哲仙の水墨画

デジカメの風景写真、四季の草花、水墨画、書、短歌などを楽しみます。

高野山一番碑崇源院の墓(写真)

2009-01-31 06:39:56 | 写真
高野へと来れば昂ぶる思ひする
参道それて建てる一番碑       樋田哲仙

 高野山奥の院へ来ると、必ず立ち寄る墓がある。第2代将軍徳川秀忠婦人崇源院の墓で、高野山最大の碑は約10㍍の高さがある。俗に一番碑と呼ばれ、息子の駿河大納言忠長(家光の弟)が建立。徳川家威信の象徴である。墓前に立つと圧倒されるばかりである。浅井長政とお市の娘で信長の姪にあたる。2番碑浅野家、3番碑前田家。

菜の花(墨彩画)

2009-01-30 07:24:19 | 墨彩画
最果ての人に優しき指宿は
年の初めに菜の花の咲く       樋田哲仙

 薩摩半島最南端の指宿は温暖な気候この上ない。今年、第28回を迎えた「いぶすき菜の花マラソン大会」が1月11日(日)行われた。今年の参加者は8000人を越え、フルコースと10㌔に分かれ、沿道の畑には菜の花が黄色のじゅうたんを敷き詰めたように咲き、参加者は日本一早い南国のマラソンを楽しんだ。  にほんブログ村 美術ブログへ

蕗の薹 綾子(書)

2009-01-29 08:38:33 | 
蕗の薹喰べる空気を汚さずに       細身綾子

 綾子はこのブログ初登場。明治40年現丹波市生まれ、平成9年没。松瀬青々に師事。蕗の薹(ふきのとう)は早春他の植物に先駆けて知面に顔を出す。香りが強く香辛料として食卓に上る。苦味が強すぎて少ししか食べられない。昨年近くの山野を歩いたが、なぜか見つけられなかった。どこにでもありそうで、いざ、探すとなると見つからない。

高野山2

2009-01-28 09:22:02 | 写真
うつしよを業に生き抜き武将らは
高野の墓に揃ひて眠る        樋田哲仙

 高野山奥の院は西方浄土の世界がある。戦国時代群雄割拠に明け暮れた武将たちも死後は一箇所に終結して静かに眠っているからだ。命を奪い、命をとられた相克の世も黄泉の世は世俗を超越して、何事もなかった静寂な世界を作り出している。信長と光秀も、三成と家康も、勝家と秀吉も奥の院には同化している。

森の積雪(水墨画)

2009-01-27 05:38:31 | 水墨画
寒にいりて厳しき日々も積もるほど
雪降ることのなくなりにけり        樋田哲夫

 今年の寒の入りは1月5日、大寒は1月20日である。私の住む地域も厳しい日々が続いていて、厚着をして外出はするが、雪は降らない。風が強い日にどこからか、吹き飛ばされて雪が舞うぐらいのものだ。もう10年は積雪の記憶がない。湿気が日本海側で雪となって、太平洋側はから風だけが吹くのだろう。  にほんブログ村 美術ブログへ

大降りと 暮石(書)

2009-01-26 08:53:05 | 
大降りとなりし吉野の春の雪     右城暮石

 この句の吉野は吉野山を意味している。奈良県南部の大峰山系の北側にあり、修験道の根本道場蔵王堂を始め、南朝の所在地であったことから史跡も多い。桜の名所でも知られ、奥、上、中、下と高低差からの温度の違いで長期間楽しめる。その吉野に大降りとなる春の雪が降っているのだ。山深いが太平洋側はドカ雪にはならない。

高野山奥の院参道(写真)

2009-01-25 08:11:52 | 写真
一の橋渡りて進む両側は
気迫溢るる大名の墓        樋田哲仙

 一の橋は高野山の中心聖域御廟への入り口である。約2㌔の参道の両側には幾百年もの老杉がそびえたち、昼でも暗く木漏れ日が差す荘厳さがある。その樹間には戦国武将から庶民にいたるまで20万基ともいわれる墓碑が御廟まで続く。歴史が作り出した神秘な路はこの高野山を除いて他所には見ることができない。

牛と童(水墨画)

