1月28日(日) 松本城と開智学校を見学した後、城の近くにある松本市時計博物館を訪問。
松本城から南に200m程の場所に時計博物館はある。
途中の女鳥羽川に架かる千歳橋の袂のナワテ通り(観光用お土産店街)脇には巨大なガマ蛙のオブジェが人目を引いていた。(東京芸術大学デザイン科作品)
「ガマ侍」と云う題の作品で、ガマの上には白ガマ侍が・・・。
女鳥羽川の千歳橋を渡ると右手に大きな振り子時計を正面に配した立派な「松本市時計博物館」が見えてきた。
時計博物館(入館料300円)の正面の振り子時計は大きさでは日本一と言う。
近くに寄って見上げると、確かに巨大な振り子がゆっくりとしたリズムを打っていた。
(この巨大振り子時計は松本市のランドマークになっている。)
貴重な時計や珍品の展示は一階と二階で三階はイベントホールです。
大理石にダイヤなどの宝石を散りばめた1800年代のフランス製時計。
時計コレクションは地元の本田親蔵(ちかぞう)氏が89歳で没するまで、生涯かけて集めた逸品ぞろいです。 博物館内には常時110点余の貴重な時計が展示されています。(蒐集個数約300点。)
本田コレクションは昭和47年に松本市に寄贈され、今では市の観光名所の一つになっています。
時計博物館を見て一階の喫茶・洋食「クレソン」で遅いランチを頂きました。
ビーフハヤシライスがとても美味しかったのを今でも記憶しています。
夕刻に近づいてきましたが、折角ですので博物館付近の“中町通り”を散策しながら駐車場に向かうことにしました。
“中町通り”は昔し信濃・善光寺へ向かう街道(善光寺街道)で、近くの川では船が荷を運んで来たことから、多くの塩・肴問屋が蔵造り店舗を構え商いが盛んな道筋だそうです。
現在でも往時の面影を色濃く残している蔵の街並みが見られます。
蔵造りは遺物としてでは無く、それぞれが喫茶店・カレー店・ラーメン店・お土産屋など現役で使用されていました。
中町通りの中程に観光案内を兼ねた「中町蔵の会館」があります。
内部は昔しの建物の構造・骨組みが良く理解できるがっしりとした会館です。
中町通りは真直ぐな一本道で、真冬の夕刻は観光客は皆無の状態。
途中で昨今の秤を集めた“はかり資料館”もありました。
中町通りの終点から女鳥羽川の一ツ橋を渡った、松本城近くで突如レンガ造りの立派な建築物が・・・。
左は下町会館と云うレンガと木造のコラボ建築?
右は明治期の銀行でしょうか? この付近は映画のロケスポットで売り出しています。
“中町通り”を30分でブラブラ散策終了。
「川越の蔵町通り」と同じ雰囲気の町筋ですね。(川越の方が少し大規模。)
真冬・暖冬の松本市をタップリ満喫して充実した観光の一日となりました。
(戦争の惨禍を受けなかった地区は昔しの情緒が多く残っていて懐かしい風景ですね。)
2007 02 27(火)記。 前橋市 最高気温13℃。
2月27日 新撰組の日(1862年・文久2年 新撰組の前身「壬生浪士組」が結成された日 翌年の8月「新選組」に改称。)
1月28日(日) 重要文化財・開智学校の横に建っている旧司祭館(カトリック教会付属)の見学。
旧司祭館はコバルトブルーのペンキで化粧した下見板張り外壁の瀟洒な西洋建築物。
この旧司祭館(宣教師の館)は松本カトリック教会の神父クレマン(フランス人)によって武家屋敷跡に明治22年(1889年)建設された西洋館です。
建築様式はアメリカ開拓時代の技法を取入れたアーリーアメリカン様式(コロニアル風)で、フランス積みレンガの基礎土台以外は全て木造建築の西洋館。(長野県最古の西洋建築物)
和瓦屋根と三角破風とで少し和風的面影が残っているのは、信州の地元大工の建築だったからでしょうか・・・?
