ツトムさん家の写真日記。

写真いっぱいの楽しい日記です。(全面表示でご覧下さい)

第308回 “京都「都おどり」と桜名所”バスの旅 9. 哲学の道・都をどり。

2008-04-30 18:41:37 | 旅行

2008 04 07(月)

朝からいつ降ってもおかしくない曇天の中、名所ツアーバスは京都御苑から次なる桜を求めて“哲学の道”へ・・・。

世界遺産の銀閣寺近くを流れる琵琶湖疏水分流に沿った散歩道が哲学の道
哲学の道とは哲学者・西田幾太郎や経済学者・河上肇などの京都学派の偉い学者が思索しながら散歩したので、当初は「思索の小径」と名付けられました。
その後、西田の愛弟子・三木清や田辺元などの学者達もこの道を散策したことから「哲学の道」と言われるようになり、1972年に正式に「哲学の道」と命名されました。

銀閣寺(慈照寺)への参道に架かる銀閣寺橋のたもとでは人力車のお兄さんが客の呼び込み中・・・。
だけど、世界遺産の直ぐ近くなのに空には電線ばかりなり・・・。(日本の電線・電柱は世界の笑いもの。景観評価は後進国
 
見物ツアーなので銀閣寺には行かないで、哲学の道を下ります。

超満開の桜の花は渋い哲学の道を華やかに演出。
染井吉野の桜花を愛でながら、ツアーの皆さんの足取りも軽やかです。

琵琶湖疎水の水面にも沢山のの花弁が・・・。

哲学の道の途中、法然院の近くに西田幾太郎の丸い石碑がありました。
碑文は人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり。と。
この著名人はかなりの自己中(ジコチュウ)な人物と推察いたしましたが・・・・。

哲学の道の沿道には名も知れぬ道祖神が幾体も見受けられます。
 
疎水の清流にの花弁の舞い散る下を気持ち良さそうに錦鯉が・・・。

哲学の道を散歩する観光客めあてのお土産屋さんも京風物の一つです。
土産品の一番人気は油取り紙ですって、安物ばかりが売れご時世、景気が悪いんですね。
 
上から覆いかぶさるのトンネルの下を哲学者もどきの散策は続きます。
 
月曜日の午前中ですから殆ど観光客は歩いていません。
ツアー客も次第にバラバラに分かれて自由行動気分です。
1.5Kmほど哲学の道の散歩を楽しんで、大豊神社下の鹿ケ谷通りからバスに乗って出発! (哲学の道は銀閣寺橋から熊野若王子神社までの1.8Km)

ツアーバスに乗る時から、ついにパラパラと小雨模様になりました。
皆さんは「哲学の道の散歩の時に降られなくて良かった。と・・・。

バスは平安神宮を素通りして、円山公園へ・・・。
たしか、平安神宮の名所でしたね。
 
車窓から見た知恩院(浄土宗総本山 開祖・法然上人)の山門前のも満開です。

小雨の丸山公園はしっとりとした落ち着いた風情を見せていました。
昨夜の見客の喧騒が嘘のような静けさです。
 
夜のライトアップされた丸山の枝垂桜を見た後では、昼の同じ枝垂桜は何だか少し哀れっぽく見えました。
大風で欠け落ちた枝が一層痛々しく感じてしまいます。

円山公園名物枝垂桜を見た後は、八坂神社の参拝に・・・。
新人の季節ですね、八坂神社の南楼門では巫女様の研修が行われていました。
 
小雨降る境内のお土産屋さんは観光客が少なくて暇そうでしたよ。

八坂神社の西楼門の石階段を下ると四条通り。
交通安全の評語の京都弁で面白かったです。柔らかい表現が良いですね。
 
八坂神社前の商店街で京土産のお買い物(漬物など)などして“都おどり”開演までの時間を潰します。

四条通りを折れて「花見小路」を祇園歌舞練場方面に歩くと、大石内蔵助が遊んだ事で有名な“一力茶屋”が左側に・・・。 皆さん一力茶屋の門前で記念撮影に余念がありません。
 
花見小路歌舞練場へのアプローチ、通りの家々には“都をどり”の雪洞・提灯・ポスターが・・・。(都おどりは都をどりの文字が正式。)

祇園歌舞練場の(祇園甲部歌舞練場)正門は華やかな雰囲気に包まれていました。
 
祇園歌舞練場の入口付近のも満開です。

左の色鮮やかな枝垂桜の大木がひと際眼をひき付けます。豪華な雰囲気が素敵です。

明治5年に初演を飾り、今年で第136回の歴史を誇る“都をどり”は4月1日~30日迄の一日4回開演。
今年の演舞題名は「都今源氏面影」の全八景です。
演名は源氏物語が書かれてから今年が1000年になるからでしょうか。
開演後は撮影禁止ですから、パンフの写真を転載しました。(フィナーレの場面。)

ヨーイヤサ~」の可愛くも艶っぽい掛け声とともに幕が開き、左右の花道から登場する芸舞妓さんたち、京舞井上流を極めた舞妓はんの演ずる素晴しい舞台が華麗に繰り広げられました。(演舞は1時間15分)

祇園歌舞練場で演じられた、春の到来を告げる“都をどり”を充分に堪能した後の昼食に、都をどり名物・小鯛笹寿司などを頂戴ます。

時刻は午後の30分。“京都「都おどり」と桜名所”ツアーのバスは見物疲れの乗客と沢山のお土産を乗せて帰路の行程へ・・・。 
バスは名神・中央・長野・信越の各高速道路を走って、帰着は夜の10分。

最終回は端折りました。京都の桜花記事が長くなりましたので・・・。

2008 04 30(水)記。     前橋市    最高気温25℃(夏日)

愚かな政治屋集団・自眠党の策謀・強行採決で、明日の日からガソリンの値段が30円以上の値上がり!! 
美しい国土を傷つけ、不必要な道路建設ばかりでは日本の将来は土建国家あるのみ!
建設・土建業界からのさもしい献金めあての血税の無駄使い!! 自眠党の卑しさと古い金権体質に呆れるばかり!

