ツトムさん家の写真日記。

写真いっぱいの楽しい日記です。(全面表示でご覧下さい)

第480回 第七回 伊香保温泉お多福行列 2008年12月31日(水)

2009-12-29 17:21:13 | 旅行
2008 12 31(水)

昨年の12月31日の大晦日の深夜、群馬県の名峰・榛名山の中腹に抱かれた名湯“伊香保温泉”の石段街で、伊香保温泉の女将たち約40名による第七回の大晦日イベント「伊香保行く年来る年お多福行列」が開催されました。

足元から冷え込む夜の10時45分ころ、伊香保温泉の石段街の最下部にある町営「石段の湯」の下から今年で第七回目のお多福行列が開始。

全員お揃いの半被を着て拍子木を先頭に、手に松明や提灯を灯して352段石段伊香保神社に向け登ります。
 
横笛を奏でて、お多福唄をハミングしながら・・・。

伊香保温泉町営風呂「石段の湯」付近のお多福行列動画を御覧下さい。

伊香保温泉お多福行列 1 2008年 DSCN3434石段の湯.MOV



女将たちが被る紺頭巾の裏には縁起の良いお多福(おかめ)の面。
 
お多福行列の中心には二人の若い巫女も加わり一段づつ歩を進めます。

石段を30分ほど掛けて上り、お多福行列は伊香保温泉石段街の中程に到着。
 


伊香保温泉お多福行列の動画2を御覧下さい。(画面が少し暗いです。)

伊香保温泉お多福行列 2 2008年 DSCN3447.MOV


お土産屋の立ち並ぶ石段街の中心で巫女様を囲み、お多福が輪になって横笛で囃します。
女将たちが深夜に唄う「ほっほっ お多福~ ふくふく福の神~~」のお多福唄が神秘的な雰囲気を醸していました。


伊香保温泉で春3月に行なわれる「石段ひな祭り」に参加し、めでたく成人になった女性が巫女としてお多福行列に華を添えるのです。

幻想的お多福行列は冷え冷えとした深夜の石段を更に上がります。
 

伊香保温泉お多福行列動画3をお楽しみ下さい。

伊香保温泉お多福行列 3 2008年 DSCN3460.MOV


伊香保温泉饅頭で有名な元祖“湯の花饅頭”の勝月堂の横から急傾斜な階段を上り、古社・伊香保神社へ・・・。
 

二十歳の巫女さまも藁靴を履いて温泉客と共に伊香保神社へ向かいます。


左右にロウソクの灯った小さな竹筒が置かれた伊香保神社の階段。
 
伊香保温泉神社の拝殿前にお多福行列は整列し、初詣の行事が執り行われます。

伊香保温泉お多福行列動画4を御覧下さい。

伊香保温泉お多福行列 4 2008年 DSCN3480.MOV


伊香保温泉お多福行列動画5 ♪情けかけま~す 夫婦~風呂の伊香保音頭をお聞き下さい。

伊香保温泉お多福行列 5 2008年 DSCN3484.MOV


新年零時に伊香保温泉守り神“伊香保神社”に去る年の感謝と来る年の幸を全員で祈願します。



伊香保神社宮司からで新年のお祓い授けて頂き、伊香保温泉お多福行列も無事終了と成りました。
  
伊香保神社拝殿横ではお多福行列主役の巫女様が甲斐甲斐しく御屠蘇のサービス。

伊香保神社神楽殿の小屋では音曲の演奏が始まります。
 
尺八(名人・佃一生さん)や三味線のLIVE演奏が伊香保神社の境内に響きます。

境内の一角にある大テントでは温かいうどん甘酒の大盤振る舞い・・・。

燃え盛る焚き火の傍で、有り難く頂いて新年を寿ぎました

時折、風花が舞う深夜の伊香保神社に新年を祝う人たちが次々と参拝していました。

伊香保町民温泉客たちが新年の思いを込めて拝殿に頭を垂れていました。

深夜12時30分に伊香保神社を出発し、前橋市へ・・・。

帰路の途中にある名刹・水沢観音(五徳山水沢寺)に初詣しました。
 
冷え込んだ深夜の時なのに本堂六角堂も参詣者で長蛇の列!! 
駐車場まで伸びた行列最後尾から本堂にたどり着くまで30分以上かかります。


鐘楼の梵鐘は何故か若いカップルばかりの行列・・・二人で鐘を突くと目出度く結ばれるのかな??
 
