2009 07 19(日)
御神輿を泥だらけに転がす奇祭が埼玉県上尾市で行われました。
場所は上尾市平方上宿。 その昔、荒川の渡し場があった宿場町。
奇祭の名は“平方のどろいんきょ”。
奇祭“平方のどろいんきょ”が渡御始める地点が、平方上宿にある「八枝神社」(やえだじんじゃ)。
正午の八枝神社には祭り関係者や見物客など集まり始めていました。
八枝神社の社殿前には多数のカメラマンも・・・。
午後0時30分から宮司による祭事が厳かに執り行われ、上尾市長も神妙にご挨拶。
八枝神社神楽殿での祭事が終わると、全員でお神酒を頂き祭りの安全を願った後、白木造りのいんきょ御神輿を奪い合うように喧嘩腰で担ぎ出します。
(「いんきょ神輿」は役目を終わり引退した隠居神輿の事とか。)
威勢の良い掛け声と共に“いんきょ神輿”は八枝神社から平方上宿の町内へ暴れ渡御となりました。(午後1時。お山出し。)
上宿では遺影に“いんきょ神輿”がご挨拶に向う場面も・・・。
亡くなった方も生前は元気に神輿を担いでいたのでしょうか・・・?
最初に“どろいんきょ”を行うのは八枝神社から150mほどの広場。
中央に“いんきょ神輿”を置く台。その一帯にはタップリの水が撒かれて泥んこ状態!!
八枝神社から出発した“いんきょ神輿”が泥んこ広場に御乱入!!
いよいよ“平方どろいんきょ”祭りが開始されます。
“平方どろいんきょ”の動画をご覧下さい。
平方どろいんきょ 1。 2009 07 19(日) P1590634
泥んこ広場でひと暴れした“いんきょ神輿”は近くを流れる荒川端の民家へ・・・。
ここの庭先にも大量の水が撒かれ、祭りの“いんきょ神輿”を迎えます。
農家の庭先きで神輿を容赦なく泥んこの中に転がし、“平方どろいんきょ”祭りは最高潮に・・・!
神輿担ぎ手は勿論、見物客にも遠慮なく泥跳ねが飛び散ります。
見物客の中には全身をビニール合羽で身を包んだ用意の良い人もいました。
“平方どろいんきょ”祭り動画 第2弾をご覧下さい。
平方どろいんきょ 2。 2009 07 19(日) P1590712unit
動画撮影している筆者も跳ね飛ぶ泥から逃げるのに必死で、動画の最終がブレてしまいました。
農家の庭先での“どろいんきょ”が終わると、立てて回転する神輿の上で「おかめ・ひょっとこ踊り」が賑やかに演じられます。
“平方どろいんきょ”祭りの余興踊り動画をお楽しみ下さい。
平方どろいんきょ 3。 2009 07 19(日) P1590674
おかめ役は女性の先生でした。
「○○先生~ ~」の掛け声になぜか「二十四の瞳」を思い出したりして・・・。
その後、“いんきょ神輿”は傍を流れる荒川へ川渡御となりました。
威勢よく荒川へ入り身を清めて「禊の儀式」を行います。
荒川の中でもいんきょ神輿に乗って踊っていましたが、万一に備えて下流には消防隊のボートが控えて・・・。
“どろいんきょ”が渡御する道筋には数ヶ所の神酒所(みきしょ)が設けられ、豪勢に飲食物が提供されていました。有り難い事に見物客にもお振る舞いされるのです。
呑み放題・食べ放題のこんな豪儀なお祭りには出会ったことがありません。
昼飯を食べる所がなかったので、このご馳走には大感謝でした。
小腹を満たして再度“いんきょ神輿”は出発!
次の家でも水浸しで“いんきょ神輿”を待ち構えいました。
若衆に担がれた神輿が泥んこ庭に御乱入・・・!
