ツトムさん家の写真日記。

写真いっぱいの楽しい日記です。(全面表示でご覧下さい)

第271回 上野公園・西洋美術館 イルミネーション。

2007-12-29 20:20:20 | 旅行

2007年12月7日(金)   上野公園イルミネーション見物。

上野広小路の上野公園下から階段を上がると直ぐに動物を模ったイルミネーションが見えてきました。

 
 
上野と言えば上野動物園ですから、可愛らしい動物を光ファイバーで作っています。

繁華街・上野広小路は不夜城の如く明るさで満ち溢れています。

更に上ると又、違った大きな動物のイルミネーションが現れてきました。 

カラフルな色で光り輝く動物達の登場です。

美しい光ファイバーの芸術ですね。
 
上野動物園の代表的な人気動物のオンパレード。
 
全てが数秒毎に色彩が変化します。
クリスマス用にトナカイも煌めいて・・・。

動物のイルミネーションから、左下に不忍池に浮かぶライトアップされた弁天堂を見て国立西洋美術館へ・・・。
 
漆黒の上野の森に西洋美術館だけが明るく光に包まれていました。


国立西洋美術館の前庭には約4万球のイルミで幻想的な光のページェントです。

西洋美術館前庭を飾るオーギュスト・ロダンの彫刻群もライトアップされ華やいだ光景。
地獄の門”が鮮やかに照らされて昼間と違った美しさを湛えています。

かの有名な“考える人”も光に囲まれて戸惑っている様子です。

カレーの市民”像も薄っすらと照らされて少し不気味・・・。

国立西洋美術館の近くのレストランでも華やかにイルミネーションで飾り付け。
 
折角の上野ですので、西郷さんの銅像などを見物。
 
西郷隆盛銅像から上野駅前方面を撮影してみました。
(上野のイルミネーションは11月23日~1月6日迄。)

2007 12 29(土)記。   前橋市 時々   最高気温17℃。 10月下旬の気温。


第270回 東京ミッドタウン イルミネーション。 下。

2007-12-26 18:18:18 | 旅行

11月21日(水)   東京ミッドタウン・イルミネーションのメイン会場のガーデンエリアを訪ねました。

前回紹介したKIRIKO TREEから桜通りを越えた場所に青白く輝くガーデンエリアがあります。

六本木の元防衛庁の跡地だけあって東京のど真ん中とは思えない広い空間いっぱいに、白と青の発光ダイオードが敷き詰められています。

桜通りの木々には昔ながらの豆電球のイルミネーションが飾られていました。
 
木々に飾った電球は全部で50万球と豪華なものです。
LEDと趣が違って淡いオレンジ色の電飾は心を温かくしてくれます。
彼方には東京タワーが夜空にそびえ、煌々とライトアップして東京のランドマークの役割を果たしていました。

東京ミッドタウン イルミネーションメイン会場はさながら光の海・・・。

キラキラと眩しいほどの輝きで人々を出迎えてくれました。

東京ミッドタウン・ガーデンエリアのイルミネーションは2000㎡芝生の上に広がるブルーホワイトLEDでいっぱいに埋め尽くされています。

このイルミネーションは東京ミッドタウンガーデンエリアに出現した銀河を連想させます。

あまりの綺麗さに観ている人達から感嘆の声が聞こえていました。

なだらかな傾斜を上ると最上部に何やらカタツムリの様な芸術作品があります。
 
カタツムリ、アンモナイト、水力発電機、UFO・・何にでも想像できるオモシロ巨大オブジェ!(フロリアン・クラール作「フラグメントNo.5」)

LEDの光の海に漂いながら、ガーデンエリアに敷かれた星空を散策しました。
 
東京ミッドタウンの商業施設「ガレリア」の前には切子硝子をモチーフにした“KIRIKO TREE”が煌めいています。

ついつい時間感覚が無くなってしまう程の幻想的な光景です。
 
敷き詰められたヒカリの絨毯の彼方には東京タワーが孤高のごとく輝いていました。

ガーデンエリアの片隅ではコーラ屋さんのイベントが開催され、歌やダンスの無料生ライブが・・・。
 
イルミネーションイメージの光銀河の上では15分毎に、ホワイトLEDミルキーウエイが描かれるように構成されていました。

東京ミッドタウンプラザエリアの華やかなオーロラ、ガレリアエリアの煌めくKIRIKO TREE、ガーデンエリアの鮮やかな光の銀河など、東京ミッドタウンイルミネーションは魅力満載の光の芸術作品です。

東京・六本木へお出かけの時にはぜひ御覧下さい。(開催期間11月15日~12月25日。プラザエリアとガーデンエリアは2月14日まで延長。)

2007 12 26(水)記。    前橋市    最高気温12℃。


第269回 東京ミッドタウン イルミネーション。 中。

2007-12-24 20:00:00 | 旅行

11月21日(水)   前回の東京ミッドタウン玄関口のプラザエリアから商業施設の「ガレリア」に入ってみました。

ガレリア」の内部は店先をクリスマスモードで小奇麗に飾ったSHOPが沢山並び、買い物客で賑わっています。
 
高級そうな店舗をウインドウショッピングしながら、ガーデンエリア方面へ・・・。
ガーデンテラス(アトリウム)の大きなガラス壁を透して青いイルミネーションが眼に入ってきました。

専門店の立ち並ぶ「ガレリア」から外に一歩出ると、そこには大きな光輝くピラミッド!!

