっぱいの楽しい日記です。(全面表示でご覧下さい)

第621回 群馬県千代田町赤岩 「千代田の祭り 川せがき」

2011-08-31 16:49:40 | 旅行

2011 08 18(木)


鶴舞う形の群馬県の鶴の口ばしにあたる県東南部に位置する邑楽郡千代田町で開催された“千代田の祭り 川せがき”。
会場の赤岩渡舟場に到着したのは午後4時30分頃。 県道38号線から堤防を越えて利根川へ続く道には既に沢山の露店が店を開き祭り開始に備えていました。
 

赤岩地区の利根川堤防斜面には夕刻から灯もされる手作り燈篭が整然と並べられていました。
その燈篭の全てに東日本大震災からの復興を祈る言葉が書き込まれています。
 

この場所は赤岩渡船場と言われ、広い川幅をもつ利根川の対岸にある埼玉県熊谷市葛和田とを結ぶ渡し舟が発着している川岸です。
今どき珍しい渡し舟(千代田丸)、利根川には現在4ヶ所(島村の渡船、赤岩の渡船、小堀の渡船、富田の渡船)があるそうです。ここは地方道・熊谷館林線の一区間なので料金は無料。(千代田町の運営)
 
船は赤岩渡船場に繋留されているので、対岸からは大きな黄色旗を振って合図し迎えに来て貰うそうです。

対岸の埼玉県側にも数多くの車が駐車し、赤岩の川せがき見物に・・・。 今まさに対岸からの渡し舟が到着です。
 

午後5時頃には“千代田の祭り 川せがき”の準備も整いました。


陽が暮れると、静かに凪いだ利根川の川面で「川せがき」の流し燈篭が行われます。


千代田の祭り 川せがき”の祭り風景をご覧下さい。

群馬県千代田町川せがき 2011年 edit1(1).wmv

紅白の幔幕で飾られた祭り舞台の近くに建つ露店の一角に「川施餓鬼」供養を行う仮設寺が設けられ、大勢の参詣者で賑わっていました。


御当地ソングに合せて千代田町の文化協会婦人部による「千代田舟唄」「八木節」の民踊流しの熱演・・・。(午後6時)
 

小さな子供たちもステージに上がり、ヒップホップな音楽にあわせて軽快なダンシング・・・。
 

群馬県千代田町川せがき 2011年 edit1(2)子供ダンス.wmv



群馬県千代田町川せがき 2011年 edit1(3).wmv

 
川風を誘うフラダンスは地元愛好会「ハワイアンクラブ」のお嬢様たちがゆったりと踊ります。

群馬県千代田町川せがき 2011年 edit1(4)フラダンス.wmv


夕闇が迫る頃、堤防各所に設えられた燈篭に灯が点され”川せがき”供養祭りが始まりました。
川せがき(施餓鬼)”は今から約130年前の明治10年、赤岩の地で「かぶと屋」という豆腐店で働いていた倉吉と云う優しく誠実な男が、利根川に投網を打ちに行き、誤って川に落ち溺死してしまいました。
この出来事で「かぶと屋」の主人は近くの赤岩光恩寺の住職に頼み、懇ろに倉吉の供養を行ったのが川施餓鬼の由来なのです。


今年の川せがきは毎年の水難者供養に加え東日本大震災で亡くなった方々の供養も兼ねて行われました。

 

千代田の祭り 川せがき”は光恩寺の住職による読経と共に花火が「打上げられ、舞台の音曲と相まって華やかな祭典となります。
打ち上げ花火や川面に煌めく水上スターマインなど利根の夜空を華麗に彩ります。
 

千代田のまつり 川せがき” 打上げ花火をお楽しみ下さい。
群馬県千代田町川せがき 2011年 edit1(5)花火.wmv


千代田町 川せがき 花火 2011-08-19_012136.wmv

利根川堤防上に設置された仮寺では僧侶の読経が厳かに行われ、引き続き川岸の渡船場に下りて供養法要が開始されました。


千代田町川せがき 2011年 川施餓鬼供養 edit1.wmv



利根川の真っ暗な川面に浮かべられた燈篭流しの灯が幻想的に揺らめき、亡くなった方々の霊を慰めているかのようでした。


利根川の中央で渡し舟から流し燈篭が次々と川面に浮かべられてゆきます・・・。
 
燈篭流しが続く間、僧侶一同は渡し舟に乗船し、利根川に向けて川施餓鬼供養の読経を行います。

川せがき 燈篭流しの動画です。(手持ち望遠撮影での手ブレご容赦。)
千代田町川せがき 燈篭流し edit1(0).wmv


赤岩の渡し場」での僧侶による供養法要と川面の「流し燈篭」の間も華やかな花火が次々と打上げられ“千代田の祭り 川せがき”はクライマックスの時を迎えていました。
 

群馬県千代田町川せがき 2011年 edit1(6) 川施餓鬼CIMG8655.AVI


利根川を渡る涼風を肌に受け燈篭流しの仄かな灯りと豪華な花火、一見の価値がある“千代田のまつり 川せがき”でゆく夏を楽しまれては如何でしょうか・・・。

2011 08 31(水)記。    前橋市   最高気温29.9℃


おまけコーナー。

金魚すくいじゃない縞パンすくい、下画像クリック。



【意訳職人がかっこよすぎて】般若心経ロック【歌ってしまった】


第620回 みなかみ夏まつり 2011年。

2011-08-26 18:40:10 | 旅行

2011 08 16(火)