後に赴任した宣教師グスタフ・セスラン司祭は、この司祭館で本邦初の和仏辞典「和仏大辞典」を編纂しました。(明治34年から27年間かけて。)
総二階建て、信州の冬の寒気に対処するため、一階二階にはガラス張りのテラスを備え、各部屋には鉄製の暖炉を配置しています。
時代は明治・大正ですから燃料は薪や石炭でしょうね。
排煙のため屋根には当時日本では珍しかったチムニーが立っています。
正面入口から内部の見学に入れます。
入場無料は有難いですが、管理人も居ない無人館では防犯上物騒なことです。
ガラス張りの廊下兼用の明るいテラスが建物裏側にあります。(昔懐かしい歪んだ板ガラスでした。)
テラスからは隣の開智学校と暖冬で雪の殆ど無い信州の山々が遠望できました。
この旧司祭館は昭和38年まで小学校として使用されていました。
館内に暫らく居ると、不思議なもので気分が西洋人っぽくなります。
これもアーリーアメリカンタイプの建物からのオーラのせいでしょうか・・・?
2007 02 22(木)記。 前橋市 最高気温14℃
2月21日 猫の日(ニャン ニャン ニャン)⇒猫オモシロ動画はここクリック)
元祖デブ屋・ 石塚猫の爆睡イナバウアーはここクリック
1月28日(日) 国宝・松本城の見学あと、北に位置する重要文化財・開智学校へ。(昭和36年 重要文化財指定)
有名な開智学校は松本城からブラブラ歩いて7分程の近さにある。
重文・開智学校の手前には“開智小学校”が近代的な佇まいで建っていた。
下は開智小学校の校庭から見た開智学校。
グランドのネットが少し邪魔ですが、整った姿が美しいですね。
見学者入口から撮った開智学校の裏側(北)。 暖冬なので申し訳程度に雪が残っていました。 (入場料300円)
上は開智学校の正面全景です。 (学校の標高は596m。)
見事な彫刻で飾られた正面入口。
二階の唐破風には愛らしいキューピットがBOOK形の開智学校の文字板を抱えています。
一階上部には大きな龍の彫刻が飾ってありましたが、ちょっとヤクザな雰囲気も・・・。
開智学校の内部、一階廊下は全て板張りで80m程の長さ。
上の写真は当時の教室模様が再現されています。
小さな木の机・椅子、足踏みオルガンなど懐かしい思い出がいっぱい!!
二階には広い講堂がありました。
講堂入口の扉は桟唐戸(さんからど)になっていて、見事な透かし彫りが嵌め込んであります。
波に戯れる龍の顔を持った鷲で、作名は「波形飛竜」。
開智学校にはこの様な桟唐戸が全部で8枚あります。
これらの木彫は明治の建築当初からの面影を良く留めていました。
開智学校の講堂。 壁・天井は漆喰、床には竹皮を編んだものを敷いています。
竹皮は丈夫なので畳表の代用品として重宝されたそうです。
開智学校の校旗と「愛 正 剛」と揮毫の校訓。
開智学校の建築設計者・立石清重氏(たていしせいじゅう)と開智学校の模型。
模型の正面は事務棟で教室などは右奥の川沿いの校舎でした。
地元の大工棟梁・立石清重氏は洋風建築を全く知らず、東京へ出て西洋建築を見て勉強し,設計にあたり洋風と和風を融合させ(擬洋風建築)明治9年(1876年)に建設したそうです。(開校は1873年)
日本最古の小学校建築物。
開智学校の校舎は松本市を流れる女鳥羽川(めとばがわ)沿いに建設されましたが、洪水防止の河川改修工事のため、昭和39年に現在の地に移築復元されました。 (現在地 松本市開智2-4-12)
2007 02 19(月)記。 前橋市 最高気温13℃。
1月28日(日) 第21回全国氷彫刻フェスティバルを見た後は松本城の見学。
さすがに国宝ですね、内堀越しに勇壮な天守閣が聳え立っています。
天守の築城は石川数正・康長公時代の1593~4年で日本最古の天守閣。
外壁が黒色に塗られていることから烏城(からすじょう)とも呼ばれます。
冬とは思えない穏やかな天気で、内堀の鏡のような水面に天守が映っていました。
天守右下の朱色の手すりの付いた建物は「月見櫓」。(三方開きの開放的な板敷き広間、花見・月見の宴に使用。平和になった寛永年代の建築。)