2009-01-24 09:49:46 | 水墨画
食肉に名をのみ残す世となりて
田舎に牛の見かけなくなり       樋田哲仙

 50年前の日本の田舎には牛はどこにでも見かけたものだが、最近影をひそめた。今の子供たちに牛が理解できるだろうか。古墳時代中期に骨ばかりか、軛(くびき)、犂(すき)の存在が確認されている。渡来人により農耕生産の労働力とした証した。以来1500年続いた人間との関わりが、耕運機の出現で追いやられた。 にほんブログ村 美術ブログへ 

くれなゐと 釉子(書)

2009-01-23 10:33:48 | 
くれなゐといふ重さあり寒椿        鍵和田釉子

 カンツバキに、もし、色がなければ存在すら否定されてしまう。くれないの色を持つことで花としての威厳を保ち、人に観賞されるのである。それを重さと表現し、物理でいう質量はどこにもない。この句のツバキは野外に植栽されたものではなく、生花として座敷の床の間に飾られたもので、詫び、寂びの世界を醸し出しているようだ。

和紙の里清水町(清水町)

2009-01-22 06:06:32 | 写真
耳にする産地訪ねて山里は
干されし和紙の白き輝き       樋田哲仙

 絵を描く者にとって髪質は重要な事柄である。にじみは産地により、特徴があり、絵の出来に大きく左右する。仲間内でよく耳にする清水の和紙はにじみが強く描きにくい。また、折り目は元に戻らない。その産地の和歌山清水町を訪ねると、現地では保田和紙として売られ、すいたばかりの和紙が天日に干されていた。

おもちゃの牛(墨彩画)

2009-01-21 06:13:20 | 墨彩画
弥生には倭国に牛が見られぬが
古墳中期の埴輪に標す       樋田哲仙

 日本が倭国の時代を著わす中国の史書魏志倭人伝には牛、馬、虎、豹、羊のいない国とあるそうだ。され以後に中国か朝鮮から家畜として渡来したことになる。日本は弥生の時代から古墳時代と移るが、その中期には骨や埴輪が出土するという。家畜として人とかかわり、使役、乳製品の重要な動物となる。 にほんブログ村 美術ブログへ 

山茶花の 青邨(書)

2009-01-20 07:24:15 | 
山茶花の散りしく月夜つづきけり      山口製邨

 ツバキとともにサザンカもよい。わが家の庭に1本のサザンカがあり、初冬から春まで長期間咲き続けて目を楽しませてくれる。メジロが来て短時間ながら鳴き交し遊んでいく。ただし、花弁がはらはらと散るために掃除をこまめにしなければならない。句は「続きけり」とあり、垣根に咲くのだろう。月が出て寒々とした光景に花弁の色が冴えていたのか。

あらぎ島の棚田(写真)

2009-01-19 07:04:15 | 写真
百選の棚田の旅のあらぎ島
稔り済ませて田の美しき       樋田哲仙

 和歌山清水町の蘭島(あらぎじま)の棚田は美しさで名をなしている。有田川の上流域に大型のホタテガイの形をしたなだらかな斜面に54枚の田がある。日本棚田百選にも選出され、所有する農家が保存会を結成して美しい景観が保たれて入る。どの季節を問わず美しいが、早苗田のころは鮮やかな緑で特によい。

ナンテンの実(墨彩画)

2009-01-18 07:26:37 | 墨彩画
松取れて他家の塀より南天の
日々変わり行く実のあはれなり        樋田哲仙

 ナンテンは初夏に白色の小花を総状につけて晩秋から初冬にかけ、赤色の果実をびっしりとつける。重みで先端はたわむ。暖地よりは寒暖の差が大きい山間地に多い。正月には難を転ずるに通じ、縁起物として飾りとなる。よく通る道沿いの塀越しのナンテンの実も松が取れたこのごろ、数を減らし盛りを過ぎた。  にほんブログ村 美術ブログへ

花咲いて 龍太(書)

2009-01-17 07:38:59 | 
花咲いておのれをてらす寒椿       飯田龍太

 カンツバキは色も豊富で一重、八重と変化に富む。しかし、サザンカとの区別がつきにくく混同している向きがある。ツバキは花が首から落ちて音がすることがある。サザンカは花弁が一枚一枚静かに散る。しべも違いがある。句は今まで目立たなかった存在が花を開くことで人目にはっきりと誇示する。それは自分自身を照らし出していると見たものだ。