ツトムさん家の写真日記。

写真いっぱいの楽しい日記です。(全面表示でご覧下さい)

第278回 夜の神事。 栃木県小山市寒川 花桶かつぎ。

2008-01-30 20:20:20 | 旅行

2008 01 26(土)

この厳寒の季節に華やかなお祭りがあると聞き、早速を飛ばして栃木県小山市へ・・・。

小山市の南西にある寒川地区に昔から伝わる花桶かつぎが1月26日(土)に行われました。

花桶かつぎ”の行列出発地は寒川の龍樹寺(りゅうじゅじ)。
正式名は真言宗流東山蓮花院龍樹寺と言うそうです。
花桶かつぎ”開式時刻の夕方時ジャストに龍樹寺に到着。
 
暖をとる為の焚火が燃える龍樹寺山門前で僧侶ならぬ神主が参加者のお祓いを・・・。

花桶かつぎ”のお祭りに使う花桶にはカラフルな(造花)や飾り物が挿してあります。

龍樹寺山門前での記念撮影を済ませてから“花桶かつぎ”の出発となりました。
 
天満宮と書かれた高張り提灯を先頭に神主と“花桶かつぎ”の少女達、その後に御神輿と続きます。

両端に花飾り桶を付けた竹製の天秤棒の肩に乗せて静々と境内を後にします。
  
花桶を担ぐのは地元・寒川在住で今年七歳になる少女に限られているそうです。(男子禁制。)
少子化が進んで寒川地区で七歳を迎えるのは、今年は画像に写っている2少女だけです。
夕刻五時半に龍樹寺を出発。陽も暮れなずむ寒さの中、”花桶かつぎ”は目的地の“胸形神社”(むなかた)へ・・・。
  

花桶は七歳の少女にはかなり重いのでしょう、母親が後ろから竹棒を支えていました。
花桶かつぎ”は「安育成長」「五穀豊穣」「家内安全」などを願うお祭りと云われています。

花桶かつぎ”行列の途中でお借りして筆者も担いでみました。
七歳の少女だけでは確かに重過ぎますね、重さは4Kgほどに感じました。
 
行列の途中で「小澤屋」さんという店で小休止です。
そこで温かい甘酒の無料サービス!! 真冬の寒い中、ホット一息つけました大変有難い事です。

目的の“胸形神社”へ向かう途中、小山市寒川地区を巡行しながら所々に立ち寄りました。(寒川のガソリンスタンドにて)
 
下流で思川に合流する巴波川(うずまがわ・昔の寒川)の堤防下にある集会所で大休止。
屋根に「家内安全」ならぬ「村内安全」と看板を揚げた車では大太鼓・小太鼓の競演です。(昔は寒川村。)
集まった人達に景気づけのお酒や肴が沢山に振舞われます。
 
花桶かつぎ”のお嬢さんたちもお菓子とジュースでお行儀良く歓待されました。

寒川地区の町辻の小さな社前でも集まって記念撮影。

龍樹寺を出発してから寒川地区を一周して、一時間半の行程で目的地の“胸形神社”に到着。
胸形神社の鳥居横には御神木の大きな榎木(えのき)があります。
枯れて胴の部分だけが残っていましたが、樹齢300年余の巨大古木です。
天然記念物に指定され、「栃木名木百選」の一つに数えられています。(樹高25m・目通り幹回6m
 
花桶かつぎ”も胸形神社に無事到着。
お神輿とともに神官のお祓いを受けて目出度く終了です。

暗闇に静かに佇む“胸形神社”は延喜式神名帳にも記されている由緒ある古社。
古くから近郷の38ヶ村の総鎮守社として崇敬されていたそうです。
御祭神には“宗像三女神”をお祀りしています。
 
胸形神社は別名・寒川天満宮とも呼ばれ、地元では単に寒川様と親しまれています。
境内には花桶かつぎのユニークで可愛い絵馬が飾られていました。

小山市の外れの村で意外な美しいお祭りを見物出来ました。
地方にはまだまだいっぱい楽しい祭りがあるものですね・・・。

2008 01 30(水)記。    前橋市 のち薄   最高気温11℃。

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第277回 群馬県吉井町 古武道 馬庭念流 鏡開き試合。

