世の中にはイロンナ自転車があるけど、このTreadmill Bikeって自転車?は面白いね~。
家の片隅にホコリかぶって転がってるルームランナーを利用したんだ。
ルームランナーの上のベルトを駆けると車輪が廻って自転車のように走るだね。
ゴムベルトの後部と後輪のタイヤが接触して廻す単純な作りに見えるよ。
誰でも考案出来そうなアイデアだけど、実際に作った会社かあるんだね。
カナダの the Bicycle Forest社 が作ってレンタルしてるんだ。
ルームランナー自転車は Treadmill Bike(トレッドミル バイク) って名前だよ。
販売価格は2500カナダ$だってから、約25万円だ。高いからレンタルしてるんだ・・・。
上記のサイトをクリックして、開いたページの下部の take it off some sweet jumps をクリックすると動画が見られるね。 コケル場面が面白いよ。
ナンデモ 普通の自転車の2倍以上のエネルギーを使わないとマトモニ走らないって。坂道の登りは死ぬほど辛いんだろうね。
忘年会や新年会で皮下脂肪の増えたアナタにはピッタリの自転車だよ。
通勤に使えば省エネにもダイエットにもなってBESTだ。
でも、まだ日本では発売もレンタルの予定もないんだって。
どうしても走って乗ってみたいって人はカナダかアメリカに行ってね、コケて怪我しても私ゃ知らないよ。
横に2台連結して、ペアで走ればルームランナーラブラブ自転車で楽しいよ。恋も漕いで始まるって・・っか。
日本の自転車メーカーもアイデアで勝負しないと負組みになっちゃうから・・・。
今日は簡単で楽でした・・・。
2005 12 29(木) 晴 寒さ厳し(最低気温マイナス4℃)
12月3日(土) 鬼石町の桜山公園の冬桜見物をしてから、ついでに足を伸ばして”秩父の夜祭り”を見に行くことにしたんだ。鬼石町から山道を車で走って約1時間で秩父市さ。
秩父に近づくと秩父盆地を威圧するように堂々たる武甲山が聳えて見えてきた。
武甲山の最新標高は1304mだけど本来は1336mあったそうだね。
山塊が石灰岩なので明治時代からセメント材料として掘削され山頂が32m低くなったそうだよ。10年以前までに確か”秩父セメント”って会社があったから多分その会社が削ったんだね。(現在の社名「太平洋セメント」)
秩父の街中の駐車場は何処も満車、市の用意した500円の臨時P場も満車!!
どうしようかと思い悩んだけど、運良く秩父駅から1km程にあったスーパーの駐車場を無料でGET!
タダでは申し訳ないんで、夜用の飲・食料を仕入れてから”夜祭り”にGOだ。
真昼間だけど秩父駅前には夜祭りで神幸(じんこう)する豪華な屋台が飾ってあったね。
これは秩父夜祭りの屋台6台の一つ”宮地屋台”なんだ。
極彩色の屋台彫刻が見事で、みんな惚れ惚れと見とれてたね。
”秩父夜祭り”は日本三大曳山祭の一つで国の重要有形民俗文化財に指定されてるよ。(三大曳山祭 京都祇園祭・飛騨高山祭・秩父夜祭)
秩父地方の総鎮守・秩父神社の例大祭で毎年12月2・3日に行われる。
絹製品の集散地だったこの地の絹取引を締めくくる行事として、秩父夜祭りは江戸時代から300年以上の伝統があるんだ。
この祭りは秩父神社に祭られている妙見菩薩と武甲山に住んでいるという龍神が秩父のお花畑で年に一回デートするという、七夕様みたいなロマンチックな話からきている。
秩父駅前で秩父屋台囃子のイベントを見てから、近くにある”秩父神社”にお参りに行ったよ。
神社本殿の額には「知知夫神社」と書いてあったから、秩父の名は本来は知知夫と書いたんだね。
秩父神社本殿の彫刻も驚くほど立派なもんだったよ。
特に左甚五郎が彫った”つなぎの龍”と”子宝・子育ての虎”はこの神社の名物なんだ。
左甚五郎って日本中を旅って彫ってたんだ。フ~テンの虎さんの彫師版だね。
神社の境内ではお神楽と屋台のお披露目が見物できた。
大黒様や恵比寿様のおどけた神楽と金に黒漆の”下郷笠鉾”(右下は”本町屋台”)が夜祭りの準備をしてたね。
秩父市街を夜までの時間つぶしで散歩してたら、戦災に遭わなかった街だけに古い商家やお店が並んでて、さながら江戸時代にタイムスリップしたみたいだ。
日本蕎麦店”天狗屋”の看板は懐かしいよ、これって今では国宝級だ!