国敗れて 道路あり、民春にして増税深し。ってか・・・。


第307回 “京都「都おどり」と桜名所”バスの旅 8. 京都御所。

2008-04-28 14:14:14 | 旅行

2008 04 07(月)

朝食バイキングを食べて、ホテルを30分に出発。
今朝の桜見物は“京都御苑”の桜・・・。

近いので約分で到着。 天気はどんよりとした降り出しそうな曇り空。
観光バスの駐車場には一台のバスも無く、今日一番のりの団体でした。
京都御所の周りを取り囲むようにある御苑を約一時間ほどの見物です。

京都御所の中には入れませんので、どんな桜樹が咲いているのか判りません。
中にあるとすれば、有名な桜では左近の桜ぐらいしか思い出せません
 
京都御所の周囲には沢山のが満開の花を咲かせて・・・。

歩を進めていると、柵で囲まれた数本の桜に出会いました。
京都御苑で有名な「車還しの桜」とか・・・。

背丈も低く何処にでも有りそうな感じの平凡なです。(往時の桜株とは確認出来ていません。)

御所南西の角の桜樹は見応えがありました。

豪華な咲きっぷりで惚れ惚れしますね。
 
紅枝垂桜が人気を集めていました。
皆さんポーズを決めて写真撮影!

五摂家(一条・二条・九条・鷹司・近衛)の一つで、摂政や関白に任ぜられた近衛家の跡地に咲く糸ザクラ
昔から有名な桜の名所で、孝明天皇も「昔より 名にはきけども 今日みれば むへめかれせぬ 、糸さくらかな」と詠んだそうです。

本当に眼を見張るばかり、滝のような鮮やかな桜花です。
 
曇天でしたが、クッキリとした紅色の花弁が美しいです。

白っぽい桜もまた良し・・・。 枝垂桜を縫うように散歩道が続いています。
 
仄かに薄紅色に染まった花弁も綺麗でした。

白・薄紅・紅と各色の桜花のコラボが続いていました。
 
旧学習院跡地に珍しいがありました。

「松木のさくら」とか「桜松」と云って親しまれている桜です。
樹齢100年ほどのくろ松の倒木にヤマザクラが寄生・成長して、今では40年余の樹齢と云われています。見ているうちに生命の神秘さを感じました。

流石に手入れの行き届いた”御苑の桜”でした。
京都御苑は五摂家を筆頭とした堂上公家の邸宅を明治時代に整理し公園化した場所。)
見事な枝ぶりの桜樹を鑑賞しながら、次なるの名所「哲学の道」へ・・・。

2008 04 28(月)記。    前橋市    最高気温20℃

4月28日   シニヤの日(4・シ 2・ニ 8・ヤ)

京都下京区亀屋町では高齢者住宅に赤いバラ(造花)を配り、朝に玄関先に飾り、夕刻取り込むことにしたそうです。
高齢者の安否を確認するため・・・。 (Yahoo ニュース)


第306回 “京都「都おどり」と桜名所”バスの旅 7. ねねの道・高台寺。

2008-04-26 16:16:16 | 旅行

2008 04 06(日)

夕食後はノンビリと丸山公園から夜桜見物を兼ねて高台寺へ散歩です。
 
お寺の土塀が続く高台寺への「ねねの道」も沢山の見物人が歩いて行きます。
ねねの道」に張り出したの見事なこと・・・。

高台寺への「ねねの道」の辻角に京都らしい風情あるお地蔵様のコラボがありました。

大きなの樹の下に佇む地蔵尊も春の宵を楽しんでいるようです。

緩やかな石段を上がると高台寺の小さな山門。人が多くて静かな風景は撮れませんが・・・。
 
山門を抜けて長い参道を行きますと高台寺の立派な庫裏(くり)が正面に・・・。
高台寺豊臣秀吉の夫人・北政所(通称・ねね。 出家名は高台院湖月尼)が晩年を過ごしたお寺で、ねねの寺と愛称で呼ばれています。

正式名は臨済宗建仁寺派鷲峰山高台寿聖禅寺。秀吉の菩提を弔う寺院。
1606年(慶長11年)開創した寺、徳川」家康が庇護し財政面で援助しました。

庫裏の横を迂回して入場受付で拝観料(600円)を払い、更に進むと墓所の中に桜樹が満開の花を咲かせてお出迎えです。 人の波の多さで幽霊もビックリしている事でしょう・・・。
 
歩を進める途中で小洒落た茶室遺芳庵が暗闇に浮かび上がっていました。
高台寺を代表する茶室の遺芳庵は吉野太夫が好んで茶を点てたと云われています。
こんな茶室で美女とお茶を飲めたらな~~って思ったり・・・。

拝観客は高台寺方丈に裏側から入ります。
方丈の前庭は様々な色のライトで照明されていました。
 
高台寺方丈への正式な門・勅使門の枝垂れる姿に古風な門が良く似合いますね。

高台寺一番の大きな枝垂れ桜。 丸いスポットライトが当てられて円形脱毛症みたいです。

時々スポットライトが色を変化させながら照らしていました。
折角の薄紅色の枝垂桜が青い色になったりしてヤリ過ぎの感もありますね。

高台寺の枯山水の庭には良く観ると枝垂桜は二本有りました。
方丈から眺めた時は一本のように見えましたが、見る角度で変わりますね。

高台寺方丈前の見事な枝垂桜を堪能した後、開山堂から霊屋(おたまや)へ・・・。
高台寺の園内は全てカメラの三脚が禁止されています。手ブレ補正があっても暗い景色の手持ち撮影ではブレてしまいます。
 
秀吉ねねを祀る「霊屋」も人で大混雑!!

霊屋の暗い内、なんとか秀吉ねね様の撮影に成功です。
撮った後に撮影禁止だったと判りました。(ごめんなさい!)