2008-01-25 18:18:18 | 旅行

2008 01 20(日)

剣法三大源流の一つと名高い“馬庭念流”鏡開き奉納試合が行われました。
(剣術三大源流は念流、神道流、陰流。 剣聖・上泉伊勢守信綱が三大源流を学び新陰流を興す。)

場所は群馬県多野郡吉井町大字馬庭80.

鏡開き式が午後一時からなので、正午少し過ぎた頃に到着。(天候 晴れ・無風)
時代の趣を感じさせる馬庭念流道場の中庭には武芸愛好家やカメラマンや近くの人々が集まっていました。
 
もちろん、入場は無料です。
中に入った時にはすでに乱稽古の真っ最中!
切り込むときの掛け声が大きく響き渡ります。
  
木刀を振りかざして真剣な表情で立ち会っていました。
馬庭念流は自衛の剣ですから、太刀受けの武技がお見事です。

古老も日頃の鍛錬をご披露して気合充分です。
 
女子剣法は長刀(なぎなた)です、「柔よく剛を制す」と言いますが立会いでは女性の長刀捌きがお見事でした。
(長刀を受けているのは米人のウイリアムジェンセン氏。来日してから22年間馬庭念流を学んでいるそうです。)

午後時に鏡開き式開始です。
と云っても、お供え餅を割るのではありません。(お汁粉を期待してはいけません。)
馬庭念流当主・樋口氏以下門弟全員が起立して近くにある摩利支天宮を礼拝。
その後、門弟達に入門許可状や印可皆伝などの式が執り行われるのです。

画像の右から、馬庭念流保存会会長の松本貞義(63歳)。 第25世樋口十郎右衛門源定仁(48歳)。 米人門弟ウイリアムジェンセン(47歳)
 
門弟には可愛い女の子も・・・・。

小高い場所の安置されているのが摩利支天宮
  
ジェンセン氏の子供さんでしょうか? 木刀の試合を心配そうに見ていました。

袋竹刀(ふくろしない)の打ち合いでは小手と頭にプロテクターです。
 
座布団みたいなヘッドカバー(念流独自なもの)でも袋竹刀があたるとかなり痛いそうです。
軽い脳震盪状態におちいるときもあると言います。
ヘッドカバーの名称は「アンコ」との御指摘が「古剣術 動画館」様よりコメントありました。

馬庭念流には剣術だけでなく様々な武具の兵法があります。
先端にタンポ(短穂・打包)の付いた木槍の立会いもありました。

裂ぱくな気迫と気合で試合会場は静まり返ります。

馬庭念流鏡開き試合の最後は当主自らが披露する白刃の真剣による模範試合でした。
当主の樋口定仁氏は先代定広氏の長女と結婚されて、現在は吉井町で医院を営んでいる医師で田路(とうじ)氏が本名とか。
  
当主第25世樋口十郎右衛門定仁氏と保存会の斉藤貞義氏の一騎打ち!
さすがに気迫が違います、、達人の域の両人が真剣で渡り合いました。
真剣を頭の真上で寸止め!! 素人には出来ない業の連続です。

念流は今から630年前の室町時代に念和尚(奥州相馬の人・相馬四郎義元)が京都の鞍馬寺で剣の奥義を究めて編み出した兵法。
念流七世・友松清三藤原氏宗(偽庵)から印可皆伝を受けた八世樋口又七郎定次1591年(天正19年)に上州馬庭村の地に道場を開いたことから「馬庭念流」と呼ばれるようになりました。

馬庭念流は相手に勝つためではなく、負けない技法を理念として発展した剣法です。
守備の剣法ですから、基本姿勢は後ろに体重をかけた独自の構えをとります。
馬庭念流の基本形は「表五本 裏三本 組十本と言われ、獅子奮迅・合掌崩などの技があります」。