東京ミッドタウンイルミネーションの目玉の一つKIRIKO TREEです。
高さは8m、ガラス細工で名高い江戸切り子硝子をイメージして創ったそうです。
(左の黒く見えるオブジェはトニー・フラッグ作「ファナティックス」)

キラキラと輝いて確かにキリコガラスを彷彿とさせていました。
 
鮮やかに輝く光は数秒毎に色彩が変化し、15分に一度鐘の音が鳴り響き、見ている人を楽しませています。

KIRIKO TREEの中に入ると、そこは光のシャワー!!
 
キリコ硝子のドーム天井はまるで光輝く巨大な越前クラゲ状態だ~!
硝子クラゲに食べられないように見詰ていると、光彩が変化して実に神秘的な荘厳感に打たれます。 宇宙未来の光カテドラルでしょうか・・・?
 
東京ミッドタウンのガレリア・ガーデンテラスの輝くモニュメント“KIRIKO TREE”はまさしくキリコ硝子そのもののようなカットグラスの輝きを放っていました。
しばらく眺めていると、その中からガラスの靴を履いた可愛いシンデレラが現れそうな錯覚を起こさせます。

次回は東京ミッドタウンガーデンイルミネーションです。

2007 12 24(月)記。    前橋市    最高気温10℃。

超便利な車ドア⇒ここクリック。


第268回 東京ミッドタウン イルミネーション。 上。

2007-12-21 21:21:21 | 旅行

11月21日(水)    今から丁度一ヶ月前に撮った東京ミッドタウンイルミネーションの画像です。(携帯電話で手持ち撮影。手ブレ有り。)

以前の東京六本木自衛隊跡地に今年できた巨大商業施設「東京ミッドタウン」で催されている“東京ミッドタウン 1’stクリスマスイルミネーション”の画像をお楽しみ下さい。

東京メトロの乃木坂駅から外苑東通りを六本木へ向かうと左手に東京ミッドタウンか直ぐに現れてきました。
 
水曜日の平日のせいか比較的に人通りは少なかったです。
外苑東通りの樹々にも電飾が飾られていました。

東京ミッドタウンの入り口に大きな黒い石のオブジェが一つ・・・。
 
光のゲージュツに惑わされながら玄関口のプラザエリアに進みます。
地下室の上部ガラスにも反射して輝いて見えました。
 
東京ミッドタウン入口への途中に植えられた篠竹にもびっしりとイルミが・・・。

東京ミッドタウン商業ゾーン「ガレリア」の入口前に見事なイルミネーションカーテンが架けられています。

ガレリア前には時間と共に人々が集まってきました。

この電飾カーテンは白夜の夜空に浮かぶオーロラをイメージして制作したそうです。
 
数秒毎に模様も色彩も変化して眼を楽しませてくれます。

光ファイバーを巧みに利用して華やかで幻想的なオーロラを浮き上がらせていました。

観ていると本当のオーロラと錯覚する程の出来栄え・・・。
光のカーテンは二重に作られていました。
 
この美しさは東京の夜空に妖しく咲いた大輪のアダ花でしょうか?

イルミネーションも白熱電球から発光ダイオード(LED)に替り、消費電力が6~8分の1に減ったそうですが、環境・エネルギー・温暖化を考えると複雑な気持ちになってしまいますね・・・。

次回は東京ミッドタウンイルミネーションの圧巻“ガーデンエリア”です。

2007 12 21(金)記。    前橋市    最高気温12℃。


第267回 秩父の紅葉。 夜の長瀞。

2007-12-18 18:18:18 | 旅行

11月20日(火)   前回「秩父の紅葉 夜の宝登山神社」(12月6日投稿)に引き続いて更に夜の紅葉見物です。

宝登山神社から車を走らせること約10分、関東では知らない人はいない有名な観光地“長瀞”へ到着。

秩父鉄道・長瀞駅の裏から線路に沿って上長瀞駅への途中に目指す公園が・・・。

公園の名前は月の石公園”。なぜ月の石なのかは不明ですが・・・公園横に”長瀞自然の博物館”が在りましたから、そこに月の石が展示されているのかも?

