ツトムさん家の写真日記。

写真いっぱいの楽しい日記です。(全面表示でご覧下さい)

第847回 秩父 皆野町 大塚古墳。

2014-02-26 12:00:00 | 旅行

2014 02 01(土)

横瀬町 芦ヶ久保氷柱”の帰路、秩父皆野町上原通りに面する埼玉県指定史跡“大塚古墳”を探訪。
古墳の規模に比べて立派過ぎる「大塚古墳」石碑が目立ちます。
 
大塚古墳は秩父地方では大きな古墳で円墳丘の直径は33m、高さ7m。7世紀頃の築造とのこと。

こんもりと土が盛られた土饅頭のような形の円墳。 墳丘の南側に横穴型式石室と墳頂への石段があります。
 

石棺が納められていた玄室への通路である羨道(せんどう 長さ約5m)と玄室入口の玄門の保存状態は良好。
 

玄門付近から撮影した玄室内部。発掘した時には石棺も副葬品も全く無かった由、遥か昔に盗掘されたと思われます。

玄室の高さは約3m、床部幅は約3m、長さは5mほどと思われます。

床面より上部が弓なりに狭くなっている玄室の側壁。    天井部を覆う磐石(大石板)は圧倒的な重量感。
 

玄室から玄門・羨道方向。 様々な大きさの石材を積み重ねた横壁が見事な大塚古墳

玄室と羨道の床部には拳(こぶし)ほどの框石(しきみいし)が敷き詰められています。

葺石(ふきいし)で覆われた高さ7mの墳丘上部には小さな石祠、この規模の古墳に多く見られる古墳社。
 

秩父市から国道140号線を走り、コンビニ「ファミリーマト」がある木毛交差点を左斜めに県道206号線に入って直ぐの場所に大塚古墳があります。
秩父観光の序でに古代ロマンを求めて大塚古墳を訪れては如何でしょうか・・・。


以下は大塚古墳の説明版から転写。
下図の墳丘を取り巻く黒輪は周溝(濠 幅4m深さ1m)の跡。
 






2014 02 26(水)記。     前橋市      最高気温 13.1℃     最低気温 0.3℃


おまけコーナー。

サンドアート。(地球創生から恐竜絶滅まで。)
Sand art evolution of the earth, Jinlee


第846回 秩父横瀬町 芦ヶ久保氷柱。

2014-02-21 12:00:00 | 旅行

2014 02 01(土)


秩父山中に位置する横瀬町が冬の町興しに開催する“芦ヶ久保氷柱”の見物。

西武秩父線の芦ヶ久保駅下にある道の駅「果樹公園あしがくぼ」に駐車し、国道299号線を10分程秩父市方向へ歩きます。
  
道筋には「あしがくぼ氷柱」の旗が立てられ道に迷う心配はありません。

国道299号から左に折れて少し進むと、西武鉄道の線路越しに白く輝く氷結した景色が・・・。
この場所を通過する電車は速度を落として氷柱見物の利便を図っていました。
 
西武線の線路下を抜けると今にも倒れそうな木作りの鳥居、掲げられた額には「富士浅間神社」の文字、この奥に浅間神社の社殿でもあるのでしょうか・・?

整備された遊歩道を歩くと、直ぐに大氷壁が眼の前に迫ってきます、これが“芦ヶ久保氷柱”!!
 
氷清水を細々と集めて流れる小川には2~3尾の魚が・・・山女か岩魚でしょうか?

氷壁を飾るツララ(氷柱)の数々・・・造形の妙を楽しみます。
  

歩道の最奥部、この世とは思えない非日常の氷世界に感嘆の声が聞こえてきます。
 
子供用に造られた「おさわり氷柱」、大人も触って感触を楽しんでいました。

芦ヶ久保の氷ノ沢に造られたツララを見物した後、歩道を上がって上部の広場へ・・・。
 

氷ノ沢の山陰一面に造られた“芦ヶ久保氷柱”、凍て付く夜中に放水し凍らせて氷の華を咲かせるそうです。
 

芦ヶ久保氷柱の俯瞰画像。 中央下は氷で覆われた砂防ダム。


遊歩道最上部広場には臨時の仮設売店や屋外薪ストーブなども用意され“オモテナシ”は万全です。 


芦ヶ久保氷柱の入場券(200円)と引換えで甘酒芦ヶ久保産紅茶が頂ける有難いサービス。
  
秩父のゆるきゃら“ブコーさん”、秩父の名峰・武甲山に因んで作られました。

氷柱見物の後、道の駅「果樹公園あしがくぼ」内のレストランでランチタイム。
昼食は地元キャベツ・ネギ・油揚げとワカメたっぷりの「モリシモ(森下地区名物)うどん」(500円)。
 

