ツトムさん家の写真日記。

写真いっぱいの楽しい日記です。(全面表示でご覧下さい)

第413回 新潟県長岡市栃尾 秋葉神社総本社 本殿。

2009-03-31 18:22:00 | 旅行

2009 03 08(日)

栃尾の秋葉神社拝殿の参拝を済ませてから、後方にある本殿(奥の院)へ・・・。

秋葉神社本殿(奥の院)は鉄骨造りの堅牢な建物(鞘堂)の中に囲われ保存されています。
 
中に入れませんので、鉄製の防護ネットの網目から中の本殿を覗き見しました。

正面の唐破風上部に飾られたのは威風堂々とした鷹の彫刻

この秋葉神社本殿は弘化年(1846年)に完成。
その後、安政年間に豪華な彫刻が土台から破風に至るまで丹念に施されました。

本殿(奥の院)正面向拝の透かし彫りの細密さには驚かされました。
向拝に入念に彫られた「子引き龍」は一分に隙も無く、圧巻と云うほかありません。

袖棟木にも鳳凰が上下に丹念に彫刻されています。

見事な彫刻ですが殆ど彩色がありません、辛うじて残っていたのが獅子や龍の口の朱色だけ。長年の風雨に曝されて他の色は剥落したのでしょうか?それとも白木彫りなのでしょうか?

獅子頭からの髭毛浮き彫りの繊細さにご注目。
 
軒下には威嚇する獅子と今にも飛び掛らんとするの彫り物が並び、本殿を守護する形相が見事です。

秋葉神社本殿の東面の腰長押(こしなげし)の上には厚さ24cm欅の一枚板を彫り出した大きな彫刻が見られます。

烏天狗たちが酒盛りをしているユーモラスな構図です。 
彫刻の右下では酒甕から酒を酌んでいる烏天狗の様子も見られます。
中央の烏天狗が山に登ってくる人を発見!

南面では羽団扇を持った大天狗(右)の面前で若武者(左上)と烏天狗達が武術の試合をしている彫刻が見られます。

若武者(牛若丸?)跳躍しながら烏天狗と闘っている様子が生き生きと描かれていまます。

本殿(奥の院)西面の彫刻は烏天狗たちの敗北した図。

を担いで早々に退散する烏天狗の様子が面白いです。
本当に精密に彫り込み、物語性のある素晴らしい彫刻作品。

本堂の床から土台にかけてもいろいろな彫刻が施されていました。

波間に戯れる鳥や動物などの一瞬の動きを捉えてリアルに表現している床下の彫刻。

これらの彫刻群は江戸雑司が谷の彫師・石川屋安兵衛と武州熊谷の名匠・小林源太郎の二人により、安政年間に年の歳月を費やして彫られたと伝えられています。

石川屋安兵衛雲蝶と号し、二十歳の頃には彫刻の奥義を極めたと言われた天才彫師で、その後は越後で神社仏閣の彫刻に腕を奮い晩年まで過ごし、越後新潟を代表する彫刻師になり越後の左甚五郎と呼ばれるようになりました。

秋葉神社が建つ一帯は秋葉公園に整備され、幾つかの平和祈念碑などがあります。
秋葉神社境内の奥に大きく立派な銅像が・・・。

上杉謙信公の威厳に満ちた坐像です。 
新潟越後の武将といえばやっぱ謙信公ですよね。
謙信公14歳のとき栃尾に入城し、この地を拠点にの旗印を押し立てて越後を統一し、武田信玄と並び戦国時代を代表する武将になったのです。

上杉謙信公の銅像を拝顔しているとの真髄を教えられる感じがしました。

謙信公の近くには俳句や歌碑などもあります。

左下の古びた石碑は松尾芭蕉の俳句碑。
句碑には「此のあたり 目に見ゆる物は みな涼し」と刻まれています。
芭蕉句碑は天保14年(1843年)に俳句連の夜梅庵(よばいあん)連中の人達によってこの地に建てられたそうですが、夜梅庵とは・・この栃尾には夜這いの風習があったのでしょうか?
 