初冬の秩父路の寒さ故か平日故か、月の石公園のP場はガラ空き状態。

長瀞月の石公園では既に樹々がライトアップされ、遠眼でも木々が紅く染まっていました。(ライトアップ期間11月10日~25日)
 
“天然記念物 名勝 長瀞”の大きな石碑の裏側は荒川源流の長瀞の深い谷。

長瀞月の石公園のモミジは下から光で照らされて紅く輝いて見えます。

人影もまばらな広い公園内をブラブラと観て回りました。

暑い夏が長かったので紅葉が少し遅れ気味でしたが、園内は紅葉が真っ盛りでした。
 
紅燃ゆるとはこの素晴しい光景ですね。
 
秩父路の見事な紅葉に只々見とれるばかり・・・。

美しさに見とれて時を忘れます。
 
月の石公園内にはテント小屋の売店があります。寒いのでオデン熱燗が売れるとか・・・。
 
ライトアップされた月の石公園の夜紅葉は実に鮮やかな錦模様!!
秩父・清流長瀞淵の漆黒の暗闇に浮かぶ紅色の樹々、お奨めできる逸品です。
皆様も来年には夜の紅葉見物にぜひどうぞ・・・。(長瀞紅葉はここクリック。)

2007 12 18日(火)記。   前橋市    最高気温12℃。

癒し系ワンちゃん“ジャパネット犬”は⇒ここクリック。


第266回 赤穂義士番外編 元助の四十七士石像。

2007-12-14 00:00:00 | 旅行

12月14日   赤穂義士吉良邸討ち入りの日。

言わずと知れたと知れた、忠臣蔵で名高い大石内蔵助浅野家臣ご一党の仇討ちの日です。(元禄15年[1703年]12月14日は太陰暦ですから現在の1月30日。)
歌舞伎や映画や本などで日本人なら誰でもお馴染みの超有名な実話ですね。
その後の日本人の精神構造に多大な影響を与えた江戸時代最大級の事件

討ち入りを果たした後、全員が切腹して亡骸は主君・浅野内匠頭の墓のある泉岳寺へ葬られて忠臣蔵のお話も大概はここで終わります。

その後の逸話の一つで、討ち入りに参加した浅野藩士の家来(中間)で元助という小者がおりました。
その下僕・元助が義士切腹後、健気にも赤穂四十七士の供養の為、山深い山中に赤穂義士石像碑を刻んで建てたのです。

早速、元助建立の赤穂義士の石像群を訪ねることに致しました。

場所は群馬県安中市の榛名山中腹。
長野新幹線の安中榛名駅から車で分ほどの杉林の中です。

カーナビ頼りに車を走らせますが、住所不定で田舎の山中のこと結構道に迷いました。
ナントか赤穂四十七義士石像の木製標識に到着。 傍らに10台程の無人駐車場あり。
 
真新しい木の標識から杉林の小径を辿ります。(軽いピクニック気分。)

6分も歩くと大きな崖下に石像がチラホラ・・・。
これが元助の建てた石像群・・・と思いましたが、別の僧侶が造った石仏達でした。
 
その石仏群の横には大きな洞窟があり、ここで居住しながら僧が修行していたそうです。

その場所から更に3分ほど進むと、突然眼前が明るく開け断崖絶壁の真下に出ました。

榛名山の一つの岩峰・岩戸山の絶壁下の窪地に寄り添うように赤穂義士四十七士石像達が佇んでいました。
浅野内匠頭夫妻もまじえて四十九の石像が左右に長く一列になっている光景は壮観です。(盗難防止用のネットが少し興醒め。)

現代でも難儀な場所なのに、江戸時代にこの様な山腹の崖下の場所に・・・。
この遺跡は安中市が大切に管理しているのです。
 
義士石像の中央にはお地蔵様が安置され、49名を見守り加護しているようでした。
 
一つ一つの石像には赤穂義士の名前が付いているのですが、石像の風化で判明出来ません。
小高い場所から見た石像達は絶壁に押しつぶされそうな感じさえ受けます。

49体すべてを造るなんて、建立者の元助はきっと真面目で律儀な性格の人だったのでしょうね・・・。

元助はこの近くの下秋間(安中市)の農家の生まれ、幼い頃母を失い14歳で家出し伊勢参りに出かけましたが、お金に窮して乞食になる寸前に、縁あって赤穂義士の一人・片岡源五右衛門に助けられて江戸屋敷の住込み中間(ちゅうげん)になりました。

赤穂城明け渡しの後も浪人となった片岡に仕えますが、討ち入りの同行は許されずに四十七義士切腹の後、仏門に帰依して故郷に帰り名を音外坊と改めます。
近くの久保観音堂に二十数年間こもりながら、各地で托鉢・布施集めして石像建立の資金を集めました。

秋間の石工に彫らせた石像を一体づつ岩戸山岩壁まで担ぎ上げ全ての石像が完成するまで20数年の歳月を要したとの事。

元助(音外坊)は榛名山中腹の岩戸山岩壁に浅野内匠頭夫妻をはじめ赤穂義士石像49体を安置し義士の壮挙をたたえ丁重に祀った後、秋間の地を去ったと云われます。

その後、元助は諸国を行脚巡歴したのち向西坊と改名し、終の棲家を千葉の外房州和田浦(南房総市和田町)に定めます。
和田浦山中の黒滝瀑布の近くに岩窟向西坊入定窟)を穿ち石蓋で閉じ入定して義士の冥福火災封じを祈りつつ断食・絶食に入り53才の生涯を閉じました。(1732年・享保17年9月30日没。即身仏となる。)
 
