ツトムさん家の写真日記。

写真いっぱいの楽しい日記です。(全面表示でご覧下さい)

第160回 カンボジア アンコール遺跡群 9 プレループ寺院の夕陽。

2006-12-27 22:22:22 | 旅行

東洋のモナリザのあるバンテアイスレイ寺院見学の後、シェムリアップ市に戻る途中にある古寺・プレループ寺院で夕陽見物です。

ピラミッド状構造の寺院ですが、かなりのオンボロ寺。
もちろん誰も住んでいません。住人は供物狙いのだけ。
プレループ寺院961年ラージェンドラヴァルマン2世の建設と言われています。

夕陽を見るためには急傾斜の崩れそうな階段を登りました。

最上部と四方に建っている祠堂はご覧の通り草ボウボウ。
屋根にはカンボジアぺんぺん草が・・・。

ここでもヒンズー教のシバ神を守護する獣神シンハが東西南北を睥睨していました。
 
日本の神社の狛犬はこれを模倣したのでしょうかね?

夕陽の日没までプレループ寺院で暇つぶし見物になりました。

プレループ寺院の最上部から見た入場口です。

頂上の祠堂の周辺は夕陽見物の人達でいっぱいで、座る場所もありません。
 
祠堂内部には堂の大きさに似合わない小さな仏像が密やかに肩を寄せ合って・・・。

プレループ寺院を見物している間に、次第に陽は傾いてゆきました。

何故か、西方にはが出て嫌な予感です。

ヤッパ、太陽の沈む処だけに雲が・・・残念!

少し前に同じ場所を撮った写真です。

寺院の周囲は鬱蒼たる密林が広がっていました。

次回からはアンコールワットを掲載いたします。

2006 12 27(水)記。      前橋市     最高気温18℃

12月27日   浅草仲見世記念日(1885年・明治18年開業)  ピーターパンの日

 


第159回 カンボジア アンコール遺跡群 8 東洋のモナリザ(バンテアイスレイ寺院)

2006-12-23 00:00:00 | 旅行

秩父「飯田八幡鉄砲まつり」3回のためお休みしました、カンボジア・アンコール遺跡群の旅を再開致します。

本日の掲載は東洋のモナリザで世界的に有名な石造彫刻がある、バンテアイスレイ寺院です。
バンテアイスレイは「女の砦」と云う意味だそうです。(尼僧院かも・・。)

アンコール王朝の摂政だった「ヤジュニャヴァラーハ」の菩提寺(ヒンズー寺院)。 ラージェンドラヴァルマン2世の命で967年建設。
駐車場から両側にリンガが並んだ長い参道を通って行きました。
 
入口では入場券チェックの役人がにこやかにお出迎え。
 
彫刻の施されたヒンズー寺院様式の門を幾つか入って中へ進みました。
石柱には古代クメール文字が刻まれていましたが、さっぱり判りません。

バンテアイスレイ寺院の中央には石造の3大祠堂が悠然と屹立していました。
 
この中央祠堂に超有名な“東洋のモナリザ”が・・・。

紅色砂岩の全面が美しいレリーフで飾られています。

彫りの深さと精密さは誠に見事です。 きっとクメールの左甚五郎でしょうね。

左下の写真が東洋のモナリザと呼ばれ、世界屈指の石彫美術でアンコール遺跡群観光の目玉の一つです。 中央祠堂には沢山の女神像があり、すべてが“東洋のモナリザ”と云っても過言ではありません。
 
東洋のモナリザ”は紅砂岩に彫られたデヴァター女神像です。

フランスの作家アンドレ・マルローがこのデヴァター女神像の魅力に幻惑され、盗み出そうとする顛末をもとに「王道」という小説を書いたことで一躍有名に。

バンテアイスレイ寺院の祠堂は隅々まで丁寧に彫られて、往時の芸術水準の高さが偲ばれます。

石造りの寺院にはデヴァター女神像以外にも数多くの美しいレリーフが見られます。
 
見ている内に時の経つのも忘れ、古代クメールに同化してしまいそうでした。
 
カンボジアの子供達が遺跡でノンビリと遊んでいたり、参道の付近の堀ではピンクの蓮の花が・・・。

確かにバンテアイスレイ寺院の“東洋のモナリザ”彫刻は素晴しい感激ものでした。
重要な世界遺産の一つとして絶対オススメできる遺跡です。

2006 12 23(土)記。    前橋市    最高気温13℃

12月23日    東京タワーの日(1958年昭33年 高さ333m 自立式鉄塔では現在も世界一の高さ)  テレホンカードの日(1982年 最近はに負けてます。) 
 文の日(フミ)  