石積みにの上に載った石碑は遠山夕雲の歌碑で碑文には「やすらぎの 心静けし夕月に 河鹿の鈴の 澄み透りつつ」とありました。
夕雲の本名は遠山運平。栃尾に教師として赴任し、浪漫主義短歌の歌人として頭角を現したそうです。

秋葉神社の建つ秋葉公園から200m程上がった場所(七曲り山)に栃尾美術館があり、その横に上杉謙信公を奉った見晴らしの良い場所があります。
自動車道路から栃尾美術館までNHKの大河ドラマ「天地人」の幟旗が風にたなびいていました。
旗のサブタイトルには“義の心を育んだ地 栃尾” “直江兼続の師 上杉謙信”と・・・。
 
栃尾美術館の脇には“”によって川中島で奮闘する上杉謙信公の銅像。
世の中には金や物よりも尊いものがある事を教えられます。 読者の皆様も“”と“”を座右の銘にしては如何でしょうか・・・。

謙信公銅像の奥に進むと、ささやかな御廟と僧墓が見えてきます。


右手の一段高い御廟は上杉謙信公をお奉りしている石廟。
後ろの小高い山に謙信公が青年期(14~18歳)にいた栃尾城がありました。

左の無縫塔(むほうとう)と呼ばれる禅宗形式の石墓は門察和尚のお墓。
文亀元年(1501年)に越後高田生まれた門察和尚は謙信公幼少期の教育を司り、その後も68歳(1566年 永禄11)で亡くなるまでブレーンとして謙信公を支えた古刹・瑞麟寺の名僧です。

栃尾美術館のある七曲り山からの眺望。 白い雪を頂くのは1537mの名峰・守門岳

美術館や秋葉神社があり、市民の憩いの場となっている七曲り山からは栃尾市街が一望することが出来ました。

次回は栃尾名物に魚沼市守門地区の目黒邸と佐藤家住宅。
2009 03 31(火)  前橋市  最高気温14℃

おまけコーナー。

世界のインパクトある広告。 ⇒ ここクリック。


第412回 新潟県長岡市栃尾 秋葉神社総本社 拝殿。

2009-03-27 18:12:00 | 旅行

2009 03 08(日)

長岡市栃尾下来伝地区のほだれ神社に伝わるほだれ祭り後、静御前の墓など見物してから、栃尾市街地にある秋葉神社へ・・・。

3月に上旬ですが市街地には全く雪は有りません。
商店街軒先の歩道には雪国特有の雁木(がんぎ)が設えられ、降雪の深さが偲ばれます。

栃尾市街地の近くの下をトンネルが通る小高い丘の上に秋葉公園があり、その中に目指す秋葉神社がありました。
石灯篭の並ぶ参道正面に鎮座しているのが秋葉神社総本社
 
古色蒼然とした「秋葉大権現」の扁額。
左右には変わった面構えのお面が・・・鬼面でしょうか?迫力満点!!
 
左右の面での向きが上下に違うもの面白いですね。
(栃尾の佐藤秀治様からのコメントで鬼面の名称は「釜戸面」と判明しました。)

秋葉神社の拝殿内部。 正面の上には秋葉山の扁額。

中央の祭壇には仏具など置かれていました。 神仏混淆の名残でしょうか?
境内に鐘楼なども建てられて大きな梵鐘の吊るされ、お寺の雰囲気も醸していました。

拝殿の内部には沢山の絵馬が飾られていましたが、正面右上に珍しい絵馬発見!

秋葉三尺防と題された奉納絵馬は難しい幾何学の解答絵馬で、算額とも言われます。
尺寸と和数字で和算を使い大小の円球体や扇形・角度などが見事に計算されています。
秋葉神社は和算数学の神様でもあるのでしょうか?

その昔、栃尾の住人で医師であり数学者の諏訪佐嘉右衛門嘉継が弟子たちと解いた幾何問題の解答集の奉納算額だそうです。
越後の山奥・栃尾には頭の良い学者が住んでいたのですね。

秋葉神社拝殿の軒先下に飾られた透かし彫り彫刻は見応えがあります。
風雪の厳しい風土に相応した荒削りな彫刻には豪壮な気配が漂っていました。
 
龍や孔雀などの珍しい動物や中国の賢人たちの寓話を丁寧に彫り起こした彫刻が社殿の至る所に見られます。

初春の光を浴びる秋葉神社の拝殿と後ろ続く本殿(奥の院)。

ここ栃尾の秋葉神社が全国にある秋葉神社の総本社だったのです。

現在は静岡県浜松市にある秋葉山本宮秋葉神社が総本社とされていますが、栃尾の秋葉神社は勢力を大きく拡大し、江戸時代の寛保年(1743年)に栃尾と静岡の秋葉神社で本末を争ったという記録があります。

