ツトムさん家の写真日記。

写真いっぱいの楽しい日記です。(全面表示でご覧下さい)

第747回 京都 京都タワー。

2012-12-26 23:59:59 | 旅行

2012 11 30(金)

前回掲載の「保津川下り」の後、京都駅に戻り東京行き新幹線を待つ間を利用して、駅前にそびえる“京都タワー”へ・・・。
  
京都タワーの料金は770円、最上階までは高速エレベーターを一度乗り換えて上がります。
京都タワーの高さは地上から131m、ビル屋上からのタワー部だけの高さは100m、展望台は100mの場所です。
このタワーは鉄骨組み構造ではなく、円筒鋼板をつなぎ合わせたモノコック構造、卵や航空機と同じ造りです。
完成は1964年の京都のランドマーク。タワー下のビルはホテル・レストラン・名店街などが入居。

展望室の二階にあたる5F、円形フロアに360度のパノラマが展望できる広いガラス窓。
地上から100mの5F展望室は意外に見物客が少なく空いていました。
 
展望室の四方八方に設置された双眼鏡は全て無料で使用できるのが有り難い!

東南の伏見桃山方面を望むと、下方にスマートな新幹線が見られます。 南側は真下に京都駅と右隅に日本一の東寺五重塔
 

東山の山裾を遠望すると、京都一の観光名所“清水寺”、巨大な屋根で覆われ何やら修復工事中です。


手前の大きな甍を連ねる寺院は西本願寺、遠くに見えるのは右京区の嵐山・高雄山・愛宕山か・・・?


樹木の中の紅葉が綺麗だったのは東本願寺の飛び地庭園で国指定名勝「渉成園」。 
京都タワーの真下を北に伸びる「烏丸通り」の東本願寺(工事中)前の紅葉樹がひと際眼を引きます。
  
展望室4Fに掛けてあったのが昨年暮れに決定した2011年の世相を表す「今年の漢字」の“”の掛け軸。
清水寺の管主・森 清範様が筆をふるった書です。

2012年「今年の漢字」の予想投票札に地震・原発・領土などで日本の危機ですから「危」と書いて投函、ですがオリムピックメダル・金環食やノーベル賞で今年の漢字は「」に決定となりました。 (2000年の漢字も金)

列車時間の合間に見物するには最適な観光スポット“京都タワー”からの展望を楽しんだ午後でした。

京都タワーHP。
http://www.kyoto-tower.co.jp/kyototower/about/index.html


2012 12 26(水)記。     前橋市        最高気温4.6℃    最低気温 -1.7℃


今回掲載記事で今年のブログは終了します。
来年も引き続き御愛読のほど宜しくお願い申し上げます。

来る年の、読者皆様の御多幸と御健勝をお祈り申し上げます。」


おまけコーナー。

NortonのUSBメモリー「お守り~」もユニークなCM。
Японская реклама - антивирус Norton

 
人気出過ぎで中止になった、東京駅舎のCG映像「光と映像で世界巡る」。


Tokyo HDR Timelapse  東京HDR微速度


 


第746回 京都 保津川下り。

2012-12-21 22:00:00 | 旅行

2012 11 30(金)


11月最終日の30日、スリルと美しい紅葉が楽しめると評判の“保津川下り”に挑戦。
(全ての映像はスマートフォンのカメラ機能で撮影。)

嵐山から保津川下りの出発地の亀岡まで、保津川峡谷を見下ろしながら走る“トロッコ列車”に乗車しようと、嵯峨野鉄道トロッコ嵯峨駅に朝8時15分に駆けつけましたが、この日に限って「本日、車両故障のため終日運休」の表示。
終日運休は嵯峨野鉄道開業以来の出来事だとか・・・トロッコ列車の運転手に尋ねても原因が判らないと困惑顔。

仕方なしに、JR嵯峨嵐山駅から山陰本線でJR亀岡駅へ急行。
薄日が差していた京都市内から幾つかのトンネルと峡谷橋を通過し、亀岡に近づくに従って曇りと霧の空模様になり、雨具が無いので少し心配な川下りになりました。 
(秋の亀岡は霧の名所とのこと。)
  