お盆の翌日16日は「みなかみ夏まつり 2011」の花火見物。(みなかみ=水上)
祭り会場になった場所は月夜野中学校の校庭。
到着した時には指定駐車場は満車、赤谷川を渡った路上に駐車して月夜野中学校へ・・・。

清流・赤谷川の向こうに見える月夜野中学校舎の背後に聳える山は上州三峰山です。

校庭には沢山のテントが張られ、飲食物や地野菜など即売中。


校庭を対角線に敷かれたレールの上を“ミニSL号”が子供たちを乗せて大活躍です。
 

テント付きのステージでは上州(群馬県)名物の“八木節”が華藤会による名調子で御披露されていました。
 


みなかみ夏まつり 2011年 1 CIMG8433.AVI


ステージでの出し物は八木節から“なつこコンサート”に移りました。
なつこさんが熱唱した歌は地元・みなかみ町を歌った「ふる里 みなかみ」と旅情歌の「心の旅」。
 

なつこ”の熱唱をお聴き下さい。
 みなかみ夏まつり 2011年 2. 歌手・なつこ  曲・「ふる里 みなかみ」

 みなかみ夏まつり 2011年 3. 歌手・なつこ 曲・「心の旅」


次の演目は“ハッピー・ホッピー”演奏のジャズメドレーが近くの山々にコダマしていました。


みなかみ月夜野文化協会主催の「月夜野ほたる音頭」と「月夜野盆唄」では地元婦人会の皆さんが舞台狭しと輪踊りの熱演・・・。


時刻は午後5時、テント村の一角で無料の「流しそうめん」がありましたので列に並びましたが、筆者の2人前で品切れ終了・・・残念!
200円のうどんを食べて小腹を満たして夜の花火に備えます。
 


夕刻の6時頃、ステージ上では「海賊戦隊 ゴーカイジャーショー」が開催され子供たちは大喝采!、にぎやかな声援が月夜野中学校庭に響いていました。


校庭に篝火が焚かれる午後6時30分あたりから、雲行きが怪しくなり・・・・突如として雷雨の襲来です。
 
全員テント下に避難し、雨が止みお楽しみの花火大会が開催される事を祈ります。

雨降りで遅れましたが午後9時から待望の花火の打ち上げ開始です。


みなかみ夏まつり”の花火大会を動画でご覧下さい。

みなかみ夏まつり 2011年 花火 0. ムービー.wmv



みなかみ夏まつり 2011年 花火 1. ムービー.wmv

 
みなかみ夏まつり 2011年 花火 3. 2011-08-17_020242.wmv


  


みなかみ夏まつり 2011年 花火 2. ムービー.wmv


標高の高く涼しい場所のみなかみ町月夜野地区で行われた”みなかみ夏まつり”は多彩な催し物や10000発の豪華な花火満載の楽しめる夏祭り、読者の皆様にもお奨めいたします。


2011 08 26(金)記。     前橋市時々    最高気温29.1℃

おまけコーナー。

中国のビーチ風景。⇒ クリック。

Air Swimmers - Awesome RC Flying Shark and Clownfish!

Air Swimmers Instructional Video - How to setup and fly your remote control flying fish

 


第619回 草木湖まつり 2011年。

2011-08-22 16:55:47 | 旅行


2011 08 15(月)

群馬県みどり市の北部に位置する、東京市民の水がめである“草木湖”を形成している草木ダム下で開催された“第34回 草木湖まつり”の見物。
場所は、みどり市東座間399 東運動公園。 日時は8月15日。


みどり市HPから拝借。

みどり市(旧大間々町)から足尾銅山で有名な“足尾町”へ通ずる「東国文化歴史街道」(国道122号線)を走り、わたらせ渓谷鉄道の神戸駅(ごうどえき)付近から右に折れ県道268号線を経て、途中の美しい渓谷など見ながら祭り会場がある目的地の「東運動公園」に到着。(17時50分)
 

草木湖の水を湛える“草木ダム”の下に造られた東運動公園グランドでは、親子連れなどが草木湖祭りのイベントを楽しでいました。
 

着いた時はモノまねショータイムの最中、森進一や松山千春に扮して歌謡曲を歌いながら観客を笑わせていました。
  



草木湖祭 2011年 1. 祭り会場。CIMG8379.AVI


空が曇天となり、陽が沈み涼しい風が吹き始めると、祭り会場一帯には激しい雷雨が吹き荒れました。
雲行きから予想していたので車に戻り、雨が止んで花火が始まるまで小休止です。

