ツトムさん家の写真日記。

写真いっぱいの楽しい日記です。(全面表示でご覧下さい)

第805回 大田原市 日本三大古碑「那須国造碑」。

2013-08-30 12:00:00 | 旅行

2013 08 03(土)


日本三大古碑の一つとして知られる“那須国造碑”(なすのくにのみやつこのひ)の見学を兼ねて大田原市へ・・・。
訪ねた場所は大田原市湯津上430に鎮座する「笠石神社」。(石鳥居前に無料P場・トイレ有り)
  

笠石神社に祀られている国宝“那須国造碑”を拝見するには、石鳥居の手前を右に折れた所にある社務所で拝観料(500円)を奉納。
90歳超になる老女(前神主の妻)が元気に古碑と笠石神社の由来を説明(約20分)。
脚が不自由な老女に代わり、那須国造碑へは別の若い女性に案内して頂きました。

石鳥居をくぐると正面に「那須国造碑(笠石)」が鎮座する神域と右には笠石神社拝殿。


古碑を納めた御堂(みどう・本殿)は元禄4年(1691年)水戸光圀公により建立、内には御神体の笠石(那須国造碑)が恭しく鎮座。
 

最上部に帽子のような笠石を戴く御神体の「那須国造碑」は昭和27年に国宝指定。
水戸光圀公により保存されるまで花崗岩に刻まれた漢文字のある正面を下にして埋もれていたので、
風化・磨耗が少なく字も判読し易い良好な状態。
 
那須国造碑に刻まれた全文は8行、152文字で字体は楷書風な六朝書体。
石碑の裏側まで拝見しましたが、正面以外の裏面・側面は荒削りのままで文字や模様は全く見当たりません。

那須国造碑の高さは148cm(笠石含む)最大幅48cm、西暦700年(文武4年)の建立。
那須国の長官を務めた「那須直韋提」(なすのあたいいて)の遺徳を顕彰する為、息子?の「意斯麻呂」(いしまろ)が建立したと謂われる。 

那須国造碑」の拓本。難解で読めない文字もありますが、欠損した字が極めて少ないのは奇跡と言えます。


笠石神社縁起より碑文解説を転載。

那須国造碑に刻まれた碑文は ⇒ ここクリック。

日本三大古碑を全て拝観し、ささやかな達成感で何故か幸せな気分に包まれた筆者でした。

日本三大古碑は北から宮城県の「多賀城碑」、栃木県「那須国造碑」、群馬県「多胡碑」の三石碑。

多賀城碑ここクリック。

多胡碑ここクリック。


2013 08 30(金)記。       前橋市       最高気温 35.6℃    最低気温 23.5℃


おまけコーナー。

トイレで面白ドッキリカメラ!

 ドッキリカメラ! 骸骨バイク。


骸骨展示でドッキリ!


第804回 那須烏山市 山あげ祭り 還御祭 屋台お囃子合戦「ぶんぬき」。

2013-08-27 12:00:00 | 旅行

2013 07 28(日)