人の多さと寒さに閉口し、早々と水沢観音を後にして帰宅へ・・・。

夜更けの伊香保温泉お多福行列を見物し、ついでに伊香保神社水沢観音で初参りを済ませた大晦日の一日となりました。

2008年 伊香保祭り ⇒ ここクリック。

2009年 伊香保祭り ⇒ ここクリック。


2009 12 29(火)記。  前橋市  最高気温10.7℃

第479回 怪奇 心霊写真 上毛電鉄 大胡駅イルミネーション。

2009-12-23 17:50:05 | 旅行

2009 11 21(土)

それは夜空に月が冴え、シンシンと冷える11月21日のことでした。

前橋桐生を結ぶローカル鉄道・上毛電鉄の大胡駅イルミネーションの撮影で、何気なく撮った画像に幽霊が写っていたのです。

まず始めに、冬間近な大胡駅(民家風な平建家・国登録有形文化財)のイルミネーションをご覧下さい。
 
平21年11月21日の大胡駅入場券を購入して構内へ・・・。

晩秋の夕刻6時頃の大胡駅は老婆ただ一人でひっそりとしていました。

車社会の群馬県、通勤通学はほとんど自動車で鉄道の利用者は激減。

170円の入場券で線路を渡り、大胡駅のプラットフォームへ・・・。


赤字ローカル線の上毛電鉄ですから超豪華なイルミネーションではありませんが・・・。


28000個のLED電球を使って職員が工夫して作ったそうです。


大胡駅イルミネーションの動画 1。を御覧下さい。
大胡駅イルミネーション 1。 CIMG4774 ムービー


光のシンボルタワー(東京スカイツリー?)も立てられて、なかなかの力作です。


芝生の上にはトナカイ雪ダルマなど様々なものが光り輝き・・・。
  
雪ダルマ横に置かれた緑BOXのフタは自動で上に開きます。

プラットフォームの反対側にも賑やかな電飾が飾られていました。


汽車ポッポの図柄で、お子さん達が喜びそうなイルミネーションです。
 

撮影中に中央前橋駅から西桐生駅に行く電車が大胡駅に停車。


赤城山の裾にある田舎駅にしては、なかなか立派なイルミネーションです。


流星マークの下には昭和3年製造のデハ101電車の大きな模型が展示されていました。(デハ101型は現役では日本最古の電車。)

デハ101型電車は2010年1月3日に大胡駅で臨時運行する予定です。

メインのイルミネーションの反対側の暗い引込線に2両編成の700型車両が置かれていました。

何気なく撮った電車内に怪奇な人物が・・・!!

ご覧出来たでしょうか・・・真っ暗な電車内に座る人を!

プラットフォームには誰も居ませんからガラス窓に人物は反射しません。

もう一枚の写真から拡大。 赤いセーターに黒カーデガンを着た女性、左肩に子供の頭みたいなのが写っています。

これ程ハッキリと怪奇な写真が写ったのは初めてです。
鉄道事故か自殺か、それと上毛電鉄が好きな鉄子さんか・・・安らかに成仏して下さい・・・南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 ~

駅北側の小高い道路からイルミネーション煌めく大胡駅を見下ろします。

デハ101型電車模型が良く見えます。

大胡駅イルミネーション動画 2。をお楽しみ下さい。
大胡駅イルミネーション 2。 CIMG4771 ムービー.wmv


上毛電鉄・大胡駅イルミネーションは演出物を少しづつ変えながら日暮れから終電まで年中無休で輝いています。


読者の皆様も、ローカルな旅が堪能できる上毛電鉄に乗り、上州の冬景色楽しまれては如何でしょうか・・・。

上毛電鉄感謝フェアの記事は。⇒ ここクリック。


2009 12 23(水)記。  前橋市  最高気温12.8℃

おまけコーナー。

心霊写真集動画

Ghost Pictures Show


オールヌードでロンドンをサイクリング。
WNBR World Naked Bike Ride London 13th June 2009


第478回 中山道 木曽路の旅 6 馬籠宿

2009-12-18 12:59:04 | 旅行

2008 11 23(日 勤労感謝の日)