運休中の嵯峨野トロッコ列車。(先頭はディーゼル機関車) JR亀岡駅からは道路に立てられた幟旗を辿って5~6分で船下り乗船場。

保津川川下りの乗船駅に朝8時35分到着。
乗船券売り場で「保津川下り乗船券」(3900円)を購入し、乗船順番の呼び出しを待ちます。
修学旅行で川下りをする春日部高校の生徒たちが先に乗船、その直後に館内放送で乗船を告げられ船乗り場へ・・・。
  

保津川下りの乗船場は近代的な新保津大橋の直ぐ横下、乗船駅から階段を下りて川岸の船着場へ・・・。(遠景は霧の中)
 
霧の薄く煙る保津川岸には7~8隻の小舟が係留され、先頭の舟から満席になり次第出発します。

舳先(ヘサキ)に2名・艫(トモ・舟後部)に1名の3船頭が操る川下り舟(定員27名)は、出発(9時05分)して暫くは穏やかな川面を眺めながら心地よい舟旅。
高知の四万十川によく見られるような、手すり欄干が全く無い「沈下橋」を過ぎるあたりから川幅狭く急流に変化し、突き出た岩を避けながら注意深く下って行きます。
 

保津川下りで左右に見られる名所を船頭が面白おかしく説明。
川岸の小高い場所に建つのは「請田神社」。 三角形に尖った岩は「烏帽子岩
   
垂直に立った岩は表面が滑らかで「鏡岩」。 紅葉が綺麗な川岸の岩上に鎮座するのが「不動明王像」などなど・・・記憶容量が乏しい老脳では覚えきれません。

下るに従い霧が少しづつ晴れ、左右の岸辺を飾る紅葉が色鮮やかに展望できます。
 
右画像は「竿の跡」、長い年月竿で突かれた結果、岩の一部が窪んでしまったのです。

保津川が狭ばまり、舟は名所「保津峡」と呼ばれる渓谷を通過します。
嵯峨野鉄道のトロッコ保津峡駅も眼上に見えますが、終日運休でトロッコ列車の姿は全く見えません。(トロッコ鉄道線路は旧山陰本線)
 
保津川の最狭部に架かる橋は保津川鉄橋。長さ84m、明治32年(1899年)完成、開通当時は東洋一長い鉄橋でした。

少し下った峡谷で別の鉄橋をまさにJR山陰線列車が轟音を響かせ渡る場面に遭遇。
保津川下りでは鉄橋を6ヶ所通過します。
 
右画像は昔し人夫が綱を曳いて舟を上流へ引き揚げた時に使った「綱道」。
現在は数隻まとめて大型トラックで亀岡まで運ぶそうです。

保津川下りは亀岡乗船場から京都嵐山までの16kmの峡谷区間を約1時間30分で下ります。
川下り行程の半分ほど過ぎると霧も晴れて陽が差すようになり、木々の紅葉も一層鮮やかさを増してきました。
 

岸壁に竿を突き出して安全な航路を確保する船頭さん。 巨岩奇岩が迫り乗船客はハラハラ・ドキドキ!!
 

保津川下りは全体的には南東方向に下るので、午前中は陽がまぶしい逆光となります。
 

行程の80%ほど来た穏やかな淵で近寄ってきた小舟は「琴ヶ瀬茶屋」の水上売店。
お酒・甘酒・ビールからイカ焼き・おでん・コーヒー・団子・・・と品揃え豊富、まるで水上コンビニみたいでした。
 

京都嵐山近くまで下ると、川幅も広く流れも穏やかになり、嵐峡(らんきょう)と呼ばれる紅葉の名所。
沢山の屋形船が浮かび、川面から雅に紅葉狩りを楽しんでいました。


錦秋の鮮やかな色彩を愛でている間に、保津川下りの小舟は嵐山下船場に滑るように着岸し川下りは終了。
(到着時刻10時35分 所要時間1時間30分Just 平均時速10.7km)
 

下船場から嵐山の紅葉景色を眺めながら川筋を歩いて4~5分で渡月橋、平日でも秋の行楽シーズンの渡月橋は人の波!!
渡月橋の歩道は一方通行に規制され、観光客で大混雑!さすが天下の名勝“嵐山”だけのことはあります。
 

