ツトムさん家の写真日記。

写真いっぱいの楽しい日記です。(全面表示でご覧下さい)

第384回 埼玉県春日部市 春日部羽子板市。

2008-12-27 15:00:00 | 旅行

2008 12 21(日)

埼玉県春日部市の東武鉄道春日部駅前で春日部羽子板市が開催されました。
85kmの道のりを高速道を使わず、車を飛ばして前橋市から約2時間。
正午に東武春日部駅近くのコンビニでP場確保し、駅なで散策しながら駅東口へ・・・。

東武鉄道春日部駅東口の前には幾つものテントが張られ「羽子板市」の赤い幟旗が立ち、大勢の羽子板客やヒヤカシ客で賑わっていました。
 
羽子板屋の相向かいには無料の茶店もあります。(お茶や海苔の格安販売中。)

羽子板屋さんのお店の内には所狭しと羽子板が・・・。(板に絵を描くのではなく、立体的な人形などを飾付けるのを押絵羽子板と言います。)
 
カラフルな羽子板を説明するのは日本美人風なお嬢さん。(多くの押絵羽子板がラップされ、光って写りました。)

遠慮しながら店内の押絵羽子板を撮影しました。

相対的には歌舞伎の役者ものが多かったです。
中央は白獅子、左は舞姿(45000円)、右が藤むすめ、などなど・・。

節句の雛人形と同じで、羽子板も顔が命とか・・・。
満開のと紅白の幕に艶やかな姿で見返るのは“道成寺”です。
 
男衆ものでは三番叟に火消しのめ組、右には歌舞伎の(しばらく)。

大型の押絵羽子板は迫力充分で見応えがあります。

左は弁慶、中央が揚巻と助六の二人立て、右は華麗な連獅子ですね。

流行りものの羽子板もありました。
今をときめくプロゴルファー・石川 遼選手。大金を稼いでニッコリと微笑んだアドレスの姿!
  
中央はNTVでお馴染みの“笑 点”の皆さん。似顔絵がお笑いの雰囲気を醸しています。
左はアニメ「らきすた」の柊姉妹でしょうか・・・。
これらの今もの羽子板は「世相羽子板」と呼ばれています。

下は安宅関で対決する富樫弁慶の名場面!! 歌舞伎の名場面ものって素晴しい!
 
羽子板市では“浅草羽子板市”がつとに有名ですが、浅草羽子板市に出ている羽子板の約70パーセントがここ春日部からの品だとか・・・。

春日部の羽子板は戦災で浅草一帯が瓦礫と化し、戦中戦後に羽子板職人達が良質な桐材が手に入る春日部に移住したのが始まりと言います。
春日部市には羽子板だけでなく、見事な桐箪笥桐箱などの桐製品も作られています。

手軽に見物できる春日部羽子板市の2008年の開催は12月21日~23日まで。
春日部駅東口前で便利ですので皆さんも羽子板を見に行って下さい。

春日部羽子板のHPは ⇒ ここクリック。

2008 12 27(土)  前橋市  最高気温8℃。

スキー場でドッキリ!!動画。
http://www.metacafe.com/watch/162964/insane_japanese_pranks/


第383回 クリスマスツリーあれこれ。

2008-12-23 18:18:18 | 写真・旅行・日記・コラム

2008 12 23(火)

少し早めの“メリークリスマス”!!

日本にも床下からが育って屋根を突き破る話はありますが、イギリスではクリスマスツリーが屋根の上まで伸びたそうです。
 
なるほど、一階の部屋の中から二階へ、そして屋上の上まで・・・。
以前から生えていたを囲むように家を建築したのでしょうか?

