ツトムさん家の写真日記。

写真いっぱいの楽しい日記です。(全面表示でご覧下さい)

第540回 新潟県関川村 大したもん蛇まつり 上。

2010-09-30 00:28:03 | 旅行

2010 08 29(日)

早朝の乙宝寺参詣で身を清め、清々しい気分で新潟県岩船郡関川村へ・・・。
車は「道の駅 関川」の広いP場に停め、歩いて約20分程かかる“第23回 大したもん蛇まつり”の出発会場に向かいました。
 
途中の荒川では沢山の釣り人たちが流れに腰まで浸かって鮎釣りに熱中。
この清流・荒川は源流を山形県の大朝日岳(1870m)に発し、新潟県胎内市で日本海に注ぎます。
日本で最も綺麗な一級河川の一つに数えられ、清流百選にも選ばれています。

荒川の対岸に見える大きな建物が大蛇が出発する“垂水の里”。
大蛇まつりの出発式に間に合うように急ぎましたが、「近くて遠きは田舎の道」の落語噺を地で行くようで着いた時には息が切れぎれ・・・。

「特別養護老人ホーム 垂水の里」の広い前庭には沢山の人達が集合し、祭りのオープニングを今や遅しと待っていました。

世界一大きな大蛇の前に置かれた賽銭箱には鎌首をもたげた可愛らしい蛇頭。
早速、浄財を寄付して日頃の行いを浄罪・・・?
 
大したもん蛇まつり”の準主役で御当地に伝わる関川村大里峠大蛇伝説に登場する樵(キコリ)親子、娘のなみ、母のおりの、親父は忠蔵

垂水の里で朝9時23分頃から村長や実行委員長のご挨拶。
人手不足の為、新発田駐屯地の自衛隊からも10名ほどの体力自慢たちが応援担ぎ手として駆けつけていました。

第23回 大したもん蛇まつりの出発セレモニーが終了、すぐにギネス大蛇を持ち上げ、大蛇パレードの開始となりました。


関川村 大したもん蛇まつり 2010年 1. CIMG6385垂水の里



全長82.8m 直径1.2m 重量2トンは、さすがギネス認定世界一の巨大蛇約200名が担ぎ上げ迫力満点です。


なぜ82.8mという中途半端な長さ?
その長さの理由は、関川村を襲い34名の犠牲者をだした羽越水害の日付が昭和42年28日だった事に因んでいるそうで、鎮魂慰霊と災害の記憶を後世に伝える為の長さとか・・・。

子供用ミニ大蛇もパレードに参加。

関川村 大したもん蛇まつり 2010年 2. CIMG6392ミニ大蛇出発.AVI


ミニ大蛇には小さな車輪が付いて転がしながらギネス大蛇の後を追います。


親子そろって楽しめるミニ大蛇パレード!

長さはギネス大蛇の半分で40mほどだったでしょうか・・・。


垂水の里を出発した大蛇はしばらくは稲穂がたわわに揺れる水田地帯をくねりながら練り歩きます。



猛暑の中、約200名の担ぎ手が汗びっしょりになって・・・。



関川村 大したもん蛇まつり 2010年 4. CIMG6413大蛇行進1 .AVI


関川村 大したもん蛇まつり 2010年 5. CIMG6414大蛇行進2 ..AVI




越後関川温泉郷の一つ「高瀬温泉」の旅館街に向けて大したもん蛇パレードは行進して行きました。


高瀬温泉街の狭い道を大蛇は左右にのたうちながら進みます。


高瀬温泉街の中央部で大休憩、子供たちが大蛇に上ったり大人気!!
 