“平方どろいんきょ”祭り動画 第4弾をご覧下さい。
平方どろいんきょ 4。 2009 07 19(日) P1590755
神輿は上尾市平方上宿の4ヶ所で“どろいんきょ”を行ってから荒川土手付近に戻って来ます。
ここで神輿に朱和傘が取り付けられ、若衆の掛け声と共に縦に立てられました。
これから、神輿が山車に大変身する珍妙な神輿山車の開始となるのです。
歌舞伎役者の登場? 赤いバラを口に咥えたポーズをとって貰いました。
板に付いた役者姿に観客は惚れ惚れと見つめていました。
(山車役者「必殺仕事人」を演じたのは地元の 小林・大沢の両氏。)
役者さんが上下に乗った“いんきょ神輿山車”が平方上宿メイン通りを練り歩きます。 路面に接する車輪は・・・・・全く有りません!!
奇妙奇天烈な神輿山車はズルズルと引きずられて・・・・。
町内の皆さんが参加する流し踊りを先導にした“平方どろいんきょ”の珍妙な神輿山車引き回しの動画をお楽しみ下さい。
平方どろいんきょ 5。 2009 07 19(日) P1590870 united
車輪も無く、神輿の棒木を路面に擦りながら進む神輿山車にはただただ驚くばかりです。
担ぎながらバランスをとる若衆の姿は、十字架を背負いながらゴルゴタ丘へ登るキリストの苦難を連想させます。
いんきょ神輿山車が倒れない様に前後左右に綱を引く姿もこの祭りならではのものがありました。
上尾市で行われた五穀豊穣・悪疫退散を祈念する“平方のどろいんきょ”は確かに奇祭の名に恥じない豪快な風変わりな祭りです。(埼玉県の無形民俗文化財。)
皆様も是非一度は見物に行かれる事をお奨めいたします。(無料P場有り。)
2009 07 29(水) 前橋市 薄 最高気温30.4℃
2009 07 18(土)
佐野市奈良淵町の浅間山山頂からの“浅間山お炊き上げ”の開始です。
浅間神社の宮司様が浅間神社本殿に祝詞を奉納。
火祭りの関係者も榊などを厳かに奉げ、無病息災・五穀豊穣など祈願します。
日頃ひょうきんなマジシャンのマギー審司さんもTVスタッフと神妙な面持ちで神事に参列。
浅間神社本殿の燈明から移した御神火を静々と拝殿前広場へ・・・。
150束の麦藁(ムギワラ)で作られた大篝火へ御神火を点火。(「点火の儀」)
枯れた麦ワラにたっぷりの灯油が掛けられているので怖いくらいに急速に炎上しました。
浅間山(せんげんやま)麓から持ってきた吊るし松明に御神火が移され、松明行列の開始です。
大人も子供も次々に御神火をぶら下げて山頂から下り始めます。
日本TVの収録スタッフを伴ったマギー審司さんも御神火列の一員となって足元を照らしながら慎重に下って行きます
浅間山山頂から尾根伝いに御神火が下りて行きます。
御神火の織りなす幻想的な光景には心打たれるものが感じられました。
まさに夏の到来を告げる風物詩と云えるでしょう。
“浅間山お炊き上げ”の動画をご覧下さい。
佐野市 浅間山お炊き上げ 1.
漆黒の尾根道を御神火の行列が点々と狐火のように続きます。
浅間神社の火祭り“浅間山お炊き上げ”の動画をお楽しみ下さい。
佐野市 浅間山お炊き上げ 2.