観光撮影ポイントからの凛々しい姿の松本城。
手前の赤い「埋橋」がアクセントになってモノトーンの天守閣を引き立てています。
冬枯れの芝生の場所には本丸御殿がありました。1727年に焼失したままです。
中央の天守閣の左は「月見櫓」と「辰巳附櫓」 右には「乾小天守」がバランスよく並んでいます。
天守閣の外観は五層ですが、内は六階建てで、形式は江戸時代に多く造られた層塔型天守。
二層と三層の間に隠れた3階があります。 そこは外部からは見えないので、戦闘時の武者溜りで指揮所にもなるそうです。
聳え立つ天守の高さは29.4m 右の乾小天守は16.8m。
城には桧・松・栂などが建築材として用いられています。
天守閣の内部は格子窓(武者窓)からの明かりだけなので、かなり薄暗いです。
太い頑丈な丸太柱を多用しています。 木肌に残るチョウナ痕も400年余の歴史を感じさせていました。
順路に従って上ると武具・甲冑の展示中。
火縄銃の展示品が見物客の興味を引いていました。
先端に火薬や油脂を塗り点火して発射する、現代のロケット弾と迫撃砲を併せた様な火薬兵器は珍しかったですね。(これら武具は赤羽氏の寄贈。)
天守最上階(六階)の部屋です。(広さは20畳ほど)
戦闘の時は敵味方の動きをみる望楼として使用する場所されます。
天守の天井はがっちりとした井桁梁で、天井部の中央には松本城の守護神「二十六夜神」が奉られていました。
天守からの眺望は素晴しく美ヶ原や北アルプス連山も遥かに・・・。
松本城の北には重要文化財に指定されている、開智学校の瀟洒な校舎が天守から望めました。 開智学校の左にはコバルトブルーのカトリック旧司祭館も少し見えます。
見所いっぱいで充分楽しめる松本城です。
見事な桜咲く松本城は更に素晴しいです、皆様も見物に行かれては如何でしょうか・・・。
次回は重文・開智学校の予定です。
2007 02 14(水)記。 前橋市 最高気温9℃。
2月14日 バレンタインデー
義理チョコも貰えなかった貴方にチョコ風呂の美肌ギャル?を差し上げます。ナメルなり噛むなりご自由に・・。(箱根小涌園・ユネッサン)
1月28日(日) 冬真っ盛りの信州・松本市へ日帰りの旅行です。
朝から快晴・無風の絶好の行楽日和!!
関越道から長野自動車道を経て遥々と松本市へ2時間30分。
途中の碓氷峠で道路が凍結してるか思ったが心配は全く無用でした。
ノーマルタイヤでスイスイと通過して、気楽なドライブと洒落込みました。
net新聞に松本市の氷彫刻祭りが掲載されていたので、暇潰しに松本城見学を兼ねて妻と訪ねたわけです。
市内中心部に位置する松本城近くの無料駐車場を拝借して見物へ・・・。
松本城の外堀を渡ると、そこが第21回全国氷彫刻フェスティバルの会場の入口。
左右に巨大な氷彫刻の“鯱”(シャチ)が城門の代わりにお出迎え。
鯱は高さ5m程で、何層にも重ねた氷塊を彫刻して作っています。
暖かな気温と直射日光に照らされているのに、不思議なことに全く融けていません。
1月28日は氷彫刻フェスタの最終日ですから、角が融けて丸くなって当然ですが・・・。
会場に入ると氷の滑り台や氷機関車・雪を積み上げた“かまくら”など氷・雪ので子供を楽しませる趣向がいっぱい!! 大人も結構遊んでいましたね。
松本城の内堀に沿って氷彫刻が冬とは思えない陽光を浴びてキラキラと輝いて並んでいます。 松本市は今年が市制施行100周年だそうです。
それぞれの作品には題名が付けてありました。
左上は川で鮭を捕っている二匹の熊で「親子熊(生きる)」。後方は松本城の黒門と呼ばれる正門です。 右上は「スマイル(微笑)」数羽の鳥彫刻です。
こちらは映画「ドラゴンハート」の続編「ドラゴンハート 新たなる旅立ち」の一場面でしょうか? 細かく精巧に彫れているのには驚きました。
昼時になったので氷彫刻会場で販売中の“野沢菜饅頭”(150円)を頬張りながら氷彫刻の見物を続けました。(野沢菜がいっぱい詰まって美味!!)