休憩中、大里峠大蛇伝説に登場の樵親父の忠蔵大したもん蛇音頭など御披露のパフォーマンス。

関川村 大したもん蛇まつり 2010年 6. CIMG6449高瀬温泉街 ムービー


関川村 大したもん蛇まつり 2010年 7. CIMG6465高瀬温泉街出発.AVI


関川村 大したもん蛇まつり 2010年 8.CIMG6470ミニ大蛇高瀬温泉出発


高瀬温泉での休憩で元気を取り戻し、猛暑で秋の気配が全く見えない田園地帯を威勢よく練り歩きます。



田んぼ中の小休止時、青年が大蛇にパクリと呑み込まれ・・・。
 
大蛇の口中の呑まれた方が涼しそうです。

高瀬温泉街から来た大蛇は関川村役場方面に向かうべく荒川に架かる温泉橋へ・・・。



関川村 大したもん蛇まつり 2010年 9.CIMG6506・19温泉橋.wmv


炎天下、温泉橋で荒川を吹き抜ける涼風に少し助けられて対岸に渡ります。



対岸に渡り、汗だくになって着いた関川村上関地区で小休憩。
上関補給所で頂いた小茄子漬物の美味しかった事、天下一品です。
 
おりのなみの母娘は休憩中もカメラマンサービスで笑顔を絶やせません。

上関の木陰で一息入れて忠蔵親子を先頭に大したもん蛇パレードは再出発!

この後、関川道の駅・関川村役場へと大蛇は練り歩きます。

次回は関川村役場での大蛇トグロ巻きなど・・・。


2010 09 29(水)記。  前橋市  最高気温26.4℃

おまけコーナー。

北朝鮮 金王朝の三代目・金正雲(正恩)、どこかで見たことあったと思ったら、ドラゴンボールの人造人間19号だったんだ~!
 


15年前に放送されたTV番組「デス・イン・フォーカス 知られざる日本の真実」。

アメリカの番組から「謎の映像X」


第539回 新潟県胎内市 乙宝寺

2010-09-23 22:53:25 | 旅行

2010 08 29(日)

世界一大きな蛇としてギネスブックにも載っている大蛇が練り歩くという奇祭“大したもん蛇祭り”を見物に遠路車を飛ばして新潟県岩船郡関川村へ・・・。

前橋市を早朝4時頃に出発、関越・北陸道と順調に走り関川村に最も近い荒川胎内ICを下りたのは午前7時頃。
午前9時30分から始まる関川村の“大したもん蛇祭り”には早すぎるので、4年前の“村上屏風まつり”のときに時間が無く参詣出来なかった国宝の寺乙宝寺”(おっぽうじ)を早朝に訪問。

朝7時20分頃から参詣する物好きは筆者以外には誰もおりません。
参道前の乙宝寺参詣者専用P場に車を停め、爽やかな心で入山です。

大きな石灯篭が立つ参道の右には「国宝 大日如来」と彫られた大きな石柱、更に進むと左右に蓮池があり、その中に茅葺きの弁天堂がひっそりと佇んでいました。
 

参道の中央に目立つのは西条丹呉家寄進の伝説がある仁王門。朱塗りで荘重な造りの山門です。

造営されたのは奈良時代と云われ、江戸時代1745年(延享2年)に造りかえられた大改築では奈良時代の古材が使用されているそうです。

仁王門の中には行基菩薩が刻んで造ったという仁王像が阿吽の形相で二尊。
 

仁王門から更に進むと左に朱塗りの鐘楼、中央の一段高い所は本堂の大日堂、右には重要文化財の三重塔。少し手前に手足と口を清める手水舎など。


石造りの素朴な水盤と青銅製の吐水龍。その昔、弘法大師が仏具の独鈷杵(どっこしょ)で「聖地に清水の湧き出ずる」と唱えながら地を指したところ、噴出したと伝えられる「独鈷水」。
新潟名水百選の一つに数えられる清水ですが、夜間・早朝は止水で飲むことが出来ません。


独鈷水の後ろに屹立していたのが有名な乙宝寺三重塔
江戸時代初期の元和6年(1620年)造営、屋根はコケラ葺き 高さ24.2m。

造営願主は村上城主の村上義明、京の宮大工・藤原吉正が棟梁として精魂込めて造り上げた荘厳な三重塔
内部一階には普賢菩薩像が安置されています。


雪国越後の豪雪にも耐えられる剛重な造りが見事で、国指定重要文化財です。
 

10段ほどの石段を上ると正面に豪壮な本堂、御本尊に大日如来を祀るので大日堂とも呼ばれます。


大日堂の内部、巨大な丸提灯が頭上を圧しています。
賽銭箱の上には絵馬が多数掛けられ、内陣を隔てていました。
 
特別に内陣を拝観。国宝大日如来阿弥陀如来薬師如来は何処・・・それらしき仏像は見当たりません。
乙宝寺の係員に尋ねたら、昭和12年の火災で木造茅葺きの大日堂が全焼し国宝の諸仏は全部焼失したとのこと・・・。(失火ではなく放火だったそうです、あぁ~勿体無い 文化財は大切に!