運良く雷雨は小一時間ほどで通り過ぎ、小雨が残るなか午後8時に花火打ち上げ決行されました。
  

雨雲と花火の煙がたなびく夜空に咲く花火を車の窓から見上げて撮影しました。 

草木湖祭 2.花火. ムービー.wmv



“第34回 草木湖祭り 花火大会”で打上げられた5000発の花火をお楽しみ下さい。
  

草木湖祭 3.花火CIMG8420.AVI


近くの草木湖畔で「富弘美術館」が観賞でき、風光明媚な草木ダムを望める“草木湖まつり”で暑い夏の一日を楽しまれては如何でしょうか・・・。

2011 08 22(月)記。     前橋市    最高気温25.3℃


おまけコーナー。

ちょとなCM。
adizero LAB:adizero vs MiniSkirt



1982 オンワード ジェーンモア


第618回 足利花火大会 2011年。

2011-08-19 21:30:34 | 旅行

2011 08 06(土)


暑気払いを兼ねて北関東一を誇る“足利花火大会”の見物。
スーパーマーケット「ヨークタウン足利」の駐車場に車を停め、1kmほどの距離がある田中橋へ散歩がてら歩きました。
伝統ある足利花火大会は今年で97回目、“2011渡良瀬サマーフェスタ 第97回足利花火大会”が正式名称。
 

足利市を流れる渡良瀬川の河川敷には両岸とも大勢の花火見物人が・・・。


「利根川まで34.7km」と記された標柱の立つ田中橋の袂に陣取り川下から打ち上げられる花火の撮影に備えます。

足利花火大会 2011年 1. CIMG8194.AVI


夜空に大輪の花を咲かせる“第97回 足利花火大会”、20000発の豪華な花火をお楽しみ下さい。
  


足利花火大会 2011年 2. CIMG8199・8213・22 ムービー.wmv


  

足利花火大会 2011年 3. CIMG8223~ ムービー.wmv


 

足利花火大会 2011年 4.CIMG8262~ ムービー.wmv


 

足利花火大会 2011年 5. CIMG8270~ ムービー.wmv


  



足利花火大会 2011年 6.CIMG8297・99・8329 ムービー.wmv



2011 08 19(金)記。     前橋市時々   最高気温28.9℃ 涼しい~。   昨日は37.7℃の猛暑日。

おまけコーナー。

幻想的スカイランタン
Sky Lantern Fire Festival 5000 UFO balloons launched


第617回 沼田祇園祭 天狗みこし。

2011-08-16 23:25:21 | 旅行

2011 08 05(金)

群馬県北部の中心都市、利根川と片品川の浸蝕により形成された河岸段丘の上にある沼田市で開催された夏祭り“沼田祇園祭り”の見物。(祭り開催日は毎年8月3・4・5日)

地元では“おぎょん”と呼ばれ親しまれている“沼田祇園祭”は沼田市内に鎮座し「牛頭天王」を祀る“須賀神社”の夏の例大祭。
最初の頃は須賀神社周辺3ヶ町の祭りでしたが、江戸時代の天保年間からは榛名神社も加わり、沼田の全町が参加する華やかな大祭となりました。

豪華に飾り立てられた山車(地元では“まんどう”と呼ぶ。)は昼から夜間まで市中心部を10台曳行されます。

市内の街角には煌びやかな神輿(みこし)が飾られ“沼田祇園祭”を一層盛り上げていました。
 
街中に展示されていた大きな獅子頭、これほど大きなのは全国的にも珍しい。
由来書には「桧寄木造り、雌雄一対、高さ140cm幅150cm、沼田城の守神として場内の神明宮の神宝なり 」と。

刺繍幔幕・黒漆塗りの10台の山車(まんどう)が祭り囃子を奏でながら沼田市街地を巡行です。
 

各町内で工夫を凝らした山車行列は見応え充分です。



沼田祇園祭 2011年 1.午後の山車巡行 CIMG7872~7915.wmv



原町通りに安置された“榛名神社御旅所”からは神輿渡御が威勢よく出立!


山車のお囃子と神輿の元気な掛け声で沼田祇園祭は更にヒートアップ・・・。
 


沼田祇園祭 2011年 2.午後の神輿渡御 CIMG7960~8005 ムービー.wmv



沼田市役所では天狗で有名な迦葉山弥勒寺の“大天狗面”と沼田市“観光大天狗面”が神輿に仕立て上げられ渡御の時を待っていました。
大天狗面は顔丈4.2m 顔幅2.3m 鼻高2.9mと天狗神輿では日本一の大きさ


沼田市役所前庭で威勢の良い“二荒太鼓”が打ち鳴らされた後、大天狗みこしは市街地渡御へ出立!!
 