妻籠宿から小高い馬籠峠を越えて、距離にして約8km馬籠宿(中山道43番宿場)に到着。
車を駐車した場所が馬籠宿の坂上で、馬籠宿を下りながら見物することになりました。


妻籠宿と同じように、こちらの馬籠宿も大勢の観光客で溢れかえっていました。
馬籠宿は明治28年と大正4年の大火災で石畳と石垣を残して全焼、その後に再築・復元して現在の馬籠宿が出来たのです。
 
左右の宿場家屋を覗きながら、だらだら坂「馬籠宿通り」を下ります。


木曽路の馬籠宿全体に晩秋の気配が濃厚に漂っています。

喫茶店の茶房「四方木屋」も古民家風な造りで街並みと調和がとれていました。
 
堂々とした構えを見せていたのは土産店・大黒屋
大黒屋は島崎藤村の初恋人「ふゆ」さんの実家、その時代には造り酒屋を営んでいました。名残の杉玉が正面に飾られています。

石畳が敷かれた阪の途中にある黒塀に囲まれた大きなお屋敷が文豪・島崎藤村の生まれた家で、代々馬籠宿の本陣を勤める名家でした。 
現在は藤村記念館として島崎藤村に関しての資料・遺品などが展示されています。(入館料500円)
 
藤村記念館の直ぐ近くに馬籠脇本陣史料館(入館料300円)。
脇本陣は屋号を「八幡屋」と言い、館内には馬籠宿の民具・家財・什器など展示。
入口前に山口誓子の「街道の 坂に熟れ柿 灯を点す」と刻まれた句碑、晩秋の季節にはぴったりの俳句です。


二度の大火を経験した馬籠では大きな商家には隣家との境に立派な卯建(ウダツ・防火壁 豊かな家の象徴。)が設えてあります。
筆者は何時まで経ってもウダツが上がらないのです・・・トホッ。



馬籠宿通りの途中にある「道中おやき」の店で腹ごしらえしました。 
野沢菜お焼き”(120円)はホカホカで野沢菜漬の酸味が郷愁を感じさせる味!

 
更に坂を下った店で五平餅(100円)も頂きました。
岐阜県高山市で売っている様な平たい五平餅ではなく、妻籠宿の五平餅は炊いたご飯をつぶし、丸い団子状を串に刺して胡桃醤油を塗りながら焼いたものでした。


宿場の中程で通りを直角に曲げた“桝形”、妻籠宿の枡形と同じような防備構造ですね。


枡形でくるくると回る水車を眺めながら坂下の馬籠宿入口の通りへ・・・。
 
お土産屋の脇には「江戸へ八十里半 京へ五十二里半」と記された「中山道馬籠宿」の石柱。

馬籠の下の入口、馬籠宿へはここから歩いて上る方が宿場の雰囲気が味わえます。

この場所から上って行くと、馬の背形状の地形に作られたので馬籠と名付けられたのが肯けます。

下の大通りから再度、坂の馬籠宿通りを上の方面へ往復です。

坂の右手に古民家の“清水屋資料館”。夕暮れ時なので既に閉館でした。
この清水屋は島崎藤村の小説「」に登場する「森さん」の家と言われています。
館内には島崎藤村や江戸時代の文物・工芸品などが展示されているそうです。

木曽路の晩秋でも温暖化のせいか赤く色づいたが見事です。
 
赤い楓の下には「中山道ま古め」の石碑。(新しい石碑。)

宿場町には必ず設置された政令・禁令などを貼り出した高札場

この高札場は馬籠宿の一番高い場所に立てられていました。(復元)

馬籠宿通りの石畳坂を更に上へ登ると馬籠上陣場の展望台に着きます。

この展望台は馬籠を長野県から岐阜県に越県合併した記念として上陣場地区に造られ、越県合併記念碑も建てられていました。
記念碑に記された「あの山の向うが中津川だよ、美濃は好い国だねえ~。」島崎藤村(夜明け前)。 
長野県木曽郡山口村馬籠から岐阜県中津川市馬籠となったのです。

 
東岐阜の山々が眺望できる良く整備された展望台です。 
島崎藤村の「心を起こさうとおもはば、先ず身を起こせ。ニイチェ之言葉より」の句碑もあります。 そうだ、考えるより先ず行動だァ~! 気合だァ~~!!ってね・・・