左右に遠く分かれての木像。右・秀吉、左・ねね様。古色蒼然の像ですが戦国時代の波乱万丈な生涯を静かに物語っております。
正面の黒い箱はお二方の位牌の厨子でしょうか・・・。

混雑する霊屋から押し出されるように正面の急な石段を下りました。
少し歩いて上った場所にある傘亭(正式名・安閑窟)は千利休考案になる茶室で、重要文化財に指定されています。 渡り廊下(土間廊下)で繋がった隣には時雨亭
時雨亭も同じく重文指定の茶室建築物。
 
ねねの寺・高台寺は東山の中腹に位置してますから京都の街が一望出来ます。
古都の夜空に浮かぶ巨大ローソクは京都のランドマーク・京都タワーか・・・。

2008 04 26(土)記。    前橋市 のち小   最高気温13℃ 寒~


第305回 “京都「都おどり」と桜名所”バスの旅 6. 八坂神社・丸山公園。

2008-04-24 20:20:20 | 旅行

2008 04 06(日)

京都駅南にある東寺の見物を終わって、バスが四条大橋にさし掛かると眼下の鴨川河畔も一面の鮮やかな桜花
観光客も市民も鴨川縁を桜を見ながらそぞろ歩きの散歩です。
 
今夜の宿泊ホテルは日本がバブルに沸いた時、高層ホテルに建て替えようとして景観物議をかもして高さを抑えた京都ホテル
桜の季節なのでロビーも込み合い、全館満室みたいでした。

ホテルで一休みしてから、夕刻ま近かな高瀬川並木を観ながら散策しました。
 
この高瀬川沿いの道も大勢の見物人で混雑していましたが。薄暮の高瀬川に架かる桜木の見事さには感動ものです。

四条大橋のたもとから見た先斗町も人の波・・・。 夕食の品定めでしょうか。
 
四条大橋から南座と東山方面への四条通りは車も人も多くてビッシリです。

四条通りの突き当たりのライトアップされた八坂神社も沢山の参拝客が上って行きます。
 
八坂神社境内の万灯提灯にも明かりが灯され、なんとなく華やかな雰囲気・・・。

引きも切らずに八坂神社にお参りする方々がお賽銭を投げていました。
の時期だけでも凄い収入でしょうね・・・。これも全て無税!!
 
八坂神社の直ぐ裏側が円山公園になります。
の下でドンチャカと賑やかに宴会が始まっていました。

京都の桜といえば、円山公園枝垂れ桜!!
丸山の桜を見ずして京の桜を語るなかれ」と云わしめた超有名な枝垂れ桜です。

丸山の枝垂桜は少しだけ小高く盛り上げた場所に悠然と存在感を誇示するように立っていました。
欠けている枝もありますが、幾多の歳月を乗り越えた風格が感じられます。

この桜は「丸山の枝垂桜」「祇園の枝垂桜」と呼ばれた枝垂桜の二代目と言います。
初代の種子から育生され、1949年(昭24)に現在の地に移植されたそうです。
丸山の枝垂桜の正式名は“一重白彼岸枝垂桜”と云い、数ある桜樹の中では最も寿命が長い部類の桜です。

ライトアップされ何時までも見飽きない豪華な枝垂れ桜ですが、見物客の多いことには辟易でした。
人の少ない静かな時にゆっくりと愛でたいものです・・・。
   
桜見物の人達の喧騒を後にして円山公園奥の真っ暗な道を辿ります。
今夕の食事は鬱蒼とした木立に囲まれた高台にある閑静な料亭・左阿彌に到着。
元は織田信長の甥・頼長の邸宅、江戸時代から数多くの文人墨客に愛された名亭、門に掲げられた木額の文字は頼山陽の高弟・易安の筆になるとか・・・。
借りきりの茶室・寛楽でチョッピリと豪華に本格京料理などご馳走になります。
可愛い舞妓さんにも来て貰い、ほろ酔い気分で楽しいひと時を満喫した京都の夜でした。

次回は食事後に訪れたねねの寺高台寺の夜桜見物です。

2008 04 24(木)記。    前橋市 小   最高気温17℃。


第304回 “京都「都おどり」と桜名所”バスの旅 5. 東寺。  

2008-04-22 22:22:22 | 旅行

2008 04 06(日)

京都の見物の観光バスは次なる名所・東寺へ・・・。
拝観料金(団体350円)を支払って世界遺産の東寺境内に入ります。

その昔、都を奈良・平城京から京都の平安京に遷都した時に、平安京の正門・羅城門の左右に大寺が配置されました。(芥川龍之介の小説・映画の「羅生門」は羅城門がモデル。)

に置かれたのが東寺で、今では御所をはじめ大多数が当時よりかなり東へずれてしまいましたが、この東寺は元のままの場所に残っています。

左の寺でしたので、東寺左寺とも呼ばれていたそうです。(平安京の南北中心路の朱雀大路を挟んで対称的に右に西寺(さいじ)も有りました。)

開祖は弘法大師(空海)と云われ、東寺は平安京遷都の年後の796年(延暦15年)に造営が開始された勅願寺(官制寺)です。

東寺は真言宗東寺派総本山ですが、正式名は金光明四天王教王護国寺秘密伝法院(通称・東寺)と言い、山号は八幡山で八幡山教王護国寺とも。
仏法をもって国を護り、衆生にあまねく功徳を及ぼす為の寺なのです。

東寺の庭園は桜が満開状態!
 