秩父山中ですが、電車でも車でも便利な足ヶ久保地区、良く整備された遊歩道で大氷壁が見物できる“芦ヶ久保氷柱”をお奨めします。

芦ヶ久保氷柱HP ⇒ http://www.asugakibou.com/hyoucyuu.html


2014 02 22(土)記。     前橋市      最高気温 5.7℃   最低気温 -2.8℃


おまけコーナー。

深雪の中を走る脅威のトヨタ車。
Toyota extreme 4x4 (part 3)


第845回 前橋市 記録的大雪。

2014-02-18 12:00:00 | 写真・旅行・日記・コラム

2014 02 15(土)16(日)

2014年02月14日(金)未明からの降雪は15日(土)の朝まで降り続き、15日朝7時に撮った拙庭はご覧の通りの雪まみれ。
 
庭の積雪70cm超とドカ雪! 庭の片隅にある温室のガラス屋根の一部は欠損し落下。
これでも、庭木に降り積もった雪は時々竹箒で払い落としていたのですが全く効果なし・・・。

昨年の12月に庭木をバッサリと切り落としたので、倒木を免れたのが良かったです。

14日(金)の真夜中に出入り口だけは確保と除雪しておいた玄関先も約6時間で埋まってしまいました。
 
早朝の7時頃、誰もいない道路へ裏口からの通路造りにシャベルで苦闘する奥さん。

凄い雪です! 前橋地方気象台の15日観測発表では最深積雪73cm・降雪深44cm(観測史上新記録) 最低気温-0.9℃ 最高気温4.7℃。

「大雪に関する群馬県気象速報」⇒http://www.jma-net.go.jp/tokyo/sub_index/bosai/disaster/20140214/20140214_maebashi.pdf
 
雪が深くて歩くのが精一杯! とても車は走れません。 我が家の車庫屋根(波板ポリカ・6本脚)は何とか持ちこたえ、直ぐに雪下ろしで倒壊を免れました。

近くの庭木が雪の重みで折れ道路を塞いでいたり、昨夜から動けなくなって路上に放置された車は翌16日まで置かれっぱなしだったり。
 

隣近所のガレージは悲惨なことに・・・。 3軒に2軒ほどのガレージが何らかの破損をしていました。
 
平野部の車庫屋根の積雪許容度は新品時で約20~30cmですから無理もありません。
取替え工事でカーポート店は大喜びと思ったら、屋根が壊れたお宅では「これからは屋根は取り付けません」だって・・・。

16日(日) 快晴模様の空の下、前日に除雪出来なかった道路をジジババで雪かき作業。
限界集落状態の我が町内は平均年齢70歳近いと思われ、雪で遊ぶ子供たちの姿や声さえもありません。
もちろん、雪ダルマなんて作る人も無し・・・。老骨鞭打っての除雪作業が土・日の丸二日延々と続きました。
 

カーポートの雪下ろしと道路の除雪で筋肉痛と腰痛の体を引きずって近くの畑に行って撮った雪景色
小さな麦芽が顔を覗かせ始めた田畑は一面の豪雪原! 遥か奥に見えるのは秩父に連なる山々・・・春3月が近いと云うのに。


今週の20日(木)あたりに降雪がありそうな天気予報、除雪の体力を使い果しましたから雪が降りませんように・・・。


2014 02 18(火)記。     前橋市     最高気温 4.3     最低気温 -1.3℃


おまけコーナー。

関東大雪! スズキの軽四駆「ジムニー」が牽引した車とは、samurai spirit「SUZUKI Jimny660cc」


雪に強いスバル車。
Subaru WRX pulls out stuck Police Officer.(Original)


第844回 京都 祇園 一力亭 建仁寺。

2014-02-12 12:00:00 | 旅行

2014 01 16(木)

東海道新幹線に乗って関西へ・・・。

走行中の車内から見た富士山、南斜面は頂上近くまで黒い地肌が見え、寒い割には例年なく積雪が少なそうです。
 
雪が全く無かった関ヶ原を過ぎ、滋賀県に入ってから見る伊吹山は日差しが無く凍て付いた真冬の風景。


夕刻の5時過ぎの京都四条通り、正面には八坂神社の朱塗りの西楼門、冬の季節ですから観光客も少なめ・・・。
八坂神社西側の祇園甲部地区を散策、四条通りに面したお茶屋“一力亭”横の「花見小路」を南の建仁寺方向へ歩きます。
  

