高野へと来れば昂ぶる思ひする
参道それて建てる一番碑 樋田哲仙
高野山奥の院へ来ると、必ず立ち寄る墓がある。第2代将軍徳川秀忠婦人崇源院の墓で、高野山最大の碑は約10㍍の高さがある。俗に一番碑と呼ばれ、息子の駿河大納言忠長(家光の弟)が建立。徳川家威信の象徴である。墓前に立つと圧倒されるばかりである。浅井長政とお市の娘で信長の姪にあたる。2番碑浅野家、3番碑前田家。
参道それて建てる一番碑 樋田哲仙
高野山奥の院へ来ると、必ず立ち寄る墓がある。第2代将軍徳川秀忠婦人崇源院の墓で、高野山最大の碑は約10㍍の高さがある。俗に一番碑と呼ばれ、息子の駿河大納言忠長(家光の弟)が建立。徳川家威信の象徴である。墓前に立つと圧倒されるばかりである。浅井長政とお市の娘で信長の姪にあたる。2番碑浅野家、3番碑前田家。