観光バスの一行は最初に記念撮影でにこやかにハイ、チーズ!(デジカメプリント1000円)

入場してまず眼に飛び込んできたのは大きな枝垂れ桜です。

この枝垂桜は開祖・弘法大師の「不二の教え」に因んで「不二桜」と名付けられました。
樹齢120年余で樹高13m。岩手県盛岡の産、秋田と三重に移され2006年に弘法大師(空海)帰朝1200年を記念して東寺に移植されたそうです。
紅色の鮮やかな八重紅枝垂桜でエドヒガンザクラ系の桜樹です。

京の東寺といえば何と云っても五重塔ですね、
京都駅前の京都タワーが出来るまでは京都のランドマーク的なシンボルでした。
東寺の五重塔55mの高さを誇る日本一の五重塔です。
826年(天長3年)に造営着工され、883年(元慶7年)の完成。
 
東寺の五重塔は四度の火災で焼失し、今見るのは1644年(正保元年)完成になる徳川家光寄進の江戸初期の五重塔です。
古色蒼然とした建物に桜花の鮮やかさが映えていました。

東寺五重塔の軒先の重厚な木組みにはユニークな邪鬼が支えとして置かれていました。
 
年に数日しか御開帳にならないので、今回は五重塔の内部は残念ながら拝見出来ませんでした。
6年ほど前の冬一月の参詣時に運良く特別開帳となり、五重塔内陣を見学出来た時の画像を載せます。
五重塔の心柱(大日如来に見たてた中心柱)を背で護るように四金剛仏坐像(阿しゅく・放生・阿弥陀・不空成就)と八大菩薩立像が安置され、塔の内壁面は退色していましたが真言尊像諸仏が描かれて真言密教の神秘的世界を彷彿とさせていました。

その時の説明では五重塔の中心に立っている心柱の下部は接地されてなく、基礎石から少し離されて浮かせ、周囲の構造柱と梁で支えているそうです。 この建築工法が地震に強い耐震構造になっているとの事でした。 地震国・日本の知恵ですね。

瓢箪池を中心とする東寺庭園の桜を愛でたあと、正面の大きな金堂へ入堂・・・。
 
南からの障子越しの自然光に浮かび上がる御本尊・薬師如来像(台座の十二神将像が特徴的。)と左右の日光月光菩薩像は神秘的な輝きを放っていました。
これら三尊像は桃山時代の仏師・康正の作と云われ、密教芸術の粋が凝らされ往時の薬師信仰の深さを形どっています。

金堂の後ろ側にある金堂と同じ大きさの講堂にも入りました。
講堂の内部も自然光のみの薄明かりの中に沢山の尊像がおわします。
 
中央に大日如来像を配置し、左に不動明王・右に剛波羅密菩薩像があり、その周囲には18体の尊像が取り囲んでおりました。
大きく立派な尊像に対座していると、極楽浄土は斯くありなんかと思うばかりの荘厳さです。
この尊像の配置は弘法大師の教えを表現した立体曼荼羅なのだそうです。

金堂・講堂の諸仏に圧倒されながら、次の食堂(じきどう・僧達の修行場)へ・・・。
ここでも多数の仏像が展示されていました。
 
食堂を見物してから、優美な総檜皮葺き屋根が美しい大師堂へ・・・。
秘仏・不動明王が安置されているので不動堂とも御影堂とも呼ばれています。
昔は弘法大師の住房とされていたそうです。

大師堂の相向かいには毘沙門堂があります。
 
毘沙門堂がご開帳され、国宝の毘沙門天像が拝見できました。
焚香で黒く煤けた毘沙門像ですが、迫力あるお姿に心打たれるものが感じられました。

東寺は超有名な寺ではありませんが、ほとんどの建物・仏像が国宝重文に指定されている見所の多い密教芸術の宝庫。 必見の世界遺産の寺院です。

東寺の観光で午後4時半となり、今日の観光は全て終了。
ツアーバスは今夜の宿泊ホテル・京都ホテルへ・・・。

2008 04 22(火)記。    前橋市    最高気温24℃

4月22日   地球の日(Earth Day・アースデー)

サブプライム問題の後はエネルギー多消費の温暖化でニューヨークも水没か・・・!
筒井康隆監督作品の「日本以外全部沈没」って脱力パロディ映画はとても愉快でしたね。


第303回 “京都「都おどり」と桜名所”バスの旅 4. 黄桜酒造。

2008-04-19 19:19:19 | 旅行

2008 04 06(日)

京都伏見の寺田屋見学も無事に終わり、観光バスを駐車させて貰ったので次は“黄桜酒造”を少し見物する事になりました。

黄桜酒造は大正14年創業の日本酒メーカー。
河童のイラストを使ったユニークな宣伝で業績を大きく伸ばして、今ではTOP五社に入る大手の日本酒醸造会社になりました。

明治・大正風の面影を残す佇まいの「黄桜カッパカントリー」という名の見学施設。
 
向かい側の酒造蔵もかなりの年代物です。暗い軒先に酒蔵のシンボルの大きな杉玉がぶら下がっていました。

黄桜カッパカントリー」に入場すると、最初に出会うのが清水井戸です。
この清水は“伏水”(ふしみず)と云って、名水百選にも選ばれているそうです。

酒処・伏見の語源にもなっている名水・伏水を使って銘酒・黄桜が醸造されています。
伏水を呑んだ印象では、癖が無く超まろやかな軟水と感じました。
 
黄桜カッパカントリーの中には酒造りに関する展示物が沢山陳列されています。
日本酒の仕込み風景を人形仕立てで説明しているコーナーもあります。

一升瓶からカップ物・紙パックなど多彩な黄桜清酒が並んでいました。
見ているだけで仄かに酔ってきそうです・・・。
 
清酒・黄桜と云えば、カッパのコマーシャルですね。
黄桜カッパはファミリーっぽい清水 昆さんの画とチョッピリお色気の小島 功さんの画が有名です。

黄桜の下で花見酒で盛り上がっているカッパを描いた賑やかな画もありました。
 
黄桜カッパカントリーの中庭では試飲コーナーも有ります。
晴天の下、薄紅色のが満開で酒を呑みながらのお花見でした。
満開の桜木の手前の枯れたような木が萌え黄色の花を咲かせる黄桜です。
まだ芽が出たてたばかりで、あと月ほど経ったら開花するそうです。

拝借画像で「黄桜カッパカントリー」の満開の黄桜をご覧下さい。
 
黄桜はオオシマザクラとサトザクラの交配で作られたそうです。
薄黄色の花が特徴で、生姜科のウコンに似た色をしているので、鬱金桜(ウコンザクラ)と呼ばれています。
日本では薄ピンク色のの花を愛でますが、何故か欧米ではこの黄桜(鬱金桜)の方が人気があると云われています。 黄金色により近いからでしょうか?