イギリスのグレイグ夫妻の邸宅での不思議な出来事。
 
上左は一階の光景。右は二階の部屋でモミ木にデコレーションが飾られています。
さぞかし自然を大切にしているお宅なのでしょうね・・・!? 
でも、普段の生活には邪魔そうだし、木が更に大きくなったらと・・・心配してしまいます。

実はネタをばらせば木を三つに切って各部屋と屋上に据え付けたそうです。
貴方のお家でも豪快に飾っては如何でしょうか・・・。

こんな格安なクリスマスツリーもあります。
 

ノンビリと空を飛んでいられませんね、サンタさんも大空で航空事故に遭ったようですね。
 
たまにはこんな出会いも・・・。

いろんなサンタさんもいますからご注意ニャ~・・・。
 



パックマンのクリスマスツリー。
Arbol Navidad "Comecocos" Pac Man Xmas tree Madrid


CELINE DIONが美しく歌うクリスマスソング。
CELINE DION - SO THIS IS CHRISMAS


電子レンジの「チーン」を使ってジングルベルを奏でます。
Happy Christmas from AKQA


2008 12 23(火)  前橋市  最高気温8℃


第382回 栃木県栃木市 とちぎ秋祭り 山車巡行。

2008-12-20 18:12:42 | 旅行

2008 11 15(土)

蔵の街”栃木市の中央部を流れる清流・巴波川(うずまがわ)の舟遊覧と白壁土蔵などの見物を終えてから商店街のある大通りに向かいます。

近代的ビルに混じって土蔵が立並ぶ大通りには栃木市が誇る豪華な山車が並び始めていました。

山車巡行に合わせて大勢の祭り見物客が大通りに繰り出してきました。
後方の丸福の大看板は栃木に拠点を置く福田屋百貨店。

蔵造りの商店の前に大きな獅子頭が・・・雄獅子(右)と雌獅子(左)の一対です。大き過ぎて獅子舞に使えませんね?(倭町一丁目所蔵)
 
小腹が空いたのでお祭り広場(栃っ子広場)で栃木市名物の“ジャガイモ入り焼きそば”(350円)を頂きました。
蒸したジャガイモに焼きそばソースがしみ込み、麺との絶妙なコラボレーション!

炭水化物ばかりの食事でお腹も膨れ、栃木市の名産品など物色してから再び大通りへ・・・。
  
上部に神武天皇などの伝説上の人物を載せた豪華な江戸型山車が連なって来ました。(倭町二丁目)

上部の人形は全て江戸城の大御門と冠木門を通れるように上げ下げ出来るカラクリ仕掛に作られています。

静御前の美しい舞姿の人形は珍しく、特に人目を引いていました。(倭町三丁目)
この静御前山車が一番古くて江戸時代の嘉永元年(1848年)に造られました。

鉄杖を持った可愛い手古舞さんが豪華山車の先導を務めます。

女性が加わると一層華やかな祭りになりますね。

動画をご覧下さい。
とちぎ秋祭り 2. 2008年 DSCN3143


蔵の街観光案内所がある見世蔵(店蔵)の前では江戸山車が集まってお囃子の競演「ぶっつけ」が行われていました。

にぎやかなお囃子の音色で“とちぎ秋祭り”は次第に盛り上がってきました。
土蔵造りの街並に豪華な山車が映えて江戸祭りの粋を感じさせます。

栃木市大通りには次から次に山車の巡行が行われています。
 
祭り装束の皆さんが楽しそうに引綱を曳いているのは万町一丁目の天照大神山車。


日本一の桃太郎」山車(室町所蔵)ではお揃いの記念撮影です。
 
桃太郎山車の下にはやはり悪役の“赤鬼”ですね。
その後、室町の桃太郎山車では「きび団子」が見物人に振舞われました。

年少の手古舞さんたちもとちぎ秋祭り盛り立てるため頑張っていました。
 
抜刀して怖い顔はスサノウノミコト(万町三丁目)ですね。ヒッピーとホームレスみたいな髪型!

カラフルな扇をかざして上手に舞うのは地元商店街のオバサマ有志??
 
