ツトムさん家の写真日記。

写真いっぱいの楽しい日記です。(全面表示でご覧下さい)

第183回 茨城・古河市 桃まつり。 中巻。

2007-03-30 20:20:20 | 旅行

3月24日(土)   古河市桃まつり熱気球体験。

古河総合公園桃まつり会場”の大空に大きな風船が舞い上がっていました。
 
天気も無風薄曇状態なので絶好の気球日和

もしかしたら乗せてもらえるかも・・と、期待しながらバルーンの着陸地へ急ぎました。
期待どおり“桃まつりお祭り広場”の片隅に、「第14回 熱気球体験フライト」の看板と古河バルーンクラブの係員が待機していました。

一回の体験フライトは少々お高く、1名1000円也。 
生まれて初めての経験なので“お金より思い出”と、清水の舞台から飛び降りたつもりで申し込みです。
 
係りの女性が熱気球ゴンドラに乗船する客の人選をしていました。
重量バランスをとるとの事で、申し込みの早い順だけでは乗れません。
ゴンドラには基本的に操作する係員が1名と体験客大人4名です。
子供は3名で大人2名扱いでした。
運よく直ぐにバルーン乗船の順番が来て、恐る恐る乗船。

籐を編んだゴンドラの片隅にはガスボンベがあります。
フライトOKの合図で操作係員がバーナー(燃焼器)のコックを開きます。
ガスボンベからホースで繋がったバーナーから勢い良く炎が立ち上り上昇開始でフライトへ・・・。
 
ガス燃焼の輻射熱で頭が暖かくなってきました。

バルーンゴンドラは1.2m四方ほどで超狭い空間です。
そこに大人5人のすし詰め状態、乗船内の写真撮影もままなりません。
ゴーー!と云うバーナーの燃焼音が頭上で聞こえ、上昇開始。でも、上昇時のショックは全くありません。
エレベーターより穏やかな上昇です。 次第に地面が遠ざかり夢見る心地。
熱気球がこれ程快適とは創造だに出来ませんでした。
 
 
見下ろす下界は鮮やかな桃の花で埋め尽くされて、まさしく桃源郷の境地!!
時おり高度調節のためガスバーナーを点火・燃焼しますが、ゴンドラは全く揺れることも無く快適そのものです。 
乗って楽しめる熱気球を、ぜひ皆様にもお奨めいたします。
 
桃まつり広場”では沢山の露店が並び、声を枯らしての観桃客の呼び込み中。
昼食時間でしたから、山菜キノコ蕎麦と太巻寿司で腹ごしらえです。

古河市の名産品は鮒の甘露煮との話です。 
早速、鮒の甘露煮の売店を探しました。
 
甘露煮では有名店の“野村甘露煮店”が出店していましたので、一箱購入しました。(四尾入り600円)
家の帰着後食しましたが、塩っぱさが無く、甘めで美味しかったです。
これぞ誠の甘露!甘露!!

古河市総合公園“古河・桃まつりを見て・乗って・食べて充分に楽しんだひと時でした。

折角遠い古河市まで来たのですから、名所旧跡を訪ねて市内を回ることにしました。

2007 03 30(金)記。    前橋市 薄 時おり強風    最高気温17℃。

3月30日    マフィアの日    味噌の日   国立競技場落成記念日(東京)


第182回 茨城・古河市 桃まつり。 上巻。

2007-03-27 22:22:22 | 旅行

3月24日(土)     桃の花を観に遥々と遠征しました。

出かけた先は茨城県の古河市。 位置は関東のど真ん中! 
地の利から昔しは、古河は徳川譜代大名が治めた日光・奥州街道の要衝の土地です。

朝の10時に古河市総合公園に到着です。
この古河市総合公園で古河桃まつりが開催中。

公共施設なのに駐車場代500円ちゃっかりと取られました。

総合公園ゲートまでの遊歩道の途中には有名な?碑が・・・。
 
この石碑は古河市総合公園が2003年9月18日に第3回「文化環境の保護と管理に関するメリナ・メルクーリ賞」(主催ユネスコ/ギリシャ)を受賞した記念で建てたそうです。
メリナ・メルクーリって何所かで聞いた名前と思ったら、40年ほど前に「日曜はダメよ」の歌で世界的ヒットしたギリシャ女性歌手でした。
歌手のあとで国会議員と国務大臣になって活躍したそうですね。

古河市総合公園入口周辺は既に桃花が満開!!
なぜか鯉のぼりまでが大空に泳いでいました。
でも、桃の花に鯉のぼりって意外と良く似合いますね。

総合公園ゲートから入ると左手の御所沼の脇で珍しい大道芸の開陳です。
 
最近ではめったにお目に掛らなくなったがまの油売り”!! 