栃尾の秋葉神社は現在では近くの曹洞宗清瀧山常安寺の管轄になっていますから、神仏混淆の模様がうなずけます。

秋葉神社の祭神は三尺坊大権現三尺坊は信州で産まれ、栃尾の岩野蔵王堂で修験道の奥義を極めた修験者。
空中を自在に飛行する神通力を備え栃尾の秋葉山に延暦2年(783年)秋葉権現を造営したとされています。
栃尾秋葉神社は「火坊日本総本廟秋葉三尺坊大権現」とも言われ、防火の神様としても尊崇されています。

次回は栃尾の秋葉神社本殿の豪壮華麗な彫刻編。

2009 03 27(金)  前橋市薄  最高気温12℃ 寒~。

おまけコーナー。

世界のヘンな広告 ⇒ここクリック。


第411回 新潟県長岡市栃尾 日本の美女“静御前”の墓。

2009-03-24 20:20:20 | 旅行

2009 03 08(日)

長岡市栃尾下来伝地区の奇祭“ほだれ祭り”を楽しんでから、栃尾の名所である秋葉神社総本社へ車を走らせました。

路肩にまだ根雪が残った街道には「合格街道」なる名が付けられていました。
人家から離れた場所ですが、学業成就・合格祈願で霊験ある来伝天神菅原神社があるそうです。

栃尾の秋葉神社へ急ぐ途中、静御前の墓なる標識が見えたので訪ねて見ることに・・・。
国道290号線を右折して刈谷田川に架かる大戸川橋を渡った大川戸地区の高徳寺坂に“静御前の墓”がありました。

越後の栃尾の更に山奥に静御前の墓があるなんて不思議!?
駐車場まで完備していましたから、お参りする人も多いのでしょう。

小高い場所にある墓地内には幾つかの石碑や石塔が・・・。

中央の石杭で囲まれているのが静御前の墓と言います。
左の石塔は静御前と荒れ果てた静御前の墓を命を紡いで建て直した福王寺セイの冥福を祈る為に建てられた供養塔です。

福王寺セイは明治の末に刈谷田川の対岸にある小向村に住んでいた16歳の少女。
静御前の墓の痛みに悲しみ墓を建て直そうと決心し、機織で得たお金で立派に墓を建てたのです。
しかし、無理がたたって2年後の18歳のとき病で亡くなってしまいました。
それを悲しんだ近在の村人たちがこの供養塔を建てたと言われています。
  
京都において美貌と華麗な舞姿を謳われ、源義経の愛妾でもあった白拍子静御前は、源頼朝に追われ奥州平泉に逃れた義経を慕って訪ねる途中、この栃堀(栃尾)まで辿り来て長旅の疲れから病を患います。

奥州街道方面は頼朝の取締りで通過できずに、迂回して越後の栃堀から幾山を越え会津へ下り、平泉での義経との再会の夢も空しく、この地で息を引き取りました。
同行していた従者は里人たちの協力を得て、この栃堀の地に埋葬し戒名を「源貞院殿松寿妙栄大姉」とおくり静御前の霊を弔ったそうです。

静御前の立派な銅版レリーフは平成18年4月に行われた静御前817回忌記念で建てられました。

栃尾の源氏伝承「静御前の墓」の詳細は ⇒ ここクリック。

この墓前に立つと交通機関の発達した現代と違って徒歩での長旅の難儀が痛いほど思いやられます。
越後の白雪が美人白拍子・静御前の肌の色と重なり、義経を慕っても再開でぎなかった悲哀に満ちた物語が心に染みる越後の旅となりました。

次回は秋葉神社総本社です。

2009 03 24(火)  前橋市  最高気温13℃

おまけコーナー。

No Pants Subway Ride 2009

 


第410回 新潟県長岡市栃尾 奇祭・ほだれ祭り

2009-03-20 19:31:35 | 旅行

2009 03 08(日)

天下の奇祭見物に新潟県の長岡市栃尾地区へ・・・。

日曜日は高速道が100kmまでは半額になるので、前橋から渋川ICまでは一般道を走り、渋川ICから大和スマートICまで関越高速道を飛ばしてエコノミー走行です。(距離96km)

大和スマートICのETC出口から全く雪の無い越後路の国道17号線から252号・290号と辿ります。
小出町の郊外の上条からは野山に積雪が見られましたが、道路は完璧に除雪されノーマルタイヤで楽々運転です。
山奥への峠道は石峠トンネルが出来て安全で超便利。
 
目的地の長岡市栃尾町下来伝地区に到着。
係員の指示に従って路上にパーキングです。
5分ほど歩くと道がカーブしている場所に沢山の人たちとテント村が・・・。

カーブ地点には巨木な杉(御神木)に押し潰されそうな小さな御社(おやしろ)が建っていました。
御神木の大杉の樹齢は約800年、樹高31m、幹周8.3m。 幹に締められたのは重量200KGの大しめ縄!!