向西坊は入定の時、「予は念ずれば火難・諸難を防ぐ。」と言い残したと言われ、外房州では“火伏せの仏様”として今でも厚い信仰と崇拝を集めています。

この元助建立石像群は忘れ去られて荒廃していましたが、明治期になって地元有力者の戸塚信太郎盛太郎親子の尽力で発掘・保存されました。
現在は戸塚親子の志を受け継いだ「秋間史蹟保存会」(戸塚時太郎会長)によって修復・保存が行われています。

数々ある赤穂義士番外編の一つでした。 忠僕・元助のご冥福を・・・合掌。

(画像は2007年春吉日撮影。)

2007 12 14(金)記。    前橋市 時々   最高気温11℃。


第265回 関東の奇祭 古河提灯竿もみ祭り。 大人篇

2007-12-12 20:00:00 | 旅行

12月01日(土)   関東の奇祭“古河提灯竿もみまつりもいよいよ本番・佳境に・・・。

前回掲載した子供提灯竿もみ祭りも無事に終了し、次は大人達の出番になりました。
 
大人用の提灯は子供の二倍程の竿竹(長さ20m・真竹)の上部に付けられています。
提灯に点火すると同時にヤカンで提灯の和紙にタップリとをかけていました。
提灯合戦で燃えにくくする悪智恵・・・?

古河提灯竿もみ祭りの審判長の合図で提灯竿もみ合戦の開始!(予選の部・5時30分)
今夜べぇ~」(今夜だけ・今夜限り)の掛け声と共に、提灯竿を揺らせて相手の提灯に打ちつけます。
 
子供提灯竿もみとは竿の長さが違うので全体像が画面に入りきれません。
提灯ははるか上で灯りを点しています。

各団体17組の若衆達が自慢の提灯を引っさげて予選に参戦です。
一本の竿竹(一組)には20名の大人が取り付いて支えます。
提灯竿竹の下では押合いへし合いの智恵と体力勝負!!
 
指揮者の怒号が飛び交い、ルールをめぐって喧嘩まで始まりました。
大人を熱中させるのは祭りとはよく云ったものです。

真っ暗な夜空では竿竹での空中戦が展開されています。
 
ついに激突した提灯から出火・炎上し、審判長が負けの判定を出して即退場になりました。

夜空の下、提灯同士の壮絶なバトルが繰広げられます。
 
提灯にはビシャビシャになる程をかけてありますが、それでも燃え出します。
相手を炎上させ勝った方はヤッターと大喜び!!
提灯が炎上すると大勢の観客も一斉に沸き立ちます。

大人が演じる提灯竿もみ祭りの中ほどで小休止タイム!
次の竿もみ祭りまでの場つなぎは古河のお嬢様(少し昔)たちの踊りが披露されました。
 
花笠踊りでしょうか? 元気の良いお嬢様達です。熱気がムンムン!!
オドケタ化粧の人も飛び入りで参加し、人気を集めていました。

20分ほどで踊りタイムも終わり、大人竿もみ祭りの第二部(決勝戦)が始まります。
  
参加者は小休止タイムでお神酒タップリですから、威勢良く攻撃的に竿竹を振り回します。
上手く相手方の提灯にぶつかると一斉に喚声があがります。

横山町特設会場の矢来では入り乱れての提灯竿もみ合戦!!
相手の提灯の灯を消そうと互いに必死で激しくもみ合います。

上画像の竿竹の中ほどが折れ曲がった提灯は敗け・退場です。
太い竹が折れるのですから、想像以上の力が加わるのでしょうね。

勇壮なガチンコ勝負はまだまだ続きます・・・。
 
三つ巴四つ巴のぶつかり合い! 上空からは提灯の破片やらの粉が落下してきます。
提灯ボロボロになっても頑張っていました。執念の闘いですね。
 
竿竹を操作する人達には上の提灯から溶けたロウソクが容赦なく降り注ぎます。
最前列の筆者にもロウソクの嵐が見舞いました。レンズにロウソクが垂れない様に気を付けて撮影しました。
ロウソクといえば今冬の新潟・浦佐「裸押合い祭り」を思い出します。


古河提灯竿もみまつり”も佳境に入り、横山町会場の矢来(高さ13mの丸太組)の内外も熱気に包まれて夜祭ムード満点!!

燃え出さない迄も壊された提灯や衝突の衝撃で一瞬にしてが消えた提灯など敗れた組が沢山出ていました。
裂けて大きなをパックリと開けた提灯・・・夜空に妖しく咲いたお化け提灯ですね。
  
古河提灯竿もみ祭りを名調子で案内し、祭りを盛り上げた司会者審判長に拍手!