第158回 秩父・小鹿野町 「飯田八幡神社 鉄砲まつり」 下。

2006-12-18 18:18:18 | 旅行

12月10日  秩父・小鹿野町「飯田八幡神社 鉄砲まつり」の最終回。

大名行列の「お立ち」は毛槍奴の次に侍組が神社に駆け上がる番です。
神社参道を両手を広げてクルクル廻る、ひょうきんな踊りを見せながら上がって来ました。
 
スタート地点で呼吸を整えて準備万端!

神社拝殿前からの合図で一斉に駆け出します。
それと共に川越藩火縄銃隊猟師達の銃口の火蓋が切って落とされました。
 
銃火の轟音と濛々とした硝煙の中、侍組も無事に神社に「お立ち」でした。

次はお立ち神事の一番の見どころ、神馬の石階段駆け登り。
背に御幣を載せた神馬も大群衆に驚いて興奮状態、馬勢子がなだめ賺して一苦労。
 
神馬の機嫌を取りながら、何とかスタート地点に到着。
左右の鉄砲隊も観客も神事の成否を固唾を呑んで見守っています。

雄馬の神馬は前後左右の勢子を引きずる様に八幡神社目掛けて駆け出しました。

さすが雄神馬だけあって驚くほどのスピード!!

でも、銃火の轟音と急傾斜の石段で身の危険を感じたのか急停止しました。
 
でも、手馴れたもので、馬勢子達の見事な手綱さばきで16段の石段を無事に駆け登り、「神馬お立ち神事」の奉納絵巻の完成でした。

両側の火縄銃の洗礼を授けて神社に登った人・馬は神社本殿・拝殿を三回廻る定めになっています。

この後、雄に続いての神馬も同様に銃火の中で神事を行い、「お立ち神事」「銃火奉納」は滞りなく無事終了。

「鉄砲祭り」で大活躍の川越藩火縄銃保存会の皆様ご本当に苦労さまでした。
 
これからも火縄銃演武で観客を魅了して下さいね。

神社の境内では雌雄の神馬が神事疲れを癒していました。
(神社のダシに使われて、馬はホントにイイ迷惑だって!!)

この後、神社下の参道で笠鉾巡航山車の引き廻しとなりました。
 
花笠鉾の可愛い娘さんの艶っぽい掛け声と、山車の威勢の良い笛太鼓の音で奇祭「飯田八幡神社 鉄砲まつり」の夜は更けて、秩父路一年の祭事はフィナーレを迎えます。

2006 12 18(月)記。    前橋市    最高気温10℃

12月18日   日本の国際連合加盟の日(1956年)  東京駅の日(1914年完成)


第157回 秩父・小鹿野町 「飯田八幡神社 鉄砲まつり」 中。

2006-12-14 23:33:00 | 旅行

12月10日(日)  前回に引き続き、秩父小鹿野町 飯田八幡鉄砲まつり中篇。

今年、秩父地方の祭暦の最後を飾る奇祭「鉄砲まつり」は飯田八幡神社の長い参道と、拝殿前の急傾斜な16段の石階段を使って催されます。
 
秩父の山間地にしては立派な造りの飯田八幡神社、境内では御神籤やお札・絵馬を御巫様が販売中。 参拝客は「鉄砲まつり」本番の開始を固唾を呑んで待っています。

参道の人垣整理も終わり、午後4時から奇祭お立ち神事の始まりです。 
神社に向かって右手はオレンジ色服の地元猟師達が並び、左手には応援に駆けつけた川越火縄銃保存会の人達が銃を携えて神事開始の合図を今や遅しと待ち構えていました。
 