馬籠上陣場展望台の休憩小屋に掛かっていた島崎藤村「夜明け前」の一節。


馬籠上陣場から暮れなずむ名峰・恵那山(岐阜と長野の県境に聳え海抜2192m。日本百名山の一つ。天照大神が産まれたときの胞衣[えな]をこの山に納めた伝説が山名の由来。)を正面に眺望。

うっすらと雪を頂き、船を伏せた山容から船伏山(ふなぶせやま)とも呼ばれました。

馬籠上陣場近くの中山道の分岐に置かれた古い道標道祖神
 
馬籠峠に向かって車を走らせると左側に大きな古びた句碑が・・・。
古句碑に刻まれた「渋皮の むけし女は 見えねども  栗のこはめし ここ乃名物」は十辺舎一九の作。
渋皮のむけし女とは垢抜けたイイ女って事ですかね・・・。


馬籠峠少し手前の峠宿「間の宿」。(馬籠と妻籠の間にある宿場。) 
馬籠から離れているのと夕刻なので訪れる人は誰もいません。


夕陽を浴びて昔の宿場町の面影を色濃く残していました。

無人の「間の宿」の軒先には美味しそうな干し柿が・・・。
 
右の常夜燈のある家は宝暦12年(1762年)の大火後に立てられ、百数十年の歴史を刻む旅籠「桔梗屋」。

間の宿から程なくして馬籠峠(標高801m)に着きます。
峠の頂上に立つ古びた石碑には「馬籠峠。 白雲や 青葉若葉の 三十里」正岡子規。
 
馬籠峠からほんの少し下って滝の見物に行きました。

夕闇の薄暗い谷間で最初に出会うのは(雌)、続いて左側に曲がった暗いところに(雄)が見えます。(落差15mほど。)
幕末頃まではこの滝の下を中山道が通り、峠越えする旅人に一服の清涼を与えた休憩名所でした。

 
この滝は吉川英治の小説「宮本武蔵」で武蔵とお通のロマンスの舞台になった夫婦滝と云われています。
また、この滝壺に金の鶏が舞い込み、滝壷から時を告げる鶏の声が聞こえたと言う倉科様伝説も語り継がれています


勤労感謝日の「中山道 木曽路の旅」はこれで終了、前橋市を朝5時に出発し、奈良井宿・寝覚の床・妻籠宿・馬籠宿・滝見物と目一杯な車旅は夜9時に無事到着でした。

2009 12 18(金)記。  前橋市  最高気温8.5℃

おまけコーナー。

平成天皇習近平中国副主席の会見問題。正論は ⇒ ここクリック。 ここクリック。

携帯をチンすると・・・悪魔かゾンビか。
Mobile Phone in a microwave.


第477回 中山道 木曽路の旅 5 妻籠宿 名所 下。

2009-12-14 18:50:51 | 旅行

2008 11 23(日 勤労感謝の日)