利き酒でホンノリと顔が薄紅色になってから、次なるを求めて観光バスはGO・・・。

2008 04 19(土)記。    前橋市 時々   最高気温21℃


第302回 “京都「都おどり」と桜名所”バスの旅 3. 寺田屋。

2008-04-18 18:18:18 | 旅行

2008 04 06(日)

満開の城南宮を後にして、同じ伏見区にある旧跡・寺田屋へ・・・。
可愛いバスガイドさんの手作りカラフルな「京都マップ」で名調子の説明を聞きながら観光バスは走ります
 
京都伏見は兵庫の灘と並んで日本酒醸造の一大生産地。
寺田屋への沿道には月桂冠や黄桜など全国的に名を馳せた大酒蔵が見られます。
濠川添いに建っている松本酒造の酒蔵は如何にも美味しそうな酒を作っている佇まいです。

城南宮を出発して10分もかからないで寺田屋に到着。
寺田屋のすぐ近くの黄桜酒造のP場を借りてバスを入れ、約100mほど桜咲く伏見の古い家並みを見ながら歩きます。
 
昔はこの濠川を使って三十石船で淀川経由、人や物資を大阪方面へ運搬していたそうです。

寺田屋も江戸時代は廻船問屋兼船宿(薩摩藩御用宿)として大きな商いを行っていました。
幕末の文久年(1862年)に薩摩藩士名が殺傷された寺田屋騒動と坂本竜馬事件で一躍有名になった寺田屋は史跡にも拘わらず今でも立派に旅館業を営業しています。

晴天の日曜日なのでひっきりなしに見物客が訪ねてきました。

寺田屋旅館の右側奥の正面に寺田屋騒動の記念碑と坂本龍馬像が建っていました。
 
庭の片隅に寺田屋の気風の良い女将・お登勢を祀ったお登勢稲荷神社もあります。
お登勢没後100年を記念して創てられました。

見学者は寺田屋の横入口から入って最初に寺田屋の由来と龍馬等の説明を受けてから館内を見学います。(拝観料400円・団体360円)
 
館内の到る所に幕末の偉人達の写真・文書が展示されていました。
この“手配書”の人相書き(坂本龍馬・高杉晋作・西郷吉之助)は良く特徴を捉えていますね。

後に龍馬の妻になるお龍がこの風呂場で入浴していた時、外に伏見奉行所や新撰組などの幕府の追手の気配に気付き、オールヌードのまま二階に居る龍馬に異変を知らせたと云います。(坂本龍馬襲撃事件・慶応2年1866年1月23日)
 
お龍は素っ裸でこの階段を駆け上ったのです。 良く見るとまだ当時の水滴が残って・・・。(WWW)

気丈で機転の利く世話女房タイプのお龍と、割と身辺に鈍感だったという坂本龍馬の写真もありました。
 

この和室で長州藩士・三吉慎蔵龍馬が酒を呑んでいる時に襲撃されました。
 
三吉慎蔵は刀で、龍馬は当時最新式の連発銃で応戦します。
幕府方伏見奉行所からの多勢に抗しきれず、寺田屋の二階から隣家の屋根伝いに逃げのび、指に切り傷を負いながらも一命を取り留めました。

詳しい寺田屋騒動の顛末はここクリック。

寺田屋の柱にはその時の刀傷ピストル弾痕が多数見ることが出来ます。
 
参考までに、坂本龍馬中岡慎太郎と共に大政奉還の一ヵ月後の慶応3年(1867年)11月15日に三条河原町の旅籠・近江屋で暗殺されます。(翌年が明治元年)

二階の一番広いこの部屋を坂本龍馬は愛用していたそうです。
 
幕末から明治維新に到る激動時代のヒーローの物語には血沸き心打つものがありますね。
京都には寺田屋あり池田屋ありで歴史上の中心舞台が沢山揃っています。時間を気にせずにゆっくりと訪ねたい場所の一つです。

後日談 ・・・ 寺田屋は1597年(慶長2年)に建てられ、修復しながらも現在に至っていると云われるが、歴史文献に1868年(慶応4年)の鳥羽伏見の戦で家屋諸共焼失と書かれているので、今ある寺田屋は明治期に建築されたものらしい。柱に付いた刀痕・弾痕は何だったのか? 歴史の謎は残ります。(08 09 26記)

2008 04 18(金)記。    前橋市 時々   最高気温15℃


第301回 “京都「都おどり」と桜名所”バスの旅 2. 城南宮。

2008-04-16 19:00:00 | 旅行

2008 04 06(日)

人気キャラクター“彦ニャン”で有名になった彦根市での昼食が終わって、再び東名高速を走って目的地の京都市へ・・・。

京都での最初の見物は伏見の“城南宮”です。
城南宮の周辺は慶応年(1868年)1月に勃発した“鳥羽伏見の戦”の戦場になった場所ですが、今ではその名残は見当たりません。


説明書では平安遷都(794年)のとき国の守護神として創建された歴史と由緒ある神社ですが、最近社殿を総建て替えしたらしく新しい明るい雰囲気の神社です。

城南宮専用のP場で観光バスを降り、正面の赤鳥居から境内へ・・・。
右手の手水舎に足を止め名水・菊水若水で手と口をすすぎ、身と心を清めます。(伏見は名水の里。)

 
本殿を中心にの字形に並んだ社殿の中央に能舞台のような拝殿(舞殿を兼ねる)が建っています。

その拝殿から前殿を覗いてみました。 古(いにしえ)に戻ったような錯覚がしました。(イニシエーションではありません。)
 
変形入母屋造りの前殿の奥に、流れ造りの本殿が控えています。
本殿には国常立尊・八千矛神(大国主命)・神功皇后をお祀りしているそうです。
方位除と建築の神様でもありますし、この城南宮熊野詣の出立地でしたので旅行安全の神社でもあります。