こちらは「未来への翼」と名付けられていました。 天馬の頭角が融けて欠損しないのが不思議!(特別賞受賞作品)
左上は題名「武 将」で、銀賞を受賞されました。
惜しいかな、馬の後ろ足一本が欠けてしまいましたね。
右上は「愛」一文字の題名です。 鳥の姿は平和の象徴ハトでしょうか?
記録的な暖かい今年の気候で、惜しいかな手首と笛が落下してしまった金賞の「蝶になったら・・・」(左上) 親子の白鳥が戯れる「未 来」は無傷です。
左上は「安曇野の冬」で自然な野鳥・水鳥の生き生きとした姿が彫られています。
右上には鷲と熊の戦いを彫った、題名「生きる」。 戦いでの必死な形相が見事です。
左上は龍に乗った天女でしょうか?「希望の光」と名付けらていました。
右上はハトにキューピットとLOVEで「平 和(ピース)」です。
長野県一番のお宝の国宝・松本城天守閣から見た氷彫刻フェスティバル会場の一角です。 この地方の特産品の即売会も・・・。
松本城内堀に並んだ氷彫刻の力作も記録的な温暖には勝てませんね。
折角の氷彫刻も惜しいことに一部欠損や半壊・全壊の作品も多く見かけました。
でも、キラキラと輝く素晴しい氷作品を見ることが出来て、遠路松本市まで来た甲斐がありました。
次回は、国宝・松本城です。
2007 02 09(金)記。 前橋市 最高気温14℃ 春が来た!!
2月3(土) 二十四節気の最後を締めくくる、豆撒きで邪気を祓う節分の日。
成田山新勝寺や川崎大師のように、タレントや関取の豆撒きも良いけど、有名人を利用しての○儲けが見え透いていて・・・ちょっと、ね。
素朴で面白い節分行事を探していたら、群馬の桐生市に一風変わった伝統節分会があると聞く。
各地のお祭りへ私に無理やり連れて行かされて、今じゃ、私以上にお祭りフリークになった妻を乗っけて早速桐生へGO!!
昔は絹織物で有名だった桐生も今じゃパチンコ機械の生産で日本一の街だね。
訪ねた場所は、桐生市広沢町にある神社で、“格式が高い”とか“格式がある”という語源になっている”延喜式内神社”の位を授けられている従一位賀茂神社。
石の鳥居をくぐると広い境内が広がり、その突き当たりに賀茂神社・拝殿と本殿が鎮座しています。
奥の本殿は極彩色の見事な彫刻で四面が飾られて、奥ゆかしさ内にも華やかさが醸し出されていた。
拝殿前の神社境内で、節分の行事“御篝神事”(みかがりしんじ)が催される。
なんでも、御篝神事は江戸時代から続いている伝統行事で、極めて珍しい奇祭と云う。
御篝神事の開始時刻は夜の7時から、それまでは神社から徒歩3分の重要文化財・彦部家住宅と桐生の飲食店で暇つぶしです。 特に美味しいケーキ店は後日紹介予定。
6時30分頃に陽の暮れた賀茂神社に戻って来ました。
天気は無風快晴ですが、放射冷却でしょうね、深々と寒くなって・・・。(帽子が最適)
賀茂神社の境内にはアチコチにドラム缶焚き火が用意されていました。
暖を取らせて貰っていた横では、賀茂神社の奉納人形(ひとがた)を200円で販売中。(紙人形に名前・数え年を記入して、体の悪い部分をなでると霊験あらたか。)
素朴な和紙人形ですが、焚き火の薄暗い炎に浮かび上がったヒトガタは少し不気味。
でも、この人形に祈りを込めると願いが良く叶うそうです。(丑の刻参りにはBESTかも~。)
桐生・賀茂神社まで行けない人は上の写真の人形に願かけて下さいね。