珍しい山車が現れました。 諫鼓鶏(かんこどり・泉町所蔵・明治7年製)と云うらしいです。
大太鼓の上の乗った大ニワトリ! 
諫鼓鶏はなんでも昔の中国故事にある良い政治が行われ天下泰平の象徴らしいです。⇒ ここクリック。

中国ものでは大きな長柄青竜刀を携えた関羽雲長(右・万町二丁目)や劉備・張飛など三国志登場人物の人形山車も出ていました。
これら三国志山車の完成が日清戦争の勃発時だったので、その後百年間お蔵入りの憂き目にあい、2001年から山車巡行に復活参加したそうです。

左の山車は天照大神。日中友好のお祭りのようです。

山車廻しの動画もご覧下さい。

とちぎ秋祭り 1. DSCN3187


どの山車にも豪華な刺繍水引幕(下段の幕は見送り幕)が飾られて見応えのある山車の巡行です。
華麗な江戸型山車が蔵の街を巡行する様は商業で栄えた往時の栃木を偲ばせていました。

栃木市の山車の歴史は1874年(明治7年)に栃木市にあった県庁構内で開催された“神武式祭典”から始まりました。
初めは東京や宇都宮などから山車を買い集めて祭りを行ったのがきっかけとなり、大工や人形師を呼び寄せて山車を製作して台数を増やし現在は十数台の豪華な山車を誇っています。

帰り際に車を駐車したそばに立つ年代ものの建物を見物。
下を流れるのは県庁堀ですから明治初期にはこの付近に栃木県庁が建っていたのでしょう。
 
木造の確りとした建築物。説明板には「栃木町役場庁舎」と記されています。
大正10年に完成した庁舎。 栃木市は戦災に遭わなかったのが幸いしたのですね。
この様なノスタルジックな建物を見ていると何故か気持ちが安らぎます。

絢爛豪華な栃木市の「山車まつり」(とちぎ秋祭り)は見物する価値のあるお奨めのお祭りです。 とちぎ秋祭りの詳細は ⇒ ここクリック。

これまでは5年に一回の開催でしたが、一昨年から隔年に行われる様になりましたので開催年を確認して下さい。(次回は2010年予定)

2008 12 20(土)  前橋市 無風。 最高気温13℃


第381回 栃木県栃木市 とちぎ秋祭り  蔵の街と巴波川。

2008-12-16 19:35:35 | 旅行

2008 11 15(土)

お隣の栃木県は栃木市の“とちぎ秋祭り”の見物。

前橋市から北関東自動車道を利用して一時間半で目的地の栃木市へ・・・。
市街地中心部にある“旧栃木町役場”の近くに路上駐車です。

とちぎ秋祭り”開催大通りまでの途中に水の澄んだ広いが流れていました。
その川岸で美しいお嬢様が記念撮影中でした。今日は11月15日の七五三の日ですが七歳にしては少々お歳が上そうですからお見合写真でしょうか?
 
川の対岸に大谷石をふんだんに使った旧横山家が建っています。(横山郷土館)
明治期に建てられた両袖切妻造りの珍しい建物、右半分で麻問屋、左半分は銀行業に使われました。
清流の名前は巴波川。トモハガワと読みそうですが、地元の人に聞いたら「うずまがわ」と教えてくれました。

巴波川に沿って江戸・明治期の建物が並んで見事な景観を呈しています。

巴波川小舟が浮かべられ、数人が並んで順番待ちの様子。
急いで小舟に行ってみます。

川端の幟旗には「蔵の街 遊覧舟運行中」の文字。
早速、遊覧舟に乗船しました。(祭期間中は料金500円 普段は300円)
 
川底が浅いので遊覧舟は平底船です。一艘に8名の舟客を乗せ下流へ向けて竿がさされます。
ほとんど揺れも無く、船頭さんの語る名調子「巴波川伝説」などの案内を聴きながらの舟遊び。