遥か前方に佐野市街地の灯火が星空のように煌めいて美しい・・・。
老若男女それぞれ願いを込めて御神火を運び下ろします。
御神火を携えた人々が「浅間山登山口」に到着。
浅間山登山口の近くでは地元婦人会の皆様が飲食物のサービスを行っていました。
折角ですので、冷たい麦茶など有り難く頂戴致しました。
浅間山からの御神火はそれぞれの自宅に持ち帰り、家を一回りしながら願い事を祈ると成就するとか・・・。
“浅間山(せんげんやま)お炊き上げ”の全光景。(拝借画像)
“お炊き上げ”終着点の奈良淵町の児童公園には沢山の夜店も出て大勢の人々で賑わっていました。
浅間山頂上から運ばれた御神火が大篝火に灯され、明々と炎上してお焚き上げの火祭りを盛り上げていました。
かたわらのテントの中には浅間神社の仮宮が設えられ、お炊き上げの最後に浅間山から下りてきた宮司様が火祭り終了の祝詞を奏上するのです。
1000年の歴史がある浅間神社の火祭り“浅間山お炊き上げ”は、かって藤原秀郷が唐沢山に城を造り、この一帯を治め威勢を誇示するため山上に火を焚いた事が始まりと云います。
その後、村人たちが火を焚いて悪病を追い払い、作物の豊作を祈念するため続けられたそうです。
“浅間山お炊き上げ”をたっぷりと楽しんだ帰り道、有名な佐野ラーメンを食することに・・・。
帰り道に寄った店は「青竹手打ち・麺屋ばく」。小奇麗な外観なので入店しました。
「佐野ラーメン」(550円) 味は魚介ダシの効いた佐野ラーメンで値段は青竹手打ちのせいか少々高めでした。
佐野市奈良淵町の“浅間山お炊き上げ”は本格的な夏を先取りする火祭りの奇祭です。 ハイキングを兼ねて見物に行かれては如何でしょうか・・・。
2009 07 24(金) 前橋市 最高気温29.5℃
2009 07 18(土)
火祭りの奇祭が栃木県佐野市で行われると聞いたので、早速車を飛ばして栃木県西部の佐野市へ・・・。
火祭りは佐野市奈良淵町の“浅間山(せんげんやま)のお炊き上げ”と呼ばれ、約1000年の歴史と霊験があると言います。(地元では「浅間さんのお炊き上げ」と云って親しまれています。)
佐野市奈良淵町に入ると、北方面にハイキングに最適な小高い山々が連なって見えてきました。
向かって左の丸い山は唐沢山の前峰、中央の尖った山が標高192mの浅間山。
この浅間山頂上から人々が松明を持って、右に尾根伝えに稜線を辿りながら麓の人家まで下って来る幻想的な火祭りなのだそうです。
用意された無料P場から浅間山方面に火祭り提灯を辿りながら歩きます。
約5~6分で山麓にある地元鎮守様の小梥神社(こまつ神社)に到着。
小梥神社社殿横に浅間山への登山口。ここからが浅間神社への参道です。
登山口では地元の方々が火祭り(お炊き上げ)に用いる竹製の松明を販売していました。(一本400円) 竹棒の先端に灯油を浸み込ませた布がぶら下がっています。
登山口から石の階段を過ぎると、参道はかなり急勾配な岩盤道が続き次第に足が棒状態に・・・。
浅間山は平野部からの眺めと違って全山が岩で出来た山と云う事が実感できます。
登山道の至る所に奇岩怪石が露出し、それらに歴史の重みを感じさせる石造りの末社が祀られています。
この浅間山は遥か昔からの霊場だったのでしょう。
急傾斜な登りが続きます。 火祭り用に真新しいロープが張ってある場所もありました。
頂上までの7合目あたりに立派な石鳥居。
昔は山頂が女人禁制で女性はここまでだったとか・・・。
地元ではこの場所を女浅間(おんなせんげん)と呼んでいます。
登山道脇の所々に松明が立てられていました。 火祭りの時に点火して足元を照らしてくれるのでしょうか?
8合目では道の真ん中に注連縄を張った大きな岩。
富士山型で何かいわれがある岩なのでしょうね。
その昔には天保通宝などのお賽銭が置かれていたそうな・・・。
夕刻でしたが真っ暗になる前に浅間山(せんげんやま)頂上に到着。
車のP場から休み無く歩いて約30分の行程で、久し振りに爽やかな汗をかきました。
壁が無い簡素な拝殿の建つ山頂には麦わらと枯れ木で作られた大きなオブジェ!
山頂に降り立った怪鳥か・・・!?