馬庭念は後手必勝、徹底的な護身の術として「十分の負けに十分の勝ちあり」、「剣は身を守り、人を助けるために使うもの」とされています。
戦乱の時代、農民達に広く伝授されて、無事に戦場から生きて帰ってくる為の剣法として考案されました。
(馬庭念流は他の流派が大名などのお抱え御用流派になったのに対し、現在に到るまで在野の剣法を信条としています。)

鏡開き試合の終了後、庭園内にある馬庭念流史料館へ・・・。(内部展示の関連文書は群馬県指定史跡。)
 
内部には剣術に関する資料や武具など沢山展示されています。
展示写真に第24世樋口定広矢留めの剣術がありました。
確かにタンポ付きの矢でしたが、木刀で矢を見事に留めていました。
館内案内人の話では第24世は卓越した剣道の名人だったとか・・・。

大きな長屋門風な剣道場が毎週日曜日に稽古が行われる傚士館(こうしかん)。
1867年に建設された板と土壁の道場は江戸時代の剣道場の面影を色濃く残しています。(群馬県指定史跡。)
毎週通って来る門弟は20名程、只今門弟募集中です。
 
馬庭念流に入門するには6ヶ月間道場に通った上、門弟全員の同意と血判が必要です。
入門が許可されるのは2年に1名ほどの難関と云います。 
年初に清々しい剣術試合を見せていただき心に残る日曜日となりました。
読者の皆様もたまには武術の試合など如何でしょうか・・・。(毎日曜日が稽古日、見学自由。)

2008 01 25(金)記。    前橋市    最高気温7℃。


第276回 夜の神事 伊勢崎市倭文神社 田遊神事。

2008-01-21 21:21:21 | 旅行

2008 01 14(月・成人の日)

群馬県伊勢崎市西部地区の前橋市との境にある上之宮町倭文神社で夕刻6時から行われる夜の祭り田遊神事(たあそびしんじ)を見物へ・・・。
少し早めの午後4時前に到着しました。

人が疎らな倭文神社境内を散策してみました。

倭文神社シドリ神社orシトリ神社と読むそうです。
日本語読みとは思えませんね、少し朝鮮っぽい響きです。

倭文神社の正面には頑丈そうな両部鳥居が鮮やかな朱色に塗られています。
 
鳥居横の石標柱には「式内倭文神社」と刻んでありましたから、927年に作成された「延喜式神名帳」にも記載されている由緒ある神社なのです。(創建860年貞観元年)

倭文神社の説明には上野国(こうずけのくに・群馬県の旧名)十二社の九社目に位置する神社とありました。
一之宮が富岡市の貫前神社 二之宮は前橋市の赤城神社 三之宮は渋川市の伊香保神社・・・之宮が伊勢崎市の倭文神社

祭神は天羽槌雄命(あめのはつちおのみこと)と言い、天照大神が「天岩戸隠れ」した時に機を織ってお供えしたという織物上手な女神で農耕・養蚕・機織の神様です。
 
倭文神社拝殿後ろの本殿のそばには注連縄をかけた大きな岩(溶岩)がありました。
神社の御神石なのでしょうか?

今年の田遊神事神事は伊勢崎市役所のビデオ撮影の都合で予定の開始時刻より一時間早く始まりました。
 
普段は無人の社殿が開かれ、神主と地元役員達が揃って祝詞を奏上しました。
それが終わると朱鳥居から提灯を持った神社総代を先頭に白装束に身を固めた氏子たちが境内に入って来ました。

総代の後ろの笹竹持ちや続く長持(ながもち)担ぎや太鼓担ぎの人々は「えーとう えーとう、前田の鷺が御代田にぎろり~・・・一本植えれば千本にな~る・・・」田遊神事御神歌を唄いながら社殿に向かいます。
 