妻籠宿本陣の見物を終え、昔の宿場風景を眺めながら妻籠の通り道を散策。


通り左側の少し下がった場所に脇本陣・問屋を勤めた奥谷(おくや・林家の屋号・国重要文化財)の檜造りの屋敷(現在の建家は明治10年築。)が見えてきます。
 
今は南木曽町博物館、早速入館料(600円)を支払って館内へ。
煙が立ち昇る囲炉裏端で見物客には丁寧な説明が・・・囲炉裏からの煙は建物の防虫剤とか。


近くの伊勢山を借景にした美しい庭園など見ながら奥へ進みます。


奥にある一室が明治13年の中山道御巡幸の時、明治天皇が休憩に使った部屋。
 
その折に使用した(かわや・トイレ)、清掃しにくい2畳敷きでした。

脇本陣・奥谷は大きなお屋敷ですから、いろいろな珍しい部屋が見物出来ます。

大きな板戸には琵琶を奏でる弁天様が描かれていました。室内は神様をお祀りする部屋です。

江戸時代から伝わる古雛人形も展示されて・・・。


脇本陣・奥谷(林家)は昭和初期まで酒造業を営んでいましたが、

日本酒の銘柄を大正8年に「城山正宗」から「鷺娘」変更し拡販に努めましたが、時期運悪く昭和恐慌の荒波で林家は倒産。

流石に脇本陣を勤めた名家、屋敷の奥には土蔵が沢山連なって」います。

酒蔵は改造されて博物館に・・・内部は島崎藤村や妻籠に伝わる貴重な品々の展示です。

文豪・島崎藤村の初恋の人“ふゆ”さん。 この林家に嫁入りしました。
 
皇女和宮が中山道を通って江戸に下向の折、置いていった車付き長持ち
小さな車輪が付いていますが、重くて峠越えが出来きず下賜されたようです。


明治13年6月中山道を明治天皇一行が巡幸した時の絵図。

前の馬車は右大臣、下図の青い御簾の馬車が明治天皇の御料車。

江戸時代の妻籠宿のジオラマ。 中山道を挟んで宿場町に発展しました。

右下に流れるのは蘭川(あららぎがわ)。

木曽は山の中」の言葉の通り、南木曽町博物館には材木に関する資料が揃えてあります。
大きな手挽きノコギリには驚きです。各種の材木の見本も・・・。

 
伐採した木材を山の上から谷へ・・・高低差を利用し滑らせて谷川へ運びます。

妻籠宿のお祭りに合わせて中部電力妻籠発電所が見学開放されていましたので、ちょいと見学です。
 
上流の取水口から取り入れた水で落差発電し横の蘭川に排出します。
メインタービンは「ベルトン水車」とか・・・?
時刻は午後3時を過ぎて、陽も西に傾きかげんなので次なる宿場町“馬籠宿”へ急ぎました。


2009 12 14(月)記。  前橋市 薄  最高気温10.3℃

おまけコーナー。

受験シーズンに最適なラーメン。「エースコック  英・数・国がわかるCUPラーメン。」

英・数・国でエースコックと読みますか・・・ 。
 


第476回 中山道 木曽路の旅 4 妻籠宿 名所 上。

2009-12-10 17:15:51 | 旅行
2008 11 23(日 勤労感謝の日)

妻籠宿の名所を訪問した場所だけ御案内。

妻籠宿の入り口に崩れかけた大きな岩が「鯉岩」。
中山道名三石つと云われ、昔は右下画像の様に鯉の瀧登り形をしていたそうです。

 
明治24年(1891)10月28日の濃尾大地震で頭部が崩落・横倒し、現在の変わり果てた姿になりました。

しばらく歩くと正面に高い立て札が・・・“高札場”と言います。
江戸時代に奉行所からの禁制令や御定書など掲げた場所です、現代では云うなら官報掲示板でしょうか。

 
なかなか風格漂う掲示板「高札場」です。
(妻籠観光協会協力。)
「きりしたん禁制札」「徒党逃散禁制札」~「毒薬・似せ金禁制札」まで、江戸時代に庶民が守らなくてはならない政令御法度などを威圧的に掲示しました。
文字の読めない人のため、庄屋さんは正月に高札場で読んで聞かせる役目があったそうです。

更に進むと右側に見えてくるのが延命地蔵堂
 
文化10年(1813)近くの蘭川(あららぎがわ)にあった地蔵尊が浮かび出ている大石をここに運び祀りました。
この石が常に濡れている様に見える事から「汗かき地蔵」とも言われています。(内部画像の正面下部。)

延命地蔵堂の脇にある道祖神は唐時代に脱世俗的な人生を送り、後に高僧・詩僧になった「寒山拾得」(かんざんじっとく)を刻んだ石像。(両者は文殊・普賢菩薩の化身とされる。)

寒山は巻経文を、拾得は高箒を手にした非常に珍しい石像です。


妻籠宿一番の見所は寺下地区の“枡形”。 
江戸時代の宿場町の面影を一番良く残す地区です。
花嫁道中行列は枡形を立入禁止にして行われました。


観光客が多くて閑静な宿場町の雰囲気ではありません。

宿場道が鍵の手になった“枡形”の上部、枡形の説明板もありますが少し邪魔。
 

今日(11月23日)の妻籠は何処を向いても人ばかり!
 