上左画像の指揮官は何処かで見たことがあると思ったら、村上屏風まつり」(ツトムblog 9月29日・ここクリック)に村上小学校校庭でマイク片手に火縄銃演舞の説明を行った人と同じみたいでした。  川越火縄銃保存会ってアチコチに出向いて頑張ってるんですね。

石の大鳥居をくぐって、250年の伝統を誇る十万石大名行列が独特の所作を披露しながら参道を進んで来ました。
先頭には先駆けの高張提灯組です。
 
飯田八幡神社から100mほど手前の参道から神社石段上の合図とともに、高張提灯を携えたまま一斉ダッシュ。 
それと同時に両側から火縄銃が次々と放たれて、耳をつんざく轟音が辺りにコダマしました。

更に高張提灯の後ろから挟み箱奴毛槍奴の登場。
参道では大名行列の道中パフォーマンス。
 
高張提灯組の時と同様に合図を待って、両側の火縄銃一斉射撃の中を毛槍奴組は飯田八幡に向かって駆け登ります。
木々に包まれた静寂の中、銃火音と硝煙の臭いが辺り一面を覆い、勇壮な「鉄砲まつり」は最高潮へ・・・。

秩父路の年の瀬を飾る飯田八幡の奇祭は、火縄銃の轟音と共に益々佳境に入ってゆきます。

次回は,鉄砲まつりお立ち神事」のメインイベント、神馬石段登りです。

2006 12 14(木)記。     前橋市      最高気温12℃

12月14日   忠臣蔵の日

南極の日
(温暖化で南極も過密に・・・。)
  
麺の日
(何故か?一反木綿が・・・。)


第156回 秩父・小鹿野町 「飯田八幡神社鉄砲まつり」 上。

2006-12-12 23:23:23 | 旅行

アンコール遺跡群の旅は次回に延期致します。

12日10日(日)  埼玉の秩父地方で変わった祭りがあると聞いたので、妻をに押し込んで出かけました。

場所は秩父市の北部・小鹿野町の飯田栗尾地区。
そこの飯田八幡神社で“日本三大奇祭”の一つ八幡神社鉄砲まつりが12月9・10日に開催されました。

たしか、秩父・吉田町の農民ロケット「龍勢」も日本三大奇祭の一つと云ってましたっけ!?  全国を探せば三大奇祭って山ほどあるのでしょうね。

それでも、「日本三大奇祭」の言葉に魅かれてLet's go !!

小鹿野・三田川小学校の校庭駐車場は満車で、隣の畑が臨時駐車場。 泥んこでしたが、無料がなによりです。

三田川小の体育館近くでは祭り景気を煽る爆音花火が盛んに打ち上げられていました。 
 
飯田八幡神社参道脇では江戸時代から続く小鹿野歌舞伎が沢山の観客を集めて熱演中。

 
地元の素人子役の名演技には拍手喝采です!
写真を撮っていたら隣のおばさんが「私の孫なんですよ」って、この子は将来は芸能界を背負って立つ大物間違い無しですね。

歌舞伎演目は「安達ヶ原三段目・袖萩祭文の場」と「寿曾我対面工藤館の場」って書いてありました。
 
飯田八幡神社境内の奉納神楽(「大蛇退治の舞」)は観客が少なくて寂しい限り。  スローテンポの神楽より華やかな歌舞伎の方が人気なのがはっきり判りますね。

秩父山地の山懐に抱かれた小鹿野飯田八幡神社も、祭りの両日だけは真夏の軽井沢なみの人出でした。
 
八幡神社鉄砲まつり」のメインイベント、火縄銃の「お立ち神事」に向けて警官の参道整理が始められました。

午後3時30分から250年の格式を誇る十万石大名行列と、4時過ぎから「お立ち神事」「銃火奉納」になります。

山間地の日陰なのに何故か夕刻近くからの祭り本番!
薄暗くて寒くて撮影には不向きな条件ですが、次回は火縄銃による「銃火奉納」と神馬神社階段駆け上がり「お立ち神事」等を掲載致します。  乞、 ご期待!!

