ツトムさん家の写真日記。

写真いっぱいの楽しい日記です。(全面表示でご覧下さい)

第881回 太平山 あじさい坂 六角堂。

2014-06-27 15:00:00 | 旅行

2014 06 21(土)

栃木県栃木市郊外のアジサイで有名な“太平山神社”を観光参拝。

県道269号線を跨ぐ様に建てられた太平山(おおひらやま)神社の第一鳥居(神明鳥居)。


途中の国学院大学栃木高校を過ぎると、直ぐに名所「あじさい坂」。(あじさい坂下に市営の有料P場有り、300円)


太平山神社の参道を兼ねていますので、紫陽花の道筋に幾つもの鳥居が建っています。
  


あじさい坂を少し上った左側に「奉納 虚空蔵菩薩」と染められた赤い幟が目に付く“六角堂”(天台宗 太平山連祥院)の堂宇。


廃仏毀釈が吹き荒れた明治期までは、神仏習合で太平山神社と同じ境内に建っていたそうです。
神仏分離令で神社と分離された連祥院は太平山中腹に移され、現在の地に建てられました。
  
ご本尊様は本堂奥に祀られている“虚空蔵菩薩像”。

京都の六角堂を模して建てられた六角形の連祥院本堂、通称“六角堂”と呼ばれ親しまれています。(明治38年建立)


連祥院六角堂境内に咲いていた可愛らしい紫陽花


坂道も石階段になり、ここからが紫陽花の名所「あじさい坂」になります。


1000石段の両側に2500株の紫陽花が咲く「あじさい坂」。


あじさい坂」に咲く色鮮やかな紫陽花が眼に優しく映ります。
 

あじさい坂」の下方向。あさの9時30分頃なので観光客はまだちらほら・・・。
10時過ぎ頃から混雑、駐車場には長い車の列。


登る途中の右奥に「窟神社」が在ります。     投げた小石が石鳥居にのると幸運が訪れるかも・・・。
 

石鳥居から少し下がった場所に清水を湛えた大きな洞窟は“窟神社”の御神体。
太平山弁財天を祀り、財運・芸事・教養に霊験があります。
 
脇に流れる清水は冷たくて美味!

参道「あじさい坂」の紫陽花を愛でながら進むと立派な石碑が建てられています。
太平山と「あじさい坂」などの開発・整備に尽力した鈴木宗四郎翁顕彰碑。
 

あじさい坂途中の御茶屋の赤い和傘が印象的。  傘をモチーフに撮影していた人の横から一枚。(傘は六角堂で無料貸出)
 

1000石段ですから紫陽花参道はまだ続きます。                    参道の右横に田村律之助翁の石像。
 

あじさい坂を8割ほど登った場所に銅作りの明神鳥居、掲げられた「太平宮」の扁額(松平定信の筆?)。
これまでは全て神明鳥居でしたが、急に明神鳥居になり違和感が・・・。
 

銅製明神鳥居の脇に高札場の様な建屋あり。 老中・松平定信の直筆の書板が掲げられています。
記されているのは太平山神社の由来のように見えます。
 

あじさい坂の最終地はきつい急角度の石段、頭上の朱塗り建物は太平山神社の随身門です。
 
太平山のあじさい祭り」は6月13日(金)~6月30日(月)まで。


次回は太平山神社を参拝。

2014 06 27(金)記。     前橋市 薄      最高気温 29.7℃     最低気温 21.3℃


おまけコーナー。

赤ちゃんにハイハイを教える犬。
Buddy's Baby Crawling School



エサを必死で守る子犬。Tiny dog vs big dog - who's the boss?