「サア サア~ お立ち会い、ご用とお急ぎでない方は、ゆっくりと聞いておいでよ見ておいで。 遠目・山越・傘の内~~。サァテ、ガマと云ってもただのガマとガマが違うよ。手前のガマは四六のガマだ、~~」って昔し懐かしい口上です。

「一枚が二枚、二枚が四枚、~~ フッと散らせば、春は三月筑波山落花の吹雪とござい! 」って刀で細かく切った紙を扇子で舞い上げて紙吹雪の演出。

堂に入った大道芸もここまで演じれば一級品、古河市の桃まつりは期待出来そうですね。

がまの油売り”芸を見物してから桃花観賞に桃林へブラブラとお散歩です。
 
この古河市総合公園には約2000本桃の木が植えられているそうです。

古河の桃林の歴史は古く、江戸初期に古河藩(16万石)藩主・土井利勝の命により、江戸市中で捨てられていた桃の種を拾い集めて木材利用と食用と観賞の為、この地に埋めて育てたそうです。(桃栗3年柿8年と桃の生長が早いのも助かりますね。)
ゴミの収集と植林を兼ねたエコロジーの先駆です。 江戸の先人たちはエライ!!
 
ただ、食用のは明治時代に外来種との交配で作られるまでは小さくて不味かったようです。
木材と食用と花なら梅の木の方が良かったのではと、当時から不思議がられていました。
鮮やかなピンクの桃花の中に白いコブシの花も咲いていましたし、薄っすらと黄色く色着いた菜の花も桃花を引き立てていました。
 
 
江戸期・天保年間(1764~1780年)に桃の植え替えを期に、桃の花見名所として知られるようになったそうです。
江戸時代末期に炭素病(炭疽病とは違う)で古河の桃林は全滅しましたが、また明治初期に植えられて見事に復活しました。 
明治時代からは東京から花桃見物の臨時列車が出た程の賑わいでした。

第二次世界大戦では食料増産のため桃林は麦畑や田圃に変えられましたが、昭和48年に総合公園つくりが始まり、49年に花桃の林が作られました。

古河市総合公園の現在の桃林花桃で果実は食用にならないそうです。

眼に鮮やかな花桃の観賞に古河市へ行かれては如何でしょうか。

2007 03 27(火)記。     前橋市      最高気温13℃

3月27日   さくらの日 (3さ×9く=27)


第181回 新潟・十日町 へぎそば・小嶋屋本店 国宝・火焔土器。

2007-03-21 21:21:21 | 旅行

3月3日(土)    前回までの浦佐“普光寺毘沙門堂裸押合い祭り”に行く途中、昼の腹ごしらえに越後名物へぎ蕎麦を食べに十日町市へ・・・。

国道17号を塩沢で左に折れて、県道に入ってから暫くして峠越えになりました。峠への道路に雪が積もっていたら引返そう考えていましたが、路上には全く雪はありません。 
山道の九十九折りカーブや雪除けのスノーシェルター道路を快適に走り、車窓から越後三山の代表・八海山の素晴しい姿を眺めながら頂上の八箇峠に到着。
 
八箇峠を通過すると間もなく十日町市へ入りました。

時間は午後2時近くで腹ペコになりましたので、“へぎそば”の元祖小嶋屋へ直行。
清流・信濃川を渡って直ぐに小嶋屋本店が見えてきました。 でも、この小嶋屋本店は閉店です。案内看板に従って新しい小嶋屋総本店にやっと到着です。
新しく建てた小嶋屋総本店はご覧の通り立派な建物に大変身!
 