11時からの祭りの開始に丁度間に合いラッキーでした。

神主の祝詞奏上の後は供物の奉納。 可愛い巫女様も甲斐甲斐しくお手伝いです。

お社の名前はほだれ神社。 神社の手前には白や黒のナニやらおかしなイチモツ!! (岐阜県の田縣神社の小形版みたいな感じです。)

祭りの勢子たちも小さな社殿の中を手を合わせて祭りの無事を祈っています。
 
良く見るとほだれ神社の御神体も注連縄(しめなわ)が掛けられた変なモノ!!

神官や祭り関係者の参拝の後は若い娘さん達が参拝して初嫁厄払いをします。
地元の来伝地区にこの一年間に輿入れした新嫁(しんよめ)さん達だそうです。
 
ほだれ神社の前には大きな和蝋燭が奉納され祭りのムードを演出していました。

ほだれ神社の大祭・ほだれ祭りのポスターが展示されている前を菅笠を被った農民姿の人が菰樽(こもだる)を担いでおどけながら上って来ました。

坂道ですから結構重そうな様子。 もう一人は前のからお菓子を出して子供たちに配って大サービスです。

ほだれ神社前に重い酒樽を下ろして一息ついていました。
 
新嫁が地元銘酒・越の鶴の樽を木槌で割って御神酒の鏡開を行いました。
その後は一般見物客が参拝する番です。

はだれ神社の御神体を拝んだ人には先ほど割った樽酒が巫女様から振舞われます。 
越の鶴は越後新潟の銘酒ですね、昼間のタダ酒ですから特に美味でしたね。
 
有難い事には祭り会場の一角できな粉餅が振舞われました。
本場のコシヒカリのモチ米ですから美味しいことは言うまでもありません。
パック餅と違って越後餅の粘りとコシには驚かされました、これぞ本当の越後餅!!

いよいよ“ほだれ祭り”の本番です!!
ほだれとは男性器を示すという説もありますが、稲が豊かに実って稲穂の頭先が垂れる事を言います。
実るほど頭を垂れる稲穂かな」って句もありますね。

ほだれ神社は豊年満作を願った事から子が沢山に生まれる様に縁結び安産子宝の神様としても敬われているのです。
天下の奇祭・ほだれ祭りは今年で30回を迎えました。

巨大な御神体が社殿から静々と運び出されます。(御神体の御移降)

12人かがりで石段を下ろされて来たのは、こけし人形では無くて。ナナ・・なんと巨大チンポコ!!
岐阜県田縣神社で行われる豊年祭りのチンコ神輿より大きいぞ!!
巨大チンコ(御神体)は全長2.2m。 重量は600Kgで勿論日本一の大きさです。

欅の一木造りの大きな男根。 迫力満点のチンポコ道祖神ですね。
大きさと言い、艶やテカリと言い見事なチンボコがお神輿になって担がれてゆきます。
巨大なチンコ御神体担ぐのは約20人の村人。

押し出してきたチンコ御神体に股がって乗ったのは新嫁たちです。

恥ずかしがってキャーキャー言いながらも結構ハシャイでいます・・・。

ほだれ祭りの動画をご覧ください。

2009年 新潟県栃尾 ほだれ祭り 1. DSCN4339


次々に新嫁たちが陽根型神輿に股がって若衆たちに担がれてゆきます。

恥ずかしいやら楽しいやら複雑な表情ですね・・・。

新嫁とは思えないほどの若さと元気です。

新嫁たちの若さ溢れる楽しい奇祭です。

ほだれ祭りの動画第二弾をご覧ください。

2009年 新潟県栃尾 ほだれ祭り 2. DSCN4356


カメラマンからの目線要求が激しく、新嫁も戸惑うばかりです。


大胆な新嫁さま! チンコの先を撫ぜ回してやんやの喝采を浴びていました。


新嫁たちが全員乗り終わると見物客たちに菓子宝クジが舞台から撒与されました。
  
宝クジ五円玉に結び付けられた和紙にほだれ神社角印ナンバーが押印されています。
抽選会での賞品は特賞が三本! 俵一俵コシヒカリ米!!
但し、米一俵を担げなければ失格です、当選した人は必死に担いでいましたよ。