第880回 飛行機王 中島知久平邸。

2014-06-24 18:00:00 | 旅行

2014 06 18(水)


戦前・戦中に飛行機王として名を馳せた、中島飛行機製作所(現 スバルの富士重工業)の創業者“中島知久平”の邸宅が14日から公開されました。(入場無料)

場所は太田市押切1417番地、中島知久平翁が両親のために建てた敷地10000㎡の豪邸(昭和5年完成)。

太田市郊外の田園地帯の一角に築地塀を巡らせた広大な中島知久平翁の邸宅。
 
頑丈そうな表門と向かって左に守衛が居住する門衛所。

車寄せの唐破風屋根が特徴の正玄関から本館内を見学します。


重厚な造りの正玄関。           玄関から上がった最初の部屋は玄関広間。 格天井にはシャンデリア。
  

第二応接間から見た第一応接間。


大理石造りのマントルピース(暖炉)が豪華です。     西南の角には陽当り良好な第二応接間。
 

各応接間の上部には草花・鳥蝶のステンドグラス。
 

充分な幅がある廊下の右には中庭が望めます。     各部屋の床はモザイク文様の寄木細工仕立て。
 

中島知久平邸の中庭。(手入れ不足の状態が残念。)


中門から第二応接間と客間として使用された大きな寝殿造りの和風建物。

芝生が3000㎡にも及ぶ平坦で広大な前庭。

純和風建築の中島知久平邸は重要文化財に指定されています。


客間(49畳敷)内部。厚い絨毯は建築当時の物。 
正面中央の襖の青色横線は昭和22年のカスリン台風での床上冠水位置。(すぐ近くの利根川が氾濫)


大きく豪華な緞通絨毯もカスリン台風水害で部分的に変色しています。


左は客間の建物、中央が中島知久平翁の父母(粂吉・いつ)が住んだ二階建ての居間と仏間、右横に土蔵。

二階部分は中島知久平翁が使用していました。

父母が居住した一階の和室居間には豪華な西陣織りの応接椅子。
 
建物の下を通って前庭から中庭へ抜ける秘密の通路か・・・?

中島知久平邸の裏側、東日本大震災の激しい揺れにも耐え抜いた蔵にはお宝がいっぱいかも・・・。


2本の大きなヒマラヤ杉は中島知久平邸建設当初から屋敷を見守っています。


中島知久平翁家紋の「下り藤」、建物の至る所に表示されています。
  

上品な桜鼠色の土台石は岡山県で産出する桜御影・万成石か?目立たない場所まで贅を凝らしています。
 
中島知久平邸公開記念バッジ(200円)。デザインは中島製造の陸軍の一式戦闘機「隼」か海軍の「零戦」か・・・。

中島知久平邸平面図。 赤い建屋は戦後進駐軍に接収された時に増築された「ダンスホール」(解体撤去済み)など。


中島知久平翁の簡単な年表。(粂吉・いつの長男として尾島に  1934年太田新工場 1937年鉄道大臣)


アジア最大の航空機メーカーだった中島飛行機製作所のオーナー社長に相応しい完成時の邸宅。
現在見るものとほとんど変わりがありません。ヒマラヤ杉は現在の三分の一程度の大きさ。


屋敷の西側に屋敷内神社、祭神については不明。


今回の公開は玄関・玄関広間・第一応接間・第二応接間のみ、客間や父母の部屋などは外側からガラス越しの見学、風呂場・トイレ・台所など見られずに中途半端な感じとなりました。

中島知久平邸についての詳細は ⇒ http://www.go-isesaki.com/nakajima_chikuhei.html


2014 06 24(火)記。      前橋市 後雷雨。     最高気温 26.6℃   最低気温 19.9℃


おまけコーナー。

破壊を使命とするネコ。
http://hamusoku.com/archives/8410122.html                               


世界的名画に溶け込んだニャンコ。
http://karapaia.livedoor.biz/archives/52164860.html


ねこ動画。
Most Hilarious Videos Of Cats 2014 - Best Funny Kitten Compilation


第879回 旧信越本線 熊ノ平駅跡。

2014-06-20 12:00:00 | 旅行

2014 05 11(日)