分ほどで下流の分水地に着いて折り返しになり上流へ・・・。
 
遊覧舟の乗客はほとんどがお祭り見物に来た観光客ですね、舟遊びを楽しんでいました。
往復10分の舟遊覧でしたが、500円は少し高いと感じながらの下船です。

巴波川遊覧舟乗り場の横に建つ蔵造りの「塚田歴史伝説館」に入ってみました。(国の有形文化財・入館料700円)
塚田家は江戸時代後期から材木を巴波川から利根川経由で江戸深川の木場へ運ぶ木材回漕問屋を営んで財をなしたそうです。
4000平方メートルの敷地に八棟の白壁土蔵が立並んだ豪商屋敷。
 
江戸時代からの古い建屋の中ではハイテクが駆使されて見る人を驚かせています。
三味線を爪弾きながら話をする婆さまや動くはまるで生きているようです。

塚田歴史伝説館の奥の土蔵では「巴波川悲話」(度重なる氾濫を鎮める人柱伝説)の人形劇があります。
こちらもリアルな全自動ハイテク人形が登場です。
 
人柱となった娘の霊魂がになって昇天しました。土蔵の天井を龍が泳ぎ廻ります。

別の白壁土蔵には塚田家が蒐集したお宝の展示コーナー。
現在はご禁制の象牙で作られた工芸品や古陶磁器なども眼を引いていました。
 
玉製品の上の半被(はっぴ)は材木問屋の荷運びに使われたものです。
この他にも「からくり人形山車」や「古今東西の銘木」「水琴窟」などもあり、面白くて勉強になる塚田歴史伝説館でした。

とちぎ秋祭り”が開催される「蔵の街大通り」を散策してみました。
この大通りは江戸時代に京都朝廷の勅使が日光東照宮へ毎年参向する道中となり、例幣使街道の栃木宿と呼ばれるようになりました。

蔵の街で町興しをしているだけの事はあります、大通り沿いに古びた土蔵造りの商店が立並んでいました。
 
江戸時代の建物と共に明治大正時代の建築物までも・・・。
それぞれの建物は今でも現役で商店(ひな人形店やまとや)として使用されています。
 
昔し荒物問屋を営んでいた黒壁見世蔵(店蔵)は“蔵の街観光館”に代わって、観光案内とお土産店として活躍中です。

三つの見事な黒壁土蔵は今から200年前に建てられたそうです。
現在は栃木市ゆかりの作家の作品を展示する「とちぎ蔵の街美術館」に変身。
 
蔵の街美術館のそばに建つのは白壁土蔵の丸三家具屋。
昔は塩蔵と米蔵だったそうです。内部の見学は自由。構造梁の重厚さに驚かされます。

蔵の街・栃木市(宿場)は日光街道例幣使街道の陸運と巴波川の水運による江戸との交易で大発展したそうです。明治初期には栃木市に栃木県庁が置かれる程の隆盛だったとか・・・。

横山郷土館を対岸に見る喫茶店で一休み。 


この後は“とちぎ秋祭り”の豪華な山車巡幸を見物に・・・。。

2008 12 16(火)  前橋市  最高気温12℃

定規機能付きコンドーム(いち物に自信がある方用)。




興味ある方・測ってみたい方は ⇒ ここクリック。


第380回 群馬県高崎市 かみつけの里はにわ祭 下。

2008-12-12 12:12:12 | 旅行

2008 11 08(土)

上毛野(かみつけ)にある古墳群の一つ、二子山古墳の後円部から古代人達の登場で「かみつけの里はにわ祭」の開始です。
 
赤い大きな盾を携えた武人を先頭に古代装束を纏った古代人たちが二子山古墳を下ってきました。

古代の武人の顔には赤と黒の刺青(いれずみ)が・・・。
 
権力者であるの登場! 唐傘が場違いな感じですが・・・?