夕刻の祇園を歩く人の殆んどが観光客、町家作りの祇園甲部には立派な造りの茶屋(中画像は十二段家)・置屋・料理屋など眺めてぶらつきます。
祇園の御茶屋は八坂神社の門前に立ち並んだ茶店が発展し、花見や月見の名所として栄えてきたそうです。
  

四条通りから約200m程南に下がった場所に建つ大きな会館は春4月に豪華な“都をどり”が開催される「祇園甲部歌舞練場」。

6年前の「京都 都をどり」ブログ。⇒ ここクリック。

祇園甲部歌舞練場に向い合う場所にある“臨済宗 大本山 建仁寺”を薄暗い中参詣します。
 
建仁寺山門から入山して直ぐに出会うのは“陀羅尼の鐘”。

広い境内に沢山の堂宇・伽藍が立ち並んでいます。  
 
     左上は「宗務本院」がある本坊。                   室町時代に建築された「方丈」、国重要文化財に指定。

建仁寺は建仁2年(1202年),臨済宗開山の栄西禅師により創建された京都最古の禅寺。
本堂にあたる法堂は明和2年(1765年)の築、御本尊として釈迦如来像を祀っているそうですが閉門で拝見不可。

建仁寺HP。http://www.kenninji.jp/

建仁寺を参詣して身を清めてから祇園一の格式を誇るお茶屋“一力亭”に上がりました。
 
一力亭は元来の名は“万亭”(萬亭・よろずてい)だったそうで、江戸時代の何時の頃か万の字を上下に分けて“一力”と名付けられたのだとか・・・。

玄関先では下足番(当日は2名)控えています。 紅殻(ベンガラ)色に塗られた廊下(二階)が雅な風情を醸しています。
 

一力亭”と云えば、仮名手本忠臣蔵七段目「大臣錆刀」(祇園一力茶屋の段)で大星由良助(大石内蔵助)が敵の眼を欺く為に豪遊していた伝説的な老舗茶屋。

「祇園一力茶屋の段」の一幕(寺岡平右衛門・大星由良助・おかる)を描いた浮世絵(歌川豊国)なども廊下に有ります。


廊下に掛けられていた「義士夜討乱入図」。右下には黒い炭小屋から引き出された吉良上野介

仮名手本忠臣蔵。⇒ ここクリック。

お座敷では女将の杉浦祥子(京子)さんがお出迎え、今でも美人ですから若い時の容姿は如何ばかりだったのか・・・・。
屏風の絵柄は今年の干支にちなんで、馬(午)の絵が用意されていました。
  
だらりの帯”姿の舞妓と芸妓が地方(ぢかた)の奏でる音曲に京舞を披露するとお座敷は一層華やかに・・・・。
踊って頂いたのは知余子(舞妓)さんと芸妓の有佳子さん。(置屋「西村」)

だらり帯の最下部には置屋・西村の「三っ追い柏」の家紋。 地方さんは華麗な手捌きで三味線を奏でます。
 

お茶屋さんの商いは貸席(貸座敷)の提供、舞妓・芸妓は置屋から、料理は仕出し屋(一力は「菱岩」)から取り寄せるとの事。

玄関方向から見た一力亭入口。  大きな暖簾に記された印はにも一力の文字にも読めますが、万が近いのかも・・・。
 

仮名手本忠臣蔵に登場する一力茶屋の建物は蛤御門の変(元治元年・1864年)とその8ヶ月後の祇園大火(1865年)で焼失、現在見られるのは明治初期に建築された建屋。
(元禄14・15年頃、大石内蔵助は伏見撞木町の「万(萬)亭」に出入し、後に「万亭」は祇園に店を構え、その時に「万」を「一力」に変更したようです。)

一力亭あれこれ。⇒ ここクリック。


2014 02 12(水)記。      前橋市 薄       最高気温 7.3℃     最低気温 0.9℃
                             


おまけコーナー。

雪かきを手伝う賢い犬。
Dogs Helping Their Owners to Shovel Snow Compilation



極寒-41℃のなか水鉄砲で湯を射出したら・・・。
Boiling water & water gun in extreme cold (Northern Ontario)