如意山乙宝寺は736年(天平8年)聖武天皇の勅願により北陸地区の安寧を祈願するため、行基菩薩とインドの提遷那(ぼだいせんな・婆羅門僧の二人で創建したと伝えられる真言宗智山派の寺院。

越後新潟では屈指の古刹、写経猿の説話で名高く猿供養寺とも乙寺(きのとでら)とも呼ばれ親しまれ、五穀豊穣・家内安全・商売繁盛など諸願成就で霊験があります。

国宝仏が焼失で見られなくて残念! 代わりに堂内の絵馬や本堂脇の釈迦像など拝見して残念な心を癒します。
 

本堂右奥の観音堂(大悲閣)を参詣、観音堂の中に鎮座しているのは如意輪観世音菩薩。お堂の柱には「唐土の 人も訪ねし 乙寺 今に絶せぬ 法の灯」と・・・。(中国まで聞こえた有名な寺だったのですね。)
石段下に沢山の石碑が・・・風雨で薄れた立札に微かな墨跡で「浮世塚」と。
 

全部の石碑が風化でボロボロ状態、陰に隠れた丸い石碑を発見!
かすれた碑文には「うらやまし 浮世の北の 山桜」と詠め、これが奥の細道で乙宝寺に立ち寄った時に詠んだ松尾芭蕉の句碑でした。

芭蕉の句碑以外にも沢山の句石碑がありますので、俳句好きの人が頻繁に訪れるそうです。

乙宝寺境内には地蔵堂・夢殿や八所神社など様々な諸堂が建っていました。
こちらは六角堂で願うと良縁に結ばれることから「結び堂」とも呼ばれます。
本尊は釈迦如来で、床下に穿たれた穴に釈迦の左眼(寺宝)を納めた仏舎利が置かれていた塔心礎石があります。
 
本堂の左手にある仏像の脇に立つ桜樹は「乙桜(きのとざくら)」、桜花と葉が同時に見られる珍しい桜樹で天然記念物に指定されていました。

横に倒れそうな樹木は大葉樫で樹齢約400余年。
弘法大師が乙宝寺に立ち寄られ食事した際、お箸を地面に差したところ根付いた大木で、別名「弘法大師お箸の木」と言われています。
 
乙宝寺の小高い裏山には観世音菩薩を刻んだ石碑が数十基並べられ、御遍路みたいな散策コースになっていました。

越後の名刹・乙宝寺を朝8時30分まで参詣した後、本日のメインイベント“関川村 大したもん蛇祭り”に車を走らせました。


村木冤罪事件と検察庁証拠FD改ざん事件”。

呆れ果てた極悪検察官僚たち、「秋霜烈日」のバッジを胸に正義の味方を気取り歪んだ劣情で数々の捏造・悪事を組織ぐるみで行い、無辜(むこ)の庶民を冤罪(えんざい)の罠に嬉々として陥しいれてきた事例は多数。

昔、特高 今、特捜」「特捜が特高になる恐ろしさ」「検察官 税金泥棒に 成り下がり」・・・極悪恐怖の検察を監視する機関の設置を!!
今日から検察官バッジは「醜葬劣人」に変更した方がお似合いです。

最高検察庁が大阪地検検事を取り調べ・・・泥棒親玉泥棒子分を取り調べる構図、世界中の物笑い噴飯モノの茶番劇。

公務員犯罪に対しての厳罰化取調べ可視化証拠物第三者保全及び被告側への全面開示を早急に望みます。

菅直人内閣は第三者による公平な調査機関の設置はせず、最高検の保身のための甘い身内捜査を暖かく見守る予定。
官僚の犯罪を厳しく指弾できず、漁船拿捕事件で共産中国にナメられている愚かな政府では日本の明るい展望は開けません!!

FD改ざん事件の参考ブログ ⇒ ここクリック。
FD改ざん事件をスクープした朝日新聞と検察庁 ⇒ ここクリック。


2010 09 23(木・秋分の日)記。  前橋市  最高気温21.5℃(昨日は34.7℃ 「暑さ寒さも彼岸まで」、この気温差は異常。)

おまけコーナー。

ギリギリセーフ!!