この”天狗屋”には絶対に嵐寛寿郎の鞍馬天狗がソバを食べてるよ・・「杉作、日本の夜明けが来るんだよ。」って角兵衛獅子の杉作に云いながらね。
また 白い漆喰作りの商家には成功の証の卯建(うだつ)が上がってたよ。
「俺のウダツは何時上がるんかね~」っと、ウダウダ云って街中を歩いたね。
卯建が上がらないんで、仕方ないから自分で火の用心しよ~っと。
暗くなるまでは街中に鎮座して飾ってある豪華彫り屋台を眺めて暇つぶしだ。
中町屋台を見てから街中の秩父・今宮神社や秩父霊場13番札所慈眼寺をまわって、
屋台神幸の終着地”御旅所”(おたびしょ)に行ってみたんだ。
秩父市役所脇の”御旅所”(普段は秩父公園)には周囲に夜店が賑やかで、
人出がピークに達してたよ、警察が迷子とスリにご用心って・・・ね。
夜の7時になったんで急いで人込みの秩父神社に戻って間も無く、
白装束の神主を先頭にお神輿が担がれてお出ましだ。
これから秩父夜祭りのクライマックスの”夜の神幸祭”だね。
秩父神社から”御旅所”までの1kmの華やかな夜の屋台行列さ。
押しくら饅頭状態の見物人を掻き分けて秩父神社正面に出たら、
運良く辻角の”ギリまわし”の場所だった。(屋台の方向転換)
人垣に押されながらも次々と来る秩父屋台を間近かに見ることが出来たね。
本町屋台と金箔うるし塗りの下郷笠鉾。
彫刻が一番豪華な中近笠鉾と宮地屋台。
中町屋台とその上部・極彩色の彫り物。
「ホーリャイ・ホーリャイ」と威勢の良い掛け声で囃す襦袢着(じゅばんぎ・名誉職の乗り子)の上町屋台と秩父夜祭り花火。
秩父夜祭りの屋台・笠鉾は動く東照宮陽明門って云われるだけあって絢爛豪華そのものでした。
夢中で夜祭り見物してたけど、見終わってからジ~ンと寒さが身に凍みたね。
夜の秩父駅前から駐車場までの帰り道で焚き火をしてたので助かったよ。
秩父の夜祭りは寒いってのは本当だね・・・。(でも、今年は無風で寒さもうちば。)
駐車場をお借りしたスーパーでお礼に地元野菜・果物を買ってから真直ぐに家路へ。
帰路の藤岡市のバイパスでまた貰い事故だよ・・・。
相手のHONDA車の車線急変更で前側面をこすられたんだ。
生れて初めての事故が一日に2回の貰い事故とは参ったね。
2回の事故とも相手の年齢が19歳ってのもナンカの縁かな~、不思議に思ったよ。
秩父神社への御賽銭が足りなかったんかもね~。
車が大アタリだったから宝くじでも大当たりするかな~って、はかない期待をしてるんだ。
早く帰って寝よ~っと、果報は寝て待てって云うからね・・・。
2005 12 23(金) 晴・寒さ厳しい(最低気温マイナス3.9℃) 裏日本豪雪
昨日 新潟停電
12月3日(土) Blog仲間が鬼石・桜山公園の冬桜(寒桜とは別)を勧めてたんで、早速 車に妻を乗っけて鬼石町へ行ってみたんだ。
家から50分で鬼石町、そこから桜山公園駐車場まで約10分かかったね。
途中の道路から見上げると桜山の頂上付近が桜花で薄紅色になっていた。
山のかなり上に駐車場があって、幸いにも冬桜に囲まれた第一駐車場にOK。