軽井沢からの帰路、ヘアーピンカーブが連続する旧国道18号線の碓氷峠の途中にある旧信越本線の“熊ノ平駅跡”に立寄ってみました。

道路脇に熊ノ平駅跡見物用の無料P場が完備され、案内看板も充実。






P場に車を停め、案内表示に従って良く整備された遊歩道(階段)を登ります。
(最初の階段踊り場の右横に清水が湧き出す水場有り、但し飲料には不適)
 

国道のP場から2分程で、熊ノ平駅跡(標高689m)に到着・・・・・・駅舎らしき物は何もありません。
 
旧信越本線の錆びたレールと小さな「旧熊ノ平駅」の表示柱が、かつて駅が存在した事の証明です。

熊ノ平駅跡の線路中央から長野県・軽井沢方面(下り)を撮影。むせ返るような新緑が眼に焼き付きます。


平坦部は少ないので、直ぐにトンネル。その先にもまたトンネルと碓氷峠はトンネル続き・・・。
横川駅から軽井沢駅までの間に26トンネルあります。


こちらは群馬県の横川・松井田方面(上り)。右プラットホーム先の大きな建物は熊ノ平変電所の廃墟。

熊ノ平駅は電化されるまでは蒸気機関車の給水給炭の補給駅でした。

変電所の先は真っ暗なトンネル。トンネル手前を右方向に旧信越本線を辿り横川駅まで6kmの遊歩道が続きます。

熊ノ平駅鉄道事故や土砂崩落事故での地縛霊がトンネルに漂うとの噂話も・・・・・怖ヮ~ 嘘~。

熊ノ平駅跡を簡単に見物し、再び階段道を下って国道18号線のP場へ・・・。
 

旧信越本線の歴史が分かる動画。
碓氷峠・ここに鉄路あり 難所に挑む列車たち 4-1


熊ノ平駅P場から車で少し下ると、緑の谷間に忽然と現れたのが“めがね橋”。
正式名は「旧信越本線 碓氷第三橋梁」と言うらしい。
めがね橋をラックレールとピニオンギアを装置したアプト式鉄道が通過、人・物流などに重要な役割を担いました。


碓氷峠の最大観光遺跡“めがね橋”(標高580m)は1993年に国の重要文化財に指定。

高さ31m長さ91mの4連構造で日本最大の煉瓦造りアーチ橋
1891年から工期2年間、約200万個の煉瓦を使用し1893年(明治25年 明治26年開業)に完成。
1963年信越本線の新線路が完成するまでの70年間、鉄道の大動脈として活躍しました。

旧国道18号線からめがね橋上部へ上がる小径もある美しい観光スポット。
現在は遊歩道「アプトの道」として保存・観光利用され、世界遺産への登録を目指しています。

めがね橋の近くに見物用無料P場が設置され便利、春・夏・秋の観光には最適。

旧信越本線碓氷峠の詳細は小林収著『碓氷峠の歴史物語』をご覧ください。


2014 06 20(金)記。      前橋市       最高気温 27.9℃    最低気温 19.0℃


おまけコーナー。

サッカーボールで絵を描く女性(マレーシア)
World Cup 2014 Art - Ronaldo, Neymar and Messi Portraits by Red Hongyi


沈んだ舟を足だけで浮上させた少女。
Bajau Laut girl


渋滞を解消するモンスタートラック。
MythBusters Driving Through Traffic


第878回 軽井沢 碓氷峠 見晴台。

2014-06-17 12:00:00 | 旅行

2014 05 11(日)

軽井沢の三大名所の一つと云われる“碓氷峠 見晴台”を探訪。
軽井沢駅前から軽井沢銀座と呼ばれる観光客溢れる商店街を抜け、更にその奥の別荘地を通過して、
県境に鎮座する熊野神社少し手前に無料P場と見晴台入口の門柵が見えてきます。
 
門から遊歩道を歩くと、見晴台広場の少し手前左に「タゴール記念碑」があります。

木立の中にインドが生んだ世界的詩人・ノーベル文学賞受賞者“サー・ラビンドラナート・タゴール”の銅像。(アジア人で最初のノーベル賞受賞者)
 