ドライブレコーダー 間一髪・深夜の女性歩行者



ドライブレコーダー 身軽な児童、間一髪!


Бешеный автобус - Перми 19.10.2009 9:42



Kid Plays Chicken with High Speed Train


Train spotter in narrow escape



第538回 2010年 南越谷 阿波踊り。

2010-09-15 22:06:57 | 旅行

2010 08 21(土)

東武鉄道伊勢崎線とJR武蔵野線が交差する埼玉県南越谷の新越谷駅周辺で大規模な阿波踊りが開催されたました。

日本三大阿波踊り一つに数えられ、本場徳島阿波踊り、東京の高円寺阿波踊りに次ぐ規模と言われ、昭和60年の第1回から今年で26回目になり最近では約50万人達が見物に訪れるそうです。(開催期間8月20~22日)

早速、炎暑の午後、前橋から車で南越谷へ・・・でも、高速東北道の加須から春日部付近で事故渋滞に巻き込まれ、南越谷に着いたのは夕刻近くの午後6時20分。


予定していた町内流し踊りスタートの5時10分には1時間以上遅れましたが、いろいろな阿波踊り連が順番に踊り出していました。
 
南越谷東口南通り演舞場に到着して初めに見たのが綺麗にステップが揃った“蓮華連”の皆さんの阿波踊り。

第26回南越谷阿波踊り 2010年 1. CIMG5971蓮華連 ムービー.wmv



南通りの西東を通行止めにした阿波踊りの会場(演舞場)で見物。
新越谷駅周辺の4道路が演舞場として阿波踊り連に開放されていました。

こちらは粋な踊りの“葵新連”、花のお江戸は高円寺からの招待連。
大名行列先頭の飾り毛槍を左右に伴った江戸風阿波踊り


第26回南越谷阿波踊り 2010年 2. CIMG5982・83 葵新連 ムービー



整然と流すのは地元・越谷の“踊りを味う連”。


阿波踊りのお囃子も本格的な人数の多い“踊りを味う連”です。


第26回南越谷阿波踊り 2010年 3 CIMG5987・89踊りを味う連・他。



元気な子供が主役の“ゆうゆう連”。
子供の阿波踊りとはいえ本格的な手振り身振りで大人顔負けです。
 

第26回南越谷阿波踊り 2010年 4. CIMG5999ゆうゆう連・他。


こちらは手馴れた踊りを披露した格調高い“あすなろ連”のお姉様たち。


お隣の県から駆けつけた“栃木銀行連”、日頃はお堅い銀行マンが羽目を外して踊り狂います・・・預金は大丈夫でしょうか?


黄色い半被は“ひよっこ連”、踊り終わってジャンプ! ひよっこですから空高くには飛べませんが見事な跳躍力!


本格的な阿波踊りを演じたのは招待連の“江戸っ子連”、高円寺で鍛えた腕前を存分にご披露。


第26回南越谷阿波踊り 2010年 5. CIMG6031江戸っ子連.wmv


誰でも飛び入り参加OKの“にわか連”、子供も大人もジジババも気軽にダンシング!
 


第26回南越谷阿波踊り 2010年 6. CIMG6049・54にわか連.wmv


見事な阿波踊りで観客を魅了したのは“葉月連”、本場の阿波徳島からの招待連ですから一段格上の踊りです。
 

真っ黒な衣装で一味違うパフォーマンスを見せたのも葉月連の方々。


第26回南越谷阿波踊り 2010年 7. CIMG6074 葉月連ムービー.wmv


ご当地キャラクターでしょうか? 若い子に大人気です。



第26回南越谷阿波踊り 2010年 8. CIMG6100 みほの連ムービー.wmv


ふじみ野市を本拠地とする“みほの連”、正調阿波踊りの華麗な舞姿に眼を奪われて・・・。


にぎやかな集団は変わった名前の“PO連”、外人さんの連かと思ったら純和風メタボ系の越谷人、注文住宅業のPOハウスの社員の皆さんの熱演でした。


第26回南越谷阿波踊り 2010年 9. CIMG6104・11・12 PO連ムービー.wmv


PO連の女子社員も猛特訓の成果をご披露、住宅の上棟式や完工式でも踊ると喜ばれるかも・・・。


威勢の良い男踊りは“おきらく連”、職業訓練校生が主体の連でパワフルな提灯踊りが大評判。


第26回南越谷阿波踊り 2010年 10. CIMG6120 おきらく連 ムービー.wmv


地元越谷市役所からは職員50数名が参加の“いきいき連”。

阿波踊りも役所業務の一つですから残業代が出るのだとか・・・?