那須烏山市で行われた国指定重要無形民俗文化財の“山あげ祭”は町辻野外歌舞伎上演の後、御神輿と屋台の“還御祭”となりました。
 
還御祭とは“山あげ祭”の期間のみ八雲通りに鎮座する「八雲神社御仮宮」から神輿の御神体を元の八雲神社(筑紫山麓)に戻す神事祭です。

御仮宮」が置かれた足利銀行烏山支店交差点に続々と豪華な屋台や神輿が集結。
 
泉町屋台の御拝を飾るのは「桓武天皇と金鷲」、彫りの繊細な見事な彫刻屋台です。

国道294号線方向から坂道を上って来たのは金井町の屋台。
 
金井町屋台の御拝を飾るのは「神宮皇后と竹内宿禰」、迫力ある極彩色の彫刻。

可愛い手古舞も衣装仕度が整い、子供神輿の先導を勤めます。
 

還御祭」の主役にあたる大神輿が「御仮宮」から日野町若衆に担がれて出御(午後5時30分)、続いて各町内からの煌びやかな屋台が列を成して巡行。
 
元田町屋台の御拝には縁起物の「鶴と鯉」、夕日を浴びて燦然と輝きます。

屋台を先導する手古舞さん、御仮宮前から八雲神社へ向け当番町の鍛冶町屋台が最初に出立。
 

足利銀行烏山支店前交差点での“山あげ祭”屋台巡行。
 
鍛冶町屋台の御拝上部には「少彦名命の大鷲退治」の華麗な彫り物が装飾。 横袖の絢爛な飾り彫刻も素晴しい。

八雲神社石鳥居前に屋台が次々に到着、祭り囃子が威勢よく打ち鳴らされ祭り熱気が一層盛り上がります。(午後5時50分)


今年の“還御祭”では当番町の鍛冶町を先頭に、元田町・泉町・金井町の四町の屋台が参集、以前は日野町・仲町も参加し六屋台で行われたそうです。
(日野町屋台は若衆が御神輿担ぎにとられ屋台を運べず、更に仲町屋台は若衆が揃わず不参加。少子化が祭事まで及ぶとは寂しい限り。)
それぞれの彫刻屋台が相向き合って祭囃子合戦「ぶんぬき」を演じます。

ぶんぬき」とはお囃子合戦で相手に打ち勝ち「ぶち抜く」ことから名付けられました。

各屋台の勢子若衆たちが祭囃子を背に受け、締め込み姿で大声を上げながら威勢を示して“還御祭”のフィナーレを飾ります。


祭囃子合戦の「ぶんぬき」終了後、屋台は八雲神社からそれぞれの町内へ巡行し、夜中まで祭囃子を演奏するのです。



山車お囃子競演(ブンヌキ)。



2013 08 27(火)記。     前橋市      最高気温       最低気温


おまけコーナー。

電線に雷が落ちた瞬間!
Lightning strikes the power line. It's intense!


多摩川橋梁を通過中の小田急電車に雷が直撃した瞬間!


第803回 那須烏山市 山あげ祭 八雲神社。

2013-08-21 12:00:00 | 旅行

2013 07 28(日)


那須烏山市の“山あげ祭”の御祭神を祀る“八雲神社”(筑紫山麓)を夕刻から始まる御還祭の前に参拝。

大きな石鳥居の下を通り、坂道・石段を登って八雲神社社殿へ・・・。
 

周囲を木立に囲まれて佇む八雲神社の拝殿(左)と本殿覆屋(右)。  工夫して撮影した本殿。
 

昭和14年11月付けの扁額「八雲神社」(陸軍大将 奈良武次 謹書)。
年次は日中戦争の最中、八の字が上過ぎるのは何か験担ぎの意味でもあるのか・・・?
 
社殿の軒に掛けられていた「武運長久」額、仲町の祈願奉納額なので町内からの出征兵士に捧げられたのでしょう。

八雲神社境内の一角に祀られていた“市神社”。
変わった名前の神社ですが、江戸時代(享保10年)旧領地の近江国から移封により烏山に移った大久保佐渡守常春公は、産業振興のため近江三雲村から商人たちを招聘、その時に近江商人は「商人の祖神」である京都の市比売神社から分社した“市神社”を当地へ祀ったのが市神社の由来です。
  
「開運招福」「家内安全」など商売関係の神様を祀っている関係で、境内の絵馬掛けには「金 運」なる生々しい絵馬なども・・・。

霊験新たかなる“八雲神社 神璽”と御守り。 画像に祈念するだけでも幸運・金運が訪れます・・・。
  
大掛かりの舞台装置や演技などの凝った歌舞伎は、確かに“山あげ祭”は日本一の野外劇と言えるでしょう。

那須烏山市 八雲神社ここクリック。



次回は山あげ祭の“御還祭”とお囃子合戦「ぶんぬき」。


前橋育英高校(日大山形を4-1で破り)、甲子園決勝戦に進出決定! (対戦校は花巻東を2-0で破った延岡学園)


8月22日 前橋育英高校は花巻東高校を4-3で辛勝、夏の全国高等学校野球大会で初参加・初優勝の快挙!!