着いた時間が中途半端でしたので、小嶋屋の店内はガラガラ状態でした。
小嶋屋が日本で最初に“へぎそば”を考案したとの事。
大正11年に初代店主・小林重太郎氏が越後縮(えちごちじみ)の糸に使用していた海草の“フノリ”(布海苔or布乃利)を蕎麦のツナギとして練り込んだのが始まりです。
(フノリ見本・・乾燥状態。)
小林重太郎氏は地元相撲の名力士としても名を馳せた韋丈夫との事です。
体ばかりで無く、頭脳も立派だったのですね。(確か、赤坂のホテル・ニューオオタニの創業者も力士とか。)
「小林氏なのに何で小林屋でなくて小嶋屋なの?」って店員さんに尋ねたら、「小林の小と地元の町名・木島町の島を合せて小嶋屋としました。」って・・・。単純・納得です。

兎も角、すきっ腹なので早速「元祖へぎそば」を注文しました。
一つは「野菜天さるそば」(1050円)。


もう一つのオーダー品は「五彩そば」(1344円)です。
 
両品共に蕎麦はへぎそばの二段重ね。ボリューム満点でした。(女性の完食はツライかも。)
野菜天麩羅には採れ立ての蕗のとうが付いて味覚を満喫!
面白いのが五彩そば。 小鉢に納豆・きんぴら・山菜・ヤマカケ(鮪トロロ}・海老天の5品が盛られてきます。
それぞれの小鉢に蕎麦ツユを入れ、へぎそばを移して食します。
確かに五っの味が楽しめるお奨めのお得なメニューでした。

帰りに十日町市の市街地を通過中国宝火焔土器と書いた看板が見えました。何で十日町に国宝が・・??と、早速興味本位の寄り道です。

国宝のある十日町市博物館の前には古代遺跡群が保存され、ワラ葺きの古代住居も入口前に建っていました。

早速、国宝の土器を見学へ(300円)。

国宝は金銀財宝や仏像・絵画絵巻では無く、本当に古代の土器でした。
信濃川中流域の新潟県十日町市周辺からは縄文遺跡が数多く発掘されています。
特に国宝・火焔土器が出土した笹山遺跡は縄文中期遺跡の代表として有名。

国宝の笹山遺跡土器の名称は火焔型土器と言います。(平11年6月7日国宝指定)
遺跡土中からの出土状態が特に良好だったのでしょう、あまり補修の跡も無く、昨日まで使用されていたみたいな土器です。
 
流石に国宝土器だけあって迫力満点の大きな土器。
特に土器上部の模様がまさしく立ち昇る灼熱の炎!!

古代遺跡からの出土物では縄文人の埋葬墓も興味深いものです。

頭上に土器の甕をかぶせて膝を立てた姿状態での埋葬姿はユニーク&ユーモラスです。
この他にも王冠型土器や石斧・石槍・石鏃などの石器、土器も多数展示されています。

また、越後地縮のコーナーや雪国での昔の生活・風俗なども展示中。

雪の埋もれて屋外作業が出来ず、屋内でムシロ作業や機織・繕い物等々、昔の越後の人の厳しい生活の一端が偲ばれました。

「雪と織物と信濃川」をテーマとした大変勉強になる十日町市博物館です。
文部省推薦の「全国の特色ある博物館」の一つに指定されています。
新潟方面にお出掛けの時は一度ご覧になっては如何でしょうか。

2007 03 21(水)記。    前橋市     最高気温15℃。

3月21日   春分の日(暑さ寒さも彼岸まで。) これから春本番!!