薄暮の中、大勢の祭り見物客に囲まれて練り歩きました。

沼田祇園祭 2011年 3.天狗みこし CIMG8022・47・58 ムービー.wmv



2基の大天狗みこしを担ぐのは総数200名の女性たち、男衆たち以上の活気で渡御行です。


「家内安全 商売繁盛 五穀豊穣 交通安全 所願成就」を願い街中を渡御。



沼田祇園祭 2011年 4.山車巡行とらっせーら踊り CIMG8081・82.wmv



陽も暮れる頃、飾られた山車(まんどう)に灯が点り、沼田祇園祭は一層華やかさを際立たせます。
 

沼田祇園祭 2011年 5.夜の山車巡行 CIMG8086・88・8108・14.wmv


全ての山車が沼田市役所に集合、にぎやかな祭囃子の奏で合い合戦!!


祭り氏子と観客が一体となり“沼田祇園祭”は最高潮の時を迎えます!
 

上州かかぁ天下”の名に恥じないように可愛いお嬢さんたちは頑張って叩きます。


沼田祇園祭 2011年 6.沼田市役所 山車集結 CIMG8131


市役所前でのお囃子叩き合いを終え、熱気を帯びた山車は夜の8時30分頃から再び街中巡行へ・・・。
 
関東三大祇園祭の一つと云われる“沼田祇園祭”をたっぷりと楽しみ、市役所近くの料亭「姫本」で夕食。
名物料理の「沼田だんご汁」(450円 高級すいとん)や「鰻ひつまぶし」などで沼田の味を堪能して帰路へ着きました。


2011 08 16(火)記。     前橋市   最高気温35.5℃

おまけコーナー。

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第616回 塩釜市 鹽竈神社東参道 勝画楼 旧亀井邸。 

2011-08-12 12:12:12 | 旅行

2011 07 17(日)


塩竃見物は塩釜港から本塩釜駅を経て再び塩竃神社近くに戻ってきました。
塩釜街道に面した大きな石灯籠の立つ石畳道は塩竃神社の東参道で、緩やかな勾配の坂道ですので、別名が女坂と呼ばれています。
 
平らな参道の突き当たりの石碑が建てられている辺りが、「奥の細道」で塩釜に来た松雄芭蕉が止宿した地といわれています。
そこを左に上がって行くと塩竃神社への女坂です。

女坂へは行かずに、逆に右に折れて「勝画楼」と書かれた案内板に従って木立で薄暗い蜘蛛の巣が張られた石段を登ります。
 
2分程で着いた所にあった建物が、塩竃神社の別当寺で廃仏毀釈により明治4年に廃寺にされた法蓮寺の建物で唯一現存する書院の「勝画楼」でした。

ここから「塩釜の浦」が一望出来、文人墨客や藩主が度々訪れたという「勝画楼」も今では市街地が見えるだけ、建物の管理状態がひどく、幽霊屋敷同然の佇まいでした。
 

高台に建つ「勝画楼」脇の雑草の中、石組みだけが残っていたのは、完成していれば日本最初の洋式灯台になるはずだった幻の灯台の土台石組です。
 
苦労して築き上げた土台石には当時の石工たちの名前が整然と刻まれています。

勝画楼から戻って東参道女坂をほんの少し上がった場所に「旧亀井邸」がありました。(拝観無料)
門から少し下がった場所に瀟洒な二階建て和洋併置式住宅の旧亀井邸が建てられていました。
 

記帳して一階の二間続きの座敷から見学です。
係りのお嬢さんの説明では、亀井邸の主人・亀井文平氏は石油商(亀井商店 日本石油の東北地方総代理店)として財を成し、かつては景勝の地だった一森山の斜面に大邸宅を築いたのだそうです。
 
いろいろな展示物も見られ塩釜の歴史などの説明も勉強になります。
一階廊下には喫茶コーナーもありました。

四方向からの階段が集まる踊り場、珍しい造作で迷いそうです。
 
大正13年に建てられた当初は二階からの眺望は素晴しく、幾多の著名人も訪れたと云います。

母屋に続く洋館は東日本大震災で外壁の一部分が壊れ修復中、館内にその破片などが展示されていました。



旧亀井邸の見学も終了し、東参道を下って再び大通りの塩釜街道に・・・。
通りに沿って設置された様々な歌碑句碑が見る人を楽しませてくれます。
 
「見わたせば 霞のうちも かすみけり 煙たなびく しほがまのうら」新古今和歌集・家隆朝臣、など塩釜(しほがま)に関する和歌などの歌碑が歩道に沿って沢山並べられ、市民の古典への造詣の深さに感心させられました。

今回で仙台・多賀城・塩釜の旅を終わります。
次回は、天狗みこしで有名な“沼田祇園祭”。


2011 08 12(金)記。     前橋市        最高気温36.3℃

おまけコーナー。

自然の妙・・・横顔になった雲!
OMG!!!