かみつけの里博物館西側の“お祭り広場”で王の儀式の第一部「王の館の祭り」が午後1時から始まりました。

中央に豪族の。 左に巫女。 右に神官・渡来人たち。 後方には力士(ちからひと)と武人。(王の赤い傘の後方は荒船山、右手には妙義山)

御神水を汲んで執り行われた「水取りの儀」。
 
御神水に捧げられ、まずは心身を清めます。

農耕儀礼」では土地を鎮めるために力士による「すもうの儀」が行われます。
最初に四股を踏んで田畑の荒ぶれる悪霊を鎮め、豊な実りを祈願。




すもう(すまい・相撲)の取口は現代と同じ、本当は衣装は着ずにマワシだけ。

その後で、古代農耕の様子が見られました。
金属は貴重だったので木製の(すき)と(くわ)で巧みに耕してゆきます。

 
秋になって刈入れのの模様の再現。 刈取った古代米のもとへ・・・。

古代装束で稲束を持って秋の収穫を祝う「田の舞」の儀。


昔も今も収穫の喜びは変わりません、 新嘗祭(にいなめさい・勤労感謝の日)の元形ですね。

次に行われたのは「猪狩りの儀」。女性の射手が弓矢で藁(ワラ)で作ったを射狩ります。(今回は弓が折れて失敗でした。)
 
田の舞」や「祝言(のりとごと)の儀」・「猪狩りの儀」など行われてから「太刀合わせの儀」です。
顔に赤黒の刺青を施した武人が太刀で戦います。敗れた方は太刀を折って敗北を認めるのでした。

献上儀礼」では渡来人による絹の献上ヤマトの使者のよる銅鏡の下賜などの儀式が演じられていました。
 
を高々と掲げ権威を誇示する。古代儀式の再現劇は見る人を遥か古代へと誘いました。

王を初めとする古代人たちは第二部が行われる八幡塚古墳へ・・・。

かみつけの里はにわ祭の第二部は「古墳でのマツリ」です。

再現なった八幡塚古墳の登り、整列してから王の儀式の再開です。

八幡塚古墳前方部たちの主役が陣を占めます。

最初に八幡塚古墳後方に位置する上毛三山の一つ、榛名山に向かって祈りを捧げる「榛名の神(イカホの神)への祈り」。
 
続いては「祖霊への祈り」と「民ビトへの祝言(のりとごと)」を高らかに述べます。

寒い曇り空の下、「はにわ祭・王の儀式」を滞りなく終了し、来た時と同様に武人先頭に帰着しましす。


古代豪族の生活模様が垣間見られ、ロマンに満ちて面白く勉強になる「かみつけの里はにわ祭」でした。(終了時3時30分 ボランティアスタッフの皆さんご苦労様!)

はにわ祭王の儀式」の後では近所のハーモニカ愛好会のハーモニカ演奏です。


榛名山と八幡塚古墳をバックに日頃の練習の成果を発表!
アンコールの応えていつまでも懐かしい曲を八幡塚古墳に響かせていました。

2008 12 12(金)  前橋市  最高気温15℃

ロシアのちょっとなウオッカCM ⇒ ここクリック。 (画面中央下のTVマークで16:9に切り替えてご覧下さい)


第379回 群馬県高崎市 かみつけの里はにわ祭 中。

2008-12-09 20:19:30 | 旅行

2008 11 08(土)

はにわ祭”開始までにはまだ時間があったので「かみつけの里博物館」を見学してから周辺にある古墳を見に行きました。

博物館を取り囲むように沢山の埴輪があります。 手前は盾を持った武人埴輪
博物館裏の窯で焼いて造っているそうです。
 
また、古代人住居も復元していました。 竪穴式住居でしょうか?