前殿(祈祷殿)の内部では宮司が祝詞(のりと)を奏上しナニやら儀式のようでした。
平安人風の一対の人形がユニークな前殿です。

 
美人そうな巫女様が左右に侍っていました。 始終この姿勢ですので美しいお顔が撮れません・・・残念!
城南宮”の建築物は全て平安時代後期の様式に統一され、優雅な平安朝のたたずまいを見せていました。


の字形社殿の外側を取り巻くように平安の庭園(楽水苑)が配置されています。
神社の庭園とは思えない明るさの庭に入場します。
ヤシオツツジが鮮やかに咲き誇って人目を引いていました。

 
暗い木陰に咲いた薄紅色の椿の花・・・。 ヤブツバキでしょうか?可憐な佇まいを見せていました。

平安朝様式の庭園には清らかな小川(遣水やりみず せせらぎ)が流れていました。
このせせらぎの水にを浮かべて歌人が和歌を詠み、短冊にしたためてから酒盃を飲み干す“
曲水の宴”は4月29日・11月3日に行われるそうです。
白拍子の舞姿も披露され平安貴族の優雅な遊びが再現されると云います。

 
曲水の宴”では鴛鴦(おしどり)姿の小船の背にですが、今日は赤い椿の花が流れてきました。 なんだか、椿三十郎のワンシーンですね。

城南宮”の平安の庭を後にして、隣接する桃山庭園(城南離宮の庭)に入ると満開の桜木が沢山見えてきます。
見事な枝垂れ桜に皆さんウットリと・・・。

 
明るい庭園に美しい彩の桜花で気分も爽快!

比較的に若い桜木が多かったようです。
花も女性も畳も若く新しいほうがBETTERって大きな声で云っちゃだめですよ・・・。


咲き乱れるの下で綺麗なバスガイドさんを携帯電話で写してる添乗員さんです。
 
庭園の茶室(楽水軒)では気持ち良さそうに雪見障子を開け放って茶席が設けられていました。 可愛い巫女様が亭主役を務め、外まで抹茶の香りが漂ってきました。

次回は伏見・寺田屋と黄桜酒造の巻。

2008 04 16(水)記。   前橋市 花曇りの   最高気温23℃

チベット騒乱の動画は⇒ココクリック


第300回 “京都「都おどり」と桜名所”バスの旅 1。 高速道の桜。

2008-04-15 18:18:18 | 旅行

2008 04 06(日)

”と都おどり見物”の一泊三食付き格安バスツアーに参加しました。(一名24000円)
上○観光バス㈱の○崎車庫を日の早朝30分に出発!

途中で富岡のバス車庫でお客を乗せ、客人数43名と運転手・バスガイド・添乗員の総数46名で上信越自動車道を長野県に向い、次は長野自動車道で一路諏訪方面へ・・・。

朝食はツアー代金には含まれていませんので、各自自弁です。 筆者は前日に購入した「助六寿司」と使用済みのペットボトルに詰めてきた緑茶です。

朝から無風快晴の絶好の行楽日和
長野自動車道に入ってからバスの車窓の右手には北アルプスの山塊が朝日にキラキラと輝き眼に焼き付きます。
 
駒ケ岳SAから見た信州駒ケ岳の秀峰・・・まだ白雪に覆われ、山はいまだ冬景色です。

長野自動車道から中央高速、さらに東名高速道へと山里の景色を見ながら観光バスは走ります。


東名高速の小牧インターを過ぎると右方面の小高い丘の上に小牧城
山腹のあちらこちらに桜木が満開の花を咲かせていました。

三回目のトイレ休憩は東名・養老SAです。
観光バスが停車した横に6台の可愛いオープンカー
英国車のロータスでしょうか? カラフルな配色で強烈に自己主張していますね。
 
養老SAに付帯する公園の桜が満開です。
早速公園の小さな丘に上って桜見物と洒落込みました。

天気予報では今日(6日)の午後から雨模様と云ってましたが、ご覧の通りの日本晴れ!

ここの桜木はまだ若く活力いっぱいです。 桜花も色鮮やかなパープルピンク。
白っぽい桜花が多くなった古木よりズ~ッと綺麗ですね。
何故か中国人の団体もここで休止がてらにお花見していました。
中国語でワイワイと騒いでいましたが満開の桜に感激している様子が手に取るように判りました。

京都桜見物行きの観光バスは彦根で東名道を降りて、昼食タイムになりました。
大きなドライブイン“レストラン ハイウェー”に到着すると、直ぐに昼食が運ばれてきました。

昼食は「近江牛のうどんすき」。なかなかボリュームがあって満腹感が味わえました。
このドライブインの一階はお土産品売場で、バスツアーの皆さんは食事もそこそこに早くもお土産漁りに精を出していました。

お腹もいっぱいになって、うつらうつらしながらバスは京都を目指して走ります・・・。

2008 04 15(火)記。    前橋市    最高気温22℃


第299回 2008年 千鳥ヶ淵の桜。

2008-04-12 12:12:12 | 旅行

2008 04 03(木)

靖国神社の桜見物を終えてから、靖国通り一つ隔てた所にある東京一番の桜の名所千鳥ヶ淵”へ向かいました。
靖国通り越しに大きな高灯篭が有りましたが、陸の灯台みたいで何でしょうかね・・? ランドマーク?
 
渋滞している靖国通りの両サイドも満開の桜です。(桜の木は若木でした。)

通りの陸橋を渡って人波に附いて行くと、そこは桜満開の“千鳥ヶ淵”!!

快晴の絶好な桜日和! うららかなお堀の水面ではボート遊びのカップルでいっぱいです。(ボート代金 観桜期間は30分800円)

土手の上から枝垂れ桜のように垂れ下がった桜の枝が見事で迫力を添えていました。

兎も角、“千鳥ヶ淵の桜”を御覧下さい・・・。
 
千鳥ヶ淵の桜並木は桜の大木が約1Kmほど続いています。桜見物道は一方通行になっています。

とき折り吹く春のそよ風にさくらの花弁が舞い、その度に見物人から一斉に大きな歓声が上がっていました。
花吹雪は桜見物の醍醐味と言えるのでしょう。

目に鮮やかな桜花って咲いて良し、散って良しの最高の花ですね・・・。
 
色がクッキリとしたのような桜花も美しい!