車間距離26cm!縦列駐車世界記録認定(ギネス)。
Tightest parallel parking - GWR Video of the Week 3rd August 2011



横の隙間6cmの車庫に駐車し、神業で家に入る。
Man bijt hond - Het dorp





第615回 塩釜市 津波被害 塩釜港 御座船

2011-08-10 16:41:18 | 旅行

2011 07 17(日)

塩釜まぐる直売食堂での昼食後は塩釜市内を観光散策です。
下画像のJR本塩釜駅付近も1.5mほどの津波に襲われたそうですが、ちょっと見では被害は無いような外見でしたが・・・。
 
本塩釜駅前の三階建てビルの一階部はガラスは全て割れシャッターも破壊されて使い物なりません。

駅周辺の商店街も被災し、店舗を開いている店は全く見当たりませし、信号機が壊れ厳しい日差しの中、警官の手信号による交差点もありました。
  
本塩釜駅前の海技専門学院のドアにも津波の到達線がクッキリと刻まれています。(まで)

昭和の趣を色濃く残していた昔ながらの横丁は壊滅状態!通りに面した店は全滅でした。
 

JR本塩釜駅裏に建つイオンタウン塩釜SCを横目に見て塩釜港に建つ“マリンゲート塩釜”に歩を進めました。
イオン塩釜SCの脇には東日本大震災大津波で打ち上げられた漁船などの哀れな姿に心を締め付けられます。


東日本大震災大津波に襲われる塩釜港の動画です。

2011年3月11日 15時54分~ 塩釜港の津波 tsunami shiogama


東北地方太平洋沖地震 津波 塩竈港 マックスバリュー塩釜店.mov



津波 第一波 実録2011.03.11東日本大震災 マリンゲート塩釜から撮影

 

東日本大震災 宮城県塩釜港の被害状況



松島遊覧船や浦戸諸島定期便が出航する“マリンゲート塩釜”の屋上に上ってみました。


快晴の塩釜港が一望出来る素晴らしいビューポイント。画像の一番左方面がJR本塩釜駅がある地点です。


定期船や遊覧船が無傷のように接岸していました、大津波の被害から運良く免れたのでしょうか?


岸壁の右奥に満艦飾に飾られた船が2隻。 
明日開催される日本三大みなと祭の一つ“塩釜みなと祭”で港内を巡航し、祭りの主役を務める”御座船”です。
「東北鎮護・鹽竈神社」と「名神大社・志波彦神社」の幟旗を立てた御座船、風にたなびく五色幟が明日の祭りの賑わいを感じさせていました。


御座船の更に奥にも大きな漁船が岸壁の上に乗り上げ、大津波の猛威を物語っています。
早く修理済ませてクレーンで海に下ろして・・・・・と訴えているようでした。


爽やかな潮の香りをいっぱい胸に詰め、再び駅前から鹽竈神社方面に向かいました。
塩釜街道の両側に「鹽竈神社」と彫られた御影石製の大きな石柱が建てられ、その後ろには文明開化の象徴“ガス燈”も・・・。
この通りは“ガス燈と老舗の街並み”と名付けられています。
 
確かに通りの左右には古い時代の建屋が軒を連ねています。
白い車が停まっている二階建ての店は塩釜銘菓“志ほがま”で有名な丹六園(創業享保5年)。右の切妻屋根の大きな商家は江戸時代から続く味噌醤油醸造元“太田與八郎商店”。

太田與八郎商店の醸造蔵の前には松尾芭蕉がここから船出した「芭蕉船出の地」が見られました。
この場所から芭蕉は松島遊覧に出かけたのでしょうか?
その昔はこの辺りが港だったそうです。現在の塩釜港より800mほど内陸に入った場所です。


昔から塩釜銘菓として名高い「志ほがま」を求めて丹六園を訪ねます。
 
本当の商いはお茶の販売なのでしょう、店内は急須や茶碗などの茶器が所狭しと・・・。

店の一隅で目指す「志ほが満」を見つけました。茶販売店ですからお茶受けの菓子なのですね。
ちょっぴりと甘く仄かに塩っぱい白落雁みたいな菓子です。
 
「ガス燈と老舗の街並み」通り(塩釜街道)で目立ったのは市営公共施設の“一番館”と松島石造りで二棟の“塩釜石の酒蔵”。
通りに並ぶ老舗を見ながら鹽竈(塩釜)神社方面へ向かいます。


日本では放送できない 報道できない 震災の裏側 2



2011 08 10(水)記。     前橋市    最高気温37.7℃     体温より熱い!!

おまけコーナー。

インドで流行ってます・・・鉄道療法! ⇒ ここクリック。

ソファーサーフィン COUCH SURFING!