広い境内には見物が怪我しないように縄が張られていましたが、私が到着したときにはカメラ・ジジババの場所取りでごった返していました。
夜の7時に賀茂神社の御篝神事の開始です。
初めは賀茂神社の拝殿内で、神主が御篝神事を行う氏子若衆達に御祓いと祝詞奉読。
境内に厳かに神主のお出ましです。
お炊き上げ用に積み上げた浄薪木に神主が紙人形で着火します。
ご覧のように着火の瞬間はTBSカメラクルーが邪魔で見れませんでした。
マスコミ業界の傍若無人ぶりには呆れますね。
境内では賀茂神社の用意した甘酒が無料で配られて、寒い季節に実に有難いことです。感謝・感謝!!
程なく薪木が燃え上がり、炎の中にダルマや招き猫・お札・紙人形も投入されて盛大なお炊き上げ。
御篝神事に使用する火付き薪木(50~60cm)を長い鉄に引っかき棒で引き出しています。
境内で白装束姿の氏子若衆達が35m程の間隔をあけて6~7名づつ二手に分かれて対峙し、火の着いた浄薪木を大きくグルグルと廻して、同時に相手に向かって投げ合うのが奇祭・御篝神事なのだそうです。
投げる手元が狂ったのか、時として見物客の方にも飛んできます。
写真を撮っている私の横にも落下して、危うく大怪我をするところでした。
火の着いた浄薪木が境内の神楽殿の屋根に落下し、消防車のホースで消火する騒ぎも・・・。
危険な伝統行事ですので、風の強かった昨年は火災を恐れて中止になったとの事。
真っ暗な夜空に円弧を描いて火薪木が飛ぶさまは実に壮観ですね。
上写真の真ん中右の丸い光は双方の焚き木がぶつかった瞬間です。
半ば偶然ですが、ナイスショットの一枚です。 (自画自賛・・笑笑。)
約一時間に亘って9回火投げの御篝神事が繰り返し行われ、節分(旧大晦日)を盛大に祝う賀茂神社の奇祭は滞り無く、三三七の手拍子で賑やかな幕引きとなりました。
全国に類例の無い奇祭で一見の価値は充分にあります、ぜひ来年は桐生・賀茂神社へお出かけ下さい。
2007 02 06(火)記。 前橋市 最高気温15℃。
1月の中旬。 友人のF氏が「野鳥が遊んでいたので、写真に撮ってみました」、と写真を持って来ました
野鳥を撮ったって、どうせカラスかスズメだろうと思ったら、F氏は「珍しい鳥ですよ。」って。 野鳥の名前を訊いたら、「渡り鳥のタゲリです」って云う。
タゲリなんて知らないからどんな字を書くのかF氏に尋ねたね。そしたら、「冬の田圃の土を足で蹴って中の小虫を捕食する鳥で、たしか漢字では田蹴りって書くらしいよ」だって。 (本当は“田鳧”って難解な文字らしいです。 コウノトリ目チドリ科ですから、コウノトリや浜千鳥と親戚。) タゲリはここクリック
F氏は「タゲリが逃げないように車の中から少し窓を下ろして、望遠レンズで狙った」って云うんです、撮った写真を見せて貰ったら、結構キレイで躍動感ある写真に仕上がっていたね。 写真の腕は確からしいよ。
寒いシベリア大陸から苦労して遥々南下して、日本で越冬する渡り鳥らしいよ。
写真では鳥インフルエンザはあまり感染しないと思うから、F氏の力作をご覧下さい。
真冬一月の赤城山をバックにタゲリが沢山舞っています。
今年は記録的な暖冬なので赤城山にも雪があまり降りませんね。
このまま春になると首都圏は水不足かも・・・。 節水を心がけましょう。
暖かいのでタゲリも気持ち良さそうに羽根を休めていますね。