拝殿の前で笹竹を打ち振るい、太鼓を叩き御神歌を歌いながら五穀豊穣・養蚕豊育など祈願します。

担ってきた長持箱に神主が神名御札を納めていました。
 
祭神の天羽槌雄命の分身が長持箱に入ったという事でしょうね。
無事御札を納めてから白装束の氏子達は元の朱鳥居へもどりました。
この行事は続けて3回行われました。

その後、倭文神社から神主を先頭に総代・氏子等が近在の農家を巡ります。
 
厳寒暗闇の中を威儀を正して徒歩で・・・。
家の前では笹竹を振るって厄除けと豊作を祈ります。
 
大きな農家では主人が田遊神事の氏子の皆さんに御神酒を振舞っていました。

家々からは祝い袋に包んだのもを長持箱に入れていました、たぶん御賽銭でしょうね。
 
寒い夜の田遊神事はこれから約1時間に亘って近在を巡回した後、倭文神社へ戻って最初の神事を再び行い、最後に笹竹を奪い合って神事の終了との事。(笹竹でを挟むと繭が豊作になるといわれています。)

とても寒くて最後まではお付き合いできません、田遊神事に参加の皆様本当にご苦労様でした。

田遊神事中世の農村祭り行事を色濃く伝え、1100年以上も続く素朴なお祭りです、読者の皆様も一度は御覧になっては如何でしょうか・・・。

2008 01 21(月)記。    前橋市    最高気温7℃。


第275回 足利市 徳正寺・虚空蔵繭玉市祭り。

2008-01-15 15:15:15 | 旅行

2008 01 13(日)

栃木県足利市徳正寺で蚕の繭に関したお祭りがありました。
場所は足利市本城3-2090 徳正寺
 
足利市役所(無料P場有り。)の直ぐ近くにある徳正寺石門からの参道が露店と参詣客で賑わっていました。

石門から人の流れについて坂道を上ったところが徳正寺本堂です。
本堂の中央には大きなダルマ繭玉飾りがありました。
 
徳正寺の今の宗派は浄土宗行基山徳正寺が正式名、731年(天平3年)に行基上人の創建になる由緒正しい古刹という。
古来再三火災に遭い、現在の本堂は1710年(宝永7年)に中興の祖・十誉聞栄上人によって再建されました。

本堂の奥に僧侶の像がありましたが、たぶん本堂再建の上人でしょうね。
 
販売されていた絵馬にも繭玉飾りが・・・。

徳正寺本堂の前では参詣人に甘酒の無料サービス!! まことに有難いことです。
 
甘酒の横では“足利九条の会”の皆さんが憲法第九条の大切さを説明していました。
筆者もカンパしてカルメ焼き九条ステッカーを頂きました。
足利九条の会の皆様これからも頑張って平和憲法を守ってください!

徳正寺本堂からはダルマ屋の露店が並んでいました。
 
最近はダルマがビニール袋に入っているので少し迫力不足です。
今年は子年ですが、招き猫もよろしくって・・・。
 
開山の祖・行基上人の石像には毛糸の帽子と襟巻きです。
地球温暖化と云ってもヤッパいですから・・ね。

ダルマ屋の前では縁起物の開運熊手の販売中。
 
商売繁盛」「家内安全」「交通安全」など福熊手ですね。

ダルマや縁起物露店の横の石階段を上がると徳正寺のご本尊(虚空蔵菩薩)が安置されている“虚空蔵堂”です。
今日の繭玉市はこの虚空蔵菩薩縁日のお祭りなのです。
 
納められている虚空蔵菩薩行基上人が背負われてこの地に運んだと謂われる功徳ある尊像です。
薄くらい堂内での望遠撮影で虚空蔵菩薩をGET!!
この画像の虚空蔵菩薩でも本尊同様な霊験がありますから、真摯に御祈願ください。

皆さんがお参りしている虚空蔵堂の横でも“足利 九条の会”が熱心に「平和憲法を守りましょう」と護憲をアッピール中でした。
世界の宝“戦争放棄の憲法九条”は絶対に守りたいものです。
 