眼を奪うほどに色付いた楓木が点在する渡月橋付近の秋の風景。
  

渡月橋を渡った川岸から展望した小倉山(標高296m)と観光客で賑わう嵯峨亀ノ尾・天龍寺地区。
百人一首の「小倉山 峰のもみじ葉 心あらば いまひと度の みゆき待たなむ」(藤原忠平)で有名な小倉山。
下画像の中央付近に保津川下りの下船場があります。


川下りを楽しんだ保津川は嵐峡付近から渡月橋までを“大堰川”(おおいがわ)、そして渡月橋から下流はは“桂川”と名を変え、更に下って鴨川・木津川・宇治川を合わせて淀川となります。
白波が見える堰(せき)は葛野大堰(かどのおおい)と呼ばれ、帰化人の秦氏が5世紀後半に築いたのを起源とし、水防や農業用水確保に役立てているそうです。

画像の山は紅薫る晩秋の嵐山(標高382m)と桂川
(河川法で淀川に合流するまでの川全域が桂川の名称に統一されました。)

保津川船下り”は慶長11年(1606年)、京都の豪商・角倉了以が丹波地方の産物を京都へ運ぶため開削した保津川を利用し、明治28年頃から観光船下りとして運行が開始され、京都名物の一つとなっています。

渓流下りの醍醐味が味わえ、秋の紅葉の名所嵐山が景色が楽しめる「保津川下り」、京都の旅ではぜひお奨めいたします。

スマートフォンのカメラで動画撮影した“保津川下り”、18分と長めですがご覧下さい。
紅葉の京都・保津川下り。 2012 11 30(金) .wmv


保津川下りHP.
http://www.hozugawakudari.jp/

2012 12 21(金)記。     前橋市 薄      最高気温8.5℃    最低気温0.7℃  


おまけコーナー。

本日は人類滅亡の日。 メキシコの21日の天気予報がヤバイ!
http://www.yukawanet.com/archives/4360016.html

消費者無視のドケチ経営、スターバックスがコーヒー量を減らす!!
http://newsbiz.yahoo.co.jp/detail?a=20121220-00000033-bloom_st-nb

杉の削りくず芸術が素晴らしい!
http://hamusoku.com/archives/7618076.html


芸術的綿アメ。
cotton candy making at Ciqikou, Chongqing, China


第745回 京都駅イルミネーション。

2012-12-18 18:18:18 | 旅行

2012 11 29(木)

暗い場所でスマホの内蔵カメラで映像撮影したので、少々手ブレ・甘ピンになりましたが御容赦のほど・・・。

大阪からの帰路、京都で宿泊することになり、JR京都駅で下車して駅ビルへ・・・。
 

秋の行楽シーズンで駅構内は沢山の人人・・・人。
 
伊勢丹側の室町小路広場大階段にエスカレーターを乗り継いで向かいました。

着いた大階段前広場には色鮮やかな巨大クリスマスツリー!!
京都駅ビル15周年記念として“The tone of the heart”(ココロの音色)と銘打ったクリスマスイルミネーションが華やかに点灯!
 
京都駅ビルのクリスマスイルミネーションは11月17日~12月25日(火)まで。

光り輝くクリスマスツリーに相向かう大階段にも夥しいLED電球が設置され、美しい光の模様が作られています。


音楽に合わせてLEDライトが変化し、クリスマスと京都観光名所などが次々に映し出す「グラフィカル・イルミネーション」。
 

 

約1万5千LED電飾を大階段(125段)に使用した煌びやかな京都駅イルミネーションを動画でご覧下さい。

京都駅イルミネーション 2012 11 29(木)  .wmv


大階段の最上階の空中経路「スカイウォーク」から見下ろしたイルミネーションツリー
左右の壁面ガラスに反射し、一層華やかな風景に見とれました。

電力不足の日本、イルミネーションで無駄な電力消費してても良いのでしょうか?と慰問に感じつつ・・・。

京都駅ビルから外に眼を転じると、夜空にくっきり浮かぶUFOは・・・京都タワー
最初に見たときは古都・京都に超近代的なと・・違和感がありましたが、今では京都表玄関の名所として定着しましたね。