陽光を受けて、羽根が金属的な玉虫色に光り輝いています。
タゲリは頭頂部のハネ上がった長い冠羽が特徴です。
鳴く声は“ミャー”“ミュー”って子猫みたいな声を出します。
土の中の大好物のミミズに蹴りをくれてから、ついばんで食べているタゲリ。
三脚を使わないで、良く撮れていますね。 750mmの望遠レンズで撮ったそうです。
メス鳥にHを仕掛けているのでしょうか? 白い内羽根が印象的な一枚です。
相手の気を引こうと周りで求愛ダンスってか・・・。
如何でしたでしょうかF氏の生き生きとした自然美あふれる力作写真は・・。 (写真の著作権はF氏です。ご使用の際はご一報を。)
大陸から奇妙な病原菌さえ持ち込まなければ、渡り鳥って可愛い季節の風物詩ですね。 一年中が愛鳥週間と思って大切にしましょう・・・。
2007 02 03(土)記。 前橋市 気温12℃。 朝寒く、昼は温暖。
2月3日 節分の日(二十四節気の最後、本来の大晦日。 明日は正月。)
小袋福豆は袋ごと投げれば後で食べられます。
恵方巻? しゃぶる物をナニと間違ってませんか?
1月27日(土) 冬季群馬国体開会式の前に演じられた歓迎式典も無事に終わり、いよいよ開会式本番になった。
森大会会長の開式通告後、先ずは選手団入場(43都道府県から1930名の参加)です。
真っ先に入場したのは沖縄県選手団で総勢5名。無駄の無い小じんまりとした選手団は ですね。
上左写真・前回の総合優勝の兵庫県は天皇杯を携えての行進。
第62回冬季国体の開催県の群馬県選手団は一番最後に、手に水芭蕉の造花を掲げて大勢(約100名)で入場。
南の沖縄から北の北海道まで全選手が着席したところで、また歓迎のマーチング演奏とフラッグダンスが始まりました。
男子吹奏楽団は軽快なマーチ曲演奏しながら場内をパレード。
女性達(子供を産む機械じゃありませんよ! 群馬は「かかぁ天下」の女性上位ですから!)もリズムに合わせて旗を操り軽やかに舞っていました。
約8年近く、たいした業績も無い小寺群馬県知事が開会宣言です。
前夜、伊香保温泉に宿泊し、台本を読みながら挨拶の言葉を述べる皇太子を真横で見ましたが、雅子さんが見れなくて残念!!
森大会会長・小寺県知事・前橋市長・皇太子の言葉より遥かに立派だったのが、選手宣誓式での選手代表の小川賛菜(23才。スピードスケート)の力強い宣誓でした。
選手宣誓の中に「速きこと上州の風のごとく、華麗なること利根川の青き流れのごとく、凛とすること上毛三山のごとく、・・・」と風林火山をたとえながら。群馬県の特徴を織り交ぜて、声高らかにハッキリと宣誓!。 実にお見事な選手宣誓でした。
11時30分過ぎに開会式も平穏なうちに終了。
会場の外に出て、群馬県選手団プラカード係りの可愛らしいお嬢さんとツーショット!
群馬冬季国体開会式終了の後は隣接するアイスアリーナで女子フィギュアスケートを見させて貰いました。 「きばってや。大阪」っていかにも関西らしいですね。
3回転ジャンプ・スパイラル・ドーナッツスピンありの華麗なスケーティングで真に銀盤の妖精!!
女子フィギュアスケートをたっぷりと楽しませて頂いた後、芝生の「ふれ合い広場」で群馬名物・”焼まんじゅう”を頬張りながら帰路につきました。
2007 02 01(木)記。 前橋市 最高気温10℃。 風強し、午後から冷え込む。