博物館の西隣には二子山古墳(ふたごやま)があります。
二子山古墳の左手前の白い台状地は古墳を取囲んだ堀の設えた中島です。

この二子山古墳の周囲一面はコスモス畑で、毎年開花時期には大勢の人達で賑わう所です。

キレイに整備された二子山古墳に上って後円部から見た前方部。
中央の遠くに妙義山、右手に浅間山と西上州の名山が遠望できました。


下の写真は三年前の05年10月23日(日)に二子山古墳調査発掘の公開があった時のものですが、発掘のためコスモス畑は荒されて殆ど見られませんでした。
 
後円部から見た前方部で、樹木が伐採されましたが、景色は変わりません。
整備された前方部と比較するとビフォーアフターで面白いです。

下は年前の二子山古墳発掘調査の公開の時の写真です。
後円部頂上に露出した舟形石棺。考古学に興味がある方々が大勢見学に来ていました。
 
重い石棺を運んだ時の取っ手のような突起部も見えています。
5~6世紀頃に造られた古墳です。

二子山古墳下の堀の跡も調査発掘が行われていました。
十字形に大きく穴を掘り抜いています。
 
係員が古代の古墳造成の様子をを詳しく説明していました。

調査用のテントには数多くの出土品が展示され、見学者は一列になって順番に見ています。
 
堀の中の中島からの出土品。 土器の一部破片でした。

年前から戻って、次は「かみつけの里博物館」の北隣にある“八幡塚古墳”(はちまんずか)の見学に行きました。
この一帯は保渡田古墳群と云って埼玉県行田市の“さきたま古墳群”と同じ様に沢山の古墳が点在している地区です。

二重の堀で囲まれた中に全長190m 全幅148m 高さ8mの前方後円墳の八幡塚古墳があります。
普段見る草に覆われ崩れかけた古墳と違って、建設当時の様子を再現しています。

墳丘部の長さ96m八幡塚古墳の三段壁面は全て“葺石”(ふきいし)に覆われ、風雨で崩れないような造りです。

前方後円墳の特徴が良く見て取れますね。 
左側が前方部。 右の小高い所が後円部。 右手前で堀にあるのが中島。(中島は後円部を囲むように個あり、祭典用の島らしい。)

二段目からみた八幡塚古墳の上部。

葺石が見事に揃って壮観な光景です。往時の王の権力を物語っています。

後円部頂上から見た前方部。王の儀式が行われた舞台ですね。

下は中間の鞍部から見た後円部。 全てにわたって埴輪が立並んでいます。 


後円部頂上から円墳内部へ下りることが出来ます。
内部には舟形石棺などが発掘当時のまま保存され古墳の様子が勉強できます。
舟形石棺の長さは3.2m 幅1.5mで国内の石棺としては最大級のもの。
内部は魔除の色である朱塗りが施されていました。
 
石棺の上蓋。 二子山古墳の石棺と同様に縄掛突起が付いています。運ぶときに綱を結んだのでしょう。
この舟形石棺は軽質凝灰岩で造られ、ここから7Km西方の石切り場から運ばれたそうです。

後円部の中で石棺などの見学を終えて、八幡塚古墳の外周部の見物。

堀のまわりを囲む堤にも沢山の埴輪が並べられていました。

作りたての素朴な素焼の埴輪は表情豊でほのぼのとしています。
 
内堤の上にも力士埴輪。右腕を挙げて土俵入りでしょうか、雲竜形?不知火形?
置かれている埴輪には馬・鳥・家・武人・・・など埴輪には何時までも見飽きない不思議な魅力がありますね・・・。

次回は「かみつけの里はにわ祭」の“王の儀式”篇。

2008 12 09(火)  前橋市  最高気温14℃

エレベーターでの出来事、 女性は強し!!
Elevator Predator Owned By School Girl


Elevator fight


第378回 群馬県高崎市 かみつけの里はにわ祭 上。

2008-12-05 18:11:11 | 旅行

2008 11 08(土)