2013 08 21(水)記。       前橋市 薄    最高気温 30.4℃    最低気温 24.5℃


おまけコーナー。


貞子の始球式。



こんな夏の過ごし方はいかが・・・。
http://labaq.com/archives/51797408.html


三愛水着楽園。
http://photo.news.livedoor.com/detail/62270

「写真写り美人」の恐るべきテクニック!
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1308/13/news095.html

プールで溺れた子に素早い対応のライフガード!!
http://labaq.com/archives/51797469.html


飛び出す絵本がスゴイ!
http://youpouch.com/2013/07/24/129090/?utm_campaign=Partner%3A+livedoor&utm_medium=partner&utm_source=livedoor


第802回 那須烏山市 山あげ祭 鍛冶町辻歌舞伎。

2013-08-19 12:00:00 | 旅行

2013 07 28(日)


那須烏山市の“山あげ祭”は「山あげ会館」前広場での野外歌舞伎終了後、“”などの舞台装置を積んで次なる上演場所へ移動。


可愛い手古舞さんを先頭に揃いの衣装で屋台(御拝)を曳きながら町内巡行へ・・・。


屋台巡行も順調に中央交差点まで来た時、後方で悲鳴が・・・その瞬間に撮影した画像の片隅に舞台装置を積載した”地車”左前輪に轢かれた勢子と助けようと駆寄る姿!!
 

国道294号線の銘酒「東力士」(島崎酒造)前のなだらかな下り坂道で“地車”の前を歩いていた勢子が足を滑らせて転倒し轢かれました。
 
坂道とブレーキの無い“地車”、加えて祭りの浮かれ気分で思わぬ油断が重大な人身事故になりました。
救急車と現場検証で国道294号線は通行止め、気の毒に自動車や観光バスが遥か後ろまで繋がって大渋滞。

先を行く屋台(御拝)は八雲通りを巡行し、町辻歌舞伎を行う鍛冶町へ到着。
積んであった舞台を組み立て、現場検証で遅くなった“地車”を待ちます。
 

遅れてきた地車の“”も組み上がり、歌舞伎上演直前に祭り関係者全員で記念撮影。


今年の当番組は鍛冶町ですから、地元町内での歌舞伎上演、演題は手馴れた「戻橋」。
 

 

強い日差しの下、迫力ある「鬼女」と渡辺 綱の見応えある舞台が繰り広げられます。
 

愛宕山に連れ去ろうとする鬼の片腕を切取った渡辺 綱、雷鳴響くなかが腕を返せと叫びながら幕が閉じられます。
  

戻橋」の動画は前回の「第800回 那須烏山市 山あげ祭 山あげ会館」をご覧下さい。

鍛冶町での辻歌舞伎が終了すると、次の上演場所(烏山和紙会館前)へ移動するため「」は手際よく倒され地車へ収容されます。
 

次回は八雲神社前の“還御祭”と屋台お囃子合戦“ぶんぬき”の予定。


2013 08 19(月)記。    前橋市      最高気温 36.7℃     最低気温 25.3℃


おまけコーナー。

やることが荒っぽい横転車の起こし方!
Do you even flip?


珍妙なカーレース。(レモン24時間レース)


第801回 那須烏山市 山あげ祭 野外歌舞伎 山あげ会館。

2013-08-15 12:00:00 | 旅行

2013 07 28(日)


龍門の瀧太平寺の観光から近くの那須烏山市街地へ車を飛ばして急ぎます・・・。
到着した時には国指定重要無形民俗文化財で有名な“山あげ祭”のメインイベントの野外歌舞伎は既に始まっていました。

次の出番を待つ、舞台装置の大きな“”(竹組に烏山和紙を貼り、表面に山水など描いた「はりか山」 高さ10m)など見上ながら、歌舞伎が行われている「山あげ会館」前の広場へ・・・。
  

強い日差しの中、野外舞台を取り囲む沢山の観客がざわめきも無く熱心に演技を観賞。


舞台上で演じられていたのは、御当地物語の「蛇姫様」、素人歌舞伎とは云いながら熟達した演技が素晴しい!
  