白い雪柳でしょうか? 桜花を一層引き立てていました。
 
桜並木の最終地点は首都高速道路。お堀の土手には菜の花の黄色が爽やかで、春本番って感じです。

千鳥ヶ淵の桜並木脇にある“千鳥ヶ淵戦没者墓苑”(昭和34年建設・無名戦没者墓)をお参りしました。
 
先の太平洋戦争の惨禍で亡くなった方々の慰霊のために造られた霊園です。
宗教色はありませんから、近隣諸国から非難される靖国神社は取り壊し公園にして、こちらの”千鳥ヶ淵墓苑”に統一した方が国益になりますが・・・。

“千鳥ヶ淵墓苑”に置かれていた“さざれ石”(岐阜県産)。どこか間のびした国歌の歌詞にありましたね。
 
日本軍に置き去りにされ過酷な状況の下、悲劇に見舞われた満州開拓団(同徳台開拓団)の青年に奉げられた日本一美しい花嫁人形が哀れさと涙をさそいます。(天国で美しく優しい花嫁を娶って下さいね。)


絢爛豪華の一語では片付けられない美しさの“千鳥ヶ淵の桜”見物でした。

春は、秋は秋桜。これからの温暖な季節に皆様も花を求めて旅しては如何でしょうか・・・。

2008 04 12(土)記。    前橋市    最高気温21℃


第298回 2008年 靖国神社の桜。

2008-04-10 19:19:19 | 旅行

春は桜の季節。  しばし、桜花見物をお届け致します。(秩父霊場巡りは小休止させて頂きます。日にちを改めて掲載いたします。)

2008 04 03(木)

東京は九段の靖国神社の桜見物に・・・。

靖国神社境内入口の青銅製の大鳥居(第一鳥居)付近からは満開状態です。
 
参道脇には青シートが敷き詰められ、夕刻からの花見の宴席用でしょうか・・・。

植木屋さんも店を開いています。 艶やかな春の花々が人目を誘っていました。
 
植木屋さんの八重枝垂桜のUPです。 靖国神社の桜ではこれが一番美しかったみたい・・・。

神門をくぐると桜見物を兼ねた参拝人で混雑する正面に中門鳥居拝殿が見えてきました。
両側の桜花は戦争で散華された方々の魂かと思うと少しくホロリ・・・。(“桜花”ってロケット特攻兵器もありました。)
 
何処かの戦友会でしょうか、記念撮影に余念がありません。

境内の売店では可愛い巫女姿のお嬢さん達が清酒・靖国の販売中。(試飲はダメ!)
 
各種の御札・御守りなども扱っていました。最近は「一億玉砕」「神州不滅」「特攻祈願」とか「撃滅鬼畜米英」などの勇ましい御札は見当たりませんね。

気色悪い戦闘旗持参で拝殿に参拝する方々もいますが、靖国神社特有の事象です。年老いてもまだ軍国日本を願うのか・・・?
祈るのは亡き戦友の慰霊の為か? 戦死の友は運が悪かったと、自分の幸せと長生きの為・・・か?
 
拝殿の中では神主がナニやら説明をしていました。 拝殿に向かって礼拝すると中の人の汚いケツを拝むことになりますよ。

靖国神社拝殿と本殿の全景です。 後方には法政大学の校舎がそびえ、新旧の建築物対比みたいです・・・。
 
歴史の浅い靖国神社にはメインとなる桜の巨木は有りません。
桜見物ならすぐ近くの千鳥ヶ淵の方が豪華なので、次回は千鳥ヶ淵の桜見物です。

最近物議を醸している映画「靖国 YASUKUNI」。
中国人監督リーインの作ったドキュメンタリー映画です。
表現の自由を圧殺しようと自民党議員(稲田朋美議員ほか。)が率先して暗躍し、上映中止に追い込まれてしまいました。 

外国人の視点から靖国神社を率直に捉えています。
一度は見る価値のある映画かと思います・・・。

2008 04 10(木)記。    前橋市    最高気温11℃


第297回 秩父霊場巡礼の旅。 三番札所 岩本山常泉寺。

2008-04-04 18:18:18 | 旅行

2008 03 23(日)

春うららの秩父路を二番札所から歩いて三番霊場へ・・・。

秩父霊場の第三番寺は荒川支流の清流・横瀬川を越えた所にあります。
 
近辺の野畑には春の野菜・菜の花が色鮮やかに・・・・・美味しそう!
観音堂に聖観世音菩薩を祭る岩本山常泉寺が畑の先に見えてきました。
 
左の小高い場所にあるのが三番霊場の観音堂、右が常泉寺本堂です。
秩父霊場巡礼の人達も一番・二番・三番と順番を進むごとに次第に少なくなってきました。

細い参道の突き当たりに岩本山常泉寺の本堂が見えてきます。この寺も宗派は曹洞宗でした。
 
本堂に安置された常泉寺の本尊仏は薬師如来と思います。

常泉寺本堂の外回廊に“子持ち石”がありました。 お腹がモッコリとまるで妊娠しているか、赤ん坊を抱いている様な姿の石です。
子供が沢山授かるようにと、昔から“子宝石”“子授け石”として安産子育ての信仰を集めているそうです。
 
不動池の周辺には千部供養等・馬頭観音・大黒天などの石仏群や紫陽花(アジサイ)が沢山植えられ、常泉寺は通称・紫陽花寺とも呼ばれ親しまれています。

常泉寺本堂から左に進み、18段程の石段を上がった所に三番霊場の厄除観音堂があります。
 
この厄除観音堂の向拝下の鳳凰彫刻と海老虹梁の龍の籠彫は迫力ある見事なもので、熊谷の名彫刻師・飯田和泉の渾身の作と言われています。
 
願柱から伸びた紅白の紐が厄除観音堂の聖観世音に皆様の願い事を伝えます。
たぶん、子供の頃遊んだ“糸電話”のルーツみたいなものでしょう・・・。

厄除観音堂の本尊・聖観世音菩薩像は行基菩薩の作と伝えられています。
霊験あらたかで全ての悩み事を聞いて下さるそうです。 但し、聞くだけかも・・・?
 