今年の“古河提灯竿もみまつり”での成績は1位八幡町組、2位青年会、3位雷電町でした。 来年も「今夜べぇ~」と力いっぱい頑張って下さいね。

横山町会場の向かい側には「関東の奇祭・古河提灯竿もみ祭り・発祥の地」と刻んだ大きな石碑が注連縄(しめなわ)付きで晴れやかに建っていました。

古河提灯竿もみまつり”は、江戸時代には古河藩領であった現在の栃木県野木町・野木神社に伝わる神事「七郷(しちごう)めぐり」に付随した行事に由来しています。

七郷めぐり」は小山市の七つの地区にある野木神社の末社を、神鉾を奉じた一行が順次お参りする神事です。古河に向かう日光街道で七郷めぐりを終えた一行の御帰社(おかえり)を、提灯かざした大勢の参拝客が出迎えます。

その人達が寒さをしのぐ為に体をもみ合ってをとった事から始まったと云われています。
古河提灯竿もみ祭りは別名「おかえり」とも呼ばれています。

古河提灯竿もみまつり”の動画はここクリック。

確かに変わった勇壮な奇祭でした。 参加している人も観ている人にも楽しいお祭り!
読者の皆様も来年は古河提灯竿もみ祭りをぜひどうぞ・・・。

古河市は見所満載の歴史ある良い街ですね、春の古河桃まつり(上中下)も御覧下さい。


2007 12 12(水)記。   前橋市  最高気温17℃。 暖かく11月中旬の気温。


第264回 関東の奇祭 古河提灯竿もみ祭り。 子供篇

2007-12-10 20:20:20 | 旅行

12月01日(土)   珍しいお祭りがあると聞いたので茨城県の古河市まで行ってみました。

古河市で行われる祭りはなんでも関東一の奇祭古河提灯竿もみまつりという。
提灯を使っての祭りなので本番は夜、午後からの気楽なユックリ出発・・・。
に乗って古河市まで約時間のドライブ。高速が使えないので少し気味!

ともかく古河第二小学校の無料P場へ到着。

校内の見事な大銀杏の木が夕日を浴びて金色に輝いて印象的でした。

古河第二小学校から徒歩分ほどでJR古河駅に着き、駅周辺をブラブラ散歩。
程なく駅近くの広場から大勢の人達が祭りのハッピ姿で提灯行列開始です。(午後4時)
 
雷神様の山車も参加していますから、古河も雷の多発地帯なのでしょうか?
綺麗なお姉さんを先頭に提灯行列は奇祭の行われる横山町会場へ・・・。

それぞれの町内が意匠を凝らした提灯を奉げて行進しました。

 
遠くからも人家の屋根越しに横山町会場の巨大提灯が見えます。

提灯行列はいよいよ会場近くの露店街へ・・・。狭い街中で山車は通行に苦労していました。
 
途中に江戸時代から営業を続けているような古風な店構えの川魚料理店「武蔵屋本店」があり、夕食はここで鰻重を頂き、お土産に鮒の甘露煮を購入。
ご主人の話ではここ横山町あたりは昔の花街で芸者衆が行き交い、往時は賑やかだったそうです。

夕暮れ迫る頃、会場の提灯にも次第にが灯り始めます。
 
横山町の“提灯竿もみ祭り”会場には続々と子供達が入場します。
会場の大きな矢来(丸太を縦横に組んだ囲い)の両脇には大小の提灯が長い竿竹に付けられて夕空にそびえていました。
 
下から見上げると実に長い提灯竿竹です。
 
一番長い竿竹は大人用(20m)、子供用の提灯竿竹でも10m以上はあります。

午後5時30分から横山町会場の矢来の中では、野木神社御神火の厳かな点火式に続いて“子供提灯竿もみ祭り”が開始されました。(子供組は10組参加)
 
中央の提灯の付いた長い竿竹を三本の支え竹で操作して、他の提灯にぶつける祭りです。
10mを超える長い竿竹では子供達だけでは自由にコントロールが効きません。
要所は時々大人が手伝って操作します。

見上げる上では提灯同士が激しくぶつかり合い、相手の提灯を破壊しようとします。
 
竿竹の下では子供達が押合いへし合い揉まれて大変な混雑!!
よく怪我人が出ないと思うほどです。

子供用は長い竹竿の下から6m程の場所に色とりどりの提灯が設置されています。

複数の提灯が入り乱れての激しいぶつかり合いを繰広げました。
競技では提灯が消えるか破壊されるか、炎上するか、竹竿が折れるかで負けの退場ととなります。
主役の子供達も手伝いの大人達も無我夢中の状態!!まさに興奮の坩堝(るつぼ)です。
 
戦い終えた提灯で無傷のものはありません。
運よく炎上しなくてもボロボロ状態! これでも勝ち組なんです・・・。

一時間ほど“子供提灯竿もみまつり”が続けられ、祭りの余韻と共に次第に夜が更けてゆきました。

子供提灯竿もみまつりの終了後、本番の“大人提灯竿もみまつり”が行われます。(次回ご期待!)