浅間山山頂からの眺望は素晴らしいものです。
山の足元に広がる町並みは佐野市、夕方なので遠望は出来ませんが、雨上がりの晴天ならば東京も富士山も見えると云います。
左下には唐沢ゴルフ倶楽部。営業終了時間なのでプレーヤーは誰もいません。
浅間山山頂の最高部に石造りの浅間神社本殿が厳かに鎮座。
祭りの日だけに沢山のお供物が供えられて・・・。
本殿の裏に見える山並みは佐野市のハイキングコースになっている唐沢山(240m)で、山頂に由緒ある唐沢山神社が建っています。
陽も落ちて夕闇が迫る頃、いよいよ“浅間山のお炊き上げ”火祭りが始まろうとしていました。
頂上の簡素な拝殿ではTVでお馴染みのタレントが火祭りに参加する子供達をあつめて何やら笑わせて・・・。
「でっかくなっちゃった」のデカ耳芸で有名なマジシャンのマギー審司さんですね。
この“浅間山お炊き上げ”のTV収録のために浅間山に登ってきたそうです。
マギー審司も松明を持って火祭りに参加するのでしょうか?楽しみです・・・。
次回は奇祭“浅間山お炊き上げ”の火祭り編です。
2009 07 22(水) 前橋市 最高気温25℃ 皆既日食は見られず・・残念!
おまけコーナー。
総選挙向け珍CM。 (宗教は政治に邪魔だ!)
【ニュース】北朝鮮のミサイルが日本を直撃!!
2009 06 27(土)
梅雨の間の晴天日に紫陽花見物。
訪ねた場所は群馬県藤岡市鬼石町にある八塩温泉郷の“八塩あじさいの里”。
地球の温暖化は約10年前に止まったと云う気象学者たちの定説を信じて、車でCO2を排出しながら鬼石町八塩温泉へ・・。
前橋から秩父へ向かう前橋長瀞線(国道462号線)を走って、神流川ほとりの八塩温泉郷に入ると、国道沿いに“八塩あじさいの里”の案内看板が出ていました。
案内看板に従って国道からほんの少し山側に上がると八塩館の手前に無料P場。
無料P場に下画像の“あじさいの里&八塩温泉散策マップ”看板とパンフレットが親切に置いてありました。
P場から坂を下ると「あじさいの里遊歩道標識」が完備され、道には迷いません。
「八福神めぐり」の標識に従って布袋尊方面に歩を進めました。
遊歩道の両側には紫陽花が色鮮やかに咲いて来訪者を歓迎しているかのようです。
遊歩道の所々に石像が安置され七福神ならぬ“八福神”石像を祀っていました。
最初に出会ったのはお腹がでばったメタボ元祖の“風の布袋”様。
紫陽花は土地の地質で色が変わると言いますが、本当に色々な花があるものです。
真っ白な花房は白い貴婦人と呼ばれる“アナベル”の西洋紫陽花の花。
道の途中の竹林には八福神に一つ“笑の大黒天”なる石像様。社の右奥にひっそりと佇んでいました。お賽銭をあげると自動で大きな笑い声が・・・(笑)。
石像や紫陽花を観賞しながら6~7分歩くと突然大きな滝に出会います。
そこが遊歩道の片方の終点の「滝展望台」。
眼の前に綺麗な滝が迫って深山幽谷って感じです。
滝の名は“大黒滝”。ひんやりとした冷気に包まれた滝場。
足元に覗く滝壺の深くて透明感のあるブルーが日頃のストレスを癒してくれます。
最初の遊歩道標識に戻って、反対方面へ・・・。
遊歩道の左手に出てきたのは御荷峰山に住んでいたと言う“大声の福鬼神”、これも八福神の一つです。
ご存知“七福神”にこの「福鬼神」を加えて“八福神”が完成。
ご当地の八塩温泉に因んで八福神としたそうです。福の神は多くても誰も困りませんね・・・。
大きな“福鬼神鬼瓦”は地元・藤岡市特産の藤岡瓦で作られています。
両側を紫陽花で囲まれた遊歩道は良く整備され、気持ち良い空間を演出していました。
大黒滝から流れ下る川(南沢)に沿って紫陽花と八福神石像が続きました。
長生きの仙人は”生長霊泉 寿老人」。読者皆様の健康・長寿を祈念しました。
寿老人から川に沿って下がると八塩温泉の源泉のある広場に到着。
左の東屋(あずまや)の井戸が源泉です。八塩温泉は以前は八塩鉱泉と呼ばれ、源泉は泉温が高くないので湯気は昇っていません。
源泉広場から吊橋を渡り、更に「八塩あじさいの里」は続きます。
色とりどりの見事な紫陽花が百花繚乱状態!!