1916年来日し、軽井沢に1週間滞在した詩聖“タゴール”は「人類不戦」の平和主義を説きました。
このタゴール記念像はタゴール生誕120周年を祈念し、谷川徹三・高良トミたちにより建立。

更に進んだ右側に“万葉集歌碑”。
日本最古の歌集・万葉集に記された碓氷峠の歌二首が現代語で刻まれています。

「日の暮れに うすひの山を こゆる日は せなのが袖も さやにふらしつ」詠み人知らず。
「ひなくもり うすひの坂を こえしだに いもが恋しく わすらえぬかも」他田部子磐前。

碓氷峠見晴台の案内看板。


結構広い見晴台の頂上広場。休憩用の四阿(東屋・まずまや)も完備。


群馬県と長野県の県境に位置する見晴台の標高は1200m程。 県境を表示する大標識板も見られます。
 

群馬県と長野県にまたがる雄大な山塊が眺望できる“碓氷峠見晴台”。


見晴台ガイド。⇒ http://www.slow-style.com/miharashi/index.htm

日本三大奇山の一つ“妙義山”。見晴台からは見えるのは裏妙義です。


遥かに遠望できる雪を戴いた八ヶ岳連峰


見晴台の西隅には眺望を楽しみながら休憩できる四阿(アズマヤ)と周囲の山々の名を記した銅標識版も設置。
 

上方向が北東、下が南西。左上の大きな山は熊野神社のある一ノ字山、左斜め下は浅間山
富士山も右下に表示されています。


北西方面には活火山で有名な“浅間山”(標高2568m)の雄大な姿が拝めます。
天明3年(1783年)の大噴火により天明飢饉の大災厄がもたらされたのは有名です。。


左の岩峰は浅間山外輪山の剣ヶ峰(標高2281m)、噴煙も見えずに穏やかな浅間山の山頂部(釜山)。


軽井沢町(町域)の中央に位置する火山台地の離山(はなれやま 1256m)は浅間山の側火山、
ハイキングに最適な山頂が平たいテーブルマウンテン。

離山ハイキングガイド。⇒ http://www.slow-style.com/hanare/index.htm

絶碓氷峠見晴台の片隅に、絶好の眺望を誇るこの地を拓いた“近藤友右衛門”の頌徳碑(昭和41年建立)。

題字の「山深水寒」は鈴木大拙の筆によるもの。


次回は「旧信越本線 熊の平駅跡」。


2014 06 17(火)記。       前橋市 薄     最高気温  29.7℃    最低気温 19.8℃


おまけコーナー。

凄技!ボウリング。
Bowling Trick Shots | Dude Perfect.



カップインしたはずのゴルフボールが・・・。
Padraig Harrington's unlucky bounce on No. 11 at HP Byron


第877回 安中市 郡奉行役宅 武家長屋 根岸松齢石碑。 

2014-06-13 12:00:00 | 旅行

1014 05 11(日)


侍マラソン“安政遠足”スタート(8時)までの時間を使い、スタート地点周辺の旧跡を訪問。

旧安中藩の郡奉行役宅
安政遠足スタートの交差点からは2棟に見えますが、手前の建屋は長屋門、奥が母屋です。
幕末から明治初期にかけて郡奉行だった猪狩懐忠が使用していた武家屋敷。


西側から見ると、武家屋敷には珍しい母屋が曲り屋形式。


長屋門から見た母屋全景。重厚の茅葺屋根と土壁が印象的です。


早朝・オープン前なので、母屋の中には入れませんので、外側から撮影のみ。
 



旧安中藩郡奉行役宅と道路(大名小路)を挟んだ北側にも古そうな家屋がありますが名称不明、郡奉行役の書庫蔵でしょうか?