楽しい越後の奇祭・ほだれ祭りは2時間ほどで無事お開きになりました。

一個120円たい焼きを小腹に詰め込み次なる目的地へ・・・。

次回は新潟県長岡市栃尾にある秋葉神社総本社の見学です。

ほだれ祭HPここクリック。

2009 03 20(金・祝)  前橋市のち  最高気温18℃


民主党潰しで自民と検察のタッグマッチ!? 正義づらした検察の恣意的捜査で民主主義が歪められる。 ⇒ ここクリック。


第409回 群馬県太田市尾島町 縁切り寺・満徳寺。

2009-03-17 18:46:00 | 旅行

2009 03 07(土)

熊谷市妻沼町で行われた全日本学生グライダー競技大会を見物してから、近くに建つ日本三大聖天の一つ、妻沼の聖天様を参詣に・・・。

聖天山歓喜院の境内では早々と桜木が開花していました。
ほぼ満開状態です、色鮮やかな桜花は早咲きの河津桜でしょうか?
 
おみくじ紙が沢山結び付けられて桜花も痛々しそうです。

仁王門に立つ仁王様は「呑んだら乗るな!」って酒酔い運転禁止ポーズ。
奉納された清酒・力士も呑むなって・・・。
 
本堂は2011年まで修復中なので、左甚五郎の豪華な彫刻は見られません。
境内を散策しながら絵馬など見物です。
なかなか欲張った絵馬ですね。牛の足元に小判でも配したら如何でしょうか?

妻沼の聖天様の見物は早々に引き上げ、利根川を北に渡った所にある太田市尾島町へ・・・。
小島町の名刹・満徳寺への途中にある花見塚公園で勾当内侍(こうとうのないし)のお墓をお参りしました。
 
画像の一番大きな石墓が新田義貞の首塚。 その右の二番目に大きな墓が勾当内侍の墓です。

勾当内侍って誰?
簡単に言うと新田義貞公の奥方様です。 詳しくはここクリック。
尾島町一帯は新田氏やその末裔の徳川氏が発祥した場所で、両氏に縁とする寺社などが沢山ある古い町です。

徳川家が庇護したお寺の一つに満徳寺があります。
江戸時代には女性の方から離婚する事は原則的に出来ませんでした。
離縁状で名高い「三下り半」は夫から妻に一方的に出され、妻が離別するにも夫の許可が必要でした。

そこで例外的に入山(寺に入る)すると女性が離婚(縁を切る)できるお寺を全国に二ヶ所設けられました。
その一つは鎌倉の東慶寺、もう一ヶ所が尾島の満徳寺なのです。
宗派は浄土宗の一派で一遍上人が開いた時宗、山寺号は徳川山満徳寺。 開山は徳川家の初代義季の娘・浄念尼ですから尼寺でした。
 
今はぴったりと閉ざされている駆込み門(黒門)に袖や帯の一片でも、履いている草履(ぞうり)でも身に付けた物を投げ入れれば夫婦の縁を切ったと看做されたそうです。(正式には寺に駆け込んでから3年後に「三下り半」が授与され離縁成立)

男性上位だった昔の女性は苦労が絶えなかったのですね。(今は逆ですが・・・。)

縁切り寺・満徳寺の庭では梅花が満開で、馥郁たる梅の香があたり一面に漂っていました。


明治期に徳川家縁だった満徳寺は荒廃し、廃寺の憂き目にあいましたが、平成年に復元再興しました。
本堂に上って奥の位牌殿(満徳殿)を拝見。
 
中央には本尊の阿弥陀如来が安置され、徳川家の位牌をお守りしています。
江戸時代は幕府から寺領100石朱印地を与えられた格式高い名刹。

境内には歴代和尚の墓などが並んでいる一角に千姫の供養塔があります。

豊臣秀頼の妻であった千姫は大阪夏の陣で大阪城落城後、この満徳寺に入山して豊臣家との縁を切ったと伝えられています。(後に本田忠刻と再婚)

資料館には満徳寺に伝わる位牌や仏具などが沢山展示されています。
ひと際眼につくのは徳川家歴代将軍の御位牌。
一番下の左から二番目は篤姫の夫で13代将軍・徳川家定の位牌。
 