第180回 奇祭 新潟・浦佐 普光寺毘沙門堂裸押合い祭り。 下巻。

2007-03-18 00:00:00 | 写真・旅行・日記・コラム

3月3日(土)    夕刻になり毘沙門堂の裸押合い祭り本番の時間を迎えた。

越後浦佐・普光寺の境内では巨大なロウソクに次々に点火され、晒し姿の若衆達によって担ぎ上げられ水垢離を行う不動の滝へ続く薄暗い回廊へ運ばれました。
 
この普光寺・毘沙門堂裸押合い祭りは別名大ローソク祭り」と云われている。
重さ30Kg程の大ローソクを抱えて境内や毘沙門堂の照明代わりにもしています。

回廊の突き当たりの一枚岩を穿った“不動明王滝のうがい鉢”では裸押合い祭りに参加する若衆達が真言を唱え一心不乱に水垢離(みずごり)、でも冷水には3秒と浸かっていられません。
 
水垢離の後はずぶ濡れのまま毘沙門堂に駆け込む水行参拝
毘沙門堂内では独特の所作でダンシング! この踊りは裸祭りの準備体操でしょうか?
堂内に敷かれた藁ムシロは昔し毘沙門堂に居た大山猫の皮に見立てています。

後方壇上の奥(内陣)には3月3日だけ御開帳される毘沙門天像(椿木造り)。

毘沙門御本尊前の御簾をあげて一年一回の毘沙門天像御開帳です。

本堂前の境内では数十の大ローソクが点火され、熱いの中で晒し姿の若衆が炎部の蝋削りに余念がありません。
 
大ローソクを抱えて毘沙門堂へ、蝋燭(ローソク)講中参拝で堂内は熱気の渦です。

担ぎ上げた若衆達の背中には溶けた蝋が滴っています。 これは集団SMショーか・・・!?(爆)
年男衆も毘沙門堂前で豊年踊りをご披露!
 
毘沙門堂内部は裸若衆でムレムレ状態です。

肩車された福物撒与者が次々と毘沙門堂へ・・。
 
普光寺脇の白山神社の神主も肩車で撒与福物を捧げてご登場。
毘沙門堂内では裸の若衆達が「サンヨ(撒与)~セ! サンヨ~セ!」、「撒けよ~ 撒けよ~」の大合唱! 壇上でも「撒くよ~ 撒くよ~」の連呼が続きます。
 
神主自ら毘沙門堂で福物扇子を投げて撒与の瞬間SHOT!!
この他にも金盃・銀盃・坂上田村麻呂盃・穀種などが堂内の裸参拝者に撒与され、裸押合い祭りは益々盛り上ってゆきます。
 
壇上から手桶で撒かれる水の中に福盃が・・。猛烈な争奪戦が繰広げられます。(盃UP画像は関様から。)

毘沙門堂の裸押合い祭りも最終盤となり、堂の中央に肩車された神主が(ササラ)を持って擦り上げ、年男たちが“簓すり音頭”を唄う“ささらすり神事”が始まりました。(夜10時30分) (簓は古代中国の楽器・竹製。 下に擦ると凶作、上に擦り上げると豊作。)
 
「シャッ、シャッ、シャッ」というササラ擦りのリズムと“簓すり音頭”(「正月三日に年男詣ったりや、ハ~サンヨ、サンヨ。 黄金の花が咲き四っの角のように、ハ~サンヨ・・・。」)の唄声に合わせて裸若衆が神主の周りを掛け声と共にグルグルと威勢良く廻ります。

若衆達が廻るときに毘沙門堂内に山猫の皮に見立てて敷かれたムシロを踏みしめて廻る事を「ねこたたき」と云い、“化け猫伝説”に由来しています。
毘沙門堂の裸押合い祭りもこの刻がクライマックスに達し、参加者も祭りを心ゆくまで楽しんでいました。

普光寺・毘沙門堂裸押合い祭り”はこの後、大鏡餅撒与・御灰像撒与など御利益物撒与が続き夜の11時過ぎまで賑わっていました。

最後の多門青年団・裸参拝者紹介を拝見して、思い出深い毘沙門堂を後にしました。(浦佐・多門青年団の皆様、ご苦労様!!)