可愛い手古舞たちが爽やかに踊る「蛇姫様」の華やかなフィナーレ。



蛇姫様の一場面ですが動画でご覧下さい。



野外歌舞伎は次の演目「一条  戻り橋」の開演まではしばし休憩中。猛暑で舞台を支える裏方さん達の苦労が偲ばれます。


今年の当番町になった鍛冶町屋台の御拝(ゴハイ・屋台前半部)を飾る彫刻の素晴しさに眼を瞠(みは)ります! 
金と黒漆に極彩色に彩られた豪華な屋台が舞台の一部となり華やかに演出。
屋台(御拝)の上に乗るのは「少彦名命 大鷲退治」の一場。明治40年に完成した彫刻師・小林平右ェ門の名作。
 
暑い中、威儀を正して常磐津と謡曲を流暢に奏でる「太夫座」の音曲が演舞を一層引き立てています。

やがて舞台は替わり、渡辺綱鬼女の物語「一條 戻り橋」が演じられます。
  

が妖魔の術で美しい女人に化けたが水面に映った鬼面で露見し、鬼の姿に戻って大立ち廻りする「戻り橋」。
 


動画で渡辺綱鬼退治の「戻り橋」の一場面(片腕切断)をお楽しみ下さい。



山あげ会館」広場では沢山の露店が並び、野外歌舞伎終了後の客を盛んに呼込み活気に溢れていました。 
 

焼ベーコンなど食しながらエアコンの効いた「山あげ会館」に入館。“烏山 山あげ祭”の資料やジオラマなど拝見しながら小休憩。
 

山あげ祭”は今から約450年前、時の烏山城主・那須資胤が五穀豊穣・天下泰平・疫病平癒などを祈願するため牛頭天王を烏山に勧請した時に、その祭礼に奉納余興として行われた由緒ある祭りです。

那須烏山市では夏祭りとして素晴しい“山あげ祭”が開催されます、観て絶対に後悔のない野外歌舞伎、是非お奨め致します。


次回は“烏山 山あげ祭”の辻歌舞伎と八雲神社前の屋台囃子合戦(ぶんぬき)の予定。



2013 08 15(木 敗戦の日)記。     前橋市       最高気温 35.7℃      最低気温 24.5℃


おまけコーナー。

車内に野生のインパラが飛び込む!
Cheetah Chases Impala Antelope Into Tourist's Car on Safari


転倒するも壁を走って勝利したマウンテンバイクレース。


急発進は損の元。


第800回 那須烏山市 太平寺。

2013-08-12 19:00:00 | 旅行

2013 07 28(日)


龍門の瀧”近くの名刹“太平寺”を訪問。
「瀧の太平寺」と呼ばれ親しまれているこの寺の名は、鬱蒼とした木立に囲まれた石段下の石柱に刻まれた「天台宗瀧尾山太平寺」。
院号を加えた正式寺名は「天台宗瀧尾山正眼院太平寺」ですから、眼にも霊験がある寺院なのでしょう。

太平寺の寺史は古く、延暦22年(803年)坂上田村麻呂が東征の折、逆賊調伏を祈願するために千手観音を安置し、堂宇を建立した事に始まる古刹です。
 
23段の石段上には風格ある豪壮な山門(仁王門)、掲げられた扁額の「観普」は観普賢菩薩のことか・・・?
この仁王門は「龍門の瀧」の中段にある男釜から出現した大蛇が七巻き半したと伝承されている由緒ある山門。