大名小路を西に80mの場所に“旧安中藩武家長屋”が見られます。安政遠足のスタート地点なので仮装ランナー達もちらほらと・・。
 

武家長屋の東門から誰も居ない屋敷内へ・・・。


南東から見た旧安中藩武家長屋の全景。 



茅葺屋根の四軒長屋、千木(ちぎ・屋根の交差板)のある出っ張り部がトイレ、その先の平入部が台所の流し場。
 

玄関土間には煮炊き用の土竈(つちかまど)。部屋は10畳間が2部屋(1部屋は床の間付き)。室内から見た屋根内側(天井板無し)。
  

旧安中藩武家長屋の屋内見取り図。


武家長屋には共同使用の井戸が一ヶ所。(屋根が倒壊)  石枠が整った深い井戸。
 

旧安中藩武家長屋の西側面と西門。


五軒長屋も建てられていたそうです。


公園として整備された「旧安中藩 武家長屋」の俯瞰図。


黒太線が安中城区画。 中央が本丸のある安中城(天守閣は建てられませんでした)。
 
武家長屋の場所は ↑ 南西隅の黄色っぽい地区。上の川は九十九川、下が碓氷川。(共に左から右へ流れます)

旧安中藩の郡奉行役宅の北へ100mほどの場所に立派な石碑、右が根岸松齢(安中藩剣術指南役・根岸流手裏剣創始者)の碑。
左はその父・根岸宣徳(剣術家)の石碑。
 
この後、安政遠足の開始が迫り、スタート地点へ移動しました。

安中市には新島襄新島八重など著名人の旧跡が多数あります、後日訪ねる予定です。

次回は「碓氷峠見晴台」編。


2014 06 13(金)記。      前橋市       最高気温 30.4℃     最低気温 19.2℃


おまけコーナー。

中国人が日本人に伝えた韓国人取り扱いマニュアル



中国の大発明!!
??: [拍客]深�祁老?村姑公??口叫?"尿不歪"


第876回 碓氷峠 熊野神社 熊野皇大神社 下。

2014-06-10 12:00:00 | 旅行

2014 05 11(日)


群馬県と長野県の県境に聳える“一の字山”(1336m)の東南中腹に位置する、碓氷権現熊野神社熊野皇大神社の境内(標高1200m)を散策。
両神社の境内にある名所・名跡など訪ねます。

群馬側の“熊野神社新宮”横に鎮座している赤屋根は“正一位 稲荷大明神”兼“菅原社”、五穀豊穣・商売繁盛の神と学問の神様が同居の御社。
稲荷神の使い"白狐”が人待ち顔で整列しています。
 

熊野神社本殿近くの古石垣の上には数多くの末社も見られます。 
下は健康神社と名付けられた社(やしろ)。
天御中主大神ほか二神を祀り、心と体の健康と子孫長久・二世安楽・厄難消除の守護神。
 

火袋の部分が無く、笠が中台に載っている古灯篭やかなり年代物(江戸時代)の石碑も見られます。
   
六重の石塔は南北朝(文和3年・1354年)の銘がある石造の多重塔
碓氷峠一帯で争われた「武蔵野の戦」で亡くなった武士の遺骨を納めた石塔で天明3年の浅間山大噴火で被災し、本来の七重塔が六重塔になったそうです。

熊野神社境内東側に建てられた立派な石碑は「のぼる陽は 浅間の雲をはらいつつ 天地霊あり あかつきの光」と刻まれた歌人・杉浦翠子の歌碑。
 
伊達正宗公が碓氷峠を登ってきた折に詠んだ「夏木立 花は薄井の 峠かな」・・・・この句の石碑はありません。

群馬県側の熊野神社境内の展望の良い場所に“日本武尊「吾嬬者耶」(あずまはや)詠嘆の地(日本書紀より)”の縦看板。
 
県境から群馬県側の地区を吾妻郡と呼ぶいわれが「吾嬬者耶」からだったのです。
また、その昔は碓氷峠から東を東国(あずま・あずまのくに)とも呼ばれました。

熊野神社(群馬県)の御神木一位(いちい・くぬぎ)の大木、随身門の脇にあります。
 

長野県側の熊野皇大神社の境内を拝見。 随身門の横には“明治天皇峠御小休所”なる石柱と“日本武尊「吾嬬者耶」詠嘆の処”と記された小看板。
本当の詠嘆場所は群馬側か長野側か不明ですが、長野県側からの眺望は期待できません。
  