2007 12 10(月)記。    前橋市 時々   最高気温13℃。   


第263回 秩父の紅葉。 夜の宝登山神社。

2007-12-06 22:22:22 | 旅行

11月20日(火)   ちょっぴり早めに退社して、夕刻の暮れなずむ秩父路をひた走りました・・・。

目指した先は秩父長瀞町の宝登山の麓、有名な宝登山神社

昨年の春、長瀞不動寺大護摩焚きで訪ねた場所の近くです。ここクリック。
今回の目的は夜の紅葉見物です。

国道140号線沿いに建っている大鳥居をくぐって突き当たりが宝登山神社
 
白い二の鳥居周辺の木々がライトアップされていました。
車から降りると、精悍そうな野良ネコ?が・・・。

傾斜の軽い坂道をに染まるモミジを見ながら歩きます。
 
平日の夜なのでほとんど見物人はいなく、閑散とした境内。
広い境内にあるの周囲には数名のカメラマンが三脚を立てて熱心に撮影中です。

宝登山神社記念館の池の木々がライトアップされ、鮮やかな紅色を池に映していました。
 

気温は3℃ですが無風快晴なので池には波紋一つ立たず、色着いた紅葉がクリアーに反射していました。
 

宝登山神社二の鳥居は真っ赤に色着いたモミジに囲まれています。

真っ暗な夜はライトに照らされたところ以外は見えませんから、恐ろしいほど際立って美しく見えていました。
 
コンパクトデジカメで手持ち撮影しましたので、ブレ無い様に息を殺しての必死の撮影!
PCで画像補正してナントカしのいで投稿しています。
 
大きな山犬が火を消して日本武尊を助けた由来から、火伏の霊験がある宝登山神社も紅葉に合わせライトアップされていました。

宝登山神社の詳細はここクリック。

2007 12 06(木)記。    前橋市    最高気温12℃。

こんな動画にも癒されますよ。⇒ここクリック


第262回 全国地芝居サミット、渋川市 上三原田歌舞伎舞台。

2007-12-04 20:20:20 | 旅行

11月25日(日)   田舎の素人歌舞伎の見物に行きました。

群馬県の渋川市郊外の上三原田地区
赤城山の西斜面で、あたり一面は桑や野菜の純農村地帯です。

そんな田舎には全く相応しくない立派な歌舞伎舞台があるのです。

演劇好きのその筋には超有名な上三原田歌舞伎舞台です。

筆者も何回か訪ねましたが、何時もはひっそりと佇むだけの古い茅葺きの建物。
毎年秋に一回のみ地元の有志が演じる歌舞伎が催されるだけの舞台です。

今年は11月2425(日)の両日、この上三原田歌舞伎舞台を活用して田舎歌舞伎が上演されるのです。

今年は全国地芝居サミット・IN しぶかわ 上三原田という催し。

早速、朝早くにを飛ばして渋川市の赤城山斜面へ・・・。

さすが、田舎歌舞伎だけあって朝は早いです。
オープニングセレモニーの木遣唄の木遣衆が舞台へ入場するのは朝の七時四十分!!

筆者は夜更かしですから、この時間は普段はまだぐっすりと寝ている最中です。

近くの三原田小学校に駐車して、上三原田歌舞伎舞台へ・・・。

歌舞伎舞台の近くの田圃には巨大な凧が朝日を浴びて今にも飛び立ちそうな姿です。

画像の上の車と比較すると大きさが判りますね。

国道353号線に沿った小高い場所に上三原田歌舞伎舞台はあります。
朝早くから人々が駆けつけて賑わっていました。
 
上三原田歌舞伎舞台の広い観客席の屋根を支えるのは太い杉(ハネ木)!
杉の根が道路の上まで張り出していました。根は重りのアンカーで引っ張られています。
勿論、反対側にも同じ様に根が出て、観客席中央で二本が結ばれています。

座って800名が収容できる舞台桟敷席を納める大屋根が見事なアーチを描いていました。(立ち見も加えると約1000名。)

の木を二本束ねて横に梁渡し、舞台に向かって太い青竹を縦に結わえ、更にその上にを弧状に張った構造になっていました。
 
アーチ状屋根の最上部には刈取った稲ワラムシロで葺いてあり、江戸風情漂う桟敷席になっていました。
観客桟敷席に着座すると体育館と見まごう大きさに驚かされます。(奥行き30m、幅18m、高さ6m)
地元の有志が9月からボランティア活動で設営にあたったそうです。
桟敷ドームの建設には設計図は無く、古老からの言い伝えを元に作ったとの事。
作業に携わった方々の粋な心意気が感じられる力作です。

早朝なので、まだ空席も有り、都合の良い桟敷席が確保出来ました。
着座して程なく、三ヶ所から威勢の良い木遣りの入場です。
 
50名程の木遣衆が舞台に上がり、歌舞伎上演を祝って木遣唄の御披露!

続いて舞台の上では笙(しょう)篳篥(ひちりき)など古楽器の「雅楽」演奏。

雅楽演奏は天台雅楽会とありましたから天台宗の僧侶の楽隊でしょうか?