前橋市に隣接する高崎市井出町にある「かみつけの里博物館」で弥生時代の“王の儀式祭”が開催されました。

天候は生憎曇り空ですが近いので古代の祭見物に出発。
お祭り開始時間よりかなり早く到着。祭が始まるまでは「かみつけの里博物館」へ・・・。

上毛野はにわ公園」(上毛野=かみつけの)の中に博物館が建っています。
 
かみつけの里博物館正面入口で皆さん何やらお仕事中なので、失礼して拝見させて頂きました。

子供達が粘土を捏ねて土器の製作中でした。土器係りの先生も手をとって親切に指導していました。
 
大人は大型の土器?埴輪?造りに夢中です。

埴輪の製作見本が飾られていましたが、素人には容易くは出来ませんね。


土器・埴輪造りの横では勾玉を作っていました。
一応、勾玉の作り方見本が展示されています。
 
平たい矩形の石を糸ノコギリと金属ヤスリで勾玉の形を作ってゆきます。

荒削りに完成、これをキメの細かい紙ヤスリで仕上げます。
 
磨き上げるとご覧のような美しい勾玉になりました。
この勾玉を首に飾れば貴方も卑弥呼に変身ですね・・・?

かみつけの里博物館」の中では埴輪特別展「力士の考古学」の開催中(11月9日まで)。
力士(ちからひと)は古代に大陸から伝わった現在のお相撲さんのルーツです。
  
右腕を斜め上伸ばした土俵入り姿や褌姿(まわし姿)は今も古代も変わりませんが、良く見ると古代の力士の足には鋭い三角錐状のトゲが・・・。

力士の足甲のトゲ状突起物は武器だそうです、これで蹴られたら相当に堪えますよ。 古代相撲にはキック技もあったんですね。
 
古代も今も変わらないTバックの褌(マワシ)の力士埴輪の珍しい破片。

壁面には力士の面が飾られています。見ていると怖さよりも微笑ましいものがありました。

力士(ちからひと)は紅い顔料を顔に塗って、相手を威圧する凄みを出していたようです。
かみつけの里博物館」にはこの他にも井出・保渡田・三ッ寺地区からの出土した常設展示品が多数あり、古墳時代の古代史を勉強するには最適の博物館です。

かみつけの里博物館の横では古代米を木の臼でついた御餅を来場者に配布中。
  
甘いアンコ餅とカラミ餅の二つ味が楽しめます。
また、古代赤米のサンプリングもあり古代を偲ぶ嬉しい一日となりました。

次回は「かみつけの里はにわ祭」の“二子山古墳と八幡塚古墳”編。

2008 12 05(金)   前橋市  最高気温13℃


第377回 錯覚の世界。

2008-12-03 14:21:21 | Weblog
2008 12 03(水)

今日は面白い錯覚の画像を紹介します。

下の写真はご存知のイタリアにあるピサの斜塔です。

じっとご覧下さい・・・。  
左の塔()より右の塔(R)の方の傾斜角が大きく見えますね。
当然です、左右の写真は別の角度で撮影した写真なのですから・・・!?


でも、右のR塔をコピペで左のL塔に移動させると下の画像になりました。

画像には全く手を加えていません。 
同じRだけの画像でもやはり塔の傾斜が異なって見えてしまいます。
L塔を右のR塔に移動させても同様の結果でした。

右傾斜だけではありません。左右を反転させたのが下の画像です。

やはり、異なる傾斜角の塔の写真に見えてしまいます。
眼の錯覚とは面白いものですね、疑問をお持ちの方は画像を取り込んで左右の写真を並べ替えてみては如何でしょうか・・・。

下の模様の中心部をじぃ~と見詰てください。
周りの輪が動いて(回転)しているように見えませんか?。

これも眼の錯覚で「錯視」というそうです。上の錯覚は“エニグマ錯視”と呼ばれています。(本当は脳の錯覚なのかも・・・。)

いろいろ面白い眼の錯覚は ⇒ ここのページから

これ以下は錯覚の世界ではありません、真実の世界です。


女性のスカートは短いほうが良い理由の動画。 http://www.metacafe.com/fplayer/736696/watch_ur_wife.swf

2008 12 03(水)   前橋市  最高気温18℃