浦佐商店街の玉屋菓子舗で名物・志んこ餅を購入。(10個入り、1000円)
 
新潟銘菓100店の一つに選ばれた店で、実に上品な味の餅でした。
“名物に美味い物無し”と云われますが、玉屋志んこ餅はお奨めの逸品です。

1200年の歴史がある“普光寺・毘沙門堂裸押合い祭り”は本来は正月3日に毘沙門堂に棲み付いた大山猫退治の記念として山猫の皮を踏みしめて行われていましたが、明治6年から春の訪れる3月3日に除災招福・五穀豊穣・家内安全・諸願成就を願う祭りに変更されました。(新潟県伝説集。)

前夜3月2日の前夜から3日の深夜まで続く“毘沙門堂裸押合い祭り”は真に日本三大裸祭りと云えます。 
“毘沙門堂裸押合い祭り”は国の重要無形民俗文化財に指定されています。
越後の小さな町・浦佐を訪ねる価値ある“毘沙門堂裸押合い祭り”をぜひお奨め致します。

2007 03 18(日)記。    前橋市    最高気温9℃。  真冬並み寒気。弥生冷え。

3月18日   小野小町の忌日。


第179回 奇祭 新潟・浦佐 普光寺毘沙門堂裸押合い祭り。 中巻。

2007-03-14 02:02:02 | 旅行

3月3日(土)    越後・浦佐 普光寺“毘沙門堂裸押合い祭り”が始まりました。

先ずは、毘沙門堂と本堂を結ぶ回廊の屋根に年男達や撒与講中の人たちが次々と登っています。

毘沙門宝蔵の屋根には福物を撒くときの音頭取りが登りました。(青年団長です)

雪を一面に敷き詰めた境内に設えた大きな雪台には地元の子供達が陣取ります。 
この時間の福物は御餅です。 御餅を屋根や雪台の上から青年団長の合図に合せて撒くのです。 この行事を毘沙門堂裸押合い祭りの福餅撒与(ふくもちさんよ)と云います。

福餅をいただきに集まった人々は「(ま)けよ~撒けよ~」と囃し、屋根や雪台の上の撒与者は「撒くぞ~撒くぞ~」と煽ります。 10回程掛け声合戦をしてから、一斉に福餅撒与が始まりました。
 

撒与された紅白の福餅が空に舞っている一瞬のSHOTです。
普光寺の境内に集まった善男善女が人を押し退けて我先に福餅を拾っていました。
撮影中に筆者の頭に福餅が命中、固い御餅で眼から火の出るほどの痛さ!

撮影を中止して福餅拾いに加わりましたが、皆さんの手の素早い事!
それでも足元に転がって来た福餅を妻と二人で4個確保でき、“今年の運勢は吉”と自己満足です。

上画像は“毘沙門堂裸押合い祭り”の福餅撒与で頂いた御福餅です。
見詰ていると何か良い事が有りそうな気がしませんか!?
読者にも福のお裾分けを少々しますね。
(福餅撒与のとき確保出来なかった人には境内の配所で福餅が貰えます。これを福餅配与と云います。)

普光寺境内では巫女様が御酒福餅散華御神酒セットを販売中。
福餅と御神酒は理解出来ますが、散華って何ィ・・・???(まさか特攻隊で散華しろってこと? 神酒呑んで福餅をノドに詰まらせて死ねって事かも~~。)  散華についてはココをクリック。
 
福餅撒与の大役を済ませた“ふるさと会講中”の皆様もハイ・チーズ!と記念撮影。

毘沙門堂裸押合い祭り”の福物撒与はこの後も夜半まで数回に分けて、餅・杯・提灯・扇子等々の撒与が続きました。
 
上画像は夜の“弓張り提灯撒与”の瞬間の光景です。 投げられた提灯が舞っています。
大勢の人々が提灯を奪い合うので、提灯はバラバラで原型を留めていません。

提灯の争奪はとても危険なので参加出来ませんでした。
体力ある若者が格闘し確保した弓張り提灯の残骸を拝見。
提灯の残骸でもきっとご利益がいっぱいある事でしょう・・・。

境内での福物撒与の間も毘沙門堂では若衆達の裸押合いが行われていました。

次回は毘沙門堂の“裸押合い祭り本番です。

2007 03 14(水)記。     前橋市 時々    最高気温10℃。  真冬並みの寒さ。

3月14日   ホワイトデー。(可愛い女性にプレゼントだよ~ん。)
 