虚空蔵堂の近くでは「お焚き上げ」が始まりました。
ダルマなどの縁起物がメラメラと炎をあげて・・・一年の役が終わったとはいえ少し哀れな感じがします。

虚空蔵名物の繭玉飾りは徳正寺の門前露店に陳列されています。
 
参詣客と売り子の丁々発止の駆け引きが面白いですね。

この徳正寺の祭りは商売繁盛や開運を願う“繭玉市”です。
虚空蔵菩薩を祀る徳正寺が1739年(天文4年)に虚空蔵堂を修復再建した時から始まったと云われる歴史ある祭りです。

もともと織物に欠かせない蚕の成長を願う行事でしたが、足利の繊維産業が盛んになる頃からは、「織物・家業益々繁盛するように」と商売繁盛を祈願するようになりました。

昔から縁起物はすべからく値引き交渉で、少しでも安く購入するのが縁起が良いとされています。
 
カラフルな繭玉の下にはメデ鯛や小判や招き猫や当り的などの福物が賑々しく下げられています。
縁起繭玉飾りは1500~2000円程のものが良く売れるそうです。
でも、絹織物の衰退なのか信仰心の薄さなのか、年々客数も売り上げも減っているそうです。

縁日って見ているだけでも福々しく楽しいものですね。
読者の皆様も寒さで縮込まらずに徳正寺虚空蔵繭玉祭りの見物に行ってください。

2008 01 15(火)記。    前橋市    最高気温℃。


第274回 群馬県邑楽町 子宝・干支の寺 石打こぶ観音。

2008-01-11 11:11:11 | 旅行

2008 01 04(金)

前回掲載した館林市の「干支の神社・子の神神社の参拝を済ませた後、今度は近くにある干支の寺を訪ねました。

館林市に北西に隣接する群馬県邑楽町石打237に在する“明言寺(みょうごんじ)”。
正式には曹洞宗 月音山明言寺と云います。

訪ねた時刻は午後三時過ぎでしたが、参詣客で賑わっていました。
可愛らしい四脚門の山門をくぐると直ぐに突き当りが明言寺の本堂です。
 
本堂は木の香も匂う木造建ての新築寺院。
本堂に向かって右手にある手水舎が素晴しい。
屋根が古風な茅葺きで、吐水口は青銅製の見事な双頭龍
まずは、手と口を清めてから参詣に向かいます。
 
本堂には「大悲殿」の大扁額、金文字が光り輝いて“”を感じさせません。
縦看板には「新上州観音霊場三十三ヶ所・第十番 月音山 明言寺」。
(1754年・宝暦4年 両野三十三札所の六番観音と定められました。)

明言寺の御本尊が千手観世音菩薩様です。
この千手観世音菩薩は(ね)年生まれの人の守り本尊
今年は子年ですから、まさに明言寺は干支(えと)の寺と云えるのです。

筆者の妻が本堂に上がり込んで寺世話人に千手観音の説明を聞いていました。
 
本尊様の千手観世音菩薩は本堂には無く、奥の観音堂の鎮座しているとの事。
秘仏なので寺の世話人も見た事がないと云ってました。
御本尊・千手観世音菩薩の代わりに賽銭箱に置かれていた絵馬を載せます。
明言寺の千手観世音菩薩は別称をこぶ観音様と言われ、北関東では昔からこぶ(瘤)が良く取れると厚い信仰を集めています。

また、こぶ観音子生(こぶ)観音とも言われ安産・子育ての観音様としても広く崇拝されています。
 
しつこい瘤(こぶ)が取れたのか、念願かなってが生まれたのか、大願成就の大額が幾つも奉納されていました。

月音山明言寺は1204年(元久元年)創建の古刹、最初は天台宗の寺院でしたが、1574年(天正2年)に曹洞宗として再興されたそうです。
 
本堂の奥の観音堂に安置されている千手観世音菩薩を直接拝めないので、観音堂の壁面を透して参詣です。

江戸時代に武州の殿様の眼の上に子供の頃からの瘤があり難渋していましたが、この石打こぶ観音様のことを聞き、熱心に観音に祈願したところ跡形も無く治ったそうです。
このことから、悪いものや悪いところはみな瘤(不要のもの)として取り除く有難い観音様という事で今も崇拝を集めています。
 