大草鞋の奉納は足腰・旅路の祈願です。        江戸時代中期の作と伝えられる迫力ある仁王像が仏門を守護しています。
  
仁王門のことは“烏山いろはカルタ”に「(ら)爛々と にらむ仁王は 太平寺」と書かれています。

仁王門の真直ぐ後方正面に朱塗りの太平寺本堂。 向拝に「観世音」の扁額ですから観音様をお祀りしている観音堂なのか・・・。
 

格子ガラス戸の隙間から撮影した正面須弥壇の仏像、太平寺の御本尊とみられる素朴な観音像の御尊顔は幕の中、代わりに年代物の前立千手観音菩薩像を拝見。
  
本堂軒先に掲げられていた唯一の絵馬(間引き絵馬?)。

太平寺境内の諸仏・堂宇などを拝見。
水子地蔵尊の脇に建てられた“烏山いろはカルタ”の「(た)太平寺 間引きの絵馬は 世に悲し」の文言には悲哀が滲みます。
間引き絵馬 ⇒ ここクリック。
 
隣のお堂の奉納された「へび姫」の人形、足元に絡みつくのは姫を守った蛇(忠義の腰元・おすがの化身)なのか・・・?

境内の片隅にたつ「阿弥陀堂」、夥しい千羽鶴ともの悲しい三石地蔵?が哀れを誘います。堂内には千体仏が安置。
 

木立の中に立つ位牌堂。 内部には烏山城主・大久保家歴代(初代~八代 144年間)の位牌が安置されていました。
 

位牌堂横の盛んに葉を茂らせた巨樹は栃木県名木百選に認定された「太平寺のカヤ」(樹齢200年余)の大木。
 
苔生した石塔・石墓は「師走八日の千本騒動」(太平寺の変。天正18年1590年、千本城主千本父子が那須家の内紛により太平寺で謀殺さる)に関係した人々のものなのか・・・?
“烏山いろはカルタ”では「(せ)千本公 無念太平寺の つり天井」。
近くには“宇都宮城のつり天井事件”もありましたから、昔の栃木県(下野)では“つり天井”が流行ったのかも・・・。

境内を奥に進むと、「蛇姫様」で有名な烏山城主大久保忠胤の四女・お志賀様の墓があります。


墓石に記された蛇姫様の戒名は「志徳院殿雅山妙耀大姉」、寛政4年7月8日は没した日時。
  
側面には「烏山城主 大久保氏藤原忠胤女也」と刻まれ、雨風寒暖での風化に耐えた綺麗な墓石。

圧倒的迫力で迫る“龍門の瀧”と近くに建つ古刹“太平寺”の見学を皆様にお奨め致します。

蛇姫様」 ⇒ ここクリック。

太平寺ここクリック。


次回は烏山市の“山あげ祭り”の予定。


2013 08 12(月)記。      前橋市       最高気温 37.8℃   最低気温 27.1℃  連日猛暑日が続く。

本日 高知県四万十市江川崎で日本最高気温、41.0℃記録!!(従来記録 2007年8月16日 熊谷市・多治見市の40.9℃)


おまけコーナー。

幸せを感じられる20の瞬間!
http://karapaia.livedoor.biz/archives/52136279.html                                                       


第799回 那須烏山市 龍門の滝。

2013-08-09 12:00:00 | 旅行

2013 07 28(日)

前橋市から北関東自動車道を飛ばして、栃木県那須烏山市で開催される有名な“山あげ祭り”の見物に・・・。

祭りでメインの野外歌舞伎が始まる前に、烏山市の南郊外にある名瀑「龍門の滝」(那須烏山市滝414)を訪ねました。
 
「龍門の滝駐車場」(無料)の脇を流れる江川が滝の源流。

江川に架かる「へびひめばし」を渡り、真直ぐに歩を進めます。
 
「蛇姫」とは気色悪い名ですが、この様な物語です。⇒ 蛇姫様

龍門の滝へ至る途中の石句碑、「大滝や とどろと放つ 神の虹」詠み人不明。

 
滝への下り口には「烏山いろはカルタ」の「り」の文言なども・・・どんな故事なのでしょうか?(事故注意かも・・。)