熊野皇大神社の御神木は「(しな)の木」の巨樹。信濃(長野県)の語源になった科の(科野)木と云われる樹齢800余年の古木。
アイヌ語のシナ(科)には結ぶ・縛るの意味があり、縁結び・開運の霊験・御利益があるそうで、「しなの木御守り」もあります。

長野県側の那智宮本殿左側に奥宮が四社鎮座。
右から「山神社」、「荒神社」、「八咫烏社・矢立社」、「〇×社」(小さいので画像省略)。

我が家の「山の神」が鎮まるよう入念に「山神社」を拝します。

長野の熊野皇大神社の「日本武尊と八咫烏」絵馬。群馬の熊野神社の「日本武尊の吾嬬詠嘆」絵馬。
 

八月九日生まれの“やたくまくん”は軽井沢のゆるキャラ。
八咫烏と熊の愛の子、科の木葉を頭に載せて3本脚で素早く困っている人を助けます。
 
碓氷権現の「JFAお守り」で今月ブラジルで開催ののWOLD CUP必勝間違いなし。


次回は安中市の旧跡編。


2014 06 10(火)記。      前橋市       最高気温 28.5℃       最低気温 19.5℃


おまけコーナー。

500年分の女性西洋絵画90作品を約3分間に凝縮。
500 Years of Female Portraits in Western Art


第875回 碓氷峠 熊野神社 熊野皇大神社 中。

2014-06-06 12:00:00 | 旅行

2014 05 11(日)


上州(群馬県)と信州(長野県)の県境に鎮座する“碓氷権現熊野神社”の参拝。

境内入口の石造鳥居(神明鳥居)から石段を上り、随身門を入ると広い境内に到着。
参道の正面に連なって見える3っの社殿、左は長野県の那智宮、中央が両県にまたがる“本宮”、右は群馬県の新宮
 
それぞれの本殿は前面の幣殿の奥に鎮座。(切妻風三角に見える建物)

本宮(江戸時代後期建立)の真ん中を県境が通り、それぞれ神社名が異なるので御賽銭箱も別々に置かれているのが面白い。
  
那智宮の祭神「事觧(解)男命」(ことさかのおのみこと) 本宮の祭神「伊邪那美命」(いざなみのみこと)「日本武尊」(やまとたけるのみこと) 
新宮の祭神「速玉男命」(はやたまおのみこと)。

本宮に掲げられた扁額には「熊野皇大神社」(大勲位 小松宮彰仁親王 書)の文字。 右は新宮
 

長野県側に鎮座する素朴な“那智宮”(後方が那智宮本殿)、幣殿は扉が閉められ内部を拝見できません。
 

本宮の右側、群馬県に鎮座の唐破風造りの開放的な“新宮”の幣殿、幣殿内の祭壇が拝めるのが嬉しい。
 

新宮”の中には群馬県最古の釣鐘と伝えられる「古鐘」(鎌倉時代に松井田武士団により「二世安楽」祈願で奉納)と随身木像(右大臣 明治初期)。
   
新宮本殿の透かし彫りは左甚五郎の弟子が作成した名品。

新宮の前に建つのは重厚な“神楽殿”(拝殿)正面には上州伊勢崎の熊野講中からの寄贈額。
内部には安中宿の柳澤家が奉納した絵馬 江戸時代の天保11年・1804年「神功皇后とその子(応神天皇)を抱く竹内宿禰」図や多数の太々神楽額なども拝見できます。
  

神楽殿内部(拝殿兼用)と祭壇。右隅に隠された米俵を背にした大きな(わら)は神楽か祭事用でしょうか?
 