11時から頂上に向かって遊歩道を登り始めると、直ぐに大きな池を中心にした日本庭園(標高593m)に到着。神流川はず~と下に流れてるんだから、こんな高い場所に池を作るなんて、大変だろうね~。
池の水はどこから引いてるんだろうか不思議に思ったよ。
瀟洒な日本庭園から更に上に登ると、次第に冬桜が見えてきた。
鬼石町の冬桜は山桜と豆桜の雑種で「小葉桜」とか「十月桜」とも呼ばれるそうだ。
11月下旬から急に寒さが厳しくなったんで、桜はまだ7分咲きってところだね。
でも、紅葉や黄葉の中に薄紅の桜花って両方が観賞できて不思議な感じだよ。
ここ桜山公園には7000本の冬桜木が植えられて、冬と春の二回桜が楽しめるんだ。 国の名勝及び天然記念物にも指定されてるんだって。
桜山の頂上には一枚岩で出来た”桜山文和の板碑”が建ってて、歴史を感じさせられたね。
なんでも、南北朝時代(文和3年・1353年)の石板碑だって。上部に梵字で「ア」と云う意味の文字が大きく彫られてた。「ア」は大日如来を表現してるんだそうだ・・・。
歴史の勉強は省略して桜見物してたけど、薄曇の天気で寒さに震えてたら、山頂直下にあったんだね~ おでん屋が・・・!。
冬桜見物の人達もここで一服って、おでん食べながら日溜りで休んでたよ。
ぐつぐつ煮込んでたおでんを早速買ったんだ。
山の頂上でおでん6個300円ってのは有り難かったね!
アツアツのおでんにカラシをタップリ塗ってさ、温かくて美味かったよ。
七分咲きの冬桜も良いけど、おでん屋の近くの山茶花の花が満開だった。
淡いピンクの花びらを付けた大木の山茶花が見事だった。
鬼石町周辺は山地の割には温暖なんだね~・
約1時間ほど桜山を見物してから駐車場に戻ったんだ。
駐車場には特設のテント村があって、主に地元の農産物を大安売りしてたよ。
丁度 昼食どきなんで、テント村から”磯辺焼き”餅を買ってきたんだ。
蕗の佃煮が少々と大きなお餅とで100円とは嬉しかった。
簡単な昼食なら餅一個で充分だよ。 ダイエットにも・・・ってね。
桜山公園からルンルン気分で車を走らせて、鬼石町三波川地区のミカン売店に立寄ろうとしたら、ドカ~ンとショックが全身に響いたんだ。 はじめは何だか判らなかったけど、車を降りて初めて追突されたんだって理解できたよ。 相手の車は歩道の分離帯に乗り上げて亀の子状態!!
追突した軽自動車のドアがひしゃげてたんで、力任せに引張って開けてやったらね。
運転してた娘さん(19才)が手に通信中の携帯電話を持って呆然と出てきたんだ。
少し足の膝を打ったらしいけど、エアーバッグのお陰で体にダメージは無かったらしい。
事故処理の警察官に「ぶつかる迄全く判らなかった」って云ってたから、運転中に携帯を使ってて前を見てなかったんだろうね。 もしかしたら彼氏にメールでも打ってたんかも・・・。
ボディまで歪んだ軽自動車の壊れ方ではきっと廃車だろうね。 モッタイナイこと・・・。
痛い思いはするし、事故検分で時間はかかるし、大変な冬桜見物になったよ。
こっちの車は小破損で走りに問題は無いから、我慢してそのまま秩父の夜祭にGOだ!