白黒画像は後年に天璋院と名乗った篤姫。

満徳寺資料館にある縁切り縁結び厠(かわや)。
縁についての願い事をお札に書いてこのトイレに流すと願いが叶うとか・・・。
 
黒いのが縁結び、白い方が縁切りでした。貴方はどちらを使いますか?
この厠、どうせ作るなら江戸時代風の厠にして欲しかった。

この縁切り寺・満徳寺を描いた古絵。
本来が尼寺ですから描かれているのは全員女性です。

嫌な夫から必死に逃れて満徳寺門前ににたどり着いた女性。
草履や持ち物を門内に投げ込んでいます。受け取る尼様の右手も描かれ当時の切迫した状況が見て取れます。

新田・徳川両氏に関係が深い太田市尾島町には紹介した場所意外にも長楽寺東照宮などの名所が沢山あります。
皆様も歴史を訪ねて尾島町を散策されては如何でしょうか・・・。

2009 03 17(火)  前橋市  最高気温17℃

おまけコーナー。

女性ドライバーの事故。 Women Drivers in Action


第408回 埼玉県熊谷市妻沼 全日本学生グライダー競技選手権大会。

2009-03-14 12:52:18 | 旅行

2009 03 07(土)

晴れ渡った大空に羽ばたくグライダー見物に熊谷市の妻沼町へ・・・。

熊谷市妻沼と云えば左甚五郎の彫刻で有名な聖天様(聖天山歓喜院)のある門前町。(埼玉の小日光とも呼ばれ、日本三大聖天の一つ。)
その聖天様の北側を流れる利根川の菜の花咲き乱れる河川敷で学生グライダー大会が7日から開催されました。
 
妻沼利根川土手の下でも鳥のウイング状のグライダーが組立作業中。

お邪魔してコックピットを見物。
ベニヤ作りのコックピットは簡単そのもの、これで大空を飛べるのでしょうか?
  
グライダーを運搬してきた細長いトレーラーを拝見。
内部にはグライダー関係のポスター類がベタベタと・・・。
グライダーの主翼や垂直・水平尾翼は取り外して格納します。

土手の上からグライダー大会会場を一望です。 快晴ですが、利根川河川敷ですから強風が吹いていました。

グライダー体験飛行(募集15名)の申し込みに長い列が出来ていました。

テント村では有り難い事に食事の炊き出しがあります。
地元妻沼産の美味しいお米“きぬひかり”を使ったオニギリ。
 
寒い時期にはぴったりの温かい吟子鍋汁。北海道のジャガイモと鮭の切り身に妻沼の新鮮野菜をたっぷり加えた味噌仕立ての鍋。
日本公認登録女医第1号」で理想郷創りを目指し、夫の志方之善と共に北海道へ渡った妻沼生まれの荻野吟子女史にちなんで名付けられ、グライダー大会の名物になっています。

第49回全日本学生グライダー大会開会式は大会会長や後援社の朝日新聞からのご挨拶で始まり、熊谷市出身で車椅子のシンガーソングライター森敬一郎さんや妻沼東中学生のブラスバンドの演奏など盛り沢山。
 
づライダー競技大会の優勝盾はダビンチグライダーの金プレートです。

昨年の優勝校は早稲田大学でした。今年は如何に・・・。

強風のなか優勝旗を広げて頂き有り難う!! 頑張ってください。

今年の第49回全日本学生グライダー大会は全国4地区の予選を勝ち抜いた17大学20チームの48人がエントリーし、妻沼滑空場から利根川上空を舞台に3月8日から15日まで団体戦と個人戦で学生王座を競います。

強風と昨夜の雨で滑走路には水溜りが出来てグライダーの飛行が危ぶまれます。

待機中のグライダーを見学する人達が熱心に説明を受けていました。

最新機のコックピットを拝見。
ベニヤ作りのとは違ってグラスファイバー製で見るからに高機能な機体。
飛行を補佐する計器類が大空への夢を奏でます。
 
滑走路の片隅にはグライダーを運搬してきたトレーラー
こちらは垂直尾翼を分解しなくても入る構造です。

強風が少しおさまり、風速5~6mになった頃からグライダー体験飛行の開始になりました。
グライダーは約1300m前方に設置された高速ウインチで引かれて上空に舞い上がります。

左手前は風速などの気象条件を勘案しながらテイクオフの指示を出すコントロール場。

グライダーの飛行動画をご覧下さい。(風音が気になる方は消音で。)