京都タワーに上ったことが無いので、明日にでもと思いながら駅ビルのレストラン街へ・・・。

京都駅ビルのイルミネーション。(拝借)
http://matome.naver.jp/odai/2135203571884347001

京都駅大階段を彩るイルミネーション。
http://gigazine.net/news/20121204-kyoto-station-illumination/


2012 12 18(火)記。    前橋市 薄     最高気温12.2℃     最低気温3.5℃ 


脱原発の切り札、クリーンコール発電。
http://news.livedoor.com/article/detail/7242733/

クリーンコールパワー研究所。
http://www.ccpower.co.jp/


おまけコーナー。

サンタのビックリ! 身近な物でクリスマスツリー。
http://blog.nakatanigo.net/archives/50741041.html

 
GX71マーク?ツインカム 排気音でジングルベル


誰も見たことの無い花の写真。
http://blog.nakatanigo.net/archives/50741461.html


第744回 沼田市 長寿院常福寺。

2012-12-14 19:00:00 | 旅行

2012 11 11(日)


前回掲載の舒林寺に隣接する常福寺を参詣。
正式には大感応山長寿院常福寺と言う天台宗の寺。

道路入口の石柱には「天台宗」「長寿院」と刻まれた文字。
 
時刻が遅いせいなのか、または開かずの門なのか?朱塗りの山門は閉じられていました。(午後3時20分)

参道に整然と並べられた諸石塔や石仏など拝見しながら横の門から入山です。
 

朱く塗られた鐘楼はプラスティック板で囲われ、中の梵鐘がボヤけ霞んでいました。
冬に鐘を突くときの寒さ対策でしょうか?音が篭もりそうで心配です。
  
「老ふたりとなりし古家に春立つと 追儺の豆をこゑはりて撒く」を刻んだ四角い歌碑(中画像)は沼田市生まれの歌人“戸部素行”を称える石碑。

楕円形の石碑は「大赤城 立春の月いまのぼる」と記された楠部南崖の歌碑。
南崖は村上鬼城に師事し俳句を学び、群馬県の俳界と県北の地方文化に貢献した俳人。

この他にも著名歌人の歌碑・記念碑が有りましたから、常福寺は歌人・俳人とゆかりが深いお寺として「文学碑の寺」親しまれています。

天台宗寺院によく見られる「一隅を照らそう」の大石柱が本堂の脇に立てられていました。
 
堂々たる構えの常福寺本堂、沼田歴代藩主の祈願寺として御朱印100石と寺領に百間四方が贈られ、上州北部の天台宗本山として隆盛を極めたそうです。
開基は慈覚大師、開山は崇仙法印。正中元年(1324年)の創建の古刹。

祈願所は“二十三夜月光山勢至堂”と名づけられ、堂内には運慶作の「勢至菩薩観音像」が安置されているそうですが、閉められて拝見できず。
また、渡辺崋山筆の「韓信忍耐の図」は寺宝として沼田市の重要文化財にも指定されています。
 
唐破風の「龍図」彫刻も見応えがあります。

本堂前の左右に配置された尊像。左から少年時代の最澄上人、中は子育て地蔵尊、右は岩上に立つ観世音菩薩像
  

境内の一角に立っていたのは江戸中期の著名な書道家で朝廷から「勅伝阿闍利」の称号を贈られた“角田光旒”筆になる庚申塔。
 
庚申塔の背後には数多くの石塔を集め供養している“無縁仏墓地”、手前に「三界萬霊」と記された供養塔が見られます。

貴重な品々を所蔵する長寿山常福寺、雨模様で早々帰路に着きましたが再度訪ねたい名刹です。



2012 12 14(金)記。    前橋市       最高気温 9.7℃       最低気温 -1.0℃


日本を破滅させるウソつき民主党!   祝! 民主党惨敗。 
  



おまけコーナー。

螺旋階段の意外な昇り方。
Танцующая кошка


どこかユルいおバカ画像。
http://hamusoku.com/archives/7622024.html


第743回 沼田市 慈眼山舒林寺。

2012-12-11 19:00:00 | 旅行

2012 11 11(日)


群馬県沼田市の名刹を訪ねます。中心市街地にほど近い所にある舒林寺。(じょりんじ)
宗派は曹洞宗、山号は慈眼山。

宝徳元年(1449年)大友長忠が開基となり、心華乗芳禅師が開山した名刹。
 
大きな石柱・石碑が立つ入口から灯台躑躅(ドウダンツツジ)が真っ赤に紅葉する参道を進むと近年新築された三間一戸の山門

山門の前後の扁額には「慈眼山」と「四天門」の文字。 欄間を飾る透かし彫り彫刻が素晴しい。
 

山門には仁王像の代わりにヒバ寄木造りの四天王像(高さ3m強)が安置。
東西南北四方に睨みを効かせ、邪悪を退け仏法を守護します。
 東方は持国天。           西方広目天。        南方増長天。        北方多聞天
   