妻籠郵便局(妻籠郵便史料館併設。)も街並みに合わせて昭和53年に応時の建家に復元。 マークがなければ郵便局とは判別できません。

入り口の前には明治の開設時の黒い郵便箱(書状集箱)が設けられています。(黒ポストは日本で唯一。)



妻籠宿本陣横に設けられた「ふれあい館」前では樽酒の鏡開きが行われ、この地の銘酒「木曽のかけはし」の大盤振る舞い!! 筆者も一献美味しく頂きました。
 
妻籠宿本陣の正面ゲート。 本陣は平成7年に再建されたそうです。
昔は庄屋も兼務していました、この本陣は島崎藤村の母の生家だったのです。

妻籠宿本陣の入館料は300円。 門を入ると小高い正面に薄暗い正玄関があります。


一般観光客は左側隅の勝手口から入館、最初に目に付くのが土製の(かまど)です。
 
囲炉裏の薪火から立ち昇る煙で館内は燻されて眼がシバシバ・・・。

主人たちが居室する居間や客間も綺麗に復元され、由緒ある掛け軸が下がっています。
 
囲いがされたのは賓客の泊まる部屋で上段の間

本陣建物の裏側には湯殿(トイレ)など・・・。
湯殿には大きな木桶だけで、外で沸かした湯をこの木桶に運び入れたそうです。
 
着物や古箪笥などがある部屋は御納戸

本陣の裏庭風景。 清水を引き入れたには大きな緋鯉なども・・・。
 
妻籠宿本陣を見物し、観光客が沢山歩く妻籠本通りを次なる名所へ・・・。

2009 12 10(木)記。  前橋市   最高気温13.6℃

おまけコーナー。

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学習効果で使った用語・類推熟語が表示され、全部打ち込まなくても選ぶだけで済みます。

可愛い子猫の動画。

Surprised Kitty


Small Cute Kitten

第475回 中山道 木曽路の旅 3 妻籠宿 中。 花嫁行列。

2009-12-08 18:18:18 | 旅行

2008 11 23(日 勤労感謝の日)

中山道木曽路の宿場町“妻籠宿”で繰り広げられた時代祭「文化文政風俗絵巻之行列」も佳境に入り、行列一番の出し物“花嫁道中”が開始されました。

飾り立てた馬に乗って可愛い花嫁さんが街道を静々と妻籠宿へ向かいます。


高島田角隠し、これぞ大和撫子の花嫁姿!!
 
長持ちに沢山の花嫁道具を入れての輿入れです。

籠宿妻には溢れんばかりの人の波、花嫁行列も暫し行く手を遮られ立ち往生。
 
妻籠宿の高札場前のなだらかな坂道を華やかな花嫁道中は静々と下ります。

妻籠宿「花嫁道中」はメイン舞台の“枡形跡”(外敵の侵入を防ぐ為に街路を直角に曲げた場所)で馬を下り、ゆっくりと歩いて皆様に艶姿をお披露目!!

花嫁さんの晴れ姿を御覧下さい。

お淑やかなお嫁さんって素敵!!


カメラマンがびっしりと取り囲んで大騒ぎの中を楚々と・・・。

花嫁行列や武者行列は江戸時代の面影を残す宿場町に最適なイベントですね。(上州小幡宿武者行列も御覧下さい。⇒ ここクリック

枡形跡を通過して再び妻籠宿の表通りへ・・・。 
紺色半被(はっぴ)の“”はNHK大河ドラマ「天地人」の“愛”では無く、妻籠愛友会の“”なのです。

花嫁御寮は再び馬に乗って妻籠宿の花婿の待つ家へ・・・。


またもや、大勢の見物客やカメラ爺に囲まれ身動き取れず、なかなか進めない花嫁道中
 
花嫁行列も無事終了、花嫁さんにはマスコミからのインタビューが続きます。

文化文政風俗絵巻行列・花嫁行列が終り、参加者全員の昼食タイム
子供たちは囲炉裏のそばで、花嫁さんは民家の奥まった控え室で・・・。
 
妻籠宿の軒先を借りて休憩し、子連れで三角オニギリを頂きます。

網代笠を被った旅商人(たびあきんど)の煙草で一服はサマになっていました。
 
子供道中食には曲げ物に入ったニギリ飯が必需品です。


編み笠美女は空腹を笑顔と我慢とダイエットで忍びます。

秋の妻籠宿では親も子も紅葉狩りなどを楽しんで・・・。


最終は旧校庭に集合し夕陽が差す中、花嫁を囲んで記念撮影となりました。

妻籠宿文化文政風俗絵巻之行列”に出場の皆様有難う御座いました。



次回は妻籠宿の見所をご案内。

2009 12 08(火)記。  前橋市  最高気温13.2℃

おまけコーナー。

恐るべし女子サッカー、格闘技以上のラフプレー!