凍った湖から車を引き上げた。(ロシア)
Русская смекалка или как достать внедорожник из воды


第843回 雨引観音 諸堂・名所・旧跡 下。

2014-02-05 12:00:00 | 旅行

2014 01 05(日)


雨引山楽法寺、通称雨引観音の境内を前回に引き続き探訪します。

画面の左に軒先が見えるのが多宝塔、朱塗りの大きなお堂は観音堂(本堂)、右奥には絵馬堂(土産処)、右の暗く見える建屋は御供所(御札・御守り授与所)。
 
本堂前の石階段の最上部に見られる古びた一対の石灯篭は江戸時代の万延元年(1860年)に渡邊盛作により寄進された真壁小御影石製の常夜灯。

御供所に隣接して建つ御堂は六角堂、堂内には諸佛像と天女の壁画が拝見できます。
  
御供所と六角堂の裏側は名古屋城の石垣をも凌ぐ切り立った大石垣になっています。

六角堂の相向かいの小高い場所の御堂を参詣。 
この御堂は足利尊氏が祀られている御所権現堂(鬼子母神堂)、足利尊氏が京都を攻めるにあたり、雨引観音で戦勝祈願したのに因み建立されたそうです。
  

鬼子母神堂近くの高台に建つ気品ある御堂は聖見堂。弁財天女を本尊として脇侍に16尊を祀っている御堂。
  
聖見堂入口前に置かれた弁財天石像に水を掛ながら祈念すれば学問・芸術の願いが叶うそうです。
弁天石像から流れ落ちる清らかな滝は弁天滝

雨引観音の本堂裏手にそびえる「仏の山」を訪ねます。
登頂道は「佛の山 十三佛満以里」と名付けられ、登る道脇に童子姿の石地蔵が沢山並び、参詣者を頂上へ誘ってくれます。
  

仏の山」頂上まではお地蔵様以外にも沢山の石仏が安置され、それぞれが死後の転生の世界を表しているそうです。
  

「仏の山」頂上に立つひと際大きな塔は“十三之塔”。
仏の山は鎌倉時代に万霊供養のため築かれ、死後の五十七忌に縁者がここで供養する慣わしとか・・・。


十三塔下には鎌倉時代からの供養塔が多数見ることが出来ます。
 
比較的に新しい立像は御影石造りの白衣観世音菩薩像

仏の山からは観音堂(本堂)や多宝塔の背後を廻りながら下ります。 庭園の工事中でしょうか? 碑文を刻んだ大きな石碑が2個。
 

雨引観音境内を左に更に進むと、池や回廊、雨引会殿、本坊など拝見できます。


寛政4年(1792年)旗本・鈴木氏の喜捨金700両で建立した奥の院(雨引山会殿)。 内陣に安置されているのは台湾仏師・呉雲が刻んだ観世音菩薩立像
  

本坊は現存する世界最古の企業である金剛組(寺院仏閣建築業。西暦578年創業  四天王寺や法隆寺など多数の寺社を建築。)が平成23年12月に建設・落成。
 
本坊玄関脇に置かれた石碑「見はるかす 枯野の果て乃 入日かな」は聖定の作。この場所からの眺望は素晴しい。

境内の一段下がった場所に建つのが子安地蔵堂、建長6年(1254年)に宗尊親王の御願により建立。
享保年間(1715年)に仏師・無関堂円鉄(円哲)が刻んだ地蔵菩薩像が祀られ、安産・子育ての守護尊として慕われています。
 

帰り道石階段(磴道)を下り仁王門の近くで見た巌のような巨樹には圧倒されました。
宿椎」(やどしい)と名付けられたスダジイ(ブナ科)の巨樹。樹高16m幹周り7.5m樹齢約450年、天然記念物の霊木。
  
室町時代の文明4年(1472年)、楽法寺大火の際、この椎樹の陰に御本尊を避難させ、仮の宿として難を逃れたとの故事から「宿椎」と命名。

茨城県中央部の山中に立つ由緒ある雨引観音を初詣し、御本尊の延命観音を拝顔できた意義深い一日でした。
雨引観音楽法寺は一度は訪ねてみたい名刹です。



2014 02 05(水)記。     前橋市      最高気温 3.4℃    最低気温 -3.7℃


おまけコーナー。

雪や氷の上を歩いても滑りにくい安全な歩き方



雪を楽しむ犬。
"Dogs Playing in Snow Compilation" || CFS