山門裏壁には風雷消除を願う雷神風神などの浮き彫りが施された豪壮な装飾。
上部欄間には青龍・白虎・朱雀・玄武の四神が彩色彫刻された豪華な山門。
 

山門から本堂への参道脇には閻魔像・童六地蔵像・六地蔵立像など新旧の諸尊像が立ち並びます。
  

銀杏や楓などの紅葉樹に囲まれた舒林寺本堂と鐘楼。

本堂は文政年間(1818~29年)に再建された唐破風付き寄棟形式。

金色に輝く天蓋の奥に御本尊の釈迦如来坐像が鎮座する荘厳な須弥壇。
 

今にも雨が降りそうな曇天の下、舒林寺境内を散策。
少女が鳥を空へ放つ「大空に」は現代彫刻。 眼病に霊験がある慈眼観音菩薩石像。 
  
番傘の歌碑」と名付けられた若山牧水の愉快な歌碑がありました。
大正11年、「みなかみ紀行」で奥利根を訪れた牧水は友人・生方吉次との別れにあたり、「かみつけの とねの郡の 老神の 時雨ふる朝を 別れゆくなり」の句を番傘に書き付け、 更に「相別れ 我は東に 君は西に わかてものち飲まむとぞおもふ」の一首も書き加えました。
番傘に徳利、旅と別れの惜情たっぷりの洒落た歌碑です。

舒林寺墓地に一角に置かれていたのは「奪衣婆・懸衣翁(閻魔)」の相当古い石像。(だつえば けんえおう)
生前の悪行には三途の川のほとりで厳しい審判を下すそうです。
(後世に、病気回復を願って二像の口に味噌を塗ったことから、「味噌なめじじ・ばば」とも呼ばれる。)
  
墓地の一角にひっそりと佇んでいた石塔が「真田又八郎信守」の墓。(右、正面の塔身部に六文銭家紋。後方の寺は常福寺)
四代藩主真田信政の次男・信守は正保2年(1645年6月23日)、一歳年下の異母弟・信武を斬殺したのち自刃。
原因は兄弟間の争論だったとか・・・家臣の佐久間善八も巻き添えで殺された惨劇でした。

2児を失った信政は跡継ぎに苦労し六男・信房を松代真田藩主に擁立ますが、家督争いの確執や沼田領主となった五代藩主信利(信直)の悪政(茂左衛門直訴)などから終には沼田真田藩は改易となます。
真田信利についてはここクリック。


次回は長寿院常福寺。


2012 12 11(火)記。    前橋市       最高気温 10.4℃     最低気温 -0.6℃


韓国 中国 ロシアになめられた民主党!! 大ウソつき最悪増税政党!! 投票は民主党以外に・・・。
  


おまけコーナー。

240億円当たった瞬間の男。
http://www.gekiyaku.com/archives/20897259.html

犬に文句を言うネコ。


子犬のおもちゃを奪う忍者のようなネコ。
Cat steals toy from Puppy, like superman



ダンボール猫が面白い! 下画像クリック。

http://hamusoku.com/archives/7594341.html


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第742回 沼田市 真田町割り400年祭り 下 真田鉄砲隊。 小松姫墓 浜松の局墓。

2012-12-07 19:00:00 | 旅行

2012 11 11(日)

沼田市街地の大通り「戦国ストリート」を出陣した武者行列は最終目的地の沼田小学校へ着陣。
(歴史を刻む沼田小学校の正門は時代劇に登場する様な木造りの堂々とした関所門。)
 