2005 12 16(金) 晴れ・寒し
薄くなった記憶を辿りながらの復刻版です。
2005 11 23(水・勤労感謝日)
武田家菩提寺の恵林寺を見物した後、ツアーバスは近くの日本酒醸造会社・笹一酒造へ・・・。
笹一酒造では“笹一の志村ケン”と称するチョンマゲ頭のガイドさんが酒蔵や仕込み場などを面白おかしくご案内。
笹一酒造の酒蔵横に置かれていたのがギネス認定「世界一の大太鼓」。
直径4m」80cmもあるから大迫力だった。太鼓の名前は「世界平和太鼓」。
笹一酒造で日本酒の試飲などさせて貰い、ほろ酔い気分で向かったのが“勝沼ハーブ園”。
まだ一月もあるというのに園内は早々とクリスマスムードで飾り付けられて・・・。
とりあえず、勝沼ハーブ園の花でもご覧下さい。
季節がらシクラメンが綺麗でした・・・。
胡蝶蘭も豪華、園内は花の香りで満たされて・・・。
温室内にもいろいろな草花が咲いていました。
紫の大きな蕾はバナナの花でしょうか? 黄色の花名は不明です。
西洋のブルーベリーの彼方に大きな観世音菩薩像・・・少し違和感など感じられました。
お土産品売り場は観光客でごった返し、商売大繁盛でした。
山梨日帰りバスの旅はツアー最後に、山梨市の丘陵地にある笛吹川フルーツ公園の足湯に浸かりバス旅の疲れを癒します。
遥か彼方に夕陽に映える霊峰・富士山を拝み、湯で足を暖めながら帰路の安全を祈りました。
お土産付き格安バスツアーでしたから、下画像の品々が頂けました。
笹一酒造の清酒一合、小振りの鮭、カニ、アワビ。
気楽で格安なお土産付きバスツアー、次回も楽しみに出掛けます・・・。
2011 03 24(木)再記述。
11月23日(水) ころ柿の里の見物を終わっってブラブラ歩いてたら、直ぐ近くに高名な”恵林寺”があったんだ。
バスツアーの観光予定表には恵林寺が入ってなかったので、これ幸いと見に行ったよ。
”恵林寺”は武田信玄が武田家の菩提寺として大切に庇護したんだ。
正式には乾徳山・恵林寺で禅寺の名刹として超有名な寺だよ。
参道の途中の”四脚門”(通称 赤門)から入山したね。
武田家滅亡(1582年)の直後に恵林寺が織田信長に攻め込まれて全焼した時、
この四脚門は燃えずに残ったんで、今は重要文化財に指定されているんだね。
次にくぐったのは”三門”(山門)だけど、信長に反抗した”快川和尚”が弟子(100余名)と共にこの三門で焼き殺されたんだって。(直ぐ横には”快川和尚遺骨塚”)
その時の遺言(遺喝)が有名な「安禅不必須山水 滅却心頭火自涼」だね。
凄い坊さんだね、燃え盛る火炎の中で涼めるなんて。
でも、本人は名を残したから良いけど、道連れの弟子たちは可哀そうだね~。
恵林寺の殆どが戦火で焼失したのを徳川家康が再建したんだけれど、明治38年に失火で又全焼だ。明治の末期から昭和にかけての再々建で今の恵林寺があるんだって。
火に縁のある寺だね、火の用心を忘れずに!!
石畳の参道を行くと三重塔や開山堂が紅葉の木々の間に見えてきたね。
恵林寺の開山は”夢窓国師”なんだ。1330年の開山で末期の鎌倉幕府と後醍醐が争ってた時期だよ。1333年に鎌倉幕府は滅亡した。
拝観入口の有る恵林寺の庫裏を見た時には京都に瞬間ワープしたかと錯覚したね。
恵林寺の庫裏と京都五山筆頭の天龍寺の庫裏とがソックリ同じなんだ。
拝観入口まで同じ位置だから錯覚しても仕方がないって・・・。
寺の庫裏はこの形式が多いね。 仙台・伊達家の菩提寺・瑞巌寺にも・・・。