MWC Women's Soccer: New Mexico's Elizabeth Lambert vs BYU


第474回 中山道 木曽路の旅 2 妻籠宿 上。 時代祭。

2009-12-05 16:42:43 | 旅行
2008 11 23(日 勤労感謝の日)

早朝の奈良井宿や木曽路の名勝「寝覚の床」を見た後、車を飛ばして10時頃に妻籠に到着。

中山道の木曽路で馬籠宿と並び有名な宿場町”妻籠宿”(中山道69次の42番目宿、中山道と伊那街道の分岐点。)で秋たけなわの11月23日に行われる妻籠時代祭り「文化文政風俗絵巻之行列」を見物。


江戸は文化文政時代の衣装をまとった村人たちが幟旗を先頭に行列を組んで進みます。
 
奉行所の役人あり、旅芸人あり、坊主・虚無僧ありの江戸時代の旅風俗を再現。

 
股旅姿の渡世人は今日も賭場を探して次なる宿場へ・・・。

歩けない幼児は御駕籠に乗って行列に参加、現在のタクシーですね。

 
昔懐かしい大八車、採れたて農産物満載でガラガラと車輪を鳴らしていました。

今でいう鼓笛隊です、妻籠陣屋太鼓を賑やかに奏でて先導を務めます。


江戸時代風な着物を着て中山道の妻籠宿へ向かう旅姿パレード。
 

烏帽子・直垂姿の神主?までも・・・。


女の子には華やかな着物が似合いますね。
 

おっかさん早く妻籠宿に行ってお団子を食べましょうよ・・・って。


追いはぎに早変わりして雲助と蔑まれた駕籠カキも今日はイケメンが代役で担ぎます。
 
藩の密命を帯びてか中山道を油断なく目を配り、足早に急ぐ深網み笠の武士もいます。

よちよち歩きの可愛い子連れの母子旅。 昔の旅はさぞ難儀だった事でしょう・・・。


こちらは親子3人旅? と言うより娘旅でしょうか・・・。


姉妹弟みたいな仲良し旅です。

それにしてもお姉さんは現代美人ですね・・・。


最後に登場するのは飾り馬に乗って妻籠に輿入れする花嫁行列

総勢120名が出演する“文化文政風俗絵巻之行列”は見応えある時代絵巻、皆様にもぜひお奨め致します。

次回は花嫁行列を中心に妻籠宿をご紹介の予定。

2009 12 05(土)記。  前橋市  最高気温114℃


おまけコーナー。

ちびっ子サッカーの可愛いオウンゴール。

Youth Soccer Goalie Scores on her own Team!!!

第473回 中山道 木曽路の旅 1 奈良井宿 寝覚の床。

2009-12-02 18:51:53 | 旅行

2008 11 23(日 勤労感謝の日) 昨年(2008年)の画像。

長野県は木曽路の日帰り自動車旅。
早朝時頃に前橋を立ち、高速と一般道を突っ走って新和田トンネルを越え、岡谷・塩尻経由で奈良井宿へ・・・。


朝の8時前にJR中央本線「奈良井駅」横のP場に到着。
日曜日の朝なので周辺には誰もいません。


JR奈良井駅から直ぐの所に江戸時代の面影を残す宿場「奈良井宿」があります。
奈良井宿木曾十一宿の北から番目の宿場で、その昔は奈良井千軒と謳われ木曽路一番の賑わいを誇っていました。(中山道69次の34番目、中山道の中央宿場。)

宿場町の規模・保存状態では日本一で、奈良井川に沿って約1km宿場の家並が続きます。
現在は「文部省選定重要伝統的建造物群保存地区」、「美しい歴史風土100選」にも選ばれました。