2009年 全日本学生グライダー競技選手権大会 1. DSCN4033結合

利根川の約400m上空を華麗に舞うグライダー
音も無く優雅に滑るように飛行する機体は大鳥を見ているようです。


グライダー飛行の合間に朝日新聞社のヘリコプター“わかどり号”がデモフライトをご披露。

わかどり号ヘリの低空飛行動画をご覧下さい。

2009年 全日本学生グライダー競技選手権大会 2. DSCN4040朝日新聞社ヘリ part


爽やかなグライダー滑空は春の風物詩ですね、妻沼滑空場へ遊びに行かれては如何でしょうか・・・。

2009 03 14(土)  3月14日は円周率の日 3.1415・・・・・・  ホワイトデー。

前橋市  最高気温10℃

おまけコーナー。

おバカドライバー Stupid Crazy Driver on Highway (Tarzan la volan)


第407回 群馬県館林市 館林市歴史散歩道。

2009-03-10 19:03:05 | 旅行

2009 02 14(日)

館林ひな祭り”を見物してから、館林の旧跡など訪ねて散策しました。

最初に訪ねたのは1907年(明治40年)に開通した東武鉄道の館林駅
東武伊勢崎線・佐野線・小泉線が乗り入れている重要なハブ鉄道駅です。

現在の駅は昭和12年(1937年)に完成したモダンな駅舎をそのまま使用中。
昭和の面影を残し、ほのぼのと旅情を誘う駅舎は1998年に「関東の駅百選」に選定されました。
 
館林駅前のバス発着場にはお馴染みのタヌキ像がタマタマ丸出しで乗客をお出迎え・・・。

駅前通を左折し、良く整備された小奇麗な“歴史の小径”に歩を進めます。
 
小径の先に見えたのは竜の井」。
この場所はかっては善導寺の境内でした。
ツツジヶ岡にある城沼に棲む竜神の妻が善導寺の法話で迷いから救われたお礼として、寺を守護する為この井戸に入ったとの伝説から竜の井と呼ばれるようになりました。

最近建てられたものですが、堅牢な造りの井戸櫓です。上部四面には透かし彫りの竜。迫力満点で見応え充分でした。


歴史の小径を辿って次に見えたのは昔しの造り酒屋。
屋号は丸木屋と言い、江戸時代に建てられた造り酒屋で国の登録文化財に指定されています。(昭和29年に分福酒造と改称、現在の名は毛塚記念館)
 
建物の奥に酒造りに用いた井戸があります。この井戸も“龍水の井戸”と名付けられていましたから“竜の井”と地下水脈が繋がっているのでしょう。
入口の横木に彫られた獅子像は江戸の粋を感じさせます。

更に歴史小径を東方面に歩くと、肴 町(さかなちょう)の石標。
江戸時代にはこのあたりは魚を商いにする店があり、町名の語源になっています。


 
肴町で大きく目立つのは旧二業見番組合事務所
二業とは芸妓屋業と甲種料理店(料亭など)のこと。
一階で芸妓の手配などを行い、二階では舞台が設えられ踊りの稽古や組合の会合に使用されました。

華麗な唐破風のある車寄せ、二階の左右には切妻の千鳥破風、最上部に入母屋造りの大屋根をのせた重層造り屋根が特徴な二業見番は昭和13年に建てられました。
 
屋根先には牡丹花の飾り瓦。 往時の華やかさが偲ばれます。
この外観は当時の歌舞伎座を模して造られたそうです。

旧二業見番組合事務所の脇に建つのは外池商店(とのいけ)。
昔しは和泉屋と称し、酒や醤油の醸造を営んでいた町屋の商家です。

 
外池商店の横町で出会った猫。 カメラを恐れる様子も無く穏やかな猫でした。

歴史小径は昔のままの曲りくねった道。

案内パンフには載っていない昔風なお店が沢山あり、見る人を飽きさせません。

昨年掲載しました江戸時代の武家屋敷武鷹館も歴史小径沿いにあります。

去年見物しましたので簡略に内部を拝見。
 
武鷹館の母屋でも雛祭りの最中。
これから幼稚園児が来て雛人形を飾るとかで、雛壇の中程が空いています。
親切な管理人さんに茶菓子の接待を受け旅の疲れが解けました。(有難う御座いました。)

歴史小径を武鷹館から東へ進むと館林城の三の丸に入る土橋門が見えてきます。

館林城の正門は千貫門と言い、この土橋門は通用門の役割を果たしていたそうです。

昭和58年の復元再建された土橋門は門前の堀に架かった土橋から橋名がつけられた由。
真っ白な城壁に穿たれた丸・三角・四角の銃眼が戦への防備を物語っていました。

館林市にはまだまだ見所が沢山あります、皆様も一度は館林をご覧になっては如何でしょうか・・・。

2009 03 10(火)  前橋市  最高気温17℃ 春が来た。

おまけコーナー。

夢見の悪い犬。 Sleeping Dog Runs Into Wall


第406回 群馬県館林市 館林雛まつり 下。

2009-03-07 07:07:07 | 旅行

2009 02 14(日)

館林市つつじヶ岡に建つ旧秋元邸での雛まつり人形を見物した後、斜め隣にある旧モスリン事務所へ・・・。
 
明治期に創業された繊維会社の洋風な事務所の一階は明治・大正の懐かしい品々が常設展示されています。

モスリン事務所の広々とした二階部が館林ひな祭り第二会場なのです。

なんと沢山のお雛様!! 部屋一杯の雛飾り!!