第178回 奇祭 新潟・浦佐 普光寺毘沙門堂裸押合い祭。 上巻。

2007-03-09 23:23:23 | 旅行

3月3日(土)   3日は桃の節句雛祭りですが、珍しいお祭りがあると聞いたので遠方へLETS'GOです。

場所は越後の国、コシヒカリ米で有名な南魚沼市の大和町。
大和町と云っても知らないでしょうが、スキー場や上越新幹線駅で知られている浦佐のある町です。

浦佐の街中に位置する普光寺毘沙門堂で天下の奇祭が毎年3月3日に開催されると言う。 調べると日本三大はだか祭りの一つとあった。
「岡山県の西大寺はだか祭り」、「愛知県の国府宮はだか祭り」と浦佐毘沙門堂はだか押合祭りが日本三大はだか祭りと云うらしい。

早速、記録的暖冬で全く雪の無い関越道で走りました。湯沢町の次の塩沢で左に折れて十日町へ、 
“腹が減っては祭りは出来ず”と、先ずは“へぎそば”の元祖・小嶋屋で昼食です。 その後近くの十日町市博物館で国宝火炎土器など見学。(後日、掲載予定。)

午後4時に越後浦佐に到着、駅前から裸祭りの普光寺までの通りは露天商の店と冷やかし客で大賑わいです。

人込みを掻き分けて、先ずは毘沙門堂のある普光寺へ急ぎます。

普光寺1200年余前、四海将軍・坂上田村麻呂が蝦夷征定の折、この地に毘沙門天を祀り戦勝を祈願し建立と云われる。 
普光寺は山号を“吉祥山”と言い、真言宗豊山派の寺院。
江戸時代には天領として十万石の寺格を持つ名刹として名高かった。
 
浦佐商店街中ほど寺入口の大提灯には“毘沙門天”ではなく“多聞天”と書いてありました。(因みに、毘沙門天と多門天は同一神との事。)
暖冬なので山から運んできたムシロで裸祭り用に作った坂道を登ると吉祥山普光寺の大きな山門(楼門)です。 

失礼ながら、越後・浦佐には似合わない立派な山門(楼門)は、日光東照宮陽明門を模して総欅造り、江戸・天保2年(1831年)に当地の豪商・関市四郎の寄進により建てられました。 建築にさいして鉄釘など金属は全く使用していません。
山門(楼門)の楼下の天井は南画師・谷文晁双龍図板絵」、楼上天井には京都絵師・板谷桂舟の「二十三天女」などが描かれています。
下から見上げると山門の壮大さ見事さには驚かされます。

豪壮な山門をくぐり抜けると長い回廊に出会います。床は踏み固められた雪です。
(長谷寺の回廊を模したと云う。)
 
回廊も広い境内も全てが一面に敷き詰められていました。(膨大な移雪量)
毘沙門堂裸祭りには雪が必須条件の一つですから・・・。

回廊脇には雪壇にのった巨大な奉納蝋燭(ローソク)のオンパレード。
 
大ローソクは全部で百数十個の数です。 不思議な眺めです。

回廊を真直ぐに進むと、左手に“聖徳太子堂”がありますが、このお堂は小さな山門を作り変えたと云う説もあります。 外観は確かに八脚門の山門風です。
 
回廊を挟んで聖徳太子堂の合い向かいには本日のメイン舞台の毘沙門堂(多門天王堂)。
ど~んと前に突き出した唐破風向拝が印象的な大きなお堂です。

毘沙門堂の前を回廊づたいに行くと、回廊正面に大きな一枚岩を彫り上げた不動明王が見えます。 不動の滝と名付けられています。
雪解けの冷たい岩清水が滴り落ちて、裸祭りの水垢離(みずごり)の準備中。
不動明王下の洗盤池(うがい鉢)は八海山の一つの大岩をくり抜いて作ってあるそうです。
 
本舞台の毘沙門堂(多門天王堂)では賽銭箱や蜀台を撤去し“裸押合い祭り”の準備が着々と・・・。
 
毘沙門堂裸祭り福物係り可愛い巫女さまも用意万端・万事OK!
毘沙門堂の右手境内広場には福餅撒与の雪台が用意されていました。
 
雪台には人が100名程乗るので、極めて頑丈な圧雪造りです。
後方の赤い屋根普光寺本堂になります。
毘沙門堂と本堂を結ぶ回廊の中間には多門天宝蔵があり、参詣客への福物撒与の掛け声がこの屋根上から発せられるのです。