第614回 塩釜市 志波彦神社 七曲坂 御釜神社 塩釜まぐろ食堂。

2011-08-08 18:44:48 | 旅行

2011 07 17(日)

塩釜神社東神門から石段を下ると正面に小砂利が敷き詰められた志波彦神社前広場。
その一角に長い巨石がベンチ代わりに置かれていました。
長さ7.4m、幅1.5mの粘板岩の一枚岩“稲井石”。以前は川に架けられた橋板として使用されていたそうです。
 
広場から塩釜港が見渡せる高台に昭和天皇の歌碑が建てられていました。
歌碑には「さしのほる 朝日の光 へたてなく 世をてらさむそ わかねかひなる」の歌。

快晴の空の下、塩釜港が一望できます。


左手の手水舎で清めてから、志波彦神社の楼門を通って社殿へ・・・。


正面には志波彦神社の拝殿。入母屋流造りで鹽竈神社と良く似ています。
 
拝殿内部の真ん中に見えるのは本殿への入口扉かも・・・。

拝殿前の左右に一対の青銅製燈篭、手の込んだ模様が施され、名工の作と思われます。
 
志波彦神社・鹽竈神社共用の神馬絵図の願い絵馬。

志波彦神社については、⇒ ここクリック。

志波彦神社の直ぐ下にある「鹽竈神社博物館」は東日本大震災の被害で休館中。
入口近くに置かれていたのは鯨獲る捕鯨銃と大きな。かなり錆びが進み哀れでした。
 

四阿(あずまや)の下に甑炉(こしきろ)型鋳銭釜(いせんがま)を見ることが出来ました。
高さ183cm直径154cmで鉄製の鋳造炉、藩内で産出した鉄・銅で硬貨など造っていたそうです。
 
丸い平鍋は石川県能登半島の揚浜式塩田で使用されていた“煎熬(センゴウ)用平釜”。
天日で濃縮した塩水(かんすい)を煮詰めて塩にした平釜です。

一森山の鹽竈神社・志波彦神社からの帰路は一番古くからの参道だった“七曲坂”を下ります。
木立の下、幾重にも曲りくねった坂道をオゾンを浴びながら・・・。
 

七曲坂終点(上り口)にあった古碑は「しるべの石」。
塩釜九名石の一つで当地の菓子商・越後屋喜三郎により享保16年(1731年)に建てられた道標石。
昔はこの場所が塩釜の中心であったそうです。


七曲坂を下った地点から200mほどの場所にある“御釜神社”を訪問。
鳥居の扁額には「御釜神社」ですが石柱には「御釜社」、オカマ者が参拝かもね・・・。
 

御釜社の目玉は異変を知らせると伝えられる四口の鉄製御釜(神釜)です。
手前に2釜は屋根が無く、奥の2釜は上に庇(ひさし)が架けられていました。
御釜の水は常に涸れる事がないと言われ、世に変事が起こる前に水の色が変化して告げるそうです。
 
東日本大震災でも数日前から色が濁り、釜縁が小さく波立ち異変を告げたので、親宮の鹽竈神社に報告したとの事でした。
水色の変化で天変地異が起こるのは判るが、日時方向場所などは特定出来ないそうです。
この日の御釜水は左奥の一釜が少し濁っていただけで他の三釜は底が見えていましたが、本来の姿では無いそうで、、まだまだ余震など注意が必要との話でした。

古来から御釜神社の四口釜が塩釜発祥の中心地と言われています。

御釜神社境内の奥には「和賀佐彦という神が七歳の子供になって塩を背に載せた牛を曳いた姿が石になった」と伝承される牛石が沈み隠れている池の横に建つのが“牛石 藤鞭社”と神様が牛に使った「藤の鞭」を地面に挿したら藤になったと言う藤棚。
 
7月4~6日に古式製塩法で塩造りを祀る“藻塩焼神事”の舞台になる御竈。
この竈の上に平釜をのせて下から火を焚いて製塩して祀ります。

興味は尽きない御釜神社を後にして、本塩釜駅方面へ・・・。
御釜神社から2分ほどの地にあった造り酒屋・㈱佐浦(清酒・浦霞)の社屋入口がお寺みたいな造りです。

説明板には「塩釜神社の別当寺だった法蓮寺本堂の入口向拝を移築した」と・・・。
塩釜神社の神宮寺として法蓮寺は仙台藩の祈願所となり、篤い庇護の下、七堂伽藍を備えた壮大な寺院だったそうで、明治期の廃仏毀釈で惜しいことに廃寺となり打ち壊されたそうです。

あちこち見物している内に、午後2時になってしまったので昼食タイムです。
地元の人が奨める本塩釜駅近くの“塩釜まぐろ直売食堂”に入店。


この店の料理は全てマグロ料理! 
お店一押しのマグロ漬け炙りの「二色丼」(780円)と「まぐろの煮付け」(200円)を注文。
 
地元推薦の店だけあって新鮮で美味しいマグロ料理、皆様にも絶対にお奨めできます!!