2006 12 12(火)記。     前橋市   最高気温8℃  無風

12月12日    漢字の日(いいじ  いいじ) 清水寺で「今年を現す漢字発表()」   バッテリーの日


第155回 カンボジア アンコール遺跡群 7 田舎の風景

2006-12-08 17:40:00 | 旅行

11月18日(土)  ホテルでの昼寝タイムが終わって、午後の観光へ出発!

シェムリアップ市内から出ると直ぐにカンボジアの田舎風景になります。
遺跡観光地のバンテアイ・スレイ寺院への途中で高床式住居を見物。

床の高さが150cm程の掘っ立て小屋みたなものですね。 屋根は椰子の葉で葺いています。 前後ろの入口だけで、窓はありません。
 
高床式住居の裏にまわると風通しの良い台所で、腰巻一つのご主人が午後の昼寝の真っ最中。
 
奥さんは道路端で観光客相手に椰子砂糖の実演販売です。
(妻が働いて旦那は昼寝って、ツトムの理想郷です・・)
椰子砂糖の一本は500円硬貨を6枚重ねた大きさの椰子砂糖が10個、椰子の葉に包まれています。
3本1US$で買いました。(後日シェムリアップの市場で4本1ドルと判明)
味は日本の三温糖に似ています。

娘さんが部屋の中を案内していましたが、中には何も在りません。
唯一新品のバイクが部屋の隅に宝物のように置かれて・・・。
 
道の反対側の小屋では乾燥させた椰子の葉をなめして、椰子砂糖の包装筒を製造中でした。

カンボジアは失った人口を取り戻すかのように、子沢山ですね。
 
皆んな明るく元気一杯で、ノビノビと育っています。

庭(何処までが庭か境界がわかりませんが・・)には可愛い子犬までもいました。
 
水牛ではありません、農耕に使った後食用にするので、水牛より有益との話です。

2006 12 08(金)記。     前橋市 時々、小

12月 8日  大東亜戦争開戦の日(真珠湾奇襲攻撃)


第154回 カンボジア アンコール遺跡群 6 クメール料理

2006-12-07 00:40:19 | 旅行

11月18日(金)  前回に引き続いて、シェムリアップ市内での昼食。

ニュー バイヨン レストラン」のエントランスは南国の花々が咲き乱れていました。  18日の昼食はクメール料理です。
 
席に着いて、まずはBEERで乾杯!
現地のビールで「Angkor」(アンコール)ビールを呑みました。
食事の飲料はパック料金に入っていませんから、各自払いです。
「アンコール ビール」缶は2米ドルですから、レストラン価格としてはお手頃です。(アンコールビール大瓶は3.5ドル。 市内のマーケットでは缶ビールは日本製品も含めて全て0.65ドル。 輸送費を入れても日本国内価格より安いのは日本の酒税に拠るものですね。)

クメール料理の最初はスパイスが効いた野菜の旨煮風炒め。
 
カレー味のスープ風な野菜料理です。

牛肉をカラ揚げにし、パイン・タマネギ・ピーマンなどと甘いタレでまぶした酢豚風料理
 
途中でスープが出ました。 「青菜ワカメのスープ」と云ってましたが、ワカメではなくて海苔でした。
日本で食する裁断した海苔とは違って、長い海草状態の海苔で、海苔風味の少ない大味でした。

魚のすり身を油で揚げた料理です。
一本づつは細長い形ですが、食感も味もまるで日本の野菜入り薩摩揚と同じでしたね。
 
この他にチャーハンみたいなご飯が出て、デザートにモンキーバナナ竜眼を食べてクメール料理の終了です。

結構美味しいクメール料理で、参加の皆さん喜んでいました。
クメール料理とは云っても、観光客向けに食べ易いようにアレンジしているのでしょうね?

美味しい昼食を食べてから、ホテルに戻ってシエスタ(昼寝)タイム。  ホテルから観光地が近いって最高~ !!