日中になれば観光客で賑わう奈良井宿も早朝で全く人気は有りません。

奈良井宿の脇を流れる奈良井川を挟んで両側に小高い山が迫っているので朝日が射さず薄暗い中を歩いて見物。

 
通りの両側のお店も閉じたまま・・・早過ぎて寂しいです。

木曽路は山の中」ですから、木工製品や漆工芸品などがお土産品としてて有名です。
 
奈良井宿の中程にこんこんと湧き出すが・・大変美味しかったです。
昔は行き交う旅人が喉を潤し疲れを癒した歴史ある「下町の水場」ですね。
奈良井宿には湧き出す水場が数ヶ所あり、人々の暮らしに溶け込んでいます。

奈良井宿の山際に建つ臨済宗の古刹・大宝寺を訪問。
 
境内の片隅に顔の欠けたお地蔵様がありました。
 
この地蔵は藪の地中に半ば埋もれていたのを村人が昭和年に掘り出したそうで、「子育地蔵」と親しまれていましたが、観音様に抱かれている嬰児の手に持つ蓮華の先が十字形になっている事から、この地の隠れキリシタンが地蔵様をマリヤ様に見立てて信仰したのではと噂され「マリヤ地蔵」「マリヤ観音」と呼ばれる様になったそうです。

人も動物の影も全く無い奈良井宿、時代劇のロケ地に最適な風景です。

自民党政権末期の麻生太郎のポスター「先ずは、景気だ。」が侘びしく見えます。
この手のポスターは由緒ある観光地の情緒をぶち壊しますね。

奈良井宿には現在でも沢山の宿屋があります。
江戸時代の旅籠屋の気分で宿泊しても一興ですね。銭形平次や坂本龍馬などが出そうです。
 
木製の(くし)を売る店。木曾柘植(つげ)の櫛が最高とか。

上問屋史料館は明治天皇が休憩した旧家にありましたが、開館前で入れません。(国指定重要文化財。明治天皇行在所の石碑が大き過ぎて邪魔!)


宿場での問屋は伝馬や人足を常に定備し管理・運用する役目。
上問屋(かみどんや)は明治維新までの270年間庄屋役の兼務し、奈良井宿で旅人などの用に応じたのです。



奈良井宿の途中で道はクランク状に折れ曲がり、「中山道奈良井宿 鍵之手」の石標が立っています。
 
「奈良井宿 鍵の手」の横には夫婦仲睦まじい道祖神、道中安全も兼ね往時の旅が偲ばれます。

陽が昇り始め次第に明るくなってきた奈良井宿

信州と云えば名産品の蕎麦(ソバ)ですね。 
「信州信濃の蕎麦よりも、わたしゃアンタのそばが良い。」って云われてみたいよ・・・。
 
木曽路は奥深い山国ですから漢方薬の薬草店もあります。

長い暖簾の掛かったひと際大きな建屋は江戸時代の脇本陣

約1時間ほど見物しましたが、出会った人は僅かに5~6名。
江戸時代にタイムスリップしたような、しんしんと冷える無人の奈良井宿を堪能した勤労感謝の朝でした。



奈良井宿の横を沿って流れる清流・奈良井川に大きな木橋が架かっていました。

橋の名は「木曾の大橋」。木曽路では一番大きな木橋です。

最近、全面修復されてた美しい太鼓橋。樹齢300年以上の木曾桧で作られたそうです。
 
木曾の大橋からの奈良井宿の景色。 奈良井の宿場は右側に位置し、下を流れるのは奈良井川
木曽茶臼山(2653m)に源を発する
奈良井川は下流で梓川・犀川に合流し、千曲川から信濃川に名を変え日本海に注ぎます。

奈良井宿の見物の後、国道19号線を南下し妻籠宿へとひたすら車を走らせて・・・。


途中の木曽川にある名所「寝覚の床」(木曾八景の一つ、国指定名勝天然記念物。)で一休み。 線路はJR中央本線。

激流で刻まれた方状節理の巨岩が屹立する中をエメラルドグリーンの木曽川が今日は鏡のような穏やかな水面を見せていました。

寝覚の床を見物・小休止し、車は一路、妻籠宿を目指します。

次回は妻籠宿で行われた「妻籠時代祭り・文化文政風俗絵巻行列」です。


2009 12 02(水)記。  前橋市   最高気温153℃

おまけコーナー。

世界一の超々高層ビル「ブルジュ ドバイ」(高さ818m)。


ブルジュ ドバイ全景。

Burj Dubai



ブルジュ ドバイの818m最上部からの想像を絶する景色。

On the top of Burj Dubai's spire