良く整備された階段をほんの少し下ると、左方向に滝音と共に大きな滝“龍門の滝”が見えてきます。


幅65m、高さ20mの重量感ある迫力満点の滝!! 水の色は最近降った雨で少し茶色に濁っています。


豊富な水量がナイアガラ瀑布を思い出させる豪快な“龍門の滝”、離れていても立ち上る水飛沫が身に迫ります。

近くの太平寺の山門にトグロを巻いた大蛇が棲むという、滝の中段にある男釜・女釜は増水で隠れ見ることは出来ません。

渇水期の「龍門の瀧」。中央右下の平らな窪みが男釜・女釜と思われます。(龍門ふるさと民芸館HP画像)



龍門の滝”の見物の後、滝上に建つ“龍門ふるさと民芸館”(無料)に入館。
 
龍門ふるさと民芸館の壁を飾っていた龍図は人間国宝・吉原北宰画伯が描いた「幡龍」(昇龍)なる真迫の水墨画。

一階の片隅に内部が真っ暗な一室があり、名前は竜神様が棲む“龍神洞”、皆さんの後について恐々と入ります。


真っ暗な室内に微かに見えたのは身をくねらせる巨大な竜神様!!


手前の御賽銭箱に小銭を入れると暗闇に龍神の眼が光り、手に持った白玉が輝き龍声が響き渡る面白仕掛け・・・。


眼を光らせる竜神様に旅の安全をお願いしてから、三階の展望室へ・・・。
展望室にも「龍門の鳴龍」なる祈願所があり、天井全面に「幡龍」の大模写絵が描かれています。
 
ここの絵馬は吉原北宰画伯が描いた龍絵「龍門の鳴龍」、人間国宝の絵筆ですから霊験がありそうです・・・。

三階展望室から眺望した“龍門の滝”、超有名な滝ではありませんが、予想以上の豪快さ、本当に来て観て良かった名瀑です。
 

龍門ふるさと民芸館・龍門の滝の詳細は ⇒ ここクリック。



次回は龍門の滝近くの「太平寺」の予定。


2013 08 09(金)記。     前橋市       最高気温 37.8℃     最低気温 25.8℃


おまけコーナー。

途中でレールが切れて真っ逆様に落下する恐怖のジェットコースター。(台湾国)


「凄い写真コンテスト」(レッドブル)から厳選20作。
http://photo.news.livedoor.com/detail/62454

人間と動物の合体写真。
http://photo.news.livedoor.com/detail/62455


第798回 藤岡市 伊勢塚古墳 白石稲荷山古墳。

2013-08-06 12:00:00 | 旅行

2013 07 14(日)


群馬県藤岡市の田園地帯にある古墳の探訪。

藤岡市上落合318の畑の中に木々で覆われた孤高な墳丘が“伊勢塚古墳”。
 

伊勢塚古墳の解説板。


一見しただけでは円墳にしか見えないが、不正八角形の古墳だとか・・・。


南側の石積みに玄室に続く羨道(せんどう)の入り口が見えます。
保存状態が良好で、蜘蛛の巣も無く両壁の石積みを見ながら入る事ができます。
羨道と石室(玄室)の境にあたる羨門の上桁石は古代からの幾多の地震にも耐えてきた重量感ある大石。
 

見事な石積みの石室の内部、天井までの高さは約3m程で内部は立って見物出来ます。
軽いカーブ状側壁の胴張り長方形の石室には、昔に持ち去られたのか?石室には石棺はありません。


天井を覆うのは大きな一枚の重量感たっぷりな巨岩です。


石室の奥から見た羨門と外部に通じる羨道。


両側壁に大小様々な大きさの石を隙間無く積み込む高度な技(模様積み技法)に驚きます。 羨門には頑丈な加工切石を使用。
 

伊勢塚古墳の西側面。 墳丘の最上部には以前にあったと思われる社(やしろ)の土台礎石が残されています。
 

伊勢塚古墳の詳細 ⇒ ここクリック。



次に訪ねたのは、ゴルフ練習場に隣接する白石稲荷山古墳。(藤岡市白石字稲荷原1365)
北側から見ると円墳に見えますが前方後円墳なのです。


前方部がなだらかなので、意識して見ないと前方後円墳とは思えません。(中央から右が前方部)