浦佐 普光寺“毘沙門堂はだか押合祭り”の舞台は整いました。
いよいよ、次回からは“毘沙門堂裸押合祭り”開始となります。

2007 03 09(金)記。     前橋市   最高気温12℃。  平年並み。

3月9日    ありがとうの日(サンキュー)  記念切手記念日


第177回 羽生市郷土資料館 ひな飾り人形 羽生市水族館 ムジナモ

2007-03-06 23:46:18 | 写真・旅行・日記・コラム

2月24日(土)  鴻巣市ピラミッドひな人形祭りを見物した後、隣り町の羽生市へ足を伸ばしました。 

訪ねた場所は羽生市郷土資料館です。

鉄筋コンクリートの頑丈な造りの近代教会と見まごう建物の中で、「の節句・舞姫の競演」と題された人形展が開催されています。(今年は2月3日~3月18日迄、無料)

羽生市の雛人形展は内裏雛ばかりでは無く、どちらかと言うと雛壇の横に置かれる人形がメインです。
 
でも、華やかさに眼を引かれるのはやはり豪華な内裏雛
  
享保雛などの江戸期の内裏雛はありませんが、日中戦争で物資が乏しくなってきた昭和12年の小粒な内裏雛壇など珍しいものが展示されていました。

羽生市郷土資料館の目玉は桃の節句のサブ人形なのです。
   
上の写真は「道成寺」「藤娘」「春駒」「八重垣姫」「汐汲み」です。
他にも桜姫・紅葉狩り・角兵衛獅子・鏡獅子・お三輪・手習子・浅妻・・・など懐かしい人形たちが勢ぞろいしていました。
これらの人形は雛壇の飾り役として“飾り人形”とか、“脇人形”とか云われています。   

羽生市ではこれらの飾り人形を全国から集めているそうです。皆さんのご家庭で不要になった人形が有りましたら、贈られては如何でしょう・・。

羽生市の名物・名産品を羽生市郷土資料館の係員に聞いたら、名物は“うどん”と“いが饅頭”と“銘菓・むじなも”と云う。
それらが揃っているキャッセ羽生と云う市の施設に早速行ってみました。
因みにキャッセとは「来なさい・おいで下さい」という意味だそうです。

キャッセ羽生のうどん店「むじな庵」で羽生名産・うどんを頂きました。
うどんメニューの中でもお奨め品は“田舎汁うどん”(570円)

甘塩ぱいつけ麺風の出汁ツユに漬けて食べます。

もう一つのうどんは、けんちんうどん(630円)。サッパリとしたけんちん汁でした。
羽生名物うどんはコシの無い柔らかいのが特徴みたいですね。

キャッセ羽生で次なる羽生名産品、「いが饅頭「銘菓・むじなもをGET!
 
いが饅頭(100円程)は餡入り饅頭の周りにお赤飯を着けた菓子、腹もちが良く食事代わりにもなります。 これは美味しいです!
羽生銘菓・むじなも(約70円)はアーモンドのプラネレリをのせた焼き菓子の一種。 味は好みによります。

うどんを食べた後、キャッセ羽生の合い向かいの羽生市水族館(300円)に入館しました。
 
羽生市水族館の横にある宝蔵寺沼には日本唯一の食虫浮遊植物ムジナモが生息している。

冬なので宝蔵寺沼では直接見られないので、貴重なムジナモを水族館で拝見です。

根なし草でも微細水中動物(動物性プランクトン)を捕食して栄養分にして生きているそうです。
原産国はインドのベンガル地方で日本では1892年(明治25)牧野富太郎博士によって江戸川で発見されました。

群馬・茨城・新潟でも見つかりましたが、現在では羽生市の宝蔵寺沼が日本唯一のムジナモ自生地との事です。(水質悪化で全滅の危機!!) 