中に入って武田家の守り神”武田不動尊”や仏像なんかお参りしたよ。
面白かったのは”うぐいす張り廊下”だったね、キュコキュコよく鳴いてたっけ。
こんなに鳴く廊下は全国一だと思うね。敵の忍者侵入には完璧だ。
庫裏の裏側には”武田信玄の墓”とその近くに”柳沢吉保夫妻の墓”があった。
武田信玄のは解かるけど、なんで悪名高い”柳沢吉保の墓”があるんだろうね・・って。
帰って調べてみたら、徳川綱吉の寵愛を受け側用人から大老に出世し、川越7万石から甲府15万石の藩主になったんだ。
甲府藩主時代では藩財政を豊にし人々を助け、又、奥様にも大切に尽くしたんだそうだね。
それで山梨では武田信玄に次いで人気の有る人物だから、
山梨一番の”恵林寺”に葬ったんだ。 ワイロと将軍篭絡の悪名とは大分違うんだって。
愛知県の吉良上野介みたいに地元では善人・神様として祭られるんだね。
更に奥に進むと、夢窓国師が築園した”心字庭”が見えてきた。
小さいけど紅葉の楓が池に映えて見事な庭園だったね。
たしか京都・天龍寺の庭園も”夢窓国師”作だったから庫裏と云い共通点が多いね。
netで調べたら恵林寺(妙心寺派)も天龍寺(天竜寺派)も瑞巌寺(妙心寺派)も同じ臨済宗なんだ。 やっと納得したね・・・。
庫裏の大広間には信玄の戦陣場面の絵(川中島の対兼信戦)や武田軍の「風林火山」の幟旗(のぼりばた)が飾ってあって、戦国・信玄時代のドラマっぽい雰囲気が感じられたよ。
出口には大きな鉄の湯釜が三つあったけど、茶の湯のサービスは無かったね。
でも、想定外の”恵林寺”まで参詣できて大満足だったよ。
格安バスツアーに参加してホントに良かったと思うね。
次は”ハーブ園”に”笹一酒造”と”フラワー園の足湯”だって・・・。
2005 12 08(木) 晴れ
11月23日(水) 武田神社の参拝観光が終わってから、時間調整で途中の漬物屋の寄ったけど、
お奨め品はキムチだって。 なんで山梨でキムチなんかね~。キムチ悪い・・よ。
軽く試食だけでサヨナラだよ。
11時頃にやっと昼飯の”信玄館(やかた)”に到着。
正面に”武田信玄”の像がドデ~ンとおわしましたよ。
この信玄像は何処かで見た事あると思ったら、甲府駅前の信玄像とウリふたつ!
マッ・・・いいか。 信玄って云えばこの川中島ポーズで決まりだもんね。
ご丁寧に信玄像横には”信玄公・腰掛け石”ってのが有ったね。
石の上部が平らで如何にもって感じだけど、説明の立て札の最後に(伝)と書いてあったから真実は信玄公の尻しか知らないってわけ・・・。
”信玄館”の昼食は格安バスツアーの割りには豪華だったよ。
甲州名物ほうとう鍋に牛のシャブシャブとキノコのちまき。
グツグツと美味しく煮といたから眼で良く噛んで食べてね。
それにしても、”信玄館”って団体客専門みたいだね、
500人は入れる食堂だから、食事の世話するオバサンは小走りだ。
まるで戦場みたいな雰囲気だよ、ここは武田軍の陣食堂かよ!
「早飯、早グ○」でさっさと胃袋の収めたら、武田武士の甲冑がある階下のお土産コーナーへ・・ってワケ。
土産品ながめて、次は近くの農家で作ってる”ころ柿”(枯露柿)見学だ。
このあたりは”ころ柿の里”って云われる程ころ柿を皆で生産してるんだって。
ころ柿農家はなん軒もあるけど、一番近くの”岩波農園”にお邪魔したんだ。
実に見事なもんだね~。 母屋から庭まで全部”ころ柿”でいっぱい!!