後円墳丘部の後ろから墳頂への小径を辿りながら登ります。  墳丘上の「白石稲荷山古墳」標柱。
 

西陽を受けて逆光の墳丘上の石碑のある景色。
左の石碑は、昔この地に稲荷神社が建てられていた証の「稲荷山神社旧跡」の碑。
右は稲荷山古墳の発掘・出土品などの説明を刻んだ「稲荷山古墳碑」。


大きな一枚岩に刻まれた「稲荷山古墳碑」の石碑。   石碑が立つ円墳から見た前方墳部。(なだらかな盛土)
 

白石稲荷山古墳に設置された説明板。横穴式ではなく、二つの竪穴式礫槨(れきかく)から貴重な遺物が出土したそうです。


白石稲荷山古墳の詳細 ⇒ ここクリック。


日常の憂さから離れ、古代のロマンに思いを馳せる古墳めぐりを楽しんでは如何でしょうか・・・。


2013 08 06(火)記。     前橋市       最高気温 30.0℃    最低気温 24.4℃


おまけコーナー。

家族コンガライン踊りに付き合う犬が面白い!
Dog dances in a conga line



世界最速の鳥・ハヤブサと荒野を駆け下るマウンテンバイク。
Gee Atherton gets hunted by a Peregrine Falcon



おバカ映像。 大発明“プチプチ自転車”。
Eric Buss' "Bubble Wrap
Bike"


第797回 藤岡市 七輿山 宗永寺 石棺。

2013-08-02 12:00:00 | 旅行

2013 07 14(日)


七輿山古墳近くの道路端に「七輿山」「宗永寺」と彫られた石柱が建てられています。
門柱から続く参道を進むと小振りな山門(薬医門)がある宗永寺。(藤岡市上落合848)
 

山門前には無縁佛を供養する「三界萬霊塔」や禅寺に必須の「不許葷酒入山門」の石標。 子供たちがすがり付くのは水子地蔵尊。
  

境内で見かけた大きな石碑、円柱状の石灯篭は珍しい。     かなり風化が進んだ六地蔵像。
 

山門から本堂への途中に建っている方形のお堂、堂名は不明。
内部は埃だらけの物置状態、棚に掛けられた布の内に金色の厨子らしき物が・・・。
 

曹洞宗の禅寺らしく簡素な佇まいの宗永寺本堂。 山号の七輿山は隣接する七輿山古墳に由来するらしい。
 

外部からガラス戸越しに撮った本堂内部と御本尊の釈迦如来座像。
 


宗永寺本堂の左側に建てられた東屋(あずまや )風な建屋にこの地で出土した舟形石棺が置かれています。
 

寺横の宗永寺東塚古墳から出土した凝灰岩製の舟形石棺(5世紀後半)。
風化・劣化が進んでいますが左下に縄掛け突起が見られます。右下にも微かに突起が残っています。


反対側や頭部を納めた付近は見るに耐えない崩壊状態・・・。
石棺の横に置かれた破片は石棺蓋と思われます。
 

舟形石棺の詳細は ⇒ ここクリック。

石棺を納めた建屋の後方に小高い丘があります。
これは宗永寺裏西塚古墳(前方後円墳・全長48m最大幅30m)、墳丘の上部は平らに削られ歴代住職の墓地となっており、石室(玄室)などは見当たりません。
 

本堂の左右に古墳をもち、近くには七輿山古墳・伊勢塚古墳など多数あり、この地域は古墳マニア垂涎の聖地と言えるでしょう。


次回は藤岡市古墳群の伊勢塚古墳・白石稲荷山古墳。


2013 08 02(金)記。     前橋市       最高気温 29.3℃    最低気温 22.9℃


南朝鮮(恨の国 泥棒国家・韓国)に強奪された“竹島”は古来から日本の領土を示す古地図発見!!

江戸時代中期には既に日本の地図上に領土として記されている。

竹島古地図の詳細 ⇒ ここクリック。

アメリカは竹島を日本領土として認定していた。⇒ ここクリック。


おまけコーナー。

泣ける【静ちゃんへの手紙】~神風特攻隊員の兄と幼き妹~