雅楽演奏の後、上三原田歌舞伎舞台に舞台装置披露がありました。

三重の衝立絵で遠近法を使って立体的に見せる遠見機構

実際に奥行き深い御殿座敷を見ているような錯覚を起こさせました。

この上三原田歌舞伎舞台には舞台中央に大きな回り舞台が作られています。
地元の水車大工“永井長治郎”によって江戸時代・文政2年(1819年)に建設された回り舞台付き歌舞伎座です。(国指定重要有形民俗文化財)
現存する回り舞台ではこの上三原田の歌舞伎舞台が日本最古のものです。
 
舞台が回ることは勿論、せり上がり・せり下がりなど見事な仕掛けです。
江戸時代の当時としては世界に類を見ない特殊機構だったと云います。

大昔ですから動力は無論のこと人力です。
舞台の床下には約35人が入って、舞台仕掛けを操作します。
 
暗い狭い舞台床下での厳しい作業で華やかな歌舞伎が演じられるのですね。
縁の下の力持ち」とはこの事を云います。
この舞台床下のことは奈落とも言うそうです。「奈落の底」って・・・ブタ箱の守屋武昌

この他、平舞台の操作に20人屋根裏からの仕掛けにも25人。合計80人の地道な裏方作業で回り舞台が成り立っています。

江戸時代に上三原田歌舞伎舞台を建てた永井長治郎は舞台建設の他にも、寺社や大水車などを造り、また利根川跳ね橋を幾つか架けたそうです。
安政五年、前橋藩の命により架けた利根川大渡りの“万代跳ね橋”は関東の名所の一つとして錦絵にも描かれた流麗な橋だったそうです。

また、鼠彫刻の競争では永井長治郎の彫った鼠だけをネコが咥えて逃げたとの逸話があります。(実際には永井が鰹節で鼠を彫ったとの事。)
更に「鶴に乗って伊勢参りする」と云って、鶴形の飛行機を製作し乗って墜落した話もある日本のダビンチです。

舞台花道にもセリの上がり下がりの仕掛けが・・・。(通称スッポン)
 
観客の一人が花道から下がり、代わって舞台説明の星野事務局長が下から登場し拍手喝采。

舞台装置の披露が終わり、シンポジューム「子ども歌舞伎にみる日本の伝統文化の現状」など貴重な講演を拝聴しました。

午前の10時からお待ちかねの歌舞伎上演になりました。
演目は「新版歌祭文 野崎村(百姓久作住家の場)」。演じるのは“みなかみ(

水上)町子ども歌舞伎”の一座。
粗筋は「大阪の奉公先から帰郷した久松を許婚にするお光、お光の親・久作は二人の婚礼を行おうとするところに、久松の恋人で奉公先の娘・お染が現れます。
恋人同士の久松とお染は、結婚できないなら一緒に死のうと覚悟します。
これを知ったお光は二人を助ける為、久松との結婚を諦め、剃髪してになる物語。」
 
小さな子供とは思えない程の真に迫った熱演!! 実に楽しい子ども歌舞伎です。

お駕籠まで登場して、お光の優しさ溢れる叙情的な子ども歌舞伎でした。
 
子ども歌舞伎が終わり、11時30分から日本各地に伝承されている芝居の座主が集まって講演や“第十八回全国地芝居サミット宣言”などが執り行われました。
(全国の地芝居は現在約200団体、群馬県には7団体が活動中。)

第二回目の歌舞伎上演は素人大人歌舞伎です。
渋川市半田町“半田歌舞伎 坂東座”が演じる「陸奥の白萩 老後政岡 綱村御殿別れの場」。
“伽羅先代萩”(めいぼくせんだいはぎ)・伊達騒動のその後篇で、忠死した千松の母・政岡(鶴千代の乳母)が伊達綱村(幼名・鶴千代)に暇乞いをしに御殿を訪ね、千松の位牌を抱いて千松の想い出を回顧し、子供時代に聞いた「飯炊き(ままたき)唄」を綱村に所望される政岡の名場面
 
素人大人歌舞伎もトチッたりしながらも泣かせたりして楽しめた演技でした。
無事にが引かれて、拍子木がチョン、チョン、チョン・・・!!

最後に半田歌舞伎坂東座の一同と舞台関係者全員が登場し、盛大な“千秋楽”!

赤城山の中腹の農村地帯に斯くも立派な歌舞伎舞台があるとは・・・。
地芝居・素人歌舞伎を朝から上演して楽しませて頂き、しかも無料(江戸時代から)なのです。

有意義な一日をタップリと過ごせました事に三原田地区出演された方々に御礼を申し上げます。(感謝・感謝!!)

駐車場までの途中にに第二会場がありましたので、渋川・三原田の農産品を購入。
柔らかくて、水々しく美味しい野菜にも感激でした。

読者の皆様も群馬へ行った時は上三原田の歌舞伎舞台をぜひ御覧下さい。

※ 今回の上三原田歌舞伎は群馬TV12月14日(金)夜10時に放送。
※ 歌舞伎舞台造りはここクリック。


2007 12 04(火)記。    前橋市 時々   最高気温11℃。


第261回 “須賀川松明あかし”と袋田の滝”のバス旅行。 4.