根を持たないで水面下1~2cmのところを浮遊生活する多年草の水草(モウセンゴケ科)で長さ10cm前後。
ムジナ(あな熊)の尾に似ているのでムジナモと命名されました。
羽生市水族館のムジナモ動画で微細動物(ミジンコ)を捕食する場面も見られます。

羽生市水族館ではムジナモの他にウーパールーパーやアメリカ鯰や巨大鯉など珍しい魚たちがいっぱいです。 

寒風吹きすさぶ一日でしたが、鴻巣羽生と充分にお雛様が楽しめました。

2007 03 06(火)記。    前橋市    最高気温13℃  強風。

3月6日    ジャンヌ・ダルクの日  菊池 寛忌日
 


第176回 鴻巣市 ビッグひな祭り

2007-03-02 23:30:00 | 写真・旅行・日記・コラム

2月24日(土)    春の雛祭り見に埼玉・鴻巣市へ行きました。

昔から、埼玉のこの周辺地区は日光東照宮造営の木材・工職人の往来・宿場として発展し、更に大消費地の江戸に近かったので人形生産拠点としても有名でした。

近年は岩槻市周辺が一大人形生産地で名を馳せていますが、鴻巣も380年余の伝統を誇る日本を代表する人形の町です。

江戸時代から雛人形作りで賑わった鴻巣は、「人形職人の引き抜き事件」として江戸下町奉行の記録にも残っている程の生産地だそうです。(人形職人事件で遠山の金さんがもろ肌を脱いで桜吹雪のイレズミを見せるなんてピッタリですね。)

なにはともあれ、24日の寒風吹きすさぶ中を鴻巣市へ・・・。

一路目指すは鴻巣市役所へ!!

2月5日~3月3日まで鴻巣ビッグひな祭りが開催されている。
「ビッグひな祭り」メイン会場鴻巣市役所なのです。

鴻巣市の市役所入口前には既に雛人形の大陳列ができていました。
 
入口階段と車寄せにずら~っと雛人形の大行列です。

市役所入口両側には竹筒に収まった雛達が勢ぞろい!!(竹筒雛人形
 
かぐや姫を見ている気分でした。

鴻巣市役所へ入って、先ず驚くのは等身大享保雛!!

立派ですね、これを見るだけでも鴻巣に行く価値があります。
保管状態が良かったのでしょう、古さを感じさせません。

市役所の内部に入ったとたんに、目の前に真っ赤な大ピラミッド!!
 
緋毛氈を敷いた26段の雛壇飾りです。!!
市役所の大きなロビーいっぱいに聳え立っています。
大ひな壇正面の左右には鴻巣菓子工業組合寄贈の巨大三色菱餅が雛壇に添えられていました。

ロビー二階からのビッグひな壇をご覧ください。
 
日本一のピラミッド形ひな壇の高さは約6mほどで、地元・鴻巣をはじめ全国からの寄贈された1414体の雛人形が陳列展示されています。

下左は二階から望遠した頂上部の雛たち
 
上右はピラミッドひな壇下から見上げた頂上です。
頂上には左右前後に四体のお雛様が座っていました。

大ピラミッド雛壇の奥にはロビーから二階への階段を利用して別な雛壇が。
 
こちらも綺麗な雛人形が所狭しと並んでいます。

階段ひな人形の三人官女ですが、数十人官女でした・・・。
 
階段ひな様の最上部には二組の内裏雛です。(写真は一組。)

筆者みたいな凛々しいお顔の男雛です。(
 
お姫様も華麗な内に気品を秘めているお姿が美しい・・・。

享保雛をはじめ、昔の古いお雛様も展示・説明されていました。
 
「胡蝶の舞」「二人小町」「明治・大正雛」「つるし雛」とか多数有りました。

下の写真は嵯峨御所を模した御殿雛で昭和初期の作品。
 
御殿付き雛人形は西日本に多く、関東では少ないそうです。
家庭に眠っていた雛人形も、鴻巣で沢山の人達に見て貰って心なしか嬉しそうでした。  雛人形たちは鴻巣市のまち起しの大役を立派に果たしていましたね。

どんな見事な雛人形よりも、やっぱ生きてる姫様が一番と改めて感じ入った鴻巣の楽しい雛祭りの一日でした・・・!!

次回は埼玉・羽生市の「飾り人形」の予定。

2007 03 02記。    前橋市      最高気温14℃。