第26回南越谷阿波踊り 2010年 11. CIMG6131・34いきいき連・宏志連


子供も大人も「踊る阿呆に見る阿呆 同じ阿呆なら踊らにゃソン、損!」。


夜が更けるのも知らず、南越谷の阿波踊り町内流しは続きます。


美脚生足で魅せたひょうきん踊りは“飛鳥連”のお姐さん。
次から次へと阿波踊り連が繰り出し、全ての連はとても掲載出来ません。
 
第26回南越谷阿波踊りには本場徳島高円寺からの招待連を含めて計67連が出演する大掛かりな一大イベント、今回掲載の演舞場とは別に駅前の2ヶ所の通りでもステージが設けられ、豪勢な阿波踊りが披露されました。

にぎやかなお囃子で踊る“南越谷阿波踊り”は越谷の夏の風物詩、皆様も一度見物に行かれては如何でしょうか・・・。

拙ブログ掲載の高円寺阿波踊りは ⇒ ここクリック。

2010 09 15(水)記。  前橋市  最高気温23.6℃ 昨日より10度低下。

おまけコーナー。

ロシアの美人スパイ アンナチャップマンの流失動画。

Anna Chapman's photosession/ фотосессия Анны Чапман


第537回 足利市 石尊山 梵天祭り 下。

2010-09-10 01:21:01 | 旅行

2010 08 14(土)

杉御柱は予定通りに早朝の5時30分に石尊山山頂(ここは展望広場とか弁当広場と呼ばれ、本当の山頂は更に7分程奥の場所)に到着。
磨き丸太柱を所定の位置にボルトで据付け、「梵天講 社中」の名板と先端には梵箭(ぼんせん・幣束串)を差し込む梵天俵が取り付けられました。
  

さっそく梵俵梵箭を挿し込みますが、観光PRが効いて今年は例年の2倍の見物客ですから大変な本数となりました。(総数250本とか。)
 
隙間無く梵箭を挿し込み大きな球状に仕上げます。

午前5時50分、挿し終わりゆっくりと杉御柱を立ち上げました。
 

梵天祭りの杉御柱の立ち上げ動画をご覧下さい。

石尊山 梵天祭り 2010年 5。 CIMG5725・53・58 ムービー.wmv


今にも降り出しそうな曇り空で、天高くとは云えませんが、約16mの高さの梵天柱が空に聳えます。
 

麓の不動寺の住職がいつの間にか袈裟衣に着替えて登場、厳かに梵天祭りの読経を・・・。(朝5時56分)
 
僧侶の先の杉御柱には赤飯般若湯(はんにゃとう・酒)が恭しく供えられていました。

梵天祭りの功徳あるお経と、赤飯のお振る舞いなどお楽しみ下さい。

石尊山 梵天祭り 2010年 6. CIMG5778・80・90 ムービー.wmv


一睡もせずに夜明け前から登った身体には大変美味な御赤飯、筆者も清酒(白雪)と共に有難く頂戴致し英気を回復ました。(朝6時。 多量な酒と赤飯の運搬本当にご苦労様です。)
 

御振る舞いの飲食物で人心地がついた後、いよいよ梵天祭りのハイライトが開始されます。
なんと、ツルツルに磨き上げられた梵天杉丸太を素手・素足でよじ登るのです。(朝6時10分頃から)
   
我こそはというツワモノが梵天御柱に取り付いて登り始めます。
なかなか上手に登れません。 子供も女性も親父さまも途中まででダウン!