全部で約30種5000株の紫陽花か花開き見頃を迎えていました。
中には「あじさい寺」で有名な鎌倉の明月院から株分けされた紫陽花もあると云います。
南沢沿いなので、所々に清水が湧き出して爽やかな涼感を添えていました。
源泉広場の吊橋から西上州を流れ下る神流川まで南沢沿いには沢山の紫陽花と、弁財天・毘沙門天・福禄寿・恵比寿天などが並び観光客の目を楽しませていました。
群馬県の片隅の鬼石町八塩地区にある“八塩あじさいの里”は紫陽花は勿論、滝あり八福神あり清水ありの一度は見たい美しい紫陽花公園です。
帰りがけに日向ぼっこの可愛らしいトカゲ発見!
爬虫類より貪欲に利権をむさぼる自民議員は踏み潰して・・・WWW。
都議会議員選挙惨敗で自民党WWWワラワラワラ笑笑笑WWWWWW・・・・
こんなお粗末な結果では笑うWWWしかありません・・・。
2009 07 15(水) 前橋市 最高気温37.6℃ 真夏日! (昨14日 梅雨明け宣言)
おまけコーナー。
夏は花火の季節、取り扱いには注意しましょう。
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2009 06 26(金)
パシフィコ横浜での「海のエジプト展」見学の後、朝日新聞のバスツアーは横浜中華街で昼食です。
添乗員に案内された中華料理店は中華街のROSE HOTEL内の重慶飯店。
ROSE HOTELは重慶飯店の経営とか・・・。
7名の円卓で提供された料理は全8品。 食べ切れずにア~もったいない!
食後の腹こなしに日差しの強い中華街を冷やかしながら散歩です。
中華食材店でザーサイなどお土産に買って、集合時間の午後3時にバスに戻りました。
朝日新聞購読者謝恩バスツアーは最後の目的地・国指定名勝“三渓園”へ・・・。
三渓園は有名な観光地だけあって入口は観光客で混雑。(入場料500円)
入場すると、三渓園外苑でひと際目に付く大池とランドマークの三重塔が見えます。
岸辺の菖蒲が美しい大池で、絵になる景色ですね。
三重塔は京都の燈明寺からの移築。室町時代の1457年の建築(重要文化財)。
近寄って眺めると風格がにじむ立派な古塔です。
関東地方では最古の塔と云われています。
三重塔から小山の尾根沿いに展望台の“松風閣”への途中には苔むした仏像。
この石仏の名は“出世観音”。読者の皆様が出世します様にと願かけておきました。
三重塔から山続きの高台にある“松風閣”へ上ります。白砂青松を期待したそこからの景色はご覧の有様! 石油化学や電力関係のコンビナートのオンパレード!!
かっては、この辺りの海浜で潮干狩りが出来たのに・・・。一面の環境破壊で残念!
三渓園の内苑に戻ってうろうろと散策しました。
初めに訪ねたのは萱葺き屋根の“鶴翔閣”。
鶴翔閣は三渓園の所有者・原 三渓の住宅で明治30年代の建設。
三渓園の創始者「原 三渓(原 富太郎)」の業績を展示した「三渓記念館」の裏側に立派な“御門”(ごもん)が建てられています。
柱を後ろ側にずらし桁を前に張り出した“薬医門”。これだけ大きな薬医門は珍しいです。
1708年に京都の西方寺で造営され、大正時代初期に三渓園に移されました。
これも三渓園定番写真の一枚。 臨春閣(1649年築・重要文化財)全景の画像です。
最近の日本では見られなくなった和風家屋の落ち着いた佇まい、さながら異空間にさ迷い込んだ気分です。
紀州徳川家初代・徳川頼宣が紀ノ川沿いに建てた別荘(巌出御殿)、屋内には狩野派の襖絵などが見られます。
江戸時代へタイムスリップしたような景色を眺めながら三渓園内苑の奥へ散策続行。
橋の真ん中に休憩場所「亭榭」(ていしゃ)を設けた橋には雅の風情があります。
三渓園の一番奥は小高い場所に建つ「月華殿」(重文)。鬱蒼とした木立の中石段を登って・・・。