次回は塩釜港など散策。(塩釜津波被災動画あり)

2011 08 08(月)記。     前橋市       最高気温35.5℃   暑ぅ~


おまけコーナー。

おバカ動画。 肛門ロケット花火!!


第613回 陸奥国一宮 塩釜神社。

2011-08-05 23:52:37 | 旅行

2011 07 17(日)

多賀城跡陸奥総社宮の見学後、旧塩釜街道を約8分ほど走って着いたのが天下に名高い“鹽竈神社”。(塩釜・塩竈神社 重要文化財)
全東北地方の鎮護を司る鹽竈神社は”陸奥国一宮”として塩釜市の一森山に鎮座しています。


男坂と呼ばれる表参道には大きな石鳥居が・・・この石鳥居は仙台藩第四代藩主・伊達綱村が寄進したそうです。
鳥居には「陸奥国一宮」と記された青銅の扁額、大きすぎて鳥居とのバランスがいまいち・・・か。

急傾斜で知られる202段の石段の男坂を一気に登ろうとしましたが、にぶった体力では足にきて休み休みの階段登りでした。

なんとか、202段を登りきり、見上げる先には朱塗りに輝く“楼門”(随身門・随神門)です。
楼門なので仁王様ではなく、神を警護する役の弓矢を携えた随身武者がお出迎え、裏側は可愛らしい鹿の像。
  

くぐった楼門の先には手水舎と“唐門”、口と手を清めて参拝に向かいます。
  
仙台藩御用商人の大阪升屋山片重芳が大阪で作り船で運ばせ、享和3年(1803年)に寄進した御影石製の一対の長明燈(長命燈)は、東日本大震災で両方とも最上部の丸いギボシが落下し、揺れの大きさを物語っていました。
唐門脇の狛犬は漫画チックな顔つきで愛嬌があり面白いです。

唐門から拝見した鹽竈神社拝殿、日曜日の昼間なのに参拝者が少なく寂しい限り・・・。


鹽竈神社拝殿前には珍しい品々が奉納されていました。
細工が施された芸術的な素晴らしい金属製燈篭。
第九代仙台藩主・伊達周宗が蝦夷地警護役を無事に終了したことを祝い寄進した“銅鉄合製燈篭”。文化6年(1809年)
 

日時計林 子平が考案し、禰宜の藤塚式部が寛政4年(1792年)に献納したもの。 デジタル時計(12時42分)と比べても正確な時を示していました。
面白い形の鉄製燈篭は1689年の「奥の細道」旅で芭蕉が鹽竈神社参拝の折、見物した“文治の燈篭”。 扉の日月は天皇の紋章でしょうか?
  
奥の細道」には「・・・神前に古き燈篭あり・・・五百年来の俤(おもかげ)、今目の前に浮かびてそぞろ珍し。かれは勇義忠孝の士なり・・・・」と記されています。
燈篭の扉に彫られた「文治三七月十日 和泉三郎忠衡敬白」から和泉氏が勇義忠孝の士で寄贈者だったのです。

入母屋流造りで端正な佇まいを見せる鹽竈神社拝殿
 
樹木は県天然記念物の“多羅葉”(たらよう)の木。樹齢500余年、樹高22m。

拝殿に向かって左が右宮、右が左宮、その奥に桧皮葺の左・右宮本殿が鎮座しています。
左宮には武甕槌(たけみかづち)神、右宮には経津主(ふつぬし)神を祀っています。その二神は鹿島・香取神宮の主神でもある軍神で、蝦夷地平定の守護神なのです。(蝦夷の人達にとっては最悪の神かも・・・)
 
中央の奥には本殿も無く陽の当たる空間があるだけ・・・。



鹽竈神社拝殿から見て左に建つのは“別宮”。 別宮にも拝殿と左右宮の軍神を蝦夷地に道案内した塩土老翁(しおつちのおじ)神を祀っている本殿があります。
拝殿の奥に本殿が少し見えたり・・・。
 
鹽竈神社は左右本殿・別宮本殿とそれぞれの拝殿で、「三本殿二拝殿」の極めて珍しい形式の神社です。

回廊の吊るされた絵馬たちが長閑に風に揺らめいていました。


明日の18日は塩釜市で開催される“第六十四回 塩竈みなと祭り”ですが、本夕刻帰るので見られません・・・。
 

回廊の上壁には古き時代の奉納絵馬絵が掲げられていました。
日本武尊が迫り来る猛火に草薙の剣で立ち向かう図は大正14年(1925年)奉納。
 
山部赤人と富士山」図は明治20年(1887年)。「神功皇后と竹内宿祢」絵は文久4年(1864年)の奉納。
外気に晒されていたからでしょうか? 色彩の剥落が激しく丁寧な保存を望みたいです。

鹽竈神社社殿などの見学を終了して東神門に向かう途中に、ここにしか咲かない国天然記念物の“塩釜桜”の細い樹がありましたが、今は葉桜だけですので省略。
木々に囲まれ瀟洒な造りの建物は奉納神楽が舞われる“舞殿”。 
 
暑い日差しの中、人影の少ない鹽竈神社をたっぷりと見学してから、なだらかな東参道(女坂)に至る“東神門”を下りて次なる古社“志波彦神社”へ・・・。

鹽竈神社については、⇒ ここクリック。


2011 08 05(金)記。     前橋市時々    最高気温32.3℃

おまけコーナー。

箸を使う巧妙なスリ。(中国人にはご注意を。)
國?小?有幾勁?