梵天柱に登る映像などご覧下さい。

石尊山 梵天祭り 2010年 7. CIMG5794・5803~6・11 ムービー.wmv



梵天柱の先端部まで登るれるのはやはり細身の学生、メタボ系は全滅でした。(午前6時21分)
梵天講 社中」名板を上手に下ろす青年。


こちらの青年は名板より上の帝釈天梵箭を取り外します。


ポツポツとが降り出した中、梵天柱登りに成功した映像をご覧下さい。

石尊山 梵天祭り 2010年 8. CIMG5807・09・15 ムービー.wmv



梵天講 社中」の名板を獲得し、TV局のインタビューを受ける青年は富士重工の社員とか・・・。(でも、実際に名板を取った人は別の人でこの方は帝釈天と梵箭を・・・。)


この後、梵天柱は静かに倒され先端に挿された梵箭を人々が奪い合いました。8朝6時30分頃)
 
筆者も人を掻き分け頑張って二本GET'S。
家に持ち帰り飾っておくと全てに霊験新たかで「無病息災・家内安全・・・」と御利益があるそうです。

石尊山山頂で行われる“梵天まつり”は原始的な太陽信仰の名残りに山岳修験道が結びついたものといわれ、栃木県の無形民俗文化財に指定されています。(だから白装束で日の出時刻に合わせて梵天柱を立てるのですね。)

事故も無く、めでたく梵天祭りも終了、皆さん潮が引くように一斉に下山を急ぎます。

山頂部直下の石尊宮でも梵天祭りを祝って御酒が振舞われていました。(6時43分)
 
通る人は皆さんここで一献! 漆器の杯ですから味も格別です。

筆者も御酒を飲み干し、梵箭片手にふらふらと千鳥足で登って来た岩道を下ります。(朝6時56分)
 
登った時には真っ暗で見えなかった「是より 女人禁制」の石柱。(7時20分。 ここから上が急登になります。)
江戸時代末期の慶応年間に建てられた御影石造りです。

三合目あたりに湧き出ている清水が冷たく実に美味、顔や腕なども冷やして救われた気分になりました。
 
やっと麓の不動堂に到着・・・。梵天祭りの後片付けの最中です。(午前7時35分)

お堂の中の木造不動明王にご挨拶、登山の無事を感謝しました。


いち早く下山した梵天講の皆さんは不動堂の横に集まって慰労宴会の最中。

長く重い梵天御柱を真夜中に担ぎ上げ、本当にご苦労様でした、ゆっくりと骨休みして下さい。

不動堂の階段下では村人が作るうどんの炊き出しがありました。
 
美味しいキノコ入りうどん! さらに氷菓ガリガリ君まで付いて全て無料!!
感謝感激で腹も胸もいっぱいの梵天祭りでした。

お腹も満腹になり、眠い眼をこすりながら歩くと右手の林の中に小さな神秘的な
龍頭の口から流れ落ちるのは石尊山からの岩清水、岩には不動明王が彫られています。
ここで行者が水垢離(みずごり)を行うのでしょうか? 夏でも冷たそう・・・。
 
不動堂で配布されたTシャツ梵天祭のマークが記念になります。
このTシャツも無料で頂けました。 本当に豪儀な梵天まつりで感謝に堪えません。

小俣町叶花石尊下バス停から見た石尊山、山頂付近に霧がかかって右後方の最高峰が隠れてしまいました。

まだ真夏の8月14日、酷暑・炎暑連続の異常な今年の夏に早くも咲いた黄花コスモス
眼に鮮やかなコスモスで眠気をこらえて前橋への帰路に着きました。(午前8時30分)

運動にもなり、食事も酒もTシャツまで貰えるこんな有り難いお祭りは今までに聞いたこともありません。
深夜の山登りですが運動靴で充分で、“石尊山 梵天まつり”は皆様にお勧めできる楽しい夏祭りと云えるでしょう。


2010 09 10(金)記。  前橋市  最高気温31.9℃

おまけコーナー。

覗き魔にご用心!!
Пиз"ец мне!