武者行列の面々はこれから始まる「火縄銃演武」に緊張の面持ち・・・。
  

信州真田鉄砲隊以外の武者行列参加者は校庭に設えられた座席に陣取って応援です。


沼田小学校西グランドに勢揃いした「信州真田鉄砲隊」の武者たちの赤備えの雄姿!
鎧兜のいでたちの武者による古式砲術が披露。


隊長の指示に従って「弾込め」「火縄用意」「火蓋切れ」「構え~」の作法通りに一糸乱れず行われます。
 

放て~」の号令で耳をつんざく射撃音!! 火縄銃からの白煙と硝煙の臭いが校庭に漂い、戦国時代にタイムスリップしたかの様な錯覚に囚われます。


鼓膜を圧する轟音の戦国絵巻"信州真田火縄銃演武”の動画をご覧下さい。
沼田市 真田町割り400年祭 信州真田鉄砲隊 火縄銃演武。 ムービー


沼田小学校での火縄銃演武の後、沼田真田藩の初代藩主・真田信之(幸)公の正室(妻)で良妻賢母の誉れ高い、真田小松姫の墓所を訪。

小松姫の墓のある寺は、沼田市鍛冶町938に位置し、1574年に創建された浄土宗の名刹・正覚寺
一間一戸の四脚門(山門)を飾る江戸時代の細密な彫刻は市の重要文化財に指定されています。
http://www.city.numata.gunma.jp/introduction/bunka/n-41.html
 

彫刻師・豊琳斎の作といわれる山門彫刻。(江戸時代後期 万延元年1860年築)
 
山門から入山すると巨大な高野槙(こうやまき)に出会います。
樹高21m、比較的に温暖な地方の樹で、関東北部にこれほどの巨樹があるのは珍しいそうで、天然記念物指定の樹。


百体観世音菩薩を本尊と安置する本堂。         境内に鎮座するのは金色の阿弥陀如来坐像。
 

正覚寺墓所の中央に目指す小松姫の墓塔があります。
小松姫を祀る霊堂の左に建っている宝篋印塔(ほうきょういんとう)が小松姫(1620年没 享年48歳)の墓所。
(江戸から草津温泉へ湯治に行く途中、鴻巣宿で病没。 鴻巣市の勝願寺と上田市の芳泉寺にも分骨され墓がある)
高さ271cm、石造りの荘重な宝篋印塔で、小松姫の法名は大蓮院殿英誉皓月大禅定尼
 
小松姫(本田忠勝の娘)は徳川家康の養女として真田信之(真田昌幸の長男)に嫁し、信之に従い徳川方の東軍に付きます。
西軍に味方した信之の父・真田昌幸と幸村(次男)が信之の沼田城に孫を訪ねて来た時、敵方になった父・幸村を入城させず追い返しました。
しかし、小松姫はその夜密かに正覚寺に対面の場を設け無事に親子孫が会えるように取り計らったと言い伝えられています。

霊堂の内陣には極彩色の尊像が立ち並び、その奥に祀られているのが小松姫の位牌
位牌下には真田家紋の「六文銭」が・・・。
 

小松姫霊堂脇には豊臣秀吉による北条征伐(小田原城攻め)に切っ掛けとなった「名胡桃城(なぐるみじょう)奪取事件」で名胡桃城を奪われた真田家重臣の名胡桃城城代"鈴木重則(主水)”(左)とその家来(右)のと伝えられる石祠墓もあります。

北条方の沼田城城主“猪俣邦憲”による偽手紙で城から誘き出され、名胡桃城を乗っ取られた鈴木主水と家臣は責任を負って正覚寺で自刃したのです。
この事件が惣無事令違反として豊臣軍による北条小田原征伐を引き起こし、北条家滅亡の引き金となりました。

豊臣軍と北条軍が死闘を繰り広げた鉢形城攻防戦寄居北条まつり”。
http://blog.goo.ne.jp/ttmida/e/e5a6dbaf9840ef2285a6303821a181e9

名胡桃城の逸話を伝える奇祭“ヤッサ祭り”。
http://blog.goo.ne.jp/ttmida/e/4188fe00f958419d3e6736a2a4c95946

正覚寺の近くにある真田家ゆかりの東源寺(浄土宗 沼田市戸鹿野町460-3)にも立ち寄ってみました。
東源寺には四代藩主真田信政の側室といわれた浜松の局の墓があります。(本堂は法要中で参詣出来ず。)
 

本堂裏手の墓地の入り口にひと際大きく立っていた宝篋印塔(高さ262cm)が浜松の局です。
正覚寺第六世・鉄山和尚(開山)の隠居寺として建てられた東源寺に浜松の局が余生を過ごす為、承応元年(1652年)入山し開基となるが、わずか3年後の明暦元年に死去。
宝篋印塔に刻まれた戒名は「(為)実誉誓真大姉」。 浜松の局の詳しい経歴など不明。
 