お子さん親御さんも大喜びです。
 
全部が館林市民の寄贈品だそうです。

とにかく、お内裏様などを拝顔いたしましょう。

豪華な内裏雛人形は見応えがあります。

お内裏様のオンパレードって感じです。

お内裏様の顔立ちは昭和か平成の作と思われます。
 
お姫様を見ていると何だか藤原紀香の結婚式を思い出し・・・。

御殿雛飾りも華やかに飾られていました。

モスリン事務所から5分ほど歩いて近代的な館林市役所に到着。
 
分福茶釜で名高い茂林寺がある館林市ですから、市役所の入口にも陶製の大きなタヌキ!! 仕草や表情がユニークで面白いです。

市役所に隣接する館林図書館でも雛人形が展示されていました。

図書館展示の雛人形は館林藩最後の藩主・秋元家の所蔵品。
かなり由緒のある雛人形なのでしょう。
 
内裏雛人形以外の三人官女五人囃子は素朴な感じです。

大小の金蒔絵貝合わせは豪華そのもの!!

昔のお姫様たちが優雅に遊んだ道具なのですね・・・。

この他、市役所武家屋敷などでも雛人形を飾り、館林市のアピールに一役買っていました。

次回は館林市歴史ロード編。

2009 03 07(土)  前橋市  最高気温12℃

おまけコーナー。

セクシー過ぎて放送禁止になった動物愛護団体のCM(R18) ⇒ ここクリック。


第405回 群馬県館林市 館林雛まつり  上。

2009-03-04 04:04:04 | 旅行

2009 02 14(土)

少しづつ春の足音も近づいて、お雛様の季節になりました。
早々と雛人形を飾り始めたのが館林市。


2月の半ばですが、早速、群馬県南東部の館林市へ・・・。

昨年の6月、たてばやし花菖蒲祭りで紹介した関東の真ん中の街。


雛人形の展示場所は江戸時代の最後に館林藩の藩主だった秋元家の別宅。
現在は「館林市つつじヶ岡公園」の中にある“旧秋元邸”です。
 
本日からの雛まつりなので、まだお客様は少なめです。

旧秋元邸本館は紅白の幕が掛って雛祭りの本会場になっていました。

襖戸を取り払った広い和室には沢山の雛人形!!

この旧秋元邸に飾られている雛人形だけでも約2000体とか・・・。

立派な雛人形が並んで壮観な佇まいです。
 
近年流行のガラスケース入りの雛人形も・・・。
 
コンパクトにまとめられマンション住まいには好評とか・・・。

可愛らしい木目込み人形のコーナーも有ります。
 
立ち姿の内裏雛は木目込み立雛
木目込み雛人形は柔らかな温かさが感じられていいですね。

邸内の各部屋には様々な雛人形が展示中。

色が褪せた内裏雛など時代物雛人形も展示されていました。
面長な顔立ちのお雛様は江戸時代に流行った享保雛でしょうか?

 
明治・大正・昭和の三代にわたる雛人形が展示されています。

古風な雛人形には風格が感じられます。

こちらは昭和の内裏雛人形
 
人形は顔が命」と云いますが、昔しの人形に比べると丸顔になっています。

面白い変わり雛も沢山揃っていました。
茶碗蒸しみたいな感じの小さな内裏雛が可愛らしいです。

 
貝合わせでしょうか? 大豆ほどの大きさのお雛様。

歴史的建築物の旧秋元邸には華麗な雛人形が飾られ、華やいだ雰囲気に満ち溢れていました。

春うららの季節、皆様もぜひ“館林市の雛まつり”へお出掛け下さい。

2009 03 04(水)  前橋市時々夕刻  最高気温12℃

おまけコーナー。

汚い検察!?⇒ ここクリック。

癒し系の赤ちゃん動画。「ハードな日々も、ソフトおむつで・・・」紙おむつCM。
Huggies!