第536回 足利市 石尊山 梵天祭り 上。

2010-09-07 23:59:55 | 旅行

2010 08 14(土)

月遅れのお盆の14日、足利市の山中で行われた奇祭“石尊山 梵天祭り”。

前橋の自宅を深夜の午前時に車で出発、有料の北関東自動車道は遠慮して国道50号線を突っ走り、足利市小俣町叶花(かのうけ)の林の中に建つ不動堂に着いたのは堂内で護摩供養が始まる午前3時少し前。

不動堂境内には真っ暗な深夜にも係らず、梵天祭りの参加者や見物人が100名近く集まっていました。
 

午前3時20分頃から地元の鶏足寺住職の読経と祭りの安全を祈願する護摩供養が厳かに行われ、いよいよ梵天祭りの開始です、


護摩供養が終了すると、堂内から梵天祭りに使用する祭具(梵俵や幣串など)が次々と運び出されます。
 
深夜の祭事にも係わらず、軽登山姿の若い女性達や子供もちらほらと・・・。

日の出の時刻に石尊山頂上杉丸太柱を立挙げるため、不動堂からの出立は午前4時でした。

石尊山不動堂の護摩供養と梵天柱の出立をご覧下さい。

石尊山梵天祭り 2010年 1. CIMG5600・05・18 ムービー.wmv


石尊山への真っ暗な登山道を磨き上げた杉丸太柱を担いで慎重に登り出します。
 
今年の酷暑ボケと慌てて家を出て来たので、筆者はヘッドライトや懐中電灯を忘れてしまいました。
どんよりとした空模様で月も星も全く見えない漆黒の夜道、人様のライトの明かりだけが頼りの暗闇山行になりました。

進むに従って登山道は険しくなり、きついカーブの連続ですが、全長16mほどの杉柱には小回りは出来ません。
 
ほとんどのカーブでは杉柱は登山道を外れ、林と笹藪の急傾斜地を直登しました。
道なき道を行くって正にこの事ですね・・・。

夜が明ける前に苦労して山に登る梵天祭りの御一行。

石尊山 梵天祭り 2010年 2. CIMG5623・29・41・58 ムービー.wmv


休憩時に親切な御姉さまがを参加者に配っていました。
夜中でも全員が汗びっしょりですから大変助かりました。
 
休息後、再び山頂を目指して杉柱を担ぎ上げます。
昔は、担ぎ手の衣装は白装束だったそうですが、今は石尊山梵天祭と染めたシャツ、大汗ですからTシャツが正解かも・・・。

「わっしょい、わっしょい~~」の掛け声で気勢を上げて山頂を目指します。


ほんのりと薄明るくなってきた中、石尊山山頂に杉丸太柱を担ぎ上げます。

石尊山 梵天祭り 2010年 3. CIMG5670・72・76・79 ムービー.wmv


石尊山の尾根道に辿り着いた頃、足元もなんとか見える明るさに・・・。
 
尾根道沿いには「釈迦岩」や「山婆の腰かけ」など覗くだけで背筋が冷える絶壁が点在していました。
標高が486mと侮ってはいけません、中腹から上は全てが危険な岩山なのです。

時々、小休止して水分補給で熱くなった体を冷やします。
 
ご覧のように岩場の連続!! 慎重に一歩一歩登ります。

休止の後、危険な岩場もなんのその杉柱を一気に担ぎ上げて元気良く山頂へ・・・。


尾根道をよじ登る梵天祭り担ぎ手の面々。

石尊山 梵天祭り 2010年 4. CIMG5687・5705・16 ムービー.wmv


最終の岩場を通過すると比較的になだらかな山道になり、直に山小屋風な御堂に出会います。
 
この建物が山頂直下の石尊宮です。麓の不動堂の奥ノ院で日頃は無住堂ですが、本日は祭り日なので開いていました。

不動堂から石尊山頂上までは通常45分ほどの行程ですが、真っ暗の中、杉丸太と一緒でしたから約2時間弱で登りました。

次回は石尊山山頂での梵天祭り編。

2010 09 07(火)記。  前橋市  最高気温37.2℃ 


おまけコーナー。

バカだね~、この姿で富士山頂にチャレンジ! 救護所に保護されて・・・でも、ナイスバディだから許せる・・・!?


第535回 八甲田山散策。

2010-09-03 22:42:22 | 旅行

2010 08 09(月)

五所川原立佞武多の見物から一夜明け、8月9日月曜日のバスの旅は宿泊のルートイン青森中央インター店から東北地方を代表する山岳地の八甲田に向けて朝8時30分に出発!
 