 
ノルウェーオスロで爆破テロ直後にUFO現れる Norway Oslo

 


第612回 日本三大史跡 多賀城跡。  陸奥総社宮。

2011-08-02 17:48:49 | 旅行

2011 07 17(日)

日本三古碑の一つ、多賀城碑を見学した後、奈良・平安時代の陸奥国府であった“多賀城跡”を散策。
国の特別史跡に指定されている多賀城跡は奈良の平城宮跡、九州の大宰府跡とともに日本三大史跡に数えられ、724年大野東人により建設・設置され、東北蝦夷地の平定にあたる最前線の戦略拠点だったのです。

先ずは、多賀城碑から80mの直ぐ傍にある多賀城外郭塀の南門跡
現在は南門が建っている訳ではなく、夏草が生い茂る場所に復元された石階段があるだけでした。
 
付近に往時の多賀城全体の青銅製レリーフが置かれ、多賀城が一辺約1kmの築地塀で囲まれた城砦のような場所だった事が見てとれます。
南門は俯瞰図中央下方の赤サビが出ている地点に建てられていたそうです。

重要文化財の多賀城碑付近から遠望した多賀城政庁跡、広い石階段を上った先に政庁の基壇があります。


多賀城碑の傍の南門から約450mで多賀城政庁跡入口にあたる“城前跡”に到着。
ここからはなだらかな勾配の石段坂道が続きます。
 
石段坂道の途中踊場から下を見ると、正面真ん中の木立の中に“多賀城碑”が小さく見えました。

多賀城跡地でも親切なボランティアガイドさんから詳しい説明が受けられます。

太陽に背を焼かれ、上り切ると広々とした草原広場で、説明板が無ければ多賀城遺跡とは思えません。

右隅の囲いの中の方形石はこの場所(多賀城政庁)を模った青銅レリーフ

一辺約100mの築地塀で囲まれた多賀城政庁の門や正殿などの建物が立体的に見られます。


政庁区画の西側に建っていた“西翼廊跡”と政庁正門の“南門跡”。  礎石だけが夏の陽に明るく照らされて・・・。
 

こちらは政庁の”東翼廊跡”、翼廊は南門を挟んで左右対称に建てられていました。
 
石が敷き詰められた“敷石広場”の後方には多賀城政庁の正殿が建てられていた基壇が見られます。

復元された正殿跡に残る基壇、この場所で政務や儀式などの陸奥の国に関わる重要な決定が行われていたそうです。
 

多賀城正殿跡基壇の後ろ側に建てられていた2石碑。左の石碑は“後村上天皇御坐処”、右縦長碑は“明治天皇供霊碑”。
後村上天皇は蝦夷地だった未開のこの地まで本当に来たのでしょうか?
 
後村上天皇が若き時代に北畠氏にかつがれ、当時国府だった多賀城に赴任し、この地で義良親王に任ぜられた(1334年)そうです。天皇の時には来ていないのでした。

多賀城跡(拝借動画です。)


特別史跡・多賀城跡の詳細は、⇒ ここクリック。


多賀城跡の見学後、旧塩釜街道を通って塩釜に向かう途中に立ち寄った“陸奥総社宮”。
 
それほど古そうには見えない社殿ですが、陸奥総社ですから東北地方一円の神社を統括している由緒ある本社(ほんやしろ)かも・・・。

拝殿の外壁には「自衛隊66km駅伝優勝額」と卯年の大きな奉納絵馬。
 

安産と子育てに霊験がある“安産枕”。
妊婦がこの枕を持ち帰り神棚に供え安産を祈り、無事出産の後は一個増やして御礼奉納すると良いとか。                                                   
 
 裏側には本殿が木立の中にひっそりと・・・。

陸奥総社宮については、⇒ ここクリック。


次回は陸奥一宮・塩釜神社です。



2011 08 02(火)記。      前橋市 薄     最高気温27.0℃

おまけコーナー。

箸を使う巧妙なスリ手口。(中国)
國?小?有幾勁?


乗るなら死ぬ覚悟で!
中国製自動車のクラッシュテスト。 Chinese car crash test failure



中国製Volkswagen Golf 2 Crashtest