月華殿の横奥にひっそりと佇むのは「天授院」(重文)。1651年建築の鎌倉に在った禅宗の地蔵堂。
三渓園を所有していた原家では持仏堂として使用していたそうです。
三渓園最奥の「天授院」からせせらぎを渡ると眼前に二階建ての風変わりな建物が見えてきます。
これは“聴秋閣”と呼ばれ、江戸時代初期の1623年の建築。
もとは「三笠閣」と云われ、徳川家光が京都の二条城内に作らせ、春日局が賜り江戸に移築したものです。(重要文化財)
三渓園内苑ではこのほかに信長の弟・織田有楽斎が建てたと云われる“春草廬”(重文)、太閤秀吉が母の長寿を願って立てた寿塔の天瑞寺寿塔覆堂(1592年築・重文)や原 三渓作の田舎風茶室“蓮華院”などもあります。
三渓園外苑に戻って木立の中を縁切り寺で名高い鎌倉東慶寺にあった“旧東慶寺仏殿”(1634年築・重文)を垣間見ながら合掌造りの建物へ・・・。
大きな合掌造りの建築物は“旧矢箆原家住宅”(やのはら・重文)。
入母屋作りの萱葺きの屋根は真新しく葺き替えられていました。
この“旧矢の原家住宅”は岐阜県白川郷に1764年に立てられ、御母衣ダムの湖底に沈む予定でしたが、矢の原家から三渓園に寄贈され昭和35年に移築されたのです。
有難いことに内部の見物は自由で無料。(この他の建物は全て立入禁止でした。)
屋内は煙の煤で真っ黒け。 至る所が黒光り状態です。
囲炉裏からの煙が防虫・防カビ予防になって萱葺き家屋を長持ちさせているのです。
屋内には飛騨民具や農耕具など展示されて、山国の昔の生活や農耕が偲ばれます。
合掌造りの“矢の原家住宅”から下って寒霞橋の脇に小さな草庵「横笛庵」。
建礼門院に仕えた“横笛”と“滝口入道”の悲恋物語からこの庵名が付けられました。
滝口入道から送られた千通の恋文で造られた横笛の像は太平洋戦争で消失しました。
三渓園のランドマーク三重塔が建てられていた燈明寺本堂(重文)です。
三重塔と引き離されて本堂だけがポツンと寂しそう・・・。室町時代初期の建築物。
夕刻5時近くに三渓園の睡蓮池から眺めた旧燈明寺三重塔。
蓮の花は朝咲く花ですから只今はお休み中でした。
戦争による被害を最小限に免れ、園内に重要文化財が10棟も建ち、日本中世の建築物を一堂に集めた三渓園は実に素晴らしい歴史的な遺産。
園内を歩いていると古い時代の京都を散策しているような気分になりました。
横浜開港150周年記念「海のエジプト展」と「中華街」・「三渓園」を巡る朝日新聞購読者謝恩バスツアーは夜8時30分無事に前橋に帰着。
2009 07 08(水) 前橋市後 最高気温28℃
おまけコーナー。
マジック野球バット 344 Magic bat - BestofYouTube.com
2009 06 26(金)
横浜開港150周年記念事業の一つ、古代エジプトの海底遺跡を展示する「海のエジプト展」の見学に・・・。
6月27日(土)からの開催を前日にした26日(金)に朝日新聞社主催のプレ見学会。
前橋からの朝日新聞読者謝恩バスツアー(朝7時30分発)で「海のエジプト展」と「三渓園」を巡り、昼食は横浜中華街にある老舗・重慶飯店での中華料理が付いて料金8800円也。
格安でもありませんが、「海のエジプト展」が開催前に見られるコース内容が気に入ったので参加です。
東京のお台場から横浜ベイブリッジを渡ってはるばると港町・横浜へ・・・。
バスの車窓から横浜港地区を見物です。
内部がショッピングエリアになっている赤レンガ倉庫も眺めて・・・バスは行く。
平日なので“みなとみらい博”の名物・巨大クモは駐車場で休息中。
前橋からのバスは予定到着時刻より30分遅れて正午少し前に「海のエジプト展」に到着です。
本日は見学バスが48台とか・・みなとみらいのパシフィコ横浜には入場者の行列。