常泉寺本堂から観音堂へ巡礼講の皆様が白衣・おいずる・輪袈裟・杖などの巡礼装束でお参りに・・・。。

観音堂脇にある長命水は今でも飲む事ができ、一杯飲むと10年二杯で20年三杯で30年寿命が伸びるそうです。 四杯以上飲むと死ぬまで長生きができるって・・・。
  
秩父三千女が奉納した絵馬には聖観世音や常泉寺の名物などの由来が色鮮やかに描かれていました。 (秩父三千女って、誰か教えてください。)
この常泉寺には目の病に効くと有難られている不睡石もあります。

午後時近くに昼食を食べに立ち寄った民家のような造りの「坂本庵」。
淡い色の手打ち秩父ソバ(630円)は味・腰ともに絶品の蕎麦です。 (野菜天は290円)
  
手打ちうどん(530円)の歯ごたえは日本一! 極太麺で讃岐うどんの上を行くお奨めの逸品と思います。

常泉寺御詠歌 「補陀落(ふだらく)は 岩本寺と拝むべし、峰の松風ひびく滝津瀬。」 
(補陀落[普陀絡] = 観世音菩薩の住む山。 霊地・霊場の総称。 御札=御補陀。)

常泉寺 住所 秩父市山田1392

次回は四番霊場・高谷山金昌寺の予定・・・?

2008 04 04(金)記。    前橋市    最高気温20℃。  満開!!

暖かくなったので、素敵な水着を一発!(動画も有り) ここクリック。 


第296回 秩父霊場巡礼の旅。 二番札所 大棚山 真福寺。

2008-04-01 01:01:01 | 旅行

2008 03 23(日)

発願寺の一番霊場・誦経山四萬部寺を参詣した後、直ぐに二番霊場へ向かいました。

三月下旬とは言え、まだ浅い秩父路です。下界ではの便りもチラホラ聞きますが、ここはまだ梅花の季節、白梅・紅梅が我が世の春とばかりに咲き誇っていました。
 
一番霊場から約Kmの距離にある二番霊場・大棚山真福寺(秩父市山田3095 紅梅の寺とも云われる)は急傾斜地に建っています。
梅花の咲く中を大勢の参詣人と共に石階段を辿って登ります。

この小さな二番霊場も“秩父霊場巡り”の大勢の人々で大混雑!
 
二番霊場の大棚山真福寺も宗派は曹洞宗です。
願い柱から紐が御本尊の聖観世音菩薩像に繋がっている・・・?

この真福寺は無住寺ですので、総開帳でも格子ガラスの扉が厳重に閉じられ薄暗い内部の聖観世音を拝礼する事は困難で参詣人は皆さんガッカリでした。 写真撮影も不可能。
 
大棚山真福寺本堂に掛けてある奉納絵馬には大棚禅師が岩屋にこもって読経していると、鬼畜のような老婆が現れて過去を懺悔して雲の如く立ち去り、禅師が哀れんで供養の為、この地に堂宇を建立し観音を祭ったとの事です。老婆が残した寺宝となっています。
 
真福寺本堂の下にある聖観世音菩薩石像は御本尊を模した像とのこと、本尊の聖観世音と同様に霊験あらたかと尊ばれています。
 一番霊場・二番霊場と山坂道を歩き疲れたのでしょう、皆さんは腰をおろして小休止を取っていました。

当初は西国33札所・坂東33札所・秩父33札所の計99札所でしたが、江戸時代に真福寺が加わり秩父34札所となり、観音霊場100札所となりました。

大棚山真福寺は二番霊場ですが無住寺ですので納経所は無く、遥か下にある向嶽山光明寺が二番札所になっています。
 
光明寺納経所に向かって参道を進みます。
向嶽山光明寺も曹洞宗で、1318年(文保2年)に鎌倉の建長寺から法性国師物外(ほっしょうこくしもつがい)を迎えて開山しました。
本来は真言宗の寺院でしたが、1587年(天正15年)に曹洞宗に改宗。
 
この光明寺は二番霊場真福寺・三番霊場常泉寺・四番霊場金昌寺など多数の末寺を持った秩父随一の格式を誇る寺院です。

向嶽山光明寺本堂にも願い紐があり、内陣の奥まで繋がっていました。(光明寺は秩父34霊場に入っていないので、何故に“願い紐”が?・・・と不思議に思いました。)
 
光明寺の本尊は釈迦如来ですが、二番霊場・真福寺聖観世音菩薩(厨子入り像・室町時代の作)がこの光明寺に安置されていたのです。やっと願い紐で結ばれていた謎が解けました。 (二番寺の真福寺だけをお参りしたのでは、本当の聖観世音に出会えないのです。)
写真の聖観世音菩薩を有難く拝礼願います。

納経所は二番霊場・真福寺朱印を貰う人の順番待ちの行列が出来ていました。
  
納経所では休む暇なく大忙しでした。(納経料 朱印200円 書入れ朱印300円)

真福寺御詠歌 「めぐり来て 願いをかけし大棚の、誓いも深き谷川の水」

次回は三番霊場・岩本山常泉寺の巻です。

2008 04 01(火)記。   前橋市    最高気温13℃。 風強し。


4月1日 エイプリルフールの日  嘘か真か、嬉しいことに今日からガソリン25
      円安!!        
      無駄な道路など造らずに庶民に密接な税金を減らしてくれ~!
      建設・土建業界からの献金欲しさに卑しい自眠党は道路特定財源の延長
      をたくらんでいるようだ。 25円引きが一ヶ月で終わりません様に・・・。  

ペンギンが空を飛べるって知ってましたか・・・? ここクリック。

お時間のある方は「胸の谷間のスローモーション動画」をお楽しみ下さい。 ここクリック。