東源寺本堂手前に見える稲荷明神社は養蚕に霊験があると伝えられ、蚕の時期(5月)には沢山の人達がお参りに訪れます。


2012 12 07(金)記。      前橋市      最高気温13.0℃     最低気温1.9℃


おまけコーナー。

クレイジーな結婚式10選。
http://tutunuke-world.livedoor.biz/archives/20890440.html

女性が主役の失敗動画。
The Ultimate Girls Fail Compilation 2012


第741回 沼田市 真田町割り400年祭り 上 武者行列。

2012-12-04 19:03:29 | 旅行

2012 11 11(日)


群馬県北部に位置し、周囲を谷川岳上州武尊岳赤城山など日本百名山に名を残す山々に囲まれ、利根川と片品川に挟まれた河岸段丘の街として有名な沼田市を訪問。

11日の沼田市商店街は恒例の「恵びす講市」と「真田町割り400年記念祭り」で大勢の買い物客で賑わっていました。
 
商店街の街角では「上州武尊太鼓」のパフォーマンス、大人も子供もぴったりと息の合った演奏が見ものです。

沼田市 真田町割り400年 1 上州武尊太鼓 00025.MTS


信州上田の真田家から分家し、沼田地方の領主となった真田信之(幸)公が沼田の区画整理(慶長17年 1612年)を行い、城下町に整えてから今年で400年。
それを祝って“真田町割り400年記念祭”が市中心部で盛大に行われました。

上州真田の里 沼田。⇒ http://www.numata-cci.or.jp/kanko/sanada.htm

  
上之町イベント会場の天狗プラザでは、真田ゆかりの「旨いもの合戦」、県内外の御当地グルメが出店し美味しい香りで客を呼込んでいました。

沼田市 真田町割り400年祭り 2 旨いもの合戦。 00029.MTS


近くの「上之町会館」に足を向けると、館内で賑やかな“沼田祇園囃子”の演奏。
 

沼田市 真田町割り400年祭り 3 沼田祇園囃子 00030.MTS


お祭り期間中は上之町通り(国道120号線)は「戦国ストリート」に名前を変え、設置されたメインステージでは各種のパフォーマンスが熱演されていました。
 
ステージを所狭しと踊りまくったのは“虎舞士”“HIROZ”と“手九野太鼓”の面々、武術と舞踊が融合した躍動感あふれる演技に拍手喝采!


沼田市 真田町割り400年祭 5 「虎舞士」のダンス ムービー_0001.wmv

 
沼田市 真田町割り400年祭り 4 「HIROZ」のパフォーマンス。  00031.MTS


メインステージのダンスパフォーマンスの後、沼田市長や鴻巣市長(小松姫終焉の地)なども参加して武者行列の出陣式。
刀剣を突き上げ「エイ エイ オ~!」と威勢よく勝鬨(かちどき)を挙げて出陣です。


無骨な武士たちに混じって三人の真田小松姫役が武者行列に華を添えます。

今年の「全国ゆるキャラグランプリで第3位」に輝いた“ぐんまちゃん”も応援に駆けつけました。

メインステージを出陣した武者行列は隊列を整え粛々と商店街を貫く「戦国ストリート」を行進。
 

煌びやかな甲冑姿で練り歩くのは「信州真田鉄砲隊」の面々。


地元からも「群馬甲冑保愛好会」の方々が威風堂々の武者行列。


艶やかな小松姫たちや真田町割り400年祭りの関係役員も街中を行進です。
 

三途の川の渡し賃「六文銭」の真田家紋を掲げた「信州真田鉄砲隊」の後方から可愛い子供たちの「少年少女武者行列」が続きます。
 

この後、華麗な武者行列は「火縄銃演武」が行われる沼田小学校へ向かいました。

真田町割り400年祭 武者行列動画。

沼田市 真田町割り400年祭 武者行列 ムービー.wmv



次回は真田鉄砲隊の火縄銃演武。


2012 12 04 (火)記。     前橋市     最高気温8.5℃    最低気温2.9℃


おまけコーナー。

甘いチョコレートで機関車。 下画像クリック。

http://www.kotaro269.com/archives/51393965.html

シーツの小じわで名画を再現。
The Art of Ironing