約30分程で八甲田山中腹のドライブイン「銅像茶屋」に到着です。
少し雲が掛かり始めてきましたが、まだ薄日も出て八甲田の山々は見えていました。

銅像茶屋でバスを降り、建物の右手を歩いて行きます。


直ぐに、明治時代後期に起きた八甲田雪中行軍遭難事件の立看板など・・・。
 
銅像茶屋の裏手あたりが遭難場所の一つの馬立場だったのです。

銅像茶屋からハイヒールでもOKのだらだら坂を250m(3分)ほど上ると大きな立像が眼に入ってきます。


雪中行軍隊の遭難を麓の村に知らせようと、ただ1人下山をしてきた後藤伍長銅像です。

雪中行軍隊遭難の救助要請に田茂木野村に向かった後藤伍長はこの銅像より数km青森市方面に下った大瀧平で、立ったまま雪に半身埋まり仮死状態で捜索隊と村人に発見されたそうです。

 
雪中行軍隊遭難の報を知らせた後藤房之助伍長(映画は江藤伍長)は凍傷悪化で四肢切断とか・・・。

冬の八甲田雪中行軍ゆかりの地探訪 その8-1(最終回) 



新田次郎原作(八甲田山死の彷徨)の映画「八甲田山」(監督・森谷司郎 1977年公開)のポスターも懐かしい。

明治35年1月23~27日 青森歩兵第五連隊第二大隊の八甲田雪中行軍(青森~八甲田中腹~三本木[十和田市]のルートを一泊二日で踏破予定)で210名中199名が死亡した実話をモデルとした映画。

三国連太郎が神田大尉の行軍指揮権を混乱させる大隊長「山田少佐」の名悪役ぶりを熱演、映画では最後に遭難の責任をとり拳銃自決します。
 
北大路欣也は冷静沈着な神田大尉の役、(神成文吉大尉)。セリフの「天は我々を見放した」は当時の流行語にもなりましたね。

小林桂樹は津村第五連隊長役、神田大尉指揮下での雪中行軍を許可する苦悩の演技が見事でした。
 
初々しい秋吉久美子滝口さわ役、八甲田の寒村でたくましく生きる嫁で徳島隊道案内の演技が光ります。

その他に、丹波哲郎、加山雄三、高倉健、緒形拳、藤岡琢也、加賀まりこ、栗原小巻・・・など邦画俳優総出演の超大作でした。

映画「八甲田」 一部抜粋。 高倉健 - 北大路欣也・秋吉久美子 - 1977年


気象と装備を軽視した典型的無謀遭難、雪山をナメたらいかんぜよ~。

以上の「八甲田」映画画像は八甲田ロープウェー山麓駅に展示されています。

後藤伍長銅像を拝んだ後、バスは八甲田ロープウェーの山麓駅へ・・・。


10時発のロープウェーに乗って山頂へ・・・。
 
元気いっぱいの可愛いロープウェーガイドさんが八甲田を詳しく説明。

次第に雲に覆われ、眼下に見えるはずの陸奥湾が霞んで見る事が出来ません。

長さ2460mの八甲田ロープウェーは快適に山頂を目指します。

高低差450mを毎秒5mの速度で上昇、程なく山頂公園駅へ・・・。


八甲田ロープウェー山頂公園駅に10時12分に到着、標高1320m。


山頂公園駅から付近の散策路を回り山の景色を楽しみました。
 

案内看板も完備、でも、雪や霧に巻かれたら看板も見えないと思います。


八甲田の山並み(赤倉岳・井戸岳・大岳)に雲海が・・・を恐れて散策も早々に駅へ戻ります。


帰りのゴンドラから振り返った山頂公園駅付近は雲に隠れていました。多分雨が降り出したのでしょう。
 
午前11時に山麓駅に到着。山麓駅待合室の片隅にある名水「八甲田湧水」で喉を潤し旅の疲れを癒しました。

15分後にバスが出発する頃から猛烈な土砂降りになり、運良く濡れる事も無くバスは帰路に・・・。


最終帰着地のJR前橋駅に到着したのは夜10時、立佞武多八甲田も楽しめた一泊二日の気楽なバス旅行は無事に終了しました。

2010 09 03(金)記。  前橋市  最高気温35.9℃ いつまで続くかこの暑さ!


おまけコーナー。

ショッピングカートに乗ったビキニ美女が・・・。
Drunk girls face-plant on to hard concrete from shopping cart