長い列の割には早く入場、
内部は撮影禁止ですのでデジカメはバッグに収め、見物に専念致しました。
これからの写真は「拾い画像」ですのでご了承を・・・。
「海のエジプト展」会場の内部は「カノープス」「ヘラクレイオン」「アレクサンドリア」の広大な3ブースに別れ、それぞれの海底からの遺跡品を展示しています。
「海のエジプト展」HPからの動画をご覧下さい。
日比野克彦、海底遺跡をスケッチ(海のエジプト展紹介映像)
「海のエジプト展」に展示されている古代遺跡品はエジプト北部の地中海に面したアレキサンドリアの港から出土したそうです。
アレキサンドリア港に建つカイト・ベイ要塞付近の海底からも多数の遺物が・・・。
1992年から海洋考古学者フランク・ゴディオ氏を中心とした発掘チームにより、海底遺跡の調査・発掘・引揚げが開始されました。
これらが海の底にあったなんて・・不思議な光景に眼を見張ります。
遺跡の位置確認のために慎重にマッピング作業を・・・。
お宝発見!なんてものではありません。
超貴重な遺跡品が海底から数千点も見つかったそうです。
海底から発掘されたハピ神像は世界的遺産ですから慎重に引き上げられました。
数十トンの重さの遺物にはサルベージ技術が大変に役立ったとか・・現代ならではの遺跡発掘作業ですね。
大艀(はしけ)に横たわる海からの遺物。人物と比べると大きさが良く判ります。
海底から引き上げられた古代遺物は陸上で長時間の塩抜きがされるそうです。
「海のエジプト展」HPからの動画です。
海底からよみがえる古代都市、アレクサンドリアの至宝
パシフィコ横浜「海のエジプト展」の展示品を見物してみましょう。
6mはありそうな巨像を間直に見るとその存在感に圧倒されます。
右から豊穣神のハピ神像、ファラオ像、王妃の像。
極めて薄いベールをまとっただけの「王妃の像」(アルシノエ2世)の艶めかしさに感嘆の声が・・・!!
片足を前に出すエジプトスタイル像ですが、衣装はギリシャ風でギリシャの愛の女神「アフロディティ」の原型とか・・・。
胸上の結ぶ目は「イシス結び」と云うそうです。
アレキサンドリアの海底からは巨像ばかりでなく、様々な遺物が出土しました。
人形型はオシリスのカノボス壷(ミイラの内臓を収納)。 中央はネクタネボ1世のステラ(文字石碑・ヒエログリフ文字)
右の家型は石像などを収めた「デカンの祠堂」。背後にライオンの刻み彫刻。
貴金属類の遺物も展示され、女性たちの熱い眼差しを受けていました。
黄金のウェディングリング、ライオン頭部のイヤリング、メノウを嵌め込んだ金指輪。
プトレマイオス1世の金貨。コップ状の鉢の側面には「魔術師キリスト」と古代ギリシャ文字で書かれているそうです。
宗教家は魔術師かペテン師なのですね・・古代も現代も。
右の像は太陽神ラーを頂いた王妃の像。
掲載した画像の他にも、意外と鼻が高かったクレオパトラのコインやスフインクス石像など非常に貴重な遺物が沢山展示(490点)され、古代ロマンへ誘います。
クレオパトラが愛用した香水「キフィ」などの古代の香料が体験できるのは興味深かったです。
素晴らしい海底古代遺跡「海のエジプト展」は素晴らしいの一語につきました。
見学時間の2時間はアっと云う間に過ぎてしまいました。
もっと見たかったのですが、バスツアーの予定が詰まって午後1時30分に退場。
昼食時間もかなり過ぎたので急いで横浜中華街へ・・・。
メタボな人にお奨め動画です。
【海のエジプト展】エジプト体操に海エジバージョン現る!
本場のエジプトでも見られない「海のエジプト展」は絶対にお奨めできる展覧会。
会期は6月27日~9月23日(水・祝)まで。
2009 07 01(水) 前橋市 最高気温24℃
おまけコーナー。
マイケルジャクソン『スリラー』の指と本物、比較動画