2007-12-01 00:00:00 | 旅行

11月11日(日)   格安バスの旅も終盤にはいり、会津の鶴ヶ城の見学のあと、太平洋岸の小名浜経由“袋田の滝へ・・・。

最近全線開通した、磐越高速道をバスはの中、一路小名浜方面へ急ぎました。
今回のバス旅は不思議なことにバスに揺られている間はいつも雨。
磐越高速を走っている時も文字通りの土砂降りの雨です。

1時間半ほどで美空ひばりの「みだれ髪」の唄で有名になった塩屋埼に到着。 
ここでも有難いことに運良く雨はあがりましたが、は穏やかながらもにぶい鉛色
 
海に突き出した断崖絶壁(海抜73m)の上に立っている塩屋埼灯台は明治32年開設、映画“喜びも悲しみも幾く歳月”の舞台にもなった場所です。
マイクを持った美空ひばりさんの像はステージ上の東京キッドの姿ですね。

美空ひばりさんの遺影碑に立つと自動サウンドシステムで大ヒット曲「みだれ髪」が流れました。
♪ 髪のみだれに手をやれば 赤い蹴出しが風に舞う 憎や恋しや塩屋の岬~♬。今にも泣き出しそうな暗い空の下、しみじみ胸に迫る名曲です。

塩屋埼を駆け足で見終わり、小名浜港へバスは急ぎました。
小名浜魚港隣りの“いわき らら ミュウ”と云う広い海鮮市場に着き、買物兼昼食の予定。
海を埋め立てた広大な敷地に海鮮市場はあります。
 
数十台のバスが所狭しと駐車し、乗客は我先にと魚屋のなかに・・・。
にぎやかな屋内には色々な魚貝類が並べられ、売り子の声が響きます。

デカイ烏賊(いか)です。 赤いから赤イカだそうです。
一パイ22000円では誰も買う気になれません。 客寄せの巨大イカでしょう。

一人旅の男には海鮮市場は用がありませんから、隣りの魚港見物へ・・・。

曇天模様の小名浜漁港の遠望です。 右のタワーは“いわきマリンタワー”です。
海抜106m三崎公園の上に高さ60mのタワーですから、晴れた日はきっと素晴しい眺望でしょうね。

昼食までブラブラと小名浜魚港を散策です。
 
後部が開口された漁船です。後ろからを引き上げるのでしょうか?底引き網船でしょうか?
いろいろな珍しい漁船が岸壁に停泊していました。
 
大きな漁船ですが、沢山の集魚灯を付けていました。
イカ釣り船でしょうか? 2年前に下北半島へ旅した風景を思い出しました。

小名浜漁港で小一時間をつぶしてから、1時半からの遅めのランチタイムです。
 
いわき らら ミュウ”の食堂街の中にある海鮮レストラン“nancoo.・ナンクー”に案内されました。
バスツアーのランチは海鮮定食です。 魚貝類は流石に新鮮そのもの!
ナンクー特選のイカの塩辛は塩分超控えめの絶品ものでした。

小名浜魚港で海鮮ランチを頂き、皆さん海産物のお土産を沢山バスに積み込んで最期の観光目的地袋田の滝へ・・・。
一泊二日にしては、かなり無理な行程ですから袋田に着いた時は夕刻です。
 
人気の途絶えた観光土産店に沿って歩きます。
袋田の滝からの流れる滝川の両岸は紅葉が真っ盛り! でも、少し暗すぎです。
大人の足で7~8分歩くと、大きなトンネルに出合いました。
袋田の滝専用の有料トンネルですね。長さ276m・高さ3m・幅4mの人専用隧道。
 
トンネルを進むに従ってヒンヤリとした風が吹いてきました。
トンネルの突き当たりを右に折れると眼前にドカ~ンと大瀑布!!

これが名高い袋田の滝”!!

轟々と大音響を響かせながら岩肌を流れ下る様は感激の言葉も出ません。
袋田の滝は幅73m・高さ120m、岩盤を四段に落下するところから別名“四度の滝”とも言われ、日本三名瀑の一つの数えられています。
 
滝の下流の吊橋にはトンネルの中ほどから行けました。
 
この上流には人家は無いので滝水は綺麗に澄んだ流れです。

袋田の滝滝展望台を下流の吊橋から見上げました。
夕刻の暗い谷間ですから、滝に向かって夜間照明が煌々と照らしていました。
華厳の滝那智の滝と並んで日本三大名瀑と呼ばれるだけあって、迫力ある滝の流れは素晴しいものでした。

袋田の滝を午後五時過ぎに出発、途中東北高速道の上河内SAで夕食を摂り、昨日の出発駅に到着したのは夜の9時30分。 
少し強行軍の一泊二日4食付バスの旅でしたが、勇壮な奇祭・須賀川松明あかしや裏磐梯五色沼・会津鶴ヶ城塩屋崎袋田の滝など盛り沢山の面白い充実した旅になりました。(終)

2007 12 01(土)記。    前橋市 時々   最高気温16℃。

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