2時間ほどノンビリ休憩してから、午後の観光夕日見物に出発しました。
2006 12 06(水)記。     前橋市      最高気温13℃

12月06日   姉の日
(隣のお姉さん。) 

 音の日
(最近は耳が遠くなって・・・) 



 


第153回 カンボジア アンコール遺跡群 5 バス車窓から

2006-12-05 01:27:00 | 旅行

11月18日(土) 午前のロリュオス遺跡群のバコン寺院見学の後、昼食レストランへ行く途中の風景です。 揺れるバスの車窓からのshotです。

幹線道路(殆どが日本の援助で舗装)以外はご覧の通りの赤茶けた土の凸凹道
道路に面した家は全部何らかの物品を販売していました。
 
ブルー色の大きなペットボトルは飲料水です。中央に並べられた黄色っぽいのはジュース??
このジュース?を飲んだら直ぐに病院へ・・!!

ナント!、ガソリン軽油をペットボトルに詰めて堂々とヤミ販売です。(市内のGスタンドで1Lが4100リアル=125円、ペット入りは115円程でバイク族向け。)
なかなかの商魂じゃありませんか、それにペットBのリユースにも役立って。 

シェムリアップ市内の風景になります。
この時期は乾季ですから、車が通る場所は何となくホコリっぽいですね。
 

ペット入りガソリン売りとバイク屋とバナナ屋が沢山見られました。
カンボジアでも生食はモンキー・バナナが人気とか・・。
青いバナナは煮炊きする料理用です。

こんな露店売りの光景が至る所で・・・・。

 



街角にはDURACELL乾電池の大きな看板が眼につきます。

川も堀も池もみんな濁った色で、流れが緩慢ですが、ドブ臭はしませんよ。
 
カンボジア王室の別邸前にはシアヌーク前国王の肖像画がありました。
王位は息子に譲ったそうですが、今も国民には絶大な人気があるそうです。
現在は病気療養のため北京の病院に入院中との事です。 

この後、外人専用の大きな土産店に行ってから「ニュー バイヨン レストラン」でクメール料理の昼食になりました。

2006 12 05(火)記。     前橋市    最高気温13℃  12月の満月。

12月 05日   国際ボランティアの日  バミューダ・トライアングルの日(魔の三角海域)


第152回 カンボジア アンコール遺跡群 4 ロリュオス遺跡 バコン寺院

2006-12-01 14:07:00 | 旅行

11月18日(土)  前回のプリヤコー寺院の後、南に1kmほどの場所にあるバコン寺院に向かった。 

バコン寺院は881年にインドラヴァルマン1世によって建設された、カンボジア最初のピラミッド型寺院
 
バコンプリヤコーロレイの寺院を擁するロリュオス地区はジャヤヴァルマン1・2世、インドラヴァルマン1世の3代の王都として繁栄したが、次のヤショーヴァルマン1世がアンコールの地に遷都した為、次第に衰退・忘れ去られた。

堀に囲まれたバコン寺院への参道には大きな石造りの七つ頭のナーガ(蛇神)が欄干代わりに・・・。
 
大きなもので、手のひらのように見えるナーガ頭部の高さは3mありました。

堀の近くにはたわわに実ったモンキーバナナや黄色いハイビスカスみたいな花も・・・。
 
バコン寺院は確かに平たいピラミッド状で、外見は良く整備されていました。 頂上部にはリンガの様な祠堂が聳えています。
 
頂上部の祠堂はやはり風化が進行して哀れな姿です。 堂前には獅子(シンハ)がシヴァ神を守護しています。

ピラミッド状の中央祠堂を囲むように東西南北に四つの独立祠堂が建ち、手前には多くのシンハ(獅子)が見守っています。
 
バコン寺院に入ってきた長い東参道は観光客達が・・。
祠堂のデヴァター(女神)は赤砂岩ゆえに風化度もかなりのものでした。
灰色部は近年に補修した部分だそうです。
 
大きな菩提樹の下では眼の不自由な人たちが楽器を奏でていましたが、生のカンボジア音楽を聴くことが出来て少し感激! 


裏側からバコン寺院です。 逆光の写真ですが規模が判るかと思います。

2006 12 01(金)記。     前橋市   最高気温14℃

12月1日   映画の日  鉄の記念日  カイロ(懐炉)の日  省エネの日(毎月1の日)