商売とは云えたいしたもんだ、まるで柿のスダレかカーテンか・・・。
”ころ柿”は渋柿の甲州百目柿の皮を剥いて、熱湯で約10秒殺菌してから吊るし干しにするんだ。
最後に平らな場所で平たく干して(平干し)アメ色になって、白い粉が表面に出たら完成だって。
白い粉が出ない前の柿は”あんぽ柿”と呼ぶそうだよ。
”あんぽ柿”って、なんか日米軍事同盟の安保みたいな味かね~。
カロリーとビタミン豊富で日持ちして携帯便利なんで、
武田軍団も”ころ柿”を戦場用保存食として生産を奨励したんだって。
”ころ柿”の名前は柿が良く満遍なく日光に当るように平らな上でコロコロと向きを変えたからって説明なんだ。 コロコロ変わる政治屋の信念より”ころ柿”の方が立派なだね。
「ころ柿や 白粉(おしろい)つけて 嫁にやり」 (ツトム句)
2005 12 4(日) 曇り、後ち雨(久し振りの雨!・・もっと降れ。)
11月23日(水)は勤労感謝の日なんで、女房の日頃の苦労に報いようってんでね。
前から申し込んでた、日帰りバスツアーで山梨に旅することにしたんだ。
クラブツーリズム会社の企画もので、格安(5980円)で豪華昼食付きで、
富士山見ながらの足湯と更に12種類のおみやげ付きだって。 驚きの安さだね~。
途中で饅頭や葡萄ゼリーやハーブ石鹸・酒・ワインなどのサービスがあるけど、
このバスツアーのメインのお土産は新巻鮭とズワイ蟹と鮑なんだよ。
どんな土産が貰えるのか期待に胸ワクワクさせて早朝(6:50)出発のバス(群馬バス)に乗ったんだ。
途中の秩父市では”道の駅ちちぶ”の名水「ちちぶの水」で喉を潤してね。
バスに揺られて紅葉で色着いた秩父・甲州街道を上って行くと、
荒川上流の大滝村の山奥に巨大な滝沢ダムが聳えてた。
滝沢ダムも凄かったけど、走った道路はループ状に曲りながら上がって行く超近代的な橋なんだ。
途中で地震なんかが来たら100m下の谷底へ落下・・・って、ぞ~っと怖くなったよ。
次第に勾配がきつくなる国道140号を、一路埼玉から雁坂トンネルを通って山梨県へ急いだね。
県境を越えて山梨県の西沢渓谷を過ぎた雁坂の土産店で”雁坂くるみ饅頭”を食べ、
出発から3時間程で第一の見物地の”武田神社”に到着したんた。
バスを降りたら武田信玄で有名な「風林火山」のノボリ旗に出迎えられたよ。
階段を上がり石の鳥居をくぐると武田神社の広い境内になった。
この武田神社の土地は元は”躑躅ヶ崎”(ツツジがさき)と云って、
武田三代(信虎・晴信・勝頼)の居城だった場所なんだ。
だから外周には小さな掘割が水を湛えて、低いけど石垣が組んであったね。
でも武田家は本格的な城は作らずに”人は石垣、人は城、情けは味方、仇は敵”って言われるように、人間を大切に国の経営にあたったから、ここは城と云うより館(やかた)程度だったんだ。
武田信玄はさすが立派なもんだね、 物に頼らず人を第一とするってのは!
除名処分や刺客で権力を弄んで、独裁ぶってるパフォーマンス改革の首相よりず~っとエライって・・・。
話は違うけど「物より想い出!」ってCMもあるけど・・ね
武田神社の本殿で拍手(かしわで)うって「世界の平和」と「地震が来ないように」って祈ったよ。
武田神社本殿は荘厳の内にも明るさがあって心地よい神社だよ。(天気もだから。)
神社正面の両脇に武田家紋の武田菱を描いた大盃があったね。
この盃は何升の酒が入るんかね。この大盃で浴びるほど呑んでみたいよ~。
近くに戦国時代からの”武田の井戸”ってのがあったけど、水は白濁してたから全く使ってないんだろうね。
また西に歩くと、癒しの音色の”水琴窟”や武田の”姫の井戸”(武田家の姫の産湯に使用説)と云うのもあったけど、
”姫の井戸”は龍口から清水がチョロチョロと流れてたから、井戸からモーターで汲み上げてるんだろうね。水の味はぬるめでイマイチだったよ。 武田神社から更に西奥に紅葉の木々を愛でながら歩いて行くと、
木立の中に忽然と立派な白い洋館が見えてきたんだ。
名前は”藤村記念館”(重文)と云って、明治時代の山梨県令(知事)藤村紫朗によって甲斐・亀沢に睦沢小学校として建てられた(明治8年)のを移築したんだそうだ。
明治期の山梨の片田舎に、こんな立派な洋館があったなんて、信じられないほどだね~。
武田神社で1時間程見物してから、神社前の”かぶとや”土産店で買った巨峰ソフトを舐めて、
甲斐武田の盛衰を胸に想い馳せながら、武田神社(躑躅ヶ崎)外堀の色着いた木々を眺めたんだ。
堀を真っ白い白鳥が気持ち良さそうにゆったりと泳いでたよ。
次に格安バスツアーは豪華昼食と”ころ柿の里”見物に行くんだって・・・。
2005 12 1(木) 快晴