宇堂の内外には安産子育てに関したものも沢山置かれています。
石像彫刻の水子観音なども前庭に建立され、線香や草花が手向けられていました。

コブイボ子宝安産などにお悩みの方は“石打こぶ観音”を参詣しては如何でしょうか。

2008 01 11(金)記。   前橋市 薄   最高気温13℃。


第273回 群馬県館林市 干支の神社 子ノ神神社。

2008-01-07 07:07:07 | 旅行

2008 01 04(金)

今年の干支(えと)の(ね)の名前に因んだ有難い神社があると云う。

場所はツツジで有名な群馬県館林市の南部地区の赤生田町。
目的の神社は子ノ神神社という名の神社。
この正月はまだ初参りを済ませていないので早速館林市へ・・GO!

正月の三が日を過ぎているので、子ノ神神社境内は人影が疎らです。
 
赤い鳥居の扁額には「子大神」の文字。

鳥居下の黒御影石には「館林市ふるさと自慢百選・子ノ神神社」と・・・。
 
赤鳥居から真直ぐに参道を進むと子ノ神神社・拝殿です。

拝殿正面の格子戸には沢山の金属製草鞋(わらじ)が奉納されていました。
 
この子ノ神神社は地元では別名子の権現様とも呼ばれ、足腰の神様としても崇拝されています。
草鞋に足や腰の病に関係する願文を書いて奉納すると霊験新たかとか・・・。
足腰の様々な要望が書かれていましたが、ギックリ腰快癒祈願が多かったですね。

子の神神社拝殿軒下の欄間にはネズミの精緻な彫刻が沢山飾られています。
 
その横に巨大な鉄草鞋の奉納絵馬。60cmほどの長さの草鞋です。

子の神神社の拝殿と本殿の全景。 参拝の方々は真剣に拍手(かしわで)を・・・。

正午少し過ぎの時刻ですが、三々五々参拝人が集まってきました。

社殿左右の壁面には奉納草鞋がビッシリと連なって壮観です。
 

所々に大鉄草鞋鉄草鞋行列絵馬など見所いっぱいな神社です。

屋根瓦にもネズミの愛らしい姿がデザインされていました。
 
子の神神社の名は、御祭神の健脚の持ち主で旅好きな大穴牟遅命(おおなむちのみこと・大己貴命)が鉄の草鞋を履いて黄泉の国を彷徨い、幾多の災難に遭っているときにネズミに助けられた故事に由来すると言われています。

拝殿横で奉納草鞋を販売しています。二個一足で500円也。
(願文記入のマジックペンは用意されています。)
 
金属製の奉納草鞋はアルミで作られていました。
良質なアルミですから、何年経っても腐食しないで奉納されているお得な草鞋ですね・・・。(金属泥棒が心配!)

参拝記念に一足奉納です。願文を記入して拝殿正面の格子戸に・・・。

お賽銭を投入して読者皆様の平安とご多幸を祈念して新年の初詣といたしました。

貴重で面白い神社です、館林市方面に行かれたら是非お立ち寄りください。

2008 01 07(月)記。    前橋市 無風。   最高気温11℃。

1月7日   七草粥の日。


第272回 2008年 御年賀。

2008-01-01 00:00:00 | 写真・旅行・日記・コラム

新年明けましておめでとう御座います。

昨年に引き続き「ツトムさん家の写真日記」のご愛読の程、福ネコからも宜しくお願いしますニャ~。


今年の元旦は滅法寒いので、干支ネズミは温かい谷間から失礼致します。

新年早々から面白画像が多くて先行きが思いやられそう・・・。
 
今年元旦の初日の出は如何でしたか?、こんな日の出は初夢か・・・。

2008 01 01(火)記。    前橋市 のち    最高気温8℃。