神楽殿の天井中央にはめ込まれた格天井絵、江戸時代の文化2年 1905年)絵師・星雲齋良山の筆。(熊野神社HPより転載)

那智宮の脇には熊野皇大神社の格調ある拝殿神楽殿、この日は護符・・御守り・縁起物などの受与所で内部は拝見できず。
 

霊験新たかな「熊野権現 烏午王札」は厄除消除の御神札。。


詳細は下記、碓氷権現 熊野神社のHP(ホームページ)をご覧ください。

熊野神社HP ⇒ ここクリック。
http://www.geocities.jp/kumanogonngenn/


熊野皇大神社HP ⇒ ここクリック。
http://www.geocities.jp/kumanokoutai/


次回は碓氷権現熊野神社境内をご案内。


2014 06 06(金)記。      前橋市  昨日関東梅雨入り。     最高気温 19.1℃     最低気温 17.6℃


おまけコーナー。

事故現場を横切る半透明の霊。(スペイン)
Real GHOST caught on tape after fatal car crash accident | Ghost caught on tape | Real ghost videos



事故車から浮かび上がる黒い人影。(アメリカ)
交通意外(顯見亡魂出現)


第874回 碓氷峠 熊野神社 熊野皇大神社 上。

2014-06-03 12:00:00 | 旅行

2014 05 11(日)

侍マラソン“安政遠足”の合間を使い、群馬県と長野県の県境に鎮座する二つの神社を参拝。
参道の石灯篭脇の長野県側に位置する「熊野皇大神社」の大看板が目立ち過ぎ・・・。(皇大=こうたい)
 
大看板の左横に信濃宮宗良親王の「君がため 世の為何か 惜しからむ 捨てて甲斐ある 命なりせば」の歌碑も見えます。
安政遠足のゴール地点で太鼓を打つのは、群馬県側の熊野神社宮司・曽根恒季様。

群馬県側に鎮座する熊野神社由緒書き。


石の神明鳥居をくぐると、左側に俳人・山口誓子の「剛直の 冬の妙義を 引寄せる」の句碑(昭和50年建立)。
  
更に進むと、参道石段の左右両脇に2匹の狛犬が置かれています。
室町時代中期の作と伝えられる長野県最古の狛犬。左が吽(うん)の雌、右が阿(あ)の雄。
カエルか猿かナマズのような姿がユニークで愛らしい狛犬です。

急な石段を登りきると「熊野皇大神」の扁額を掲げた“随身門”(神門)。
 

随身門の下に珍しい石の置物。左右一対で「石の風車」(元禄元年 1688年建立)と呼ばれています。
江戸時代に中山道の旅人達が「石の風車」と見たて、「碓氷峠の あの石車ョ~ 誰を待つやら くるくると」と追分節に唄われた名物石。
時の代官・佐藤平八郎と商人・ 佐藤市右衛門が「二世(現世と来世)安楽」を祈願して明暦3年(1657年)に神社の石段を築造し奉納、
その記念に子の市右衛門(世襲名)が佐藤家の家紋“源氏車”を彫り奉納した石造物。
  
右上は熊野神社の御朱印、下には熊野神社のシンボルの八咫烏(やたがらす)。

熊野神社の祭神“日本武尊”の危機を救ったと崇められる“八咫烏”の土鈴が可愛い・・・。
  
日本サッカー協会のシンボルマークにも勝利に導く縁起の良い八咫烏が使われています。


随身門に安置された随身様(左大臣)は明治初期の木像。 一段高い場所に置かれたのは弓矢を持った随身様。
 


次回は、追分節で「碓氷峠の 権現様はョ~ 主のためには 守り神」と囃された熊野神社熊野皇大神社を参拝に・・・。



2014 06 03(火)記。       前橋市 薄      最高気温 29.1℃      最低気温 18.5℃


おまけコーナー。

猛暑が実感できる23画像。
http://karapaia.livedoor.biz/archives/52164013.html


おバカ映像。
Самые нелепые приколы и просто смешные случаи из жизни 2014 (Часть 3)



ヤギを背負ってサイクリング。
http://karapaia.livedoor.biz/archives/52164600.html